月曜日, 5月 13, 2024

湖沼市民会議で霞ケ浦と宍道湖の住民が交流《くずかごの唄》136

【コラム・奥井登美子】茨城県主催のシンポジウム「いばらき湖沼市民会議―宍道湖・中海と市民活動について」が2月17日、 宍道湖漁業協同組合の桑原正樹氏も出席して県環境科学センター(土浦市沖宿町)で開かれた。宍道湖・中海住民と霞ケ浦住民の交流は奥が深い。40年前、両方の住民がアオコ問題を提起し、「水の時代」を開いたのである。 1983年に京都で開かれた第1回世界湖沼環境会議プレ会議で、私は地域住民が始めた霞ケ浦流入河川56本の水質調査の報告をした。そして翌年、本会議が大津で開催され、佐賀純一さん(土浦市の医師)が「アオコ河童からの提言」という題で、霞ケ浦のアオコの実情を発表した。 子育て中だった当時の私には、世界中の人たちにアオコを見てもらうだけでなく、匂いをかいでほしいという強い願望があった。その日採取した霞ケ浦のアオコの水を瓶に入れて会場で披露したら、世界湖沼会議全体がアオコの匂いで騒然となった。 宍道湖・中海からも漁民がたくさん参加していたが、湖を淡水化したら水がアオコだらけになってしまい、魚が採れなくなってしまうのではないかという危機感が高まり、漁民を核にした住民運動「宍道湖中海の淡水化に反対する住民連絡会」は、2カ月間で28万人の署名を集めた。 湖の水質保全と漁業の変化 当時の友末洋治茨城県知事に依頼され、霞ケ浦の水を最初に分析したのは義兄の奥井誠一である。当時、彼は東大の「衛生裁判化学」の助教授をしていた。国鉄総裁轢死(れきし)体をめぐる下山(定則)事件、森永乳業の砒素(ひそ)ミルク事件の分析にもかかわった毒物のプロである。 兄と雑談していたとき、「僕は心配しているんだ。アオコがこれだけたくさん発生してしまうと、アオコの毒性について本気になって調査しておかないと、後で大変なことになってしまうんじゃないかと…」。 あれから40年。アオコの発生は抑えられているが、霞ケ浦名物だったワカサギは取れなくなってしまった。今回のシンポジウムでの宍道湖・中海の漁民・住民との新しいつながりが、地球全体の気候の変化に対応した湖の水質保全と漁業の変化に対応できるかどうか、双方の住民に問われている。(随筆家、薬剤師)

パリジャンと私《ことばのおはなし》67

【コラム・山口絹記】昔から朝が得意ではない。はて、私はなぜ「得意ではない」などと迂遠(うえん)な言い回しをしたのだろう。人様に見られると思って文章を書いていると、無意識にええカッコをしようとしてしまっていけない。ハッキリ書き直そう。 私は朝が憎い。朝なんて来なければいいと常々思っている。ここまで書くと意味が変わってしまうか。とにかく私は朝が苦手だ。毎日この世の終わりみたいな顔をして起き上がる。早く寝れば早く起きられるなんていうのは迷信だと思っているし、朝起きられないのは心が弱いからだなどとのたまう人間とは一生わかりあえないだろう。 ちまたにあふれる朝気持ちよく目覚める方法なんて、この四半世紀の間に全部試してきた。そのすべてが当然無駄だったのだ。しかし、憎さもいくところまでいくと、妙な憧れのような気持ちが芽生えてくる。 私には小さい頃からやってみたいことがある。朝早く起きて、大きな紙袋いっぱいにパンを買ってきて朝食をとってみたいのだ。そう、紙袋からフランスパンが突き出しているアレである。パリジャンになりたいのだ。パリの人々が毎朝パンを買いに出かけているかどうかは知らないが、そんなことはどうだっていい。とにかくやってみたい。あわよくば、毎朝そんな生活がしてみたい。 今日は保育園休み? しかし現実は厳しい。私と生活をともにしたことがある人なら口をそろえて言うだろう。まぁ、無理でしょ、と。そんなことは自分でもわかっている。自覚はあるから言わなくてよろしい。 家族にブーイングを浴びせかけられながら、いくつもの目覚まし時計をかけ、鉛のような身体にムチを打って起き上がればできないこともないだろうが、そういうことがしたいんじゃない。小鳥のさえずりに目を覚まし、無駄にさわやかなアニメのオープニングのように、真っ白なカーテンを開いて家を飛び出したいのだ。まぁ、無理か。ああいうのはフィクションだし。そもそも朝から食欲なんてないし。 先日、年に1回あるかないかの、ふと早い時間に私が目を覚ましてしまう事象が発生した。エスプレッソとスクランブルエッグを作って鼻歌交じりにパンを焼いていると、もうすぐ3歳の息子が「保育園休み?」と妻に聞いた。小学生の娘はいつになく慌てて学校に行く支度を始める。 私が変な(世間一般に普通の)時間に起きてくるものだから、調子が狂ったのだろう。我が家の朝はそんな感じである。これからもたぶん、そんな感じなのだろう。(言語研究者)

10月20日告示、27日投開票 つくば市長選・市議選

つくば市選挙管理委員会が1日開かれ、11月16日任期満了のつくば市長選と同29日任期満了の同市議選(定数28)について、10月20日告示、27日投開票の同日選挙で実施することを決めた。 同市の1日時点の有権者数は19万7773人で、前回の選挙時点より1万2569人増えている。4年前の投票率は51.60%だった。 市長選には先月27日、現職の五十嵐立青氏(45)が3期目を目指し立候補を表明したばかり。現時点でほかに表立った動きはない。

民間2園、4月の新規入園受付を断念 保育士確保できず つくば市

待機児童を無くそうと毎年、民間保育園などの施設数と定員数を増やしているつくば市で、保育士が確保できず、4月からの新規入園申し込みを受け付けなかった民間保育園が2園あることが分かった。新年度の新規入園受付を実施しない保育園があったのは、同市で初めてという。 同市では今年4月、民間保育園が4園、小規模保育事業所が1施設増える。民営化により3月末で閉園する市立上境保育所の定員数を差し引いても、利用定員は前年4月より312人増える計画だった。既存の民間保育園2園が4月の新規受付を実施しなかったことで、市の計画定員数が確保できなかったことになる。 新規入園受付を実施しなかったのは、同じ社会福祉法人が運営する青い丘保育園つくば(同市小野崎、定員120人)と、青い丘保育園二の宮(同市二の宮、同60人)の2カ所。現在在籍している園児は受け入れを続ける。 市は24年度の入園に向けて、昨年11月から1次募集、その後2月中旬まで2次募集の受付を実施した。青い丘つくばと同二の宮の2園は1次募集、2次募集いずれも実施しなかった。新規受付を実施なかったことにより青い丘つくばは利用定員数で40人、同二の宮は20人、計60人分の入園枠が減ることになる。 青い丘つくばが2月1日付で保護者に示した資料などによると、同園では3月末に常勤保育士9人のうち6人と、非常勤保育士5人、職員2人が退職する。同園の金秀司園長は取材に対し、保育士らの退職理由について「一身上の都合や、家庭の事情、結婚する人、給料の問題もある、新しい保育園ができて移る人もおり、一つの理由ではない」と説明する。新たな保育士が確保できていないことについては「いろいろな媒体を使ったり、ハローワークで保育士を募集してきた。現在も募集している。引き続き募集を続ける」と話す。新規の入園受付を実施しなかったことに対しては「子供を一人でも多く預かって運営すべきだと思うし、努力している。4月からの運営に関しては保護者説明会も開いた。これからも頑張っていきたい」としている。 保育士の給与 園により2.2倍の開き 退職理由の一つとされる保育士の給料については、県が2021年度分から市町村別に各園ごとの常勤保育士の年間給与をホームページで公表している。保育士の待遇は早急に改善されるべき課題であること、保育士の人件費の大部分は公費であり透明性の確保が重要であることなどが公表の理由だ。 21年度分の公表資料によると、つくば市内の公表対象57園のうち、最も高かった保育園の常勤保育士一人当たりの年間給与は527万円(平均勤続年数15.2年)だったのに対し、最も低い保育園は238万円(同5.29年)で、どの園に勤務するかにより2.2倍の開きがあった。保育士が確保できていない青い丘つくばは市内ワースト2位。市内57園の平均は326万円(同9.19年)だった。 保育士確保は各園の務め 一方、市幼児保育課によると、青い丘保育園からは昨年秋ごろ「退職する保育士がいて、保育士の確保が難しい」などの相談があった。市は同園に対し、さまざまな募集手段や方法を紹介するなどして保育士の確保に努めるよう要請したとし、「市として保育士に月3万円の処遇改善助成金を交付するなどしており、各保育所での保育士の確保は各施設の務めになる」という立場だ。 今回、新規入園受付を実施しない保育園があったことについては「市としては、保育需要が高まっている中で毎年のように保育所を増やしており、利用定員数を預かってほしいとお願いしている。保育士の確保に努めていただき、必要としている保護者さんたちに対応してほしかった」とし、青い丘つくばに対して「保育士確保に向けて話を聞きたい」とする。一方で「4月に新規開所する保育施設はすでに保育士を確保できている」とし、市全体で保育士を確保できない事態が生じているわけではないという認識だ。 子供の数が増えている同市では毎年、民間保育園の数を増やしている。18年4月に56園だった民間保育所は、23年4月は71園と1.2倍に増えている。認定こども園、小規模保育事業所を加えると認可保育施設の数は18年4月が68カ所だったのに対し、23年4月は1.5倍の104カ所になっている。認可保育施設の0~3歳の利用定員は18年4月が6657人、23年4月は1.3倍の8851人になっている。 保育士確保や離職防止のため市は、17年度から民間保育所に勤務する常勤の保育士に1人当たり月額3万円の助成金を交付し、24年度は984人に計3億5424万円の助成金を交付する見通しだ。ほかに24年度の新規事業として、国の1歳児の配置基準より手厚く保育士を配置した民間施設に新たに補助金を交付する計画で、保育園42園、認定こども園6園、小規模保育事業所19施設に計8486万円の予算を計上している。(鈴木宏子)

郷愁の商店街のゲートと鳥居《看取り医者は見た!》14

【コラム・平野国美】地域の特性に応じた役割を果たすために設けられてきた商店街のゲートは、どこから来たのでしょうか? というよりも、なぜ造られたのでしょうか? 都市計画学のバリー・シェルトンは、「日本の都市から学ぶこと」の中で、商店街におけるゲートと神社の鳥居を中心とした参道の共通性について指摘しています。私は古本屋でこの書籍を見つけ、読んでみました。日本で生まれて育った私たちにはわからない、いや、気づけない街の構造を異邦人側から見ると、どう見えるのか、とてもユニークでした。 近代以降の日本において、家屋の欧米化、街並みの欧米化が進んだわけですが、そこに、どこか日本固有の文化が残るようです。完全に欧米化しているようで、実は良くも悪くも日本的な要素が残る。そこが面白いのです。しかし、これは完全に証明はできないのだと思います。それは、無意識に行っているから。 商店街の成り立ちとして、神社が起点となっている痕跡は見られます。商店街や駅名に神社仏閣の名称が付けられていることからも分かると思うのです。江戸時代には商業が急速に発展しました。商人たちが商業活動を行う場所として、城下町や街道沿いの宿場町、そして門前町(神社の鳥居前町)があるのです。 神聖な世界と浮世を分ける結界 神社が単に宗教施設としてではなく、縁日や市場の場所として境内が利用されたことも、この流れなのだと思います。ここで、それを私が勝手に裏付けると思っている右の写真が、岡崎市のパワースポット呼ばれる「晴明神社」と本町晴明ストリートにある商店街のゲートです。 晴明の文字と五芒星(ごぼうせい)が飾られたゲートは商店街の入り口なのか? 神社の入り口なのか? いずれにしろ、神聖な世界と浮世を分ける結界を意味しているのではないでしょうか? 左の写真は、愛知県瀬戸市の「瀬戸銀座通り商店街」です。ここでは、ゲートと深川神社の鳥居が寄り添っています。調べてみましたが、商店街のゲートが神社の鳥居に由来するという記載は見つけられませんでした。しかし、全てではないとしても、一部の商店街のゲートが鳥居のデザインに影響を受けているのではないでしょうか? バリー・シェルトンのような都市建築学の権威が、この二つの印象を関連付けています。商店街のゲートは日本の伝統的な要素も表現しています。それゆえ、日本全国に受け入れられ造られた時期があったのでしょう。(訪問診療医師)

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