土曜日, 4月 27, 2024
ホーム ブログ ページ 9

《留学生エッセー》6 こんなに違う、日本とベトナム

0
「日本とベトナムの生活には多くの違いがある」というナムさん

経営情報学部経営情報学科3年生
グェン グック ナム

ベトナムから来たナムと申します。故郷はフンイェン省というところです。2013年4月に来日し、現在、筑波学院大学の3年生です。

初めて日本に来た時は、日本語はもちろん、日本の生活についても分からないことが多くて困りました。日本とベトナムは、同じアジアの国ですが、生活習慣や文化についてはたくさんの違いがあります。

日本の生活は、便利で、親切な人が多く、おいしい料理がたくさんあります。その一方で、物価が高く、生活費がかかります。今回は、私が気がついた日本とベトナムの違いを紹介します。

■ベトナムはコーヒー50円

日本では牛丼屋や回転寿司店で食べると1人500円ぐらいかかりますが、ベトナムではカジュアルな店では150円から食事ができます。またベトナムには喫茶店が多くあり50円ぐらいでコーヒーが飲めますが、日本の喫茶店ではそんなに安い値段で飲むことはできません。日本は喫茶店の代わりに自動販売機がたくさんあり、多くの人が利用しています。

■日本の大学生はよくバイトをする

ベトナムの大学生はあまりアルバイトをしません。する場合も家庭教師などに限られます。一方、日本の大学生はよくバイトをします。また業種も家庭教師だけでなく飲食店などでも働いています。私も日本では生活費をまかなうために週4回、回転寿司店でバイトをしています。バイトのメリットは社会経験をつめることです。私もバイトを通じて成長しました。一方、デメリットは勉強時間が少なくなってしまうことです。試験のときはとくに大変なのが悩みです。

■自転車は右?左?

日本の交通は左側通行ですが、ベトナムでは右側通行です、最初に日本で自転車に乗った時は、どちら側へ行くか迷いました。日本では電車を使っている人が多く、さらに日本の電車の時間はいつも正確です。一方、ベトナムでは電車がないので、ほとんどの人が移動には車やバイクを使っています。しかし大きい車とバイクが一緒に走るので、バイクが巻き込まれるといった交通事故もよく起きています。

ベトナムは日本と違って右側通行。道路には大きい車とバイクが混在するので交通事故も多い(イメージ写真)

■入学式は9月

日本の教育制度は小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年ですが、ベトナムでは小学校5年、中学校4年、高等学校3年、大学4年と少し違います。また日本の入学式は4月、卒業式は3月ですが、ベトナムでは9月に入学式(建国の父・ホーチミンが独立宣言をした9月2日の直後)、6月に卒業式を行います。

■日本の家族関係は冷たい?

ベトナム人は家族の絆が強いです。日本人からは強すぎるようにみえるかもしれません。20歳になったら親元を離れますが、休日のたびに実家に帰ります。結婚したら親と一緒に住むか、近くに住んでしょっちゅう様子を見に行きます。年をとった親も孫の世話をするので、寂しくありません。

それに比べると、日本人の家族の関係は冷たいように見えます。アルバイト先で一緒だったあるおばあさんは一人暮らしでしたが、子どもや孫はあまり来ないと話していました。私はかわいそうに思いました。ベトナムは老人ホームも高いので、家族で助け合い、親の面倒をみるという考えが一般的です。

国によって文化や人の考え方は違います。私は大学の研究テーマで、最近ベトナム人留学生の犯罪が増えているという問題を取り上げています。せっかく勉強しに日本に来たのに、社会になじめず、バイトばかりで勉強にもついていけなくなり、大学を中退して犯罪に走ってしまうのです。

私は将来日本でベトナム人留学生や実習生をサポートする仕事につきたいです。彼らに日本とベトナムの生活習慣や文化の違いを教え、悩みの相談にのることで、日本で勉強や仕事がスムーズにできるように支えたいです。

SNSで白菜のり巻きコンテストなど 筑波学院大生 八千代町活性化へ提案

0
八千代町商工会地域活性化推進委員会メンバーら(左側)を前に活性化策の提案をする筑波学院大学生ら(右側)=つくば市吾妻、筑波学院大学
ご飯ではなく塩抜きした白菜漬けでサーモンや卵、ソーセージなどを巻いた筑波学院大学考案の「白菜のり巻き」(同大提供)

【鈴木宏子】日本一の白菜産地、八千代町の活性化に取り組む筑波学院大学(つくば市吾妻)学生による初めての成果発表会が22日、同大学で開かれた。①SNSを活用し白菜のり巻きデザインコンテストを開催する②キャンプ場がある八千代グリーンビレッジでセグウェイ体験ツアーを開く③使わなくなった施設などに日本語学校を設立する―の三つの提案が出された。

昨年、同大と連携協定を締結した町商工会地域活性化推進委員会(高塚幹夫委員長)のメンバーらを招いて開いた。昨年12月、同委員会の案内で八千代町を見学した3、4年の学生と留学生10人が、3グループに分かれて提案した。

白菜のり巻きは、ご飯ではなく塩抜きした白菜漬けを使って、生サーモンやソーセージ、卵などをのりで巻き、花びらや子どもの笑顔などの形をつくる太巻きずし。白菜のしゃきしゃきした歯ごたえが特徴だ。

若い人の間で、ツイッターやインスタグラムなどのSNSに写真を投稿して見栄えを競う「インスタ映え」が人気なことから、若者に八千代町の白菜をもっと知ってもらう方法として、町ホームページのSNSでコンテストを開催し、地元高校生などに審査してもらったらどうかと提案した。

参加した同町まちづくり推進課の馬場俊明参事は「昨年10月、町のホームページでインスタグラムが始まったのでさっそくコンテストをやりたい」と即座に応じ、メンバーからは「白菜の産地に住んでいるが白菜のり巻きを食べたのは初めて」「酒のつまみにしてもおいしい」などの感想も出た。

提案した経営情報学部3年の志賀瑞歩さん(21)は「かわいい形にしたいと思った。まさか本当にコンテストを開いてくれるとはびっくり。若い人たちがツイッターなどで白菜のり巻きを目にしてくれるようになればうれしい」と話していた。

セグウェイ体験ツアーの提案に対しては、今年11月開催の「八千代の秋まつり」に同大が出店しセグウェイ体験ツアーを開催する、日本語学校については、手始めに町民が同大留学生をホームステイで受け入れるなどの方向が示された。

高塚委員長は「我々では考えつかないアイデアを提案していただいた。(白菜の加工・販売まで手掛ける)6次産業化できれば雇用の場も広がるので、提案をベースに進めていきたい」と話し「日本語学校の提案は、留学生が八千代町で日本の技術を学び、帰国して会社を起こしたとき、技術を教えた八千代町の企業が海外で活躍する機会にもなるのでは」と可能性の広がりに期待を寄せていた。

図書館カフェ「おいしいミュージアム」オープン 筑波学院大

0
大学や行政関係者にスイーツがふるまわれた=21日、筑波学院大学附属図書館

【鈴木宏子】筑波学院大学(つくば市吾妻)の学生が21日、同大附属図書館1階に図書館カフェ「おいしいミュージアム」をオープンした。県産の焼き芋、イチゴ、レンコンなどの食材を使ったスイーツと、コーヒー、ワインなどの飲み物を、地元笠間焼の器で提供する。

塚原正彦教授の起業入門講座「人が集まる”おいしいプロジェクト”をデザインしよう!」で学んだ2、3年生17人が、県の地方創生推進交付金を活用して「みんなのミュージアムカンパニー」を起業し、運営する。学生らは昨年11月から、食に関わる新しいビジネスを展開する地元起業家を授業に招き、計15回にわたって起業の志や仕事への思い、商品の提供の仕方や見せ方などを学んできた。

同大では今年4月から、地域資源を地域活性化に役立てる文科省の職業実践力育成プログラム「地域デザイン学芸員」の育成に取り組むことから、新しい学芸員に向けた訓練でもあるという。

図書館に設けられたカフェは、中央に大きなテーブルが配置され、学生たちが選んだ食や旅などの本が並べられている。ヨーロッパでカフェが生まれた17、18世紀は、カフェの中央に大きなテーブルがあり、文化や思想について議論が交わされ、情報交換の場となったことから配置したという。

スイーツのメニュー作りや、食材を紹介する絵本作りを担当した情報経営学部ビジネスデザインコース3年の村木奈緒子さん(21)は「県内の食材や器を通して、茨城の大地の力を知ってもらい、食べて楽しんで、本を読んで知識を付けてくれれば」と話している。

スイーツ食材の焼き芋を提供した「ポテトかいつか」(かすみがうら市)の貝塚みゆき社長は「地域の多様な企業とコラボして地域の食を発信しており、大変おもしろい試み」と感想を話し、指導した塚原教授は「ここにしかないワクワクする空間のミュージアムができたのではないか」と語っていた。

◆図書館カフェは3月10日までの2週間のみ開店する。開店時間は午前11時30分~午後4時。日曜休館。メニューは▽天使の魔法(焼き芋「紅天使」とコーヒー)500円▽ムセイオンの夢(イチゴ、サツマイモ、レンコンを組み合わせたスイーツ)880円▽大地のチカラ(専門家が選んだイタリア産ワイン)1杯500円など。

「おいしいミュージアム」に変身した附属図書館

《学生インタビュー》6  セグウェイがまちと私の距離縮めた

0
OCP活動で上がり症が和らぎ、卒業後は接客業も視野にいれる豊田モナミさん

筑波学院大学3年の豊田モナミさんは、つくば市をキャンパスにした同大の社会力育成プログラム「オフ・キャンパス・プログラム(OCP)」で市政策イノベーション部科学技術振興課が主催するセグウェイプロジェクトに参加した。セグウェイとは立ち乗り式電動2輪スクーターのこと。児童見守り活動やインストラクターとして試乗会で操作方法を指導した。「地域社会に溶け込んで貢献できる活動」と振り返り、「ながらスマホ」の危険性を呼びかける。

経営情報学部ビジネスデザイン学科3年
豊田 モナミさん
栃木県立真岡女子高校出身

 

―近未来を感じさせるセグウェイプロジェクトに参加されました。なにか理由があったのでしょうか?

私は人一倍内弁慶で、1年生の時に学年全体を前に朗読しましたが、頭から湯気が出るほど緊張して膝はガクガク、声は震えました。そんな私に何ができるか迷っていたら、地域コミュニケーション担当の先生に「ここがお薦めよ」と背中を押されて決めました。

―楽しかったことや苦心されたことはありますか?

主な活動は近隣の市立小学校と連携し、セグウェイに乗って児童の下校を見守るパトロールでした。クリスマスが近くなってヘルメットにサンタ帽を付けて行ったら「サンタさんだー」と子どもたちが近寄ってきました。あの時の笑顔は今でも忘れられません。

「まつりつくば」会場や牛久大仏、JICA(国際協力機構)筑波で行われたセグウェイ試乗会で、安全に走行できるようサポートするのも活動の一環でした。セグウェイはアクセルやブレーキがなく、重心移動で動きをコントロールします。体を前に倒すと進み、真っ直ぐにすると止まりますが、進むより止まる方が難しい。余分な力が抜けて直感的に運転できるまで、丁寧に指導することで搭乗者と親交を深めることができました。

JICA筑波での試乗会は来日している研修員が対象で英語で指導しました。市職員のアドバイスを受けて「安全な乗り物」であることを伝えるために、身ぶり手ぶりを交えて笑顔で乗り切りました。その一方で、研修員の英語が聴きとれずにパニック状態になりましたが、楽しそうにセグウェイに乗る研修員の皆さんの様子にホッとしました。

JICA筑波=つくば市高野台=で研修員にセグウェイの乗り方を指導する豊田さん(左から2人目)

―活動を通じて気づいたことはありますか?

通行中の市民に挨拶しながらの小学校区の見守りは、児童の交通安全と防犯に役立ち、地域社会に溶け込んで貢献できる活動だと感じました。また運転中や歩行中の「ながらスマホ」が多い事に気づきました。自戒しつつ、「ながらスマホ」が児童や高齢者にとって危険な行為だと呼びかけていきたいと思います。

―活動する前と後で何か変わりましたか?

前よりは人前で緊張しなくなったことです。言葉のキャッチボールまではいきませんが目標だったコミュニケーション能力の向上につながりました。背中を押されて運営に関わりましたが、人への苦手意識が吹っ切れた今は活動できたことに感謝しています。

(インタビュアー:橋立 多美)

《学生インタビュー》5 「頑張り通じた」 大道芸フェスで会場演出

0
日本語教師を目指す志賀瑞歩さん

筑波学院大学3年の志賀瑞歩さんは、地域に出て活動する同大の社会参加型教育プログラム「オフ・キャンパス・プログラム(OCP)」で、まつりつくばの「アートタウンつくば大道芸フェスティバル」に参加した。スタッフの1人として、出演者の看板を作ったり、来場者にフェイスペインティングを施すなど楽しい会場づくりを演出。コミュニケーションの大切さと素直になることを学んだという。「積極性が乏しい性格だったが、頑張ったら頑張った分だけ評価してくれる人に触れ、つくばへの愛着と関心が深まった」と話す。

経営情報学部ビジネスデザイン学科3年
志賀 瑞歩さん
福島県立平商業高校出身

 

―2年生のOCP活動に、まつりつくばの中で開催される「アートタウンつくば大道芸フェスティバル」を選んだ理由はなんですか?

「アートタウンつくば」は大道芸とアートが融合し、年齢や性別、国籍を問わず多くの人に笑いと驚きの2日間を届けるのが目的です。アートは文系の私にとって難易度の高いものでしたが、いろいろな人との交流を活動目標にして臨みました。

―活動してみてどうでしたか?

簡単で楽しいと想定していましたが実際は違いました。つくば市商工会が母体の実行委員会で、主な活動は発泡プラスチック系断熱材でキャラクターを形にしたり出演者の顔の看板を作るなど、会場を楽しく演出する装飾品作りでした。私の身長の半分ほどもある大きな星を制作したときは、何とも言い表せない達成感を感じました。

―活動を自己採点すると100点満点中何点になりますか?

30点です。マイナス70点は装飾作業班の皆さんに自分を知ってもらおうと、おしゃべりが過ぎて作業の妨げになったと思うからです。それから本番当日、来場者にフェイスペイントを施すことになりました。絵が上手ではないし、せっかく来場してくれた人に申し訳ないとネガティブになったことです。

フェスティバルの会場で来場者にフェイスペイントをする志賀さん

―目標は達成できましたか?

準備やまつり当日、後片付けまでの活動を通じて多くの人と交流することができました。喜んでもらえるかと不安な気持ちでフェイスペイントをしていた時、同じ作業班の4年生の先輩から「自信を持って」という言葉を掛けられ、立ち直ることができました。心温まるコミュニケーションの大切さと素直になることを学びました。

―社会力をつけるOCP活動がもたらした気づきはありますか?

積極性が乏しい私は、活動が必修科目で大学の支援がなければ、1人で「アートタウンつくば」の運営に加わることはできなかったと思います。そんな私に昨夏、実行委員会から「今年も手伝ってくれないか」と連絡があり、ボランティアで協力しました。以前の私には想像もできなかったことです。頑張ったら頑張った分だけ評価してくれる実行委員会の皆さんに触れ、つくばへの愛着と関心が高まったように思います。

―卒業後の進む道は決まりましたか?

日本語教師を目指しています。大学内にある留学生のための日本語教室で、授業を行う先生のアシスタントとして週1回実習しています。指導するための知識やスキルを身につけたいと思っています。

(インタビュアー:橋立 多美)

最先端のデザイン技術を駆使 筑波学院大生が卒業制作展 4日まで、つくば美術館

0
4年生らの力作が展示されている筑波学院大学メディアデザインコースの卒業制作展=県つくば美術館

【鈴木宏子】筑波学院大学デザインコースの卒業制作展が、つくば市吾妻、県つくば美術館で開かれている。地元特産品の商品ラベル、催し物のポスター、グルメ情報冊子などのほか、アニメ、3次元映像、3Dプリンター製品など、最先端のデザイン技術を駆使して制作した力作約100点が一堂に展示されている。

経営情報学部ビジネスデザイン学科の同コースで学ぶ4年生21人を中心に3、4年生が制作した作品が展示されている。今年度はスクリーンに立体映像を映し出したプロジェクションマッピングの作品も初めて制作された。

CG(コンピュータグラフィックス)で同大学の建物内を詳細に映し出した3D映像、就活をテーマに現代社会を風刺した短編映画、県内の特産品などをモチーフにまちおこしをする少女4人のゆるキャラアイドルユニットの人形などユニークな作品も展示されている。

見学に訪れた牛久市の大屋美枝子さんは「学生でなくプロが作ったとした思えない作品ばかり。一つ一つの作品の視点が面白くて、すごい。そのまますぐに商品になるのではないか」と驚いていた。

約8カ月かけ筑波山登山マップを制作した木村優花さん(21)は、何度か筑波山に実際に登り、設置されている看板などのサインをすべて写真に撮った上でマップを制作した。「筑波山のサインは文字だけのものが多く、トイレなど図柄のマークを付けた方がよいのではかと思った」と実際に現地を歩いて気付いた点を話した。

同大学の情報誌を作成した川澄奈々さん(22)は、台湾にも行き、大学についての若者の声を聞くなどして声を拾った。卒業制作展について「皆、かなりの時間をかけて制作したので、一つ一つの作品をじっくり見ていただければ」と話している。

病苦のイラクの子救おう 筑波学院大生がミニライブ 「チョコレート募金」呼び掛け

0
チョコレート缶を手に募金をPRする野田講師㊨、若松さん(中央)、石塚さん㊧=つくば市吾妻、筑波学院大学

【大志万容子】病に苦しむイラクやシリアの子どもたちを支援しようと、筑波学院大学の学生が3日、つくば市でミニライブを行う。14日のバレンタインデーにちなみ、同じ場所で行う「チョコレート募金」に併せて開くもので、学生らは「関心を持ってもらうきっかけになれば」と話している。

ライブを行うのは、若松音於さん(20)と石塚留菜さん(20)の2年生2人。

チョコレート募金は1缶550円のチョコレートの購入を通じて、イラクの劣化ウラン弾の影響が疑われる小児がんの子どもたちやシリア難民の子どもたちの医療を支援するプロジェクト。缶には小児がんを克服したイラクの19歳の女性が描いた絵がデザインされている。鎌田實医師が代表を務めるNPO法人「日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET=ジムネット、東京)」が主催する。

同NPOの活動に賛同した同大の野田美波子講師(39)が募金をPRするために、別の教員に依頼して「チョコレートのうた」を制作。さらに、イラクやシリアの子どもたちが描いた絵を使って、学生がアニメーション動画を作成した。注射や点滴を打たれた子どもたちもチョコレートの雨に笑顔になり、「ハッピー 、ハッピー」と合唱する内容だ。野田講師は「まずは面白そうと思ってもらい、そこから問題を知ってもらえれば」と話す。

3日のステージでは、動画を流しながら、若松さんがギター、石塚さんがピアノを演奏しながらデュオで「チョコレートのうた」を歌う。

「缶の絵を描いた少女が同世代ということを知ってショックをうけた」と若松さん。「病気で辛いのに他の子供たちを絵で励まそうとする姿勢に心を打たれ、自分も何ができるかを考えるようになった」という。「私たちの歌がきっかけで、少しでも子どもたちや募金活動に関心を持ってもらえれば」と熱を込める。

「チョコレート募金」は3日午前11時~午後4時、つくば駅前の商業施設クレオスクエアMOG1階プラザ・パフォーマンス・ギャラリーで。ミニライブは午後2時頃から。「チョコレートのうた」動画は(https://www.youtube.com/watch?v=y31TXTm66sg&feature=youtu.be)から閲覧できる。

地域に出て体験「視野広げた」 23組が活動報告 筑波学院大社会力育成プログラム

0
つくば市の「吾妻まつり実行委員会」での活動を報告する学生たち

【橋立多美】筑波学院大学(つくば市吾妻、大島愼子学長)の学生が地域に出て、地元企業や自治体、NPO法人、報道機関などの人々と協働して活動するオフ・キャンパス・プログラム(OCP)の2017年度学年報告会が29日、同大学で催された。さまざまな活動の中から優れた活動として認められた1~3年生23組が、映像を使いながら活動報告を行った。

在校生やOCPの受け入れ協力をしている企業担当者の他、関彰商事常務執行役員の岡本俊一さん、カスミ環境・社会貢献部の小島雅弘さん、つくば市科学技術振興課の久保田靖彦さんら10人の外部アドバイザーが出席した。

リサイクル活動に携わったことで物の価値に気づいたという報告や、里山保全活動を行って環境保全には人の手入れが欠かせず体力が必要だと分かったなどの報告があり、活動を通じてグループワークとコミュニケーションの難しさを学んだ体験や、コミュニケーションを醸成させ視野を広げることができたなどの成果が伝えられた。

県県南生涯学習センター(土浦市)が実施する子ども向け遊びの広場「エンジョイホリデー」の工作教室で活動した飯塚百香さん(2年)は「全ての子どもと話ができずに積極性が足りなかった」。また報告会について「活舌に注意して報告しプレゼンの勉強になりました」と笑顔を見せた。

OCP奨励賞は、つくば市の環境保全団体NPOつくば環境フォーラムでの里山保全活動と、エンジョイホリデーでの子ども向け工作教室活動のほか、茨城YMCAで活動した学生3組に授与された。

また学生を受け入れて通算10年となったつくば市の子育て支援団体「おもちゃライブラリーさくらんぼ」と、筑波山の環境保全団体「筑波山クリーンアップ大作戦実行委員会」に感謝状が贈呈された。同さくらんぼの拓植法子代表は「学生さんが加わってくれると子どもたちは大喜び。感謝状は仲間たちの励みになります」。

大島学長は「つくば市をキャンパスにしたOCPは、体で覚えて、多様な能力と社会力を高めてくれます」とした上で「今春、より社会力の育成を目指す地域デザインコースを新設します」と話した。

OCPは社会力育成プログラムで、学生全員必須の学びの場。1年が体験的活動、2年は30時間以上、3年生は地域への貢献を意識した60時間以上の活動に取り組んでいる。

OCP奨励賞を授与された学生たち(前列)。前列左から3人目は大島学長、後列は外部アドバイザー

学生がイベント企画や商品開発 筑波学院大地域デザインセンター 30日から卒業制作展

0
動物キャラクターを使ったクレオスクエア立体駐車場のサイン=つくば市吾妻

【橋立多美】学生の立場から地域の魅力を発信したり、イベント企画や運営、商品開発など、地域に根を下ろした活動で目を引くのが、筑波学院大学の「地域デザインセンター」(つくば市吾妻、センター長・大島愼子学長)だ。デザインを学ぶ学生が地域と関わりながら主体的に活動する拠点を目指し、2016年6月に発足した。同センターの成果を地域に知ってもらうための「卒業制作展」が、県つくば美術館(同市吾妻)で30日から開催される。

学生たちを指導しセンターをけん引しているのが、副センター長の高嶋啓准教授。神奈川生まれで東京芸術大学卒。7年前に同学院大に招へいされ、経営情報学部ビジネスデザイン学科メディアデザインコースで教鞭(きょうべん)をとっている。

センター発足から2年に満たないが、▽市内企業のウェブサイトデザインと制作▽地元農業法人の販売促進のためのデザイン▽県産品のパッケージデザイン▽市などとの連携による短編映画祭「つくばショートムービーコンペティション」の運営▽つくば都市交通センターと連携した、商業施設「クレオスクエア」立体駐車場サインのデザイン―など、産官学で連携しながら活動を展開している。

同学科に在籍する女子学生は、オープンキャンパス(大学施設開放)に訪れた際、クレオスクエアの立体駐車場を利用した。動物キャラクターを使った親しみやすいサインが学生たちによるものだと分かり、「この大学で学ぼう」と出願を決めたという。

メディアデザインコースはグラフィック系ソフトや映像表現の知識と技術、広報戦略の立案などを総合的に学ぶ。そして、地元企業などから同センターに寄せられるイベントや企画が実践の場になる。

高嶋准教授は「実践することで学生の経験値が上がり、創造力の育成につながる」と話し、「企業などの担当者と意思疎通を図る中でコミュニケーション能力も向上する。就職後は、ここで学んだデザインの価値や重要性をばねに活躍の場を広げてほしい」と言い添えた。

卒業制作展は2月4日まで。入場無料。

地域デザインセンター副センター長の高嶋啓准教授=筑波学院大研究室

《学生インタビュー》4 「エアショー」の進行管理を体験 些細なことも共有する大切さ実感

0
浦壁世弥さん

地域社会に出て活動する筑波学院大学の社会参加型教育プログラム「オフ・キャンパス・プログラム(OCP)」で、経営情報学部ビジネスデザイン学科3年の浦壁世弥さんは、土浦青年会議所(土浦JC)主催の「エアショー」の運営に関わった。当日はイベントの進行管理を担当。スタッフ全員で大きなイベントを成功させるための大切なことを学んだ。

経営情報学部ビジネスデザイン学科3年
浦壁 世弥さん
栃木県立益子芳星高校出身

―土浦青年会議所(土浦JC)を活動に選んだのはなぜですか。

コミュニケーション能力を高めたかったので多種多様な業種の方が所属するJCを選びました。

―どんな活動をしましたか。

2016年11月開催の室屋義秀選手を招いたエアショー「FLY AGAIN TSUCHIURA」でタイムスケジュール作成や当日のタイムキーパーを務めました。室屋選手は、小型プロペラ飛行機のタイムを競う世界大会「レッドブル・エアレース」で日本人として初めて年間優勝したパイロットです。

タイムスケジュールを担当した「エアショー」

―イベントを成功させるにはタイムスケジュールが重要なポイントになりますが、これまでに経験はありますか。

大学でのイベントでしか経験がなく、緊張でいっぱいでした。ゲストの到着時間を調整したり、各ポジションの動きに遅れがないか、人員が足りないところに適宜人を割り当てたりと、皆さんにアドバイスをいただきながら作成しました。その後何度も修正があり、ほとんどをJCの方の協力に頼ってしまったので正直悔しかったです。

―当日のタイムキーパーは忙しかったと思います。

壇上に上がる室屋選手や来賓のほか団体などをステージに案内したり、音響担当者の仲介をしました。時間が押したときは不安でしたが、JCの方と緻密にコミュニケーションを取りながらこなすことができました。

―この経験を通じて得たことはありますか。

イベントを開催するには1日全てをしっかりとイメージしておくことが大切だと思いました。些細なことでも分からないことを聞いたり共有したりしておかないと小さなミスが大きなミスに変わってしまうことを学びました。しかし「授業だから」ではなく、楽しんで進んで活動することができたのは良かったですね。

―エアショーの前の8月にはJCとの親睦を深めるため、小学生を対象にした1泊2日の「霞ケ浦キャンピングスクール」に参加したようですね。

小学生と霞ケ浦の水質調査や水鉄砲大会、レンコン収穫体験、カレーを作りました。子どもたちが寝静まったあと、JCの方と学業や将来の話をするなどして交流を深めることができました。将来はジャンルを問わず、顧客と直接関わる機会が多い職業に就きたいです。

(インタビュアー:谷島英里子)

セグウェイで児童見守り 活動5年目に 筑波学院大学生

0
校門前で子どもたちに「自転車に気をつけて」などと声をかける学生たち=つくば市吾妻の吾妻小学校前

【大志万容子】筑波学院大学(つくば市春日)の学生が、立ち乗り電動二輪車「セグウェイ」に乗り、市立吾妻小学校(同市吾妻)児童の下校時の見守りパトロールを行って5年目になる。通学路を巡回し下校する児童に声をかけ、危険な所をチェックする活動は、学生が地域に踏み出すきっかけづくりにもなっている。

19日の午後3時前。同大学前を出発した2台のセグウェイは、1列になってエキスポセンター前などを経てノバホール前までの同小通学路約1.5㎞を巡った。通行人に笑顔であいさつをしながら、通学路にゴミや危険な所がないかをチェック。小学校の校門前では止まって、下校する児童に「自転車に気をつけてね」などと注意を呼びかけた。

見守り後、同大2年の高野凌さん(19)は「下校する児童の列に入っていく自転車があり、危ないと感じた」。同2年の井坂友幸さん(19)は「急に自転車がすれ違ってくるので、自転車専用道路があればと思う」。同2年の押野健人さん(20)は「子どもたちが声を返してくれると、やっててよかったと思う」などと感想を述べた。

同大がセグウェイを使っての見守り活動を始めたのは2013年から。2年生の授業として、9月から1月までの期間で月2回行っている。同市の公道セグウェイ実証実験の一環でもある。参加する学生は全員「セグウェイ初級インストラクター」のライセンスを取得。見回り後、市や小学校への報告も学生が行う。

活動を指導する金久保紀子准教授は、5年間を振り返り「地域の方が学生に『今年もパトロールしてるのね』と温かい眼差しを向けてくださっていることを感じる」と述べ「活動は学生が地域に踏み出すきっかけづくりにもなっている」と語った。

1列になりセグウェイなどでパトロールする筑波学院大学生㊨=つくば市吾妻

《学生インタビュー》3 エアショーのパネルをデザイン 作品前に立つ室屋義秀選手に感激

0
野澤映美さん

地域社会に出て活動する筑波学院大学の社会参加型教育プログラム「オフ・キャンパス・プログラム(OCP)」で、経営情報学部ビジネスデザイン学科3年の野澤映美さんは、土浦青年会議所(土浦JC)を選んだ。同JCが主催する「エアショー」に準備段階から関わり、大会ステージに掲げるパネルをデザイン。当日は野澤さんの作品の前で、日本人として初めて世界一となった室屋義秀選手がトークショーなどを繰り広げた。

経営情報学部ビジネスデザイン学科3年
野澤 映美さん
県立石岡一高出身

―土浦青年会議所(土浦JC)を活動に選んだ理由、活動内容は。

多種多様な業種の方がメンバーとして活躍しているため、自分の知識を向上させられ、人脈づくりにも生かせると思いました。2016年11月、土浦JCが開催したエアショーに関わりました。小型プロペラ飛行機のタイムを競う世界大会「レッドブル・エアレース」で日本人として初めて年間優勝した室屋義秀選手を招いたエアショー「FLY AGAIN TSUCHIURA」です。

デザインを学んでいるので、ステージに掲げるパネルのデザインを任されました。とてもうれしい反面、皆さんに納得いただける絵が描けるのか不安もありました。

―制作は順調に進みましたか。

エアショーは霞ケ浦の上空を飛行機が飛ぶので、パネルの背景を霞ケ浦に決め、実際に現地に行って写真を撮りました。パソコンを使ってデザインしたのですが「Fly Again」の文字を雲のようにモコモコにするのがとても難しくて、提出したのが締め切り間近になってしまいました。

野澤さんがデザインしたステージのバックパネル

―エアショー当日、皆さんの反応はどうでしたか。

「シンプルで良い」ととても喜んでくれました。また、土浦JCからのサプライズでパネルの右下に私の名前を入れてくださいました。ステージで、私がデザインしたパネルを前に室屋選手、市長、ダンサーチームがあいさつする様子を見て感激しました。やって良かったと思いました。

当日は、小学生対象の飛行機模型作りのワークショップで、スタッフの仕事も担当しました。100人を超える子どもが集まり、焦ってしまうこともありましたが、午後になると要領がつかめるようになってスムーズにできました。

―この経験を通じて得たことはありますか。

大規模イベントを主催者側として準備から実施まで関わるのは初めてだったので、どれだけの人とお金と時間がかかっているのか、間近で感じることができました。

OCP報告会では土浦JCの方がいらっしゃって、花束をプレゼントしてくださりました。活動期間は5カ月間でしたが「大学生だけどJC土浦の一員になれたのかもしれない」と感じました。

今後もデザイン力を身につけて、デザイン関係の職業を目指していきたいです。

(インタビュアー:谷島英里子)

《留学生エッセー》5 前向きに生活 日本人の優しさのおかげ

0
一時帰国して透明なフブスグル湖を訪れたザヤさん(2015年撮影)

経営情報学部経営情報学科4年
ダバドルジ・アムガラン・ザヤ

私はモンゴルの首都ウランバートル生まれのダバドルジ・アムガラン・ザヤです。5年前の22歳の春、モンゴルから直線距離で3070㎞離れた成田空港に1人で到着しました。インターネットで探した取手市の日本語学校で2年間日本語を勉強し、2015年に筑波学院大学経営情報学部ビジネスマネジメント学科に2年生から編入しました。4年生になり、就職活動中です。

■日本の漫画読み興味

私が日本に興味を持ったのは、高校生の時にモンゴル語に翻訳された日本の漫画を読んだことです。その後、国際コミュニケーションを学ぶ大学に入学して日本のことを勉強。日本に留学したいという気持ちが大きくなり、両親が支援を約束してくれました。

日本の事情を知ったつもりでしたが、来日して困ったのが医療のかかりかたと携帯電話の入手でした。モンゴルの病院では日常的な病気や軽いケガなども診てくれます。日本でも同じだろうと、生理痛が辛くて総合病院に行ったらクリニックを利用するように言われました。また、心配している両親に連絡したいと携帯ショップに行きましたが、言葉が通じない上にプランが複雑で契約できず、日本語学校の先生が間に入ってくれました。手に入れるまでの3週間はとても不便でした。

日本語の上達と生活するために工場やコンビニ数店でアルバイトをしました。工場では何度でも仕事を教えてくれ、コンビニではお客さんが怒ると店のスタッフがかばってくれたりと、日本人の優しさのお陰で前向きに生活を送ることができました。

様々な国の留学生と出会い、一緒に大阪や京都などの観光地を見学し、日本の文化や歴史が分かるようになりました。どこに行っても治安が良く安心して旅が楽しめました。

■守る人でき強くなった

一昨年秋、霞ケ浦観光の船上にて撮影

2年前につくばで働くモンゴル人と結婚しました。モンゴルでは家族をとても大切にします。だから大好きな母国と家族から離れて留学するのは人生での大きな冒険でした。今は多くの国の中から日本を選んで良かったと思えるし、守らないといけない家族ができて強くなったと思います。

私は兄と弟との3人きょうだい。一人娘の私の留学を許してくれた両親にありがとうの気持ちでいっぱいです。これからも日本で働いて生きていきます。私はもう大丈夫。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《留学生エッセー》4 日本の女性はどうして?!

0
「日本の女性はすごく大変だと思う」と語るリンさん

経営情報学部経営情報学科4年
ドー ドゥエウ リン

私はベトナムの首都ハノイ東方のフンイェン省出身のリンと申します。
日本のことは、15年前に研修生として神戸と茨城で働いていた2人のおばさんから、日本での楽しかった話を聞き、写真やビデオを見せてもらい知りました。そして私もいつか日本に行ってみたいと思うようになりました。

2011年地元の高校を卒業すると10月から翌年3月までの5カ月間、ハノイの日本語センターで日本語を勉強しました。神戸と茨城のどちらに行くか迷っていましたが、センターで取手市の「日本語学校つくばスマイル」の先生の話を聞いて茨城の方が良いなあと思い茨城に決めました。2012年10月に日本に来ました。ベトナムでひらがなとカタカナは勉強して読むことは出来ましたが、漢字が難しくて不安でした。ここで1年半勉強して2014年3月筑波学院大学に入学しました。学費はお父さんと2人のおばさん達が協力して出してくれました。

■頑張ったアルバイト

1年生の時は専門用語の日本語が難しくて先生の話がよく分かりませんでした。分からない言葉は家に帰ってから辞書をひいて覚えました。週4日お弁当工場でアルバイトをしました。夜12時から朝6時まで働き2時間だけ仮眠して学校へ行く日もありました。自分の生活費は自分で頑張りたいと思ったからです。出来ない時はお父さんに出してもらうことになりますが、妹2人弟1人がいるのでお父さんにたいへんな思いをさせたくないと頑張りました。お弁当工場では日本語を話すことがないので2年生では回転ずしや居酒屋で働きました。日本語を話す機会を増やしたかったからです。2年生になると授業も分かるようになりました。

■日本とベトナムの男女の家事時間の違い

3年生の時に同じベトナム留学生と結婚しました。夫は家事を一緒にやってくれます。でも日本の生活を見ると日本の女性はすごく大変だと思います。日本人の1日24時間の使い方を総務省が調べた2011年のデータによると、炊事、掃除、洗濯に掛ける時間は女性2時間32分、男性は18分だけでした。ベトナムの同じようなデータでは女性2時間12分、男性1時間30分です。女性の家事時間はあまり変わらないのに男性の家事時間はだいぶ違います。日本もベトナムの男性も女性と同じ時間の家事をやってくれれば良いと思います。

 

■働く女性の多いベトナム

家事だけではなく日本の女性はどうして子供が生まれたら仕事を辞めるのでしょうか?
日本では8割(82.15%)の女性が妊娠、出産を機に退職するそうです。ベトナムでは妊娠して仕事をしている女性が珍しくなく、退職する人はとても少ないです。妊娠8.5カ月~9カ月まで働いて、産後3~6カ月で仕事に戻る女性が多いです。日本では、職場に妊娠中の女性や3歳以下の小さい子供のいる女性はあまりいません。とても不思議に思いました。女性と男性がもっと一緒に家事をすれば働く女性がもっと増えると思います。残業時間を少なくするなど男性のやる気が大事だと思いますが、女性ももっと男性を家事に引き込むようにするなど、女性の意識も大切だと思います。

ベトナムの女性は課長、部長、社長が30%います。ベトナムの会社数はアジアの中でも少ない方ですが、これからまた増加する可能性があります。逆に日本では女性は少ないです。日本の女性も家事時間を夫と相談してやってもらい仕事を増やせば、チャンスが増してストレスも減らすことが出来ると思います。

女性は妊娠して子供を産むまでは大変ですが、家事や育児を男性が同等にやれば家族ももっと幸せになると思います。

ベトナム留学生 子どもたちに食事振る舞い文化紹介 筑波学院大

0
筑波学院大学の学生食堂で開かれた「子どもビストロ」。女子中学生2人と中央で話をしているのがフィーさん

筑波学院大学(つくば市吾妻)のベトナム人留学生らが26日、同大の学生食堂に地域の子供たちを招いてカレーを無料で振る舞い、ベトナム文化を紹介した。「子どもビストロ」と名付けた食事会で、同大ビジネスデザイン科のフン・ドク・フィーさん(29)さんら4人が開いた。

子どもたちと食事をしながら自分たちの文化を紹介したいと思ったのがきっかけ。準備を進める中、日本の子どもの貧困問題や子ども食堂の存在を知り、市内の子ども食堂を見学して学ぶなどしてきた。

第1回目は大学関係者や市国際交流協会に声を掛け、子ども無料、大人300円で開催した。日本の小学生のほか、インドネシア、中国の小中学生と保護者など計約20人が参加し、学生食堂を運営するフランス料理店グルマンの協力で、甘い味付けのカレーやデザートを振る舞った。

食事の後は、ベトナムの食べ物や祭りなどの写真を映しながら文化を紹介。ベトナム語でじゃんけんゲームなども楽しんだ。

子どもたちからは「ベトナムはどのようにしてできた国ですか」「社会主義の国は日本とどう違いますか」などの質問が出て、フィーさんは「長い長い戦争があって、勝って、負けて、1976年に自由になった国です」「自分の意見を自由に言えて、平等な国です」などと答えていた。

フィーさんは「初めてで緊張した。できる限り社会貢献できれば」と話していた。ゆくゆくは月1回程度、子ども食堂を開きたいという夢があるという。(鈴木宏子)

子どもビストロを開いたベトナム人留学生4人

《学生インタビュー》2 ジャム缶のデザイン、挑戦と試行錯誤と喜びと

0
インタビューに答える大久保駿さん

経営情報学部ビジネスデザイン学科3年
大久保 駿さん
県立土浦第二高校出身

 

――昨年夏、県立水戸農業高校の生徒が授業で作るいちごジャムの缶のラベルをデザインしました。どうしてこの取り組みを選びましたか。

私はイラストやアニメの制作が好きです。この大学に入ったのは、学生が手がけた味噌のラベルデザインや企業のロゴデザインを見て、発信力のある大学だと思ったことがきっかけでした。ですから入学したら私もやりたいと思っていました。

――こちらがデザインしたジャムの缶ですね。全面にジャムの写真が使われていて、商品名も分かりやすいです。どのようなイメージで制作しましたか。

いちごジャムの瓶にラベルを張ったようなイメージでつくりました。
もともとジャムは水戸農業高校の生徒全員が実習で作るもので、学園祭の目玉商品だそうです。ところが何の商品か文字を見ないと分かりにくいという問題がありました。

左が大久保さんがデザインしたいちごジャムの缶、右が以前の缶

――このデザインを思いついたきっかけは何でしょう。

ジャムの缶は見るのも初めてで、最初はどのように制作すればよいか悩みました。そこでスーパーに何度も足を運び、販売されている缶のデザインを見比べました。すると気がついたことが2つあります。1つは缶のラベルには必ず中身の写真が使われていること。瓶なら中身が見えますが、缶は中身が見えません。「ああ、これか」と思いました。もう1つは、缶に載せる情報は、全体の3分の1で区切ると見やすいことです。スーパーで買った缶のラベルを切り開いて研究し、発見しました。
そこで全面にいちごジャムの写真を載せ、商品名と原材料などの詳細、同校のエンブレムをそれぞれ3分の1になるようにデザインしました。さらに自分ならではの工夫として、商品名の横にいちごのイラストを入れました。

―― 取り掛かってから完成までどれぐらいかかりましたか。

夏休みの終わりから本格的に取り掛かって3ヶ月ぐらい。メディアデザイン系の高嶋啓准教授にデザインのアドバイスをいただきました。いちごのイラストは高嶋先生に「イラストが得意なんだから描いてみたら」と言われ、本物のいちごを見ながら描いたものです。依頼主の水戸農業高校の先生にも何パターンかのデザインについて意見を聞き、反映させました。

――でき上がったラベルについて、水戸農業高校の先生の感想はどのようなものでしたか。

おいしそうなデザインと言っていただけました。特に工夫して描いたいちごのイラストを気に入っていただけたことがうれしかったです。文化祭での売上もかなり伸びたと後で聞きました。

――この経験を通じて得たこと、変わったことはありますか。

自分なりに頑張ったと手応えを感じたのはスーパーでのリサーチですね。写真を入れることや3分の1の法則を見つけたときは、すごく楽しかったです。
変わったことは、分からないことがあれば、自分だけで考えるのではなく、誰かに相談するということです。また難しい依頼があっても、真っ向から無理ですと断らず、折衷案を出して双方納得できるように物事を進められるようになりました。今取り組んでいる映像制作は、カメラマンやキャスト、監督と多くの人で取り組むので、その経験が生かせていると思います。
それから何かに取り組むときは、自分の得意分野をどこかに出すようになりました。今取り組んでいるCM制作の課題では、登場する商品パッケージも自分で作ったりしています。ふつうなら他の人に任せることも自分で作ることを通じて、オリジナリティーを出せるようになりました。

――残りの学生生活は、どのようなことに取り組みたいですか。

最初はデザインがやりたくて入学しましたが、今は映像制作など大勢の人の中でのものづくりに興味があります。映像系の仲間とつくった「チーム猫の手」では、11月に県主催の「いばらき結婚・子育てポジティブ動画コンテスト」でグランプリを受賞しました。造形美術にも興味があり、特撮のコスチュームを作っています。

結局、新しいことに挑戦し、試行錯誤しながら何かを作るのが好きなんですね。どうすれば良いものが作れるかを考えているときが一番ワクワクします。その意味で、ジャムのラベルデザインの取り組みはとても楽しかったです。

私にとって筑波学院大学の先生はとても相談しやすい存在です。休日でも電話をかけて「こういうのを作ったけどどうでしょう」と言うと、すぐに見ていただけます。コスチュームを制作するときも、機材や塗料を貸してくださったり、制作の場所を提供してくださったりします。やりたいことがしっかりしている人にとって大学の環境はとても恵まれていると思います。

(インタビュアー:大志万容子)

38大学50チームが熱戦 プログラミング国際競技 筑波学院大が大会運営

0
運営にあたった筑波学院大学実行委員と学生スタッフ(同)

大学生同士がコンピューターをプログラミングする能力を競う世界的な大会「ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト」のアジア地区予選が16、17日の2日間、つくば市竹園、つくばカピオで開かれた。国内外から38大学50チームが参加し、5時間にわたる熱戦を繰り広げた。情報分野の教育に力を入れる筑波学院大学(同市吾妻)がホスト校として大会運営にあたった。

東京大、筑波大など国内から31大学の43チーム、中国、韓国、シンガポールなどアジア各国から7大学7チームの約200人が参加した。3人がチームを組み、例えば10万通りあるさまざまな道路の最短コースを一瞬で導き出すプログラムをつくるなど、1台のコンピューターを使って問題を解き、正確さや速さを競った。

1位と2位を東京大のチームが独占し、韓国・ソウル大学校が3位に入った。優勝した東京大4年の劉鴻志さん(22)、3年の隈部壮さん(20)は「今年は素直な問題が多かったので早く解けた」と話していた。劉さんらは高校生のときからさまざまなプログラミング競技に出場し今年6年目の挑戦になるという。

ホスト校の筑波学院大からは学生ら約30人がボランティアで大会運営にあたった。(鈴木宏子)

相談しながら問題を解く大学生チーム(筑波学院大提供)
主催者から優勝の表彰を受ける東京大学のチーム

《学生インタビュー》1 本気で考え抜いた経験を将来へ

0
インタビューを受ける津田朱音さん

筑波学院大学は開学した2005年度から社会力豊かな人材の育成を目的に、つくば市をキャンパスにした社会参加型の教育プログラムОCP(オフ・キャンパス・プログラム)を実践している。

ОCPは必修授業で、学生全員が地元企業や自治体、NPО法人、報道機関などの人々と協働する。活動は社会教育、国際、文化、環境、まちづくりなど多岐にわたり、開学時から13年度までにОCPを支援し、学生を受け入れた地域の団体は169団体に上る。

社会に直結したОCP活動で何を知り、社会に羽ばたく道しるべになったのか、ОCPを経験した学生に話を聞いた。

経営情報学部ビジネスデザイン学科3年
津田 朱音さん
県立笠間高校出身

ーー2年生の夏、DAS(ダンス・アソシエーション・シーズ)で活動した理由は何ですか?

習ったことはありませんが子どもの頃からダンスが好きで、ここで出来たらいいなと。「幅広い年代の人たちとコミュニケーションをとる」「積極的に行動する」を目標に、キッズサマースクールのまつりつくばに向けたレッスンと合宿、本番のステージ発表のサポートをしました。活動時間は合計72時間でした。

ーー印象深かったのは?

小学1~4年の児童約30人でしたが、レッスン中に指導の先生から「休憩」の指示があっても、子どもはパワフルで休まない。その上言う事を聞かない、座らない、集まらないの無い無い尽くし。「誰が1番に座るか」と遊びを取り入れるなど工夫しました。熱中症や嘔吐する子もいて、子育て中のお母さんや大人数の児童を預かる先生の大変さが理解できるようになり、視野が広がりました。

まつりつくばの野外ステージ脇で出番を待つ子どもたちと

ー発見はありましたか?

「コミュニケーションとは会話すること」と思っていましたが、そうではありませんでした。子どもたちに学校で流行っている手遊びを教えてもらって、一緒に遊ぶことで打ち解けることができ、体を使うこともコミュニケーションの一つだと学びました。

合宿は筑波山中腹のつくば松実高校の体育館で行われ、山頂に近いロッジで宿泊しました。寝静まった10時、1人の児童がいないことが判明しました。山中で周りは真っ暗。オロオロしながらロッジの職員に自分の言葉で状況を説明して協力を求める場面がありました。人に伝えることの難しさが分かり、とても勉強になりました。児童は眠れずに外で風に当たっていたそうです。

それから責任感への考えが変わりました。活動前まで「自分には責任感はあるほうだ」と思い込んでいましたが、体験を通じて「責任は重い」を実感。それまでの責任感は責任ではなかったかも知れないと思います。

ーー学生生活にどんな影響が?

大学生のうちにできることは前向きに取り組もうと、ОCP活動後に学内で開催された「難民映画祭」に参画しました。難民キャンプの子どもたちが描いたイラストを使った映像と、ダンスを融合した学生主体のプロジェクトで、私は難民キャンプの廃棄テントを手に入れて衣装を制作。衣装を着てダンスパフォーマンスを披露しました。テントの生地は分厚くて縫うのに苦労しましたが達成感がありました。

また、元気にダンスを楽しんでいた子どもたちに刺激を受け、ダンスサークル「STEP」を立ち上げて代表になりました。大学体育館のトレーニングルームで週3回練習しています。ОCP活動で知り合ったDASの先生の協力を仰げるのも幸いしています。

ーー卒業後、自分のやりたいことは見つかりましたか?

まだ絞り込めていません。ただ、活動を通じて心底子どもが好きなことが分かったので、福利厚生の整った環境で子どもを産み育てたい。将来を考えると不安も付いてくる。でも、やれば吸収できるものがあるし、やらないのはもったいないと思ってます。

(インタビュアー:橋立 多美)

《留学生エッセー》3 一番好きな日本語は「一期一会」

0
中国・山東省青島市嶗山にハイキングに行った際撮った写真=2013年11月

                    情報デザイン学科2年 オウライ(王雷)

皆さん、こんにちは。王雷(オウライ)と申します。筑波学院大学2 年生です。2014年7月に中国の山東省から参りました。どうぞよろしくお願いします。故郷は春秋時代の中国の思想家、孔子と同じ、山東省の曲阜(きょくふ)です。街はユネスコの世界遺産にも登録されています。

中国では高校を卒業後、専門学校に入り、ホームページの制作などをするIT企業で4年間働きました。小さい頃、日本の漫画やアニメをよく見ていて日本にすごく興味があり、日本を選びました。姉も水戸市に住んでいます。きょうだい2 人とも日本に行ってしまい両親が寂しがっているのが気がかりです。

来日後は、東京の日本語学校で1年間学んだ後、筑波学院大学に入り、現在、情報システムコースで勉強しています。中国では主にプログラミングやシステム開発の仕事をしていたのですが、大学ではデザインも勉強しています。プログラミングは得意なのですがデザインはちょっと苦手意識があります。

学費と生活費を稼ぐため週5日、ファミリーレストランとコンビニでアルバイトをしています。疲れもあって休日は家で1人で過ごすことが多いです。勉強とアルバイトの両方を頑張らなくてはならないという、留学生のつらさも時折感じます。

もっと勉強して、卒業後はしばらく日本で働き、将来は中国と日本の二つの国を行き来するITの会社をつくりたいと思っています。

土浦キララまつりで筑波学院大の友達と出店した際の1枚(右端がオウライさん)=2017年8月7日

■日本文化のシャワー浴びたい

日本の歴史や文化にとても興味があります。日本語学校のとき、侍の歴史を紹介した都内の観光施設に行きました。よろいかぶとを着たり、居合いの体験ができとても面白かったです。日本の大河ドラマにも興味があり、京都や奈良にも行きたいですし、これから日本文化のシャワーを浴びたいです。

中国には「一衣帯水(いちいたいすい)」という言葉があります。両者は、一筋の細く長い流れで隔たっているだけで、とても関係が深いという意味です。中国と日本は一衣帯水の隣国ですので、昔からいろいろな交流がありました。両国の生活習慣と文化も深く結びついています。地理的な距離に加え、同じ漢字を使う国として、私は中国と日本をとても近くに感じます。

■人との縁大切に前に進みたい

私の一番好きな日本の言葉は一期一会です。日本語学校で初めて教わり、日本語の中で一番よい言葉だと思いました。一期一会は、茶道に由来する日本のことわざです。あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡ってこないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切にしましょうという意味です。

中国語には「十年修得同船渡」という言葉があります。本来は「十年修得同船渡、百年修得同枕眠」という中国のことわざです。その人と同じ船に乗るに至るまで前世に百年の試練があった、人と人の出会いは一生に一度しかないご縁なのだから誠意を尽くせと言う意味です。

日本に来て3年以上経ちました。中国を離れるとき親しい友達と別れ、知らない生活環境に変わりました。時間が経ち、日本の生活にだんだん慣れ、そして、日本、ベトナム、イラクなど様々な国の人と日本で友達になりました。周りの人に挨拶したり、バイト先の同僚たちと毎日元気に仕事をする日常の中で、日本社会の優しさを感じ、多様な文化に触れ、気が置けない友達を作ることもできました。

私たち人間は、一人で生きていくことは出来ません。人と出会うこと、それは縁です。今住んでいる地球には70億人いますけど、今、私たちがここで出会って、話をしていること自体、すごく珍しいことなのです。自分の無限の可能性を信じ、「一期一会」により、人との縁を大切に、前に進んでいきたいと思います。

《留学生エッセー》2 人生は1回、好きな道選びたい

0
筑波学院大学マックパソコン教室でプログラミングの最中

情報デザインコース2年 ヨウ チショウ(楊 智翔)

2014年4月、成田空港に到着したとき、私はとても複雑な気持ちでした。初めて日本に来た興奮、新しい友達と出会う期待、新しい生活に対する覚悟などを感じていました。何よりも大きな不安だったのは、未知の土地で自分ができることを探せるのだろうか、自分の未来はどうなるのだろうか、ということです。そのようなことを考えながら、飛行機から降り立ち、日本の生活への第一歩を踏み出しました。

空港から東京都内の留学生アパートに着くまでの間、私は日本のきれいな街と魅力的な風景に驚かされました。実際に暮らし始めて、その気持ちをさらに強くしました。道には本当にごみが落ちていません。平地や建物が多く、ちょっと山があったり街中に樹木もあったり、素晴らしいです。自分の出身地(中国・鄂州=がくしゅう=市)は人口が100万人超の都市ですが、これほどきれいな街や風景は珍しいものです。道路や建物への光の当たり方がとてもきれいで、「絵みたいだ」と何度も思いました。日本に来てから東京ディズニーランド、富士急、横浜などに行き、東京スカイツリーは遠くから見ただけですが、こうした街や観光地の存在だけでも、日本の生活への期待が膨らみました。

■日本語学校で育んだ友情と恋

中国には両親と兄がいますが、3人とも鋼鉄業界で一緒に仕事をしていて、留学費用を出してくれました。母は「世界のどんなところでも仕事ができるように一人前になりなさい」と送り出してくれました。

2年間通った日本語学校ではいろいろな国の人に会いました。シンガポール、アメリカ、イギリス、ベトナム、タイ、ドイツなどです。日本語学校には中国人も多くいて、自分のクラスで元彼女と知り合いました。友達もたくさんできました。彼らのおかげで、異国で恋と友情も体験しました。その間にはけんかや問題もおきましたが、大抵のことはなんとか彼らと協力して解決できました。

そのような出来事を通して、自分の短所を見つけることができました。私は物事に集中すると相手から話しかけられても無視してしまうようなところがあったのですが、そこを直して、友だちと一緒に成長することもできました。

筑波学院大学に進学するときに、元彼女と別れました。元彼女と友だちも各自の希望する大学へ行きました。今では、皆と会うことが少なくなりましたが、Facebookではメッセージを交換しています。大学に入ってからは、それぞれが新たな生活を始めています。

留学生仲間とともに東京都の中華料理店で(左端がヨウさん)

■プログラミングの仕事を夢見て

筑波学院大学を選んだのは、プログラミングを学べる環境があったからです。将来はプログラミングに関する仕事をしたいと思っていました。大学があるつくば市の環境も静かで、風景もきれいなのが気に入りました。都内にいるときは騒音がすごくて、いらいらしていました。

大学では最初、初級のウェブサイトの開発について独学で学びました。基礎が重要なので、今はとにかく、ウェブ開発と人工知能について基礎固めに集中しています。

実は、昔からプログラミングを勉強したいと思っていたのですが、一時期、私はプログラミングを勉強することをあきらめていました。子どもの時、出身地の周りの人に影響されたためです。その時の周囲の価値観は一緒でした。子どもが「お金持ちになる夢」を発表すると大人から褒められます。お金持ちとは経営者や医師、公務員などのことを指します。プログラミングの仕事に就く夢に対しては、大人の反応はあまりよくありませんでした。

今は、当時の価値観はおかしかったと感じます。お金持ちになることと職業の選択は矛盾しません。どんな職業でもずっと続けて経験を積んでいけば、自分で会社をつくることもできます。好きな職業を選び、続けた方が、お金持ちになる可能性が高いと思います。

■現実問題を解決できる人間に

お金を稼ぐことだけが人生ではありません。肉親の情、友情、恋、自己価値の実現なども重要だと思います。

今では、子どものころ、プログラミングの勉強をやめたことを後悔しています。人生は一回だけですから、好きなことを出来るだけやるべきです。筑波学院大学への留学は、私にとって本当にいいチャンスでした。

卒業まであと2年です。もっと自分は強くなって、現実の問題を解決できる一人前の人になりたいです。