パイオニアは元養護教員【北条宿でコーヒーブレイク】1
つくば市内にいくつもある喫茶店は、老舗から新鋭まで様々な展開を見せている。古民家を活用した店もあり、研究学園地区の外側に店を構える例も増えている。
その中で、行政のくくりでいう筑波地区の「北条宿」(宿=しゅく=は街道の拠点となったところ。本稿ではあえてこの呼称を使う)には、この手の業種が存在しなかった。
補足するなら過去には存在しなかったといった方が適当だ。少なくとも地域の人々は「スナックはあったかもしれないが、喫茶店は聞いたことがない」「そもそもお茶は家で飲むもんだ」と答える。
2022年、現実には3件の喫茶店が存在する。喫茶店やカフェという業種が、いつの間にか北条の町なかに定着したことは、実は新鮮な風景なのだ。北条宿においてコーヒーを飲むことのできる喫茶店を訪ね歩く。
サイフォン式に憧れて
初回に訪ねる「茶房 佳風(さぼう かふう)」は、国道125号の北条歩道橋交差点から南に入った一軒家の店舗。ガソリンスタンドが国道側に所在するため目立たないたたずまいだが、この店こそが北条の地にコーヒーブレイクのスポットを開拓したパイオニアだ。
店主の横山ひろ子さん(71)は、元は養護学校の教員だった。家族の介護のために50歳で職場を辞する。コーヒー豆の焙煎(ばいせん)や淹(い)れ方に触れたのは、教員時代に余暇の楽しみとして参加した公開講座だったそうだ。
「サイフォンで淹れるコーヒーの透き通ったワインのような色がとても素敵で、いつか自分でやってみたいと感じました。教員を辞め、その後家族の介護からも解放されたとき、まだ追いかけられる夢として、コーヒーがあったんです」
当時、公開講座を開いていたのは、利根町などで「コーヒーハウスとむとむ」を経営する小池康隆社長。再び喫茶店のいろはを学ぶために門を叩き、店舗の立地条件や客足の季節毎の変動など、とむとむのノウハウを伝授してもらった。2006年9月に開店した。
クラブハウスサンドは逸品
なぜ北条だったのか?
「自宅から通えるところで人の集まる町が北条でした。小池社長からは、役所と学校の近くは意外に客は入らないよと言われましたね。開店の頃はすごい人だかりで1カ月ほどはてんやわんやでした。でも言われたとおり、年が明けるとお客さんが来なくなった。まさしくお茶は家で飲むもの。そういった風習との戦いというか、じっと待つ毎日でした。その間、絶やさなかったことはいつでも笑顔でいること。それも小池社長の教えです」
店が軌道に乗ったのは3年ほど経過してからだという。客層は喫茶店になじんだ団塊世代が中心となり、午後7時で閉店するところを「8時までやってよ」と要望されたという。
横山さんのコーヒーは蒸気圧でお湯をフラスコからロートへ移しながらコーヒー粉に浸すサイフォン式。カップ2杯分が提供される。サイフォンによるコーヒー抽出は強めの苦みと濃い味わいになるといわれているが、佳風のコーヒーは横山さんが憧れた透き通ったワイン色を醸し出すため、ソフトブレンドのようにあっさりとしている。
手伝いを頼むこともあるが、大半の仕事は横山さんが1人で行う。想像以上にメニューの内容も充実している。お勧めを聞くと「クラブハウスサンド。学生の頃、浜松町の世界貿易センタービル最上階のレストランでホールスタッフのアルバイトをしていました。そのときのメニューでとてもおいしそうだったことと、厨房の人たちの手際を思い出しながら、これは喫茶店でもできるかな、と」
横山アレンジが施されてはいるが、佳風のクラブハウスサンドは、今は貿易センタービル改築のために閉店してしまった浜松町東京會舘仕込みの一品だった。(鴨志田隆之)
続く
つくば洞峰公園問題 県と市の考えが対立 《吾妻カガミ》144
【コラム・坂本栄】つくば市の県営洞峰公園改修問題が迷走しています。茨城県の計画に日常的な公園利用者が猛反対。そこで県が広く県民を対象にしたアンケート調査(2回目=秋)を実施したところ、改修賛成が50%に達しました。ところが市は、日常的利用者を主対象とするアンケート調査(県が公表を抑えていた1回目=夏)の分析結果(改修反対が86%)を公表、対案をぶつけたからです。
レジャー施設にこだわる知事
県としては賛成50%で理論武装し、計画の基本を維持したいようです。詳細は「知事『市が所有も一つの選択肢』…」(10月25日掲載)をご覧ください。
そのポイントは、▽2回目のアンケート調査では、県民の賛成が50%(反対は13%)、つくば市民の賛成が39%(反対は27%)と、いずれも改修賛成が多かった、▽ただ、日常的利用者の懸念に配慮し、計画の核になる「グランピング」と「バーベキュー」施設に、飲酒可能区画と同時間を設ける、▽自然を残せとの声に応え、樹木伐採は極力抑える、▽公園を市に移管したらどうかとの提案は選択肢のひとつ―などです。
つまり、県民と市民が支持してくれたので、「グランピング」「バーベキュー」施設を設ける計画は変えないということです。公園運営に民間の知恵を入れ、レジャー施設を経営してもらい、その収益で維持管理費を浮かせる、というのが県の構想です。このため、この2施設はどうしても必要な仕掛けなのでしょう。
市の対案は施設利用料値上げ
県の構想に日常的利用者は反発しています。両施設があると、宿泊者の飲酒で騒がしくなり、バーベキューの煙や臭いは迷惑だ―と。市はこの声を踏まえ、県は計画を取り下げ、公園の維持管理費はプールなどの施設利用料の値上げで捻出したらよいとの対案を出しました。詳細は「(公園運営民間委託を)撤回し利用料値上げを つくば市長…」(11月2日掲載)をご覧ください。
そのポイントは、▽1回目のアンケート調査を分析したところ、日常的利用者の86%は県の計画に反対という結果が出た、▽公園の維持管理費を捻出する方策として、施設利用料の値上げでまかなう案に理解を示す人が52%いた―などです。
市営に移管するという選択肢
県と市の考えの違いは上のように要約できます。面白いのは、県民の50%、市民の39%が計画に賛成、日常的利用者の86%が計画に反対―と、県民・市民と日常的利用者で賛否が分かれることです。
県民の賛成50%の数字を踏まえると、県は計画を撤回することはできないでしょう。また市の方は、市民の賛成39%を悩ましく思いながら、日常的利用者の86%が反対していることから、撤回に動かざるを得ないでしょう。
アンケート調査も大事ですが、もうひとつ大事なのは、公園の管理者は市でなく県であるということです。公園サービスの提供者である県としては、市の対案(施設利用料値上げ)を素直には受け取れないでしょう。
私は市vs.県の泥沼化を心配し、コラム134「県営の洞峰公園、つくば市が買い取ったら?」(6月6日掲載)で、公園の市営化を提案しました。県は面子を失わない形で計画を白紙化できるし、日常的利用者の要求(公園を変にいじらない)を100%満たせるからです。知事はこの案を選択肢のひとつと言っていますから、スマートな策ではないでしょうか。
対県提案を市が実施したら?
不動産業者によると、公園周辺の地価は1平方メートル=約10万円、20ヘクタールある公園の市場価格は約200億円だそうです。この数字を踏まえると、タダというわけにはいかないでしょう(少なくとも簿価?)。また、移管されれば、毎年2億円強の維持管理費を市の予算に計上する必要があります。
県の計画に賛成する市民(39%)は、移管に伴う公園買収費と維持管理費にNOと言うでしょう。そういった声には、(日常的利用者が自己負担する)施設利用料の値上げでまかなうと説明すれば、納得するのではないでしょうか。(経済ジャーナリスト)
全国の駅弁掛け紙コレクションも つくばの古書店で鉄道150年展
つくば市吾妻の古書店ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で、第16回店内展示「鉄道150年」が開催中だ。1872年(明治5)10月14日に日本初の鉄道が新橋-横浜間に開業してから150年を迎えたのを記念し、店内のショーケース3台に明治期から現在までの鉄道関係資料約80点を展示している。目玉といえるのが数百枚に及ぶ駅弁の掛け紙コレクションで、かつて名を馳せた土浦の駅弁も含まれている。
主な展示品は、明治~昭和期の各地の時刻表や鉄道地図、旅行案内などのほか、運転教範や線路工手教範といったマニュアル類、改札鋏(かいさつばさみ)や鉄道懐中時計、車両番号札などの実物も豊富だ。地域資料では旧筑波鉄道や筑波山ケーブルカーの絵はがき、つくばエクスプレスのカレンダー(2008年~2018年)などがある。
珍しいところでは、1881年(明治14)に発行された日本鉄道会社の鉄道特許条約書(国の設立許可書)もある。同社は岩倉具視らが中心となって立ち上げた日本初の私立鉄道会社で、後の東北本線、高崎線、品川線、常磐線などを運営していた。
駅弁の掛け紙はショーケース展示とは別に、地域ごとにファイリングされ、北海道から九州までの日本全国と、日本統治下の朝鮮や台湾のものもある。鉄道旅行黄金期とされる昭和初期を中心に、戦時中の「国民精神総動員」「車内も隣組」といった標語を刷り込んだものも目立つ。
「今は駅弁の販売は始発駅に集中しているが、昔は途中の駅で買うことが多かった。今と違って列車旅行は長旅で、駅弁の需要も大きかった。特に機関区(機関車の保守点検などをする車両基地)のある駅は停車時間が長く、車窓越しにホームの売り子から弁当を買う姿がよく見られた」と店主の岡田さん。そうした駅の一つが土浦で、水戸機関区の土浦支区があり、機関車の取り替えなども行われていた。
駅弁の歴史113年 土浦駅
土浦駅では日本鉄道土浦線(現JR常磐線)開業4年後の1899年(明治32)、説田商店に構内営業の許可が下り、翌1900年(明治33)には山本弁当店、1902年(明治35)には福見商店(後の富久善)が参入して競い合った。当時、常磐線で駅売りがあるのは土浦駅と水戸駅だけで、例えば午前8時30分上野発に乗った客は、11時14分着の土浦で弁当を買い逃すと、午後1時20分の水戸着まで空腹を抱えなければならなかった。
土地の名物駅弁、いわゆる特殊弁当は明治中頃から盛んになった。中でもうな丼は土浦駅の説田商店が1902年(明治35)に発売したのが最初とされ、日本画家の横山大観が常磐線に乗る際は、必ずといっていいほど同店に注文が入ったという。
高度成長期、鉄道の高速化は駅弁業界に逆風となった。在来線でも特急列車の停車時間が短くなり、車両の窓も開かなくなったため、ホームでの立ち売りは急速に姿を消し、売店での販売や車内販売に活路を求めていった。しかし行楽の足がバスや自家用車に変わり、さらにファストフードやコンビニ弁当の普及などもあり、駅弁はますます衰退。土浦では2012年(平成24)に富久善分店がホーム売店を休業したのを機に、113年に及ぶ駅弁の歴史に幕を下ろすことになった。
「誇らしく、感謝」
説田商店の創業者・良三郎のひ孫で、土浦市内で不動産鑑定事務所を営む説田賢哉さんは、幼いころの記憶に残る自社商品に、うな丼のほか、霞ケ浦の名産品を取り入れた幕の内タイプの「水郷弁当」、山菜炊き込みご飯の「ときわ路弁当」などがあったと振り返る。
だが父の賢助さんの代には駅弁はすでに下降線で、立ち食いそばに軸足を移した後、2001年(平成13)ごろ経営を譲渡、駅での事業から撤退している。「明治から平成までの間、土浦の歴史に名を刻んだことは誇らしく、今の自分があるのも曾祖父らのおかげと感謝している。できることならもっと話を聞きたかった」と賢哉さんは述懐する。
◆会期は12月11日(日)まで。営業は午前10時~午後4時。不定休(ツイッター@campusokadaで情報更新)。同店はつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い、店舗の裏に駐車場あり)、電話029-851-8100
お米を極める旅 in柏崎 ① 《ポタリング日記》9
【コラム・入沢弘子】愛車「BROMPTOM(プロンプトン)」が故障してしまい、修理に2カ月ほど要するということ。11月と12月のコラムは番外編として、先月参加した「対話型体験」プログラムについて報告します。
前職の会社の同僚・大羽昭仁氏が、「地域が稼ぐ観光」をコンセプトに会社を立ち上げました。彼のプロデュースは茨城県内では「かすみキッチン」(かすみがうら市)が知られています。現在は、各地の地域資源を生かした観光プログラムづくりに取り組んでいます。
私はそのパイロット事業「日本の食の原点・お米を極める旅」に参加しました。自治体プロモーションに携わってきた経験から、どのようなストーリーをつくるのかに興味があったからです。10月中旬、新潟県柏崎市へ。2泊3日の「旅」でした。
越後門出和紙作家の小林康生さん
柏崎駅からタクシーで訪れたのは史跡「飯塚邸」。大地主で、政財界で活躍した一族の家屋です。昭和天皇が滞在された際に名を賜った庭園も案内していただきました。宿場町であり、かつ北前船の寄港地として繁栄した町の歴史がしのばれました。
次に向かったのは高柳町門出(たかやなぎちょうかどい)。市街地を過ぎると程なく鯖石(さばいし)街道。江戸時代は小千谷縮(おじやちぢみ)を運ぶ要路でした。のどかな風景を走ること40分。3メートル以上の降雪がある豪雪地帯、門出に到着です。紙漉(かみす)きの5代目、越後門出和紙作家の小林康生さんが迎えてくれました。
小林さんの和紙は、地元産の楮(こうぞ)を使った品質と高い技術で定評があり、隈研吾氏の依頼でサントリー美術館やジャパンハウスに使用されています。彼が和紙作家活動と共に続けているのが茅葺(かやぶき)家屋の再生。約40年前に空き家になった茅葺家屋修復を開始しました。
その目的は、過疎化する集落に都会の人を呼び込み、交流を深め、地域活性化を図ること。再生した家屋は宿泊施設「門出かやぶきの里」として運営。今では国内外から年間千人以上が訪れ、他地域からの移住も実現しています。
宿泊した「いいもち棟」は、山並みを背景に広がる田んぼの一角。谷内六郎氏の絵にある風景のようです。夜の帳が下りるころ、2階の部屋にいい香りが漂ってきました。囲炉裏のある座敷に降りると、炉端では串刺しの鮎が焼かれていました。
門出の昔話は『北越雪譜』のよう
お米作りの達人・農業指導士の鈴木貴良さんも合流し、軒先で餅つきのスタートです。門出産大豆で作ったきな粉をつけたお餅を堪能するころ、竈(かまど)でお米を炊き始めました。中越沖地震で崩れた壁の土で作った竈に、紙漉きで使用する楮の皮や山で集めた杉の葉をくべていきます。
「SGDSって言うけれど、門出では昔からやってるんですよ」と小林さんがポツリ。食事は集落のご婦人達が交代で作ります。材料はすべて門出産。今夜は酢ずいきと菊のおひたし、揚げ茄子(なす)煮ひたし、のっぺ、野菜天ぷら、糸瓜(へちま)のサラダ、車麩(くるまぶ)と野菜の煮物、馬鈴薯(ばれいしょ)の甘辛和え、鮎の塩焼き、ぜんまいの煮物、お雑煮、そして焼きおにぎり―。
炉端で語る小林さんの幼少期の門出エピソードは、まるで『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』のようでした。
ある方が「日本中の米を取り寄せてみたら一番おいしかった」という門出の米。地域の人々と語らい、風景にふれ、作物を生産者の方が調理し、その場所で味わう。ここでしかできない特別な体験。ぜいたくな気分に浸りつつ、星空を眺め、夜は更けていきました。(広報コンサルタント)
土浦全国花火競技大会 5年ぶりフィナーレまで完走
色とりどりの花火が大音響と共に土浦の夜空に戻ってきた。第91回土浦全国花火競技大会(主催・大会実行委員会、委員長・安藤真理子市長)は5日、土浦市佐野子、学園大橋近くの桜川河川敷で開かれ、開催を待ちわびた多くの見物客でにぎわった。
内閣総理大臣賞をかけて花火師が技を競う国内最高峰の大会の一つ。2018年と19年は事故により途中で打ち切り、20年と21年はコロナ禍で中止となった。今年はコロナ対策と安全対策を徹底して、3年ぶりに開催された。
大会は、従来より30分早い午後5時30分に最初の一発が上がり、午後8時過ぎまで約2時間半にわたり、音と光のスペクタクルが繰り広げられた。空高く轟音を伴って打ち上がる10号玉、トリッキーでユニークな形状の楽しめる創造花火、土浦の花火名物といわれる華やかなスターマイン、競技大会参加の93作品、広告花火を加えると100近いプログラムが次々に夜空を染めた。
新型コロナ対策として、有料観覧席の入場者を例年より4割減らし約3万5000席に制限し、入場する際は検温と手指消毒を求め、飲食時以外のマスク着用を徹底した。
18年と19年の事故を教訓に、安全対策として打ち上げ場所付近の立ち入りを規制する保安距離を200メートル確保したほか、一本の花火筒に2つ以上の花火玉を入れて打つ「重ね玉」を取り止めて臨んだ。
待ってましたの観客でごった返す
会場周辺は開催を待ちわびたファンで早々に混雑し、ごった返した。午後3時過ぎにはJR土浦駅から会場に向かう人たちで、桜川左岸の堤防道路に長い行列ができた。屋台の仕込みが始まり、堤防下の河川敷では早々にブルーシートが広げられ、場所取りが始まった。
土浦大橋から学園大橋の間の桜川左岸は桟敷席以外も有料の椅子席となり、堤防道路との間は黒い遮へい幕で花火の打ち上げも見られないようシャットアウト、立ち止まらないよう警備員らが早い時間から交通整理に張り付いた。実行委員会は約2000人で誘導など行う警備体制を敷いた。
生田町のスーパーでは仮設トイレを設け、駐車場を開放した。駐車場にシートを敷いて見物する家族連れなどでごった返した。桟敷席対岸の下高津側では市の用意した駐車場が早々に埋まり、1台3000円が相場の民間の駐車場前にも車列が出来た。
あまりの人出と警備誘導にあきらめ、見通しのきく道路の路肩に座り込んで花火見物する人たちも少なくなかった。11月の花火に「やっぱり寒い。10月開催に戻してほしい」との声も聞かれた。
打ち上げが始まると観客の一部は入場が制限されていた河川敷に入ったが、収拾がつかない状況には至らず、草むらから整然と花火を見上げ、歓声をあげた。ほかに目立ったトラブルもなく大会は終了。軽快なビートの躍動と共に繰り広げられる花火のロックンロールで5年ぶりのフィナーレを迎えた。
新米23.5トンを子ども食堂などに 茨城大農学部研究中の収穫から
茨城大学農学部(阿見町、宮口右二学部長)は4日、実証実験中の大規模圃(ほ)場で収穫された新米(あきたこまち)23.5トンを、県内で子ども食堂などの支援活動に取り組む団体に寄贈した。機械メーカーのコマツ(本社・東京、小川啓之社長)と共同で、20年から農業用ブルドーザーを用いた乾田直播(ちょくは)水稲栽培の研究を進めており、年々収量をあげている。収穫米は販売できないことから、食の支援を必要とする家庭や学生へ届けるために活動する団体に寄贈しており、3年目となる今回、この数量も増やされた。
4日は宮口学部長、コマツ本社から坂井睦哉グリーン事業推進部長らが出席して寄贈式が行われた。Ami seed(アミシード、阿見町)の清水直子代表、県生活協同組合連合会(水戸市)の井坂寛専務理事が寄贈の目録を受け取った。Ami seedは茨城NPOセンター・コモンズ(水戸市)により運営されている子ども食堂サポートセンターいばらきを、県生協連は茨城大学生協を含む協同組合ネットいばらきを、それぞれ代表する形で受け取った。
ブルドーザーで耕す乾田直播水稲栽培
共同研究は今年、稲敷市内にある5.6ヘクタールの大規模圃場で行われた。乾田直播水稲栽培は、水田にイネの苗を植えるのではなく、イネの種子を直接土に播くスタイルで行われる。稲作の労力とコストを削減させ、休耕地活用の促進や地域農業の持続可能性につながることが期待されている。コマツの開発した農業用ブルドーザーは、最新のデジタル技術を駆使することによる高精度な均平作業と、後部に装着した農業用アタッチメントによる耕起作業や種まき作業が可能という。
直播栽培はこれまでにもさまざまに試みられたが容易に普及しなかった。農学部の黒田久雄教授は「とにかく土地を真っ平らにするのが大事な要件」といい、トラクターや田植機ではなくブルドーザーの出番となった。
水田の均平精度を高めることにより、給排水を低減した環境配慮型の新たな灌漑(かんがい)システムである額縁明渠(がくぶちめいきょ=あぜに沿う水路)法の実証を進めた。この給水法により、明渠への給水箇所が1カ所で済むようになり、水管理が容易になっただけでなく、ポンプに関わる電力は従来の節電型の水田と比較し、約70%もの節電効果を得られたという。
本年度の収量はヘクタール当たり4.2トン、昨年の3.66トンから大幅に伸ばした。浅木直美准教授によれば「コシヒカリを栽培した昨年は倒伏米(稲が田に倒れてしまう現象)が多かった。あきたこまちでは倒伏がほとんどなかった」のが増収につながったそう。通常の水田ではヘクタール当たり5トンの収量が見込めるといい、採算的にもこのレベルに近づいてきた。
今回の寄贈分は合計23.5トン。昨年の16.8トンを大きく上回った。
子ども食堂とフードパントリーを運営するAmi seedの清水直子代表は「子ども7人に1人の貧困率と言われるが実態は6人に1人になっている。食に興味を持てない子供たちが増えている。お米っておいしいんだよというところから味あわせてあげたい」と謝辞を述べた。コモンズによれば「子ども食堂サポートセンターで把握している県内の子ども食堂は昨年の122件からことし10月時点で144件に増えた。寄贈は大変ありがたい。コロナ禍だけで増えているのではなく、この先も長い支援が必要」(コーディネーターの伊東輝美さん)としている。(相澤冬樹)
電車の中を急いで走る 《続・気軽にSOS》120
【コラム・浅井和幸】朝、ちょっとした想定外のことが重なり、約束の時間にギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際。少しでも早く着かないかと焦る気持ち。思わず、電車の中でそわそわしてしまう体験はあるでしょうか。
事故なのか、道路工事が重なったのか、渋滞している道路が多く、遅刻してしまいそうだ。すぐ次の信号で止まらなければいけないのに、スピードを出したり、車間距離を短くしたり、体をハンドルの近くまで前のめりで自動車の運転をしたことはあるでしょうか。
そんなことをしても目的地に早くつくはずがないのに、早く前に進みたいという意識が体を前に突き動かし、心臓を早く脈打たせるものです。
そして考えます。あれさえ無ければよかったのに、これさえ無ければよかったのにと、過去のことを。挙句の果てには、そもそも日本の電車のシステムや道路の造り方がいけないのだと、イライラを募らせてしまいます。
間違いなく、上記のそわそわした感覚を持ち、もう少し早く家を出ればよかったと嘆いて、疲れるほど努力をしていることなのかもしれません。日本がいけないのだと考えるのも、とても崇高な考えで素晴らしいのかもしれません。
確かに、目的地に着いたら謝ろうとか、目的地の手前の階段を駆け上がろうとか、早く書類を提示できるようにしようとか、対策は考えにくいものではありますが、この対策を考える方が目的に即しているでしょう。
頑張れと言われれば言われるほど、頑張ることを強制されれば強制されるほど、頑張ることを自分で考えれば考えるほど、この目的とは別の手段で頑張ってしまい、疲れるし、憂鬱になってしまうものです。
「頑張る」→「適当にやる」
相談の約束をすると、会えなくなる人がいました。約束をすると、数日前から心構えなどの準備を始めてしまい、約束の当日にはくたびれてしまって会えなくなるのです。そこで、約束をせずに突然訪問するという方法を約束して、会えるようになったケースがあります。
引きこもって家で特にやらなければいけないことは無いと、家族や支援者からは見えるけれど、いろいろな不安や世界の脅威、何かが起こったときの対応を忙しく考えている人もいます。
ビジネスマンでも、大きな未知の仕事を抱えると身動きが取れなくなるという経験をした人もいるかもしれません。頑張れというと、頑張っているのにもっと頑張らなければいけないのかというやり取りもあるでしょう。
そのときの疲労の程度で休む必要もあるかもしれません。そのときは休むことを頑張る必要があります。しかし、それと同じぐらい、今の頑張りを抑えて、目的に即した手段を頑張る必要があるかもしれませんよ。
あえて頑張ると書きましたが、上記の文章の「頑張る」をすべて「適当にやる」に変えて読み替えても面白いですよ。(精神保健福祉士)
土浦、牛久、下妻を例に既存校の定員増へ努力 つくば 県立高校問題で県教育長
人口が増加するつくば市で、市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)が県立高校の新設や既存校の定員増などを求めている問題で、森作宜民県教育長は4日開かれた県議会12月定例会で、つくば市の子供たちが多く通学している土浦、牛久、下妻の3市を例に挙げ「今後、通学可能な範囲で進学先が確保できるよう努める」と答弁した。
定員を増やす学校の具体的な選定については「教室の数や敷地の広さなど敷地の状況も考慮しながら、中学生の進路選択に影響が出ないよう検討を進める」などとした。
さらに、中学卒業者数の推移や志願状況、学校施設などの状況を検討し「つくば市の人口増加に対応した県立高校の募集定員について、計画的に示せるよう取り組む」などとした。
鈴木将県議(自民)の一般質問に答えた。答弁を受け鈴木県議は、早ければ2024年度の募集に間に合うよう取り組みを求めた。
森作教育長は、県立高校の適正配置計画は、県内を12のエリアに分け、エリアを基本に検討しており、つくばエリア(つくば市、つくばみらい市、守谷市、常総市など)の中学校卒業者数は2030年までに現在より約700人増加する見込みなのに対し、周辺エリアは約1400人減少することが見込まれる、などとこれまでの答弁を繰り返した。
一方で、周辺エリアにはつくば市から通学している生徒が少ない市町村も含まれているとの市民団体のこれまでの指摘を認めた上で、つくば市から多くの生徒が通学している土浦、牛久、下妻の3市に限って推計すると、つくばエリアの中学卒業者数は2030年までに現在より約700人増加するのに対し、3市は約500人減少し、つくばエリアの増加が約200人上回る状況となることを認めた。
その上で「こうした状況から、適切な時期に県立高校の定員を増やしていくことが必要」だとし、来年春、つくばサイエンス高校(現在のつくば工科高校)の定員を2学級80人増やすのにとどまらず、さらに既存校の定員を増やしていくとした。
一方、市民団体が求めている、つくば市内への県立高校の新設については触れなかった。
請願署名402人分を追加し7477人に
これに対し市民団体は、人口が急増するつくば市では6人に1人しか市内の県立高校に進学できず、通学費用や通学時間の負担が大きいなどとして市内などへの県立高校の新設や既存校の定員増などを求め、10月31日、県議会に請願を出し、10日開かれる文教警察委員会(水柿一俊委員長)で審議される(10月31日付)。4日、署名を402人分追加提出し、請願署名は計7477人となった。請願の紹介議員になったのは山中たい子県議(共産)ただ一人。
染色家の協力で洋服アップサイクルに挑む 古着好きの筑波大1年生
たんすに眠っているTシャツなどの洋服を集めて、地元の染色家が地元産の農産物で染め、新しい服に生まれ変わらせて販売する洋服のアップサイクルを、つくばで実現しようと筑波大生が奔走している。筑波大学総合学域群第一類1年、大本裕陶さん(18)は、昨年NEWSつくばに掲載された記事をきっかけに、染織に興味を持ち、自分らしいイベントを開催しようと奔走する。
アップサイクルは、本来は捨てられるはずだったものに新たな価値を与えて使う取り組みをいう。「リユース(再使用)とリサイクル(再利用)のちょうど中間のような概念。リユースはもう一度使うこと。リサイクルは一度、細かく分解してから使うこと。アップサイクルは、ものを分解せず、そのままの形を活かしてさらに価値を加えることを指す」と大本さん。
古着と出会う
進学した千葉県の県立高校時代に古着と出会い、魅力に取りつかれた。「よく東京に行って、好きなアーティストが開いている古着の店に通った。映画に出てくる服とかも見て回った」2022年に筑波大学に入ってから、今ある仕組みやシステムにただ参加するのではなくて、自分で新しいことがしたいという気持ちを強く感じた。そこで自分が好きな古着で何かできないかと思うようになった。
現在の洋服の生産・流通・販売の仕組みは環境に大きな負荷をかけてしまっているとの問題意識からだ。大量の服がごみとして捨てられている問題などを知って、環境に負荷をかけずにファッションを楽しめる仕組みをどうにかしてつくれないか、もどかしさを抱えていた。
染織のことはよく知らなかったが、NEWSつくばの連載を読み、身近なつくばや土浦にも染織家がいることを知った。2021年10月27日~30日に4回連載の「染織人を訪ねて」は、つくばにゆかりのある染織家を追った記事だったた。
大本さんはアップサイクルの協力を依頼するため、土浦市板谷の染織工房「futashiba248(フタシバ)」(21年10月29日付)を訪れた。草木染を行う工房で、剪定された木枝や規格外で市場に出ない野菜・果物などを県内各地の農家から提供してもらい、農業廃棄物から取り出した染料を用いる草木染を特徴にしている。
「絶対断られるだろうな」と思いながら、自転車で1時間かけて染織工房に行った。「反応は予想外のもので、自分の話をとてもよく聞いてくれて、協力してくださることになった」
顔の見える関係
来年春、つくば市内で集めたTシャツなど衣服約30着を染めて売り出すイベントを開催する予定だ。資金はクラウドファンディングで集め、10月末までに12万円に達した。販売会場などの詳細は検討中だ。「今、友達に呼びかけて服を集めている。つくばで集めて、つくばで染めて、つくばで売る。自分が住んでいるこのつくばで完結することも大事なことだと思う」と話す。
大本さんにとって、顔の見える関係の中でアップサイクルを行うことが重要だという。「元々の洋服の持ち主、それを染めて加工する染色家、染め上げた洋服を販売する人、その人たちがアップサイクルを通じてつながるきっかけをつくりたい」という。「友人のなかには古着を汚いと思い、避けている人もいるけれど、アップサイクルには好印象を持っていたりする。アップサイクルに興味を持ってもらうことで、捨てられてしまう衣服が減ることになる」大本さんの目標は洋服のアップサイクルを普及させること。まずは染織によるアップサイクルの形を模索するが、染色以外の手法もこれから考えていく。「まだ大学に入学したばかりの18歳で、なにか実績があるわけでもない。いろいろな方の手助けをいただくことができたらうれしい」と話した。(山口和紀)
大学病院の救急救命室 《くずかごの唄》118
【コラム・奥井登美子】大学病院の救急救命室を初めて見た私はショックだった。地球ではない。宇宙船の中。医療器械に囲まれたわずかな空間に、チューブだらけの人間らしきものが横たわっている。
夫は大動脈の中膜(ちゅうまく)の解離(かいり)で意識を失い、倒れてしまった。肺にたまった血液が呼吸を止める寸前に、ドレーンを使って血胸(けっきょう)を抜いてくれた。この病院ならではの手早い技術と処置で、とりあえず命をとりとめたようだ。だが、まだまだ解離した動脈血管からの出血が多いので輸血をしている。いつ呼吸が止まってもおかしくない状態だという。
「いつ何が起こるかわかりません。家族のかたは、5分以内に来られる場所にいてください」。24時間、5分以内の場所に家族は張り付いていなければならない。
「ダークマター 暗黒物質」
こうなると家族の結束しかない。3人の子供とその連れ合いと私。7人でチームを組んで当番をきめ、ノートを1冊作って、医者からの説明など、すべて記入してことにした。夫の兄は千葉大学の医学部外科教授だった人。心配で家にいられなくて、動脈解離の専門医の友達を連れて、毎日来てくれる。
運がよかったのは、脳に行く血管の1センチ下から解離したおかげで、脳の機能が保たれたことである。たった1センチの差で、彼のその後の一生は左右されたのである。5日目に意識が戻り、救急救命室から脱出し、一般病棟に移ることができた。 1カ月ぶりに土浦の家に帰ってきた彼が書いた文字は、「ダークマター 暗黒物質」。(随筆家、薬剤師)
