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土浦 花火 -検索結果

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土浦の花火100年の紡ぎ⑹《見上げてごらん!》53

【コラム・小泉裕司】観客動員数の推移について、「土浦の花火オフィシャルカレンダー2026」の6月のページには、「第14回(1946年)の35万人(当時人口の約7倍)から順調に増加し、第77回(2008年)には過去最多の80万人を記録した。当時は土浦駅に入場規制がかかるほどの混雑ぶりだった。その後は70万人ほどで推移している」とある。 2025年(第94回大会)の観客動員数は65万人。この数字の変遷は、大会が歩んできた発展の歴史そのものといえる。こうした発展の裏には、これまであまり功績を紹介されてこなかった業界の著名人がいる。 東大卒の花火師が土浦に 東京帝国大学文学部を卒業した花火師、武藤輝彦氏(1921~2002)は、日本の近代花火を語る上で欠かせない先駆者の1人だ。前回(5月17日掲載)紹介した通り、武藤氏は、かつて「土浦火工」とともに、土浦の花火産業の両輪を担った「昭和火工」の専務として、北島義一氏と共同経営にあたっていた。 その工場は土浦市上高津にあり、玩具(がんぐ)花火を幅広く取り扱いながら、東京浅草橋の事務所を拠点に全国へ営業を展開していたのである。 花火史に残る武藤氏の功績 昭和火工の再興から5年後の1961年、花火を文化財の対象にすべく「日本煙火芸術協会」が設立されると、武藤氏は事務局長に就任した。その事務局は、浅草橋の昭和火工事務所内に同居する形でスタートしている。大学卒業後にさまざまな職を歴任したという彼の多様な経験と広い視野が、この精力的な活動を支えたに違いない。 翌1962年には、花火の安全保安に寄与するため、北島氏とともに「日本煙火協会」の設立にも専務理事として深く携わった。花火師として35年余のキャリアを誇る一方で、武藤氏は生来の文才を生かし、日本の花火を「知」として編み上げた人物でもある。『ドン!と花火だ』や『日本の花火のあゆみ』といった多くの著書がそれを物語る。 かつて、土浦市立博物館が「花火を歴史としては捉えてこなかった」と省みたように、煙火業界において花火はそれまで「門外不出の秘伝や口伝が多く、学術的記録にしにくい芸術」とされてきた。それを丹念に文章化し、歴史、技術、文化を後世に書き残した功績は極めて偉大だ。 花火は安全が絶対条件 武藤氏の歩みは、土浦の地にとどまらない。後に、北海道で廃業の危機にあった火工品会社の経営再建を引き受け、1976年には「海洋化研」(札幌市)を起業した。同社は1978年に初めて第47回土浦全国花火競技大会に出品し、今や常連だ。武藤氏の没後も、北海道唯一の業者として創造花火の部に出品し、今なお土浦の夜空を彩り続けている。 土浦の花火史に大きな足跡を残した武藤氏のモットーは「花火は、安全が絶対条件」であった。それは、北島氏が掲げた「安全なくして花火の発展なし」という信念と、まさに響き合うものだったに違いない。本日はこれにて打ち留めー! (花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「日本煙火協会参拾年史」(日本煙火協会、1993年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「新訂現代日本人名録2002」(紀伊國屋書店、2002年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「HaNaBi 第4部」(朝日新聞秋田版、2024年6月20~22日)

土浦の花火100年の紡ぎ(5)《見上げてごらん!》52

煙火の系譜は湖畔から山へ 【コラム・小泉裕司】火薬を取り扱う花火工場は、火薬類取締法など関連法が定める「保安距離」確保の観点から、住宅街や公衆が集まる施設を避けた山間部や平地のはずれに立地するのが一般的である。 土浦における「花火製造」の歴史は、1936(昭和11)年、霞ケ浦湖畔の川口町(現 川口2丁目)に「北島煙火店」が創業したことに始まる。戦後「土浦火工」(北島義一社長)へと社名を改め、土浦全国花火競技大会の発展を支える存在となった。 その後、市街化の進展に伴い、1963年に宍塚大池地区へと移転する。興味深いことに、移転先の宍塚山周辺では明治の中頃まで「竜星(りゅうせい)」と呼ばれるロケット花火が打ち上げられていたという。これは櫓(やぐら)に固定した筒に火薬を詰め、丸太を空高く打ち上げてその高さを競うものであった。 かつての「竜星」から土浦火工へと至る煙火の伝統は、時代を超えてつながっているように思えてならない。ちなみに現在も、つくば市百家(はっけ)の観音寺では、伝統花火を支える山﨑煙火製造所の支援を受け、9月第2日曜日に「竜水」という名のロケット花火が奉納されている。 1956年、土浦火工の子会社として、上高津町に設立された「昭和火工」は、元々、川崎市登戸で照明弾などを製造していた企業であった。義一氏が武藤輝彦氏(1921-2002)との共同経営に参画した当時は、玩具花火も幅広く取り扱い、土浦火工と昭和火工の両工場はわずか1.5キロほどの距離で、土浦の煙火産業の両輪を担っていた。 花火事故と安全への挑戦 「花火の歴史は事故の歴史」とも言われる。土浦におけるその歩みは、不断の安全への挑戦の記録でもあった。1991年の解散までの約半世紀の間に、同社関連の火災事故は18件発生し、7人が尊い命を落としている。 記録をひもとくと、事故の多くは移転前の川口町で発生したが、宍塚山や上高津、さらには湖上での水中花火事故も記録に刻まれている。当時の消防士たちは非番の日であっても現場に駆けつけたという。それは、火薬という危険物を扱う現場を有するまちの宿命だ。 特に1975年の爆発事故は悲劇的だ。日本煙火協会の設立に尽力し、業界全体の安全確保を生涯の使命としていた義一氏は、この事故で跡継ぎの長男克之氏を亡くしている。「安全なくして花火の発展なし」。この信念を掲げるリーダーにとって、身内を襲った悲劇がいかに断腸の思いであったかは、想像に難くない。この事故を最後に、土浦火工での火災事故は確認されていない。 現在、宍塚山の工場跡入り口には、折れ曲がった「土浦火工」の看板が往時をしのばせるのみである。一方で、昭和火工の跡地は、今も業界大手の玩具花火メーカーの倉庫として活用されている。形を変えながらも、そこは今なお子供たちに夢を発信する空間であり続けている。 「花火のまち」土浦。千紫万紅(せんしばんこう)のごとく秋の夜空を彩る閃光(せんこう)の裏側には、火薬と向き合い、時には命を賭して技術を磨き上げた先人たちの、苛烈な歴史が刻まれている。本日はこれにて打ち留めー!(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「土浦消防三十年のあゆみ」(土浦市消防本部、1980年刊)「土浦町内ものがたり」(本道清、常陽新聞社、1989年刊)「日本煙火協会参拾年史」(日本煙火協会、1993年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「花火師たちの記憶/DVD」((有)茨城ビデオパック、2025年完成)

土浦の花火100年の紡ぎ(4)《見上げてごらん!》51

【コラム・小泉裕司】戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の統治下にあった1945年10月、火薬類の製造は全面禁止となった。再び製造・販売が許可されたのは、3年後の1948年8月1日である。同日、東京・両国では「川開き花火」が8年ぶりに再開された。のちにこの日は「花火の日」に制定されている。さらに同年9月22日には、戦後初の競技会とされる「第1回全国花火コンクール」が隅田川で開催された。 このコンクールの目的は、花火師同士が切磋琢磨(せっさたくま)し、色彩や造形美といった品質を極限まで高めることにあった。同時に、もう一つ重要な役割を担っていた。それは、花火の輸出振興を目的とした「プロモーションの場」である。海外バイヤーに対し、「日本の花火は世界一である」ことを示すショールームとしての機能を果たしていたのだ。 終戦からわずか3年。深刻な物資不足とインフレに直面していた当時の日本にとって、外貨獲得は至上命題であった。繊維製品や雑貨と並び、伝統技術の結晶である花火もまた、戦略的な輸出品として位置づけられていく。 茨城が誇る「輸出花火」の輝き こうした国策の流れは茨城にも波及する。1953年の「いはらき新聞」によれば、野手火工や茨城火工があった下妻地方では、特産の玩具花火が同地方の出荷額第3位を記録した。輸出先は南米にまで及び、まさに輸出産業の花形であった。 土浦火工もまた、輸出に心血を注いだ企業の一つである。海外の環境に対応するため、防水スプレーを塗布するなどの工夫を重ね、アメリカを中心に各国へ花火を送り出した。 こうした功績が評価され、1961年には「土浦の花火」大会の最高賞として通商産業大臣賞が授与された。さらに1962年から10年間、大会名称に「輸出振興」の冠が付されたことは、高度経済成長期という時代を象徴している。 進駐軍を魅了した「日本の花火」 一方で、土浦の花火には興味深い記録が残る。火薬製造が禁止されていたはずの1946年9月30日に、すでに「第14回大会」が開催されていたというのである。1948年の両国花火再開よりも、実に2年早い。 背景にあったのは進駐軍の存在だ。当時、米軍は独立記念日などにキャンプ地で花火を打ち上げており、国内の催事でも司令官の裁量で許可が下りる場合があった。1946年、水戸に置かれたGHQ茨城軍政部に着任したリンボー少佐は、故郷のナイアガラの滝を懐かしみ、花火の打ち上げを要望したという。 これを受けて県内の花火師が招集され、土浦観光協会の主催により、9年ぶりの大会が実現した。リンボー少佐ら幹部将校30人余りが、友末知事ら県幹部とともに観覧したと伝えられている。日本の花火に魅了されたGHQが花火師たちの訴えに耳を傾けたことが、1948年の製造解禁を後押ししたとも言われている。 歴史の転換点を経て しかし1970年代に入ると、転機が訪れる。人件費の高騰や円高、さらに安価な中国製花火の台頭により、花火の輸出は次第に縮小していった。 現在の「土浦全国花火競技大会」は、輸出振興よりも芸術文化の継承や観光振興の側面が強い。しかし、その根底には「日本の匠(たくみ)の技で世界を魅了し、国を豊かにする」という、戦後を駆け抜けた花火師たちの熱い志が、今も確かに息づいている。本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「下妻市史」(下妻市史編さん委員会、1995年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「花火の事典」(新井充、東京堂出版、2016年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「花火師たちの記憶/DVD」(㈲茨城ビデオパック、2025年完成)

土浦の花火100年の紡ぎ(3)功労者たち《見上げてごらん》50

【コラム・小泉裕司】今回は戦後の競技大会を牽引した功労者を取り上げたい。最初は、このコラムで何度も紹介した北島義一だが、その経歴は以下のようになる。 土浦創業の北島煙火 ▽1936年 霞ケ浦湖畔の岡本埋立地で「北島煙火店」として創業▽1945年 社名を「土浦火工株式会社」に変更▽1946年 全国に先駆け、中断されていた土浦の花火を復活▽戦後の競技大会化で強力なリーダシップを発揮▽1955~73年 北海道から中部地方まで広く事業を展開▽高度成長期の旺盛な需要に応え、各地の花火大会を受注▽両国(現・隅田川)の花火大会で開催された日本一決定戦で優勝▽輝かしい実績により「土浦の花火」の名声を全国的なものに 下妻の野手煙火 土浦全国花火競技大会が産声を上げたころ、土浦の花火文化を支えていた煙火業者がいたことをご存じだろうか? 1932年発行の『土浦商工會史』の業種別人名録「煙火の部」に唯一登録されているのは、田宿町(現大手町)の野手勝一氏。のちに野手煙火土浦支店を担う人物だ。 野手家は、下妻で明治中期から花火作りを学び、代々煙火業に携わってきた家系である。1933年に下妻町(現下妻市)に野手煙火工場を設立。1962年に社名を野手火工株式会社(社長・野手保)へと改めた。 歴史は古く、1926年に桜川畔で開催された第2回全国煙火共進會の打揚番組(写真)を見ると、「尺玉の部」に初代・野手喜一郎氏と二代目・勇治氏、「八寸玉の部」には勝一氏の名が刻まれている。 その後も、第54回、第55回大会で最高賞の通商産業大臣賞を連続受賞するなど、野手家はめざましい功績を残した。しかし、経営上の課題や後継者問題といった時代の荒波もあり、2013年、惜しまれつつも、その長い歴史に幕を下ろした。 土浦市は、1961年の第30回記念大会で、大会の発展に寄与した花火師として、北島氏らとともに勝一氏を表彰している。野手家は土浦の花火の草創期を支えた功労者であり、その歴史を語るうえで欠かすことのできないキーパーソンなのである。 北島の師匠、青木義作 大正末から第2次大戦にかけて、土浦や笠間をはじめ、全国各地で花火大会が大きな盛り上がりを見せた。このころは、のちに北島氏が師事する「花火の神様」青木儀作氏ら、花火史に名を残す名工たちが次々登場した時代でもあった。 しかし、1937年に日中戦争が勃発すると状況は一変する。火薬製造の取り締まりが厳しくなり、笠間、大曲、両国の大会など、大きな大会が次々と中止に追い込まれた。 こうした中、土浦市発行の「花火と土浦」の年表によれば、詳細は不明ながら、戦前の土浦では1940年まで開催されたと記録されている。これについて、筆者も当時の新聞記事などを調べたが、裏付けとなる事実は確認できていない。 戦火が激しくなると、細々と続けてきた花火も1941年には中止に追い込まれ、花火師たちも戦場へ駆り出されるなど、日本の花火史上、もっとも長く厳しい「失われた5年間」が訪れたのである。 「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて起きなかったんだな」。花火を愛した放浪のちぎり絵作家・山下清画伯が残したこの名言を添え、本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「土浦商工会史」(土浦商工会事務所、1932年刊)「茨城の諸職」(茨城県教育委員会、1989年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「大曲の花火 100年の魅力」(秋田魁新報社、2010年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)

土浦の花火100年の紡ぎ(2)《見上げてごらん!》49

【コラム・小泉裕司】神龍寺の秋元梅峯師(1882~1934)が組織した大日本仏教護国団の主催により始まった「全國煙火共進會」(現在の土浦全国花火競技大会)は、回を追うごとにその規模を拡大させていった。しかし、その華々しい盛況ぶりとは裏腹に、財政面では累積した借財が大きな負担となり、大会の継続そのものが危ぶまれる窮地に立たされる。この状況を救ったのが土浦町の人々であった。 「土浦煙火協会」を結成 1932年の第6回大会以降、土浦町の商工関係者らが「土浦煙火協会」を結成。名称も「全國煙火競技大会」へと改められ、町の振興を担う重要行事へと発展した。1941年に戦争で中止となるまでの15年間は、3回の中止を挟みながらも、大会の草創期といえる時代であった。 協会は、国務大臣も務めた原脩二郎氏(1871~1934)を名誉総裁、梅峯師を会長に据えて組織され、地区長や町会議員、1929年に創立された土浦商工会のメンバーも賛助員として加わり、まさに全町協力の下、第6回大会が開催された。 秋元梅峯師と豊島庄十郎氏 翌年、梅峯師が病により会長を辞任。実業家の豊島庄十郎氏(1874~1944)が後任に就き、第7回大会が開催された。なお、梅峯師は名誉会長へと退いた。 1934年3月に原脩二郎氏、同年7月に梅峯師が相次いで没したことから、同年の第8回大会初日の午後、競技に先立ち両氏の追悼法要が執り行われた。その折には、霞ケ浦海軍航空隊から3機の水上機が飛来し、空から哀悼の意を表したという。 豊島氏は中城町の豊島家に婿養子として入り、土浦繭糸(けんし)市場や百貨店の経営などを通じて一代で財を築いた、希代の事業家である。 町会議員に推挙されるほどの堅実な人間性と郷土愛を兼ね備え、文化的な都市計画にも建設的な知見を述べるなど、行政側からの信望も極めて厚かった。町当局の強力な支援を背景に、運営難に陥っていた収支は速やかに改善。1936年の第10回大会を空前の大成功へと導いた。 花火大会の経済波及効果は? 3年後の亀城会会報第18号には、当時の状況について次のような記述がある。「花火師の交通費や宿泊費、火薬代などに6千円を要するが、一方で町に約20万円が落ちると推定される花火大会は、土浦の福の神である。ぜひ定着させたい」。 これを「レファレンス協同データベース」の資料を参考に現代の貨幣価値に換算すると、支出は約1千万円、経済効果は約3億5千万円に相当すると考えられる。 経済効果の専門サイト「経済効果.NET」は、2023年11月4日に開催された第92回土浦全国花火競技大会の経済波及効果を算出している。 発表された総観客数は60万人。2023年茨城県観光客動態調査によると、1日当たりの入り込み客数は県内最大を記録している。 試算の結果、宿泊や飲食、土産物購入などの直接消費額は1日で51億2200万円にのぼり、新たに発生した2次・3次波及効果を含めた経済波及効果は全国で107億5100万円。うち茨城県内への波及効果は12億300万円、税収効果は5300万円に達し、地域経済の活性化に大きく貢献した。 イオン土浦も大会運営に協力 一方、大型商業施設「イオンモール土浦」が大会運営に協力して当日営業を休止するなど、開催に伴い通常の経済活動が一時的に停止する側面があることも併記しておきたい。本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「亀城会会報第18号」(亀城会事務局、1939年刊)「茶の間の土浦五十年史」(市村荘雄一著、いはらき新聞社、1965年刊)「土浦町内ものがたり」(本堂清著、常陽新聞社、1989年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年刊)

土浦の花火100年の紡ぎ《見上げてごらん!》48

【コラム・小泉裕司】上の写真にあるオフィシャルカレンダー「100周年記念/土浦の花火カレンダー2026」の制作に当たっては、土浦全国花火競技大会実行委員会や土浦市立博物館とともに、私も企画監修に加わった。毎年、大会パンフレットを担当するいなもと印刷(土浦市板谷)のノウハウや熱い思いとコラボして、13枚組の重厚な仕様になった。 このカレンダーの大きな魅力は、彩り豊かな花火写真に眼福を得るにとどまらず、暦をめくりながら100年の歴史が理解できる特別仕様になっている点。歴史書をひも解かずして、競技大会として果たしてきた役割や、数々の名作花火が生まれた背景をめぐりながら、大正時代から連綿と続く花火師たちの誇りと、それを紡いできた先人たちの土浦の花火への思いが伝わればうれしい。 秋元梅峯と山本五十六 1月は、大会のルーツを解説。大会の第1回は1925年、土浦市内の神龍寺住職、秋元梅峯(ばいほう)が霞ケ浦海軍航空隊(場所は今の阿見町)の殉職者慰霊、地域商工業の復興、秋の収穫への感謝を目的とし、私財を投じて霞ケ浦湖畔で開催した花火大会にさかのぼる。慰霊と願いが込められた、意義深い始まりであった。 1924年9月、霞ケ浦海軍航空隊の副長兼教頭として赴任した山本五十六大佐(戦死後元帥)は、隊規律刷新、航空事故防止、殉職者慰霊の3つの施策を行った。「海軍航空隊ものがたり」(阿見町、2014年刊)によると、当時、神龍寺山門のそばに居住していた山本大佐が、懇意になった梅峯和尚に、殉職者慰霊や供養について相談をしたそうだ。 山本大佐の依頼を受けた梅峯和尚は、航空安全と殉職者慰霊のための花火大会を霞ケ浦湖畔の岡本埋立地(現川口運動公園)で開催したと伝えられているが、土浦市立博物館はその事実を確認できていないという。新潟県長岡出身の山本大佐は、日本3大花火の一つと呼ばれる長岡花火を小さいときから見て育ったことからも、「民ファースト」の梅峯和尚の琴線(きんせん)に触れたに違いない。 神龍寺境内に、梅峯和尚の銅像、41名の航空殉職者の名が掘られた供養塔が建立されており、今も、大会前日には神龍寺本堂において、大会関係者の参列の下、慰霊供養が行われている。山本大佐が滞在したと伝わる貸家付近は、当時松林だったようだが、今は土浦花火の発展に貢献した北島義一氏の墓所がある辺りだろうか? 私はこの地を「土浦花火の聖地」と呼んでいる。 未来に伝えたいエピソード 3年前、100周年の区切りとして、大会運営を支えた人々、特に公にされていないエピソードをアーカイブすることについて、某新聞社の協力約束を得て、実行委員会に提案したのだが、2年前に起きた想定外の大会中止に対する批判が高まる中、いつの間にか立ち消えになった。今年1年、カレンダー記事をベースに、未来に伝えたいエピソードを書き留めたい。 このカレンダーは、土浦市内のまちかど蔵「大徳」や「きらら館」で販売されているが、高精細の印刷に耐える上質紙は450gで通常の2倍の重量。壁掛けに注意が必要と思う。本日はこれにて、打ち留めー。年初の5段雷「トン バンバンバンバンバン」(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

「土浦の花火2025」を振り返る《見上げてごらん!》46

【コラム・小泉裕司】第94回土浦全国花火大会(11月1日)は、競技開始を知らせる直径約24センチの 8号玉5段雷花火が筒から打ち上げ後すぐに爆発、いわゆる過早発(8月17日掲載コラム参照)で、会場の数万人の脳裏に「中止」の二文字がよぎったに違いない。 通常、イベント開催を知らせる雷花火は直径12センチの4号玉なので、2倍の大きさがある。使用の機会はまれだ。安全確認後、プログラムは再開したが、それまでの13分間は、ただただ無事を祈るばかり。再開後は、前線の影響か、例年の風向きとは異なる南風で、観覧席や付近の住宅にガラが舞う夜となったが、大会は無事終了した。 それでは、恒例の「振り返り」をしよう。まずは競技の全体印象だが、2025年の総決算の大会と言って間違いないだろう。その中でも茨城勢と秋田勢、そして山梨勢の強さが際立つ大会となった。特に、夏の大曲全国花火競技大会で内閣総理大臣賞を受賞した野村花火工業(水戸市)のグランドスラム達成は圧巻だった。 10号玉の部(直径30センチの尺玉1発) 上位を占めたのは、やはり五重芯の作品。8作品のうち、優勝した野村花火工業、準優勝の山﨑煙火製造所(つくば市)の五重芯は、安定度抜群で甲乙付けがたい完成度。山﨑煙火のこれまでと異なる色の組み合わせが多少順位に影響したのかも知れないが、僅差(きんさ)であったことは間違いない。 2007年に四重芯花火を完成させた菊屋小幡花火店(群馬県)の五重芯も、昨年あたりから安定度が格段に増している。こうした多重芯が優位の中、入賞したマルゴー(山梨県)の「昇り曲付超(スーパー)変化菊」は、十八番の点滅系花火で、いわゆる自由玉の部類。 自由玉が進化すればするほど、こうした自由玉と多重芯花火を同じまな板の上で採点することについて、花火師や観客から違和感を指摘する声が聞かれる。この点、実行委員会ではすでに数年前から課題としているが、具体的解決策が見えておらず、早期の解決が待たれるところだ。 創造花火の部(直径15センチの5号玉7発) 18回目の優勝を飾ったのは、北日本花火興業(秋田県)の「赤いキツネと緑のタヌキ」。この日、会場で最も大きな歓声が湧いた作品だ。キツネは3匹中1匹、タヌキは4匹中3匹が審査委員側に顔を向けたが、この技術とアイデアこそ「型物花火の神様」と言われるゆえんだ。 社長の今野義和さん(61)は、昨年「現代の名工」に選ばれ、今月には「黄綬褒章」を受賞するなど、日本煙火史に残る卓越した成果を残し続けている。 準優勝は芳賀火工(宮城県)の「ラッパでドレミ」、特等は加藤煙火(愛知県)「今が旬!ドクドクきのこ」の2作品。これらを含めた上位3作品は、老若男女、誰にもわかりやすいデザイン。大きな拍手が審査員の採点を後押ししたに違いない。 打ち上げ順番が早い作品は高得点が出にくいと言われるが、それを実感したのが26番伊那火工掘内煙火店(長野県)の「幸せのクリスマスツリー」。7発一斉打ち上げはこれまで見たことがない。落ちるときに段階的に輝く彩色千輪の段咲きは、打ち上げや開発のタイミングを計算し尽くしたチャレンジングな作品で、まさに「創造花火」の秀作と言える。 審査員のみなさんには、前半とは言え「いいもの」には、勇気を持って高得点を付けていただきたい。 スターマインの部(直径12センチの4号玉以下400発以内) 優勝した野村花火の「颯爽と吹く風になって」は、選曲センスが抜群。ピアニストよみぃさんの演奏によるTVアニメ「とある科学の超電磁砲」 のオープニング曲は、アップテンポで疾走感のあるメロディー。十八番の野村ブルーとグリーンを基調とした八方咲き、輪菊、蜂など手抜きのない名花ばかりが、まさに駆け抜けるように音楽とシンクロ。お見事の一言に尽きる。 準優勝の山﨑煙火の「感情反転~愛と憎悪~」は、奇しくも野村花火と同じピアの曲を採用。ピアニスト清塚真也さんの「恋」と「怒りのともしび」の2曲をシーンごとに使い分けて、紅色のハート花火、牡丹、千輪菊などの連打に加えて、ひときわ大きな音を出す万雷を効果的に散りばめながら、愛情から憎しみへの激しい心の変化を表現した。 名作ぞろいの大会だったが、順位を分けたのは保安点、つまり落下による減点ではないだろうか。例年以上に多かったように感じた。その点、上位3作品は、垂れ落ちる星を一定の高さで消失するよう、見事にコントロールされていた。 内閣総理大臣賞受賞コメント 大会翌日2日の表彰式では、受賞者を代表して、内閣総理大臣賞を受賞した野村花火工業社長の野村陽一さんが謝辞を述べた。今回の受賞で土浦の花火13回、大曲の花火10回と、合わせて前人未踏の23回目の受賞を果たした。 「多くの花火業者が土浦に参加していただくことで多くの学びがある。花火の世界はWhyの連続。1歩進んで、2歩下がるどころか11歩下がってしまうこともある。そんな多くの課題を乗り越えて今があるが、数多の成績は、父との研究開発の成果だ。その私を、技術的にすでに超えた弟子の山口花火師とともに、100周年の土浦の花火がさらに発展するよう、さらには、みなさんに夢と感動を与えられるような花火づくりにこれからも取り組んでいきたい。」 それにしても、1年のうちに石破総理と高市総理2人の総理大臣から表彰された花火師は、史上初ではないだろうか。めでたし、めでたし。大会の無事開催を祝い「ドーン ドーン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

予定通りあす11月1日開催 土浦全国花火競技大会

長靴や滑りくにい靴で観覧を 土浦全国花火競技大会実行委員会(会長・安藤真理子土浦市長)は30日、大会開催の是非を決める役員会を開き、予定通りあす11月1日、第94回大会を開催すると発表した。 あす1日の土浦の天気予報は、未明まで雨が降るが明け方からは晴れ。事務局の市商工観光課は、雷が鳴った場合は一時的に打ち上げを中断するなど、天気の急変や安全確保が困難な場合は予定を変更することもあるとする。 観覧者に向けては、①きょう10月31日夕方から雨が降ると予想され、地面がぬかるんだりする箇所があるので、長靴や防水性の高い靴、滑りにくい靴底のものを着用してほしい、②観覧中のかさの使用は視界確保及び安全確保のためご遠慮いただいているので、雨が予想される場合はレインコートやポンチョを持参してほしいーなどと呼び掛けている。 競技開始は午後5時30分、同市佐野子、学園大橋付近の桜川河川敷で打ち上げる。1925(大正14)年に神龍寺の住職、秋元梅峯が初めて花火大会を開いて100周年の記念大会となる。全国19都府県から57の煙火業者が集まり、内閣総理大臣賞を競う。10号玉の部45作品、創造花火の部22作品、スターマインの部22作品の3部門で競技が行われるほか、広告仕掛け花火や、大会提供のエンディング花火としてワイドスターマイン「土浦花火づくし」などが打ち上げられる。 昨年、荒天時の順延日に警備員が確保できず中止としたことを踏まえ、同実行委は今年、順延日も確実に警備員を確保できるようにするなど準備を進めてきた(5月26日付)。 ➡今年の見どころはこちら

土浦の花火100年と大会の見どころ《見上げてごらん!》45

【コラム・小泉裕司】11月1日(土)に予定されている今年の「土浦の花火」は初回から数えて100周年。そこで、その歴史に簡単に触れたあと、今大会の見どころを花火鑑賞士の視点から解説しておきたい。 第1回の会場 土浦の花火は、100年前の1925年9月5日、霞ケ浦湖畔の岡本埋立地で始まった。10万人を超える観客が土浦の町中にあふれたそうだ。ただ、当時のプログラムが残存せず、競技の内容、出品作品や花火師の名前は確認されていない。プログラムがあったのかどうかもわかっていない。 ちなみに、湖畔の埋め立ては、当時霞ケ浦で盛んだった汽船業を起業した故岡本儀兵衛氏が行ったもので、現在の川口運動公園エリア(第1回会場付近=Googleマップ)になる。 第2回の会場 大会公式パンフレットによると、桜川河畔に会場を移転したのは6年後の1931年とあるが、その3年前の「いはらき新聞」は、開催地について桜川岸と報じている。「土浦町内ものがたり」(本堂清著、常陽新聞社)にも、第2回には常磐線踏切の警備上の問題で移転したとある。 異常な混雑の中、安全な大会を確保するための警備体制の強化など、人的にも費用的にも大変な苦労があるのは今も同じ。そういえば、踏切の横にあった跨線(こせん)橋を渡った記憶がかすかによみがえる。 移転先は、匂橋付近の桜川右岸の土手。対岸の現桜町地区は、土浦町が「土浦百年の構想」として1922年から進めた耕地整理事業が完成し、1925年に土浦町内に散在していた花街がこの地に三業指定地区として強制移転させられ、地区名を「栄町」とした。 花火見物客はさらに増え、街の商店街はうるおったようだ。現在、土浦市立博物館で開催中のテーマ展「土浦の花火百年」(本サイト記事は10月12日掲載)に展示中の第2回プログラムによれば、大会に共催した店舗は、飲食店や旅館が並んでいることからも、第2回移転説は信憑(しんぴょう)性が高いように思う。 会場の今後 その後、霞ケ浦湖畔に移ったが、安全対策を勘案し、1971年には現在地「桜川大曲」に移り、100年の半分以上をこの地で開催し、今日に至っている。残念ながら、現在地周辺の急激な環境変化を勘案すると、この地での永続性は考えにくい。土浦の花火200年に向け、会場のあり方を早期に方針を固めることが、今を生きる私たちの役割に違いない。 今大会の見どころ 今大会は、全国19都道県から57の煙火業者が一堂に会し、内閣総理大臣賞を目指し、匠(たくみ)の技を披露する。10号玉の部45作品、創造花火の部22作品、スターマインの部22作品の3部門で競技が行われ、各部門の優勝者には経済産業大臣賞などの権威ある賞が授与される。ちなみに、参加業者数57は国内の競技大会日本一を誇る。 スターマインの部 最近の傾向は、速射連発の「迫力系」と、しっとりゆったりの「芸術系」に2極化しており、全作品が音楽付き。0.03秒単位でコンピュータプログラムされた花火とのシンクロが見もの。精魂込めた、夜空を彩る400発余の光と音の傑作に没入しよう。 創造花火の部 前大会は、時差式花火の応用など、近年にない創造性豊かな作品が私たちを感動させてくれた。 田端煙火(静岡県)の「もぐらバトルロイヤル」は、夜空でモグラたたき? 北陸火工の「見てくれ!鍛え抜かれた俺の腹筋」は、今年も女性花火師のアイデアか? 前大会「しんちゃん」で優勝した北日本花火興業の「赤いキツネと緑のタヌキ」も、大いに気になる。今年の作品タイトルも、ワクワク感いっぱい。 10号玉の部 前回よりも1作品増えた「五重芯」7作品に注目だろう。完璧な四重芯や三重芯も美しいが、匠の究極の技と言われる五重芯による優勝争いが繰り広げられることは必至。観客席のみなさんは動体視力の限界に挑戦しながら、夜空を凝視してほしい。 土浦花火づくし 競技開始から1時間後の午後6時30分、大会提供ワイドスターマイン「土浦花火づくし」の打ち上げ開始。幅500メートル、9カ所から4号、5号、8号玉を約7分間、2000発を打ち上げる。 このプログラムを楽しみに訪れる来場者が多いのはうれしいが、終わると帰りを急ぐ方が多いのはとても残念。後半の打ち上げは、昨年の大会の成績上位の煙火業者。余りにもったいなさ過ぎるので、どうか最後までご覧いただくことを切願する。 撮影減衰効果 大会を間近に控え、毎年、要らぬアドバイスを繰り返しているが、今回はスマホによる花火撮影について一言申し上げる。 感動して写真や動画に残したいと思うのはやまやま。一方、撮影することに集中するあまり、その瞬間の感動と記憶が薄れてしまうことは学術的に立証済。花火師によると、今夜打ち上げた花火と同じ花火を打ち上げることはできないとのこと。いわば一期一会の世界を、スマホの画面越しではなく、目視でしっかりと脳裏に焼き付けてほしい。 今年こそ、大会の無事開催を祈り、「ドーン ドーン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) ▼ラジオ特番&ネットで生中継:会場に行けない方にはFMラジオやネットでのライブ配信がお薦め。土浦全国花火競技大会実行委員会YouTubeチャンネル

土浦花火百年を振り返る 最古の大会パンフなど55点展示 市立博物館

土浦市立博物館(同市中央)で11日からテーマ展「土浦花火百年」の展示が始まった。11月1日に開かれる第94回土浦全国花火競技大会が100周年を迎える節目の年であることから、1925(大正14)年に初めて花火大会を開催した同市文京町の神龍寺住職、秋元梅峯の肖像写真や競技大会初期の記念写真、現存する最古の第2回大会プログラムなど計55点を展示する。2001年に撮影した3人の花火師たちへのインタビュー映像も放映する。 展示は「序章」から第3章までの4部構成となっている。序章「花火大会前史-江戸時代の花火」では、現在の花火につながる江戸時代の花火資料を展示している。墨田川にかかる両国橋での花火大会に集まる人々の様子が細かく描かれた同館所蔵の『江戸名所図会 巻二 両国』や、江戸時代末1858(安政5)年の両国花火の浮世絵写真パネル、旧宍塚村(現在の同市宍塚)で1862(文久2)年に花火が上げられていたことを記した「諸用日記」などを展示する。 第1章の「霞ケ浦海軍航空隊と町のにぎわい-海軍航空隊の玄関口・土浦」では、大正時代から昭和にかけての霞ケ浦海軍航空隊関連の資料として、1924(大正13)年のパンフレット「霞浦航空隊めぐり」や、同年の土浦の映像などを展示する。隣接の阿見村(当時)に設置された霞ケ浦海軍航空隊は大正時代から昭和にかけての同市の発展に関わり、花火大会のきっかけの一つになったのが殉職者の慰霊だった。 第2章「秋元梅峯と花火大会-慰霊と振興の花火」は、現在の土浦花火競技大会の始まりとなる大会を霞ケ浦湖畔で開催した秋元梅峯の肖像画や花火師たちが写る1931(昭和6)年大会の記念写真などを展示している。秋元住職は、航空隊殉職者の慰霊のほか関東大震災の影響で経済が落ち込んだ市の活性化のために私財を投じて大会を開催した。 第3章「花火師たちの競演」は、1927(昭和2)年の第3回花火大会から1975(昭和50)年までのプログラムや大会記録簿、花火師が受賞したトロフィーなどを展示する。第3回大会のプログラムからは、上空高く上がり、大きく開く尺玉、八尺玉や、仕掛、早打などを上げていたことがわかる。 参考展示として、農村の花火でもある、同市大畑の国選択・県指定無形民俗文化財「からかさ万灯」の模型なども展示する。 映像展示では記録映像の「土浦の花火 伝統花火から全国花火競技大会まで」「花火師たちの記憶」「大畑のからかさ万灯」を上映する。「花火師たちの記憶」では、2001年に撮影した花火師、野手保さん、武藤輝彦さん、箱守彰さんらのインタビュー映像を見ることができる。終戦直後の花火大会で「進駐軍にナイアガラ花火を早くやるように言われた」といったエピソードも聞くことができる。映像を編集した茨城ビデオパック制作の岩崎真也さんは「戦前戦後の花火師の証言や紫の煙が出る昼の花火『ブドウ煙』の再現に苦労した話など貴重なインタビュー映像」だと語る。 同館学芸員の萩谷良太さんは「花火の関連資料は実は意外と残っておらず、今回の展示は貴重」とし「国内でも最高峰といわれる花火師たちによる土浦全国花火競技大会の100年の軌跡を、博物館の展示を見て知ってもらいたい」と来場を呼び掛ける。(伊藤悦子) ◆「土浦花火百年」は10月11日(土)から11月24日(月)まで同市中央1-15-18、市立博物館で開催。開館時間は午前9時から午後4時半。入館料は一般200円、高校生以下は無料。11月3日(月・祝)と13日(木・県民の日)は入館無料。問い合わせは電話029-824-2928(同館)へ。▽展示案内会を11月1日(土)午後1時から開催する。▽土浦二高茶道部による呈茶「お茶を一服いかがですか-花火に寄せた茶会」を11月3日午後1時から展示ホールで開催する。定員50人。茶券は200円。▽演劇「つち浦々まちなか演劇めぐり」を10月18日(土)19日(日)、博物館展示ホール・視聴覚ホールで開催する。上映時間は同館ホームページへ。

高校生が挑む舞台「百年の花火」や湖上朗読も 土浦まちなか演劇巡り

18-19日 駅周辺の飲食店などが会場 土浦市内の店舗や寺社を会場とする演劇企画「つち浦々まちなか演劇めぐり2025」(同実行委員会主催)が18、19日の2日間、県内外から多彩な劇団が参加して催される。、土浦駅周辺の飲食店や寺院、博物館など計17カ所が会場となる。まちの各所で上演される演劇を巡りながら、演劇とまちの魅力を知ってもらおうとする企画で、今年で3回目の開催となる。昨年は神立駅周辺で開かれた。 今年は新たに、市内の個人商店を題材にした「つちうら商店街劇場」、霞ケ浦の遊覧船上で上演する「湖上ドラマリーディング」、県内高校生による舞台「百年の花火」などの新企画が登場する。 個人店の物語を演劇に 土浦市立博物館展示ホールで開かれる「つちうら商店街劇場」では、1933年開業の老舗「ムトウ削り節店」(同市川口)、昨年4月に開店した梶原自転車店(同市大手町)、築90年の古民家を活用する城藤茶店(同市中央)の3店舗を取り上げる。長崎市在住の劇作家・福田修司さんが各店を取材し、店主の歩みや店の歴史を元に脚本を執筆した。 土浦市真鍋の劇団「百景社」に所属する、実行委員会事務局の根岸佳奈子さん(38)は「つちうら商店街劇場」について「演劇を通じて、街を歩きながら土浦の歴史や人々の思いを感じてもらうというイベントの趣旨と合わせて、個人の歴史や物語を通じてさらに街の魅力を掘り下げる試み」だという。 「湖上ドラマリーディング」は、霞ケ浦の遊覧船「ラクスマリーナ ホワイトアリス号」の船上で朗読と中国伝統楽器・二胡の生演奏を楽しむ企画。根岸さんは「湖上から眺める土浦の景色は本当にかっこいい。天候に恵まれれば夕暮れ時に富士山のシルエットも見える。芝居と風景の両方を味わってほしい」と語る。 花火100周年題材に青春劇 もう一つの新企画として、県内高校生の有志が出演する舞台「百年の花火」が土浦市立博物館視聴覚ホールで上演される。土浦花火大会100周年を題材に、打ち上げを待つ2人の少女の心の揺れを描く会話劇だ。 出演するのは、神栖市在住で鉾田一高3年の布施輝々(るる)さん(17)と、小美玉市在住で大成女子高1年の吉田梨衣紗(りいさ)さん(15)。ともに演劇部に所属し、公募に応募し参加。週末の稽古を8月から重ねてきたという。 布施さんは「クールなセリフの裏にある温かい思いや、感情の揺れを表現したい。花火大会は土浦の方々にとって特別なイベント。見る人の心に残る演技ができれば」と意気込む。吉田さんは「明るく元気な役柄。見る人に元気が伝わるように動きを工夫した。家族や友人を思う心情も伝えたい」と話す。 脚本を手がけた、鉾田一高演劇部コーチの新堀浩司さん(44)は「これから先も2人の関係を築いていこうとする少女たちの思いとともに、困難を乗り越え100年にわたり花火大会を支えてきた人々の思いを伝えたい。異なる環境で活動する高校生が力を合わせて舞台をつくる姿も見ていただけたら」と語った。 総合案内所で観劇コース提案 第1回から企画運営に携わる根岸さんは「世代を超えて演劇を通じてつながること、若い世代が土浦に関心を持つきっかけになれば」と今年の企画への思いを語り、「土浦には面白いところがたくさんある。外から来た人にも楽しんでもらいたい。赤ちゃんから楽しめる人形劇から文学作品を原作とした演劇まで幅広い内容。お気に入りの1本を見つけてほしい」と呼び掛ける。 亀城公園前の公園ビル1階「がばんクリエイティブルーム」に4日から設けられている「総合案内所」では、チケット販売のほか、観劇希望者の興味に応じたコース提案を行っている。根岸さんは「おすすめルートを一緒に考えながら、土浦の街歩きを楽しんでもらいたい」と語った。(柴田大輔) ◆「つち浦々まちなか演劇めぐり2025」は10月18日(土)・19日(日)、土浦駅周辺の店舗や寺社、土浦市博物館など17会場で開催される。チケットは、1日フリーパス券が一般3500円、18歳以下2000円。2日フリーパス券が一般6000円。「湖上ドラマリーディング」券は専用チケットが必要で4000円。 ◆18日(土)、19日(日)の2日間、亀城公園では、毎月第3土曜日に駅前アルカス土浦で定期開催されている「あおぞらまるしぇ」が、各日午前10時から開催される。 ◆総合案内所は、同市中央のがばんクリエイティブルームに設けられ、17日(金)までは正午から午後5時まで、18日(土)・19日(日)は午前10時から午後8時まで。 ◆チケットの申し込み、イベントの詳細は公式ホームページへ。問い合わせは、つち浦々まちなか演劇めぐり実行委員会のメール(tsuchiuraura@gmail.com)または電話(029-896-3099)へ。 ➡つち浦々まちなか演劇めぐりの過去記事はこちら(2023年1月1日付、23年9月27日付、24年10月5日付)

豪華!土浦花火弁当 7店が13種 販売開始 地元食材ふんだんに

11月1日開催の第94回土浦全国花火競技大会で販売される「土浦花火弁当」が6日、同市役所でお披露目された。土浦名産のレンコン、霞ケ浦のシラウオ、県産の常陸牛など地元の食材をふんだんに使い、趣向を凝らした各店オリジナルの弁当だ。今年は土浦とかすみがうら市の飲食店6店と土浦飲食店組合など7事業者が13種類を販売する。 弁当は、花火を打ち上げる筒をイメージした3段重ねの容器に入れられ、花火がデザインされた外箱を広げると、三つの容器を並べて食べられるようになっている。価格は2000円から7940円(消費税込)。今年も昨年と同じ1200個の注文を目指す。 中止の昨年「たくさんの応援いただいた」 昨年は前日に大会中止が発表され、各店は対応に追われた。市内の飲食店などでつくる土浦名物弁当事業者部会の嶋田玲子部会長は「昨年は残念ながら中止となったが、予約された方がキャンセルせずに購入してくれたり、市民が『大変だ』と心配してお店に直接電話してくれたりして、だいたい完売し、何とかなった。SNSを見て予約以上に購入があった店もあり、たくさんの応援の気持ちをいただいた」と振り返り、今年の花火弁当について「土浦のレンコン、霞ケ浦のつくだ煮など地元食材を生かした花火弁当を通して土浦をPRしたい」と話した。 土浦市食のまちづくり検討委員会の堀越雄二委員長は、今年100周年を迎える大会の歴史に触れ「気合を入れて、力を入れて、おいしい、見栄えのあるお弁当を作った。(各店は)大会に何らかの価値を付け、土浦の観光に協力したいという気持ちで参加している」などと話した。 安藤真理子市長らも花火弁当をPRした。安藤市長は「土浦の花火に行くと、こんな素晴らしいお弁当を食べられることを知っていただきたい」とし、土浦商工会議所の中川喜久治会頭は「料理をつくる人たちの腕で地域の素晴らしさを発信していただき、今年の大会を成功させて、次の百年に向けて地域のPRを頑張りたい」などと語った。 今年販売されるのは▽土浦の老舗料亭「霞月楼」(同市中央)による会席料理のエッセンスを凝縮した花火弁当や、8分ほどで炊き立ての温度になる具だくさん釜めし弁当。 ▽弁当・ケータリング・会食の「さくらガーデン」(同市宍塚)による常陸牛のローストやレンコンの天ぷら、うなぎのひつまぶしなど地元の名物を取り入れた花火弁当と、ステーキ重。 ▽「鮨の旦兵衛」(大和町)による季節の食材や茨城の食材をふんだんに使ったちらし寿司など和食中心の花火弁当と、常陸牛をぜいたくに使い自家製の野菜の香りだれで香ばしく焼き上げた常陸牛香味焼き重。 ▽無農薬野菜や無添加食材のオーガニック料理「ダイニングムーン№385(ミヤコ)」(同市川口)によるタコライス、ハイローラーがメーンの地元野菜をふんだんに使った花火弁当と、タコライス弁当。 ▽創業109年の小松屋(土浦市大和町)による霞ケ浦のつくだ煮とうなぎを使用した国産うなぎ牛肉弁当と花火弁当うな丼、土浦名物づくし弁当。土浦名物づくり弁当はすでに予約完売という。 ほかに、▽天然うなぎ専門うなぎ村(かすみがうら市安食)が、霞ケ浦の天然うなぎやシラウオ、土浦のレンコンや新栗を使用した三段花火筒弁当を販売。▽土浦飲食店組合の福来軒(土浦市中央)が中華花火弁当を販売する。 ◆土浦花火弁当は予約受付中。詳細は土浦市観光協会のホームページへ。注文は同ホームページから各店へ。当日の弁当引き渡し場所が変更になり、今年は土浦市田中3-4-5になる。詳しくは電話029-824-2810(同市観光協会)へ。

背水の陣で臨む 今年の土浦の花火《吾妻カガミ》208

【コラム・坂本栄】昨年の土浦の花火(正式名は土浦全国花火競技大会)は、予定日(11月2日)が降雨予報で中止になり、代替日(同3日と9日)に延期しようとしたところ、周辺道路や会場周辺の警備体制が両日とも確保できず、全日程で中止に追い込まれた。実行委員会(委員長・安藤真理子土浦市長)の運営体制に花火ファンや関係業者から批判が出たことから、土浦市は今年の大会(11月1日、代替日8日)は背水の陣で臨む。 昨年大会では3つのミス 私はコラム198「…欠けていたリスク管理」(2024年12月16日掲載)で昨年の大会運営上の問題点を三つ指摘した。「曖昧だった延期日の警備手配」「無駄だった花火興業中止保険」「実行委に呼ばれなかった議長」の3点だ。詳しくは上の青字部をクリックしてもらうとして、以下のように要約できる。 ▼警備体制の不備:予定日2日の警備体制は警備会社と契約して500人近く確保してあったものの、代替日の警備については契約しておらず、延期になった場合は「相互に協議する」と曖昧になっていた。警備会社は人手不足で市の確保要請に応えることができず、市としてもプロの警備抜きでの大会は危険過ぎると判断、代替日への延期を見送った。 ▼中止保険が不発:この種のイベントには興業中止保険をかけ、悪天候などで中止に追い込まれた場合、その準備などに使った経費を損害保険会社に払ってもらうのが常識。土浦市もこの保険に入っていたが、契約には「延期日有り」条項が入っていた。ところが、市は代替日に延期せず全日程を中止にしてしまったため、イベント保険を受け取れず、市は多額の追加出費を迫られた。 ▼議長抜きの決定:大会中止(11月1日午前発表)を決めた実行委(10月31日夕方開催)に、実行委メンバーの市議会議長が呼ばれなかった。混乱の中、事務局が議長に連絡することを忘れたからだ。決定プロセスから外された議会はこれに怒り、定例議会で市側のミスを追求した。 今年は失敗が許されない 今年の土浦の花火は第94回になる。同時に市は「土浦の花火100周年記念」とも謳(うた)っており、今年の大会にはかなり力が入っている。昭和14年(1925)の第1回から数えると確かに1世紀。先の大戦や市街地洪水などで6回中止されており、通算ではその分マイナスになる。100周年と大見えを切った手前、土浦市としては昨年のような失敗は許されない。そこで、土浦市・花火のまち推進室長の菊田さんに準備状況を聞いた。 警備体制は、予定日(1日)だけでなく代替日(8日)についても警備会社と契約を結び、代替日の要員も確保する。このため、昨年は1日分だった警備会社に払う経費(約1800万円)が今年は2倍になる。代替日を従来の2日でなく1日に減らしたのは、警備費用を抑えるためだ。一方、記事「順延は1日のみ…」(5月26日掲載)にあるように、有料観覧席の値上げで収入増も図る。 また、予定日に大会を実施でき、代替日の警備が不要になった場合、契約額の一定割合を減額するよう警備会社と交渉している。警備会社は代替日用に確保した要員を別の仕事に回せることを理由に挙げ、市としては割引率の最大化を図る。経費節約のために代替日の割引率をいかに大きくするか。予定日の契約額も含め、警備会社との交渉は面白くなりそうだ。 花火興業中止保険については、「延期日有り」を踏まえ、予定日中止の場合は代替日にトライする。今回大会の予算書を見ると、役務費(保険料、ゴミ処理費など)が昨年大会の2倍以上計上されており、抜かりはないようだ。また、大会中止などの重要事項は、市長+副市長+市議会議長+商工会議所会頭(観光協会会長)の4人に必ず諮ると運営マニュアルに明記した。議会対策は万全らしい。(経済ジャーナリスト)

順延は1日のみ、警備員を確実に確保 土浦の花火 11月1日開催へ

今年開催する第94回土浦全国花火競技大会の実施計画を決める同実行委員会(会長・安藤真理子土浦市長)が26日、土浦市内のホテルで開かれた。昨年、荒天時の順延日に人手不足から警備員が確保できず中止としたことを踏まえ、今年は順延日を例年の2日間から1日のみとし、順延日に確実に警備員を確保できるようにする。 今年の開催日は3連休初日の11月1日とする。花火大会の始まりとされる、神龍寺の秋元梅峯住職が1925(大正14)年に花火を打ち上げてから100年を迎えることから、大会の名称に「土浦の花火100周年記念」を付ける。荒天の場合は1週間後の8日に延期し、両日とも開催できない場合は中止とする。 例年は開催日翌日と1週間後の2日間を順延日としていた。昨年は11月の開催予定日に台風が接近したなど異常気象の中、翌日を順延日とすると河川敷に設ける観覧席の足場が悪いままの恐れがあることなどから翌日は順延日に設定しない。警備費用が1日当たり1800万円程度かかることもあり、順延日を1日のみとして、確実に警備員を確保する。 今年の警備員確保については現在、大会事務局の市商工観光課が複数の警備会社に聞き取りを実施し、開催日と順延日両日の確実な警備員の確保のほか、警備費用などについても聞き取りを実施しており、現時点で両日とも警備員を確保できる見通しだという。夏頃までには警備会社を選定する予定だ。 一方、翌日を順延日としないことで、弁当業者や屋台業者などの食材費の負担が増える恐れもある。市商工観光課は「(翌日を順延日としないことは)今日の実行委員会で決まったばかりなので、関係者にはこれから理解を求めていきたい」とする。 意思決定は役員会で 大会開催の是非を決める意思決定については、中止を決定した昨年、実行委の副会長の一人である市議会議長が協議に加わらなかったことが議会などで問題になった。意思決定について今年の大会からは、会長と副会長3人で構成する役員会で協議した上で、会長が最終判断することを大会実施要綱に明文化する。 ほかに実行委員会の組織として、観客輸送、安全対策、煙火消費の三つの専門部会を設けたり、他部署に異動した事務局経験者の市職員をアドバイザーにするなど組織を強化する。 座席数増やし値上げへ 物価高や資材高騰の中で収入を確保する方策については、有料観覧席に新たにテーブル席を設けるなど座席数を3万9000席から4万4000席に約5000席増やすほか、有料観覧席すべてを1000~2000円値上げして、有料席販売収入を前年予算比約4100万円増の2億5100万円にする。 新たに設けるテーブル席は4人で8万円とする予定。桟敷席(定員5人)は2万6000円(前年までは2万4000円)、椅子席はA席が6000円(同5000円)、B席5000円(同4000円)、C席4000円(同3000円)といずれも値上げする予定で、ほかにツアー向けなど、さらなる高額な座席も検討している。 今年の大会の予算は計約3億5000万円で、前年比約4100万円増(13%増)を見込む。収入は、市が昨年と同額の8500万円を補助し、ほかに有料観覧席の販売収入2億5100万円、広告料収入1000万円、駐車料金や花火グッズ販売収入など350万円を見込む。 支出は、物価や資材が高騰する中、警備費や清掃費、有料席販売委託料など委託料が前年の2300万円増の9300万円(34%増)、桟敷席や椅子席、テント、花火打ち上げ筒、仮設トイレ借り上げなど使用料・賃借料が2000万円増の1億6000万円(15%増)を見込んでいる。 収入と支出の差額については例年100万円程度の黒字が出て、これまで土浦市に戻していたが、今年から基金を設立して積み立て、物価や資材の高騰などに備える。 市に4000万円戻し入れ 一方、中止とした昨年の大会については、市が当初8500万円を補助し、中止後、さらに2億3000万円を追加補助し市の負担は計3億1500万円になる見通しだったが、最終的に4000万円の残高が出たことから市に戻し入れた。中止となったことによる市の最終的な負担額は2億7500万円になった。

目指す!土浦花火の妄想実現《見上げてごらん!》39

【コラム・小泉裕司】新年度が始まり、総会づくしの日々。資料説明では、新たな事業計画に期待が高まる一方で、資金面の理由から予算削減計画も目白押し。 私の花火鑑賞計画2025は、7月中下旬予定の地元八坂祇園祭礼のため、花火シーズンに遅れての参戦予定。人気花火大会の宿泊予約はすでに満杯、限られた自主財源に合わせ、身の丈に合った計画縮小を余儀なくされる状況。仕方なく、土浦100thに注力すべく、今回は4つの妄想事を書いてみた。 かすみがうらマラソン大会に花火を 本日開催のかすみがうらマラソンは、土浦全国花火競技大会と共に、市内外から多くの人が訪れる2大イベントだが、これまで、特別なコラボは実現していない。 以前、市職員に、マラソンの前夜祭に花火を上げたらと提案したら、「予算」と「警備」の理由で却下。夜がダメなら、当日のスタート前にどうだろう。パリパリと音を出しながら赤、黄、緑、青、黒など色の付いた煙が枝垂れ柳(しだれやなぎ)のように落ちる煙竜花火や夜の「菊花火」のように煙が開く昼花火もまた、いいもんだ。大曲の花火では、夜の部の前にコンテストが行われており、「花火のまち土浦」の絶好の「おもてなし」となるに違いない。スタート時の「合図花火」だけでは寂しすぎる。 煙竜花火の傑作「ブドウ煙」の復活 煙火業界で、伝説の花火といわれているのが、土浦火工の故北島義一氏の手による煙竜花火「ブドウ煙」。正式には「赤煙竜」と呼ばれ、紫の煙を大量に噴出する花火として、1953(昭和28)年頃、伊勢の花火大会で初めて披露されたという。2001年、土浦火工最後の花火師 箱守彰氏と齊木煙火本店(山梨県)の協力で再現に成功、この模様が映像として「土浦の花火~伝統花火から全国花火競技大会まで~」(土浦市立博物館制作DVD)に記録されている。DVD制作を担当した茨城ビデオパック(土浦市)の岩崎真也氏から、配合帳も博物館に保管されているので、100周年企画として再々現するという魅力的な提案が届いたが、落下傘を使う吊り物花火を安全に打ち上げる場所は限定されるため、場所は要検討。 Japan Fireworks Expo 開催中の大阪・関西万博では、花火イベント「Japan Fireworks Expo」を8日間設定。日本を代表する花火大会が全国から集結とのうたい文句だが、現時点で公表されているのは、4月26日の伊勢花火、6月28日の大曲の花火の2日のみ。今もってすべて埋まらないのは、花火シーズンと重なる日程や資金面など参加条件が折り合わないのか。ちなみに、土浦の花火の参加費用は、市予算に計上されてない模様。 とりあえず、「大曲の花火の日」の入場予約と宿泊を予約した。 9月5日を「土浦花火の日」に 土浦の花火の第1回は1925年9月5日、霞ケ浦湖岸の岡本埋立地(現川口運動公園付近)で開催した。 土浦市は、先の市議会でも答弁したように、当日に特別な企画はないようなので、私からの提案。この日を「土浦花火の日」として、日本記念日協会に登録する。登録料15万円が必要となるが、当日の「ブドウ煙」の再々現の費用とあわせ、クラウドファンディングで資金を捻出したいがどうだろう。 そろそろ、長年の妄想を実現いたしたく、春の迷走を続けている。 春馬花火を見上げながら 最後に、前回(3月16日掲載)紹介した「HEART花火」の報告。 音楽とコラボした見事なスターマイン花火が参加者を魅了した。後半、筒から直接立ち上る「マイン花火」の連続で、湖面からの風で観客側に煙が吹き寄せ、花火全体がかすみ、燃え殻も落下した。 このとき、土浦市が過去に行った花火会場移転調査結果が脳裡にちらついた。「夜は湖風(うみかぜ)が地上に向けて吹くから、観覧席の場所確保が難しく、花火会場には適さない」とされている。機会があったら、真偽のほど、知人のヨットマンに確かめてみよう。本日はこれにて、打ち止めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

土浦花火2025「春の章」《見上げてごらん!》38

【コラム・小泉裕司】4月5日(土)は、土浦出身の俳優、故三浦春馬さん(享年30)の誕生日。午後6時30分、霞ヶ浦ほとりの土浦新港で、春馬さんを慕う仲間「HEART花火」がミュージックスターマイン花火を打ち上げる。2022年の第1回から、クラウドファンディングで全国の賛同者から資金を集めて開催しているもので、今年で4年目。 昨年に続く音楽付き花火、今年は春馬さん主演の映画「天外者」(てんがらもん)のオープニングテーマ。打ち上げ担当の煙火業者は、春馬さんの著書「日本製」に登場する山﨑煙火製造所(つくば市)。初回から担当しているが、これまで以上の見応えあるプログラムが用意されたようだ。 オープニングは恒例の、春馬さん慰霊の白菊花火4号玉が3発。このあと、最大直径約15センチの5号玉が19玉。イルミネーションのように光が動き回る花火も含まれ、地上から吹き上がる色とりどりの花束花火、ハートや桜を模した型物花火などが、観覧者に強烈な感動を醸し出すだろう。 企画起ち上げから現在まで 今回に至るまでには、スタッフの並々ならぬ努力と多くの関係者の支えがあった。 2022年1月、三浦春馬さんに鎮魂の祈りを捧げるとともに、誕生日祝いの思いを花火にのせたいと思う仲間3人で、この企画を立ち上げた。このときの資金賛同者は286人。68万円の支援が届けられたが、コロナ禍の影響で、無観客での打ち上げとなった。 そもそも、この企画を後押ししたのは、新型コロナの影響を受けた花火業界支援のために土浦市が始めた「マッチング花火事業」。記念日などで花火を打ち上げたい個人や法人に花火業者を紹介するもので、まさに「HEART花火」との理想の「マッチング」といえる。2年目は356人から144万円、昨年の3年目は503人から241万円の賛同が寄せられ、金額の増加に伴い、打ち上げ、音響、記録動画、観覧者へのおもてなしなど、企画内容も拡充されてきた。 観覧者は国内にとどまらず、昨年は米国からも訪れた。今週、日本初の大リーグ開幕戦に期待が高まるが、ドジャースの本拠地ロサンゼルスやヤンキースの本拠地ニューヨークからもやって来た。そして今年は、678人から目標額の350万円を大きく上回る452万円が届けられた。 クラファンのリターンは花火打ち上げ 花火大会を開催するまでには、火薬類消費や航空法関係、施設利用など、各般の手続きに加え、警備体制や保安対策などが必須となる。こうした課題をクリアして、美しい、心に残る花火を見ることができる。改めて、主催者、春馬さんのファンをはじめ、企画賛同者、カメラマン、音楽関係者などサポートされる皆さまが一体となって、土浦で春花火を実現されていることに、心から敬意を表したい。 HPでは、「一人で出来ることは限られているが、誰かが誰かを思いやる気持ちや、平和を願う気持ちの集まりが、何かを変えるきっかけになることが、私たちスタッフ一同、心からの願い。そして、花火師さんが創り出す花火を、春の土浦で打上げる取り組みを、これからも皆様と一緒に、少しずつ充実した催しに育てていきたい」と、控えめながらも、継続への熱い想いを伝える。 花火のご縁 土浦セントラルシネマズ(土浦市)では「天外者」を長期上映中。当日には、田中光敏監督が映画館を訪れるとのこと。田中監督は、昨年の大曲全国花火競技大会の審査員。ここでも土浦と大曲のご縁を感じざるを得ない。 そして、今年は土浦の花火100年。第1回が開かれた地で行われる「HEART花火」。100年前に思いをはせながら、春の湖上を見上げることにしよう。本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考> 当日は、市内各所で、春馬さんファンによるイベントが予定されている。

話題はスマートICと花火大会 土浦で新年賀詞交歓会

土浦市の経済3団体(商工会議所、観光協会、商店街連合会)主催による新年賀詞交歓会が7日夜、市内のホテルマロウド筑波で開かれ、地域の経済人を中心に約300人が参加した。土浦鳶職(とびしょく)組合の祝木遣(きやり)唄でスタート。主催側代表、市長、国会議員、県会議員のあいさつの後、新年恒例の懇親会に入った。 3団体を代表してあいさつした中川喜久治土浦商工会議所会頭は「今年は巳年。蛇は成長過程で脱皮を繰り返す姿が再生の象徴と考えられている。土浦の再生・発展に向け、皆さまから提言してほしい」と述べ、地域にプラスになる動きとして、TXの土浦方面への延伸、常磐高速道の土浦スマートIC設置を挙げた。 安藤真理子市長はこれを受け、「これまで種をまいてきたことが実りつつある。昨年は、国土交通省から、土浦スマートICの事業化を決めてもらった。この施設は、本市だけでなく、地域の交通、救急医療にも大きく寄与する。1日も早い開設を目指したい」と、今年の目玉施策に位置付けた。 地域貢献をアピール 国会議員で最初に登壇した青山大人衆院議員(立憲民主、茨城6区小選挙区)は、「国や自治体が発注する事業の小額随意契約の在り方が見直される。この50年間変わらなかったこの問題について、われわれ野党は政府を追及、熟議の国会で実現する運びになった」と述べ、地域経済界にプラスになる政策をアピールした。 また、国光あやの衆院議員(自由民主、比例区)も地元貢献を意識して、「地域の皆さんが気になっていた問題、老朽化している霞ケ浦医療センター(土浦市下高津)問題がやっと動き出すことになった。2月には(医療支援体制の)デジタル化、今夏には建物の(改修)工事が始まる」と、具体的な日程を明らかにした。 参院議員では、今夏に選挙を迎える上月良祐議員(自由民主、茨城区)と小沼巧議員(立憲民主、同)があいさつ。「蛇が何かするのではなく、何かするのは我々だ。土浦をよくできるのは、皆さん、地域のリーダーの方々だ」(上月議員)、「国の中心市街地活性化事業の本県対象市は、水戸、土浦、石岡、鹿島だが、担当役所によると、一番成績がよいのは土浦ということだ」(小沼議員)と、出席者を持ち上げた。 衆参同時選挙は5%? 懇親会では、昨年は警備体制の不備から中止に追い込まれた「土浦の花火」について、予算の無駄遣いなど市執行部を批判する声が多く聞かれた。また、今夏の参院選と同時に衆院選があるかどうかもあちこちで話題になっていたが、「その可能性は5%」(出席衆院議員)ということだった。(坂本栄)

「土浦の花火」に欠けていたリスク管理《吾妻カガミ》198

【コラム・坂本栄】11月2日に予定されていた「土浦の花火」が降雨予報で中止されたことには驚かなかったが、延期日に設定されていた3日と9日の開催も中止すると同時に発表されたことには驚いた。その理由が両日の警備体制が整わなかったからと聞いて、もっと驚いた。延期日をセットしておきながら、両日の警備体制が確保されていなかったからだ。 曖昧だった延期日の警備手配 土浦の花火(土浦全国花火競技大会、実行委員会会長=安藤真理子市長)中止の速報は「開催を中止…」(11月1日掲載)、その後の市長会見は「…中止を改めてお詫び」(11月5日掲載)、中止に伴う予算措置は「…減収2億3千万円…」(11月21日掲載)を読んでほしい。 予備日の花火も中止されたことに、花火ファンだけでなく関係業者もショックだったようで、不満の声が市に多く寄せられた。市議会も機敏に動き、全員協議会(11月11日)では市執行部を問い詰め、12月議会の一般質問初日(12月9日)には奥谷崇議員(郁政会)が中止に至る経緯などについて質問した。 答弁の中で、塚本隆行産業経済部長は延期日の警備体制について、①実行委と警備会社の契約では「相互に協議」することになっていた、②しかし、警備に必要な人数と手当て可能な人数についてお互いの「認識に差違」があった―と弁明した。 要するに、2日の警備体制(470人動員)ついてはきちんと契約していたものの、延期日(3日と9日)の体制については、曖昧になっていたということだ。昨今の人手不足(タイトな労働需給)が視野に入っていなかった市のミスと言える。 無駄だった花火興業中止保険 全日程中止により、収入の大宗を占める有料観覧席代を払い戻さねばならず、市は敷桟席整備費などの支出をまかなうために、2億3000万円の補助金を追加した。その結果、8500万円の当初補助金と合わせ、今年度の花火予算は3億1500万円に膨らんだ。 第2段落目のリンク先記事に寄せられたコメントの中には、想定外の花火大会中止に備えて、市はイベント損害保険を掛けていなかったのか、といった指摘もあった。 奥谷議員がこの点を突いたところ、塚本部長は、①来場者のケガなどに対応する賠償責任保険、花火事故による観覧者の損害に対応する同保険、悪天候などによる花火興業中止保険には入っていた、②このうち興業中止保険には「延期日有り」という条件が付いていた、③ところが今回は「延期日に延期せず中止」したことから、支払いの対象外になってしまった―と説明した。 要するに、予備日(3日と9日)に延期し、それでも中止に追い込まれたのであれば保険金が支払われていたが、全日程中止にしたために保険金が出なかったということだ。警備に必要な数の要員派遣が無理という想定外の事態はあったものの、こういった内容の契約をしていたのも市のミスと言える。 実行委に呼ばれなかった議長 花火大会は雨が降るとイベントそのものが成り立たない。以前、土浦の花火は10月第1土曜日に開かれていた。それが11月第1土曜日に変更されたのは、10月よりも降雨リスクが低いと判断したからだ。今回のバタバタ経験から、延期日の警備体制も契約書に明記する必要があるだろう。 全員協議会と12月議会を傍聴していて、「?」の場面もあった。大会中止を決めた実行委(10月31日夕方)に市議会の議長が呼ばれなかったというのだ。事務局が島岡宏明議長に声を掛けるのを忘れてしまったらしい。メンツをつぶされた議会は面白くなかったようだから、議長対応もリスク管理マニュアルに入れておいた方がよいだろう。(経済ジャーナリスト)

「土浦の花火」中止に思う(2)《見上げてごらん!》35

【コラム・小泉裕司】12月7日(土)午後7時、牛久沼畔で、山﨑煙火製造所のミュージック・スターマインが、初冬の澄んだ夜空に鮮やかなきらめきを見せた。オープニングは青と紅が交互に変化する牡丹(ぼたん)花火。パステルカラーや錦色の柳や千輪が荘厳なチェロ曲「Dark Academia」にシンクロし、間の取り方や時差変化に引き込まれた2分30秒。土浦仕様のスターマインに違いない。 打ち上げ現場近くでの山﨑智弘社長との会話は、おのずと土浦花火中止の話題に。「いろいろあるのでしょうが、前を向くしかないです」と、土浦花火を支える主要な1人である社長。複雑な思いをにじませながらも、潔い花火師魂に触れ、逆に励まされた思い。 市民と一体感のある大会 折しも2日後の9日(月)、2024年第4回土浦市議会定例会において、第93回土浦全国花火競技大会中止に関し、再々質問まで加えて14項目にわたる一般質問が行われ、塚本隆行産業経済部長が答弁した。質問は執行部の考えを問う形で進んだが、経緯および現状報告を除いては、具体的対応を示す答弁はなく、今後の検討課題とするにとどまった。 年明けに本番を迎える新年度政策予算査定の中で、次回開催に向けた検討がなされるのだろうか? いずれにしても来年は「土浦の花火100周年」。従来の行政主導による運営方法への信頼が揺らいだこの機に、透明性を醸成しながら、大曲や長岡の花火の例を挙げるまでもなく、「市民と一体感のある花火大会」への新たな歴史を生み出すスタートの年にしたいものだ。 花火カレンダー2025 いつまで待っても、大会ホームページに花火カレンダー販売のお知らせが掲載されない。そりゃそうだ。「中止のお詫び」や「払い戻し」と並行して表示するには、まだ違和感があるのだろう。印刷会社の「いなもと印刷」や「まちかど蔵大徳」で計10本を買い求め、友人知人に送り届けた。 ちなみに、カレンダーを制作した稲本修一社長は、来年の写真をどうしようかと悩んでいる。 長野で土浦花火ファンから元気をもらう 11月23日(土)、 長野えびす講煙火大会(長野市)に参戦したところ、宿泊先のホテルロビーで奇跡的な出会いがあった。 男性「土浦の小泉さんですか?」 小泉「そうです」 男性「声を聞いて、そうかなと思い、声かけさせてもらいました」 小泉「どちらかで?」 男性「小泉さんの出演動画やネットの記事を見ていました」 小泉「恐縮です。ありがとうございます」 男性「青森の亀田と言います。昨年の土浦花火フォトコンテストで、まぐれで入賞しました」 小泉「厳正な審査で選考されるので、まぐれはないですよ」 小泉「今年も来場される予定でしたか?」 亀田さん「はい。中止は残念でした」 小泉「大変申し訳ありませんでした」 亀田さん「だいじょうぶです」 小泉「来年は100周年大会を開催しますので、今回に懲りずに、来場してください」 亀田さん「必ず行きます。土浦の花火が好きなんです」 花火の魅力をお伝えするのがミッションの花火鑑賞士。これぞ本望なり。長野で、青森県人から元気をもらった。 この後、大会HPを確認したら、なんと「優秀賞」を受賞した方。「花火師紹介」と桜川の川面に映る虎の尾花火は、土浦ならではの構図。土浦の花火カレンダー2025のトップ「1月・2月」に採用されていた。 今年はこの辺で年越しぃー。「ドーン ドーン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <土浦の花火カレンダー販売情報>土浦市観光協会/観光情報物産センターきらら館/まちかど蔵大徳/いなもと印刷へ。

中止による減収2億3千万円 土浦花火大会 市が追加負担を決定

市長らの給与減額し道義的責任 土浦市は20日、第93回土浦全国花火競技大会の中止に伴って桟敷席などの収入が無くなり2億3000万円の減収があったとして、同額の補正予算を19日、専決処分で決定したと発表した。併せて、中止により多くの人に心配と迷惑をかけた道義的責任を明らかにするため市長と副市長の給料を減額するとした。 同花火大会は11月2日に開催する予定だったが台風21号の影響により中止。荒天の場合、3日または9日に延期する予定だったが、労働力不足により順延日の警備員を確保できず大会自体を中止とした(11月1日付、5日付、17日付)。 桟敷席の設営や撤去などすでに実施済みの委託業務や、中止に伴い新たに発生する経費を速やかに支払うため、議会の議決を経ないで決定する専決処分としたとしている。2億3000万円は、市が事務局を務める土浦全国花火競技大会実行委員会(会長・安藤真理子土浦市長)に追加補助する。市は当初予算ですでに同実行委に8500万円の補助金を計上しており、中止となった大会の事業費は計3億1500万円になる。全額を市が負担する。 給与の減額は市長が月額20%、副市長が10%を12月から来年2月までの3カ月間減額する。12月の期末手当も市長が20%減、副市長が10%減となる。3カ月間減額する条例についても19日、専決処分とした。 安藤市長は「中止による減収を補うため新たに補助金を増額する結果となってしまったことについて、市民の皆様に心よりお詫びします。開催を心待ちにしていた皆様、 煙火業者の皆様、全ての関係者の皆様に対し、多大なご心配とご迷惑をお掛けしたことについて会長として責任を強く感じています。 今後は花火大会への信頼回復に努め、大会の運営等、様々な課題を検証し、次回の大会につなげて参ります」とするコメントを発表した。

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