木曜日, 10月 16, 2025
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現地の暮らしに密着し海外を撮影旅行 土浦の石川多依子さん「一期一会」展 

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タイ、モン族の衣装を着る石川多依子さん=土浦市内

7日から 市民ギャラリー

土浦市在住の写真家、石川多依子さんが、海外で出会った人々や印象を組み写真で表現した写真展「一期一会」展が7日から土浦市民ギャラリー(同市大和町)で開催される。これまで2回、土浦の街中を散策し出会った人々や街の変遷を撮影したモノクロ写真展を開催してきた(22年9月14日付24年9月30日付)。今回は、2000年から18年までの間に海外で撮影した写真を展示する。タイ北部の山岳地帯に住むモン族やリス族、中国新疆ウイグル自治区など現地の人々の暮らしに密着した57点を展示する。そのうち29枚はフイルムカメラで撮影しデジタル化した。

きれいな風景ではなく人間味のあるところ

石川さんは1945年水戸生まれ。中学生のときに父親から写真を教わって以来、子育て期間を除いて撮影を続けている。海外で撮影するきっかけになったのは、父親が亡くなり癒しのために1999年に出掛けた友人との海外旅行だ。なんとなく良さそうと、タイに行ったところ、山岳地帯に住むリス族やラフ族、アカ族などの民族衣装の美しさに魅了されてしまった。以来、チェンライ市の子どもの教育を支援する里子プロジェクトに参加しながら、撮影の旅を続けた。

趣味のパッチワークも海外での人々の暮らしを撮影する機会になった。2002年にメキシコのグアナファート大学に招待されパッチワークの個展を開催した。その際は、グアナファートの町を歩き撮影した。その後もタイ北部のカレン族、中国新疆ウイグル自治区、エジプトなどに積極的に撮影旅行に出掛けた。

2016年には、リス族の写真を見た水戸在住の文化人類学者に「水も電気もない暮らしをしている人がいるエチオピアに行ってみないか」と声を掛けられ、「二つ返事で行った」と石川さん。「みんなが撮影する美しいところや有名なところではなく、人々の生活や人間味のあるところを撮りたい」と石川さんはいう。そのため、より地元の人と触れ合える安いホテルに泊まったり、少数民族の住居に滞在したりする。

タイ北部の首長族が住む山岳地域は水が豊富だ。井戸端で水をたっぷり使いながら髪を洗う女性の姿と横にたたずむ少女の対比が印象的で撮影した。幼い頃から首に巻いた真鍮のリングは、一生外すことができないそうだ。

タイ北部チェンマイの首長族の若い女性が髪を洗う「井戸端」=石川さん提供

ベトナムに住む華僑の女性が、街角で美容サロンを開いていたところを撮影。屋根もない店舗だが、マニキュアを施術されている女性は顔にパック剤をつけて満足気に微笑んでいた。女性のたくましさに感心したという。

「街角」ベトナムのホーチミン=同

家畜であるラクダに荷物を乗せる、エチオピアのサバンナにあるボラナ村の人々を撮影した。村には井戸などがなく水がないため、1日の水分は朝のラクダの乳で作ったミルクティー2杯のみだった。数日間、わらぶき屋根でできた村人の家に滞在したが、子ヒツジや子ヤギも一緒に寝る環境でダニに悩まされたそうだ。

エチオピアのボラナ村「サバンナおだやかな時間(とき)」=同

今回の写真展は、撮影した年代順に12のテーマに分け、組み写真で展示する。2000年は「山の子供」と題してタイ山岳地帯のモン族の写真を紹介、01年は「街角」のタイトルで中国雲南省の麗江(れいこう)ナシ族の写真などを展示する。

海外で撮影した写真を地元土浦で展示するのは初めて。石川さんは「これまで都内や大阪、水戸で展示会をしてきた。今回は土浦の人にも遠い国の人々の暮らしを見てもらいたい。何かを感じ取っていただけたら」と来場を呼び掛ける。(伊藤悦子)。

◆石川多依子写真展「一期一会」は7日(火)から13日(月・祝)まで、土浦市大和町1-1アルカス土浦1階 土浦市民ギャラリーで開催。入場無料。開館時間は午前10時~午後5時(初日は午後1時から、最終日は午後4時まで)。問い合わせは電話029-846-2950(同ギャラリー事務室)

茨城の大学に金融学部を設立せよ《地方創生を考える》32

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筆者の講演の様子

【コラム・中尾隆友】外資系金融機関は近年、東京大学や東京科学大学の学生の就職先として非常に人気がある。国内の大手企業と比べて、将来にわたって高額な報酬を得られる可能性が高いからだ。特に投資部門で成功すれば、桁違いの報酬を稼げることは周知の事実だ。しかし、日本で投資関連のスキルを持った人材は少ない。

講師は投資実績がある人を

そこで私は、茨城大学や筑波大学で金融学部や金融学科を設立することが地方創生の起爆剤になると考えている(コラム25参照)。投資で真に求められるのは、幅広い分野の知識を持った上で、多種多様な局面で柔軟に対応できるような人材だ。

日本でも金融学科がある大学が複数あるものの、そういった人材が育てられているのかはなはだ疑問だ。歴史を振り返っても、生粋の学者は投資の分野に向いていないからだ。有為な人材を育てるためには、非常勤でもよいので外部から優秀な講師陣を揃えなければならない。当然ながら優秀な講師陣とは「投資で常に実績を残している人たち」のことだ。

投資という複雑怪奇な世界と対峙(たいじ)するためには、実践的な考え方や対応の仕方を学ぶ必要がある。後付けの解釈が得意な証券会社やシンクタンクのエコノミストは必要ないわけだ。実績を残し続けている講師陣をそろえれば(実は意外に簡単に集められる)、優秀な学生が全国から集まるのは間違いない。その帰結として、有為な人材を多数輩出することも可能になるだろう。

地方を拠点にするバフェット

それが実現できるか否かは、自治体の首長の才覚にかかっている。凡庸な首長ではとても決断できない発想だからだ。

地方創生の観点から、外資系金融機関の拠点を大学の近くに置く一方で大学が人材を供給するという協定を、複数の金融機関と結ぶという案はいかがだろうか。金融の中心地は東京である必要がない。世界一の投資家といわれるウォーレン・バフェットが大成功を収めた理由のひとつに、米国の地方都市オマハ(ネブラスカ州)に住んでいるメリットが挙げられるからだ。

金融の中心地であるウォール街では投機的な情報が氾濫しており、長期的に成長する分野や企業を見分けるには雑音が多すぎる。むしろ、地方都市のほうが適しているのかもしれない。投資に関するスキルは、起業や経営で成功するためにも、地方を発展させるためにも、必要不可欠な要素だ。投資の力を生かす取り組みを、自治体と大学が一体となって進めることを期待したい。(経営アドバイザー)

推測と事実の違いが… 《続・気軽にSOS》165

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【コラム・浅井和幸】会社の業績が悪くボーナスが支給されないため、ボーナスを当てにして組んだローンが払えないとアタフタする。相手がとても喜んでくれると思ってプレゼントしたのに、思ったより喜んでもらえなかった。計画していたよりも仕事が進まず、やる気も出ない。

これらのように、自分の予想や計画よりも物事が順調に進まず、嫌な思いをすることはよくあることだと思います。自分が推測するほど物事がよい結果を生まないとき、あなたはどのように考えるでしょうか? 行動できるでしょうか?

ローンを払えない自分は悪くないと会社のせいにしたり、プレゼントを喜ばない友人の性格を疑ったり、たまたまかかってきた電話のせいにしたりと、他責思考になるでしょうか? それとも、自分は何て能力のない奴だと、自責の念に駆られるでしょうか?

他責でも自責でも、その瞬間や過去に対して評価をしている状況です。うまくいかないことは、何か悪い原因があるのかと考えるのは、間違いではないかもしれませんが、そこにとどまるだけでは何も解決に向かいません。

解決をするには、解決をするための要素を集める必要があります。仕事が終わらないことを自分や他人のせいにしてネガティブな気持ちに浸っていても、仕事が終わるわけではありません。普段からやる気のスイッチが簡単に見つけられる人でない限り、そのスイッチを探し回っても時間がたつばかりです。

悪い出来事の責任論を続けていても、何かを達成するところへ近づくことはありません。それよりも、実際にどのように仕事を進めるかを考え、実行することの方が優先事項となるでしょう。

いくつかの可能性への対策を用意

人は推測したことが実際に起こらないと、パニックになります。そのパニック状態を起こして、どのような対策をとるかで人物の優秀性を測るテストもあるようです。

優秀な人間はパニックになる状況でも最善策を実行できると言われても、そう簡単に優秀な人間にはなれません。推測を一つに絞らずに、三つぐらいは考える癖をつけましょう。物事が順調にいく未来もあるし、うまくいかないこともあるかもしれない、さらに全く予想もしない別の現実が待っているかもしれない―と考える習慣があれば、いくつかの可能性への対策や心構えを持つことができるでしょう。

いつもうまくいく未来しか思い描けない人の特徴は、傲慢(ごうまん)な振る舞いに現れます。他人への批判ばかりが先行する。自分は完璧な人間であると思い込んで、敵を多く作ってしまう。もしかしたら、傲慢でいなければいけないほど、何かしらのコンプレックスを隠し持っている。コンプレックスを見ないふりをしていないと、不安で不安で仕方がないのかもしれませんね。(精神保健福祉士)

場所を誤認し救急隊の到着10分遅延 つくば市消防

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つくば市役所

つくば市消防本部は3日、消防指令センターが119番通報を受けた際、通信指令員が救急要請場所を誤認し、救急隊及び消防隊の到着が10分遅延してしまったと発表した。傷病者らは商業施設の従業員用駐車場で到着を待っていたが、通信指令員が詳しい場所の確認を適切に行わず、お客様用駐車場の方だと思い込み、救急車と消防車をお客様用駐車場に向かわせてしまったという。

市消防本部消防指令課によると、2日午前9時18分ごろ、同市下平塚から、商業施設付近で高齢の女性が倒れていると119番通報があった。中央消防署から救急車1台と消防車1台が駆け付け、10分後の9時28分、商業施設のお客様用駐車場に到着したが、傷病者を確認できなかった。

隊員から連絡を受けた通信指令員は、通報者に電話を架けるなどしたが、つながらない状態だった。現場に到着した隊員らが、車を降りて周囲を探すなどしたところ、商業施設にいた別の人から、近くに倒れている人がいることを聞き、さらに10分後の9時38分、現場に到着し、女性を救急車で病院に搬送した。

通信指令員は本来、気が動転している通報者と冷静にやりとりし、適切な情報を聞き出し、消防隊や救急隊に出動指令などを出すのが仕事。市消防本部は、通報を受けた通信指令員が、商業施設の駐車場をお客様用の駐車場だと思い込み、通報者に詳しく状況を聞かなかったのが原因だとしている。

青木孝徳消防長は「このたびは本人並びにご家族に多大なるご迷惑をお掛けし心からお詫びします。市民の生命、財産を守る立場である消防本部として、今後同様の事案が発生しないよう、指令員への再教育を徹底し、体制の強化を図ってまいります」などとするコメントを発表した。

海外出張 市長はビジネスクラスまで 全会一致で修正案可決

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市長の海外出張の航空運賃と宿泊費をめぐって全会一致で修正案が可決されたつくば市議会9月定例会議最終日の本会議

つくば市議会

つくば市議会9月定例会最終日の3日、本会議が開かれた。海外出張の際の航空運賃について、市長はファーストクラスまで利用できるとなっている市長提案の市職員旅費条例改正案に対し(9月17日付)、小森谷さやか市議(市民ネット)から修正案が出され、全会一致で修正案が可決された。修正条例は、現行の市旅費条例と同様、市長の航空運賃はビジネスクラスまでとなる。来年4月から施行される。

宿泊費についても修正する。市長提案の条例改正案は宿泊費の基準を3段階の区分のうち一番上(首相等と同等の基準)としていたのを、小森谷市議提案の修正条例は上から2番目(指定職職員等と同等の基準)に修正する。例えばロンドンに宿泊する場合、条例改正案は1泊7万円が基準額だったが、修正条例は1泊4万8000円になる。ストックホルム(スウェーデン)での宿泊の場合は4万8000円が3万3000円になる。

併せて、小森谷市議と山中真弓市議(共産)からそれぞれ、東京都知事の海外出張に関する運用指針にならって、つくば市でも運用指針を策定するよう注文が付いた。これまでも一般質問で問題点を追及してきた山中市議は賛成討論で、五十嵐立青市長がコロナ禍後に再開した海外出張に対して「回数が多く、期間が長い」などと改めて批判、運用指針については東京都にならって①出張の目的を明確にし、事前に目的、出張概要、概算費用を公表する②航空券の手配は複数の事業者から提案を受け経費節減に努める③出張後は速やかに出張経費の項目ごとの内訳、数量を含む詳細な情報と、出張の成果を公表するーなどの指針をできるだけ早く策定するよう求めた。

来年4月からまた値上げ 下水道料金

一方、下水道使用料を平均18.1%引き上げる下水道条例改正案(9月2日付)は賛成多数で可決された。反対したのは山中真弓市議1人だけ。可決により、来年4月から20年ぶりに引き上げられる。同市では今年4月、水道料金が平均15%引き上げられたばかりで、2年連続で上下水道料金が引き上げとなる。

第三者委設置請願は不採択 生活保護行政

生活保護行政の不適正事務をめぐり、市が今年6月にまとめた「生活保護業務の不適正な事務処理に関する報告書」はひじょうに不十分で不誠実だなどとして、当時、生活保護業務を担当していた市職員が出していた第三者委員会による徹底的な調査を求める請願(9月26日付)は、賛成少数で不採択となった。請願に賛成し第三者委の設置を求めたのは山中真弓、川村直子(市民ネット)、酒井泉(新・つくば民主主義の会)、市原琢己(Nextつくば)、川田青星(市民ネット)の5市議。(鈴木宏子)

皆既月食と夏休みの自由研究《ことばのおはなし》86

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】変な時間に寝てしまい夜中に目を覚ましてしまうことがある。さえてしまった眼で時間を確認すると、夜中の1時。しばらく寝られそうにもないが、目だけでも閉じておこうとしたところで、今夜は3年ぶりの皆既月食、とのスマホの通知が目に入った。

せっかくだし撮っておくか。ごそごそと立ち上がって、三脚とカメラに望遠レンズをセットする。望遠レンズといっても、せいぜい子どもの運動会用のレンズだが、最近のカメラは性能が良いので、トリミングすればそこそこな写真が撮れてしまう。

寝ている妻にも声をかけてみると、「子どもたちに見せようか」と言うので、月が欠けてきたら起こそう、ということになった。

セッティングを確かめるために一度外に出て三脚をセットする。が、夜なのにまだ暑くて待機するのは諦めた。部屋に戻ってパソコンを立ち上げると、いたるところで月食LIVEの動画配信が行われていた。便利な時代である。快適な室内でちょうどよい頃合いをうかがって外に出ればよい。

観察される側になった私

はっきりと食が確認できるようになったタイミングで、妻と子どもたちと外に出た。子どもたちは食にはそこまで興味がないようで、珍しい夜のイベントに興奮したのかパタパタとあたりを走り回っている。

カメラの背面モニターで拡大した月を確認しながらピントを合わせる。食が最大となる瞬間は何度見ても美しい。何枚か撮影して顔を上げると、娘が月ではなくこちらを見ていた。

ふと、自分が小さい頃、夏休みの自由研究でアゲハチョウの観察をしたことを思い出した。サナギの状態のチョウを枝ごと持ち帰って羽化を観察する計画だったのだが、チョウの羽化は朝早いので、私はウトウトしていてほとんど記憶がない。カメラをやっていた伯父が羽化の瞬間を撮影していたのだが、チョウの羽化よりも、それを見て感動している伯父の姿の方が記憶に残っている。

家族が家に戻った後も撮影を続けながら、ああ、そうか、私も観察される側になったのかもしれないな、とふと思った(言語研究者)

コンパニオンアニマルと孤独の時代《看取り医者は見た!》45

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写真は筆者

【コラム・平野国美】私が今の仕事に従事して20年以上が経過し、世の中のシステムや価値観が大きく変わるのを肌で感じています。最近では、新型コロナ感染症が死生観や葬儀の在り方を変えました。これらの変化を良い、悪いと論じるのではなく、歴史的な事件や災害が生活様式を変えるのは世の常なのでしょう。

家族の形態も大きく変わりました。子供の頃に見ていた日曜日夕方の「サザエさん」のような、一つ屋根の下に多世代が暮らすご家族にお会いすることは、今や年間を通して一件あるかないかです。核家族化が進み、誰もが独り暮らしになりうる時代。サザエさん一家の同居ペットであった猫「タマ」の立ち位置は、ペットという存在をはるかに超えているのです。

ここ数年、訪問先様のお宅でペットにお会いする機会が増えました。以前はワンちゃんが多かったのですが、飼い主様の高齢化に伴い、散歩など体力的な負担が少ない小型犬が好まれ、やがて猫へと変わってきました。この変化については、以前、コラム27「ワンちゃんがネコちゃんに負けた日」(24年9月19日付)で報告したことがあります。

核家族化と独居化が進む中、「我々は誰と老後を暮らし、そして最期を迎えるのか?」という根源的なテーマが浮上しています。その問いに対する一つの答えが、彼ら「コンパニオンアニマル(伴侶動物)」です。

犬や猫と人間の絆が「愛情ホルモン」とも呼ばれるオキシトシンによって育まれることは、医学的にも解明されています。このホルモンは、ストレスの軽減や幸福感の向上、信頼感を深める働きがあり、触れ合い(スキンシップ)や会話によって分泌が促されます。驚くべきことに、オキシトシンは人間同士だけでなく、人と犬といった異種間でも、お互いの分泌を促進させ合うのです。

「孫を飼うなら犬を飼った方がいい」

太古の昔、人の集落に近づいてきた狼の中に、人懐っこい性質の個体がいたのでしょう。それらが家畜化されて犬になったという説があります。犬は他の動物に比べて白目の部分が多く、人とアイコンタクトを取るのが得意です。視線を交わし合うことで、人と犬は共に狩りをし、コミュニケーションを取り、共生の道を歩み始めました。

皆さんも、犬と見つめ合った時に、幸福感に包まれた経験はないでしょうか。まさにその瞬間、オキシトシンが分泌されているのです。もちろん、人と猫の間にも、このホルモンを介した関係が成立することが証明されています。

高齢化と独居が進む時代、唯一無二の存在として傍らにいるのが犬や猫なのです。彼らは今やペットを超え、「コンパニオンアニマル」と呼ばれています。以前、ある患者さんが私に、こんな意味深な言葉を漏らしました。「先生よ、孫を飼うなら犬を飼った方がいいね。裏切らないよ」。この言葉が持つ重みを、私たちはどう受け止めるべきなのでしょうか。(訪問診療医師)

防災拠点27年末完成へ 大屋根芝生広場は計画変更 旧総合運動公園用地

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防災拠点施設=グッドマンジャパン作成(全員協議会に示された資料より引用)

つくば市土地開発公社が外資系物流不動産会社、グッドマンジャパンつくば特定目的会社に売却した同市大穂、高エネ研南側の旧総合運動公園用地(約45ヘクタール)について、市議会全員協議会が29日開かれた。同市が活用する用地南側の防災拠点施設約4.2ヘクタールについて、来年夏ごろ着工し、27年末までに完成する見通しであることが示された。

一方、2022年8月の土地売買契約締結時点の事業計画が変更になる。当時は防災備蓄倉庫やアメニティ施設などの上に大屋根を架け、芝生広場とする事業計画案が示されたが(22年8月30日付)、約4ヘクタールの防災多目的広場と、平屋建て建物面積約2900平方メートルの防災備蓄倉庫を設置する。ほかにグッドマンがアメニティ施設を設ける。消防、警察、自衛隊などの活動拠点や災害廃棄物の仮置き場として使用可能な平場スペースとするためという。広場と倉庫は20年間、市が無料で借り受けるが、その後どうするかは決まってないとした。

一方、1棟目の施設として、来年春ごろにデータセンターを建設する工事に着工するという。28年春ごろ完成予定。

データセンターと防災拠点施設の配置予定図=グッドマンジャパン作成(全員協議会の資料より引用)

全協では、グッドマンが対面での住民説明会をこれまで一度も開催していないことに対して「説明会は普通、対面で説明し同意を得る。周辺区会と敷地境界100メートル以内の住民に紙だけ渡しただけではとうてい説明したことにはならない」(市原琢己市議)などの意見が出た。ほかに、無料で借りられる期間が20年間であることに対する懸念が複数の市議から出されたほか、物流倉庫ではなくデータセンターが最初に建設されることについて「住民説明会で市長は、物流倉庫ができると雇用創出ができるとおっしゃっていた。約束通りきちんとやっていただきたい」(飯岡宏之市議)、防災拠点についての市とグッドマンとの契約内容がまだ示されていないことについて「防災拠点についてなぜ未だに契約の条件がはっきりしないのか」(酒井泉市議)などの意見が相次いで出された。全協は酒井市議が黒田建祐議長に開催を要望していた。

ボランティアフェスタinつくば《けんがくひろば》16

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過去のボランティアフェスタ in つくばの様子

【コラム・山崎誠治】10月11日、つくば駅近くのセンター広場やコリドイオで、「ボランティアフェスタinつくば」が開催されます。各ボランティア団体が、手話、点字、工作、楽器演奏などの体験、よさこい、ガマ口上などの活動発表を行います。スタンプラリーやモルック体験などもあり、子供も大人も楽しめます。今回は研究学園駅周辺の催しの紹介ではありませんが、皆さん、ぜひいらしてください。

みんなでつくるボラフェス

つくばには200を超えるボランティア団体があります。つくば市ボランティア連絡協議会は、ボランティア団体の世話をする人ではなく、「共に活動していく仲間」の集まりとして、従来の「世話人会」から「推進チーム」へと団体名を変更しました。そして推進チームのスタッフだけでなく、登録ボランティア団体の方々も参加していただき、「ボランティアフェスタinつくば」実行委員会を結成し、いろいろな意見を取り入れ、充実したボランティアフェスタ(以下ボラフェス)を開催いたします。

最近、いろいろな場面で「つながる」という言葉を聞きます。ボラフェスは、ボランティア団体の活動を紹介することで、より多くの市民とつながるきっかけを創るだけでなく、各団体のつながりを深めることも大きな目的としています。

昨年のボランティアフェスタinつくばの様子

いろいろなつながりが始まる

ただ、「つながりましょう」と言って、つながるものではありません。団体同士の交流会を開催するにしても、お互いを知り合えるような工夫が必要です。各団体が「団体の紹介カード(きっかけカード)」を作成し、「どんな活動をしているのか」「どんな課題があるのか」「どんな工夫をしているのか」など活動内容だけでなく、問題点やその対処方法など、他の団体を知ることにより、いろいろなつながりが始まると思います。

また、今までボランティア活動に参加したことのない学生や市民の来場者だけでなく、出展者も他の団体のブースに加わり、そのボランティア活動を体験するという「インターン制度」も行います。このように、知り・体験することにより、これからの団体の活動に役立てることができればと思います。

新しい出会いを見つける

子どもも大人も、ボランティア活動を世の中のためということだけでなく、自分のためとして、いろいろな活動に参加するきっかけの発見の場として、ぜひボラフェスを楽しんでいただきたいと思います。

もちろん、いろいろな団体のブースをご覧になり、「つくばではこんなことをしている団体があるんだ」と発見したり、各ブースのイベントを見たり、イベントに参加し、体験していただくことでも、子どもから大人まで十分楽しんでいただけると思います。(ボランティアフェスタ実行委員長)

<ボランティアフェスタinつくば>
・日時:10月11日(土)午前10時~午後3時
・場所:コリドイオ・つくばセンター広場・ノバホール小ホール
・主催:つくば市ボランティア連絡協議会、つくば市社会福祉協議会

花室から上広岡の突風は竜巻 水戸気象台 18日つくばの被害

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倒壊したプレハブ2階建ての事務所兼倉庫の被害状況を調査する水戸地方気象台機動調査班=19日午前11時30分過ぎ、つくば市花室

つくば市で18日発生した突風について、水戸地方気象台は29日、現地調査の結果、プレハブ2階建て事務所兼倉庫が倒壊した同市花室から上広岡で発生した突風は竜巻と認められると発表した。一方、解体作業中の国家公務員住宅の足場の倒壊があった天久保から吾妻にかけて発生した突風の種類は特定に至らなかったとした。

花室から上広岡にかけては18日午後2時53分ごろ、屋根瓦が飛散したり、コンテナが横転するなどした。同気象台によると、突風発生時に活発な積乱雲が付近を通過中で、被害や痕跡は帯状に分布、突風は1分間程度だったという。竜巻の強さは1秒当たり風速45メートルと推定され、0~5まで6段階で強さを評価する「日本版改良藤田スケール」で弱い方から2番目のJEF1該当するという。

一方、気象研究所は、最新型の気象レーダーを用いて調査を行った結果、花室から上広岡にかけて、ガスフロントに伴う複数の竜巻が発生していたことが分かったと発表した。ガストフロントは積乱雲の下で形成された冷たく重い空気の塊が、重みによって、温かく軽い空気の側に流れ出すことによって発生する空気の流れ。今回のような現象を気象レーダーによって至近距離からとらえたことは極めて珍しく、同研究所は現象のメカニズム解明を進めるとしている。

天久保から吾妻にかけての突風は午後3時ごろ発生し、解体中の国家公務員住宅の仮設足場の壁つなぎ財が破断するなどの被害が発生した。突風について水戸気象台は、被害や痕跡、聞き取り調査から、被害をもたらした現象を推定できる情報が得られなかったとした。足場の壁つなぎ材の破断から、突風の強さは1秒当たり風速35メートルと推定され、「日本版改良藤田スケール」で最も弱いJEF0に該当するという。

高齢者を元気にする表現活動《令和楽学ラボ》37

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ギャラリーサザの「二人展」。中央は筆者

【コラム・川上美智子】長寿社会の到来で活躍する高齢者が増えている。筆者自身も年をとっても諦めず、生きがいを求めて人生三つ目の挑戦に挑んでいる。一つ目は子育てと大学教員としての教育研究活動と数々の審議会委員などの社会活動、二つ目は保育園園長として子育ち・子育て支援といろいろなボランティア活動、三つ目が仕事の傍らの陶芸である。

62歳で始めた陶芸、2年前の喜寿には初めて個展を開き、今年はきりのよい傘寿を記念し、9月16日~22日の1週間、ひたちなか市のサザギャラリーで二人展「土が奏でる世界へ」を開催した。

陶芸は、大学に勤務していた頃の教育研究対象の食物科学と全く異なる分野であるため、偶然会場に入って来られ、何十年ぶりかでお会いした方は、「先生は白衣を着てヒールを履いて格好よく歩く姿しか目に浮かばない」と本当にビックリされたようであった。同年代の来る人来る人が作品を見て元気をもらった、自分も頑張らなくてはと言って帰って行かれた。

展覧会に出すのを目標に先生から陶芸の指導を受けて来たので、スタート時点から10キロを超える大型作品造りに挑戦している。重い粘土や作品を運ぶのは、若い頃にワンゲルやスキーで鍛えた丈夫な足腰が役立っている。また、小学校や高校で美術部に入り油絵を描いていたのが、作品にアート要素や自己表現を入れるのにプラスになっているように思う。とにかく今は土をこねて造形する時間が楽しく、仕事の無い日は合間をみて一人、家で小物作品を作っている。

一方で、趣味だから楽しめるのだろうと思っていて、これが仕事になり、作家として生きていこうとすれば、すごく苦しいことになることはわかっている。高齢の身には酷であるが、今は簡単に諦めず、できるところまでやってみるつもりである。

新槐樹社秋季展に出展した「波濤」(左の青い鉢)

11月には県美術展に出展

9月24日からは、数寄屋橋のギャラリーセンタービル6Fの銀座洋協ホールで新槐樹(しんかいじゅ)社秋季展が始まった。現在、このビルが建てられている所は、戦前から戦後、筆者の父親が勤務していた旧財閥の会社ビルだったところから、筆者も小学生の頃、よく訪れていた。今回、本当に懐かしくゆかりのある場所で作品が展示されることに深いご縁を感じていて、30数年前に亡くなった父も喜んでいるのではないかと思っている。

今回は準備で全国から絵画や陶芸の出展者が銀座に集まった。驚いたことに、そのほとんどが私と同年代の男女で、生きがいを求め、表現活動にいそしむ高齢者が多いことを実感した。

11月には17年間欠かさず出展してきた茨城県美術展覧会があり、この時期は美術展が目白押しで趣味三昧の忙しい日々となる。このような生き方が、高齢者のwell-being(=ウェルビーング=、良き生)、すなわち高齢者の生き方モデルの一つになれば、悔いなき充実した人生になるのではないかと考えているところである。(茨城キリスト教大学名誉教授、関彰商事アドバイザー)

逃げ遅れゼロなど 沿岸7首長らが行動宣言 鬼怒川水害10年

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「行動宣言」を承認した首長たち

常総市で式典

2015年9月10日に起きた水害から10年を迎えた常総市で28日、記念式典と水害を考えるシンポジウム「常総水害から10年 水害の記憶を未来へ」が、常総市地域交流センター(豊田城)ホールで開かれた。式典では、水害の記憶を風化させず、安心して暮らしていける社会を築くため、逃げ遅れゼロを目指すーなどの行動宣言が、鬼怒川沿岸の関係6市1町の首長らにより承認された。

主催したのは、国交省下館河川事務所、県と、常総、結城、下妻市など鬼怒川に接する県内6市1町による実行委員会。式典には、神達岳志常総市長ら県市町の首長、地元の国会議員らが登壇した。会場には市民ら1350人余りが足を運んだ。

式典であいさつに立った神達常総市長は「国、県、近隣の市町村も含めて市民と一緒に復旧復興に取り組んできた10年だった。国の緊急対策プロジェクトで600億円を投資しての堤防の整備等、ハード面の整備を進めてきた。それと併せて一番大事な取り組みとして、住民の防災力の向上のため、地域の自主防災組織の活性化に地域と一緒に取り組んだ。防災の取り組みに終わりはないので、しっかり次世代に継承していくために、子どもたちも含めて防災への意識啓発を、共助、自助、公助が連携して取り組んでいきたい」と話した。また今後の治水対策として、大雨により下水道等の排水施設の能力が追いつかず、雨水が排水できなくなり浸水する「内水氾濫」対策が重要だとし、「鬼怒川、小貝川の堤防が決壊せずとも、内水氾濫で水害が起こる気象状況になってきているため、国、県、近隣自治体と連携して進めていきたい」と語った。

大井川和彦知事は「行政、地域住民、企業がそれぞれの役割を認識し、日頃から関係者間の連携を強化し、過去の災害を教訓として想定を超える災害はいつでも起こりうることを念頭に災害に備えることが重要。県として、今後も県民の命と安全を守るため、ハード、ソフトが一体となった流域治水対策に全力で取り組む」と語った。

茨城7区選出の中村勇太衆院議員は「全国各地で甚大な天災が頻発しているが、天災だけでなく、差別やヘイト、分断といった新たな危機に直面する時代となった。これらの危機は一見、全く関係なさそうだが、大切なことは絆を大切にし、人の気持ちを思いやり、力を合わせることが、問題が解決に向かう唯一の方法。水害から10年。改めて家族や近隣住民と深く関わることが大切」だと語った。

防災について講演する赤プルさん

シンポジウムでは、旧石下町(現常総市)出身のお笑い芸人で、防災士の資格を取得し「防災芸人」として活動する赤プルさんが、水害時に実際に被災しボートで救助された姉の体験などを踏まえながら、市民目線でできる防災対策について講演した。

パネルディスカッション後半は、河川工学が専門の白川直樹筑波大准教授が進行を務めた。常総市中妻町根新田で、町内会ぐるみで進める防水害活動が防災功労者内閣総理大臣賞を受賞するなど高く評価されてきた同町内会の須賀英雄さんが登壇し、「多くの人が防災は大切だと感じているが、必要物資の備蓄などできていない人は多い。まずは自助の確立が重要。その上で共助は育まれていく」と、一層の防災意識の向上を訴えた。(柴田大輔)

シンポジウムで取り組みを話す須賀英雄さん(中央)

<行動宣言>

  1. 1.大規模水害に対する逃げ遅れゼロを目指し、防災教育を通じた人材育成を継続し、誰もが水災害リスクを自分ごととして捉え、自らの避難行動につながる取り組みを推進していく。
  2. 2.災害から人命を守るためには自助・公助とともに、地域住民が協力して助かる共助も重要であり、地域コミュニティを維持・発展させ、より一層の地域防災力の向上に努めていく。
  3. 3.国・県・市、町はさらなる連携強化のもと、防災体制や防災機能等の向上を図り、住民の命を守るための的確な避難情報発信や支援等に取り組んでいく。
  4. 4.近年の激甚化・頻発化する水害に対して、行政や企業・住民等、地域全体のあらゆる関係者が協働して水害を軽減させる治水体制、流域治水を推進していく。
  5. 5.自然環境の保全や地域を生かした魅力ある水辺空間の創出、にぎわいのある街づくりなど、鬼怒川の豊かな水と緑の空間を次世代へ残していく。

大学の魅力は今やキャンパスの施設か《文京町便り》44

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】9月下旬の週末(20日・21日)、政治社会学会ASPOS第16回研究大会に参加しました。私はこの学会には設立(2010年)当初からメンバーとして参加しています。同学会の狙いは、リベラルアーツの復権と文理融合を目指し、隔年開催の日韓Joint Conference(韓国側はソウル国立大学アジアセンターが中心の韓国政治社会学会KAPS)も柱にしています。

私自身の専門分野でも、既存の学会活動(日本財政学会、日本経済政策学会、日本計画行政学会、公共選択学会など)では、専門を深める点ではそれなりの意義が認められるものの、私としては、21世紀初頭にふさわしい視野を広げる観点から、ソーシャル・キャピタル論やソーシャル・ウェルビーイング研究などに取り組むことで、一歩横に踏み出していました。ちょうど、そうした転身を始めた時期に、この学会がスタートしたわけです。したがって、両者は私にとって車の両輪と言えるものです。

でも今回は、この学会そのものではなく、会場の追手門学院大学(茨木・総持寺キャンパス)について感想を述べさせていただきます。この地は、京都と大阪から鉄道でそれぞれ20分程度の中間点です。このキャンパスは、従来の茨木キャンパスを新設の理工系学部に充当した上で、既存の文系学部の拠点とするべく開設、全面スタートは今年度(2025年度)です。

敷地は東芝の工場跡地で、4~5ヘクタールはありそうです。建物はありきたりの箱型の構造物ではなく、逆三角形や外側は電飾が点灯するなど、デザインが秀逸であるだけでなく、その内装もゆとりをもった空間レイアウトと教室外の動線・交流スペースのレイアウトや、そこに配置されている椅子・テーブルなども個性的な工夫がちりばめられています。

キャンパス空間デザインを競う時代

約40年前、関西のライバル私立大学はお互いに学生食堂の魅力向上を競い合っていました。そのころ、関東の大学は学生食堂にそれほどの重要性を置いていませんでした。料理の味や学生食堂の雰囲気などは二の次の、ボリューム重視でした。要するに、西高東低だったのです。しかし、遅れること10年ほどで、関東の大学でも学生食堂のレベルが向上し始めたようです。

そうしたことを、学会や研究会の会場となる全国各地の大学を訪れることで、肌で感じていました。今や、大学は魅力的なキャンパス空間デザインを競う時代に突入したようです。

それが、18歳人口が減少し、大学の統廃合がひたひたと迫っている環境変化への対応なのか。それとも、そうした変化への対応を外見的に整えることで、やり過ごそうとしているのか、判然としない点もあります。できれば、カリキュラム内容の充実で勝負してもらいたいところです。

それにしても、この地(摂津国の高槻・茨木など)は、かつて長岡京(784~794年)が近接していて、織田信長以前の天下人と言われた戦国大名・三好長慶(1522~64年)や、キリシタン大名・高山右近(1552か53~1615年)が駆け巡った地であること、そして日本の家電を牽引した東芝の工場跡地であることに、世の栄枯盛衰をしみじみ感じた次第です。(専修大学名誉教授)

霞ケ浦、決勝で鹿島学園に敗れる 高校女子サッカー県大会

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前半10分、自陣の付近でボールをクリアする霞ケ浦の麻那古留奈(黄色いユニフォーム)

第34回全日本高校女子サッカー選手権 県大会決勝が27日、水戸市下国井町のIFAフットボールセンターで行われ、霞ケ浦が鹿島学園と対戦、0-3で敗れ、全国大会の切符をつかむことができなかった。優勝した鹿島学園は2年連続5回目の出場となる。

鹿島学園 3ー0 霞ケ浦 
   前半0ー0 
   後半3ー0 
得点=44分 阿南愛羽、46分 田口結菜、58分 阿部陽菜多(いずれも鹿島学園)

霞ケ浦は1回戦で大成女子に27ー0、準決勝は昨年延長で敗れた明秀日立を2ー0で破り決勝に進んだ。対する鹿島学園は、5月に埼玉県で開催された関東大会で優勝。県大会は準決勝で常磐大高と水戸三の合同チームを17ー0で破り、決勝に臨んだ。強豪相手に霞ケ浦は「自分たちが出来ることを精一杯やろうと、チーム一丸となり決勝に挑んだ」(キャプテンの後藤咲幸)。

前半9分、ヘディングでボールを奪う霞ケ浦の磯貝依吹

前半は鹿島学園に攻め込まれる時間帯が多かったが、センターバックの麻那古留奈が、後ろからみんなにしっかり声を掛けて前向きなプレーが出来るようサポート。鹿島学園にボールを支配されシュート4本を許しながらも無失点で守り抜いた。

後半は44分に、鹿島学園の阿南愛羽がシュートのこぼれ球を狙い通り押し込み、先制。2分後には田口結菜のゴールが決まり2点をリードされた。霞ケ浦はその後、ショートコーナーからゴール前の混戦でチャンスをつかむが、ゴールネットを揺らすことは出来なかった。鹿島学園はさらに阿部陽菜多が右サイドから左サイドまでドリブルで運んで、最後は左足で右のサイドネットにゴールを決めた。「コースが空いていたのでゴールを狙っていた」と阿部。

後半31分、中央からゴールに迫る迫る霞ケ浦の小池美聖

試合を決定づける3点目を奪われた霞ケ浦は、小池美聖がアディショナルタイムにオーバーラップして攻撃に転じるが、ゴールを奪うことは出来なかった。「鹿島学園はドリブル、パスなど一つ一つが質が違うと感じた」と小池。1年生で先発出場した百津薫は「先輩たちと違って出来ない部分は多いけど、自分が出来ることを全力でやったので悔しい」と涙ながらに話した。

前半21分、ボールを奪う霞ケ浦の百津薫(左)

キャプテンの後藤は「前半を0でいけたのが良かったので、ハーフタイムでは『後半はしっかりゴールに向かって、相手のライン上に隙ができているのでそこにボールを入れて、自分たちは足が速い選手が多いので、そこを上手く使ってゴールに行こう』との指示があった。先にボールに触ることを目標にやってきたが、相手の方がボールに対する執着心が強く勢いにのまれてしまった」と振り返り、「最後まで諦めずに戦うことが目標だったが、悔しい結果に終わってしまった」と残念がった。

試合後健闘を称え合う霞ケ浦と鹿島学園の選手たち

敗れた霞ケ浦は11月2日から鹿嶋市の鹿島ハイツスポーツプラザで行われる関東大会に出場する。キャプテンの後藤は「鹿島学園と戦って学べたことを関東大会で最大限に発揮して優勝目指して頑張りたい」と話した。

試合後の表彰式で準優勝の賞状を受け取る霞ケ浦のキャプテン後藤咲幸


霞ケ浦の竹本栄子監督は「力の差があるのは分かっていたので、選手たちは胸を借り、チャレンジャーの気持ちでやっていた。そこは出来たし前半は良かった。後半はもう少し頑張らなきゃならなかった」と話し「関東大会は全国にはつながらない大会ではあるが、各県の代表と戦える唯一の大会なので優勝目指して頑張りたい」と語った。

優勝した鹿島学園は12月29日から兵庫県内で開催される全国大会に出場する。、鹿島学園の阿南愛羽、阿部陽菜多は「相手のレベルが高く苦しい状況もあるが、みんなで力を合わせてベスト8の壁を越えて全国優勝を目指して頑張る」と抱負を語った。(高橋浩一)

全国大会出場を決めた鹿島学園の選手たち

里山保全活動とチェーンソー作業《宍塚の里山》128

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チェーンソー講習会の様子

【コラム・佐々木哲美】私たちの会では、豊かな里山を目指し、チェーンソーを使って林の手入れをしています。8月には、安全確保のため「チェーンソー取扱作業安全講習」を開催しました。講師は労働安全コンサルタントである私と、同じ会員で空師(高木に登って枝や幹を伐採する職人)の田中裕之さんが担当しました。

6時間半のカリキュラムのうち、午後の2時間は当会所有地「ワクワクの森」で、大木の伐倒などの実技を行いました。講習内容は、厚生労働省通達に基づく「チェーンソーを用いて行う伐木等の業務従事者安全衛生カリキュラム」に準じ、より実践的な構成としました。

当日の参加者は11名。年齢、職業、会員歴、経験はさまざまで、有資格のベテランから初心者の女性まで幅広く、身内ながら緊張感を持って学び合い、楽しく充実した時間を過ごしました。経験の有無にかかわらず、参加者の多くが同様の感想を持っていたのが印象的でした。

当会では2012年から、法令に基づくカリキュラムでチェーンソー特別教育を開始し、数年おきに実施してきました。20年の法改正後には、6時間の補講を2度開催しています。現在の法令では、学科(9時間)と実技(9時間)の18時間が必要で、3日かかります。私が引っ越したこともあり、1月には刈払い機安全講習を実施したものの、チェーンソー講習は無理と考えていました。

今回は林業従事者向けの内容を大幅に省略し、災害復興ボランティア活動の視点を加え、1日で完結する独自テキストを作成しました。そして、会独自の修了証を発行しました。

けがをしたら自己責任

伐木作業に従事する労働者は、木の太さに関係なく、法令に基づく特別教育の修了が義務付けられています。未受講で業務使用した場合は法令違反となり、事業者には懲役または罰金が科される可能性があります。ボランティアや個人使用の場合は、資格や特別教育の義務はありませんが、事故リスクが高いため、安全な使い方の習得が強く推奨されます。けがをしても、自己責任となってしまいます。

チェーンソーによる伐木作業が厳しく法令で規制されているのは、労働災害が多いためです。対応には三つの視点が必要です。第一に、取り扱いを誤ると危険な機械であり、操作や整備の知識が不可欠です。第二に、伐倒方法や方向を誤ると重大な災害につながります。第三に、振動工具であり、作業時間や整備状況を適切に管理しないと、健康障害を引き起こします。

けがの痛みは、労働者もボランティアも変わりません。労働者には法律による救済制度がありますが、ボランティアには補償もなく、講習会の受講料も自費です。ボランティアが安心して活動できるよう、社会制度の整備を強く望みます。(宍塚の自然と歴史の会 顧問)

「報告書は不十分、第三者委設置を」つくば市職員の請願不採択 生活保護

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つくば市議会請願審査特別委員会の様子=25日

市議会特別委 

つくば市の生活保護行政をめぐり不適正な事務処理が相次いで明らかになった問題を受けて、市福祉部が今年6月にまとめた「生活保護業務の不適正な事務処理に関する報告書」(6月23日付)に対して、「報告書は業務の分かる私たちが読めばひじょうに不十分で不誠実だ」などとして、当時、生活保護業務を担当していた市職員(現在は異動)が市議会9月定例会議に、第三者委員会による徹底的な調査を求める請願を出した。25日、市議会請願審査特別委員会(小村政文委員長)で審議が行われ、賛成少数で不採択となった。10月3日の定例会議最終日に改めて審議される。

同職員の議会請願は3回目。今回の請願は99ページに及び、報告書の問題点を一つ一つ取り上げ、課題を指摘している。市議からは「(請願には)報告書に書かれてないものがあり、検証が足りない部分があると思う。(報告書は)不十分だとおっしゃる請願者の主張はごもっとも。どうしてこういうことになったのか、なぜこういうことに至ったのか、全庁的な総括が必要」(小森谷さやか市議=市民ネット=)などとする意見が出た。

500件超の手順誤り

併せて同特別委では、今年7月に一般監査を実施した県から、不適正な手順による診断書料などの支給が500件超あったと8月の結果通知で指摘されたなどの報告が市社会福祉課からあった。

500件超の誤りは、障害年金の受給を申請する際に必要となる診断書料の生活保護からの支給手順について、本来、市が検診命令を出し、医療機関からの請求に基づいて、市が医療機関に支払うべきものを、同市では、申請者が医療機関に診断書料を払い診断書をとった後、市が申請者に支給していたーなど。

監査での県の指摘に対して山中真弓市議(共産)は「6月に報告書が出て調査終了となったが、2カ月後に県の通知があり、これでは調査が不十分。報告書ではなぜこういうことが起きたのかの調査がない」などと話した。一方、同課は「以前から県に運用誤りの報告をしており、報告書にも記載していた。調査は十分行ったと考えている」とする一方「500件超という件数は市長に報告していなかった」とした。

請願を採択するか否かの討論では、採択に賛成する意見として「(6月の報告書は)問題の背景や根本的な原因に到達しておらず、市としての調査は限界がきている。忖度のない、利害関係のない弁護士などを選定した第三者委員会を設置すべき」(山中市議)とする意見が出る一方、反対意見として「このような事態に陥ったのはここ5年とか10年ではない。どこが悪かったのか、責任の所在と原因を明らかにしていかなくてはならない。職員は、不適正だと分かっていても不適正な事務をやらなければらなかった。根が深い問題があるが、最終報告を待ってから第三者委員会の必要性を判断したい」(小森谷市議)、「現時点で第三者委員会による調査を行うことはない。なぜなら、県の監査が有効に機能していて、外部通報窓口が遅くとも来年4月にはできる」(川久保皆実市議=つくばチェンジチャレンジ=)などの意見が出て、委員14人中、賛成は2人(山中市議、川村直子市議=市民ネット=)にとどまり、賛成少数で不採択となった。(鈴木宏子)

建物自体が実験室 学園の森に朝日工業社つくば技術研究所完成

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完成した朝日工業社つくば技術研究所。おおらかなスケールの落ち着いた外装で、自然な風合いの素材感と大きな開口が特徴=つくば市学園の森

つくば市学園の森2丁目の準工業地域(コストコ南側)に、空調設備工事会社、朝日工業社(東京都港区、高須康有社長)のつくば技術研究所(平泉尚所長)が完成し、25日竣工式が催された。建物自体が最先端の建築設備の実験室であり、ショーケースになっている。今後、空調など建築設備の研究開発のほか、植物栽培技術やワクチン、ゲノム編集作物の研究などに取り組む。現在、千葉県習志野市にある技術研究所を移転する。

同研究所は敷地面積9300平方メートル、建物は鉄筋コンクリート造一部鉄骨造2階建てで、建築面積3065平方メートル、延床面積3782平方メートル。昨年7月に着工し、完成した。

建物の天井。直射日光が入らないように設計され、照明がなくても室内は明るい。自然素材・サステナビリティの高い素材で空間を構成している

建物自体には、温度と湿度を分離制御し、捨てられていた排熱を有効活用して除湿する「低温再生デシカント空調システム」や、パイプなどで冷水を供給しサーバーなど発熱機器を効果的に排熱処理する「液冷空調システム」などが導入され、脱炭素社会の実現に向け、実験データをとる。

建物は、室内環境を維持し、大幅な省エネルギーと再生可能エネルギーで年間のエネルギー収支を実質ゼロとするZEB(=ゼブ=、ネット・ゼロ・エネルギー・ビルディング)を達成し、建築物の省エネルギー性能表示制度BELS(ベルス)の最高評価を取得している。さらに国際的な環境認証の取得に向け申請中という。

社員が休憩するリフレッシュスペースのバルコニーに設置された足湯施設。筑波山を眺めながらくつろぐことができる

平泉所長によると現在、筑波大学と協力して人工光の植物工場におけるゲノム編集作物の生産システム開発を行っており、同研究所でも研究開発に取り組む。市内のほかの研究機関との連携も今後、考えていきたいとする。敷地面積が広いので、今後増設の計画があるが時期は未定という。

25日催された竣工式で同社の高須康有社長は「習志野の研究所建設から43年、創立100周年という記念すべき年に新たに研究所が出来たことは万感胸に迫る。狭隘(きょうあい)な事務スペースや老朽化した建物、実験設備、耐震性の課題を解消する目的で計画した。卓越した美しさと機能性を兼ね備えた意匠設計、環境への細かな配慮や工夫の結果、高い環境性評価基準を満たし、認証を取得した。建物の設計・監理を行った日建設計のお陰。この素晴らしい建物にふさわしい企業になれるよう社業に邁進したい」とあいさつした。式典には県立地推進東京統括本部の島田敏次統括本部長らが出席した。

あいさつする高須康有社長

同社は1925年、紡績会社の温湿度調整や除塵装置の施工会社として大阪市で創業。1950年代には高度経済成長による建設ブ-ムの中、産業施設や一般ビルの空調設備工事に取り組み、業容を拡大しながら、省エネ空調システム開発にも取り組んだ。1967年には東京に本社を移転。1983年に千葉県習志野市に技術研究所を建設した。(榎田智司)

41年ぶり 膵腎同時移植を実施 筑波大附属病院

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膵腎同時移植について記者会見する筑波大附属病院の手術部長で消化器・移植外科の小田竜也教授(中央)。左は執刀医の高橋一広講師、、右は篠崎まゆみ看護部長

筑波大学附属病院(つくば市天久保、平松祐司病院長)は24日、膵腎(すいじん)同時移植を同大で41年ぶりに実施したと発表した。頭部に外傷を負い脳死と判定された島根県の20代男性から提供された膵臓(すいぞう)と腎臓を、20日から21日未明に茨城県内の30代男性患者に移植した。現在、患者の症状は安定しているという。

同大は1984年9月、当時の岩崎洋治初代消化器外科教授(故人)らが国内初の脳死による膵腎同時移植を実施した。しかし当時、脳死判定の基準や臓器提供の法整備が未整備だったなどから社会的議論となり、市民グループらが筑波大を殺人罪などで告発し、98年に不起訴処分になった。

1997年に臓器移植法が制定され、日本臓器移植ネットワークが整備される一方、現在、国内では移植医が不足し、関東では移植医療を行う医療機関が減っているという。同附属病院は2019年から膵腎同時移植の再開に向けた準備を進め、6年の準備期間を経て実施に至った。

記者会見する移植チームの医師と看護師ら

膵腎同時移植は、自己免疫の異常などによって自分の膵臓からインシュリンがほとんど出ない1型糖尿病で、末期の腎不全により人工透析を受けている患者を対象に行われる。同時移植により、移植した膵臓からインシュリンが出るようになるほか、人工透析を受けなくて済むようになる。現在、全国で年間約150件の同時移植が行われ、治療法として定着している。

24日記者会見した同附属病院副病院長で消化器・移植外科の小田竜也教授によると、19日、筑波大の外科医など3人が島根大学に向かい、20日午前8時にドナーから膵臓と腎臓を摘出、同日午後3時過ぎに筑波大に戻り、9時間12分の移植手術を実施した。14人の外科医によるチームを編成し、麻酔医や看護師を含め20人以上が対応にあたった。同時移植を受けた男性はこれまで3年間、同附属病院に週3回通い、透析を受けていたという。

小田教授は「アカデミアの使命としてやらなくてはいけないと2019年から準備を始めたが、膵腎同時移植をやるには人的資源とチームワークと組織の体力が必要で、ハードルの高さは予想以上だった」と話し「脳死が法律で整備されていなかった41年前と比べて、あまりにも時代が変わってしまって、働き方改革など医療者の価値観も変わった。移植外科医がひじょうに少ない中、夜も土日も手術に当たらなくてはならないなど長時間の連続業務が必要となる移植医療はこのままでは維持が難しい。診療報酬も決定的に安すぎる。一握りの医療者のボランティア精神に甘えるのではなく、日本全体として、制度として成熟していかないと続いていかない」などと話した。(鈴木宏子)

沖縄の音色響く つくばで4教室合同発表会

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本番に向け練習に励む「三線サークルつくば音」=竹園交流センター

10月5日 カピオ

沖縄の民族楽器、三線(さんしん)の合同発表会「沖縄のうたと踊り」が10月5日、つくば市竹園のカピオホールで開催される。千葉県流山市在住の三線教師、福山研二さん(75)が指導するつくば、牛久、つくばみらい、流山、埼玉県三郷市、東京都墨田区の6教室のうち今回は4教室の合同発表会となる。合同発表会は4回目、つくばでは初めての開催になる。

つくば市の三線教室「三線サークルつくば音」(山田裕久代表)が主催する。琉球舞踊グループ「いばらき琉舞サークル」も加わり、沖縄の伝統芸能エイサーが初めて披露される。

2024年に三郷市文化会館で催された合同発表会の様子(「三線サークルつくば音」会員の高木幹生さん提供)

つくば音は2020年、土浦市内の民間カルチャースクールで三線を学んだメンバーが中心となって、23年秋に設立した。福山研二さんを指導者として迎え、月に2回、市内の竹園交流センターで歌を歌いながら三線を鳴らすなど熱心に練習を重ねる。現在の会員は11人、平均年齢65歳。「民謡もポップスも演奏するが、ポップスの場合、歌の旋律をそのまま三線で鳴らせていく。伴奏としての役割も果たす」という。

サークルでは三線を普及させたいという思いから、安価な素材の空き缶と棒を組み合わせたカンカラ三線を使って練習を始め、慣れてから本格的な三線を購入してもらっている。三線は1万程度のものもあるが、会員は大体3~6万円ぐらいのものを使っているという。

福山研二さんは50代で三線を始め、沖縄に渡り、八重山民謡の第一人者 大工哲弘さん(2019年8月30日付)に師事し、琉球民謡音楽協会の新人賞、優秀賞、最高賞などを受賞した。合同発表会について「当日はお子様連れや途中入退場もOKなので気軽に来てほしい。三線に興味があれば習いにきてほしい」と話す。

指導者の福山研二さん

合同発表会では総勢28人が舞台に上がり沖縄民謡や歌謡曲を歌と三線で演奏する。4教室のメンバーが全員で演奏したり、「いばらき琉舞サークル」による踊りや子供たちによるエイサーが加わったりする。演奏曲目は「安里ゆんた」「かじゃで風節」「安波節」など18曲。特別にフラダンスグループも参加し「月の夜は」を披露する。

三線は戦国時代に琉球王国を経由して日本本土に伝わった三味線の起源の一つで、音を出す胴の部分にニシキヘビの皮を張り、胴の尻から棹(さお)の先に3本の弦が張られている。(榎田智司)

◆合同発表会「沖縄のうたと踊り」は10月5日(日)午後2時から、つくば市竹園1-10-1 つくばカピオで開催。開場は午後1時30分。入場無料。問い合わせはメール(fuku-ken@nifty.com)へ。

ドッペルゲンガーの夏《短いおはなし》43

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

ママのおなかの中にいるとき、私は双子だった。
ふたりで、いろんな話をした。

「どっちが先に出る?」「名前は何がいいかしら」

だけど、生まれたとき、私はひとりだった。
双子のあの子は、どこかで消えてしまった。
そもそも双子だったという事実がなかった。
きっとただの妄想だ。その夏まで、私はそんなふうに思っていた。

それは、16歳の夏だった。
不思議なことは、突然起こった。
ある日、学校から帰ると、ママが怪訝(けげん)な顔をした。

「ただいま」

「あら、千夏、さっき帰ってきたじゃないの」

「え? 私、今帰ってきたんだよ」

「おかしいわね。さっき『ただいま』って2階に上がったじゃないの」

ママの勘違いだと思った。
だって、2階には誰もいなかった。

不思議なことは続いた。

「千夏、きのう本屋にいたよね」

「え? 行ってないよ」

「うそ。ぜったい千夏だったよ。かばんも靴も同じだった」

駅のホームでも

「千夏? さっき、ひとつ前の電車に乗ったのに、どうしているの?」

「え? 乗ってないよ」

「うそ。あたし確かに見たよ」

そんなことが続いた。
ドッペルゲンガーだと誰かが言った。そっくりな、もうひとりの私だと。
だけど私は思った。それは、双子の姉妹ではないか。
ママのおなかの中で消えてしまったあの子ではないかと。
きっと、違う世界で生きている。違う世界で、パパとママに育てられている。
あの子がひょっこり現れたんだ。そして私たちは、いつか出会える。

改札を抜けると、雨だった。
傘を持っていなかったので、私はママに迎えを頼んだ。
雨の音が、懐かしい記憶を呼び起こす鼓動のように聞こえた。
ふと改札に目を向けると、ちょうどひとりの少女が出てきたところだ。

心臓が止まりそうになった。
私と同じ顔、同じ髪型、同じ制服。歩き方までそっくりだ。
もうひとりの私だ。双子のあの子だ。
やっと出会えた。

双子のあの子は、手を振りながら近づいてきた。
私も手を振った。ずっと会いたかったよ。

しかしあの子は、私のとなりをスッと通り過ぎた。
彼女の笑顔は、階段の下で手を振るママに向けられていた。

「千夏、濡れるから早く乗りなさい」

ママが開けた助手席に、当たり前のように乗り込んだ。
私は慌てて階段を降りた。

「まって! 千夏は私よ。その子は違うわ」

私の声は届かない。ママの車は走り去った。
雨に打たれて立ちすくむ私を、誰も見ていない。
タクシーを待つ人も、バスへと走る人も、誰も私に気づかない。
私は、いったい誰だろう…。

「ママが迎えに来てくれてよかった。まさか雨が降るなんて」

「何言ってるの。千夏が電話してきたんでしょう。迎えに来てって」

「え? 私、電話してないよ」

「そう? なんだか最近、不思議なことが多いわね」

「ドッペルゲンガーかな」

ママのおなかの中にいるとき、あたしは双子だった。
ふたりでいろんな話をしたの。

『ねえ、どっちが先に生まれる?』

『私が先よ』

『じゃあ、16歳になったら交代ね』

(作家)