火曜日, 4月 22, 2025
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一周忌に「根本健一の世界」展 19日からつくば文化郷

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会場のつくば文化郷長屋門入口=つくば市吉瀬

筑波研究学園都市の建設初期から、里山集落の自然と歴史を生かしたサスティナブルな事業展開と文化の創造・発信に取り組んできた、根本健一さんをしのぶ企画展が19日から、つくば市吉瀬の国登録文化財、つくば文化郷で開かれる。

未発送のダイレクトメール

根本さんが66歳で亡くなったのは、昨年8月4日のこと(2020年8月14日付)。その遺品の中から、未発送のダイレクトメールが見つかった。「ルーラル吉瀬アトリエT2のアーティスト展」と題した案内状で、19人の作家名が記されていた。

吉瀬の根本さんの旧宅には、隣接して若い芸術家たちが寄宿していた「アトリエT2」があり、19人は約30年の間に巣立っていった作家たちの名だった。筑波大学名誉教授、蓮見孝さんによれば、「アーティスト・イン・レジデンスの先駆けともいえる活動」と評価できるそう。展覧会の期日も書かれていない案内状こそ、根本さんがやり残した最期のプロジェクトだった。

生前根本さんの周囲に集っていた学者や編集者、クリエーターたちがその遺志をくみたいと実行委員会(井坂敦実委員長)をつくり、遺族の了解のもと一周忌企画展を準備した。文化郷に部屋を借りて活動した斎藤さだむさん(写真)、岩崎真也さん(映像)らも実行委員に加わり、アトリエT2の出身者と連絡を取り合ってきた。

根本さんと「T2」と呼ばれたアトリエ付き住宅

つくば文化郷は根本さんの旧宅で、2015年に国有形文化財に登録された。ここを足場に、根本さんは野良仕事(ブルーベリー園)・手仕事(陶芸舎)・山仕事(フォンテーヌの森)など田園プラン社による事業を展開し、郷土資源である古民家や石倉、風車などを生かした地域起こしに取り組んできた。

斎藤さだむさんは「企画展を準備して改めて根本さんの仕事に向き合ってみると、環境デザイナーというのかな、アーティストとしての姿が見えてきて、アートと仕事とが融合した生き方だったことが分かってくる」と語る。

展示は、井口壽乃(芸術学)、長内夏希(彫刻)、五十殿ひろ美(翻訳)、児玉幸子(メディアアート)、小林努(日本画)、西垣美央(日本画)、比護武司(陶芸)、星加民雄(視覚芸術)、増田聡子(絵画)、山本将之(陶芸)=敬称略=らが出品するアート部門と、つくば文化郷を拠点にした地域づくりなどの足跡をたどる事業活動部門で構成する。

会期は24日まで。21日午後には、山本幸子さん(筑波大学システム情報系)ら3人による講演会、大久保純子さんによるお茶会も企画されている。(相澤冬樹)

◆一周忌企画 実現した仕事・果たせなかった夢「根本健一の世界」講演と展覧=19日(木)~24日(火)午前11時~午後5時、つくば文化郷(つくば市吉瀬1679-1)。問い合わせは実行委員会(電話090-2905-5196)

在宅介護 最近事情 《介護教育の現場から》9

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専門学校の授業風景

【コラム・岩松珠美】梅雨がやっと明け東京五輪が始まった。新型コロナのワクチン接種は進んでいるものの、新規感染者はなかなか収まらない。茨城の場合、65歳以上の高齢者、特別養護施設などの利用者、介護・看護スタッフへの接種に早くから取り込んだため、高齢者施設でのクラスター発生は減っている。

医療機関スタッフも先行して接種、集団接種の体制も整備されたが、遅れたのは障害福祉の分野であった。特に、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)など、自宅で医療的ケアを受けながら生活している方々への接種が遅れた。介護保険制度ではなく、障害福祉サービスを活用しながら生活を送っている方々の多くには、まだ接種券が届いていない。

小規模多機能居宅介護事業所

コロナ禍下では、施設の介護実習受け入れも厳しかったが、在宅で療養生活を送る高齢者や障害者を訪問する実習の受け入れは難易度が高かった。介護実習者は留学生が多いこともあり、日本家屋の造りなどに接する機会が少ない。留学生に在宅介護を学んでほしいという受け入れ先もあり、なんとか実現することができた。

今、急性期病院や慢性期病院では、看護師不足だけでなく、患者の世話する介護福祉士の人手不足が問題となっている。病気治療はある程度終えることができても、日常生活の支援を必要とする患者向けの介護サービスがあまり存在しない。

その中で、かすみがうら市にある「小規模多機能居宅介護事業所」が、デーサービス受け入れ、ショートスティ受け入れのほか、訪問介護サービスも提供している。これは住み慣れた家での生活を可能にするものであり、この種のサービスが広がることを期待したい。(つくばアジア福祉専門学校校長)

夏休みのヒントを発見する展覧会 つくばで「夏のキッズアート」

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学生による6例の工作や関彰商事によるアンブレラアートなどが並ぶ会場=スタジオ'S(つくば市二の宮)

子どもたちの夏休みの自由工作を後押しする「夏のキッズアートおうえん展」が8月9日まで、つくば市二の宮のスタジオ’S(関彰商事つくば本社内)で開催中だ。筑波大学芸術学群の学生が考案した工作の実作品や作り方を紹介展示している。入場無料。

学生による工作の展示は6種類。日本画ブースの「風船で和紙のランプシェードをつくろう!」、彫塑ブースの「小麦粉ねんどでオリジナルメダルをつくろう!」など、専攻ごとの特色あふれるものが並んでいる。展示台の高さは子どもの目線に合わせ、各作品の横に設置された小型モニターでは、動画やスライドで作り方も紹介している。

会場では工作の制作キット(主な材料と説明書)も日替わりで配布しており、1日20キット限定で、内容はホームページSNSで見られる。

7月31日には、セキショウブースが紹介する「カラフル♪アンブレラアート」のキットを配布。さまざまな色のビニール傘に自分で絵を描いて楽しもうという内容で、常総市から来た小学2年生の栗原結衣さんは、傘をもらって「色がきれい。いっぱい描けそう」と喜んでいた。

アンブレラアート用のカラフルな傘を来場者にプレゼント

つくば市内の小学5年と2年の姉妹は、洋画ブースの「小石に絵を描こう!」に興味津々。自分で見付けてきた石の形に合わせて、どんな絵を描こうかと考えるのが楽しそうだという。

スタジオ’Sでは2016年から筑波大学と連携して、毎年夏と冬に「キッズアート体験」を行ってきた。会場で子どもたちが学生に指導してもらい、工作を完成させるというやり方だが、コロナ禍で実施が難しくなった。昨年はホームページで紹介した工作を家庭でつくり、写真に撮って投稿してもらうオンライン方式に変更。そして今年は初の展覧会形式での開催となった。

「実物を見ることでより楽しく、制作の参考にもしていただけるのでは」と、スタジオ’Sの浅野恵さん。来場者の一人は「毎年子どもと参加しており、大学生から教えてもらうのも楽しかったが、今年は作品を見てヒントをもらったり、自分で工夫したりして、できる範囲が広がるかもしれない」と話した。(池田充雄)

椅子から転げ落ち 右手が使えない 《食とエトセトラ》13

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台所道具

【コラム・吉田礼子】 青天の霹靂(へきれき)。2週間前、料理教室の後片付けのとき、大鍋を高所に上げようとしたところ、パイプ椅子から転げ落ち、救急車で運ばれた。痛いだけでなく、寒気がして、口が乾いてくる。右手首が曲がり、ありえない方向を向いている。覚悟を決め、これからの3~6カ月を闘いたい。

私事なのでためらいもあったが、友だちに言われ、フェイスブックでお知らせした。思いがけず、たくさんの方からお見舞いや応援メッセージをいただいた。不思議に痛みが和らぎ、この状況に立ち向かう勇気が湧いてきた。オリンピックに限らず、応援によって限界を超える力を発揮できることでは、相通じるものがある。

人は、愛されたり、おいしいものを食べると、幸せホルモンが出てきて、免疫力を高められるそうだ。ありがたいと思う。

ペットボトルは両手でも開けにくい

利き手の右が動かない。初めて実感した、鈍痛、むくみ、痺れ。指を曲げられない。左手しか使えない状態で実感したことがある。ペットボトルが開けられない。牛乳パックを開けるのも無理。袋入りせんべいや豆腐パッケージも開けられない。

最近、ペットボトルは両手でも開けにくいと思っていたが、同年代の多くの人が手の力が弱くなったとぼやき、開けられない自分を責めている。いつから、ペットボトル、びん詰め、袋詰めが開けにくくなったのだろう。オープナーが便利グッズに登場し、しっかり締められるようになった。

その後、(不自由な人が健常者と同じように使える)バリアフリーが普及。1980年代中ごろ、(老若男女、健常者もそうでない人も使いやすい)ユニバーサルデザインが出てきた。台所道具も、グリップが太く、使う人の立場を考えたデザインが登場した。用具のつくり手は、使う人の立場になって、モノづくりをしてほしい。完治はまだまだ先だが、くじけず、まい進したい。(料理教室主宰)

市立学校教員が新型コロナ つくば市

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つくば市役所

つくば市は30日、市立学校教員が29日、新型コロナウイルスに感染していることが分かったと発表した。

市教育局学び推進課によると、学校は夏休み中のため、臨時休校などの措置は実施しない。

学校の濃厚接触者については8月1日にPCR検査を実施するという。

つくば工科高校サポートクラブ(2) 《塞翁が馬》3

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【コラム・三浦一憲】前回「つくば工科高校サポートクラブ」の続きです。見学会一覧(1~11)は前回コラム(6月28日掲載)をご覧ください。

1回:建設中のショッピングセンター見学(1999年7月)

設計した会社の担当者による事前レクチャーのあと、友部の建設現場で受講。学校手配のマイクロバスで移動。教科書には書いてないことを知る現場見学会。生徒にはいい刺激に。

2回:国際会議場、ノバホールなど見学(19998月)

これは挑戦的な企画でした。使用目的の違う3ホールを音響的な側面から見学。建築や音響の専門家でない外部の人間だから、いろいろな疑問に取り組めました。各ホールの音響的な違いを知り、ホールとは何かを感覚的に体験。ラジカセの生音を反響の少ない環境で体感してから、各ホールのステージで鳴らし、1階席、2階席でホールの持つ音響的な特性を体感。

NHKが音響設計したノバホールは反響音が長く、ステージ上に置かれたラジカセの音が豊かに聞こえました。反響音や残響音が豊かな音を作っていることも体験。高校生にはいい勉強になりました。現地で保護者も参加、大人にも刺激に。

3回:ウエディングドレス製作の見学(19999月)

ウエディングドレスのデザインから出来上がるまでを見学しながら、デザイン専門家による講義。最後に、ドレスを女子生徒が着る体験も。デザインから製品になるまでのモノづくり工程を体験。

4回:アメリカン2×4住宅の見学(19999月)

日本の在来軸組み工法とは違う、アメリカ2✕4(ツーバイフォー)プラットホーム工法をモデル住宅で見学。その内装や外観は刺激的でした。当時としては珍しい、ペアーガラス木製サッシの省エネ断熱効果も体験。(まちかど音楽市場代表)

権利獲得目指した障害者運動の歩み語る 「茨城青い芝の会」60周年記念誌

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60周年記念誌「大いなる叫び」を持つ里内龍史さん(茨城青い芝の会会長)

脳性まひ者を中心とする障害者団体「茨城青い芝の会」(里内龍史会長、土浦市神立)がこのほど、60周年記念誌「大いなる叫び―茨城青い芝の会の障害者解放運動」(A5判、251ページ)を刊行した。 

同会は60年前の1961年、脳性まひ者の折本昭子さん=故人=と、千代田村(現・かすみがうら市)上志筑の寺院の大仏空(おさらぎ・あきら)住職らが中心となって結成した。63年には大仏住職の寺に障害者が共同生活をするコロニー「マハラバ村」をつくった。その後、村を出た障害者たちが全国各地で青い芝の会を結成し、70年代には先鋭的な社会運動を起こした。運動を通して生まれた「自分たち抜きに、自分たちのことを決めるな」という訴えは、その後の国内のさまざまな人権運動に影響を与え、現代の「当事者主権」につながったとされる。学術研究の対象としても近年、再評価の動きが起こっている。

記念誌は、14人と1団体による25編の原稿で構成され、障害者の権利獲得を目指した当事者らが、自らの闘いの歴史を振り返っている。当事者主権の思想を育んだ共同生活がどのようなものだったかも垣間見せる。さらに、知的障害者らが殺傷された津久井やまゆり園事件や、新型コロナで論争になった治療の優先順位を決める命の選別問題など、現代もある優生思想や差別について、当事者の視点から語っている。

会長の里内さんは記念誌出版の経緯について「(マハラバ村を経験した)茨城青い芝は僕だけになった。最後の大仏門下生として後世に対して、青い芝の会の偉業を文章化して残したいと思っていた」と話す。

昨年4月、里内さんは「障害者解放運動から」と題した講演を行う予定で一昨年から準備をしていた。里内さんは障害のために、声を出すことが出来ない。そのため、講演のために原稿を作り、それをパソコンで読み上げる予定だった。しかし、コロナ禍でその講演は延期となり、ついには中止になってしまった。

その際「茨城青い芝の60周年記念でもあるので本にしよう」という提案があり、「講演録や大仏和尚が書いた文章、先輩たちが書かれた文章などをまとめて一冊の本として店頭販売したい」と考え、出版に至ったという。里内さんは「この記念誌の読者の中から新しい人間関係が出来てくれればうれしい」と話す。

身体障害者のコロニー マハラバ村

茨城青い芝の会が結成された当時、身体障害者に対する公的な介助サービスは皆無で、重度の障害者は学校教育からも排除され、自宅に軟禁されることも少なくなかった。創設者の折本昭子さんは記念誌の冒頭で、当時、自宅に閉じ込められていた障害者にどのようにして声を掛け、会結成に至ったかを記している。

結成間もない1964年、脳性まひ者が共同生活をするコロニーを、かすみがうら市の閑居山(かんきょざん)に建設し、全国から集まった最大30人を超す障害者たちが共同生活を送った。のちに「神奈川青い芝の会」を創設し先鋭的な社会運動を展開した横田弘さん、小山正義さんらもコロニーの一員で、記念誌は、2人が共同生活を振り返り、そこで育まれた思想について語った文章を紹介している。

記念誌の裏表紙には青い芝の会の「行動綱領」が書かれている。行動綱領を起案した横田弘さんは「この有史以来初めてといってもいい脳性マヒ者解放運動の指針は、一九六〇年後半の茨城『青い芝』の行動の中から必然的に生み出された思想だった」と述べる

コロニーの呼び名「マハラバ」は、サンスクリット語で「大いなる叫び」という意味で、記念誌のタイトルはそこから取られたものだという。

マハラバ村建設の中心になった、閑居山の麓にあった願成寺(がんじょうじ)の大仏空住職は、共同生活の精神的支柱にもなった。会長の里内さんは記念誌で、大仏住職について「体躯は大きく、大の好物は塩辛であった。ガンジーの非暴力主義と毛沢東の解放闘争を高く評価していた」と記す。住職が生前記した障害者の性愛と労働についての文章も2編紹介している。

しかしマハラバ村は長続きせず、1969年頃までに事実上、崩壊したといわれる。村を離れた障害者たちはその後「神奈川青い芝」として知られるようになり、76年に、車いすの乗車拒否に抗議し、路線バスに立てこもる「川崎バスジャック闘争」を展開するなど、各地で先鋭的な社会運動を繰り広げた。

マハラバ村から去った障害者たちが先鋭的な社会運動の担い手として広く知られるようになった一方で、村に残り続けた障害者もいた。残った人たちのことは今まであまり知られていないが、記念誌は、残った障害者たちの生活についても紹介し、マハラバ村は「拠り所でありアジール(聖域)ともなっていった」と記す。

会長の里内さんは1980年に滋賀県からマハラバ村に移り住んだ。1984年、大仏住職が逝去。それをきっかけに里内さんは村を出て、千代田村(現かすみがうら市)で自立生活を始めた。

マハラバ村での暮らしが自身に与えた影響について里内さんは、取材に対し「社会観と歴史観と味覚が変わった」と話す。その後の自立生活について、「(当時は)役所の支援や介護の体制まったくない時代だった」。自立生活の資金は自分たちで作り出すしかなく、よく柏駅や浅草駅で街頭カンパを行い「多い時には一日で5~6万円を得ることもあった」とも記している。

1987年、里内さんは折本さんの後任として会長となった。その後、筑波技術短大建設反対阻止闘争(1988年)、つくば養護学校建設反対運動(1992年)、従業員の知的障害者を暴行・強姦した水戸事件における支援など活動を重ね、茨城青い芝の会は結成以来、障害者解放を目指す運動を続けている。(山口和紀)

◆茨城青い芝の会60周年記念誌「大いなる叫び~茨城青い芝の会の障害者解放運動」は6月30日発行。価格は1000円(税込)。

養老孟司先生の講演を聴く《令和楽学ラボ》14

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養老孟司先生

【コラム・川上美智子】つくばのホテルグランド東雲で、東京大学名誉教授の養老孟司先生の講演を聴く機会がありました。養老先生は20数年前の現役時代に東大医学部の学生に解剖学実験を指導されていて、当時受講生だった娘が時々その様子を話してくれました。ホルマリンの臭いが充満する教室で、学生たちが人体解剖をしている傍らで、椅子に座ってじっと本を読んでおられたようです。

学生たちも大変ですが、先生にとっても厳しい時間なのではないかと、当時、思ったりしました。たとえ仕事であったとしても、医学の継承のため、若い学生を育てるため、人体を捧げる運命に至った人に最後まで傍らで寄り添い、畏敬の念を抱きつつも送り出さなければならない先生の気持ちを、本が和らげてくれていたのではと思います。

講演で先生は、「生老病死(しょうろうびょうし)」という言葉を黒板に書かれ、これが人の自然の姿だと言われました。最近、宗教学者の山折哲雄も、人生終焉に向かうテーマとして同名の本を出版しています。生老病死とは、人の人生には「生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと」の四つの苦しみがあり、これを避けて通れないという仏教語(お釈迦様の言葉)だそうです。

つまり、人が生きること自体が思い通りにならない苦しいことであると、仏教は教えています。先生は、演題「今、私たちは何をすべきか」の中で、そうだからこそ、「生(しょう)」のスタート部分の子ども時代には、生きることの楽しさ、社会の明るさを教えてほしいと訴えました。

子ども時代の一定期間、田舎で過ごすのがよい

先生は今、理想の保育園を目指し、保育園の理事長の職に就いていらっしゃるとのこと。毎日、孫や曾孫のような子どもたちと、虫取り、魚獲りで自然に触れ、子どもたちを幸福にしたい、子どもたちに幸せな生活を送らせたい、という思いで過ごされているそうです。

子ども時代は人生にとって最も大事な時期であるのに、子どもたちに大人が真面に相手をしなくなったと話されました。大人は本来の子どもの育ちの目的を忘れ、(動物の親と対照的に)国がつくった教育のシステム維持に夢中になっている、ひたすら務めればよいわけではない、また、近代化の行き過ぎで子どもの育つ環境が自然から離れてしまった―と、嘆かれました。

子ども時代の一定期間、田舎で過ごすのも健康の上でよいことだと、茨城っ子にとってうれしい話もありました。

AI(人口知能)が道具になり、human enhancement(人間拡張)の方向で体の一部とするよい使い方もあるが、果たしてコンピューターが出す解答はすべて正しいか、コロナ予防のためにワクチンの形で細胞に遺伝子を導入することの可否など、この先やってみなければ答えが分からない時代に我々がいる―との警鐘もあり、示唆に満ちた講演でした。

「生老病死」を自分事として捉える年代になった私自身も、大学で教鞭(きょうべん)を執った後、最後にできるお役目として、つくばで保育園の園長をしていますが、先生の深い洞察力と、「子どもは自分で何も言えない」という言葉が胸に刺さりました。(みらいのもり保育園園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

今年のワカサギは大ぶり 霞ケ浦・北浦の解禁漁

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今年の解禁日の操業の様子(茨城県霞ケ浦北浦水産事務所提供)

霞ケ浦と北浦の夏の風物詩、ワカサギ漁が21日解禁された。今年は例年に比べ体長が約7センチと大ぶり。「身も大きさも消費者に喜んでもらえるのではないか」と、12月まで続くこれからの漁に期待が寄せられている。

解禁日当日の操業(出漁)船は、霞ケ浦・北浦併せて142隻(昨年は118隻)、平均漁獲量は霞ケ浦が29.6キロ(同45.6キロ)、北浦が1.7キロ(同10.5キロ)だった。

温暖な霞ケ浦・北浦はワカサギの成長が早く、全国でも珍しく夏にワカサギが捕れることから「ナツワカ」の愛称で知られ、フライなどのほか、様々なレシピで好まれている。

愛好者などからの引き合いも多く、土浦市内のスーパーや専門店などでは生や加工品のワカサギが販売されている。霞ケ浦水産研究会(霞ケ浦漁業協同組合内)は昨年から捕りたての夏のワカサギを多くの人に味わってもらおうと、産地直送通販サイト(https://poke-m.com/products/165223)で「わかさぎオンライン解禁市」を関東地方限定で実施している。

国内の昨年のワカサギ漁獲量は、青森県の365トンをトップに、北海道210トン、秋田県207トンと続き、茨城県は73トンで第4位だった。解禁日は秋田県の小川原湖が9月1日、北海道の網走湖が9月頃、秋田県の八郎湖は10月頃とまちまちで、「ナツワカ」は霞ケ浦・北浦だけだ。

霞ケ浦・北浦のワカサギ漁獲量で最も漁獲量が多かったのは1965年の2595トンで、現在全国トップの青森県の実に7倍以上の水揚げを誇っていた。(山崎実)

◆霞ケ浦・北浦の魚が購入できる土浦市内の店は、タイヨー土浦店(東真鍋)、田中屋川魚店(川口)、JA農産物直売所サンフレッシュはすの里(木田余)、出羽屋イオン土浦店(上高津)。佃屋(生田町)、小松屋食品(大和町)、箕輪名産店(大和町)、出羽屋ピアタウン店(真鍋新町)、常磐商店(沖宿町)

◆ワカサギ料理が食べられる土浦市内の飲食店は、ふぐ・あんこう喜作(神立中央)、天ぷら八起(大和町)▽つくば市内は、常陸乃圀もんどころ・つくばデイズタウン店(竹園)、
=いずれも霞ケ浦北浦水産振興協議会HPより引用

にんにく祭りとニンニク 《県南の食生活》27

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一の矢神社のお守り

【コラム・古家晴美】一の矢神社(つくば市玉取)の祇園祭(ぎおんさい)は、旧暦6月7日(今年は7月16日)に開催され、茨城県内の祇園祭の皮切りとされている。「にんにく祭り」としても有名だ。その後、順次、他の八坂神社が祭礼を執り行う。鉾田町には、全戸が参加する一の矢講を編成し、玉取まで参拝に来ていた地区もあったと言う。

潮来市や行方市でも「一の矢の天神様の祭り」として、うどんや餅を作って食べた地域があり、広い地域で知られた祭りであった。では、どうして「にんにく祭り」なのか。諸説あるが、ご祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が朝鮮から持ち帰ったニンニクを用い、江戸時代に流行した疫病退治のために、戸口につるしたことが始まりと言う。

実際には、遣隋使か遣唐使がもたらしたものと推測されている。『万葉集』には、醤酢(ひしおす)とともにニンニクをついてタイを食べたい、という歌がある。『医心方』には、かっけ、風邪、虫刺されに効く、と書かれている。『源氏物語』の「帚木(ははきぎ)」には、風邪のために薬草(ニンニク)を煎じて飲んだ、とある。

禅宗の山門には「不許葷辛酒肉入山門」とあるが、滋養強壮作用があることから、修行の妨げになるということで、葷食(くんしょく=ネギ、ニラ、ニンニク、ラッキョウ、タマネギ)を禁じた。

また、室町から江戸時代にかけては、獣肉の調理や臭い消しに、すりおろしたニンニクが使用された。江戸から昭和にかけて、へき村では、節分の鬼やらいで、とげのある柊(ヒイラギ)、臭気があるイワシの頭とともに、さらに匂いが強いニンニクを門に挿しかける風習もあった。

また、コレラなどの悪疫の流行時に、児童にニンニク入りのお守りを持たせて、悪疫を防いだ。このほか、ニンニクは、腹痛、下痢、風邪の予防と治療に用いられた。

一の矢神社のニンニクは魔除け

では、一般庶民の間では、どのように扱われていたのであろうか。大正末期から昭和初期の食生活について聞き書き調査をした『日本の食生活全集』を見ると、全国的にニンニクの食用が南日本と北海道・東北地方に偏っているのがわかる。特に沖縄では、漬けものが目立つ。ニンニク玉を塩漬けの後に、黒砂糖と泡盛に漬けたり、魚や肉との煮物や炒め煮に用い、臭いを抑えた。

カツオのタタキで有名な高知では、そのまま薬味として食べる以外に、ニンニク玉を葉とともについて、ペースト状にしたものを刺身や、カシの餅などに付けて食べる。南部では肉食の臭い消し、東北ではなめ味噌と、多様な食べ方に圧倒される。

では茨城はどうか。ニンニクが大手を振って日常的に採用されるようになったのは、第2次世界大戦、高度経済成長期以降ではないかと推察している。ですから、一の矢神社のニンニクは、あくまでも魔除(まよ)けです。(筑波学院大学教授)

つくば、土浦市などに再び時短営業要請 感染拡大市町村に16市町

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茨城県庁(イラストは「いばらきアマビエちゃん」)

県南地域などで新型コロナウイルスの感染が再び拡大傾向にあるとして、茨城県は27日、つくば市や土浦市など16市町を、再び感染拡大市町村に指定すると発表した。期間は30日から8月12日までの2週間。対象市町のすべての飲食店に再び午後8時までの時短営業などが要請される。

県南、県西、鹿行地域を中心に県全体で、陽性者数が前の週と比べ163%増えているほか、経路不明者が178%増加しているなどから、県独自のコロナ対策判断指標を1段階強化し、「感染が拡大している状態」のステージ3に引き上げる。東京など1都3県で感染が急拡大していること、お盆休み前後に遠出や会食の機会が増えることが懸念されることなども考慮した。

この1週間の新規感染者を年齢別にみると、20~30代が44%と最も多く、40~50代が32%、20代未満が15%に対して、ワクチンを接種した割合が比較的高い60代は5%、70歳以上は4%となっている。24日現在の年齢別の入院患者は、40~50代が最も多く47%、次いで60代が15%、20~30代と70歳以上がいずれも14%、20歳未満が9%。

つくば、土浦両市はステージⅣ相当

その上で、この1週間の人口1万人当たりの新規陽性者数が1.5人以上の16市町を感染拡大市町村に指定する。この1週間の新規感染者数はつくば市が県内で最も多い84人、土浦市が42人。人口1万人当たりに換算すると、つくば市が3.38人、土浦市が3.05人で、両市とも国の指標で「爆発的な感染拡大が起き、医療提供体制が機能不全に陥ることを避けるための対策が必要」なステージⅣに相当する感染者数になっている。感染拡大が続く場合、期間が延長されることもあり得る。

感染拡大市町村は、すべての飲食店を対象に午後8時から午前5時までの営業自粛のほか、酒類の提供は午後7時までとすることを要請する。協力金として、中小企業の場合、1店舗当たり売上高に応じて1日2万5000円~7万5000円を支給する。今回は大企業に対しても協力金を支給するするほか、申請受付を早め、8月早期に開始する。

ほかに、不要不急の外出を自粛する、同居家族以外との会食はいつも近くにいる4人までとする、テレワークや時差出勤を活用し出勤者を削減する、イベント開催時は収容率を定員の50%以内とすることなどを要請する。

小中高校、大学の部活動については、県外の緊急事態宣言やまん延防止重点措置区域にある学校や、県内の感染拡大市町村にある学校との練習試合は自粛する、練習試合をする場合、自校を含め2チーム以内とする、練習試合の参加生徒は2週間前から健康管理を徹底するなどを要請する。

感染拡大市町村に指定された16市町は、つくば、土浦市のほか、阿見、稲敷、龍ケ崎、取手、牛久、守谷、つくばみらい、常総、古河、坂東、境、潮来、行方、大洗―の各市町。

五輪スイス選手団「サポートに感謝」 つくば事前キャンプ

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オンライン会見する(左から)ピーター・ハ―スさん、ヨナス・ラエス選手、アンジェリカ・モーザー選手=キャプチャー画面から作成

開催中の東京オリンピック出場のため、つくば市で事前キャンプを行っているスイス選手団は27日、市、筑波大学と共同でオンライン記者会見を開いた。選手たちは「市民との実際の接点は少ないが、すべての方に感謝を感じている」と語った。

選手団からは、事前キャンプ責任者ピーター・ハ―スさん、陸上競技チームリーダーのフィリップ・バンディさん、女子棒高跳びのアンジェリカ・モーザー選手、男子5000メートルのヨナス・ラエス選手が出席した。

ハ―スさんは、つくば市での事前キャンプについて「市民の皆さま、筑波大学、つくば市、滞在先のホテル、すべての人たちに多大なる感謝を伝えたい。素晴らしい環境のもとで事前キャンプを行うことが出来ている。感染対策も万全」と述べた。市の環境については「静かでクールな街だという印象を持った。どこかスイスを感じさせる環境で、安全に練習をすることが出来ている」という。

モーザー選手は「市民との接点がないのは悲しいが、世話役の皆さんがとても親切にフレンドリーに接してくれている。筑波大の練習場においても、接遇役の方たちがサポートのために見守ってくれている」と感謝した。

スイスチームの練習風景=筑波大学(つくば市提供)

「ホテルの窓から見る風景に触れたい」

筑波大学の練習環境について、ラエス選手は「新型コロナウイルスの感染拡大下、ここまでのサポートは受けられないと思っていた。多くの方たちが準備をしてくれ、練習が出来ている。すべての人たちをリスペクトしている」と話す。

新型コロナが無ければつくば市で何をしたかったかという質問に対して、ラエス選手は「市内をたくさん探検して回りたかった。ホテルの窓から外を眺めるとたくさんの美しい自然や建築物を見ることが出来る。そうした場所に行くことが叶わないことを残念に思っている」と答えた。

大会への意気込みについて、ラエス選手は「チームとしての目標は決勝まで残ること。自分自身としての目標は、ゴールラインを切った時に自分自身の頑張りを感じ切ることができるということ」だと話し、モーザー選手は「決勝まで進むことが自分の目標だ」と話した。

ひとり親の就労支援を強化 茨城労働局 全市町村に臨時相談窓口

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ハローワークなどが入る土浦労働総合庁舎=土浦市宍塚

厚労省茨城労働局は8月2日から31日の間、県内全44市町村に、ひとり親の就労支援を強化する、ハローワーク臨時相談窓口を設置する。出張相談による「ひとり親全力サポートキャンペーン」を実施する。

児童扶養手当受給中のひとり親が、市町村に「現況届」を提出する8月の時期に合わせて、2015年度から開設している。当初は県内19市のみだったが、2018年度からは全市町村で行うようになった。昨年度は新型コロナ感染拡大防止のため中止した。

臨時相談窓口ではハローワーク職員が、「現況届」提出に訪れたひとり親から職業相談を受けたり、職業紹介や求人情報の提供などをして、ひとり親の生活支援をバックアップする。

具体例としては、本人と中学生の子供、母親の3人暮らしで、コンビニ店員のパートとして週30時間働いていた。月収は10万円程度だったことから、子供の進学を見据え、キャンペーンを知り相談した。ハローワークの相談員と、フルタイム勤務を軸に就職先を一緒に探した結果、フルタイム契約社員の工場内梱包作業に応募し、採用され、給与も18万円になり、母親も安心した―などの成果があるという。

茨城労働局は「臨時相談窓口での相談をきっかけに、相談に応じる個別担当者を決め、プライバシーに配慮しながら、個々のニーズに応じたきめ細かな就労支援を受けることができる」とメリットを強調し、積極的な利活用を呼び掛けている。(山崎実)

▼臨時相談窓口設置日は次の通り
・土浦市=8月13日(金)、土浦市役所1階相談室
・つくば市=8月24日(火)、つくば市役所2階会議室
開設時間はいずれも午前9時30分~午後3時(正午から午後1時は除く)

ナラ枯れの脅威! 被害対策奮戦記(上) 《宍塚の里山》79

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ナラ枯れ調査の様子。左上写真はカシノナガキクイムシ成虫のメス(左)とオス

【コラム・佐々木哲美】ナラ枯れはコナラなどの樹木が集団で枯れてしまう病気です。2020年9月初め、森林総合研究所(つくば市松の里)に勤める会員から、つくば市内の数カ所でナラ枯れと疑われる症状がコナラに発生しており、宍塚の里山でも発生していないか、注意して見てほしいと連絡がありました。

ナラ枯れの正式名称は「ブナ科樹木萎凋(いちょう)病」といい、一般には「ナラ枯れ」とか「カシノナガキクイムシ被害」と呼ばれています。「ナラ枯れ」は、ナラ類、シイ・カシ類の樹木を枯らす病原菌と、その病原菌を媒介する昆虫による「樹木の伝染病」です。病原菌は「ナラ菌」と呼ばれる糸状菌(カビ)の仲間で、媒介昆虫は体長5ミリほどの甲虫(こうちゅう)、カシノナガキクイムシです。

このキクイムシのメスの背中(前胸背)には、菌のうという臓器器官があり、この菌のうにナラ菌を入れて、被害木から健全木へ運び、被害を拡大させます。当初、本州の日本海側を中心に被害が拡大、太平洋側に広がり、2020年、茨城県内で初めて、ナラ枯れが確認されました。

10月、会員から宍塚里山のコナラが写真のナラ枯れに酷似していると報告があり、森林総研に見ていただいたところ、ナラ枯れの疑いが濃いということでした。

対処する前にナラ枯れの見分け方と対処の仕方を学ぶ必要があります。今年1月、関係者に働きかけて現地調査を開催したところ、森林総研から主任研究員の升屋勇人さんら3名、県南農林事務所1名、県技術センター1名、樹木医1名、当会3名の参加がありました。観察路に沿って里山を一周したところ、ナラ枯れは13本確認できました。

「樹木の切断」「巻いて処置」「切株処置」

その後、升屋主任研究員に現地に来ていただき、対処方法を「樹木の切断」1本、「巻いて処置」6本、「切株処置」3本、「経過観察」3本―に仕分けていただきました。

まず、「巻いて処置」に区分した樹木の対策ですが、①木の根元をスコップで少し掘る、②立木と捕獲シートの隙間を作るために、シノ竹を7~8本周囲に立てて上下2か所を縛る、③捕獲シートの粘着面を立木に向けて張る、④養生用のビニールシートを2層になるよう周囲に巻く、⑤ガムテープで固定する、⑥根元のシートに土をかぶせて固定する―の手順で行います。切株も同様にスペースを作りながら、粘着テープを巻いてビニールシートで覆います。

この作業を3回に分けて実施し、「巻いて処置」6本、「切株処置」3本を、延べ7名の参加で行いました。試行錯誤をしながら試験的に行いましたが、思いのほかうまくいきました。これでナラ枯れの被害木の処置は一応終え、経過を見ることにしました。しかし、まだ「経過観察」3本の対処と新たな松枯れの被害調査をしなければなりません。(宍塚の自然と歴史の会副理事長)

常総学院届かず 鹿島学園に初の甲子園切符【高校野球’21】

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【鹿島学園-常総学院】9回裏2死一・三塁、秋本の適時打で常総学院が2点を返す=ノーブルホームスタジアム水戸

常総学院、及ばず。第103回全国高校野球選手権茨城大会は24日、ノーブルホームスタジアム水戸で決勝戦を行い、初回に3点を先制した鹿島学園が常総学院の反撃を9回の2点に抑え振り切った。鹿島学園は昨秋の県大会に続いて決勝で常総を破り、夏の大会初優勝。8月9日から阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で開幕する全国高等学校野球選手権に、県代表として出場する。

(鹿島学園は初優勝)

鹿島学園は3点リードをバックにエース藪野哲也が好投。追う常総は9回裏、1番からの好打順も2死となり、4番・田邊広大の左前打でようやく一・三塁の好機をつくった。

5番・秋本璃空の打席は初球ボール。2、3球目をファールで粘り、4球目はインコースへのストレート。「来た」と思って振り抜くと、打球は左翼フェンスへ達する長打。2点を返し、自らも二塁に至った。「変化球を狙っていたが、球威が落ちて甘いストレートが来た。次につなげてほっとした」と秋本。

1点差に迫り、島田直也監督は代打に青木良弘を送るものの、スイングアウトの三振。最後の打者になった青木は「みんながつないでくれて、絶対に甲子園に行きたいと打席に入ったが、ランナーを返せなかった」と悔やんだ。9回、反撃の足掛かりを作った伊藤琢磨も「このメンバーで最後の大会なので、9回全員で逆転しようと気持ちが入り2点返したが、勝ちきれなかったのが悔しい」と唇をかんだ。

先発投手として初回の3失点を喫した秋本は、「いつもよりアウトコースが厳しいことに気付かず、外で勝負をしすぎた。2回以降は打たせて取るピッチングに切り替えた」と振り返る。3四死球と2安打に加え、守備の乱れもあった。

肩を落とし引き揚げる常総ナイン=同

島田監督「早いうちに1点でも…」

「必ずチャンスは来るのであせらず、1点ずつ返していこうと言っていたが、取れないことが最後まで響いた。早いうちに1点でも返せていれば違っていた」と島田監督。相手の藪野投手については「自信のあるカットボールやスライダーで来ることは分かっていた。ゾーンを高くしながら対応していったが、打線がつながらなかった」と話した。

田邊主将は「スライダーにキレがあり、みんな思った以上に打たされた。自分も全然打てず、打ちたい気持ちでボール球に手を出したりしてしまった」と話す。9回のヒットについては「最後は気持ちで打った。無我夢中で球種は覚えていない」という。

5回途中から登板した大川慈英は「9回の2点で意地を見せたが、あと1点取れなかったのが悔しい。薮野投手は試合の転機が分かっていて、要所でしっかり腕が振れていた。自分は今後こういう思いをしない、絶対勝てるピッチャーになりたい」と決意を新たにした。(池田充雄・高橋浩一)

優勝した鹿島学園ナイン

百聞は一見に如かず 福島第1を視察 《邑から日本を見る》92

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東電福島第1原発1号機の現状 1号機建屋(東京電力提供)

【コラム・先﨑千尋】去る7月10日、私は村上達也前東海村長、海野徹前那珂市長ら「脱原発をめざす首長会議」のメンバー13人と東京電力福島第1原発の構内に入り、事故を起こした1号機から4号機を、100メートルの近距離からわが目で見た。

水素爆発やメルトダウンを起こした原発が目の前にある。1号機は特にひどい。建屋の屋根は吹き飛び、上半分の鉄骨がむき出しになり、天井クレーン、燃料クレーンが落下し、折り重なっている。使用済み核燃料は手つかずで、その真下にある。

海は建屋のすぐ向こうに見える。カモメがのんびり飛んでいる。土曜日だったので、4000人近く働いているという作業員の姿は少なかった。この光景を見て私は「百聞は一見に如かず」という言葉を思い浮かべた。世の中にはじかに見ないと分からないということがあるものだ。

視察見学は約3時間。東電社員が最初に事故概要や汚染水処理状況などを説明し、質疑のあと専用のバスで構内を回る。二重のチェックがあり、携帯やカメラは持ち込めない。事故を起こさなかった5・6号機や、汚染水を多核種除去設備(ALPS)で処理した水をためておくタンク群、浄化設備、廃棄物焼却設備などを、1時間以上かけて案内してくれる。

バスの中で、原発の事故がなければ、いや原発そのものがなければ、このような無駄なことをしなくて済むのに、と考えた。

東電の説明を聞く首長会議メンバー

膨大な量の汚染水

最初の質疑では、核燃料デブリ(燃料と構造物等が溶けて固まったもの)の現状、廃炉作業の今後などの質問が次々に出されたが、最も多かったのは汚染水の処理問題。現在までに125万立方メートルあり、現在でも1日に100~150立方メートル発生しており、来年秋ごろには貯蔵用タンクが満水になるという。

汚染水は、まず燃料デブリを冷却するための水が燃料デブリに触れて高濃度の放射性物質を含んだ汚染水になり、さらに建屋内に流れ込む地下水、雨水が混じり合うことで新たな汚染水が生じる。汚染水にはトリチウム、ストロンチウムなど分かっているだけで63種類の放射性物質が含まれている。この汚染水をALPSで浄化処理したものを東電では「処理水」と言っている。

この汚染水問題について、私は4月26日付の本欄「福島第1の汚染水、海洋放出へ」で問題点を指摘しておいた。この日の東電への質疑でも「東電は2015年に、関係者の了解なしにはいかなる処分も行わないと文書で約束している。約束違反ではないか。風評被害と政府、東電は言っているが実害ではないか。この10年、東電は被害者への賠償を十分に行ってこなかった。今回の海洋放出で、期間、地域、業種を限定せずに補償すると言っているが、信用できない」などと聞いた。それに対する東電の答えは、口調は丁寧だけれどもまともなものではなかった。

首長会議では翌日、北隣にある相馬市の松川浦を訪れ、漁師から現在の状況や汚染水問題をどう考えるかを聞き、その後「政府は汚染水の海洋放出を断念せよ」とする緊急声明を発表した。それらについては次回に報告する。(元瓜連町長)

関東鉄道、電気バスなどを40%以上に 2030年 SDG’s目標 

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4月から電気バスで運行のコミュニティーバス「みらい号」=常総線小絹駅(関東鉄道提供)

関東鉄道(松上英一郎社長、本社・土浦市真鍋)は、SDG’s(国連の持続可能な開発目標)の達成期限である2030年までに、電気バスなど電動車の保有率を全車両の40%以上にする目標を設定した。

同社の経営理念・行動指針「環境」に基づき、SDG’sの目標の一つである「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」「気候変動に具体的な対策を」などに貢献する。国の2050年カーボンニュートラル(温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする)の実現に向けても取り組む。

災害時、電気バスは電源供給車としても活用するという。

関東鉄道によると、すでにつくばみらい市では、同社が運行を委託されているコミュニティーバス「みらい号」(小絹ルート)が今年4月1日から、県内初の電気バスを導入している。

同社はこれまで、省エネルギー・低公害なハイブリットバスなどの導入を進めてきた。今後はさらに環境に配慮し、電気バスの導入を進める。(山崎実)

理科の自由研究 どうしよう 《食う寝る宇宙》90

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【コラム・玉置晋】友人の宇宙ファミリー(コラム44参照)から「ウチの子の学校で、夏休みの宿題で理科の自由研究が必須になったのだけれど、よいテーマはないかなあ」と相談メールがきました。僕はすかさず、「じゃあ、宇宙天気について調べてみたら?」と、自分の研究仲間を増やすべく勧誘しています。

研究テーマの設定は、小中学生であろうと大学院生であろうと悩むものです。科学的な自由研究に取り組むコツを、気象学者の荒木健太郎先生が「科学的な自由研究とは?」と題してまとめてくださっています。参考にしてみてください。僕も先日、友人に教えてもらって、目から鱗(うろこ)が落ちました。

アクセス先はこちらです。「天気自由研究を大募集!『すごすぎる雲の研究』にチャレンジしよう!」

太陽の裏で大爆発

7月14日の夜中、人工衛星が太陽から広がるガスの様子を捉えました。ガスとは太陽の大気(プラズマ)で、これが宇宙空間に吹き飛ばされる現象を「コロナ質量放出(CME:Coronal Mass Ejection)」といいます。地球から、CMEは放射状に拡がって見えました。こういう場合は、地球方向に近づいているか、太陽の反対側に遠ざかっているか、どちらかです。

今回は、地球から見えている太陽面にはCMEの発生源は確認できませんでしたので、爆発は太陽の裏で発生した模様です。続いて、7月16日にも同じ方向に、7月17日には少し異なる方向にCMEが発生しました。このことから、活発な活動領域が少なくとも2カ所、太陽の裏にあることが推測されます。

この活発な活動がいつから続いていたのか、振り返ります。太陽は地球から見て約27日で自転しています。7月3日ごろに太陽面の北半球の西端に黒点ができ、Xクラスと呼ばれる最大規模の太陽フレアを起こしました。この時は強力な発光のみで、CMEが地球に飛んでくることはありませんでした。南半球にも1か所、今にも爆発を起こしそうな黒点がありました。あれから2週間が経ち、これら2カ所の黒点は太陽の真裏を通り過ぎたころのはずです。

これから、これらの黒点が地球から見える位置に回ってきます。活発な活動を維持しているようでしたら、僕は地球防衛のために休日返上で働くことになるでしょう。手伝ってくれる仲間がほしいです。というわけで、理科の自由研究をきっかけに、若手をスカウトしよう!というオチでした。(宇宙天気防災研究者)

決勝は常総学院vs鹿島学園【高校野球’21】

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【水城ー常総学院】常総、鹿田の適時打で宮原がホームイン

第103回全国高校野球選手権茨城大会は24日、ノーブルホームスタジアム水戸で準決勝2試合が行われた。第1試合では常総学院が、好投手の樫村佳歩を擁する水城と対戦、ロースコアの接戦の末、2-1で競り勝った。第2試合は鹿島学園が石岡一を7ー1を下した。決勝は26日、同球場で常総学院と鹿島学園が甲子園出場を賭けて対戦する。

常総学院は先発の秋本璃空が7回まで1安打3三振の好投。唯一の失点は2回で、安打と犠打、内野ゴロで2死三塁から暴投で与えた。「2回の先頭打者には軽く投げてしまった。ちょっと抜くところが欠点で、それを治せば信頼できる。調子は良いときの彼に戻ってきた」と島田直也監督。

復調した秋本が次戦もカギを握るか

秋本自身は「変化球がよく低めに集まり、完投しようと思っていた」そうで、7回も自ら志願して行ったが、足がつったため1死で大川慈英に交代。「秋本が粘ってくれたので、自分は短いイニングで全力で集中して投げた。連投で疲れはあったが、打者に対し1球1球コースをイメージして、しっかり腕を振って投げられた」と大川。最速を更新する148キロを出したが「自分としては球速よりもキレ。出たな、という程度」の感想だそうだ。

攻撃では樫村に対し3回までノーヒット。3回は四死球がらみで1死一・二塁のチャンスを作るが鹿田優の二ゴロでダブルプレー。4回は1死一塁から三輪拓未が二盗を狙うが、田邊広大の三振と守備妨害でチェンジとなる。

だが5回は違った。2死から下位打線が粘りを発揮。7番 柴田将太郎と8番 宮原一綺が右翼への二塁打を2連続で放ち1点を返すと、9番 鳥山穣太郎が死球でチャンスを広げ、1番・鹿田の左前打で逆転に成功。「第2打席まではストレートを狙っていてチェンジアップで打たされていた。この打席では意識を切り替えた結果、ストレートを待ちながらチェンジアップにもうまく対応できた」

5回裏2死二塁、宮原が同点の適時二塁打を放つ

樫村攻略について島田監督は「1巡目は完璧に抑えられたが、その間にしっかり球を見極め、球数を投げさせたことで後半、少ないチャンスを生かすことができた」と話す。

鹿田は「相手が疲れてからが勝負。ボール球を打ってしまうと相手に流れが行くので、ゾーンに来た球だけ打っていこうと意識した」という。秋本も「樫村は乗ってきたら止められない、楽しく試合をするタイプ。打たれて気分よくさせないよう、彼の打席ではギアを上げて投げた」と、ピッチングでアシストしたそうだ。

5回裏2死一・二塁、鹿田が右翼へ逆転の適時打

いよいよ甲子園まであと1勝。島田監督は次戦に向けて、打線の奮起を期待する。「投手に負担がかかっているので、点を取れるときに取ってもらわないと。自分が就任して以来、センターへ強い打球を返すことを意識させているが、なかなかそれができていないので徹底させたい」(池田充雄・高橋浩一)

第2試合は鹿島学園が石岡一を突き放した。

TOKYO2020 善後策のプラチナメダル 《ひょうたんの眼》39

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【コラム・高橋恵一】いよいよオリンピックが始まった。東日本大震災の復興の証しとして、福島原発事故の終息の証しとして、安倍前首相がスーパーマリオに扮(ふん)し、原発の処理水も完全にコントロールしているとして、誘致したオリンピックである。最近の商業主義が色濃くなったオリンピック主催を躊躇(ちゅうちょ)する意見もあったが、じり貧の日本経済の回復を見込む動きが強く、2020東京開催が決まった。

大会が半年後に迫るとき、新型コロナウィルスによるパンデミックが起き、中止や2年延期の議論が起こる中で、前首相は「完全な形でのオリンピック」を目指し、1年延期を決断した。

完全な形のオリンピック。私は、1964年の東京オリンピックをイメージする。スポーツを通しての世界連帯、人種、国籍を超えた人々の交流。オリンピック期間中は戦争を中断した古代オリンピックに習う、平和のスポーツ祭典である。日本にとっては、平和国家としてアジア、世界に認めてもらうと共に、戦後社会経済の復興・発展を遂げ、欧米以外のアジア・アフリカ諸国の地位向上の先頭に立つイベントでもあった。

秋晴れの青空にブルーインパルスの飛行機雲が地球連帯を表す五輪マークを描いた開会式には、最大の参加国、最大の参加選手を迎え、新国立競技場を満員にした観衆が応援し、日本中に行き渡ったテレビが中継した。

日本人選手だけでなく、聞いたことのない国の選手やなじみの少ない種目の女子選手など、世界各国のあらゆる選手の活躍に感動し、応援した。各々の国旗の下に整列した開会式に高揚し、全ての競技で全力を尽くした最後の夜は、選手が国別ではなく、入り混じって、手をつなぎ、肩を組んで、満面の笑顔で入場し、互いの活躍を称えあったのだ。「完全な形」の平和のスポーツ祭典の閉会式だった。

全選手と関係者に「栄誉と感謝の気持ち」を

前首相の後を受けて、菅首相は「安心安全」の開催を公約した。本来、世界中で戦闘が止み、パンデミックも終息していてこそ、各国選手が安心して競技に臨め、安全安心で完全な形のオリンピックであろう。少なくとも、戦闘や感染が終息の方向に動いている必要があったが、現実は程遠かった。せめて、参加選手には、困難な事情を抱えながらも、開催地日本への入出国、日本での滞在、そして競技。日本のホストタウンをはじめ歓迎する人々との交流、多くの観客前での全力パフォーマンスなどが保障されるべきだった。

しかし、事前のワクチン接種も不十分。水際対策も検査体制も不十分。来日してから、感染やその疑いで競技できない選手も出てきたし、無観客なので、日本でオリンピックの選手として競技を誰にも見てもらえない選手もいるのではないか。

このままでは、選手や支えてきた関係者にとって、地球上のあらゆる地域から、遠いけど、美しい、おもてなしの日本に来た意味が無くなってしまうのではないか。

困難な状況下で日本に来てくれた選手に、全ての競技のテレビ放映を実施してほしい。参加選手全員に、金メダルあるいは特製のプラチナメダルを与えてほしい。日本国民から、平和とオリンピックを愛する全ての選手と縁の下から支えてくれた関係者への栄誉と感謝の気持ちとして、実現できないか。(地図好きの土浦人)