月曜日, 10月 12, 2026
ホームつくば県「学級増必要な状況でない」 竹園高2学級増求め つくば市議長、意見書手渡す 

県「学級増必要な状況でない」 竹園高2学級増求め つくば市議長、意見書手渡す 

つくば市議会が6月定例会議で、県立竹園高校の募集定員を8学級から10学級に増やすことを知事に求める意見書を全会一致で可決したことを受けて(6月27日付)、黒田健祐市議会議長らは4日、県庁を訪れ、庄司一裕県教育庁学校教育部長に意見書を手渡した。これに対し県高校教育課高校教育改革推進室の片見徳太郎室長は「学級増が必要といえる状況ではない」と話し、竹園高の学級増に否定的な見解を示した。

片見室長は「県全体で5年後までに中学卒業者が2000人減少し、10年後までに5600人を超える減少が見込まれている。つくば市は2030年まで生徒数増が見込まれていることを承知しているが、県立高校改革プランを策定した際、子供たちにどのくらいの通学時間なら大丈夫かと聞いたところ、一番多かったのが1時間程度だった。つくば市周辺地域では、つくば市の増加分以上に生徒数が減少すると推計している(24年10月24日付)。今年度はつくばサイエンス高校に普通科を設置し大学進学を打ち出して、志をもった中学生にたくさん入ってきていただいたが、サイエンス高校と筑波高校併せてまだ117人の欠員がある。県としてはサイエンス高校と筑波高校の欠員解消を中心に取り組んでおり、学級増が必要といえる状況ではない)と話した。

「落としどころ見いだしたい」

4日は、つくば市議会の意見書提出と併せて、市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」の片岡英明代表が、同じ竹園高校の2学級増を求める要望書を手渡した。ほかに、篠塚英司つくば市副市長、つくば市選出の鈴木将、山本美和、うののぶこ、ヘイズ・ジョン県議4人らが同席した。

黒田議長は「(2013年に県立並木高校が閉校し並木中等教育学校に移行した後の)10年ほど前から『ちょうどいい県立高校の受け皿がない』といった声が出て、ここ最近、切実な声が大きくなっている。つくば市の県立高校は(中学卒業者数で比較し)水戸市の3分の1しかないというデータもある。市内には小中学校がたくさん新設されているが高校はそのまま。教育環境の充実は重要なこと」だなどと話し、理解を求めた。

これに対し県の庄司部長は「貴重なご意見としてお受けさせていただきたい」などと答えるにとどまった。

意見交換の席で、考える会の片岡代表は「(中高一貫により)土浦一高が(高校入試の募集枠が)8学級から4学級になって1年目の2024年は、県立高校志願者の波が土浦二高と竹園高に行き、両校とも志願者が100人以上オーバーした。2年目の25年は牛久栄進高校の志願者が137人オーバーになった。この波は2026年にどこに向かうのか。受け皿はあるのか」と迫り「県立高校改革プランに沿って学級増をやってほしい。オールつくばの願いを受け止めてほしい」と要望した。

同席した県議からは「子供たちのために何ができるか、ぶつかり合いながらも落としどころを見いだしていきたい」(山本県議)などの意見が出された。(鈴木宏子)

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