金曜日, 6月 6, 2025
ホームコラム《沃野一望》19 伊東甲子太郎の3 御陵衛士隊長伊東甲子太郎

《沃野一望》19 伊東甲子太郎の3 御陵衛士隊長伊東甲子太郎

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

新選組のなかで「参謀」というナンバー2の地位をあたえられた伊東甲子太郎は、ひとつの隊内勢力、いわば伊東派を構築していったが、甲子太郎の野望は、そこにとどまるものではなかった。新選組全体を掌中(しょうちゅう)におさめ、尊王攘夷へむけ天下を動かす組織ののっとりをねらっていた。

しかし、もともとが京都守護職松平容保(かたもり)支配下の武闘殺人集団の新選組が、伊東甲子太郎の独断を容認するはずがなかった。とくに、もう一方のナンバー2、武闘派筆頭土方歳三は、ことあるごとに甲子太郎を排斥し、その旨を局長近藤勇へ注進した。

「このままでは新選組は、あやつに牛耳られてしまいます。斬りましょう」

近藤勇は、思案した。土方の憤懣(ふんまん)はもっともだ、さりとて、甲子太郎の組織力と舌鋒(ぜっぽう)は使い方次第だ。近藤は、他人を論破してゆく弁舌への秘かな憧れをいだいている。

そんな折も折、孝明天皇が崩御された。御山陵(ごさんりょう)が東山に築かれた。御陵を守備する兵が必要とされた。

ふってわいたこの役目に、裏で薩摩藩と連絡をとりあっていた伊東甲子太郎がとびついた。朝廷に、衛士の大任を志願した。

慶応三年六月、朝廷より拝命が下される。

伊東甲子太郎は、同志15名とともに新選組を“脱退”し、京都東山高台寺月真院(こうだいじ げっしんいん)へうつった。俗に「高台寺組」とよばれる。御陵衛士隊長伊東甲子太郎の誕生だった。

事実上の新選組脱退

新選組は、武闘殺人集団の性格上、組織維持のため、脱退者に極めて厳格な処分、すなわち、追撃し惨殺をもって対処する方針を堅持してきた。しかし、伊東甲子太郎たち15名にたいしては、当座の表面上、何の咎(とが)めもしなかった。

甲子太郎は、近藤勇に釘をさして去った。

「朝廷より、われらにたいし御陵衛士のご下命がありました。新選組を脱退するものではありません。高台寺で衛士の役目を務めるものです」

「仕方ないでしょう」

江戸深川から同志8人で新選組へ加盟した伊東甲子太郎は、新選組隊内活動で、あらたに賛同をえた者もふくめ、新組織の首領として京で動きだす。朝廷との連絡、薩摩藩との連携など、組織の基盤作りにぬかりはなかった。

しかし、大儀名分はどうあれ、事実上の脱退にちがいはない。土方歳三は、許せなかった。理屈をかざし脱退してゆく者を認めてしまえば、新選組はなりたたない。

さらに、隊内に残った隊士のなかにも「高台寺組」と連絡をとりあっている者の存在が発覚した。土方は、それらの者を、有無をいわせず斬り捨てた。

「伊東という黒幕を斬らねば、第二第三の裏切り者がでる。新選組は内部崩壊する」

土方の強腰に、局長近藤勇がおれる。

「わしにまかせろ。わしが始末をつける。隊内には、極秘だ」(作家)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

ごみ出し支援スタート つくば市 高齢者や障害者対象に

高齢化が進み高齢者のみの世帯が増える中、自宅からごみ集積所にごみを運ぶことが困難なお年寄りや障害者を支援しようと、つくば市は5日からごみ出し支援事業をスタートさせる。週1回決められた曜日に市指定のごみ収集業者が、自宅の玄関先などにごみを回収しに来る。 要介護の認定を受けているお年寄りや身体障害者、精神障害者のうち、家族や親族、ヘルパーなどの協力を得ることができない世帯が対象で、無料で利用できる。 週1回の収集日に燃やせるごみ、燃やせないごみ、プラスチック製容器包装、ペットボトル、缶、びん、古紙、古布などを一括して回収する。それぞれ分別し、燃やせるごみなどは指定のごみ袋に入れて出すことが必要になる。 3~4年前から、ケアマネジャー、民生委員、医療関係者などが集まる市の地域ケア会議で「ごみ出し支援ができないか」などの意見が出て、検討してきた。 市地域包括支援課によると、ごみ出しが困難な世帯はこれまで、近所の人がごみ出しを手伝ったり、ホームヘルパーがごみ出しの時間に合わせて訪問したり、親族がごみを持ち帰ったりするなどそれぞれ対応しているが、収集日にごみを出すことが困難な世帯もあったという。 市は今年度、100人の利用を想定してごみ出し支援に1132万2000円を計上した。スタート時の5日時点では民生委員やケアマネジャーなどから申請があった高齢者など4世帯が利用する。本人のほか、親族、ケアマネジャー、民生委員、相談支援員などから随時申請を受け付け、利用者を増やしていく。 複数回にわたりごみが出されない世帯があった場合は、市が安否確認を行う方針だ。 ごみ出し支援事業は2023年度時点で県内44市町村のうち25市町村ですでに実施しているが、対象や方法などはそれぞれ異なっている。土浦市の場合、2012年度から単身の視覚障害者を対象にごみ出し支援を行っており、週1回、市職員が無料で回収している。現在5人が利用しているという。(鈴木宏子)

有名な昆虫博士との出会い(2)《看取り医者は見た!》41

【コラム・平野国美】疎開先の長野県松本で捕まえた1匹のオケラから、この少年の物語は始まります(コラム40)。それからは山を歩き回り昆虫を捕まえる日々でした。夜は、それらを観察しながら遊ぶ日々。授業中も校庭に出て虫を探す日々。不思議なことに成績は良く、母の助言もあり昆虫学を究めていくのです。 大学院を出て、それからはつくば市の研究所の日々。海外へも視察に出かけ、虫と戯れる日々。若いころの博士を知る人に尋ねると、「仕事と趣味が一致していて、あんな幸せそうな人は見たことがない」と。学術的なことは分かりませんが、博士が執筆した一般向けの新書を読むと、虫に対する愛情とウイットに富んだ表現が魅力的です。 こんなやり取りもありました。「博士、生まれてくるのが早かったですね。あと50~60年遅かったら、昆虫のかぶり物を着て『こんちゅう君だよ!』ってテレビに出るか、YouTubeで人気が出たかも知れませんね」。「私は4本の手足しかありません。昆虫になるには6本が必要です。最近の虫を擬人化する動向には賛成できません」とお怒りになりました。 奥様によると、定年後、研究仲間の逝去を聞くと、気力が落ちていくのが分かり、見ていて辛かったそうです。最近の診察に際しても、その寂しさを嘆いていました。 博士を信じる母、支える奥様 「悠仁さまも筑波大に御入学されたわけで、お呼びがかかるかも知れません。授業の準備でもされたらどうですか」と聞くと、現役時代に皇室に何度か出向かれ、皇室の方がつくばに視察に来られたときにもお話をしているそうです。奥様は「菊の御紋の入った盃(さかずき)をいただいたこともあります。夫はあまり関心を示しませんでしたが、姑(しゅうとめ)が涙を流して喜んでおりました」と話していました。 この姑さんが博士の母で、夫が原子力や医学分野への進学を進める中、息子が昆虫の道に進むことを勧めた方です。博士が大成したのは、彼を愛して信じる母と、その後を支える奥様の愛情が重要なのだと思われます。 子供時代のさかなクンと母の関係について、こんな話を聞いたことがあります。学校の先生が「もっと授業に集中してもらいたいです」と母に伝えても、母は「いや、うちの子は魚が好きで、絵を描くのが大好きなので、それでいいのです。みんな勉強ができて、みんな同じように育ったら、ロボットみたいじゃないですか」と言ったそうです。 ここまで言える母親はなかなかいませんね。私には教育に口を出す資格はありませんが、現代の金太郎飴(あめ)を製造するような教育は、限界にきているのではないでしょうか。(訪問診療医師)

つくばに避難中のウクライナ出身チェロ奏者 7日にチャリティーコンサート

東日本大震災の被災地 岩手県山田町とウクライナを支援するチャリティーコンサートが7日、つくば市吾妻のアルスホールで開かれ、ウクライナからつくば市に避難中のチェロ奏者、グリブ・トルマチョブさん(31)が出演する。「山田町に届け!ウクライナ支援 チャリティーコンサート 第20弾」と題した復興と平和を願うコンサートになる。 妻の姉を頼りつくばに避難 グリブさんはウクライナ北東部のハルキウ出身。つくば市に住む妻の姉を頼り2023年、同市に避難してきた。チェロを始めたのは6歳のとき。かつてヨーロッパ最高のユース交響楽団と認められたこともあるスロボジャンスキー ユース・アカデミック交響楽団の首席チェリストを務めていた。ウクライナではプロとして12年間、積極的に演奏活動に取り組み、各地のフィルハーモニー管弦楽団で演奏したり、多くの著名な指揮者やソリストと協演してきた。 つくばについてグリブさんは「若々しく活気があり、多くの学生がいる素晴らしい街。故郷のハルキウも学術と文化が息づく街で、つくばとの共通点が安心感をもたらしてくれる」と話し、「今回のチャリティーコンサートに招待されることは大変光栄。音楽を通じて人々が集う意義深いイベントの一員になれることに心から感謝している」と意気込みを語る。 細く長く支援続ける コンサートを主催するのは、つくば市在住の中島千春さんが代表を務めるチャリティー実行委員会。中島さんは東日本大震災後、長年「山田町に行って状況を見てから、必要なものを確認し、募金で購入して現地に届ける」活動を続けてきた。山田町支援に限定するのは一地域に集中して細く長く支援活動を行うためだ。 これまで山田町への支援をベースに、熊本地震の被災地なども支援してきた。第20回となる今回はウクライナ支援が初めて加わる。グリブさんが中島さんに裏千家茶道を学んでいることが縁となった。 強い思いに感銘 コンサートではブラームスの「チェロソナタ第1番」、サンサーンスの「白鳥」などを演奏する。ピアノはつくば市在住で同市出身のピアニスト、村田果穂さん(33)が演奏する。グリブさんとはつくばで知り合い、1年ほど前から「(チェロとピアノの)音を合わせる」友人だという。村田さんはグリブさんから誘いを受けて今回の出演を決めた。 村田さんは「震災の記憶を風化させず支援を続けていくという中島さんの強い思いを知って感銘を受けた。今回はさらにウクライナ支援も加わり、復興と平和を願うコンサートになる。演奏会を通じて、思いが多くの人の心に届くことを願っている」と話す。 リハーサルを行うたび村田さんは「グリブさんの多彩なアイデアに驚く。2人で意見を出しながら本番への準備を進めている。本番が楽しみ」という。 平和、共感、希望を感じて グリブさんは「音楽には言葉を超えて人々をつなぎ、団結させる力があると信じている。私の演奏が観客の心に響き、平和、共感、希望を感じてもらえることを願っている」と来場を呼び掛ける。 中島さんは「東日本大震災などさまざまな災害があり、これからも起こると考えられる。災害を風化させないためにもコンサートを開催している。コンサートで豊かな音楽を聴きながら、被災地に思いをはせてほしい」と語る。 コンサートでは山田町向けとウクライナ向けの募金箱を設置する。コンサートの収入は全額をグリブさんがウクライナ支援のために使う予定だ。出演者の交通費や謝礼はチャリティー実行委委員会が負担する。ウクライナ支援については後日報告会を開いてグリブさんが何に使ったかを報告するという。(伊藤悦子) ◆「山田町に届け!ウクライナ支援 チャリティーコンサート 第20弾」は7日(土)午後6時30分から、つくば市吾妻2-8 つくば文化会館アルスホールで開催。開場は午後6時15分。入場料は当日大人3500円、前売り3000円。学生・子どもは当日2500円、前売り2000円。問い合わせはチャリティー実行委員会(電話090-7714-0518=井上さん、Eメールyamada2todoke@gmail.com)へ。

お好み焼きとジャガイモ、それからビール②《ことばのおはなし》82

【コラム・山口絹記】この記事は前回コラムの続きなのだが、台湾人の旧友と、その旦那さんであるドイツ人と私で、なぜか日本でお好み焼きを食べている状況ということだけわかっていていただければよいと思う。 ビールを運んできた店員さんにアレルギーの有無を聞かれたので、私が「あ、大丈夫です」と答えると、彼女が食い気味に「今の大丈夫は、OK? No Thank you? どっちの意味? なんで正反対の意味に使うの?」と乗り出してきた。 「文脈によるけど、今のは大丈夫の意味」と答えると、「日本語のそういうところが難しい」と彼女は言いながら座り直した。「そんなこと言ったら時制のない中国語も大概だと思うよ。ドイツ語の複合名詞も勘弁してほしいけど」と旦那さんに話を振ると、「日本語も中国語も名詞は雑にくっつくし、単語の間にスペースもないじゃないか」と旦那さん。 全員、お互いの言語を中途半端に理解しているために、いろいろと思うところがあるのだが、なんだかんだと私たちはお互いの言語の違いを愛しているという共通認識がある。 ドイツ人の漢字の名前 ところで、と私が話を変える。「旦那さんはビール以外飲まないの?」「ビールだけだね」ときっぱり。わかりやすいドイツ人で好印象である。「私はあなたのおすすめにチャレンジするわ」と、それを尻目に彼女が言うので、私は電気ブランをおすすめする。漢字が読める彼女に「電気を使って作るの?」と問われるが、私にもそんなことはわからない。たぶん使っていない。 目の前で調理されるもんじゃ焼きをじっと観察していた旦那さんが思い出したように、「そういえば自分にも漢字の名前があるんだ」と言い出した。ポケットからメモ帳とペンを取り出して渡す。漢字上級者の台湾人と日本人に監視されながら漢字を書くドイツ人、という構図がなかなか面白い。 書かれた漢字とドイツ語の元の名前を見比べて、なるほどねと彼女を見ると、いいでしょ?と表情だけで返される。彼女が名付けたのだろう。元の名前の音を生かしつつ意味が込められている名だった。漢字は複数の音と意味を持つので面白い。四半世紀前に私と彼女の唯一のコミュニケーション手段だった筆談は、今も現役で役に立つのだ。(言語研究者)