月曜日, 4月 6, 2026

いばらき未来会議が1周年集会 《邑から日本を見る》100

【コラム・先﨑千尋】このコラムを書きつづって、今回がちょうど100回になる。いつでも、伝えたいことや書かなければならないことがいくつも頭の中にあり、その中からテーマを選んで、私の思いを読者の皆さんにぶつけてきた。取り上げる課題が何もない時が来ればいいなと思う時もあるが、実際はそうはいかないでいる。今回は、私も関係している「いばらき未来会議」が設立して1年経ち、その集まりで私が話したことなどを伝えたい。 同会議は昨年、県議会で「東海第二原発の再稼働の賛否を問う県民投票条例案」が否決されたのがきっかけで、県内各地の市民団体のネットワークを作ろうと結成された。情報の共有や連携などが目的。 同会議の1周年記念講演会は「農業と原発問題を考える」というテーマで、11月6日に水戸市で開かれた。私の講演のあと、笠間市で「あした有機農園」を主宰する涌井義郎さんも交えたパネルディスカッションがあった。 2011年の東京電力福島第1原発の事故で、多くの福島の人たちは避難生活を余儀なくされ、現在でも原発周辺の人たちはふるさとに戻れないでいる。飯舘村は福島第1原発から30キロ離れており、村民たちは当初、放射能で汚染されていることを知らされずにいた。避難指示が出たのは4月22日。他の人たちが避難を終えたあとだったから、飯舘村の住民たちは条件のよいところを見つけられず、その後の苦しい生活が始まった。 東北は原発の「植民地」 私は講演の最初に「東北地方は、大和朝廷にとっては異民族(エミシ)の住む野蛮なところ。そのために、1000年以上も「征夷大将軍」という官職が置かれ、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟を結び、明治政府に抵抗した。戦後は福島や新潟に原発が設置され、電力の『植民地』とされた」と話した。 そして「日本一美しい村」と言われた飯舘村の原発事故後の状況や村の人々の対応に触れ、国が進める「強い農業、もうかる農業、スマート農業」ではなく、原発事故後の地域を守っていくには、阿武隈山系の人たちが営んでいる「農地を守り、老若男女合わせて生きがいを求める小規模農業」こそがふさわしい暮らし方だ、と結んだ。 パネルディスカッションで、涌井さんは、水戸市にある鯉渕学園で有機農業を教えてきた後、笠間市で有機農業を志す人のために「あした有機農園」を開き、これまでに30代から50歳までの15組が独立し、県内で充実した生活をしているという報告をした。涌井さんは、そうした人たちが生産した農産物や加工品を販売するため、一昨年秋に「町の駅笠間宿」内にオーガニックの直売所も開いている。 その後の意見交換では、東海村前村長の村上達也さんが、1999年のJCO事故後、村の総合計画を策定した時、農業を衰退させてはならないと考え、福祉、環境、教育と並んで農業も村の柱の一つに入れたと話し、それを受けて涌井さんは「放射能汚染は最大、最悪の環境破壊だ。地球上のすべての生き物が影響を受ける」と語った。(元瓜連町長)

2年ぶり、森の里団地で文化祭 作品通し交流再び つくば

つくば市茎崎地区の住宅団地、森の里団地で21日「森の里文化祭」が開幕した。昨年は開催を中止し2年ぶりとなる。緊急事態宣言が9月末に解除され、新型コロナの感染者がその後も減少していることから、森の里自治会(倉本茂樹会長)が1カ月前に開催を決めた。 写真、絵画、手芸、習字、絵手紙など住民の作品約530点が団地内の自治会公会堂に展示されている。例年より少し多い作品が集まった。一方、例年は会場に喫茶スペースを設け、豚汁やコーヒーなどをふるまってきたが、今年は喫茶スペースを設置せず、会場が混雑した場合は入場を制限する。 コロナ禍、つくば市は市民文化祭を中止、各自治会も2年連続で文化祭を中止した地区がほとんどの中、感染防止対策を徹底して開催にこぎつけた。 展示作品は、団地に隣接する谷田川の土手をヒナを連れて歩くコハクチョウや、市内に営巣するオオタカが木の枝から飛び立つ写真、岡山県倉敷の街並みや長野県安曇野の集落の風景を鉛筆だけで描いた鉛筆画、花びらや果物などを押し花にして絵にした押し花絵画、ひもを編んで手作りしたバッグ、紙粘土人形、ネックレスなど。 自治会文化部長の吉田敏さん(74)は「自宅でこつこつ作ってきた人たちが作品を出していると思う。直接、顔を合わせなくても、作品を通して『あの人が作品を出しているね』と思っていただければ」と話している。 森の里団地は約1300世帯のうち半数を65歳以上の高齢者が占め、新型コロナが感染拡大した昨年から、外出を控え自宅に閉じこもりがちの高齢者も多いという。緊急事態宣言時などは文化サークルも活動を休止したため、各自が自宅で仕上げた作品が多いという。 同自治会は毎年、バス旅行や演奏会、映画鑑賞会などさまざまなイベントを1~2カ月に一度開いてきたが、コロナ禍ですべてのイベントを中止しており、この2年間で開催できたのは文化祭が唯一という。 ◆森の里文化祭は27日まで1週間、つくば市森の里、森の里自治会公会堂で開催中。時間は午前10時から午後3時。入場無料。

子どものころ 土浦の遊び ② 《夢実行人》2

【コラム・秋元昭臣】秋になれば、稲刈りやダダダーというエンジン音に誘われて脱穀作業を見たり、道に伸びた枝から柿を失敬したり。松林では、ハツタケ、アミタケ、たまにはマツタケも見つかり、キノコ取りに夢中になりました。 台風など大風の後には、松林に落ち葉、折れた枝を集めに行くことも子どもの仕事でした。学校に石炭ストーブが導入されると、「ストーブ当番」は火付け用に枝を持って行きました。家庭では、石油コンロが普及するまで、火付け材集めや風呂たきは子どもの仕事でした。 そのほかにも、犬、ニワトリ、ウサギのエサやりがありました。悲しいことに、ニワトリは卵を産まなくなると食卓に上がり、ウサギはウサギ屋に引き取られました。アンゴラウサギは毛を刈って加工してもらい、セーターにしたようです。今と違い、夜は犬を放してしまい、朝方に戻ってきました。 秋には模型飛行機大会があり、「A-1ライトプレーン」を飛ばし、みんなで滞空時間を競い合い、先生の作った大型のグライダーに夢をはせました。 運動会では、登校すると、校門の柱が杉の小枝で囲われ、きれいな緑色になっているのに感激しました。一番の呼び物は、小中高青年団が参加する「部落対抗リレー」で、部落総出の応援に盛り上がりました。なんといっても楽しかったのは、家族で食べる昼の弁当でした。 年の暮れには、父親の実家に親戚が集まり、餅をつき、いとこ同士の交流が楽しかったものです。正月用の桐のげたを履いて走り回り、割ってしまったことは悲しい思い出です。 土浦劇場の「ノンちゃん雲に乗る」 冬は、陽当たりのよい傾斜地に洞窟を掘り、大きな木の上に隠れ家を作り、秘密の基地にしました。 子どもの楽しみは「紙芝居」でした。2本の棒でこねると白くなるアメを買って見るのでしたが、毎回とはいかず、「タダ見」させてもらいました。でも、紙芝居のおじさんはニコニコしながら、何も言いませんでした。 「爆弾」も回ってきました。米やトウモロコシを持って行くと、加熱加圧してふたを開くとき、バーンと大きな音がするものでした。 学校では、教室をぶち抜いて暗幕を張り、映画会を開いてくれました。45分ぐらい歩いて市内の土浦劇場に行き、「ノンちゃん雲に乗る」を見たことはよく覚えています。 テレビ出始めのころは、自転車に乗せられて土浦駅まで行き、街頭テレビでプロレスや相撲を見たものでした。ラジオのドラマに耳を傾けた時期でもありました。 冬になると、朝方、土浦港の船が一斉にエンジンを掛け、その「ポポ・ポン・ポン」という音は子供心に夢を抱かせてくれました。凍った田んぼで、竹を割って先を折り曲げた「竹スケート」を作りもしました。小学生のころ、低い竹馬も作りながら、背丈より高い竹馬に乗っている中学生に憧れました。 今、その場に立って見ると、掌(てのひら)に乗るような広さでしかありませんが、子どもの時は無限の広さを感じた世界でした。決して豊かな生活ではありませんでしたが、子どもなりに好奇心旺盛で、仲間と仲良く、社会格差のない、心豊かな時代だったと思います。(ラクスマリーナ前専務)

最初の一歩か 最後の一歩か 《続・気軽にSOS》97

【コラム・浅井和幸】先日、多様な専門家や地方公共団体の福祉部署の方が集まるネット会合で、講演する機会をいただきました。NPO法人「アストリンク」の代表として、不登校・ひきこもり・ニート問題への対応をお伝えしました。 会合では、悩んで部屋にこもっている方との話を始めるきっかけについて話しました。それは、ケースによって、単純に家を訪問するということもあるし、何年も訪問した後にちょっとした声掛けがきっかけになることもあります。 言葉にすると当たり前なのですが、誰にでも、どのような関係でも、パッと話ができる万能のきっかけづくりはありません。どのようなことでもきっかけになり得るし、必要なのはきっかけとなり得る要素がそろうことです。 そうはいっても、ノウハウが知りたいですよね。私はそれを「ノウハウ」ではなく、「小手先のテクニック」「やり方の具体例」「カタログ」―と表現します。例えば、手紙を書く、飲み物をメモと一緒に置く、ドア越しに話をする、ノックの仕方や声の大きさを変える―など。これらの方法は、小手先のテクニックと軽視できません。 そのうえで、言葉などがどのように届いたか、反応をよく見て、対応することが大切です。つまり、コミュニケーションを大切にすることで、近づきやすくなると考えています。 小刻みに一歩を進む 話ができない人と話せるきっかけというけれど、それは、山登りでいえば、頂上に着く最後の一歩を教えてほしいという意味と同じで、最後の一歩の話よりも、そこにたどり着くまでの一歩一歩が必要であると伝えました。 私の講演の後、グループに分かれ、普段の活動や私の話の振り返りが行われました。そして、各グループから、どのような話が出たか発表がありました。その一つに、「きっかけ」とか「話をする」ということは最初の一歩だと思っていたけれど、山登りの最後の一歩だということに驚いたという意見がありました。 この感想に、私も衝撃を受けましたし、勉強になりました。なかなかできない「きっかけ」づくりが、はじめの一歩と捉えられやすいのです。はじめの一歩が大きすぎるなぁと私は感じます。「スモールステップ」は福祉や医療でよく使われる言葉で、参加者が皆知っている言葉だと思います。目標を小さく分け、達成しやすい一歩ずつを達成していくという考え方です。 話をすることが難しいのならば、やっぱり大きすぎる一歩です。小刻みに一歩を進む必要があるでしょう。そして、話せるようになるという山を登ることができたのであれば、さらに別の山、高い山に、小さな最初の一歩を刻むことの繰り返しが必要でしょう。(精神保健福祉士)

3カ所目の小中学校新設は見送り つくば市みどりの 人口推計を下方修正

児童・生徒数が急増しているつくば市のTXみどりの駅周辺の学校新設について、市教育局は19日、人口推計を見直した結果、みどりの学園義務教育学校は、みどりの南小中学校(仮称、2024年4月開校)を分離した後、増築した教室で対応できるとして、現段階では、みどりの地区に3カ所目となる新たな学校を新設しないとする方針を示した。市学区審議会は今年3月出した答申で、南小中学校のほかに、新たな学校の設置を検討するよう意見を付けていた。 一方、みどりの義務教育学校の児童・生徒数は今年4月時点で1595人と、国が解消を促している1200人程度以上の過大規模校になっている。南小中学校を分離した後もさらに増え続けるが、市教育局は2030年度をピークに減少に転ずるとして、大規模で推移する期間について「学校で子どもたちが健やかに成長できるよう対応していく」とした。 具体的には、みどりの義務教育学校は現在、テニスコートなどだった敷地に開校後2度目となる校舎を増設中であることから、東側に新たに県有地9900平方メートルを取得し、テニスコートを含めたサブグラウンドと教職員駐車場を整備するという。 19日開かれた市議会全員協議会で明らかにした。サブグラウンドなどの購入価格は約4億2500万円で、11月30日開会の12月議会に補正予算を提案する。可決されれば来年3月に取得し、教職員駐車場を22年度に整備する。グラウンドの設計や整備時期は未定。拡幅用地はもともと公共公益用地として土地利用計画されていた。 19年の推計より900人減少 今年3月の市学区審議会では、みどりの義務教育学校は、南小中学校分離後も大規模校で推移することから「新たな学校用地の確保など適正規模に向けた対策を検討する」よう意見が付けられた。 市教育局によると、答申を受け対策を検討する中で、みどりの義務教育学校の2022年度以降の児童・生徒数推計を見直した結果、2019年策定の児童・生徒数の推計と、現時点で見込まれる推計に乖離(かいり)があることが分かった。女性が産む子供の数や平均世帯人数などの推計を実態に合わせて見直した結果、19年はピーク時の2030年度の児童・生徒数は3158人と推計されていたが、宅地開発が早く進んだ場合でも、当初より900人少ない2276人と見込まれることが分かったとしている。今年4月時点でも実際の児童・生徒数は推計値より約40人少なかった。 みどりの義務教育学校は2018年4月開校。翌年の19年度に普通教室を16教室増築し、さらに現在も2度目の増築工事を実施中でさらに19教室増築する。来年4月には特別支援教室も合わせ計83教室となる。ピークとなる2030年度には78教室が必要になると見込まれ、83教室で対応できるとした。 一方、今後も人口増加の状況や児童生徒数の推移を注視し、継続的に精査していくとしている。(鈴木宏子)

100点ゲームで茗渓10連覇 日立一を圧倒 花園へ 高校ラグビー

第101回全国高校ラグビー県代表決定戦が19日、水戸市河和田町の市立サッカー・ラグビー場で開かれた。昨年と同じ顔合わせとなった茗渓学園-日立一の対戦は102-0と茗渓が圧勝。10大会連続27回目の優勝を飾り、12月27日から東大阪市花園ラグビー場で開かれる全国大会への出場権を獲得した。 茗渓は持ち前のパスラグビーを展開。ウイング森尾大悟の4本を筆頭に前半9本、後半8本のトライを挙げた。敵陣での守備で相手を押し下げ、素早く攻撃につなげる得意のスタイルが機能した。「密集で時間をかけず、セットスピードを意識。表と裏の2本のラインをしっかりと作り、ハーフバックの状況判断でボールをさばく」とスクラムハーフの高橋佑太朗主将は説明する。 高橋健監督は「ボールをつなぐ回数が増えるほど、パスミスやキャッチエラーの機会も増えるので、今はパスを減らしてフォワード勝負に徹するチームが多い。だがうちはグラウンドを広く使い、パスを回していくチーム。パスワークを楽しめるだけのスキルを身に付けている」と胸を張る。 序盤はミスも目立った。キックオフで日立一が蹴る縦回転のボールを受け損なう場面やパスの呼吸が乱れる場面など。それらも試合が進むにつれて修正されていった。 「ミスは仕方のない部分があるが同じミスはせず、個々に修正し続けていかないと。全国では1つミスをするとしばらくボールが戻ってこない。できることをしっかり確実にやりきり、自分たちがボールをキープする時間を長くする」と高橋監督。 今季のチームの特色として1年の活躍が挙げられる。この試合でも5人が先発で出場。166センチと小柄だががっしりした体格でフッカーを務める川村航平、ナンバーエイトでスクラムを支える小川和真、183センチ・100キロの体格でチーム1の突破力を誇るロックの小杉太郎、パスでも自力での仕掛けでも自由自在のセンター田村優太郎、そして50メートル6.2秒の俊足としなやかなステップが武器の森尾だ。 いずれも昨年、中学での全国優勝が期待されたがコロナ禍のため大会が開かれず、くやしい思いをした世代。気持ちを切り替えて新チームで力を付けてきた。「今季はチームプレーが強み。個々に頼らず、みんなの力で点を取る。後輩も公式戦で自信を付け、学年の差を感じさせずアグレッシブにやってくれた」と高橋主将。「プレーが止まったとき前の選手へ声を掛けるが、自分たちの意見もしっかり聞いてくれる」と田村。フォワードとバックス、また先輩後輩の息もぴったりだ。 高橋主将は花園では上位進出を目指すとともに、観客を魅了するラグビーを見せたいと話す。「うちの強みはフォワードもバックスもパスができること。ナンバーワンのパスチームとして、見ごたえのあるプレーでお客さんを湧かせたい」(池田充雄)

私の隣にいるのは介助者です 《電動車いすから見た景色》24

【コラム・川端舞】先日、インフルエンザの予防接種を受けに病院に行った時、同行していた介助者を見て、受付の人が「ご家族の方ですか?」と聞いてきた。いつものことだったため、特に気にせず、「いいえ。介助者です」と答えたが。 介助者(ヘルパー)と一緒に外出する障害者なら、似たような経験をしている人も多いだろう。介助者と一緒に来ているのに、なぜか家族だと思われてしまう。同行している介助者が私と同年代なのに、「お母さんですか」と言われてしまい、あとで介助者が「私、そんな年齢に見えるのかな」とつぶやいた時は、おかしいような、気まずいような気持ちになる。 なぜ、障害者の外出に同行している人は家族だと思われてしまうのだろう。確かに、介助者と一緒に外出する障害者よりも、家族と外出する障害者の方が多いのは事実かもしれない。しかし、障害者の介助は家族がするのが当たり前だという考え方を多くの人が持っていて、本当は介助者と外出している障害者を見かけても、「きっとそばにいるのは家族なんだろう」と思われてしまうこともあるように感じる。 「介助者と外出するのが当たり前」の社会 障害のない人であれば、たいてい大人になったら、実家を離れて、1人暮らしをしたり、パートナーと一緒に暮らすだろう。親も子育てから卒業し、仕事や趣味に時間を使う。しかし障害者となると、大人になっても親が介助するのが当たり前だと思われてしまう。本来なら、障害者の親になっても、子育てが終わったら、子離れして、親自身の人生を楽しむ権利があるはずなのに。 もちろん、障害者の介助をずっと家族に任せてしまう背景には、介助者という職業の人手不足という問題もあるだろう。しかし、障害のある家族と外出するたびに「ご家族の方ですか?」と言われてしまうと、「やっぱり障害者は家族が介助しないといけないんだ」と思ってしまい、介助を家族以外の人に交代してもらうという選択肢を思いつかなくなってしまうこともあるかもしれない。 私のような障害者が介助者と一緒にどんどん外出し、「ご家族の方ですか?」と言われるたびに「介助者です」と答えることで、家族ではなく介助者と一緒に外出する障害者もいることを多くの人に知ってもらい、「介助が必要な障害者は介助者と外出するのが当たり前」と思ってもらえるような社会をつくっていきたい。(障害当事者)

被災地に駆けつけPCR検査 筑波大、災害医療の水素燃料バス開発

被災地に駆けつけ、自前の電源で1日2000人以上のPCR検査ができる災害医療用の水素燃料電池バスを、筑波大学医学医療系感染症内科学の鈴木広道教授とシステム情報系の鈴木健嗣教授らが開発した。全国で初めて。 トヨタの水素燃料電池大型バス「SORA(ソラ)」の車内を改装し、大手検査センターと同等の高性能なPCR自動検査機器を搭載した。検体を受け付けてから約40分で結果が判明し、通信機能を備えたバスからメールで検査結果を通知する。新型コロナウイルスのほか、ノロウイルスやインフルエンザなど、感染症を引き起こす様々なウイルスの検査ができる。 感染症の流行を防ぐため避難所でPCR検査をしたり、被災地に入る災害ボランティアのPCR検査をするなどを想定している。医療機関や検査センターが停電に見舞われた際に駆け付けたり、ドクターカーとして診療したり、マイナス30度まで冷却できる冷凍庫でワクチンを運び、被災地で接種することなどもできる。 バスの発電機能を生かして避難所に応急の電源を供給したり、平常時には、静かで振動が少ない特性を生かし、睡眠障害の検査をする車として活用するなども想定している。 まずは性能検証の実証実験 鈴木広道教授は「(水素燃料電池バスは)静かで、振動が少ないからこそ検査ができる」と話す。被災地ではピペットなどの検査器具が手に入らなかったり、検査技師が確保できないことも想定されることから、使い捨てのスポイトなど、だれでも使える検査器具のみを使い、簡単に検査ができるようにした。 内閣府総合科学技術・イノベーション会議の戦略的イノベーション創造プログラムの一つとして実施されている。2021年度の事業費は6億7000万円。水素燃料電池バスは1台約1億2000万円、搭載するPCR検査機器は約2000万円という。 来年3月まで、水素ステーションから半径25キロ圏内などに出向き実証実験を展開する。土浦保健所でPCR検査の想定試験をしたり、県外で開催される1000人規模のイベント会場でPCR検査の実証実験をしたり、県の防災訓練に参加するなどして性能などを検証する。 ほかに、狭い場所でも行き来できるマクロバスのPCR検査車も開発する予定で、大型バスとマイクロバスを併用した実証実験なども予定している。

筑波大・柔道金の永瀬選手たたえ 郵便局前にゴールドポスト

東京五輪柔道男子81キロ級で金メダルを獲得した筑波大学出身の永瀬貴規選手(28)の栄誉をたたえて、金色のゴールドポストが18日、つくば市天王台の大学会館、筑波大学内郵便局前に設置された。 もともと設置されていた赤いポストが金色に塗り替えられた。投函口の下には「永瀬貴規選手 柔道男子81㎏級 ゴールドメダリスト」などと日本語と英語、点字で書かれたプレートが貼られている。 選手の功績をたたえ、選手を輩出した地域を盛り上げようと、内閣官房東京オリンピック・パラリンピック推進本部事務局と日本郵便が協力して設置した。県内初、全国では12番目の設置となる。 永瀬選手は長崎市出身。2012年に筑波大学体育専門学群に入学し、4年の時、世界選手権で優勝した。卒業後は旭化成に所属し、宮崎県を拠点に活動している。 学生時代、稽古に励んだ筑波大学に設置してほしいという永瀬選手の希望で、ゴールドポストを大学に設置することになった。 18日、ゴールドポストの除幕式が催され、永瀬選手のほか、永田恭介筑波大学長、駒崎真史筑波学園郵便局長らが出席した。永瀬選手は東京五輪日本選手団の公式ジャケットを着用して参加し「ゴールドポストの除幕式を開催していただきまして誠にありがとうございます」などと感謝の気持ちを述べた。

筑波山の「つつじヶ丘レストハウス」 《ご飯は世界を救う》41

【コラム・川浪せつ子】久しぶりに、筑波山のつつじヶ丘から女体山に登りました。10月半ば過ぎのよいお天気の日。ロープウエーはコロナ禍だというのに満員電車並み。ちょっとだけですが、山頂まで山登り。山頂も混雑していて、押し合いへし合い状態。ですが、山頂も、中腹からの展望も、ロープウエー行き帰りの風景も、素晴らしいものでした。 ちょうどお昼だったので、ロープウエーの乗り場横の「レストハウス」でランチ。お昼より少し早かったので、お店はあまりお客さんがいません。おいしいかしら?私の好きなメニュー「親子丼」。外食で親子丼を食べたことがないので、チャレンジ。それが!おいしかった~。 11月半ば。今度は男体山の紅葉を見ようと出かけたら、筑波山の入口のかなり手前から車の大渋滞。諦めてUターン。そのあと、市内の「松見公園」「かつらぎ公園」「松代公園」と、紅葉真っ盛りの公園巡り。すべて池があり、紅葉が映り込む姿がステキです。 見晴らしのよい男体山の上で、親子丼を食べる夢はおあずけでしたが、3つの公園の紅葉観賞というプレゼントをもらえました。(イラストレーター)

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