【コラム・松島忠久】神奈川県川崎市多摩区の生田緑地に、1967年に開園した野外博物館「川崎市立日本民家園」があります。私の母、祖母ともに農村出身で、家はもちろん古い農家作りでしたので、古民家を集めた民家園にはしょっちゅう出入りしていました。
1972年、近隣の古老が講師となり、民具作り講座(わら細工、機織り、竹細工)が民家園で開かれ、私はわら細工に参加しました。講座終了後、「これらの技術は今廃れているが、ある時期は多くの庶民がやっていた仕事だ。何とかこれを残そうではないか」ということになり、幾人かの同志が発起人となり、翌年「民具製作技術保存会(略称 民技会)」を立ち上げました。
初期の会員は30人ぐらい。ところが、多くの人がわら細工(一部は機織り希望)で、竹細工希望者はゼロということもあり、竹細工の講師(本職は籠屋さん)が寂しそうな顔をしていました。そこで私は「ここで竹細工を始めれば1対1で教われるぞ」と考え、竹細工を教わることにしました。
ここで言う竹細工とは竹トンボや竹馬作りではなく、本格的な籠(かご)や笊(ざる)編みです。先生が用意した材料で籠を編むのは簡単ですが、その材料を用意するのが大難関。籠屋に弟子入りして毎日練習をしても、自在に裂けるようになるまで3年かかるということでした。
でも竹細工グループは私1人。サボることはできず、家でも練習して、2年後には午前中に下準備「竹拵(そろ)え」が終わり、午後から「籠編み」をし、何とか1人で籠が作れるようになりました。さらに数年して、初心者が会員に教えるようになり、数年前まで続きました。
「民具の作り方」シリーズを出版
半世紀以上経った今、民技会の会員数は100人弱。うち竹細工グループは約40人と最大グループになり、多くの人が私よりうまく作れるようになっています。その間、各地の古老から聞き取りをし、「民具の作り方」シリーズとして50冊以上の本を出版し、今では民技会は全国の民具関係者に知られるようになりました。
1987年、勤務していた研究所のつくば移転に伴い、私はつくばに単身赴任しました。その後、「宍塚の自然と歴史の会」を知って入会しましたが、毎日曜日には指導のため、川崎に行かねばならなかったこともあり、宍塚の会の方は長い間、幽霊会員でした。
同会がある土浦市は霞ケ浦に面しており、実用品を作る籠屋さんが何人か健在だったので、定年後に教わろうと思いましたが、高齢などのため次々と廃業しました。私が定年を迎えた1995年には、教えられるのは私1人となり、あちこちの公民館から講師依頼が来るという異常事態となりました。
70歳代まではなんとか応じていましたが、手先の力が無くなり、80歳で竹細工をやめました。現在、近隣で竹細工を生業としている人は2人の女性のみとなっています。(宍塚の自然と歴史の会 会員)






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