日曜日, 3月 26, 2023
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「至高の暗黒シート」を開発 産総研 光閉じ込める漆黒 

産業技術総合研究所(つくば市)物理計測標準研究部門の雨宮邦招研究グループ長(応用光計測研究グループ)が名付けた「至高の暗黒シート」は、これまで誰も見たことのない「黒さ」を実現する。特殊な黒色樹脂の表面に微細な凹凸を形成して光を閉じ込める構造をしており、可視光の99.98%以上を吸収する。従来の暗黒シートと比べて可視光の反射率が一桁低く、触っても壊れない耐久性を有する素材としては世界一の黒さを達成したという。 雨宮グループ長らが18日、記者発表し、従来品などと「黒さ」を見比べるデモンストレーションを行った。 「黒さ」の度合は光、特に可視光の吸収率によって決まる。暗黒シートは、ミクロなサイズの円錐孔型の黒体を並べた構造を、面上に敷き詰めている。この構造は、光閉じ込め構造になっていて、入射した光は、壁面で何度も吸収・反射を繰り返し、正味の反射率がゼロに近づいていく。 会見する雨宮邦招研究グループ長(右)と市野善朗総括研究主幹=同 産総研は2019年に、紫外線~可視光~赤外線の全域で99.5%以上の光を吸収する「究極の暗黒シート」を開発した。カーボンブラック顔料を混錬したシリコーンゴムを素材に用い、量子科学技術研究開発機構(高崎市)のサイクロトロン加速器からのイオンビーム照射と化学エッチングによって光閉じ込め構造をつくった。 吸収率を99.5%から99.98%にまで高めたとは、光の反射率を0.5%から0.02%まで低減させたともいえる。正味の反射率が0.1%を大きく下回るには、光閉じ込め構造の勾配を急峻にし、エッジは鋭く、壁面はナノレベルで滑らかにする必要があった。従来の微細加工技術では作製が困難で、サイクロトロン加速器の高エネルギーイオンビームを用いた。以来素材探しと作製法の改良を繰り返したのが「究極」から「至高」に至る4年間だった。

3次元集積に足場 TSMCジャパン研究開発センター、産総研つくばにクリーンルーム

半導体の受託製造で世界最大手のTSMC(本社・台湾 新竹市)の子会社、TSMCジャパンは24日、つくば市小野川の産業技術総合研究所つくばセンター内に建設していた3DIC(3次元集積回路)研究開発センターのクリーンルームの完成を発表し、同日オープニングイベントを開催した。 半導体を立体的に積み重ねて高性能化を目指す「3次元化」技術を研究する。TSMCとしては台湾以外に初めて開設する研究拠点となる。総事業費370億円の約半分に当たる約190億円を日本政府が支援する体制を組んでおり、2021年3月に3DIC研究開発センターを設立した。これまでに旭化成や信越化学工業など国内24社の半導体関連企業が参加している。 台湾本社から魏哲家(シーシー・ウェイ)最高経営責任者(CEO)がつくば入りし、萩生田光一経済産業相と会談した。式典に臨んだ萩生田経産相は「かつて世界を席巻した日本の半導体産業は凋落(ちょうらく)著しい。過去を反省して国際連携に可能性を見いだした。3Dパッケージの技術に日本の装置、材料メーカーの支援を得てイノベーションを起こしていきたい」とあいさつした。 あいさつする魏哲家CEO(左)と江本裕3DIC研究開発センター長 式典には国会議員のほか、大井川和彦知事、五十嵐立青つくば市長、石村和彦産総研理事長らが出席。口々に期待を述べた。

キログラム原器が重要文化財に 産総研の地下金庫で保管 つくば

つくば市の産業技術総合研究所(産総研、石村和彦理事長)の地下室金庫に保管されているキログラム原器が重要文化財に指定される。文化庁の文化審議会文化財分科会(島谷弘幸会長)が15日、文科大臣に産総研所有のキログラム原器と関連の原器類を、重要文化財「メートル条約並度量衡(どりょうこう)法関係原器」に追加指定することを答申した。 1kgの重さ130年間伝える 質量の単位「キログラム(kg)」は、メートル法にもとづく最も基本的な単位の一つ。この定義のために、メートル条約の理事機関であるパリの国際度量衡委員会は、1キログラムの具体的な質量を定める「国際キログラム原器」を1880年代に製作した。白金90%、イリジウム10%の合金でできている。日本にはNo. 6と番号付けされた原器が割り当てられ、1890(明治23)年に到着している。 以来、明治、大正、昭和、平成、令和の5つの時代にわたり約130年間、質量の基準としての役割を担い、日本の近代化および産業発展に貢献した。戦時下の1944(昭和19)年には、空襲から逃れるため、東京・銀座の中央度量衡検定所から石岡市の中央気象台柿岡地磁気観測所(現在の気象庁地磁気観測所)に疎開させるなど、原器は先人たちの英知とたゆまぬ努力によって受け継がれてきた。 それでも物体の形では質量の変動が避けられないため、キログラムの定義は2019年、普遍的な物理定数「プランク定数」にもとづく定義に改定された。産総研の研究チームも参加する、国際プロジェクトによる改定作業だった。これにより国際キログラム原器としての役割を終えたが、お役ご免ではない。引き続き、非常に優秀な分銅(ふんどう)として、我が国の質量標準の維持・管理に役割を果たすことになった。

千年前、千葉県沿岸で巨大地震 歴史記録にない津波跡を発見 産総研

産業技術総合研究所(AIST、つくば市東)は3日、千葉県九十九里浜沿岸で歴史上知られていない津波の痕跡を発見し、それが房総半島沖で発生した巨大地震によるものであると発表した。活断層・火山研究部門の澤井祐紀上級主任研究員、行谷佑一主任研究員らが、カナダ・ サイモンフレザー大学ら複数の研究機関との共同研究で明らかにした。 かつて陸地と海の境にあり現在は陸化した「海岸低地」と呼ばれる地形の地下堆積物は、過去数千年間の環境変動を記録し、数百~数千年に一度という低頻度の巨大津波の履歴を調べるのに適している。 一方、地震計や精密な地形計測など近年の機器観測は小さな断層のずれまで測定できるが、それらの機器ができる以前の断層のずれ(地震)は観測することができない。さらに歴史記録は人がいた場所しか記録されず、今回のような1000年前は泥炭地だったところは記録に残っていなかった。 産総研はこれまでに、過去に発生した津波の痕跡を調べる地質調査を日本各地で行ってきた。今回、海岸低地だった千葉県九十九里浜地域での掘削調査により、過去の津波の痕跡である津波堆積物を2層発見し、古い方の津波堆積物(砂層B)は約1000年前に堆積した、歴史上知られていない津波の痕跡であることが分かった。 太平洋プレートが沈み込むタイプは記録なし

2050年 脱炭素社会実現へ 吉野彰センター長が記念講演 産総研

産業技術総合研究所(産総研)つくばセンター西事業所(つくば市小野川)に整備されたゼロエミッション国際共同研究拠点の竣工記念シンポジウムが22日、オンライン開催された。研究センター長の吉野彰さんが記念講演し、2050年カーボンニュートラル実現=メモ=に向けた研究の方向性を示す中、ネガディブエミッション技術の導入について力説した。 吉野さんはリチウムイオン二次電池の発明者の一人で、19年のノーベル化学賞を受賞した。産総研が20年に設立したゼロエミッション国際共同研究センター(GZR)の研究センター長に就任した。 ゼロエミッション国際共同研究拠点が整備されたつくば西事業所の建物群(同) 総勢240人で国際共同研究拠点 つくばの研究拠点は、西事業所本館と別棟群の一部を改修し、3月末までに約1万2000平方メートル規模で整備した。つくば地区でカーボンニュートラルに関わる研究者とスタッフを集約する形で、1日現在総勢240人10チームの体制を整えた。

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C・フェルバーの「公共善エコノミー」 《文京町便り》14

【コラム・原田博夫】オーストリア・ウィーン在住のクリスティアン・フェルバーによる独語の「Gemeinwohl-Ökonomie, Deuticke im Paul Zsolnay Verlarg, 2010」の邦訳「公共善エコノミー」が、ドイツ在住の池田憲昭氏によって、2022年12月に鉱脈社(宮崎県)から出版された。この著作は2010年の初版以来、8カ国語に翻訳され、14カ国で出版されている。英語版も「Change Everything: Creating an Economy for Common Good, Zed Book, November 2019」(「すべてを変えよう~公共善エコノミーを創出することで~」)として出版されている。 私自身、国際「生活の質」研究学会(ISQOLS)第15回大会(2017年9月、オーストリア・インスブルク大学)で著者フェルバーの基調講演を聴き、その主張と講演スタイルに独自なものを感じた。主張は後述するが、講演スタイルは壇上を縦横無尽に動き回るのもので、その後、彼が作家であると同時にダンスパフォーマーとしても活動していることを知り、さもありなんと得心した次第である。

7月着工、来年3月ごろ開業へ つくば市旧茎崎庁舎跡地ドラッグストア

ドラッグストアの開業を提案した大和ハウス工業茨城支社(つくば市)を優先交渉権者に決定した、つくば市の旧茎崎庁舎跡地(同市小茎)の利活用について(22年9月26日付)、同市は24日、同茨城支社と23日、30年間の定期借地契約を締結したと発表した。 市公有地利活用推進課によると、今年7月に本格着工し、来年3月ごろまでにオープン予定という。当初、年内オープンを見込んでいたが、コロナ禍で契約締結協議などに時間を要し、開業が約3カ月遅れる見通しだという。 定期借地契約は今年7月1月から2053年6月末までの30年間で、土地賃借料は年約90万円。固定資産税評価額の改定があった時は見直す。 店舗予定地の敷地面積は約2700平方メートル、店舗面積は約1100平方メートル。 周辺住民から要望があった、青果や精肉などの生鮮食品を取り扱うほか、店内に約30平方メートル程度のフリースペースを設け、テーブルといすを置き、来店客が自由に利用できるようにする。さらに敷地内の店外に緑のあるオープンスペースを設け、テーブルといすを置き、来店客がバスを待ったりできるようにする。 茎崎庁舎は2010年4月に閉庁、16年1月に解体され、跡地は更地のままになっていた。(鈴木宏子)

お米を買ってもらい、谷津田を保全 《宍塚の里山》99

【コラム・福井正人】宍塚の里山を構成する重要な環境の一つに谷津田があります。冬にも水が張られた谷津田では、早春、ニホンアカガエルが多数産卵します。カエルが増えると、それを食べるヘビが増え、ヘビが増えるとそれを食べる猛禽(もうきん)類が増えるといった「生き物のつながり」が生まれます。このように、谷津田は生き物の生息域として重要な場所になっています。この環境を守ろうと始めたのが「宍塚米オーナー制」で、今年で25年目を迎えます。 人類が稲作を始めたころ水田が作られたのは、水が手に入りやすい谷津田のような環境だっただろうと言われています。しかし、現代のようなかんがい設備の整った水田耕作では、水が引きにくく、田んぼの形も不揃いで小さく、また周りの木々にさえぎられて日当たりも悪いといった問題があります。さらに、湧き水が入るために水温も低い谷津田の環境は、稲の生育にも作業する人間にとっても不利な状況になっています。 このように、生き物の生育環境としては重要でも、耕作条件としては不利な谷津田での耕作を続けていくためには、いろいろな工夫が必要です。例えば、里山のもつ公益的機能の恩恵を受けている非農家である都市部の市民にもお金や労力を提供していただくことです。私たちの会では、支援としての「宍塚米オーナー制」と労力としての「田んぼ塾」(現在の「自然農田んぼ塾」と「田んぼの学校」)を立ち上げ、谷津田での耕作を維持してきました。 「田んぼの学校」では、たくさんの子どもたちが自然と触れ合い、我々の主食である「お米」がどのように作られるのかを学ぶ場所になっています。 宍塚米のオーナーを募っています 宍塚米オーナー制では、毎年4~9月、谷津田の支援に賛同してくれるオーナーを募り、10月末に谷津田を耕作してくれている宍塚の農家からお米を買い取り、オーナーに発送しています。品種はコシヒカリで、宍塚の里山の猛禽類の象徴サシバにちなんで「宍塚サシバ米」と呼んでいます。

マスクを脱いで巣立ちも 筑波大で4260人の卒業式

筑波大学(つくば市天王台、永田恭介学長)の卒業式・学位授与式が24日、大学会館で行われ、スーツや袴に身を包んだ生徒らが新たな門出の日を迎えた。22年度の卒業・修了者は4260人。マスクの着用については自由で、一部の生徒らはマスクを外して式に臨んだ。 式典は学群が2回と大学院が1回の3回に分けて実施され、永田学長から各学群の代表者に学位記や卒業証書が手渡された。卒業生と修了生のみが参加し、家族や在校生らは会場の様子をライブ配信で視聴する形となった。式典後の祝賀会は開催せず、謝恩会については大学側が自粛を求めた。 永田学長は式辞で、筑波大が東京高等師範学校の創設から数えて150年を迎えたことや、昨年から文部科学省より指定国立大学法人に指定されていることを述べ、「みなさんがそれぞれに新しい挑戦をすることこそが、本学の価値を世界に発信することであり、みなさんに続く後輩たちの活動の幅を広げていく」と激励した。 卒業式で式辞を述べる永田学長 人文・文化学群日本語日本文化学類の鎌田真凜さん(22)は「コロナ禍での生活は、これまでの当たり前を覆すことばかりだった。オンラインが中心となり、友人や先生方と顔を合わせることすら難しくなった時期もあるが、同じ思いや悩みを抱えた仲間がいることが何よりも救いになり、変わり続ける状況の中でも学びを止めることなく進み続けてこられた」と述べ、教職員や地域の人々に支えてくれたことへの感謝の意を伝えた。 式典の前後には、卒業生が在校生や家族らと大学会館脇に咲く桜を背景にして写真を撮影し、喜びを分かち合った。人文・文化学群で西洋史を専攻し、卒業後は就職するという河野太一さんは「時の流れが速く感じ、うまく言葉にできない。対面授業からオンライン授業、オンライン授業から対面授業への切り替えに慣れるのが大変だったので感慨深い。卒業後は仕事と趣味を充実させたい」と話した。人間学群心理学類に所属する女性は「大学院に進学するので実感があまりない。臨床心理士の資格を取り、将来は心理の関係で働くことができれば」と将来の希望を話した。(田中めぐみ)