火曜日, 10月 13, 2026
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若者の奨学金返還を支援 土浦市

2分の1を5年間

若者の奨学金返還を支援しようと、土浦市は今年度から新たに、大学、短大、専門学校などを卒業後、市内に居住し市内で働いている20代の若者を対象に、返済した奨学金の2分の1を最大5年間支援する事業をスタートさせる。

併せて現在、都内などに住み就職活動中の大学生などのうち、卒業後は土浦市内に住み県内で就職を希望する学生などを対象に、就職活動にかかった交通費を補助する地方就職学生支援事業を開始する。

あらゆる業種で人材不足がいわれる中、若年層を経済的に支援し、大学生などのUターンなどを促して、市内への移住や定住促進を図るのが目的。いずれも12日から受け付けを開始する。安藤真理子市長は「若者の定住による土浦市の活性化につなげたい」とする。

同市によると奨学金返還支援事業を実施するのは日立、かすみがうら市などに次いで県内市町村で10番目。地方就職学生支援事業は県が2024年度から実施する事業。

奨学金の返還支援は、30歳未満で市内に1年以上住んでおり、市内の中小企業に正規雇用で就労していたり、保育士や介護福祉士、栄養士、看護師、鍼灸師、医師などとして市内の法人に正規雇用で就労していたり、個人で市内で農業などを営む若者などが対象。大企業の社員や公務員は対象外となる。支援金額は、前年度に返済した奨学金の額の2分の1で、上限は年間10万円。最大5年間支援する。初年度は年間30人の支援を想定している。

一方、就職活動の交通費を支援する地方就職学生支援事業は、都内に本部がある大学などに在学し、東京、神奈川、埼玉、千葉県に住む学生が対象で、県内企業への就職活動にかかった交通費を上限4260円補助する。今年度は年間100人の支援を想定している。二つの支援事業の同市の今年度予算は計342万6000円。

日本学生支援機構発表の2022年度学生生活調査結果によると、大学学部生(昼間部)の奨学金受給率は55%、労働者福祉中央協議会発表の24年高等教育費や奨学金負担に関するアンケート調査結果によると、日本学生支援機構の貸与型奨学金利用者の借入総額は平均344万9000円で、7割が今後の返済に不安を感じ、4割台半ばが返済の負担感に苦しさを実感していると回答している。

◆奨学金返還支援事業は12日から土浦市政策企画課窓口で、就職活動交通費補助は市商工観光課窓口でそれぞれ受け付ける。書類の提出が必要になる。詳しくは電話029-826-1111(同市)へ。

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