水曜日, 5月 22, 2024

自分の性に向き合う 「ヴィーガン」で「クイア」の2人が贈るレシピ集(下)

3月につくばで出版されたヴィーガン料理のレシピ集「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」。作者のユミさんとヨニイさんは同書で、ヴィーガンのことだけでなく、性的マイノリティである自身がこれまでに感じた性自認についても触れている。2人は自身の性を、全ての性的マイノリティを広く包みこむ概念である「クィア」だと表現する。2人は周囲の無理解から悩みを感じてきたという。 「いつも自分のことを相手に隠したり、頑張って自分のことを説明したりしなければいけなかった。理解して欲しくてたくさんの感情とエネルギーを使ってきた。私はただここに存在していいはずなのに」とヨニイさんが思いを吐露する。ユミさんは「自分は間違っていないというのはわかっていた。でも生きづらさを感じてきた。隠さなければいけないという思いが少しずつ自分の心の中に積もっていくのを感じていた」と語る。 カミングアウト ヨニイさんが初めて自身の性を周囲に伝えたのは中学時代、韓国でのことだった。「女子中学だったので、かっこいい先輩がいるとみんなが『きゃー』ってなるんですよ。それで自分も(女性に好意を持つことは)自然なことだと思っていた」。 自分の気持ちを隠さず伝えていたヨニイさんは、高校でも「隠さずカミングアウトをしていた」と話す。否定的な反応もあったけど、気にはしなかった。 「自分のセクシャリティを隠したまま人と出会っても、後から伝えて嫌がられると辛い。それなら最初から『私はこんな人です』と言った上で仲良くなる方が楽」。そう明るく話すヨニイさんだが、両親には最近まで伝えられなかった。 「両親に伝えたのは去年の春頃。すごく保守的な家なので、嘘をつき隠していた。でもそれが嫌で、隠すのをやめて全部話した。否定的なことも言われてその瞬間だけは辛かった。でも、両親も慣れてきた様子。結婚や子どもの話をされる度にプレッシャーを感じていたが、それがなくなりすごく楽になった」 髪を切り、本当の自分に出会う ユミさんは自分の性にどう向き合ってきたのか。家族と暮らしていた幼少期をこう振り返る。 「小さい頃から男の子と遊びたかった。でも、歳を重ねるごとに難しくなった。小学校に入って男の子と遊んでいると『お前、あいつの彼女なの?』とか、『なんでここに女がいるの?』と言われて、『ああ、私って女なんだな』って思うようになった。でも、女性的な振る舞いや遊びに馴染めなかった」 周囲に「女性」としての形を押し付けられたユミさんは、自分の性に違和感を感じ始めた。「私はボーイッシュな髪型にしたかった。でも実家のある郊外では、周りにそんな女性はいなかった。好きな髪型にしていいなんて思えずに大学生になった。ただ、ずっと実家に住んでいたので、私のことに家族もなんとなく気付いていた気がする。私は隠すつもりはなかったけど、わざわざ言うのも気まずい。それで結局、隠している状態になっていた。それがストレスだった」 大きな変化は大学生の時に訪れた。短髪にしたのだ。「思い切ってメンズカットにして『これが本当の自分だ!』って思えた。これで隠れずに生きられるって」 一歩を踏み出したきっかけは、あるテレビドラマだった。「アメリカのハイスクールドラマで、様々なマイノリティが出てくる。アジア系の人、車椅子の人、セクシャルマイノリティーの人。みんないきいきと自分を表現していた。『私もこうしていいんだ』って思えた。それで、似合わないかもしれないけど私も髪を切ってみようって思えた。それがきっかけになり、どんどん勇気を振り絞れるようになった」 自分の体を取り戻す テレビドラマを通じてユミさんは、性的マイノリティとして生きる自分以外の人を知り、背中を押された。一方でヨニイさんは、今も複雑な自身の性について答えが出せずにいると話す。 「まだ悩んでいる。私は昔から女性に好意を持ってきたから、男性になった方がいいんじゃないかとずっと悩んでいた。でも、やっぱりそれは違う気がしていた。私は男になりたくないって思った。大学では周囲と英語でやりとりしているが、自分の代名詞が『He(彼)』なのか『She(彼女)』なのか考えると、『He』だと違和感があるけど、『She』なら大丈夫だと思える。『They(彼ら、性別を問わない)』でも違和感はない。でも正直なところ、私は自分をラベリングするのに疲れている。今は『クイア』という言葉が一番しっくりきている」と、今の気持ちを率直に語る。 ユミさんは、揺らぐ自身の性認識に向き合う中で、次第に「自分は何者なのか」という問いへの答えを見つけ始めている。 「私は自分が男になりたいわけではないけど、女性としての役割を担うのはキツかった。それじゃ男なのかなってめちゃくちゃ悩んでいた。そんな時にある本と出会い、男女どちらの性別でもない『ノンバイナリー』という存在を知って、自分は男でも女でもないんだって気がついた。すごくスッキリした。『これが私だ。こう名乗っていいんだ』って思えて自分に自信を持てるようになった」 もう一つ、大きなきっかけになった出来事として、大学を卒業し実家を離れて経験したあるエピソードがある。 「私、就職してからタトゥーを入れたんです。腕と手首に、五百円玉サイズの太陽と雲を。その時、本当にうれしかった。『私は自分の体のことを自分で決めたんだ。その権利を証明できたんだ!』って。『これが私の人生だ』って思えた」 そう話すとユミさんは、「性」に対する考えをこう言葉にした。 「性別は社会的なもの。本当はスペクトラム(連続した境界のない状態)なはず。私は周りに自分が何者なのかを決められてきた。でも、自分が男でも女でもない『ノンバイナリー』だと思えるようになって、性の呪縛から解放された気がした。心地よかった。『もう他人から女性と呼ばせない』という思いが湧いてきた」 「大丈夫」と伝えたい ヴィーガンでクィアである2人にとって互いの出会いが持つ意味は大きかった。ヨニイさんがユミさんとの出会いを振り返りながら、こう呼び掛ける。 「私はユミと出会えたことでとても楽になった。クィアでヴィーガンの人には本当に出会えない。マイノリティーの中の、さらにマイノリティーなので。1人で暮らしていると『私だけがおかしいんじゃないか?』と思ってしまうこともあった。でも同じ価値観の人に出会えて『私はおかしくないんだ』と思えるようになった。もし今、悩みを抱えている人がいたら『大丈夫』と伝えたい。安心してほしい」 ユミさんは、今後についてこう話す。 「私はヴィーガンのハードルを下げたいと思っている。そして、クィアカップルがいることが自然になるように、私たちも自然に暮らし続けたい。私たちはこんな存在で、ただここに存在していい。そんな場所が増えるといいと思っている。そのために自分の経験が誰かの役に立てばいい」 光州事件のパネル展開催 冊子で2人は、ヨニイさんの故郷である韓国・光州市の歴史にも触れている。光州では、韓国が軍事政権下にあった1980年5月18日、民主化を求める学生デモに対して政府が武力で応じ、以降10日間で多数の市民が犠牲になる「光州事件」が起きた。光州では今も、忘れてはいけない悲劇として日常的に語り継がれている。 今回、冊子の発行元である、つくば市天久保のブックカフェ「サッフォー」では、冊子発売を記念して「光州5.18民主化運動を記憶する」として関連書籍の特設コーナーを設けるとともに、4月27日から始まった光州事件を紹介するパネル展が開催中だ。 冊子の企画・編集を手がけたサッフォー店主の山田亜紀子さんによると「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」は同店にとっては2冊目の出版企画となる。山田さんは今回の冊子制作について、「人権の向上を願っての企画。2人の想いは、日常をシェアすることで『私たちはナチュラルに生きている』と知ってほしいということ。地方で、楽しみながらヴィーガンをやっているクィアカップルがいるんだよと、多くの人に知ってもらいたい。色々な人に届くといい」と語った。(柴田大輔) 終わり

つくば市の葛城小地区「つなぐ会」《けんがくひろば》6

【コラム・杉田ひろみ】つくば市の葛城小学校地区は、昔からの慣習や行事を地域住民で守り、葛城小との活動にも積極的に参加するなど横のつながりが強かった元々の地区と、TX沿線の開発に伴い新しく転居してきた世帯が多く暮らす新しい地区からなります。 しかしコロナ禍の影響で地域の行事がここ数年開催できないまま、地域住民が集える機会が失われてしまっていて、地域のつながりが薄れていると感じていました。そこで私たちは「世代を超えて皆が支え合い、助け合い、共に安心していつまでもこの地域に暮らし続けることができること」「人がつながり地域もつながること」を目標に掲げ、葛城小地区「つなぐ会」を設立しました。 活動の主なものは、ささえ合い弁当配食(現在は苅間地区内)、地域防災・防犯イベント(葛城小との連携)、地域交流イベント「つなぐまつり」、みんなの居場所「ふれあいサロン」などです。  みんなをつなぐサロン 今回は「つなぐサロン」を紹介したいと思います。 最初に触れたように、私たちの地域には、つくばに転居してきた世帯が多く暮らしています。学園南や研究学園は、畑や雑木林が造成され、住宅が建設されてできた地域です。住民の数が増えていますが、自治会がほとんどありません。あっても、ご近所同士の交流があまりありません。 子供が小中学校に通学している家庭は学校のつながりが少しはありますが、その他の家庭の方からは「近所を散歩しているときに、どなたかにお会いしても、あいさつするだけ。その先の会話がないので、住民同士のつながりがほしい」といった話を耳にしていました。 そこで、かつらぎ交流館の新設を機に、地域をつなぐ場所「つなぐサロン」を開設しました。地域のこと、健康のこと、子育てのことなど、お茶を飲みながらおしゃべりしたり、室内のゲームや簡単な工作などをしています。 これをきっかけに、新しい地域でも住民同士の交流を深め、皆がつながり、お互いに助け合い、幸せに暮らせることを願っています。お気軽にご参加ください。(葛城小地区「つなぐ会」代表) <つなぐサロン>・開催日:毎月、第2月曜日と第4月曜日・時 間:午前10~12時・場 所:かつらぎ交流館・参加費:無料(飲み物は各自持参)

地元ファンに2日早い特典 作家の高野史緒さん 新刊発売記念し土浦でサイン会 

土浦市出身の作家、高野史緒さんが、新作「ビブリフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅」(講談社、税込1870円)の発売を記念して21日、土浦市上高津、イオンモール土浦の未来屋書店土浦店でサイン会を催した。発売は23日だが、今回2日前に購入できるという特典が付いた。高野さんは昨年、土浦を舞台にしたSF小説「グラーフツェッペリンあの夏の飛行船」を書き、SF読書ガイドブック「SFが読みたい!2024年盤」国内篇第1位に輝いている(2月25日付)。 今回の作品は「消えてゆく本」「書けなくなった詩人」「本の魔窟に暮らす青年」が登場する架空の世界を描いた作品。新刊の帯には「本であふれた世界に希望はあるか?」とある。 サイン会会場には32人が並び、一人一人、著者の高野さんと話をしながら、購入した本にサインをもらっていた。高野さんと写真撮影をするファンの姿も見られた。 同市摩利山新田から来店しサインをもらった遠藤康裕さん(62)は「(1929年に巨大飛行船の)ツェッペリン伯号が飛来した(旧霞ケ浦海軍航空隊 格納庫の)すぐ近くに生家があり、とても身近に感じた。高野先生の文章はわかりやすく、てきぱきしていてとても好きだ。本日はていねいに対応してもらって感激している。これからも頑張って良い本を書いてほしい」と話した。 高野さんは1966年土浦市生まれ、土浦二高を経て90年に茨城大学人文学部を卒業、94年にお茶の水女子大学人文科学研究科修士課程を修了、95年「ムジカ・マキーナ」(新潮社)で作家デビューした。2012年には「カラマーゾフの妹」で第58回江戸川乱歩を受賞するなど、主にSFやミステリーを書く人気作家だ。 高野さんは「故郷土浦とその近郊の皆様にも注目していただき、本当にありがたい限り。私は必ずしも地元密着型作家とは言えず、いろんな世界、時には現実でない世界のことも書く。読者の皆様も私の小説を通じて、一緒にそういういろんな世界を巡ってほしい。今度の新刊『ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅』はまさにそういう本で、こちらも『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』同様、読んでいただけるとうれしい」とコメントした。(榎田智司)

つくばから全国へ 「ヴィーガン」で「クィア」の2人が贈るレシピ集(上)

悩み、孤独を感じる人へのエンパワーメントに 動物由来の食べ物を摂ったり、製品を身につけたりしない「ヴィーガン」を身近に感じてもらおうと、つくば市在住のユミさん(27)と、パートナーで韓国出身の大学院生ヨニイさん(25)によるヴィーガン料理のレシピ集「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」(全32ページ)が3月に出版された。ヨニイさんの故郷・韓国の文化紹介とともに、ヴィーガン風にアレンジした韓国料理が9品掲載されている。 出版元は同市天久保のブックカフェ「本と喫茶サッフォー」(23年9月18日付)で、個人や小規模の団体が少部数で製作する「ZINE(ジン)」と呼ばれる小冊子だ。SNSや口コミで広がり発売1カ月で2刷を迎えた。現在までに関東を中心に全国19書店で取り扱われている。 日々の食卓をSNSで発信 2人はヴィーガンであるとともに性的マイノリティの当事者であることを公表し、「ハンガン・ヴィーガン」というユニット名で日々の様子をSNSで発信している。自身の属性への周囲の無理解から悩みを抱えてきたと言い、今回の出版を「私たちの普通の暮らしを知ってもらうことで、悩み、孤独を感じる人たちへのエンパワーメントにつなげたい」と話す。 2人のSNSには日々の食卓が紹介される。調理を担うヨニイさんは「冬は鍋が多かった。タンパク質は豆腐、厚揚げ、がんもどき。だし汁をカツオから昆布にしたり、肉の代わりに豆腐にしたり工夫している」と話す。ユミさんは「ヴィーガンになって肉料理が多い韓国料理から遠ざかっていた。でも、ヨニイと出会ってまた食べられるようになった。『ヴィーガンでも韓国料理ができるんだ』って感動している」と笑顔を浮かべる。 自分の感覚はおかしくない ユミさんは大学4年でヴィーガンになった。戸惑ったのが食事だった。「(当時)ナッツを乗せたサラダしか食べなかった。1週間後には体も心も辛くなってしまって…」。その後、ヴィーガン料理のあるレストランや本で情報を得ながらメニューを覚えるが、「当時は情報が少なかった。何を食べていいかわからなかった私のような人は、今もいるはず」と話す。今回の冊子では「家庭で作れる普通のヴィーガン料理を紹介したかった」という。だが2人にはもう1つ、冊子に込めた想いがある。「ヴィーガンであることで孤独にならなくていいんだよ」と、当事者たちを励ますことだ。ユミさんがこう話す。 「私はヴィーガンの人と出会えず、ずっと孤独を感じてました。肉を食べないと『ヤバい人』になったのではと思われることもある。でも肉を食べなくても生きていくことはできる。SNSや映画で他のヴィーガンの暮らしを知ることで、『自分の感覚はおかしくない』と思えた。だから私たちも、普通の人が普通にヴィーガンでいる様子を見てもらい、同じ考えを持つ人のエンパワーメントになるものを作りたかった」 社会問題が身近に ユミさんがヴィーガンになったきっかけは、大学時代に短期留学した台湾での経験だ。それまで食べていた好物のガチョウが、目の前を楽しそうに歩いていた。とてもきれいで可愛い。「犬や猫など可愛いペットは食べてはいけないのに、なぜガチョウは食べていいと勝手に思っていたのだろう」と疑問が湧いてきた。いろいろ勉強するうちに「動物は軽率に食べていいものではない」と感じ、ヴィーガンの食生活へと移っていったという。 ヨニイさんはある映画がヴィーガンへの考えを深めるきっかけになった。食用や衣類、実験用にされる「殺していい動物」と、ペットなどの「殺してはいけない動物」を取り上げた映画で、人間の考え一つで動物の命の価値が決まることに疑問を感じた。劣悪な管理下にある動物の実情についても知ることになった。「殺していい動物といけない動物の間に引かれる線は何なのか。勉強する中で、自分が殺せないなら食べるのはやめたい」と考えるようになった。 「動物への差別」を意識したユミさんの関心は、社会の中にある他の差別や環境問題へと広がった。「私はヴィーガンであることで社会問題に関心を持った。暮らしの中にある様々な差別に意識的になることで社会は変化すると思っている。多くの人が日常にある課題に問題意識を持つのがいいはず。今回の本は、その入り口になればという思いもあった」と語る。ヨニイさんは「差別は構造の問題。そこに対してもっと関わっていきたい」と言う。 おばあちゃんの味を再現 掲載するレシピは9品。その中に、韓国に暮らすヨニイさんの祖母と母の得意料理が3品ずつ並んでいる。 「ヴィーガンになると、家族と同じものが食べられなくなるんじゃないかと心配がある。そこでつまずいてしまう人もいる。でもヴィーガンになっても家族のレシピは繋いでいけるし、家族の伝統は守れるんだと言いたかった」とユミさん。 ヨニイさんは「レシピには、大好きなおばあちゃんが作る、私が好きな料理も選んだ。最近、レシピ集を見てくれた在日コリアンの方々から『私のおばあちゃんも(掲載されている)カボチャのスープを作ってくれたんですよ』と感想をいただいてうれしかった」と話す。 「社会人として残業しながら働いていると、社会問題に関心を持ち続けるのも自炊するのも難しい。外食は高いし、料理する時間を作れる人は限られる。自分ができる範囲で、気負わずにできれば。まずは一食から。その時にこのレシピが役に立てばうれしい」とユミさんは、これから一歩を踏み出そうとする読者に語り掛ける。 記者が作ってみた 「ヴィーガン料理、なんだか難しそう…」と漠然と感じていた記者が「韓国フェミめし」を参考に韓国の海苔巻き「キンパ」を作ってみた。ヴィーガン料理を作るのも、食べるのもこれが初めて。レシピに従い、さいの目に切った厚揚げと油揚げを油で揚げて、炒めたにんじん、にんにくスライス、生レタスを海苔に広げたご飯の上に並べていく。甘辛い韓国味噌「サムジャン」を適量垂らして巻きすで巻くと完成だ。 米を炊く以外、正味30分程の調理時間。一口サイズに切り分けて口に運ぶと、よく揚がった厚揚げは鶏の唐揚げのような味と食感。サムジャンの旨味と合わさり食べ応えも十分だ。味にも感激したが、手軽さに驚いた。(柴田大輔) 続く ◆「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」は880円(消費税込み)

町の「光」を観る(2)《デザインを考える》8

【コラム・三橋俊雄】S町では、日常の「いとなみ」の中に、自然とともに人びとが長い年月をかけて育てあげてきた町の「光」があり、それらの「光」を絶やさず守り磨いてきた人びとの姿がありました。 S町は「名人」の町 コラム7(4月16日掲載)で紹介したシナ織のHKさんの他にも、八幡祭りを盛り上げるために子ども御輿(みこし)や笹川民謡流しを考案したTSさん、名勝笹川流れの案内が得意のWHさん、地元で採れる魚の売り口上なら誰にも負けないOMさん、昔ながらの木船作りが村で一番のTHさん、フグちょうちんやサザエ人形作りが得意のTNさん、盆栽・サツキ作りのSSさん。 郷土料理のアワ笹巻・筍(タケノコ)巻き作りが上手なSIさん、町に伝わる民話の語り手HTさん、マタタビざる・スゲ笠作りのKSさん、馬沓(まぐつ=馬のわらじ)・雪沓(ゆきぐつ)作りのTYさん、コクワヅル細工のSRさん、ベテラン海女のTIさん、笹川流れのカキ採り名人HYさん。 米俵・民具作りのSTさん、杖(つえ)作りに励むSHさん、南部地区の歴史に詳しいSTさん、磯見漁の名人WSさん、昔ながらの桶(おけ)・結婚式用の角樽(つのだる)作りのISさん、陶器で「カッパ」を製作しているAKさん、色紙を用いた切り絵細工のNMさん、祭りに使われる梵天(ぼんでん)を製作するTMさん。 S町は様々な「光」を発信する名人たちの町でもありました。 町民が発見した「光」 11月には恒例の「S町産業祭」が盛大に開催され、その一角で「豊かな観光地づくりを語る町民の集い」が催されました。その集いは、町民がどのような「光」を自らの地域に見い出しているかを一堂に会して議論し、今後の観光開発の方向を具体的に見定めていくために開かれたものでした。 会場に集まった町民たちからは、町の観光開発に向けた具体的な提案が200件も寄せられました。 それらを整理すると ①山北町の身近な自然に関連した「日本海に沈む夕日写真コンテスト」「海・山のキャンプ村づくり」②集落の歴史・生活文化にかかわる「八幡宮奉納相撲イベント」「集落対抗味噌づくり合戦」③日常の暮らしを学ぶ「ハサかけ体験」「シナ織体験」「海辺のなりわい体験」④S町住民との触れ合いを中心とした「碁石海岸での囲碁大会」「河川敷での大芋煮会」―など、いずれも町に内在する自然的・人工的環境資源、産業的資源、生活文化的資源に着目したアイデアでした。 すなわち、S町の人びとにとっては、「身近にある豊かな自然」「集落の歴史・生活文化」「日々のなりわい」「町民との触れ合い」そのものが、観光開発のための貴重な資源であるということでした。私たちは、この「町民の集い」に寄せられた具体的な提言を貴重な資料としながら、S町における観光開発基本計画を立案していくことが肝要であると感じました。(ソーシャルデザイナー) 

新シリーズで2年ぶり写真展 土浦写真家協会会長 オダギ秀さん

土浦写真家協会会長のオダギ秀さんの写真展「新たな新地平に向かって2024」が18日から23日まで、つくば市高野台のカフェギャラリーロダンで開かれている。オダギさんの個展は20年前から毎年開かれているが、昨年は準備が整わずに中止されており、2年ぶりになる。 今回は帆引船や亀城公園の写真も 「昨年は突然中断し、そのショックでこの1年間ぼけていたが、改めて決意し『新たな地平に向かって』という新シリーズをスタートさせることにした」 喫茶店に併設された小さな展示スペースには、15点の写真が飾られている。壊れかけた実家の竹垣、庭に咲いた青色の朝顔など日々の生活から切り取ったもの、お地蔵さまや小仏堂など路傍で見掛けたものが中心だが、今回は霞ケ浦の帆引船や亀城公園の城門など土浦市の観光写真として使えるものも加えた。 シャッターを切るいとおしい瞬間 土浦市在住のオダギさんの専門はコマーシャルフォト全般。同時に写真家として写真撮影教室を開き、地域の写真愛好者の指導もしている。2年前には土浦写真家協会を立ち上げた。土浦市観光協会主催の「土浦の写真コンテスト」の審査員もしており、NEWSつくばのコラムニストでもある。 19回目になる今回の写真展については「ポケットの紙切れにメモしたような、通りすがりにチラッと見ただけのような何気ない作品を、目立たぬように少しだけ飾って、行きずりの誰かの心がちょっとざわめくーそんな個展を開いていきたい」と語る。 「写真を撮る瞬間は、ほんの数十分の一秒とか、場合によっては数千秒分の一秒という非常に短い瞬間。ここにある全作品を合わせても、数十分の一ぐらいしかにならない。私の数十年の人生(今年79歳)と比べたら、余りに短い瞬間でしかない。そんな瞬間でも、わざわざシャッターを切った瞬間なのだから、私にはいとおしい瞬間と言える」 写真だけでなく説明の文章も好き 19日午前、写真展を訪れた土浦市在住の夫婦は「10数年前にデジタル一眼レフ講座で写真の撮り方を教えていただいた。それ以来、個展は毎回拝見している。写真も好きだが、写真に付いている文章も好きです」と述べ、15作品を丁寧に見て回った。 タイトル「冬のこずえ」の文を見ると「そろそろ日が暮れるころ、気紛れに遠回りをし、見知らぬ道を帰った。正面に見えた樹が、なぜか自分のようだったので車外に出た。思った以上に冷たい風に驚かされた。群雀が頭上を一瞬よぎったが、戻ってくる気配はない」と、詩のような説明文が掛かっていた。(岩田大志) ◆第19回オダギ秀写真展 5月18日(土)~23日(木)、つくば市高野台3-15-35、カフェギャラリーロダンで開催。開館時間は午前11時~午後4時。入場無料。

市民より職員が大事? つくば市の不思議《吾妻カガミ》183

【コラム・坂本栄】元国立研究機関研究者の投稿「つくば市の過剰な管理職数の問題を考える」(5月1日掲載)はとても勉強になりました。市の予算配分と職員構造の問題点を分かりやすく分析してくれたからです。NHK連続ドラマ「虎に翼」の主役の口癖を借りれば、つくば市の「はて?」をいくつか提起してくれました。 縦横斜めから職員人件費を分析 元高エネルギー加速器研究機構准教授の酒井氏は投稿の中で、現市長下で市職員の人件費が大幅に増えたと指摘しています。1期目~2期目半ばの6年の間に、人口が8%増えたのに伴い歳出は24%増え、職員の人件費も20%増えた―と。 前市長の2期目終年と3期目終年を比べると、人口は5%増、歳出は19%増と、現市長下と似たようなトレンドでしたが、人件費の方は2%増にとどまっていました。現市政でお留守になった行政改革が徹底していたからでしょう。 上の数字は現市政と前市政の比較です。そこで、歳出に占める人件費の割合(2022年度)を調べたところ、土浦市は15.1%、水戸市は13.5%なのに、つくば市は18.8%でした。縦(前市政と現市政)で比べても横(つくば市と他2市)と比べても、現市長下の人件費支出は突出しています。 この問題を斜めから(市民目線で)チェックすると、「2024年度予算では…市民1人当たり8.3万円になります。(前市長時代の)16年度は7.1万円ですから、現市長下で17%も増えた…」(酒井氏投稿)ということですから、つくば市民は甘く見られたものです。 行革の緩さは市長2期目に加速 ここまで書いてきて、五十嵐市長が市民を名誉毀損(きそん)で提訴した一件を思い出しました。元市議の亀山氏が発行したミニ新聞の市政批判記事はウソが多いと、同氏を訴えた裁判沙汰です。その概要は、126「…市民提訴 その顛末を検証する」(2022年2月7日掲載)をご覧ください。 名誉を傷付けられたと訴えた箇所は全部で22ありました。うち、ミニ紙が「(五十嵐市政3年目の人件費は前市長時代に比べて年間)7億6500万円も増えており、(市原前市長時代の行政改革の)努力が水泡と消えてしまいます」とした箇所について、五十嵐市長側は「あたかも原告(市長)の施策により税金を無駄に使っているように(読者を)誘導するもの」と論述していました。 引用した金額は酒井氏が示した数字とは違いますが、ミニ紙も人件費支出の甘さ=行革の不徹底を突いているという点では同じです。この記事は市人事課の資料を使って書かれていましたから、ファクト(事実)でありフェーク(虚偽)ではありません。五十嵐市政1期目の行革の緩さは2期目も続いているどころか、加速しているようです。 横柄な市民対応は構造的な問題 冒頭リンクを張った酒井氏の投稿は、人件費過剰問題よりも管理職過剰問題に紙幅が割かれています。係長級(係長・主任主査)も管理職なのかどうか、コメント欄で論争がありましたが、係長級以上を管理職とする酒井氏の定義には説得力がありました。つくば市の場合、その割合が正職員全体の53%というのは驚きです。 土浦市はこのシェアが32%(2021年度)だそうですから、つくば市の「過半」は異常です。こういった職員構造が横柄な市民対応の原因なのだとすれば、はて? (経済ジャーナリスト)

「孤立の風景」筑波大大学院生 野一色優美さんが個展 つくば スタジオ‘S

筑波大学で日本画を研究する大学院生、野一色(のいしき)優美さん(25)の個展「孤立の風景」が17日から26日まで、つくば市二の宮のギャラリー、スタジオ‘S(関彰商事つくば本社内)で開催されている。日本画で伝統的に使用される麻紙(まし)の表現の可能性を模索しながら、人の記憶や感情の揺らぎを主題にした作品など6点が展示されている。 会場中央に展示されている作品「孤立の風景」は、麻紙を割いたり、もみ込んだり、糸で縫い合わせたり、一部を炎で焦がすなどした後、墨をにじませ、岩絵具やアルミ泥などで仕上げた。作品は縦約3メートル、横約2メートルで、床面から50センチほど浮かんだように展示され、周囲の床には、自身や友人らが実体験した言葉が印字されたトレーシングペーパー300枚ほどが散らばっている。 野一色さんは「経験などを通して得た思いや印象などの記憶が、時間経過により希薄になっていき、経験した本人と記憶が分断され、ただ想いだけが取り残された感覚を表現している」とし「自らが死に直面するような出来事や体験があったとしても、 そのときに感じた不安や葛藤は、後々にはどこか他人事のように思えてくるようなことがある。トラウマだけが残りながら記憶がだんだんと孤立していく様子を、浮遊していくような一つの風景として表現した」と語る。 約1カ月間、スタジオ‘Sに滞在しながら制作し設営して、作品の世界観を作り上げた。会場入り口には、自身が棺(ひつぎ)に入った姿を表現した作品「エピローグ」を展示している。 野一色さんは大阪市出身。美術系の高校で岩絵の具や金箔、銀箔に触れたことが日本画を専攻するきっかけになった。滋賀県内の美術大学を経て現在、筑波大大学院人間総合科学学術院の博士課程に在学し、麻紙や岩絵具などを使用しながら、作品の形にとらわれない不定形の基底材での表現を研究している。 「今までは人物画を中心に制作を続けていたが、人物を描く過程で、人物そのものを描きたいのではなく、人の持つ思いの揺らぎや記憶を日本画で表現したいと思うようになり、様々な作品形態を追求している」という。 2021年には個展「その気に触れて」をギャラリーキューブ(滋賀県)で、2022年は「颯」を高島屋大阪店と横浜店で、2023年は「藍より青し」を総本山三井寺(滋賀)などで開催している。 今後の活動について野一色さんは「今までの日本画に制限されない作品を作っていきたい」と述べる。(榎田智司) ◆野一色優美個展「孤立の風景」は5月17日(金)~26日(日)、つくば市二の宮1-23-6、関彰商事つくば本社敷地内、スタジオ’Sで開催。開館時間は午前11時~午後5時。入場無料。詳しくはスタジオ‘Sのホームページへ。

「花火の日」は年に3日もある?《見上げてごらん!》27

【コラム・小泉裕司】5月28日は「花火の日」。8月1日、そして8月7日も。年に3日ある「花火の日」は、それぞれ起源となった出来事や設定目的が異なる。 5月28日:由来は両国の川開き 昨年、4年ぶりに開催された隅田川花火大会は、観客数103万人で過去最多を記録。昨年の国内の花火大会でも最多に違いない。今年の大会(7月27日)も、すでに有料の市民協賛席はほぼ完売状態だ。 この隅田川花火の前身「両国の川開き」は、日本の花火大会の起源とされており、1733年(享保18年)5月28日、徳川吉宗が飢饉(ききん)などの犠牲者の鎮魂や疫病退散祈願のために花火を打ち上げたことから、「花火の日」の由来とされている。 制定団体などの詳細は確認されておらず、しかも、根拠としている徳川吉宗川開き説は、歴史的記録が存在しないことは、本コラム16「日本の花火大会のルーツは?」(23年7月16日掲載)で紹介した通り。 今さら、素人の私が声高に「偽史」を叫んだところで「野暮」と言われるだけ。人は「偽史」に引かれるのだから、これはこれで良し。 8月1日:由来はマルチな出来事 参考文献では、1967年に煙火業者が中心となり、がん具花火の安全な消費運動を目的に制定したとあるが、いくつかの出来事が偶然にもこの日に重なったことに由来するようだ。 一つ目は、終戦後、GHQに禁止されていた花火製造と販売が1948年8月1日に、限定的ではあったが解禁されたこと。 二つ目は、この解禁に伴い、同日から「両国川開き大花火」が再開したこと。三つ目は、1955年8月1日、都内本所厩橋(うまやばし)の玩具花火問屋で大規模な爆発事故が発生し、多くの死傷者が出たこと。 さらに、世界一の花火大会とも称された「教祖祭PL花火芸術」(大阪府富田林市)が開催されていたことも由来とされているが、1953年から66年続いたこの大会は、新型コロナの流行で昨年まで4年続けて開催されていない。 ちなみに、火薬の使用を禁止したGHQは、特別な日に日本の花火職人に基地で花火を打ち揚げさせることもあったようで、日本の花火に魅了されていたGHQが花火業者の訴えに耳を貸し、解禁が実現したという。匠の技は、不変なのだ。 8月7日:由来は語呂合わせ 8月7日は、「ハ(8)ナ(7)ビ(日)」と読む語呂合わせから、日本煙火協会が、おもちゃ花火の文化伝承とマナーの向上を図ることを目的に制定した記念日。2017年に「おもちゃ花火の日」として、日本記念日協会が認定・登録したもの。 煙火協会は6~8月をおもちゃ花火の安全消費月間に定め、「花火は危険である」という他の業種には類がない逆転の発想で、「ルールを守って楽しい花火」をスローガンに、全国で啓発活動を行っている。 8月7日開催の花火大会で人気なのは、「神明(しんめい)の花火」(山梨県市川三郷町)。色彩豊かな花火に魅了されたコアなファンが多い。発売後数秒で完売となる有料観覧席は、今年はふるさと納税に紐(ひも)付けて発売中。 「土浦花火の日」を提案 第1回土浦全国花火競技大会は、99年前の1925年9月5~6日の2日間、霞ケ浦湖畔で開催された。来年は100周年のアニバーサリー。この9月5日を「土浦花火の日」に制定してはどうだろう。記念日協会の登録は経費がかさむので、自称ということで! 本日は、この辺で「打ち留めー」。「シュー ドドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「花火の事典」(新井 充、東京堂出版、2016年6月刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤 輝彦、あずさ書店、2000年10月刊)「花火入門 令和5年度版」(日本煙火協会、2023年6月刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年3月刊)

かわいい獲物《短いおはなし》27

【ノベル・伊東葎花】 人間の姿をしているが、実は私は妖怪だ。普段は山奥に身を潜めているが、ときどき食料を探しに街に来る。 私たちの食料…もちろん人間ではない。人など食べない。私たち一族は、猫が好物だ。「猫食い族」なんて呼ばれている。 飼い猫には手を出さない。その辺はわきまえている。捕まえるのは野良猫だ。私は公園に身を置いて、野良猫を待った。 数日後、段ボールに入った猫が捨てられた。猫は2匹。『誰か拾ってください』と、書いてある。これは犯罪だが、私にとっては渡りに舟だ。 猫に手を伸ばした時、ランドセルを背負った女の子が声をかけてきた。 「おじさん、1匹ちょうだい」 「いや… これはわたしの獲物…」 「お願い。わたし、ずっと猫を飼いたかったの」 女の子はまっすぐな目で私を見た。まあいいだろう。また捕まえればいいし。私は、女の子に猫を1匹渡した。 「ありがとう。じゃあおじさん、また明日ね」 「明日? なぜだ?」 「だってこの2匹はきょうだいよ。離れ離れはかわいそう」 女の子は小指を出して、無理やり指切りをした。困った。約束をしてしまった。まあ、どのみち食べごろには程遠い。しばらくここにいるのもいい。猫は食料になるとも知らずに、私の懐で無防備に眠った。 翌日、女の子が公園に来た。 「ほら、小雪、一緒に遊びなさい」 「こゆき?」 「うん。この子の名前。白いから小雪。おじさんの猫は何て名前?」 はて…。食料に名前など付けるはずがない。 「名前ないの? じゃあ私が付けてあげる。小雪のきょうだいだから小雨ね」 「こさめ」つぶやいてみると、私の猫がニャーと鳴いた。女の子は紙袋から何とも歪なおにぎりを取り出した。 「はい、おじさん。ママに内緒で作ってきたの。小雨と分け合って食べてね」 女の子は、じゃあまた明日、と指切りをした。おにぎりは、小雨も吐き出すほどのしょっぱさだった。 翌日、また女の子が来た。今度はキャットフードとコンビニのおにぎりを持ってきた。 「お小遣いで買ったの。小雨と一緒に食べてね」 獲物になるとも知らないで、女の子は小雨をなでた。不思議な気持ちになった。人間の言葉だと「罪悪感」とでも言うのだろうか。小雨はキャットフードを夢中で食べた。 翌日、女の子は甘いお菓子を持ってきた。それを食べた小雨は、甘い匂いがした。不思議な感情が沸いてきた。「いとおしさ」とでも言うのだろうか。 1週間後、私は小雨と別れた。女の子にあげたのだ。 「本当にいいの?」 「おじさんは、遠くへ行くんだ」 「わかった。小雨のことは任せて。おじさん、元気でね」 「ありがとう。君はどうしてそんなに優しいんだい?」 「だってパパが言ったの。動物が好きな人に悪い人はいないのよ」 女の子は、小雪と小雨、2匹を抱えて帰って行った。 やれやれ、手ぶら帰ることになってしまった。猫を食べなくても、おいしいものはいくらでもある。時代は変わった。そろそろ食生活を変えてみようと、思い始めていたところだ。 (作家)

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