Facebook
Twitter
Youtube
新着ページ
社会
科学
産業
暮らし
文化
教育
スポーツ
コラム
新型コロナ特集
NEWSつくばとは
役割と事業概要
理事長挨拶
役員と定款
お問い合わせ
プライバシーポリシー
コラムニスト紹介
サイトマップ
主なサポーター
ライター紹介
サポーター募集
検索
月曜日, 4月 6, 2026
新型コロナ特集
コラム
教育
文化
暮らし
産業
社会
科学
行政
スポーツ
検索
ホーム
2024
那珂市で夭折の画家・寺門彦壽展《邑から日本を見る》171
2024年11月11日
【コラム・先﨑千尋】今、那珂市戸崎の那珂市歴史民俗資料館で「色彩の貴公子 寺門彦壽(てらかど・ひこじゅ)展」が開かれており、彦壽の作品の他、デッサンやスケッチブック、日記、落款(らっかん)なども見ることができる。彦壽は同市下大賀出身の日本画家で、戦時中に22歳で亡くなった。近代日本画家の巨匠・横山大観から「天才少年」とたたえられ、養子にしたいという申し出があったと伝えられているが、無名のまま夭折(ようせつ)した。 彦壽は1918(大正7)年に静村(現那珂市)で農家の6男として生まれた。旧制水戸中学(現水戸一高)を出た後、東京美術学校(現東京芸術大)日本画科に入学し、41年に首席で卒業、答辞を読んだ。同校研究科に進学。同年6月に徴兵検査を受けた後、盲腸炎で亡くなった。在学中に大日美術院展などに入選している。 作品は市に寄贈される 彦壽の作品の大半は生家の蔵の長持ちに保存されていた。私はふとした縁でその作品群を見つけ、5年前に同市古徳の市総合センター「らぽーる」で1日だけの作品展を開くことができた。 一連の作品を見たとき、私は「日本画だけど洋画の趣もある。繊細で克明な描写が美しい。こんな素晴らしい作品を埋もれたままにしておくのはもったいない。彦壽も無念の想いだったに違いない。地元の人に見てもらい、近くにこんなすごい人がいたんだと知ってもらいたい」と考えたのだ。 その後、生家の当主・寺門直子さんは、作品の中には傷みが激しいものもあるため、1人で管理するのは難しいと考え、絵だけでなく、彦壽に関する資料類を市に寄贈することを決めた。寄贈を受けた市は、表具師に修復と額装を依頼し、このほどその作業が終わったので、那珂市制施行20周年記念行事の一環として今回の企画展にこぎつけた。 「カンナ」「田端駅展望風景」 今回の作品展には、大観が見たと思われる小学生時代の「水辺の少年たち」や中学生時代の「牡丹と雛」、「洋蘭と雀」と習作、美術学校時代の「少女」「カンナ」「田端駅展望風景」などの大作の他、絶筆となった日記なども展示されている。 私は今回の作品展に掲示された作品群を見ながら、「彦壽は今の医療技術なら、盲腸炎で命を落とすことはなかっただろう。存命だったら思う存分に画才をふるい、同校卒で文化勲章を受章した東山魁夷や杉山寧らと並んで、わが国でのトップクラスの日本画家になったのに」と、80年以上前に亡くなった彦壽に想いをはせている。 彦壽の作品展は11月30日まで(月曜休館)。関係者は、企画展終了後、これらの作品を地元の瓜連小学校で展示し、子どもたちや父母に見てもらうことも予定している。(元瓜連町長)
ブリキの缶、物語のはじまり《続・平熱日記》169
2024年11月10日
【コラム・斉藤裕之】必要に迫られて2階にちょっと手を入れることになった。2部屋に仕切られていた壁を抜いて一続きの部屋にする。そう聞くと大変そうだが、SDGsを先取りした我が家の壁はビスで留められた針葉樹合板でできているので、インパクトドライバーで作業すること小1時間、あっさりと壁は取り払われた。 それはそうと、部屋の隅に積み上げられた透明の衣装ケースや中身のよくわからない段ボールをどうしたものか。 捨てるもの、だれかに使ってもらえそうなもの、とりあえず保留…。もう何年も開けたことがないということは、全て処分してしまっても多分困らないのだが…。しかし、これまでに何度も同じようなことが繰り返されて、目の前の衣類や段ボールの中身は生き残ってきたはずだ。 ある段ボールにはカセットテープ、それから年賀状や手紙の入った箱。それから捨てられないのが、子供たちの描いた絵、ノート、賞状など。そんな子供たちの思い出の箱から、ブリキの缶を見つけた。開けてみると、特に何ということはない小さな人形やシール、キャラクターのカードなどが入っている。 若いころ住んでいた東京の西の街に、「ブリキ缶」というカフェがあった。文字通りアンティークの缶が飾ってある小さなカフェで、同じ通りには古着屋や古書店などもあって、田舎者の私が当時のカウンターカルチャーに出会った場所だ。確かに、ブリキの缶はキッチュなデザインや色が時間と共に古びていく感じがなんともいえない味となって、鑑賞に値するオブジェとなりうるし、今でも出かけた先でお土産物を選ぶときなどは意外に缶のデザインに引かれて買ってしまう自分がいる。 手紙、裁縫道具、領収書、写真… ドラマや映画では、この手の缶の中身が重要な手掛かりになったり、お宝が隠されているシーンを見かける。多分、ブリキの缶は何かをしまっておくのに「ちょうどいい」のだ。大きさといい素材といい、それから少し安っぽいところとか。 もし缶がなかったら、お宝も思い出も秘密も埋めたり隠したりできなかったかもしれない。そして、ブリキの缶は物語の始まり、きっかけにはもってこいの小道具。昔はいただいたクッキーを食べた後の缶やノリの缶なんかは何かの入れ物にしてとっておいたものだ。 というか、何かの入れ物になるかもしれないと思って捨てられないでいたというか。するとそのうち、ちょうどいいものがちょうどいい缶に収まる。手紙、裁縫道具、領収書、写真…。私も何かサプライズなものを缶にしまっておこうか、宝の地図とか…。おや、この缶は? 台所の棚にある赤い缶を開けたら、古い落花生が出てきた。 ひと続きになった部屋には低くなった陽の光が差し込んで心地よい。子供たちの思い出の缶はそのまま元の箱に戻すことにした。(画家)
人と街と文化《遊民通信》100
2024年11月9日
【コラム・田口哲郎】 前略 おかげさまで、このコラムも100回を迎えることができました。御礼申し上げます。散歩好きの文明批評家との肩書きをいただき、徒然(つれづれ)なるままに好きなことを書かせていただいたことは、とてもありがたく感謝しております。 大学院の博士課程にいながら、キョロキョロしながら街を歩いてコラムを書いています。すべてが遊歩の話題とはいかないのですが、今回は原点に戻って、散歩者から見た街について書いてみたいと思います。 先日、東京で開催された、とある学会に参加したとき、とある学者さんとお話しする機会がありました。その先生は、とある地方都市にお住まいです。出身地は知りませんが、大学は東京だったそうです。 先生は都心の街を眺めながら「東京は良いなあ」と何度もおっしゃるので、「何がそんなに良いんですか」と聞きました。すると「東京は良いよ、文化があるもの。私が今住んでいる街には文化がない」とぼやいていました。 学会のお昼休みに都心の繁華街に行ったのですが、小さな飲食店が並ぶいわゆる裏路地を歩いているときにも、「良いなあ」。入ったのはその街で何十年も営業している、風情のあるカフェでした。「文化があるなあ。飯もうまい」と、終始満足そうな顔をしていました。 その先生が住んでいる地方都市は住みやすいと聞きますし、文化ももちろんあるし、食べ物もおいしいところだと思います。「文化」をほめたたえる先生の真意はなんだろうと私は考えました。もちろん、個人的な好みもあると思いますが、東京が持つ「文化」とはなんでしょうか。 群集が街の文化をつくる たしかに、茨城県南、土浦・つくば市と東京の繁華街を比べると、郊外と都心という違いがあります。土浦は歴史ある街ですし、アーケイド街もあるので都心の要素もあると思います。でも、圧倒的に異なるのは、昼間にも夜間にも人がたくさんいるということでしょう。いまの都心は人混みの程度が、インバウンドもあって大きくなっている気がします。 郊外のお店は混んでいないので入りやすいですが、都心のお店は席がなかったり、行列していたりする。しかし、それは人の通行量の違いがなせるわざです。 こう考えると、街の文化の礎とは雑踏、人混みなのではないでしょうか。前にも紹介しましたが、エドガー・アラン・ポーの「群集の人」という小説があり、その主人公の老人はひたすら街を歩き、カフェで休憩します。最後は雑踏に消えてゆきます。群集がいてこその街なのです。 コロナ禍では街に人がいなくなりました。それも終わり、人も価値観も元通りになっている。でも、コロナ後はコロナ前とは何かが違うはずです。遊歩者を自認する者として、人と街の関係について注意しながら文明を観察してゆきたいと思います。ごきげんよう。 草々 (散歩好きの文明批評家)
道路工事中に個人宅の光回線ケーブル切断 つくば市
2024年11月8日
つくば市は8日、市が発注した同市花室の歩道整備工事で7日午後2時ごろ、請負業者が市道の電線付近で作業を実施し、油圧ショベルのアームを持ち上げたところ、光回線ケーブルの電線を切断してしまったと発表した。 光回線ケーブルは個人宅への引き込み線で、切断により1軒でインターネットサービスが一時利用できなくなった。業者はNTT東日本に復旧を依頼、個人宅に謝罪し状況を説明した。インターネットは2時間ほどで復旧したという。 市道路整備課によると、業者が周辺状況に注意を払っていなかったことが原因。市は同業者に対し、周辺状況を把握して細心の注意を払って作業するよう指導したとしている。さらに現在、市の工事を受注している全業者に対しても注意喚起を徹底し、再発防止に努めるとしている。 同市では2021年5月にも道路工事中に光回線ケーブルを切断する事故が発生。今年8月には水路の除草作業中に光回線ケーブルを切断する事故が発生している。
独自の発展遂げる茨城の伝統工芸を紹介 スタジオ’Sで企画展 つくば
2024年11月8日
つくば市二の宮のギャラリー「スタジオ’S」(関彰商事つくば本社内)で、県内にて伝統工芸を維持しながらそれぞれが独特な発展を遂げてきた作品を紹介する企画展「常陸国が誇る-進化する伝統工芸と匠の技-展」が7日から始まった。展示されているのは、いばらき組子、笠間焼、桂雛、大子漆/八溝塗、西ノ内和紙、本場結城紬、水府提灯/すずも提灯など7つの分野で活躍する作家らによる作品80点余り。 主催する関彰商事は文化事業の一環として、茨城県を中心とする全国の優れた伝統工芸品などを紹介する「クラフテリアートギャラリー」を2022年に同社東京オフィス(東京都千代田区丸の内)内に開設した。同ギャラリーのキュレーター津延美衣さんは「クラフテリアートとは、クラフト・インテリア・アートを組み合わせた造語。クラフテリアートを通じて、日本の文化でもある伝統的な工芸技術・技法による作品と、伝統と革新が融合する現代のニーズにあった素敵な作品を国内外の多くの方にご紹介し、作り手・売り手・購入者がともに喜びを感じることを心より願っている」と思いを込める。 今回つくばの企画展に関して津延さんは「日常生活の中で育まれてきた日本人の知恵と熟練を要する伝統の技を継承しながら、他県ではあまりない独自のスタイルを追求できることにより進化を遂げている匠の技など『灯台下暗し』と思われるそれらの素晴らしさを特に県内の方々が再認識するとともに周知していただき、茨城県伝統工芸のさらなる発展につながると幸いです」と語る。さらには「茨城に伝わる優れた原材料を生み出し国内の伝統文化を支えている全国第2位の生産量を誇るのは上質な『大子漆』で輪島塗に、県北地域で作られる和紙の優れた原料になる『那須楮』は日本三大和紙の美濃和紙や越前和紙の原材料となっている一方で、それらを活用するべく県内においての伝統工芸の担い手が不足している現状は深刻な問題」と指摘する。 会場には、▷2021年に厚生労働省による「現代の名工」に選ばれ、22年には黄綬褒章を受章した小美玉市で「いばらき組子」を作る「安達建具」の3代目を務める木工職人の安達克敏さんと、父の技術を受け継ぐ将伍さん、▷鮮やかな草花や、筆を用いたモノトーンを笠間焼で表現するグラフィックデザイナーから陶芸家に転身した大貫博之さん、▷城里町で茨城県郷土工芸品に指定され、城里町無形文化財指定の認定を受けるひな人形「桂雛」を作る「桂雛喜凰」3代目の人形師・小佐畑孝雄さん、▷自ら漆の木を育て大子産の漆を用いた漆器「八溝塗」を作る常陸大宮市の有限会社ウェアウッドワークを営む木漆工芸家の辻徹さん、▷常陸大宮産の那須楮を使用した西ノ内和紙作りを継承する「西ノ内和紙 紙のさと」4代目の和紙工芸家・菊池大輔さん、▷奈良時代に常陸国から朝廷に献上されていた「絁(あしぎぬ)」が原型ともいわれる結城紬を、従来の着物や帯以外にもコートやショール、バッグなど現代の暮らしにあった形で表現する「結城 花田」の花田啓子さんと長男の千裕さん、▷1865年に創業し水戸で水府提灯を作り続け、現在は7代目鈴木隆太郎さんが受け継ぐ「鈴木茂兵衞商店」と水戸市出身のビジュアルアーティストのミック・イタヤさんとの協働によるアートオブジェにもなる新しい提灯「すずも提灯」などの作品が並ぶ。 ◆「常陸国が誇る-進化する伝統工芸と匠の技-展」は7日(木)から28日(木)、午前10時から午後5時まで、つくば二の宮1-23-6 関彰商事つくば本社内、スタジオ‘Sで開催。土日祝日は休館。入場無料。
高低差3メートルの情熱《くずかごの唄》143
2024年11月8日
【コラム・奥井登美子】 「この前の道路、昔は霞ケ浦の入り江だったのよ。私が初めて土浦に来たとき、その風情がまだ少し残っていたわ」 「えっ、霞ケ浦から2キロも離れているのに」 「あの辺に柳の並木なんかあって、料亭・霞月楼に行くのに、阿見の人たちは船に乗ってやって来て、風情のある小道を歩き、料亭を利用していたらしいわ」 「その料亭、今でも残っているの?」 「そのまま残っていて、この間、霞月楼に伝わる絵や書の名品展が行われたの」 歴史のある料亭が昔の形で残っているところは、少なくなってしまった。しかし土浦には、霞月楼という老舗料亭が昔のままの形で残っている。 9月下旬、「湖都・土浦を語る」と題したトークセッション(29日)と、霞月楼に伝わる絵や書の写真展示会(24~29日)が行われた。トークセッションの講師の1人、高野史緒さんは娘の友達。もう1人の清水亮先生は、慶応大学の学生を連れて奥井薬局の展示コーナーに来てくださった。 私道を100メートル歩いて出勤 土浦市内の旧中城通りは昔の水戸街道。昭和のころには、鈴木薬局、奥井薬局、山口薬局、土浦薬局と、120メートルぐらいの街道沿いに薬局が4軒もあり、お互いにしのぎを削っていた。一軒置いてお隣の山口薬局さんとは、どちらが先にシャッターを開けるか、毎日競っていた。 私はそういう競争がアホらしくて、父母に店の引っ越しを勧めてみたが、「奥井薬局は、土浦城から出て、水戸街道にぶつかる一等地です」と。 徳川時代の一等地から離れようとしない父母が亡くなってすぐに、私は我が家の敷地の尻尾に薬局を移転してしまった。昔の霞ケ浦の入り江だったところである。家はそのまま昔の水戸街道沿いにあるから、毎朝、弁当やお花、飲み物など手押し車に積んで、私道を100メートル歩いて出勤する。 家(水戸街道沿い)と薬局(霞ケ浦入り江)のある場所は3メートルの高低差がある。手押し車にとっては、ちょうどいい傾斜を歩くことになる。江戸時代、街道を湖の高さから3メートル上げて造った道。土をどこから持ってきたのだろう。この辺りは低地だから、土砂を殿里あたりの台地から運ぶしかない。 人の手だけで運んだのだからすごいなあ。私は毎朝、江戸時代の人に感謝しながら歩いている。(随筆家、薬剤師)
「ながら運転」罰則強化受け 並木中等教育学校で自転車安全講習会
2024年11月7日
県立並木中等教育学校(つくば市並木、柴崎孝浩校長)で7日、中学生向け自転車安全講習会が実施された。道交法改正により11月1日から携帯電話を使用しながら自転車を運転する「ながら運転」に罰則が設けられたなど、自転車の安全運転に対する意識が高まっていることから、電動アシスト自転車メーカーのパナソニック サイクルテック(大阪府柏原市、稲毛敏明社長)が開催した。 中学1年生160人を対象に、通学で使用する自転車に安全に乗るためのポイントや運転ルールを、座学と試乗を交えて解説した。同社の自動車安全講習会は全国で4カ所目。 同社事業企画課の山本力也さんが、体育館のステージにスライドを写しながら、ヘルメットの着用や安全な乗り方、「ながら運転」の罰則強化など道交法改正について説明した。 続いて1年生全員が、同社が用意した電動アシスト自転車15台に代わる代わる試乗し、直進したり、目印の周りをジグザグに走ったりしながら安全運転について確認した。 参加した中学1年の生井夢さんは「電動自転車は少しペダルを踏むだけでスピードが出るので少し怖かった。通学では3キロ自転車に乗る。今日の講習会を受け、安全に心掛けたい」と語り、中村そよさんは「電動自転車は普段使っている。正しく乗れば安全。今日の講習会はとてもためになった」と話していた。 同社の山本さんは「電動自転車は安全に乗れるものなので徐々に普及している。坂の多い地域などでは80%が利用している学校もある。メーカーとしては自転車の安全性を高める工夫をしており、合わせて啓蒙活動を行うことで、ハードとソフトの両方を充実させていきたい」と話す。 11月1日の道交法改正では、携帯電話などを手に持って、自転車に乗りながら通話する行為と、画面を注視する行為が新たに罰則の対象になり、違反者には6カ月以下の懲役、または10万円以下の罰金が科される。さらに自転車の酒気帯び運転にも罰則が設けられ、違反者には3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科される。酒気帯び運転に関しては、酒気帯び運転の恐れがある人に酒類を提供したり、自分を送ってほしいと同乗したり、自転車を提供した場合も罰則が科される。(榎田智司)
演奏と朗読など融合し研究成果を発表 フランス音楽研究会がサロンコンサート
2024年11月7日
サティの詩を新訳で披露 10日、つくば 夢工房 つくばを中心に活動する「フランス音楽研究会」(阿部理香代表)が10日、つくば市豊里の杜、ギャラリー夢工房でサロンコンサートを開く。今回は「エリック・サティ氏の気晴らし」と題し、20世紀初頭のフランスで活躍した前衛音楽家サティと、その同時代人であるラヴェル、ストラヴィンスキーの作品も取り上げる。 コンサートの白眉は、サティのピアノ小曲集「スポーツと気晴らし」の全曲演奏。ゴルフ、ブランコ、ヨット、魚釣りなど、当時のブルジョワジーの風俗を題材にした全21曲の詩曲集だ。サティの詩は風刺やウィットに富み、今回のコンサートではそれを新訳で披露する。 フランス音楽研究会は2003年結成。近代フランスの作曲家を中心に、文化的背景と音楽表現の関わりなどを異分野融合的に研究し、その成果を演奏と詩の朗読、文化的レクチャーを融合したコンサートとして発表している。 代表の阿部さんはメゾソプラノ歌手で「カルメン」「フィガロの結婚」などのオペラに出演。文学、美術、風俗などの異分野を融合した探求を行い、総合芸術の視点でフランス音楽を研究している。 「スポーツと気晴らし」は、高級ファッション誌を手掛けていたパリの出版社が企画し、サティの手描き楽譜と風俗画家シャロル・マルタンの版画をコラボレーションした豪華本として1923年に発表された。当初は1914年の出版予定だったが第一次世界大戦の勃発により中断、約10年の間に流行や価値観が大きく変化したため、マルタンが新たに絵を描き直した。 「新旧の版を比較すると、女性がどんどん自由になっていく過程が分かり面白い。例えば第17曲『そり』は、旧版では男性に押してもらっており、新版では女性が一人で滑っている。第8曲『海水浴』は自由奔放に海に飛び込み、泳ぐ女性たちの姿が生き生きと描かれている」と阿部さん。 サティの音楽については「親しみやすく常に新しい。単純な音で時代を超え、耳にすればみんなが知っている。環境音楽のはしりとも言える人。権威に背を向け、自分の個性を大事に生きた」と阿部さんは評する。 「サティが生きた19世紀末から20世紀初頭にかけては、みんなが新しいものを探していた時代。美術、音楽、ファッションなどが同時に進化し、その様子は音楽だけを見ていたのでは捉えきれない」 当時は女性の力が強まり、アカデミーという既存の権威をひっくり返すほどの力も持っていた。有産階級の女性が主宰したサロンでは、アカデミーのようなヒエラルキーはなく、芸術家たちは自由に新しい自分の芸術を追究することができたという。 サティもまたアカデミーに背を向けた異端児で、モンマルトルのキャバレーのしがないピアノ弾きをしていたが、「ベルエポックの女王」と呼ばれたミシア・セールの抜擢により脚光を浴びることになった。ミシアはロシアバレエ団の創始者ディアギレフのパトロンでもあり、ディアギレフはバレエ作品「パラード」の音楽にサティを起用、そこにはコクトーやピカソ、ストラヴィンスキーら時代の寵児も多くかかわっていた。 「ストラヴィンスキーやラヴェルはサティより一回りほど年下だが、サティよりはるかに売れっ子で、それでいて互いに認め合う仲だった。サティの音楽は10年早かったとも言える」と阿部さん。そうした点もコンサートで確かめることができる。(池田充雄) ◆フランス音楽研究会のコンサート「エリック・サティ氏の気晴らし」は11月10日(日)、つくば市豊里の杜2-2-5、夢工房で開催。開場は午後2時、開演は2時30分。演目はラヴェル:マ・メール・ロワより、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」イタリア組曲より、サティ:ジムノペディ、1916年の3つの歌、スポーツと気晴らし、あんたが欲しい。料金は2000円、「茶-tea」付き。申し込み・問い合わせは電話029-852-7363(阿部さん)へ。
北海道は北京郊外の山とそっくり《医療通訳のつぶやき》12
2024年11月7日
【コラム・松永悠】10月末に初めて北海道に行ってきました。うちには犬も猫もいるため、家を空けることがなかなか難しく、北海道に行くなんて夢のまた夢でした。 今回はご縁があって、札幌や函館といった有名な観光地ではなく、稚内まで飛んだ後、さらに浜頓別というオホーツク海に面した小さな町に行くので、この旅はどんなものになるか予想もつきませんでした。 結論を言うと、最高の思い出が出来ました。観光シーズンが終わったこと、そして観光地ではない場所として、ディープな北海道の一面を見ることができました。 滞在中、毎日車で移動して、オホーツク海側も日本海側も見て回ることができて、いろいろ感無量です。同じ海でも、東京付近の海と全然雰囲気が違うんですね。オホーツク海も日本海も荒く、そして力強く、とにかく圧倒されっぱなしでした。海沿いに道路があって、高速ではないのに、交通量が少ないから信号なしでスイスイ行けます。 もちろん、海だけじゃないです。広大な平原と山林が途切れることなく延々と広がっています。実はここで意外な収穫がありました。初めて行ったのにも関わらず、この景色を見て私はとても懐かしく感じたのです。 「何もない」を楽しむ時間 この懐かしさはいったいどこから?としばらく観察したら、理由が分かりました。この風景、実は北京郊外の山とそっくり。目の前に広がっているのは子供の時から慣れ親しんだ景色そのものです。緯度的には、北海道が北京より北の方ですが、植物の種類も広大な感じも紅葉の色も驚くほど似ています。 今回の行き先は北海道の最北端に位置するため、行く先々で「最北端の〜」と出合います。土地が広いのに人口が少なく、出合ったエゾジカの数が人間より多いほどです。こんな場所ですから、夜になると文字通り「真っ暗」になります。ナイトサファイアに出かけたら、ここでも感動が待っていました。 これほどきれいな川が目の前に広がっていると気づいたとき、涙が出そうになりました。記憶の中で空一面に広がる星を見たのは、30年ほど前に北京郊外の山に行ったときでした。まだ大学生だった私が、山頂のゲルに泊まって、友人たちとふかふかの草の上で寝転がって、天の川に見とれていた記憶がよみがえりました。 とにかく、今回の旅は「何もない」を楽しむ時間でした。人も人工的な建造物もほとんどない代わりに、豊かな自然、たくさんの野生動物、パワーいっぱいの海を目いっぱい感じて、心を空っぽにすることができました。都会に住む人間にとっては、これほど贅沢(ぜいたく)なことはありません。(医療通訳)
苦手だからやらないだけではね《続・気軽にSOS》155
2024年11月6日
【コラム・浅井和幸】自分は体を動かすことが苦手だからやらない。パソコンは苦手なので部下にやってもらう。苦手なことはやらなくてよいので長所を伸ばそう。 苦手だと、苦しんで嫌々物事を進めることはつらいだけで何も身につかないので、その意味ではこれらの言葉は的を射ていると言えるでしょう。チームで物事を進めるときは、自分が苦手なことは得意としている人に任せて、他の人が苦手で自分が得意なことを行う方が効率的で成果が出やすいです。 さて、苦手とは何を指すものでしょうか? たぶん、自分と似た年齢や身近な人と比べたときに、劣っている能力での行為を指すのでしょう。それに加えて、感情的に、感覚的にやりたくないことに対して、苦手だからという言葉が出やすくなるものだと思います(好きなことや面白いことは苦手なことでも行うでしょ? 苦手だから好きなテレビを見ないとか、苦手だから面白いゲームをしないということはないはず)。 行動を起こさないことに対して、向いてないからとか苦手だからというのは、よい言い訳として通用しやすいということですね。面倒だからとか疲れるからやらないという言い訳をしたら格好悪いですから。 誰でも最初は初心者 しかし、長い人生の中では、人は練習を積み上げることで実力を上げることができます。誰でも最初は初心者なのです。例えば編み物などがとても器用にできる人が、実は手先が不器用であるという話はよく聞きます。好きだから続けているうちに、ある分野の手芸に対し誰よりも上手くなっていたという話です。 あのプロ野球のスタープレーヤーも、小学生のときからプロ野球で通用するような能力を持っていたわけではありません。周りの小学生よりは、もしかしたら数段上手だったのかもしれませんが、プロ野球選手と比べたら野球が苦手と言えるかもしれません。スタープレーヤーも幼少時は、プロ野球選手の大人に比べたら体もできていないし、知識もテクニックもない状況ですから。 プロ野球など、切磋琢磨(せっさたくま)してギリギリの挑戦をしているような世界はそうそうあるわけではありません。それに比べれば、私たち常人の生活では、ちょっと勉強すれば周りよりも知識が身に付くし、ちょっと体を動かせば周りよりも体力や技術が身に付き周りよりも得意と言える状況になります。100メートルを10秒切る能力は必要ありません。 腕立て伏せを毎日少しだけ行えば、半年もすれば周りの人よりも腕立て伏せが得意になれるかもしれません。動画サイトでちょっと勉強して、ちょっとだけ実践を繰り返せば、周りよりも掃除とか、料理とか、アプリ作成とかが得意と言えるようになるかもしれません。 あなたは、足が速くなりたいですか? 楽器が弾けるようになりたいですか? 外国語が話せるようになりたいですか? 人に好かれるようになりたいですか? 金持ちになりたいですか? あなたは何が苦手ですか? どの様な人になりたいですか? どの様な生活を送りたいですか?(精神保健福祉士)
1
...
10
11
12
...
83
ページ%CURRENT_PAGE%の%TOTAL_PAGES%
Most Read
里山に響く若者たちの声《宍塚の里山》134
2026年4月6日
切り捨て《短いおはなし》
2026年4月5日
10年の区切りに…《令和樂学ラボ》40
2026年4月4日
さくら小学校が開校 TX沿線の学校新設に区切り つくば市
2026年4月3日