火曜日, 12月 30, 2025
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つくばに花咲く 匠の技に触れるイベント開催

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それぞれの工房で作業する(左から)木工作家のつちやあゆみさんと、刀剣作家の宮下正吉さん

14日、つくばセンター広場

科学の街・つくばで活動する、優れた技を持つ職人や芸術家らにスポットを当てるイベント「つくば音楽祭・つくばな匠」が14日、TXつくば駅前のつくばセンター広場(同市吾妻)で開催される。会場に設けられたステージでのライブ演奏とともに、職人たちがブースを構え、ワークショップや作品を通じて匠の技に直接触れることができる機会となる。

市内で家屋のリフォームや家具制作業を営む主催団体「MSO」の山崎誠治さん(68)は「昨年開催した『つくば音楽祭』に続くイベントで、その技術や歌声を肌で感じてもらいたい」とし、「今年はさらに『職人』にスポットを当てたかった。つくばで活躍する高い技術を持つ人たちと市民の出会いに場になれば」と企画への思いを語る。

県内唯一の刀匠

つくばで技術を磨く宮下さん=つくば市蓮沼、筑波鍛刀場

カン!カン!カン!

「筑波鍛刀場」(つくば市蓮沼)で、赤く焼けた鉄の塊に手槌(てづち)を振り下ろすのは、刀剣作家の宮下正吉さん(38)。甲高い金属音が室内に響くたびにオレンジ色の火花が跳ね上がる。宮下さんが行うのは、水で濡らした金敷の上で高温の鉄を叩く「水打ち」という作業。熱した鉄の表面に溜まる酸化鉄や不純物を水蒸気で飛ばし、表面を綺麗にするためのものだ。「火の仕事は手早くやる必要がある。限られた時間でいかに集中するかが大切」だと、額ににじむ汗を拭う。

宮下さんは、日本美術刀剣保存協会主催の「新作名刀展」で、2013年に新人賞と努力賞を受賞するなど高い評価を得てきた。刀鍛冶になるためには刀匠資格を有する刀鍛冶の下で5年以上修業し、文化庁主催の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」を修了する必要がある。現在日本国内にいる刀匠は約250人。高齢化などによりその数は減り続けている中で、宮下さんは県内唯一の刀匠だ。

小学2年で奈良県からつくば市に家族と転居すると、茗溪学園中・高を経て群馬大学に進学し、超伝導に関する研究をした。日本刀との出合いは大学在学中。ある展覧会で人間国宝の故・大隈俊平の作品を見て「鉄そのものがもつ美しさ」に魅了された。卒業後は、正倉院に納められた刀子や稲荷山古墳から出土した鉄剣など古刀の復元を手がける刀匠・宮入法廣氏に弟子入りし、刀剣作家としてのキャリアをスタートさせた。「ふるさと」であるつくば市で工房を構えたのは2014年。以来、筑波山を望む田園地帯で美術刀剣を手がけている。

つくばでは、理系のキャリアを生かして物質・材料研究機構(NIMS)の鉄素材に関する研究に協力したり、中・高で所属していた吹奏楽部の仲間らと定期演奏会を開くなど、地域に根ざした活動をしている。

作品作りに欠かせないものとして師から伝えられたのは、「感じることの大切さ」だ。「それは『五感を鍛える』こと。幼少期から眺めてきた筑波山の麓で、自然に囲まれ仕事ができるのは何よりの環境」だと語る。イベントでは、金槌と鏨(たがね)を使い自分の名前をステンレスの板に刻む「銘切り」のワークショップを開催し、ネームプレートを作成する。「作業に触れてもらうことで、僕が抱いた感動を皆さんにも知ってもらいたい」と話す。

「参加型」作品で木の魅力を伝える

取手市の井野団地を利用した、取手市と東京芸大、URによる「井野アーティストヴィレッジ」にアトリエを構えるつちやさん=取手市井野、井野アーティストヴィレッジ

「木そのものが持つ音色だけでなく、加工の仕方で音の響きが変わるんです」

木による音の魅力をこう話すのは、つくば市在住の木工作家・つちやあゆみさん(41)。木材による大小さまざまな歯車やレール、木球を複雑に組み合わせ、それらがぶつかったり、転がったりしながら響かせる音や、木そのものの感触を大切にした作品を作っている。

今回のイベントに出展するのは、つちやさんの代表作である、人の背丈ほどの大型木琴「輪唱の◯(輪)」。階段状の本体の各段に木琴の鍵盤を1枚ずつはめ、上から木球を転がすことで鍵盤が鳴り、一つの曲を奏でる作品だ。2体で1組となる本作品は左右対称にできていて、設置の仕方でS字や円状に木琴の姿を変えられる。その曲線の内側に立つことで、木と木の柔らかい音が身体の周りを駆け巡るのを体感できるのも特徴だ。「日常の中に優しい時間をつくりたい」。そんな思いを込めた作品だと、つちやさんは話す。

同作品は2012年、凸版印刷社による無印良品のプロモーション企画で採用され、世界三大広告賞の一つとされる「One Show(ワンショウ)」のインタラクティブ部門「One Show Interactive(ワンショウ インタラクティブ)」でメリット賞を受賞した。

つちやさんが作品作りを始めたのは、会社勤務を経て2008年に進学した多摩美術大学でのこと。建築系の学部に入り、「ある空間に人が集まり行動することで、そこにどんな場が創造されるのか」を研究した。卒業制作では「実際に触れるものを作りたい」と木材を取り入れ、肌触りや音など木が持つ魅力に引き込まれた。

「輪唱の○(輪)」を訪れる人は、見るだけでなく、自由に鍵盤を入れ替えて、自分で好きに「作曲」や「演奏」ができる。作品がこうした「参加型」であることも、「空間」「場作り」を学んだつちやさんのこだわりだ。「作品があることで、そこに集まる人の間で思っても見ない行動やコミュニケーションが生まれることがある。お客さんが参加することで作品が完成する」。そのために、より自由に触れてもらえるよう丈夫さと安全性も重視する。

「音の作品」を作る背景にあるのが、幼少期に出会ったある作品だった。それは、自動で音を奏でる、モーターで動く鉄琴だった。つちやさんはその音に引き込まれながら、「好きに鍵盤をはめ替えて、自分の好きな曲を作れたらいいのに」と思ったという。

「見ているだけより自分も何かしたい。作品を使っている人が主役であって欲しい。自分が主役なのって楽しいじゃないですか」と微笑むと、「大人も子どもも楽しめる作品です。自由に触れて、遊んでもらえたら」と当日の来場を呼びかける。

つちやさんが展示する「輪唱の◯(輪)」。自由に鍵盤をはめ替えることで、大人も子どもも自由に曲を作ることができる(つちやあゆみさん提供)

その他、「つくばな匠」には、つくば市や国内外で活動する三味線奏者で和楽器職人の深田有馬さんや、市内在住の画家・上渕翔さん、染色家の飯塚優子さんによる「ぷにの家」、牛久市の人形映像監督・飯塚貴士さんら9組がブースを構える。

「つくば音楽祭」では、マリンバやジャズバンドをはじめ、ウクライナ、インドネシア、フィリピンなど国際色豊かな演奏とともに、三味線、人形浄瑠璃など14組がステージに上がる。(柴田大輔)

◆「つくば音楽祭・つくばな匠2023」は、10月14日(土)午前11時~午後5時、つくば市吾妻1-10-1 つくばセンター広場で開催。入場は無料。

自分が生きてきた時代を確かめる《ハチドリ暮らし》30

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散歩の途中に見つけた花

【コラム・山口京子】60歳の還暦の際、「大人になれないまま、おばあさんになってしまった」と感じ、すこし空しい気持ちになったのを覚えています。65歳の今は「これからの時間で、したいことができたらいいな」と思うようになりました。

この数年、自分が生きてきた時代がどういう時代だったのかを確かめたくなりました。時代や社会の空気を吸って、自分の思考や価値観がつくられていったとしたら、その時代や社会の姿が分からないと自分もこれからも見えてこないのではないかと…。

時代や社会というものには建前と本音があり、その隔たりが大きいのではないか…。マスメディアによって見せられている現実と、マスメディアによって隠されている現実があるのではないか…。見せられている現実だけを受け止めて考えてしまうと、なにか大事なことを見落として、誤った判断をしてしまいそう…。

できるなら、誤った判断はしたくないし、間違った認識は避けたいものです。なので、限られた範囲ですが、テレビや新聞だけではなく、報道された記事に関する様々な書き手の本を読むようにしています。そうすると、ニュースで報道されていない事実や歴史、視点、書き手の立ち位置が分かって、目からうろこが落ちる経験を何度もします。本は貴重です。

そもそも国民主権とはなんなのか

戦後78年が経ちます。表向きには、日本は日本国憲法に基づく国民主権の国家であると言われていますが、そもそも国民主権とはなんなのか。主権という言葉を考えたら、すごい意味があるでしょう。主権を担える国民とはどんな国民なのか。

自分はとてもそんな立派な人間ではないから、国民主権という言葉を他人事のように感じてしまいます。大事なことの決定権にはずっと無関心で生きてきた人生だったような…。知人が「テレビや新聞がスポーツで盛り上がったり、芸能人のスキャンダルを大きく報道しているとき、国会でどんな法案が通っているか調べてみるといいよ」と言っていました。

国会なんて意識のうえでは遠い存在ですが、一度法律が可決されるとそれに生活は拘束されます。どんな法律が可決されているのか。その法律の内容はどういうものなのか。だれからのどんな働きかけがあって、どういう法案がつくられるのか。自分が国民として無関心を続けていったときに、国会に働きかけるのはだれなのか。

もしかしたら、国民主権の国であるならば、可決されてはならない法案が可決されているのではないか。わからないことばかりです。(消費生活アドバイザー)

SDGs推進へ つくば市が関彰商事と包括協定

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包括連携協定書に署名した(左から)関彰商事の関正樹社長と五十嵐立青つくば市長=10日、つくば市役所

つくば市は10日、関彰商事及びセキショウグループ(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)と、SDGsの推進に係る包括連携協定を締結した。具体的な事業として学校部活動の地域移行支援、自殺防止対策の普及啓発、周辺市街地振興のための活動支援の検討など17項目を掲げており、今後、個々の実施時期や実施方法などは協議する。

地域社会の活性化や市民サービスのさらなる向上を図り、持続可能なまちづくりを実現するのが目的。協定の連携事項として①教育の推進②科学技術の推進③多様性の推進④スポーツの振興⑤福祉・健康の増進⑥市街地の振興⑦防災・災害時の支援⑧その他持続可能なまちづくりの実現-の8つを掲げる。 

関彰商事はこれまでも同市との間で、高校奨学金支給事業への寄付や、スマートシティ推進事業への社員派遣、つくばマラソンへの先導車やボランティア派遣など、多方面で連携関係を構築してきた。それら個別の事業に留まらず、まちづくりのパートナーとして組織同士が強固な信頼関係を結び、SDGsの基本理念を念頭に置いた新たな連携事業を実施していくことが、本協定の狙いという。

関社長は「これまで当社の地域貢献は、寄付金や人材派遣によるものが大きかった。それがだめというわけではないが、今後は事業を通して地域の発展に貢献できるよう方向転換を図る。今やるべき事業、将来やるべき事業を見付けて地域のために役立ちたい。今の自分たちの限界を超える、とても大きな進歩になると思う」とビジョンを掲げた。

五十嵐市長は「関彰商事にとって初めての包括連携協定の相手として、本市を選んでいただけたことは大変うれしく思っている。これを推進力として市民、社会、世界のため、より良いチャレンジをしていきたい」と期待を述べた。(池田充雄)

県代表でかごしま国体へ 筑波銀行軟式野球部

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練習後のベンチ前で監督ミーティングをする筑波銀行軟式野球部

筑波銀行軟式野球部が県代表として、燃える感動かごしま国体(国民体育大会)に出場する。チームは11日まで地元で練習を続け、12日に鹿児島に向けて出発する。

国体は32の都道府県代表がトーナメント方式で対戦し、筑波銀行は13日、1回戦で奈良(佐藤薬品工業)と対戦する。

関東予選で本塁打を放った森田直樹選手

筑波銀行は8月19日にさいたま市で行われた国体関東予選で、埼玉県代表の旭製作所と対戦した。3回に森田直樹(水戸商業高校出身)がスライダーを完璧に捉え、左中間へチーム初安打となる本塁打を放ち流れを引き寄せると、先発したエース征矢隼輔(水城高校出身)は9回を投げ抜き、完投で国体本戦の切符を手にした。

那珂市にあるグラウンドでは国体本戦に向けての練習も最終段階を迎える。初戦で先発が予想される征矢は「コントロールを気をつけて、気持ちで相手に負けないように向かっていく投球をして、国体で初勝利を目指す」と力強く語った。全体練習ではランナーを置いて実戦を想定した守備、走塁、打撃練習を4時間程行い、最後の調整に余念がなかった。

エース征矢隼輔投手

関東予選で本塁打を放ち、勝利に大きく貢献した森田直樹は「国体本戦では優勝を狙う。今年のテーマである、当たり前を馬鹿にせずちゃんとやることを心掛けているし、練習試合でも県外の強豪相手に負けないチームになって順調に仕上がっている」と意気込みを語る。

キャプテンの秋川弘明(常総学院出身)は「一人一人の勝ちへの強いこだわりを意識したい。全国大会で勝ったことがないのでまず1勝して、優勝を目指す」と抱負を語った。

岡野信裕監督は「接戦に持ち込み、少ないチャンスをものにして国体初勝利を挙げ、ベスト8を目指す」と話した。(高橋浩一)

かごしま国体に挑む筑波銀行軟式野球部

どうする?つくばの2024年高校入試《竹林亭日乗》9

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稲刈り後の田んぼ(写真は筆者)

【コラム・片岡英明】7月26日、茨城県の教育長は牛久栄進高校の1学級増と筑波高校の進学コース設置を発表し、つくばエリアの高校問題が動き始めた。このとき県が示した中学卒業数推計(2023年)では、水戸2490人、つくば2577人―となっており、両市の高校受験生数が逆転した。

逆転は「時間の問題」と言われてきたが、2023年は高校入試を考える上で大きな節目といえる。これを機に県の姿勢を問い、県への要望を考えてみたい。

今年3月の県議会で教育長は、星田弘司県議(つくば市区)の質問に、①生徒は市内及びエリア内外の県立・私立高など多様な選択肢から進学先を選んでいる、②エリア内の高校数は水戸もつくばも同程度である、③県立と私立の割合も両市とも6割と3割と同程度である―とし、そのため水戸とつくばの高校進学状況に大きな違いはないと答弁した。

この発言には驚いたが、私たちの要望は、つくばエリアの子どもたちの高校入試環境の改善にある。その中で、①県の県立高不足算定は県平均を基準に行っている、②歴史や交通利便性などの違う水戸とつくばを対立的に捉えた比較はなじまない―と考えてきた。

しかし、県の水戸とつくばの状況が同じという答弁があったので、以下、両市の比較を行ってみる。

つくばの入学枠は水戸の3分の1

水戸とつくばの中3生は約2500人で、水戸は全日制県立高校が7校(水戸一高、同二高、同三高、緑岡高、桜ノ牧高、水戸商、水戸工)、2023年の高校募集は52学級、2070人。一方、つくばは3校(竹園高、筑波高、つくばサイエンス高)、募集は17学級、680人である。

つくばの入学枠は水戸の32.8%で、3分の1以下である。両市の歴史や通学条件が違うのは確かだが、それでも、同じ中3生の県立高受験枠がこれほど違ってよいのだろうか。

水戸エリアの県立高校では、市内7校と、水戸農高、笠間高、茨城東高の10校。募集枠は68学級、2690人。一方、つくばエリアは、市内3校と、石下紫峰高、水海道一高、同二高、守谷高、伊奈高、牛久栄進高の9校。募集枠は53学級、2120人。学校数の差は1でも、つくばエリアは水戸エリアよりも15学級、570人少ない。

2023年の中3生は水戸エリアが3506人、つくばエリアが4229人。つくばエリアが723人多い。そのため2023年度入試の全日制県立高の県平均収容率は68.4%だが、水戸エリアの収容率は76.7%、つくばエリアは50.1%である。

水戸は県平均を上回り、つくばは県平均に届かない。つくばエリアを県平均レベルにする必要学級は72学級であり、現時点で19学級不足。また、水戸エリアに合わせるための必要学級は81学級で、現時点で28学級不足となる。

教育長は、水戸とつくばの共通性を強調したが、両市およびエリアの高校入試の状況は大きく違っている。

早急に県平均水準の県立高校枠を

私たちは水戸市・水戸エリア水準の募集枠を求めているわけではない。つくばエリアの小中学生のために、県平均水準までに入学枠の改善を検討して、11月の2024年県立高募集定員発表の場で、受験生に希望を与えてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

「悩んでいる人の力に」高校生ら42人、社会課題解決へ発信 土浦

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ユースチャレンジプロジェクトの発表で、課題解決方法を提案する高校生ら=県県南生涯学習センター

「悩んでいる人の力になりたい」「『普通じゃない』をなくしたい」ー高校生ら42人が、身の回りの社会課題に向き合い、解決方法を提案する課題解決チャレンジ事業の発表会が9日、土浦市大和町の県県南生涯学習センターで開催された。

課題解決に向け「悩んでいる高校生にスクールカウンセラーを身近に感じてもらう」「LGBTQ(性的少数者)やSOGI(性自認)について理解を深めてもらう」などの提案が出され、解決方法の一つとして啓発ポスターの図案や動画などを披露した。今後、実際にポスターを印刷したり、動画を投稿するなどして社会に働き掛ける計画だ。

同センターが昨年8月から開催してきた「ユースチャレンジプロジェクト」(22年11月2日付)で、土浦三高、石岡商業、取手一高など県南地域8校の高校生38人と、筑波大生4人の計42人が3つのチームに分かれ、課題ごとに話し合ったり、現地調査やアンケートなどを実施してきた。大手広告代理店、博報堂出身の入沢弘子さんがアドバイザーを務め、これまで計21回、40時間以上のワークショップを重ねてきた。

まず身の回りの社会課題を出し合い、63の課題の中から3つに絞って、課題ごとにチームをつくり、それぞれ課題解決方法を模索した。

「悩んでいる人の力になりたい」をテーマにしたチームは、高校のスクールカウンセラーに着目。まず現状を調べるため、メンバーの高校生4人が通う4校でアンケート調査を実施した。864人の回答者のうち、悩みを相談する相手は1位が友人、2位が家族、3位が先生で、カウンセラーに相談する人は5番目の6.8%しかいない実情を把握した。カウンセラーに相談しないのは、カウンセラー側に問題があるのではないかと考え、各校ともカウンセラーを利用できる時間が週に数時間しかないことを調べたり、カウンセラー本人にインタビューするなどした。その上で利用生徒を増やすために、ポスター制作を発案し図案を発表した。ポスターには「一人で悩まず、どんな話でもいいので相談してほしい」などカウンセラーのコメントを掲載してある。今後はポスターを印刷し各高校や駅などに掲示する計画だ。

「『普通じゃない』をなくしたい」をテーマにしたチームは、LGBTQやSOGIについて理解を深めてもらう啓発ポスターの図案を制作し発表した。ポスターに掲載されているQRコードを読み込むと、さまざまな性の在り方についての解説や、学校の男女別の制服をテーマに「普通とは何か」を問い直す短編漫画を読むことができる。

ほかに障害者や高齢者、ベビーカー利用者など移動弱者が優先的にエレベーターに乗れるよう、壁面だけでなくエレベーター前の床面にも優先列を示すステッカーを掲示する提案が出された。さらに「茨城県の魅力度を上げたい」をテーマにしたチームは、土浦市のコミュニティーバスに着目し、土浦の魅力を伝えるバスを使ったプチ旅行を提案する動画を作成した。

発表会には、参加した生徒が通う高校の教員や、生徒らが現地調査した事業者らが参加し、高校生らの発表に聞き入った。発表内容は今後、同センターのホームページに掲載する予定だという。

「『普通じゃない』をなくしたい」というテーマのチームに参加した高校2年生は「(社会課題を出し合う中で)自分が思っていた以上に、他の人たちの悩みが分かった。今後(啓発ポスターの掲示を通して)LGBTQやSOGIについて普通に話せるようにもっていければ」とし、土浦の魅力を伝えるプチバス旅を提案をした高校3年の女子生徒は「学業との両立が大変だったがいい経験になった。今後、動画を広めて、バスに乗ってくれる人が増えてくれれば」と話していた。(鈴木宏子)

古老の記憶に眠っていた手がかり 70年前の父の足跡、ベトナムで追った(下) 

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添野江実子さん(左)に、残留日本兵の記憶を語ったドゥウンさん(添野さん提供)

2月下旬、ベトナム。土浦市の添野江実子さん(64)は、旧バンロン村の存在を教えてくれた男性とともに、ハノイから車で旧バンロン村を目指していた。

舗装されていない道を車でひた走る。窓越しに映るのは、田んぼと緑濃い野山ばかり。日本だったら田舎道でも1軒ぐらいありそうなコンビニや雑貨店が1軒もない。「どうやって暮らしているんだろう」。ずいぶん遠いところに来たことを実感する。

旧バンロン村の風景(同)

3時間後、村に到着。男性の通訳を介してベトナム独立戦争の頃の様子を知る人はいないか現地の役人に尋ねると、古老のドゥウンさんを紹介された。ドゥウンさんは80代後半。突然、役人とともにやってきた異国の客人の訪問に驚いた様子だったが、14歳の時に出会った日本兵「ザンさん」の記憶を語ってくれた。

土間のようなたたずまいの広い部屋。男性が地元の風土や歴史の話題を交えながら、古老に昔話を尋ねると、約70年前に出くわした日本兵の記憶を方言交じりのベトナム語でとつとつと紡いでくれた。

自宅の隣にベトミンの食堂があり、ベトミンの食事づくりを手伝っていた。近くの沢でタニシも捕っていた。ベトミンにもフランス軍にも捕まったと話していた―。

残留日本兵「ザンさん」がタニシをとっていた沢(同)

そしてこう語った。「このあたりに昔、金山があったんだ」。

男性が通訳した言葉に添野さんは反応した。

日本への送還が決まった後、採掘した金を元手に買った自転車で、何日間もかけて集合地点へ向かった―。父親の忠三郎さんから、そう聞かされていた。

帰国直後、新聞記者に「バロン村で日本人は自分1人だった」と明かした忠三郎さん。ドゥウンさんの口から「ザンさん」以外の日本兵の話は出てこなかった。

「ザンさんはお父さんじゃないだろうか」。ドゥウンさんの証言と新聞記事、自分が聞いたおぼろげな記憶の断片。それらをつなぎ合わせ、8年間かけて確からしい足取りをつかむことができた。

忠三郎さんからベトナムでの体験を聞いたのは、たった1回、30年ぐらい前のおじの通夜の席。2人きりではなく、親戚を交えて酒を酌み交わすうちに、もらした思い出話を小耳に挟んだ。驚きはあったが、信じられない気持ちが半分だった。2015年、娘と2人で行ったベトナム訪問を機に、調査への情熱に火が付いた。

あのとき、しつこく質問していればもっと詳細な足取りを確かめられたかもしれない―。心の中でくすぶっていた後悔の重荷が、思いがけない前進で、少し軽くなった。

映画制作を手掛けてくれたスタッフ、大学の研究者、残留兵の家族、通訳を務めた異国の友人。父の過去を探る過程で、多くの人々に出会い、還暦を過ぎて、自分の世界が一気に広がった。貴重な手がかりを得られたことに、仲間たちからは「奇跡だね」「まるで探偵みたいだ」と驚きの声が上がった。

添野さんは忠三郎さんの養子だった。そのことを娘に打ち明けぬまま、世を去った。そんな自身の生い立ちも、添野さんが熱心にベトナムでの調査を続ける支えになっていた。

4度目となる約10日間のベトナム調査の最終日。ホテルで添野さんは激しい腰痛に襲われ、歩けなくなった。ワラにすがる思いで前日、初対面で食事をした日本語教師の女性に電話で助けを求めた。もらった薬で症状が落ち着き、何とか帰国できた。

「父は、ベトナムで親切にしてくれる人がいたからこそ、命を永らえて帰国し、私を育てることができた。私も人に出会い、支えられて奇跡をつかんだ。その大切さをかみしめて生きていきたい」。

数奇な半生を娘に語り継がずに逝った父。でも、語らなかったことで、期せずして大きな足跡を娘の人生に刻んでいた。(鹿野幹男)

終わり

水俣病と福島汚染水《邑から日本を見る》145

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水俣から見た不知火海(大澤菜穂子さん提供)

【コラム・先﨑千尋】水俣病の未認定患者に一時金などを支給する水俣病被害者救済法(特措法)から漏れたのは不当だとして、近畿など13府県に住む128人が国と熊本県、原因企業チッソに1人当たり450万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、先月27日、大阪地裁であった。遠野ゆき裁判長は「原告らの症状は水俣病以外に説明ができない」として、国などに1人当たり275万円の賠償を命じた。

この判決はテレビや新聞で大きく伝えられたので、その詳細は省く。特措法では、対象地域を不知火海周辺の特定地域に絞り、救済対象者の年代を限定しているが、今回の判決は特措法対象外の人を水俣病と認めたことが画期的だ。判決で遠野裁判長は「水俣病周辺の漁場は沿岸に限定されず、獲れた魚介類は広く流通していた」とし、線引きを認めなかった。

熊本県水俣市のチッソ水俣工場が毒性の強いメチル水銀を含む排水を不知火海に流し、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。水俣病は1956年に公式に確認され、国は68年に公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性水俣病患者もいる。

私は40年以上前から水俣の人たちと交流を続け、水俣病患者が陸に上がって栽培した無農薬ミカンなどを食べてきた。チッソが垂れ流した排水溝や、汚染された魚介類を埋め立てた公園や水俣病に関する資料館でこれまでの歴史を知り、涙を流しながら語り部の話を聞き、患者たちの活動にも触れてきた。満潮の時に小川に上がってきた魚を最初に猫が食べるところも実際に見た。鏡のようになめらかな不知火海の海。自然が豊かで美しい水俣。そこに「奇病」が襲いかかってきたのだ。

生体濃縮と食物連鎖の恐ろしさ

それで分かったことは「生体(生物)濃縮」と「食物連鎖」の恐ろしさだ。

生体濃縮とは、ある化学物質が生態系での食物連鎖を経て生物体内に濃縮されていく現象を言う。体内に入った有機水銀は、体外に排出される割合が低く、体内に蓄積、濃縮される。小魚を大きな魚が食べ、それを最終的に人が食べる。それが食物連鎖。母親の胎内で母親から有機水銀を吸収し罹患(りかん)するのが、胎児性水俣病だ。生まれた時から水俣病患者だ。

3.11で事故を起こした東電福島第1原発のALPS処理汚染水は8月から海洋放出されているが、どんなに薄められても汚染された魚を食べれば人体に入る。トリチウムやストロンチウム、放射性ヨウ素などの放射性物質が人体に入る。放射性物質による影響には「しきい値」(ある量を超えると変化が現れる境目)がなく、どんなに微量でも生物への影響があると言われている。トリチウムは安全だという学者もいるが、私はその説を採らない。

事故を起こした原発のデブリがいつ取り出せるのか、取り出せないのか、多分誰も分からないと思うが、とにかく汚染水の海洋放出は続く。岸田首相は全責任を持つと言っているが、現時点で、30年後、50年後に水俣病と同じようなことが起きないと言えるはずがない。そしてその頃には関係者は誰もいない。首相は、無責任な発言だと思ってもいないのだろう。(元瓜連町長)

手がかりは古い新聞記事とわずかな記憶 70年前の父の足跡、ベトナムで追った(上)

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添野江実子さん

第2次大戦終結後、任地のベトナムで独立戦争に参加した亡父。土浦市の添野江実子さん(64)はその足跡を8年間探し続け、ようやく見つけた。過去の新聞記事と、記憶の断片をつなぎ、仲間に支えられ、たぐり寄せた奇跡とは―。

「本年2月に父の所縁(ゆかり)の地に行って参りました。足跡調査を始めて辿(たど)り着くまでに、8年を要しました」。

8月下旬、スマートフォンでフェイスブック(FB)を眺めていた私は、添野さんの投稿にくぎ付けになった。

軍服姿の綱河忠三郎さん(添野さん提供)

添野さんはベトナムを訪れて、残留兵だった亡父・綱河忠三郎さんの足取りを追う活動を続けている。その様子を描いた40分のドキュメンタリー映画「私の父もそこにいた」の上映会の紹介記事を、私が2019年7月に書いたのがきっかけで知り合った。

ベトナム残留兵は、日本の敗戦後も現地にとどまり、宗主国・フランスに対するベトミン(ベトナム独立同盟)による独立戦争に関わった日本軍兵士らだ。その1人、忠三郎さんは戦後9年たった1954年、祖国の土を踏んだ。復員後は土浦市の引き揚げ者住宅で暮らし、豆腐店の従業員や旋盤工をしながら添野さんを育て、ベトナムでの9年間を娘にほとんど語らぬまま、2002年に世を去った。

添野さんは15年以降、数少ない残留兵や、各地に住むその遺族を訪ねた。ベトナムも訪れ、現地で結婚した残留兵の親族にも会っている。だが、忠三郎さん本人の足取りはつかめない。「生前、詳しく聞いておけば良かったのに…」。4年前、添野さんは後悔を口にしていた。

戦後70年を過ぎ、戦争の語り部は次々に物故している。それはベトナムでも同じだ。そんな状況で無名兵士の足跡をたどるのは難しい。なのに、どうやってたどり着けたのか。9月中旬に再度、お会いして、添野さんに振り返ってもらった。

話は3年前、世界がコロナ禍に直面していた20年秋にさかのぼる。人の往来が制限され、ベトナムへの渡航はおろか、国内での映画の上映会もままならない。少しでも手がかりを得ようと、図書館で古い新聞記事を調べていた。

「あった!」。ある日、静まりかえった図書館で、興奮の余り添野さんは思わず驚きの声を上げた。忠三郎さんの帰国後の様子を伝えた1954年12月5日の記事。兄がいる守谷町(当時)に戻った忠三郎さんが、取材に「バロンという村にいた」と証言していた。

若い頃、忠三郎さんが戦後もベトナムにいた話は、うっすら聞いた。でも、その頃は2人の子を育てるのに精一杯。慌ただしい日々の暮らしに追われるうち、やがて記憶は脳裏の奥深くにしまわれた。

「金(きん)で買ってもらった自転車で集合地点へ向かった」「夜は虎に襲われるから木の上で寝ていた」。脳裏に残るエピソードはこれぐらい。「バロン」という具体的な地名を得て、進展への期待に胸が弾んだ。

だが、すぐに煮詰まる。地図上に肝心の「バロン村」が見あたらない。

「父を助けてくれた村を探しています」。SNSで発信すると、ベトナムの日系企業に勤める男性が教えてくれた。

「『バロン』ではなく、『バンロン』ではないか」。男性がつてをたどって役所に確認すると、確かに、古い地図に「Van Long」(バンロン)という村が存在していた。統合して現在は別の名前に変わっていた。コロナ禍の収束を2年余り待ち続け、今年2月下旬、再びベトナムへ旅だった。(鹿野幹男)

続く

善光寺から金毘羅さんへ《続・平熱日記》143

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】9月半ば、何を勘違いしたのか、私のことを師匠と慕う女性が作品を発表するというので、長野県千曲市のギャラリーをまたまた訪れた。彼女はインドの神様を描く。テーマも画風も私とはほぼ関係がない。

その彼女がなぜ私をして師匠呼ばわりするかというと…。瓦職人である旦那さんの仕事を手伝っているときに、いつも少しだけ余る漆喰(しっくい)をいつも勿体(もったい)ないと思っていたらしく、私の作品を見て漆喰に絵を描いてみたのがきっかけという。人間はずっと昔から漆喰に絵を描いてきたのだから、私が師匠呼ばわりされる筋合いはないのだが。

とにかく、漆喰の取り持つ縁で新たな出会いもあり、夕方からはギャラリーから徒歩3分のところにあるログハウスのレストランでの宴(うたげ)となったわけだが、このレストランのオーナーがかの美学校で赤瀬川原平氏の講義を受けていたというのにも驚いた。

千曲から帰った翌朝、私は斜度30度ののり面の草刈りをしていた。この数年請け負ってきた知り合いの打ちっぱなしゴルフ場での小遣い稼ぎ。

それにしても、今年は彼岸も過ぎようというのに、なんだこの暑さは。近頃は空調服とやらがあって、たいそう涼しいそうだが、私は吹き出す汗さえも自然の循環だと思っているので、Tシャツが重くなるほどの汗をかきながら草を刈る。

多分、こういうじいさんが熱中症にやられるんだろうなあ。大体「きりのいいところまで」というのが危ない。きりのいいところは、得てして「ちょっと無理したところ」にあるものだ。だから、少し手前の中途半端なところでもやめるようには心がけてはいるんだけれど。

愛犬パクはマヨねえに頼んで

何日かでやっと草刈りが終わった。お給金をいただく。そして思った。「そうだ四国行こう!」。千曲に持って行って売れた巣箱のお金を足せば、ちょうど旅費ぐらいにはなる。おあつらえ向きに、今年は学校の秋休みの並びがいい。ちょうど、作品を並べていただいている丸亀市にあるギャラリーを訪ねてみたいと思っていたところだった。

しかも元はと言えば、千曲のギャラリーの上沢さんからの縁でつながった今回の展示。この機会を逃したらもう、四国に行くことはないかもしれないし。

早速、愛犬パクの世話を友人のマヨねえに打診する。人見知りのパクは、なぜかマヨねえにだけはよく懐いている。マヨねえは快く世話を引き受けてくれた。というのも、実は永遠のダイエッターであるマヨねえは、パクとの朝夕の散歩がちょうどいいエクササイズになるらしく、お互いワンワンいやウィンウィンの関係なのである。

その日の午後、少しドキドキしながら切符を買いに行った。岡山までの新幹線、それから丸亀までの特急しおかぜ。特に信心深いわけでもないが、長野善光寺から四国は金毘羅さんへと平熱日記は続く。(画家)

イベントのリアルタイム情報を配信 筑波大発ベンチャー ラーメンフェスタで挑戦

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筑波大学大学院生でPalames社長の熊谷充弘さん(左)と、dokoikoのつくばラーメンフェスタ特設ページの画像(熊谷さん提供)

つくば市の研究学園駅前公園で7日から開催される「つくばラーメンフェスタ」で、筑波大学大学院生の熊谷充弘さん(22)が社長を務めるベンチャー企業「Palames(パラメス)」(つくば市吾妻)が、同フェスタの混雑状況や売り切れ情報などを同社の開発するプラットフォーム「dokoiko(どこいこ)」でリアルタイムに配信する。

dokoikoは「メニュー画像を通じて飲食店を探せる」を掲げるウェブサービスだ。ウェブページにアクセスすると、さまざまなメニュー画像が表示され、気になるメニューがあれば店舗情報を確認できる仕組みだ。現在はつくば市の飲食店を中心に情報が集まっている。熊谷さんは「イベントを中心にして、街が活性化していくことを応援したい」と話す。

授業で集まったメンバー

事業のきっかけは授業での出会いにある。大学が行う起業家を育成する講義「筑波クリエイティブ・キャンプ」の授業で集まったメンバーたちが「授業が終わってからもこのメンバーでなにかをやっていきたい」と意気投合し、会社設立に至る。

熊谷さんたちがまず考えたのは、食堂のデジタルトランスフォーメーション(DX)だ。大学の食堂は、食券機で注文し現金で支払い、料理を受け取る形だ。それをスマートフォンから注文し、電子決済を行い、注文した料理が出来上がったら、スマートフォンに通知が届くようなシステムを発案した。しかし学生の力だけでシステムを開発することは技術的、資金的に困難であると考え、事業転換した。

続いて考えたのがdokoikoだった。熊谷さんは「若者はインスタグラムなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)で画像から良い飲食店を探し、気になったところがあって初めてグーグルなどで検索をしてネット上を何度も行き来する。この行き来をせずにメニュー画像から直接お店を探せるプラットフォームがあったら便利なのではないかと考えた」と振り返る。

dokoiko内の店舗情報は、その店舗のスタッフがサービス内の画面から入力できる仕組みだ。

サービスの利用料は、店舗側も一般の利用者も基本的に無料だ。店舗側が利用者にメッセージを通知する機能があり、その機能の利用時には店舗側に料金が発生する仕組みになっている。来年までにつくば市の飲食店の30%が登録し、利用者数が1万人を超えることを目標に掲げている。

2020年の夏ごろから開発を始めた。今年4月に株式会社として登記をし、本格的な収益化に向けてスタートを切った。熊谷さんは今年の4月から同大大学院の理工情報生命学術院システム情報工学研究群知能機能システム学位プログラムに進学しているが、dokoikoに専念するために休学中だ。

現在、会社に関わっているメンバーは8人。そのうちの7人が同大の学生や卒業生などだ。熊谷さん自身もITエンジニアで、高校生時代には学園祭のホームページなどを作った経験もあるという。

イベント後も誘客

ラーメンフェスタでは、熊谷さんらから主催者に対し提携の打診を行い、イベントのリアルタイム情報をdokoikoで提供することが決まった。提供情報は、ラーメンの売り切れ情報や、店舗のメニュー情報、混雑の度合いなどだ。

dokoikoでは、イベントに出店するラーメン店のイベント当日のメニューだけでなく、店舗の通常営業時の情報も紹介できる仕組みになっている。イベントで出会ったラーメン店に、イベントが終わっても足を運んでもらうためだ。

「今後の方向性として、イベント時の情報提供や決済を担うためのプラットフォームとしても機能を強化していきたいと思っている。既存のウェブサービスでは、固定店舗の情報を知るための機能は備わっているが、イベントやキッチンカーの出店についての情報を収集できるサイトはない」と熊谷さん。イベントで出店した店舗の通常営業を利用者に紹介することで、イベントが終わった後もその店舗を利用してもらうことを促すことができるのが、dokoikoの強みであるという。現在、会社の資金調達やさらなるサービス拡大、収益化に向けて活動中だ。ラーメンフェスタでの情報提供は、熊谷さんたちにとっても大きな一歩となる。(山口和紀)

◆dokoikoへのアクセスはこちら。Palamesのホームページはこちら。つくばラーメンフェスタの特設ページはこちら

16人の交通費を別の学校医に誤送金 つくば市

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つくば市役所

つくば市は6日、学校医143人に9月29日に振り込んだ3カ月分の交通費(旅費)のうち、16人の支払先を誤り、本来支払うべき学校医とは別の16人に、それぞれ2000円ずつ計3万2000円を上乗せして支払ってしまったと発表した。

学校医は、児童生徒の健康診断をしたり、環境衛生の指導などをする内科医や歯科医、薬剤師などで、市内の小中学校や幼稚園、保育所に計197人が委嘱されている。学校で職務に従事した際は、費用弁償として1回2000円の交通費が数カ月に一度支払われ、報酬については年度末にまとめて支払われる。

市健康教育課によると、5、6、7月分の交通費総額41万4000円分を143人に支払う事務作業をした際、16人が従事した16回分について、誤った情報を会計事務局に送り、別の16人に上乗せして振り込んでしまったという。

担当者が作成した支払伝票を上司が再チェックした際は誤りが無かったが、口座振込を担当する会計事務局にデータを送る際、チェック済みの正しいデータではなく、別の誤ったデータを送ってしまったのが原因という。

10月5日に医療機関から電話があり、誤送金が分かった。143人分について改めて調べたところ、16人の学校医が従事した16回分について、別の学校医16人に支払っていたことが判明した。

同課は6日、まだ支払っていない16人と、誤って上乗せして支払った16人に電話連絡し、謝罪した。来週には医療機関を訪問し、上乗せして支払ってしまった学校医に対しては返還してもらい、未払いの学校医には早急に支払うとしている。

再発防止策として同課は、決済後の伝票のデータと会計事務局に送るデータを複数人で再度突合した上で、データを会計事務局に送付するとしている。

4年ぶり、今年が最後 7日から「つくばラーメンフェスタ」

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2023ラーメンフェスタの横断幕=土浦学園線竹園付近、(宮川宏行さん提供)

県内外のラーメン店12店がブースで出店する「つくばラーメンフェスタ」が7日から9日までの3日間、つくば市学園南の研究学園駅前公園で4年ぶりに開催される。2011年の東日本大震災と翌12年の北条竜巻災害からの復興を目指して、12年にスタートした。今年で9回目となるが、当初目的の復興や地域振興を達成し一定の役割は終えたとして今年が最後の開催になる。

同実行委員会(中根才之委員長)が主催し、同市商工会青年部(中泉惠仁部長)が中心となって運営する。市内には約100店のラーメン専門店が点在ししのぎを削っているなどから、ラーメン激戦区つくばを象徴するイベントとなっている。

今年は、県内のラーメン店同士がコラボするのが特徴だ。各店の特色を掛け合わせ、イベントでしか食べられない特別な一杯が提供される。コラボ店は「活龍×甲殻堂」「龍介×特龍」「ドラゴンラーメン×喜元門」「麺堂稲葉×栃木中華そば 神志」「芛堂寺×与しおか」「麺屋必道×中華そば 貴将」。ほかに県外の人気店、新旬屋本店(山形)、よしかわ(埼玉)、ダイニング庵(群馬)、麺や食堂(神奈川)、ど・みそ(東京)、モヒカンラーメン(福岡)の6店が出店する。

2018年に開催されたラーメンフェスタの様子(同)

1回リセット

中根委員長(44)は「約10年やってきて今回で最後とする。来年から別のイベントを始めたい。1回リセットして、つくばをどうやって盛り上げていくかをみんなで検討し、何が必要なのか熟考し、これから1年間かけてつくり上げていきたい。部員がさらに成長できるようになれればいい」と話す。

同フェスタは10月の3連休に研究学園駅前公園で開催されてきた。例年12~18店ほどが出店し、3日間で10万人~12万人の来場者を集めてきた。会場が駅に近いということもあり、来場者は市内のほか、周辺市町村、東京都や千葉県からも訪れる。

スタート当初から運営に関わっていた市商工会前青年部長の宮川宏行さん(37)は「自分が部長だった年はコロナ禍で開催出来なかった。このままフェード・アウトしてしまうのはあまりに寂しいということで、今回、コロナ前と同じ規模で開催することになった。第1回の2012年は初めてということもあり、会場準備などで大変苦労したが復興への強い思いがあった」と振り返る。「このフェスタをやったことで青年部の質が変わったと思う。人のためになることや人に喜んでもらえることをやった結果が、自分たちのためになるということを実感した」と話す。

18年に実行委員長を務め、現在岐阜県に住む沖村瑠璃さん(38)は「新入部員時代に第4回目のフェスタを体験し、めちゃくちゃ大変だったけれど、めちゃくちゃ楽しかった。2018年に実行委員長となり役割を終えた後、自信を持って物事をやり遂げることが出来るようになった。イベントをやりきることができたことで、イベント構築のノウハウを学んだり、たくさんの大事な友人ができたりとたくさんの恩恵があったと思う。いつまでも同じコンテンツにしがみつかずにやっていこう、という新しい執行部・役員たちの決定を尊重し、イベントを無事終えることができるよう応援したい」と語る。(榎田智司)

◆つくばラーメンフェスタは7日(土)、8日(日)、9日(月・祝)の3日間開催。ラーメン提供時間は各日午前10時~午後7時。会場の研究学園駅前公園はつくば市学園南2-1(TX研究学園駅前徒歩3分)。一部スペースにて「ミニ餃子フェスタ」も同時開催される。入場は無料、ラーメンの価格は全店舗 1杯1000円。詳しくは同ホームページ、または電話029-879-8200(同商工会青年部)

なくなるものと残ったことば 《ことばのおはなし》62

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中秋の名月(筆者撮影)

【コラム・山口絹記】最近、撮影機材に新たなミラーレス一眼カメラを導入した(以前の記事に書いたものとはまた別のカメラだ)。

ミラーレスカメラと言うのはその名の通り、ミラーが無いカメラなのだが、このカメラ、機械的なシャッター機構もないのである。ミラーもなければ、シャッターもない。シャッターを切っても、じゃなかった、“写真を撮っても”、カメラの中ではなんの機械的機構も動かない。

これは、私にとってはとんでもないこと、一つの時代が終わってしまったような出来事なのだが、おわかりいただけるだろうか。おわかりいただけないかもしれない。おわかりいただけなくて、たぶんよいのだろう。

フィルムカメラの時代には、シャッターというのはカメラにとって基本的に必要な機構だった。使い捨てのインスタントカメラにも、一眼レフにも、二眼カメラだろうがレンジファインダーだって、作りは違えどカメラにはシャッターがあった。

しかし、カメラがデジタルに移行していくなかで、比較的安価で、コンパクトなカメラが機械的なシャッターのない機構を採用するようになり、今、この記事を読まれているあなたがお持ちのスマートフォンのカメラにも機械的なシャッターはない。

「いや、私のスマホ、写真撮るとシャッター音するけど?」と思われるかもしれないが、それは“シャッター音”をスピーカーから鳴らしているだけだ。使用するアプリを変えたり、スピーカーが壊れればシャッター音はしなくなる。

だから、一般的にはとっくのとうにシャッターなるものはなくなっていたのだが、それがいよいよ本格的なカメラでもなくなり始めたのだ。なぜ本格的なカメラでは、この機械的なシャッターが必要だったのかは、書き始めると長くなるし、この記事の本題ではないので書かない。気になる方は調べてみてほしい。

「シャッターって何?」

それまで生活に根差していたものも、技術が進歩したり、人々の考え方が変わる中でなくなっていくのは一般的なことだ。レコードに針をのせなくても、カセットテープを巻き戻さなくても、CDがなくとも音楽は聴けるようになった。

まだまだ「巻き戻し/早送り」ということばを見聞きすることはあるけれど、そのことばの意味する本質を理解する人は確実に減っていく。シャッターという仕組みがなくなっても、シャッター音、シャッターボタン、なんてことばはしぶとく生き残っていくような気がする。

我々が使うことばはとても儚(はかな)い存在だ。一方で存外にしぶとかったりもする。私もいつか、自分のこども、もしかしたら孫に、「シャッターって何?」と訊(き)かれるかもしれない。そうなった時、私は「昔はね…」なんて語りだすのかもしれない。まったく興味深いものだ。(言語研究者)

石蔵に 踊る100体 テラダヒデジさん 筑波山麓で個展

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フリースタイルで踊る100体の展示作品

筑波山麓のつくば市神郡、大谷石造りの米倉を改装したスペース「石蔵Shiten:」で4日から、土浦市生まれのペインター、テラダヒデジさん(43)による個展「ODOLI(踊り)」が開催されている。

展示作品は、自由に踊る人の姿を画面いっぱいに墨で描いた、縦約1メートル、横約73センチの作品など100点。各作品には日本各地に伝わる民謡のはやし言葉が添えてある。会場では民謡を基調とする音楽が流れ、祭りを感じさせる内容となっている。

展覧会場のテラダヒデジさん

テラダさんは、日本の伝統や風習、神社仏閣や古建築など、古くから人々の身近にあった形を、デザインやイラストなどに取り入れ、古い形と現代の意味を混ぜ合わせた作品を制作している。

今年8月、浅草花劇場(東京都台東区)で開催された津軽三味線小山流三代目、小山豊さんのイベントの会場装飾として制作されたもので、浅草では会場内を埋め尽くすように吊り下げ、来場者や演者たちと共に会場全体に祭りの息吹を吹かせたという。

石蔵近くに住む藍染作家の紹介で、つくばでの開催に至った。

テラダさんは「テーマは『踊り人、百人集まりゃ祭りとなる』とした。踊りに型のなかった時代、人々は自由に音に乗り、体を揺らし、雑然としながら、一体感を生んでいたと思う。今回展示した、フリースタイルで踊る100体もの人々の姿は、視覚を楽しませるにぎやかな姿となり、音楽を自由に楽しむ呼び水となるはず」と語り、「(作家が)見方や意味を語ってしまうと固定されたイメージがつくられるので、見たままを感じてもらえばいい」と話した。(榎田智司)

会場の石蔵Shiten。期間限定でカフェが開店する

◆同展は10日まで。会場はつくば市神郡111。開館時間は午前11時~午後5時。入場無料。開催期間中、カフェ「TSUKUBA36COFFEE」がオープンする。

医療通訳ってどんな仕事なの?《医療通訳のつぶやき》1

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うちの猫
松永悠さん

【コラム・松永悠】医療通訳ってどんな仕事なの?と、私はこれまでいろいろな人から聞かれました。確かになじみのない仕事ですよね。多くの人にとって通訳というと、会議通訳や観光ガイドのイメージが強いのかもしれません。しかし商談や観光は、通訳が登場する一場面に過ぎません。

グローバル化が進む今では、私たちの隣人や同僚、子供の同級生の中に当たり前のように外国人がいます。そんな彼らも病気になれば病院で受診することになります。日常生活に困らない程度の日本語ができても、病院に来れば話が違ってきます。

治療はインフォームドコンセント(医師の十分な説明と患者の同意)を大前提としているため、患者は医師の説明を正確に理解しなければなりません。誤解や勘違いは、後に大問題になりかねないため、医師も外国人患者に極めて慎重に対応しているのです。

ここでいよいよ医療通訳の出番です。この仕事をするために、語学だけでなく、人体の構造や様々な検査、病気などの専門知識を幅広く勉強して、さらに医療通訳技能検定試験にも合格しなければならず、医療通訳は通訳の中でも極めて専門性の高い職種です。

医療通訳が医師の説明を患者に、そして患者の要望や疑問を医師に、さらに医師の回答を患者に返すということを繰り返していきます。最終的には両者が満足のいくコミュニケーションが取れ、スムーズに治療することができるようになります。

診察中のどこかで誤訳があったら、信頼関係だけでなく、トラブルに発展してしまうので、とにかく責任重大です。忠実に訳すことは基本中の基本で、さらに患者の話に隠された心配や疑問、うまく説明できない部分まで気付き、拾い上げ、確認してから医師に伝えるところまでできれば上級者です。

日本の医療制度を理解するのも大変

母国語で自分の病気を説明するのは簡単だと思う人もいますが、一概には言えません。表現力や語彙(ごい)力の足りない患者もいるのです。

そういうときは、私が誘導して伝えたいニュアンスをうまく引き出すことも非常に大事です。一口に「痛い」と言っても、ズキズキ、ピリピリ、ジンジンもあれば、鋭い痛みに鈍い痛み、波を打つような痛みなど、いろいろあります。ときには時間をかけて説明して、きちんと理解してもらってから次の話に進みます。

診察だけでなく、多くの外国人患者にとって大変なのは日本の医療制度への理解です。保険証の正しい使い方から高額療養費控除まで、わからないことだらけです。ここでも、私から説明したり、病院の医療ソーシャルワーカーさんに力を借りたりと、他の医療従事者と連携プレーをすることで、外国人患者も日本人患者と同じ治療が受けられるようになるのです。

大変な部分ももちろんありますが、そんな苦労よりも、やり遂げたときの達成感が一番のご褒美です。外国人患者を助けることは日本人医療従事者を助けることでもあるので、時間と体力が許す限り、第一線に立ち続けたいと願うばかりです。(医療通訳)

【まつなが・ゆう】北京で生まれ育ち、大学で日本語を専攻した後、日系企業に就職。24歳のとき、日本人夫と結婚して来日し、気がつけば日本にいる時間が長くなっています。3人の子供を育てながら、保護犬1匹、保護猫5匹も大切な家族。子育てが一段落した今、社会のために、環境のために、何ができるか、日々模索しています。

とんこつ味「おいしさ」の官能評価 農研機構食品研究部門に聞く

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農研機構食品研究部門食品流通・安全研究領域の中野優子さん(左)、早川文代さん

食欲の秋―、農研機構食品研究部門(つくば市、髙橋清也所長)は11月8日、食品研究成果展示会を開く。メーンの公開講演会では「おいしさ分析の新展開」をテーマの一つに掲げた。「おいしさ」は科学的にどう研究するのか? 分析法の「官能評価」はどうやるのか? 同研究部門食品流通・安全研究領域の中野優子さん、早川文代さんに話を聞いた。

中野さんが中心になって開発したのは、動物性・植物性のとんこつ(風)スープに適用可能な官能評価法。ラーメン店やカップめんですっかり定番化した「とんこつ味」だが、一方で宗教上や健康上の理由から動物性を避け、植物性で代替する食品の需要も募っている。しかし、動物性食品と比べて「物足りない」という評価が根強くあって、食品製油メーカーとの共同研究が2021年にスタートした。

研究で用いた「官能評価」は、目、鼻、舌など人間の感覚器官を使って、素材の性質を評価する。「おいしさ」は極めて主観的で抽象的な感想だが、これを定性的・定量的にとらえて第三者と共有できる形式にしないと科学的分析にならない。

食品研究部門には、一定以上の味覚や嗅覚の感度をもつ「パネリスト」と呼ばれる評価者がいる。現在15人程度が委嘱され、訓練を受けている。今回は7人のパネリストが、市販の33種類の動物性・植物性とんこつ(風)スープについて、実際ににおいを嗅いだり食べたりして、その特徴を言葉で表現した。

ここで得られた289語の言葉を整理し、動物性・植物性スープの特徴を表現する33語の評価用語を決定した。パネリストはこの用語に基づいて「塩味」や「うま味」などを0点から150点の間で評価し定量化するのだそうだ。

これらのデータについて、今回は「主成分分析」(PCA)という統計解析方法が用いられた。中野さんによれば、「あらかじめ縦、横の座標軸を設けて二次元的に置いていくのではなく、(三次元的な)数値をマッピングしたうえで分散が最大となる軸を新たに見つけ出す」と説明される。多くの変数を持つデータの統計的処理でよく用いられる手法で、再現性も高いという早川さんは、官能評価に関わる語彙(ごい)を扱う専門家だ。

今回でいえば、データの特徴を表す第1主成分、第2主成分の軸によって動物性食品らしさ、植物性食品らしさが浮かび上がる。これに動物性のとんこつスープ(5種)、植物性のとんこつ(風)スープ(7種)をあてはめた結果が下図。スープの香りや味の特徴を視覚的に表している。

動物性・植物性のとんこつ(風)スープ12種の特徴

研究ではさらにとんこつスープの 「動物っぽさ(動物感)」に着目し、一般消費者34人の参加を得て、22種類のスープの動物感の強さを評価してもらった。その結果、動物感の強さの評価には個人差が大きいものの、動物感のとらえ方には複数のパターンがあると分かった。動物性のとんこつスープからは、油脂感、獣臭、しょうゆの香りなどの言葉で表現される特徴が感じられ、一方、植物性のとんこつ風スープからは、ショウガの風味、野菜の風味、鶏がらスープの香りなどの言葉で表現される特徴が感じられた。

こうした分析から、植物性のとんこつ風スープの「物足りなさ」を埋める要素の提示は出来たという。スープの特徴と、消費者が実際に食べた時に感じる動物感やおいしさを、個人差を考慮しながら照らし合わせることで、とんこつ(風)スープの味や香りをどのように制御すれば消費者一人ひとりにより高い満足感を与えられるかが具体的に分かるようになるとしている。(相澤冬樹)

◆11月8日につくば国際会議場(つくば市竹園)で開く研究成果展示会では、「おいしさ分析の新展開」が公開講演会冒頭のテーマとなる。早川さんが「官能評価用語に関する最近の話題」を、中野さんが「個体差や個人差を考慮した官能評価の取り組み」を、それぞれテーマに発表するなど4講演が予定されている。詳しくはこちらまで。

駐車場の手前で思ったこと《続・気軽にSOS》142

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【コラム・浅井和幸】先日、あるお店に入るのに、小道から駐車場へ右折しようとしました。私が運転する自動車の前を走る自動車は慎重に歩道を歩く歩行者を観察してから右折を始めました。歩行者の動きを確認してから動き始めたはずのその車は、私が考えるコースとは違う方向に徐行し始めたので、私はすぐにその車の後についていかずに、ことの様子を停車したまま見守りました。

私の前の自動車の前を横切る歩行者は、自動車前方から後方へ歩いています。自動車が右折をすることを考えると、歩行者は左側から右側へ歩いている状況です。私の前の自動車は、歩行者の今は空いている前方に向かって徐行し始めたのです。

もちろん、その瞬間は、歩行者はまだ左側にいるので、右側が空いている状況です。しかし、今、左側にいる歩行者は数秒後には右側に移動するのです。結果、自動車は歩行者が向かう数メートル先で数秒後に接触することが予想されます。結局、数秒後に、自動車は自分の目の前を歩行者が歩いていることになったため、停車することとなりました。

徐行ですから、特に危険な場面ではありません。しかし歩行者が先ほどまでいた地点は、現時点では歩行者の後方(自動車からは左側)となり大きく空いているのです。わざわざ歩行者が向かう先に車を移動させて鉢合わせになり停車するよりも、数秒待っていれば歩行者をやり過ごして、私の前の自動車は10秒弱という時間ではありますが早く駐車場に入れたことになります。しかも、歩行者にぶつかりそうになるかもと足を止めさせるような気を使わせずに。

現在の常識は何十年前の常識?

このように人や時間、物事はそこにとどまらずに未来に進んでいます。今現在の止まった感覚で空いているスペースに車を移動させることは、数秒後には空きスペースではなくなることがよくあることです。

将棋やゴルフで活躍し大金を手にするヒーローが出てきて、我が子にもそれらを学ばせようと考えるとします。確かに、そのブームがあることで競技が盛んになり、レベルも上がることでしょう。しかし、競技人口も増え、苛烈(かれつ)な争いに我が子を送り出すことは、賞金から遠くなる可能性もあります。

ブームの店を出すことで、供給過多となり、倒産・借金の道が待っているかもしれません。今考えている常識や普通は、何十年前の時代に合った教えかも知れません。先を見通すことは、我々凡人には難しいこと、いや、できないことだといっても過言ではないでしょう。しかし、これが当たり前だと思い込むことは、悪循環を起こしやすく、そのときは注意して観察、または信頼できる人に相談しましょう。

今や、過去に固執して、それをこれからの流れと思い込んで行動してしまうことは、人の進行方向が10秒後も空きスペースだと勘違いして、結果、その人と接触してしまうような動きをしているのかもしれないのですから。(精神保健福祉士)

2024年の米大統領選挙(1)《雑記録》52

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ニチニチソウ(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】次期アメリカ大統領選挙は前回選挙(2020年)の再現になると予想されている。各種世論調査では、2020年選挙時と同様に、ジョー・バイデン氏(民主党)とドナルド・トランプ氏(共和党)がそれぞれ党指名候補に選ばれる可能性が高いとされている。

バイデン氏については、支持率は4割台前半にとどまり、経済に関しては3割台の低支持率が続いている。彼が80歳の高齢であることを懸念する人も多い。しかし、一方で、彼が2020年選挙でトランプ氏に勝利し、共和党の圧勝が予想された2022年の中間選挙でも民主党が上院の多数派を維持し、下院で失う議席を小幅にとどめた実績が効いていて、民主党内にバイデン氏に代わる候補者が出てこない。

トランプ氏は今年3月に起訴されたことを「魔女狩りに遭った」と主張し、彼の岩盤支持層の熱い支援につなげ、党内での支持率も高めている。ただ、共和党の場合、状況によっては、かつての民主党・オバマ氏のような「超新星・候補者」が現われないとも限らない。

ともあれ、最近のバイデン、トランプ両氏はともに、党内の支持固めよりも本選に備えた布石を打とうとしているようだ。米自動車労働組合(UAW)が待遇改善要求のための大規模ストライキに突入していて、両氏ともにこれへの連帯を示すため、車産業の本拠地・米中西部、特にミシガン州訪問を予定しているという。

2016年の選挙で当選したトランプ氏の勝因は、ミシガン州やペンシルベニア州(もともと自動車労組が強力で民主党の支持基盤)で勝利したことにあった。そして、2020年選挙ではバイデン氏が両州を奪還し、これが勝因となった。両陣営が獲得した票数は二度とも僅差であったから、今回、両氏がミシガンやペンシルベニア、ひいては米中西部各州を重視するには十二分の根拠がある。

UAWストの行方に注目

UAWのストの背景には、米政府が巨額補助によって米自動車産業の電気自動車(EV)へのシフトを後押ししてきたことがある。EVはガソリン車よりも部品数が減るため、労働者側は将来の雇用が抑制されると懸念しており、今回のストについて、バイデン氏は企業側に譲歩を求めている。

しかし、もともと巨額補助に支援されて進めるEVシフトである。企業側にも余裕はない。このストがこじれれば、バイデン政権の産業政策批判に火が付き、大統領選挙の一大争点に浮上することは必至である。共和党がこれを見逃すはずがない。

2024年大統領選挙の前哨戦が、自動車労組のスト絡みで始まったことは、米大統領選の本質を象徴している。つまり、選挙ごとに多くの争点があり、その時の社会や世界の状況によって争点は多様に変化するが、経済問題は常に大争点となる。ここで失敗すれば、他の側面での評価が少々高くても、当選するのは難しい。

来年の11月までの約1年間、この基本を押さえつつ、大統領選挙の今後の動きを追っていきたい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

電動アシスト自転車で加速 土浦のシェアサイクル

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平日は電動アシスト自転車の通勤利用が増える=土浦市真鍋の関東鉄道本社前ステーション

秋の気配に、土浦市街地でも普段使いの自転車の姿が目立ってきた。この中で客足を伸ばしているのが、関東鉄道(土浦市真鍋、松上英一郎社長)のシェアサイクル「関鉄Pedal(ペダル)」だ。ことし3月、同市内を中心にレンタサイクルのステーションを9カ所設けて20台の電動アシスト自転車を配備したところ、半年で累計2400件の利用を数えた。猛暑もようやく収まりそうな10月、同社は自転車を増やし、ステーションを拡大して攻勢をかける。

シェアサイクルはモビリティーシェアサービスのOpenStreet(オープンストリート、本社・東京)との提携で3月23日にスタート。JR土浦駅前はじめ同市内に8カ所と関東鉄道「筑波山口」バス停に、24時間自転車の貸出・返却ができるステーションを設置した。

レンタサイクルとしては、15分あたり200円(24時間の上限料金3000円)=税込み。スマホの専用アプリに登録することで、自転車の予約から料金の支払いまでできる。全国6000カ所以上で展開しているOpenStreet系列のステーションであれば、どこでも利用できる仕組みになっている。

同社によれば平日と休日で、異なるニーズから利用のされ方をしているという。「平日は通勤利用が多い。朝駅前のステーションで自転車を借り、勤務先近くのステーションで乗り捨てる。帰りは改めて借りたり、別の方法で帰ってもいい。週末・休日は筑波山や霞ケ浦などに向かうレジャー利用が増える」(開発部)

つくば霞ケ浦りんりんロードは平たんなコースをたどるが、坂道がなくとも風上に向かって走る場合に、電動アシスト自転車は威力を発揮する。電動で100キロ以上走行できるから、土浦から東京まで行って乗り捨てられたケースもあるそうだ。

同社は9月から、鬼怒川サイクリングロードのある常総市にも関鉄Pedalを拡大した。常総線水海道駅、三妻駅と「道の駅常総」などを結ぶ。

土浦市内では9月までに9カ所となっていたステーション数を6日に4カ所増やし13カ所とし、電動アシスト自転車は40台に増やす。同日からは関鉄グループバスの乗り放題とシェアサイクルをセットにした1日乗車券を3000円(税込み)で発売する。12月11日まで。

努力義務化のヘルメット着用にどう対応

利用拡大の中で課題はヘルメットの着用だ。改正道路交通法の施行に伴い4月から自転車に乗る全ての人にヘルメットの着用が努力義務化されたが、関鉄Pedalを含めOpenStreetのシェアサイクルサービスではヘルメットの貸し出しは行っていない。アプリで持参を呼び掛ける形にとどまる。

同様に市街地でレンタサイクル事業を行っている土浦市観光協会に聞くと、「クロスバイク(スポーツサイクル)に乗る人はヘルメット持参で借りに来るがシティサイクルだとヘルメットを辞退する人が多い。別料金ではないのだが他人のかぶったヘルメットには抵抗があるようだ」としており、レンタサイクルとヘルメットには相性の悪さがある。

同社開発部は「公共交通を担う企業として安全は第一に考えなくてはならない。課題認識をもって取り組んでいきたい」としている。(相澤冬樹)