木曜日, 11月 21, 2024
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つくば法律日記 堀越智也 -検索結果

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基本を繰り返す 《つくば法律日記》22

【コラム・堀越智也】中学1年生の頃から、ボクシングが好きで、当時は日本で放送された試合は全てビデオに撮り、ボクシング雑誌を隅から隅まで読んでいた。当時世界チャンピオンだった、大橋秀行さんが会長を務めるジムの井上尚弥選手の先日の試合も当然見た。1カ月たった今でも余韻が残っている。 どうしてあんなに強いんだろうと考えながら過ごしている。挙げれば数えきれないだろうけど、その中でビジネスマンとして何か吸収できないかと考えた時に思い浮かぶのが、基本を大切にしているところだ。 ガードを高く構え、パンチを打ったら、すぐにガードの位置に戻す。日ごろの練習でも基本を何度も繰り返す。基本となるステップは、子どもの頃から欠かさずに続けているらしい。 そういえば、司法試験も新しい理論や判例の勉強よりも、基本を何度も繰り返した人が合格する。いろいろな本を読むよりも、同じ本をボロボロになるまで繰り返した方が実力がつく。 社会人になって、何か新しいことを勉強する時も、基本となる本を飽きるほど何度も何度も読むと、だんだん初めて触れた時と全然違う感覚になっていき、昔から知っていたことみたいになってくる。 コラム締め切り厳守も基本 基本が大事であることは、子どもの頃から言われ続けているのに、なぜ人は基本を繰り返すことを忘れてしまうのだろう。たぶんそれは、基本は淡泊でつまらない、同じことを繰り返すと飽きてくる、優秀な人を見ると基本以外の派手なところが目立ち、基本が重要と感じなくなる―などなど。 一流のプロの世界でも、基本を大事にしているかどうかで結果が変わると思われるのだから、自分もたくさん基本を怠っているだろうと思い、見直せることがないか、考えてみた。 まず、日々の仕事や勉強で、本を繰り返し読んでいないことがある。人の悪口を言わないかと言えば、多分たまに言っている。元気に明るく挨拶をしているかと言えば、そうでないこともある。ビジネスマンとして反省すべきは、時間を守らないことがあることだ。このコラムの締め切りも、十分反省すべきだ。 ただ、基本を守れていないのは、自分だけではない。暴力がいけないことも、民主主義が守られなければならないことも、子どものころから基本であることとして教わってきた。それでも、人間はそんな大事な基本を忘れてしまう生き物らしい。憎しみは何も生み出さないことも基本だと思うから、「罪を憎んで人を憎まず」―元首相の銃撃事件について頭を整理したい。(弁護士)

基本を繰り返す 《つくば法律日記》22

【コラム・堀越智也】中学1年生の頃から、ボクシングが好きで、当時は日本で放送された試合は全てビデオに撮り、ボクシング雑誌を隅から隅まで読んでいた。当時世界チャンピオンだった、大橋秀行さんが会長を務めるジムの井上尚弥選手の先日の試合も当然見た。1カ月たった今でも余韻が残っている。 どうしてあんなに強いんだろうと考えながら過ごしている。挙げれば数えきれないだろうけど、その中でビジネスマンとして何か吸収できないかと考えた時に思い浮かぶのが、基本を大切にしているところだ。 ガードを高く構え、パンチを打ったら、すぐにガードの位置に戻す。日ごろの練習でも基本を何度も繰り返す。基本となるステップは、子どもの頃から欠かさずに続けているらしい。 そういえば、司法試験も新しい理論や判例の勉強よりも、基本を何度も繰り返した人が合格する。いろいろな本を読むよりも、同じ本をボロボロになるまで繰り返した方が実力がつく。 社会人になって、何か新しいことを勉強する時も、基本となる本を飽きるほど何度も何度も読むと、だんだん初めて触れた時と全然違う感覚になっていき、昔から知っていたことみたいになってくる。 コラム締め切り厳守も基本 基本が大事であることは、子どもの頃から言われ続けているのに、なぜ人は基本を繰り返すことを忘れてしまうのだろう。たぶんそれは、基本は淡泊でつまらない、同じことを繰り返すと飽きてくる、優秀な人を見ると基本以外の派手なところが目立ち、基本が重要と感じなくなる―などなど。 一流のプロの世界でも、基本を大事にしているかどうかで結果が変わると思われるのだから、自分もたくさん基本を怠っているだろうと思い、見直せることがないか、考えてみた。 まず、日々の仕事や勉強で、本を繰り返し読んでいないことがある。人の悪口を言わないかと言えば、多分たまに言っている。元気に明るく挨拶をしているかと言えば、そうでないこともある。ビジネスマンとして反省すべきは、時間を守らないことがあることだ。このコラムの締め切りも、十分反省すべきだ。 ただ、基本を守れていないのは、自分だけではない。暴力がいけないことも、民主主義が守られなければならないことも、子どものころから基本であることとして教わってきた。それでも、人間はそんな大事な基本を忘れてしまう生き物らしい。憎しみは何も生み出さないことも基本だと思うから、「罪を憎んで人を憎まず」―元首相の銃撃事件について頭を整理したい。(弁護士) 

時間の使い方を法で縛ること 《つくば法律日記》21

【コラム・堀越智也】2年ほど前、香川県でネット・ゲーム依存症対策条例が施行されて話題になりました。18歳未満を対象として、ゲームの利用時間を1日60分、休日は90分までとし、スマホは中学生以下が21時まで、それ以外は22時までとする目安を設け、家庭内でのルール作りを促す―というものです。 賛否両論あったことは想像に難くありません。しかし、この条例施行からたった2年の間でも、ネットによる誘惑が日に日に増えているように感じ、誘惑に負けないように工夫している自分を思うと、条例を作らなければと考えた気持が分かります。 大人も子供も、スマホでゲームやネットサーフィンやSNSを楽しんでいます。僕らが子供のころ、ファミコンは1時間までと親にルールを作られ、それなりに守っていたように思えます。しかし、ファミコンはあえてやろうとしなければできませんが、スマホは手元にあり、ほぼ無意識に利用してしまいます。 そんなスマホの利用を、子供の意思だけでコントロールすることは、容易ではなさそうです。 受験生の間では、スマホ断ち、SNS断ちという言葉があるようで、できる子供はできるのだと思います。それでも、大人も子供も、この誘惑の多い社会で、やるべきことに集中して成果を上げるには、強い意志と秀逸な工夫が必要です。 時間を無駄に使うと寿命を縮める 時間術に関するビジネス書の大半は、スマホやSNSとの付き合い方について触れています。僕もネットのニュースを見る時間を決めたり、プロ野球の開幕前には、スポーツ中継専門チャンネルを解約するなどの工夫をしていますが、それでもネットの誘惑に飲み込まれそうになります。 先日、勉強のためにという言い訳をしながら、投稿された数秒の動画が次々に出る某アプリをインストールしましたが、面白くて永久に見ていられるのではないかという恐怖を覚え、封印しました。 100歳まで生きる時代と言っても、人生には限りがあります。堀江貴文さんがよく書いていますが、時間を無駄にすることは、寿命を縮めるのと同じです。誘惑が多いせいで損する時間を100年から差し引くと、いくつになるのか計算してみたくなります。 確かに、どの時代にも誘惑はあり、1つの誘惑でも膨大な時間を無駄にします。しかし、アリストテレスが生きていた古代ギリシャと比べたら、はるかに多くの誘惑があり、時間を無駄遣いする要素であふれています。ネットがなければ生まれていたはずの哲学者の生まれ変わりが、生まれないままになっているかもしれません。 そんな訳で、ネットの誘惑から法で国民を守ることの賛否はともかく、ネットの誘惑に負けそうになったとき、それを見ている時間、アリストテレスだったら勉強しているぞと自分に言い聞かせて、誘惑を撃退したいと思います。(弁護士)

時間の使い方を法で縛ること 《つくば法律日記》21

【コラム・堀越智也】2年ほど前、香川県でネット・ゲーム依存症対策条例が施行されて話題になりました。18歳未満を対象として、ゲームの利用時間を1日60分、休日は90分までとし、スマホは中学生以下が21時まで、それ以外は22時までとする目安を設け、家庭内でのルール作りを促す―というものです。 賛否両論あったことは想像に難くありません。しかし、この条例施行からたった2年の間でも、ネットによる誘惑が日に日に増えているように感じ、誘惑に負けないように工夫している自分を思うと、条例を作らなければと考えた気持が分かります。 大人も子供も、スマホでゲームやネットサーフィンやSNSを楽しんでいます。僕らが子供のころ、ファミコンは1時間までと親にルールを作られ、それなりに守っていたように思えます。しかし、ファミコンはあえてやろうとしなければできませんが、スマホは手元にあり、ほぼ無意識に利用してしまいます。 そんなスマホの利用を、子供の意思だけでコントロールすることは、容易ではなさそうです。 受験生の間では、スマホ断ち、SNS断ちという言葉があるようで、できる子供はできるのだと思います。それでも、大人も子供も、この誘惑の多い社会で、やるべきことに集中して成果を上げるには、強い意志と秀逸な工夫が必要です。 時間を無駄に使うと寿命を縮める 時間術に関するビジネス書の大半は、スマホやSNSとの付き合い方について触れています。僕もネットのニュースを見る時間を決めたり、プロ野球の開幕前には、スポーツ中継専門チャンネルを解約するなどの工夫をしていますが、それでもネットの誘惑に飲み込まれそうになります。 先日、勉強のためにという言い訳をしながら、投稿された数秒の動画が次々に出る某アプリをインストールしましたが、面白くて永久に見ていられるのではないかという恐怖を覚え、封印しました。 100歳まで生きる時代と言っても、人生には限りがあります。堀江貴文さんがよく書いていますが、時間を無駄にすることは、寿命を縮めるのと同じです。誘惑が多いせいで損する時間を100年から差し引くと、いくつになるのか計算してみたくなります。 確かに、どの時代にも誘惑はあり、1つの誘惑でも膨大な時間を無駄にします。しかし、アリストテレスが生きていた古代ギリシャと比べたら、はるかに多くの誘惑があり、時間を無駄遣いする要素であふれています。ネットがなければ生まれていたはずの哲学者の生まれ変わりが、生まれないままになっているかもしれません。 そんな訳で、ネットの誘惑から法で国民を守ることの賛否はともかく、ネットの誘惑に負けそうになったとき、それを見ている時間、アリストテレスだったら勉強しているぞと自分に言い聞かせて、誘惑を撃退したいと思います。(弁護士)

露のウクライナ侵攻に思うこと 《つくば法律日記》20

【コラム・堀越智也】前回のコラム(1月5日付)で、ソ連邦成立100周年に触れました。こう書くと、ロシアのウクライナ侵攻を示唆していたように聞こえるかもしれません。しかし実は、100周年といってもロシア関連のニュースはそんなにないだろうなと思い、資本主義の話に持っていったわけです。 100周年だから、何か重大事が起きるかもしれないと書いていれば、預言者になれたのですが…。 1月のコラムを読み返して、先見の明のなさを感じながら、正月に何気なく勉強した、ソ連邦の知識を思い出しています。東欧の社会主義圏が消滅し、ソ連邦が解体された後、その構成国がどうなったのか、もやもや状態だったのをすっきりさせたくて、世界史の教科書を読みながら地図を眺めました。 いろいろな文献には、ソ連邦解体後のことについて、早々に独立したバルト3国を除く12の独立国家共同体=緩やかな連合体と書かれています。一方で、プーチンが「強いロシア」の再建を主張して、長期政権となったとも書かれています。 緩やかな連合体の中心に強くなろうとする国がいたら、何が起こるか想像に難くありません。経済的に脆弱(ぜいじゃく)な国は、強い国に依存するか、飲み込まれます。経済的自立ができる国は、強くなろうとする国と対立するようになります。 ロシアから見たウクライナの存在が日本の奈良と京都の関係に近いことが、ウクライナ侵攻の1つの理由に挙げられることがあります。確かに、ウクライナの首都はキエフで、ロシアという国の歴史をさかのぼると、キエフ公国に行きつきます。 ただ、キエフ公国を建てたのはノルマン人ですし、そのキエフ公国はモンゴルに滅ぼされているので、ウクライナが奈良―京都的関係であることは大きな理由になりません。いずれにしても、武力侵攻という手段を取ったことは過ちです。 国際法による抑止力の議論を ウクライナがロシアに侵攻されたことで、日本も核を保有して抑止力を持つことが必要だという意見が増えています。核保有の正否はともかく、抑止力を有するのは核だけではありません。法律にも罰則があれば抑止力になります。 各国には罰則付きの法律があり、国民の犯罪を抑止します。ロシアのウクライナ侵攻は国際法違反と言われますが、グローバリゼーションが進展した今でも、全ての国を規制する法はなく、武力侵攻をピンポイントで抑止する法はありません。 学生のころ、地球上で文化が異なる国々を同じ法でまとめることに違和感を持っていました。しかし、人が生まれたらその地の法律に従わなければならないように、地球上に国をつくった以上、従わなければならない法があるべきなのではないか―。国際法の父・グロティウスが「戦争と平和の法」を著したのは1625年でした。 それ以来、国際法の「母も子」も現れていません。そろそろ、核による抑止力だけでなく、普遍的に適用される国際法による抑止力について、深い議論ができないものでしょうか。(弁護士)

露のウクライナ侵攻に思うこと 《つくば法律日記》20

【コラム・堀越智也】前回のコラム(1月5日付)で、ソ連邦成立100周年に触れました。こう書くと、ロシアのウクライナ侵攻を示唆していたように聞こえるかもしれません。しかし実は、100周年といってもロシア関連のニュースはそんなにないだろうなと思い、資本主義の話に持っていったわけです。 100周年だから、何か重大事が起きるかもしれないと書いていれば、預言者になれたのですが…。 1月のコラムを読み返して、先見の明のなさを感じながら、正月に何気なく勉強した、ソ連邦の知識を思い出しています。東欧の社会主義圏が消滅し、ソ連邦が解体された後、その構成国がどうなったのか、もやもや状態だったのをすっきりさせたくて、世界史の教科書を読みながら地図を眺めました。 いろいろな文献には、ソ連邦解体後のことについて、早々に独立したバルト3国を除く12の独立国家共同体=緩やかな連合体と書かれています。一方で、プーチンが「強いロシア」の再建を主張して、長期政権となったとも書かれています。 緩やかな連合体の中心に強くなろうとする国がいたら、何が起こるか想像に難くありません。経済的に脆弱(ぜいじゃく)な国は、強い国に依存するか、飲み込まれます。経済的自立ができる国は、強くなろうとする国と対立するようになります。 ロシアから見たウクライナの存在が日本の奈良と京都の関係に近いことが、ウクライナ侵攻の1つの理由に挙げられることがあります。確かに、ウクライナの首都はキエフで、ロシアという国の歴史をさかのぼると、キエフ公国に行きつきます。 ただ、キエフ公国を建てたのはノルマン人ですし、そのキエフ公国はモンゴルに滅ぼされているので、ウクライナが奈良―京都的関係であることは大きな理由になりません。いずれにしても、武力侵攻という手段を取ったことは過ちです。 国際法による抑止力の議論を ウクライナがロシアに侵攻されたことで、日本も核を保有して抑止力を持つことが必要だという意見が増えています。核保有の正否はともかく、抑止力を有するのは核だけではありません。法律にも罰則があれば抑止力になります。 各国には罰則付きの法律があり、国民の犯罪を抑止します。ロシアのウクライナ侵攻は国際法違反と言われますが、グローバリゼーションが進展した今でも、全ての国を規制する法はなく、武力侵攻をピンポイントで抑止する法はありません。 学生のころ、地球上で文化が異なる国々を同じ法でまとめることに違和感を持っていました。しかし、人が生まれたらその地の法律に従わなければならないように、地球上に国をつくった以上、従わなければならない法があるべきなのではないか―。国際法の父・グロティウスが「戦争と平和の法」を著したのは1625年でした。 それ以来、国際法の「母も子」も現れていません。そろそろ、核による抑止力だけでなく、普遍的に適用される国際法による抑止力について、深い議論ができないものでしょうか。(弁護士)

資本主義のことを考えた元旦 《つくば法律日記》19

【コラム・堀越智也】毎年、100年前には何があっただろうと、歴史の教科書を引っ張り出してみます。去年は中国共産党結成100周年。ソ連邦が成立したのは今から100年前です。僕が学生のころ、ざっくり言うと「これからは社会主義でなく資本主義だ」的な教育を受けました。現に中学生のとき、ソ連は解体され、東欧の社会主義圏は崩壊しました。そのころは、資本主義が肯定されたまま、世界は進んでいくのかと思っていました。 ところが、去年売れていた本とか経済関係のテレビ番組では、資本主義を否定する考え方あるいは修正する考え方が目立つようになりました。新型コロナが先進国の成長が行き詰まっている中で蔓延したこともあり、貧富の差を実感し、経済的・物質的な豊かさだけで幸せになれないと考える人が増えたのではないでしょうか。 資本主義を疑う考え方を整理すると、①資本主義を推し進めても市場には限界があることからどこかで行き詰まる、②経済的・物質的な豊かさだけでは幸せになれない―という視点があります。それぞれ密接に関連しているように思います。 何主義でも日々精進 その先を少し考えてみても、僕は経済学者ではないので、前者についての結論は出せません。また、哲学者でも宗教家でもないので、後者についての結論も出せません。資本主義の限界を語っている本でも、堂々とそれに代わるべきものが何かは分からないと言う著者もいるぐらいです。ただ、少なくとも後者については、生きていく以上、また法律の仕事を通して人の生活の重大な部分に関わる以上、日々考えていかなければなりません。 一つ、このことは確実に言えます。資本主義を疑うと、競争そのものを疑い、日々努力して成長することまで否定されてしまうことがあります。しかし、日々の努力を怠れば、仕事ではもちろん、仕事以外でも大切な人を守れなくなってしまうかもしれません。何主義でも、このことは同じでしょう。ということで、日々精進かと思うに至る、2022年元旦。(弁護士)

資本主義のことを考えた元旦 《つくば法律日記》19

【コラム・堀越智也】毎年、100年前には何があっただろうと、歴史の教科書を引っ張り出してみます。去年は中国共産党結成100周年。ソ連邦が成立したのは今から100年前です。僕が学生のころ、ざっくり言うと「これからは社会主義でなく資本主義だ」的な教育を受けました。現に中学生のとき、ソ連は解体され、東欧の社会主義圏は崩壊しました。そのころは、資本主義が肯定されたまま、世界は進んでいくのかと思っていました。 ところが、去年売れていた本とか経済関係のテレビ番組では、資本主義を否定する考え方あるいは修正する考え方が目立つようになりました。新型コロナが先進国の成長が行き詰まっている中で蔓延したこともあり、貧富の差を実感し、経済的・物質的な豊かさだけで幸せになれないと考える人が増えたのではないでしょうか。 資本主義を疑う考え方を整理すると、①資本主義を推し進めても市場には限界があることからどこかで行き詰まる、②経済的・物質的な豊かさだけでは幸せになれない―という視点があります。それぞれ密接に関連しているように思います。 何主義でも日々精進 その先を少し考えてみても、僕は経済学者ではないので、前者についての結論は出せません。また、哲学者でも宗教家でもないので、後者についての結論も出せません。資本主義の限界を語っている本でも、堂々とそれに代わるべきものが何かは分からないと言う著者もいるぐらいです。ただ、少なくとも後者については、生きていく以上、また法律の仕事を通して人の生活の重大な部分に関わる以上、日々考えていかなければなりません。 一つ、このことは確実に言えます。資本主義を疑うと、競争そのものを疑い、日々努力して成長することまで否定されてしまうことがあります。しかし、日々の努力を怠れば、仕事ではもちろん、仕事以外でも大切な人を守れなくなってしまうかもしれません。何主義でも、このことは同じでしょう。ということで、日々精進かと思うに至る、2022年元旦。(弁護士)

選挙制度を考える 《つくば法律日記》18

【コラム・堀越智也】選挙に行き、さらに選挙速報を見て結果を確認するという経験をすると、今の選挙制度がなんとなく体で分かります。僕が学校で選挙制度について教わったころは、現行制度のように候補者用と政党用の別々の投票用紙に書くような複雑な選挙制度ではありませんでした。 教科書には、小選挙区制度と大選挙区制度、比例代表制がメインで記載されており、加えて、日本独自の呼び方である中選挙区制度の説明があるという感じだったと思います。 小選挙区制度は1つの選挙区から1人当選する制度のことで、2位以下の票が完全に反映されなくなり、いわゆる死票が多くなることや、多様な民意が反映されにくいというデメリットがあります。その代わり、1つの選挙区が狭いので選挙費用がかさまないで済みます。 大選挙区制度は1つの選挙区から2人以上当選する制度のことで、死票が少なくなることや、2位以下でも当選するので、多様な民意が反映されやすいことがメリットになります。その反面、選挙区が広くなり、選挙費用がかさむなどのデメリットがあります。 比例代表制は得票数に応じて各政党の議席が決まるので、死票が少なくなるのと、政党に関する範囲で民意が反映されやすくなります。 現在の義務教育でどのような教え方をしているかは知りませんが、そんな基本にさかのぼると、現在の小選挙区比例代表制も少しは理解しやすくなると思います。 小選挙区比例代表並立制 現在の衆議院議員選挙の小選挙区比例代表並立制は、小選挙区制度と比例代表制のメリットを併せたものとされています。もちろんデメリットがないわけではありません。しかし、デメリットが全くない完璧な選挙制度はこの世に存在しないと言われています。でも、時代や社会の変化に応じて、もっとも適正な制度にしていくべきだろうと思います。 プロ野球が2リーグになったり、クライマックスシリーズができたり、試行錯誤して移り変わるのと似ていると思います。 こうして選挙制度について考えていて、思ったことがあります。小選挙区で1位にならなかった候補者が比例区で当選することを復活と言われます。まるで棚からぼた餅のように言われますが、小選挙区比例代表並立制で予定されている当選者の枠にルール通り入っただけで、選挙で当選したことに変わりません。 ただ、開票の順番から、復活したように見えるだけです。そう考えると、復活という表現をするのは正しくないように思えます。そこが、プロ野球のクライマックスシリーズで、3位のチームが1位と2位のチームを差し置いて、日本シリーズに出る可能性があるのと違うところです。(弁護士)

選挙制度を考える 《つくば法律日記》18

【コラム・堀越智也】選挙に行き、さらに選挙速報を見て結果を確認するという経験をすると、今の選挙制度がなんとなく体で分かります。僕が学校で選挙制度について教わったころは、現行制度のように候補者用と政党用の別々の投票用紙に書くような複雑な選挙制度ではありませんでした。 教科書には、小選挙区制度と大選挙区制度、比例代表制がメインで記載されており、加えて、日本独自の呼び方である中選挙区制度の説明があるという感じだったと思います。 小選挙区制度は1つの選挙区から1人当選する制度のことで、2位以下の票が完全に反映されなくなり、いわゆる死票が多くなることや、多様な民意が反映されにくいというデメリットがあります。その代わり、1つの選挙区が狭いので選挙費用がかさまないで済みます。 大選挙区制度は1つの選挙区から2人以上当選する制度のことで、死票が少なくなることや、2位以下でも当選するので、多様な民意が反映されやすいことがメリットになります。その反面、選挙区が広くなり、選挙費用がかさむなどのデメリットがあります。 比例代表制は得票数に応じて各政党の議席が決まるので、死票が少なくなるのと、政党に関する範囲で民意が反映されやすくなります。 現在の義務教育でどのような教え方をしているかは知りませんが、そんな基本にさかのぼると、現在の小選挙区比例代表制も少しは理解しやすくなると思います。 小選挙区比例代表並立制 現在の衆議院議員選挙の小選挙区比例代表並立制は、小選挙区制度と比例代表制のメリットを併せたものとされています。もちろんデメリットがないわけではありません。しかし、デメリットが全くない完璧な選挙制度はこの世に存在しないと言われています。でも、時代や社会の変化に応じて、もっとも適正な制度にしていくべきだろうと思います。 プロ野球が2リーグになったり、クライマックスシリーズができたり、試行錯誤して移り変わるのと似ていると思います。 こうして選挙制度について考えていて、思ったことがあります。小選挙区で1位にならなかった候補者が比例区で当選することを復活と言われます。まるで棚からぼた餅のように言われますが、小選挙区比例代表並立制で予定されている当選者の枠にルール通り入っただけで、選挙で当選したことに変わりません。 ただ、開票の順番から、復活したように見えるだけです。そう考えると、復活という表現をするのは正しくないように思えます。そこが、プロ野球のクライマックスシリーズで、3位のチームが1位と2位のチームを差し置いて、日本シリーズに出る可能性があるのと違うところです。(弁護士)              

夏休みの宿題と風景画 《つくば法律日記》17

【コラム・堀越智也】夏になるたびに思い出すのが夏休みの宿題。大人になっても、夏休みの終盤になって慌てて手を付ける自分を反省させられる、風物詩のようになっている人は多いと思います。実は、僕は早めに夏休みの宿題に手を付ける子でした。それでも、夏が来るたびに宿題の失敗を思い出し、反省します。 小学1年の1学期の最後の日。初めて、夏休みの宿題という「敵」が存在することを、宿題一覧表を渡されて知ることになります。それを見て、早めに片付けようと決意しました。宿題の中でも絵が強敵だと気づき、絵を早めに取り掛かろうと。 そこまでは、自分でもなんて偉い子なんだと思います。しかし、そのあとが自分らしかった。一覧表には「風景画」と書いてあるのに、自分の中で「絵」と認識し、夏休みが終わるまで「風景画」という文字を見返すことなく、画用紙にガンダムの絵を描き続けました。 夏休みが明けて、その絵を学校に持って行き、丸まった画用紙を平らにしようとして、みんなに取り囲まれ、初めてミスに気づきます。「宇宙も風景じゃねえか」という言い訳が頭に浮かびましたが、無理筋だと思い直し、自己弁護を諦めかけたところ、先生が割って入ります。 「こんなに一生懸命、絵を描いてきた人はいますか?」と言ってくれました。なんてナイスな弁護だ。確かに、僕は全身全霊でガンダムの絵を描いてきた。そして、先生は、「金賞はあげられないけれど」と言い、銅賞をくれました。その後、みんなの風景画に紛れて、ガンダムの絵が体育館に飾られました。 先生に褒められ絵が好きになった それを機に僕は絵が好きになり、毎年、夏休みの宿題で絵を描くことを楽しみにするようになりました。あのとき、誹謗(ひぼう)中傷されていたら、絵も勉強も嫌いになっていたのではないかと思い、毎年のようにその先生に感謝します。 そんな先生に感謝しているのは僕だけではないようで、みんなにからかわれそうなことをしても、その先生に褒められて、勉強好きの大人になった友人がいます。その友人は、いつも勉強が楽しそうで、勉強の話もマンガの話もゲームの話も、同じテンションでした。だから、彼の周りの人も勉強が楽しくなり、成績がよくなります。 SNSによる誹謗中傷が当たり前の世の中になりましたが、それがどれだけ社会のマイナスになるかと心配になります。もちろん、批判的な意見も自由にできなければならないことは、歴史上明らかです。しかし、人のプラス面を生かすことで、その人が救われるだけでなく、長い目で見れば社会も救われるだろうと、小学1年の自分の弁護をしながら思う2021年の夏。(弁護士)

夏休みの宿題と風景画 《つくば法律日記》17

【コラム・堀越智也】夏になるたびに思い出すのが夏休みの宿題。大人になっても、夏休みの終盤になって慌てて手を付ける自分を反省させられる、風物詩のようになっている人は多いと思います。実は、僕は早めに夏休みの宿題に手を付ける子でした。それでも、夏が来るたびに宿題の失敗を思い出し、反省します。 小学1年の1学期の最後の日。初めて、夏休みの宿題という「敵」が存在することを、宿題一覧表を渡されて知ることになります。それを見て、早めに片付けようと決意しました。宿題の中でも絵が強敵だと気づき、絵を早めに取り掛かろうと。 そこまでは、自分でもなんて偉い子なんだと思います。しかし、そのあとが自分らしかった。一覧表には「風景画」と書いてあるのに、自分の中で「絵」と認識し、夏休みが終わるまで「風景画」という文字を見返すことなく、画用紙にガンダムの絵を描き続けました。 夏休みが明けて、その絵を学校に持って行き、丸まった画用紙を平らにしようとして、みんなに取り囲まれ、初めてミスに気づきます。「宇宙も風景じゃねえか」という言い訳が頭に浮かびましたが、無理筋だと思い直し、自己弁護を諦めかけたところ、先生が割って入ります。 「こんなに一生懸命、絵を描いてきた人はいますか?」と言ってくれました。なんてナイスな弁護だ。確かに、僕は全身全霊でガンダムの絵を描いてきた。そして、先生は、「金賞はあげられないけれど」と言い、銅賞をくれました。その後、みんなの風景画に紛れて、ガンダムの絵が体育館に飾られました。 先生に褒められ絵が好きになった それを機に僕は絵が好きになり、毎年、夏休みの宿題で絵を描くことを楽しみにするようになりました。あのとき、誹謗(ひぼう)中傷されていたら、絵も勉強も嫌いになっていたのではないかと思い、毎年のようにその先生に感謝します。 そんな先生に感謝しているのは僕だけではないようで、みんなにからかわれそうなことをしても、その先生に褒められて、勉強好きの大人になった友人がいます。その友人は、いつも勉強が楽しそうで、勉強の話もマンガの話もゲームの話も、同じテンションでした。だから、彼の周りの人も勉強が楽しくなり、成績がよくなります。 SNSによる誹謗中傷が当たり前の世の中になりましたが、それがどれだけ社会のマイナスになるかと心配になります。もちろん、批判的な意見も自由にできなければならないことは、歴史上明らかです。しかし、人のプラス面を生かすことで、その人が救われるだけでなく、長い目で見れば社会も救われるだろうと、小学1年の自分の弁護をしながら思う2021年の夏。(弁護士) 

憲法記念日に思ったこと 《つくば法律日記》16

【コラム・堀越智也】コロナ禍という非常事態の下では、どちらかと言えば、憲法に関する議論は活発でなくなってしまうようです。なぜなら、憲法は国家権力を抑制するためにつくられたものですが、非常事態では、国家権力の発動により事態の解決を期待する方向にベクトルが向きやすいからです。 もちろん、菅首相がコメントしていたように、非常事態では憲法による国家権力への抑制を緩める議論は、コロナ禍で活発になります。しかし、せっかくの憲法記念日なので、コロナ禍であるために脇に置かれてしまった憲法の問題をゆっくりと思い起こす時間にしなければと思って過ごしました。 例えば、仮に楽観的に考えて、ワクチン効果が手伝って、コロナがある程度落ち着いたとすると、憲法に関する問題は山積みのはずです。 安倍前首相は、結局実現しなかったものの、憲法改正を積極的に進めようとしました。憲法改正には、国会の議決に加え、国民投票という厳しい要件があるので、簡単にはいかないにしても、油断しているうちに改正されてしまうのではないかと、心配になった時期もありました。 対中関係で9条の議論が再燃 米国の大統領にバイデン氏が就き、米中関係の影響を受けて、憲法9条の議論が再燃する可能性が大いにあります。現在のアジアでの中国の軍力と米国の軍力を比較すると、圧倒的に中国が勝っています。米国が日本に、今以上のことを求めてくることを想定しなければなりません。 これまで、憲法9条ないし自衛隊の活動範囲の問題は、中東やカンボジアなど、日本の国境から離れた地域の問題をめぐって議論されていましたが、お隣の中国との関係をめぐって議論がなされるとなると、それなりの恐怖感があります。 かつては巨大なマスメディアが君臨し、国民1人1人の政治的意見は届けにくかったのが、インターネットによりSNSの利用が広がり、国民が政治的意見を表現しやすい世の中になりました。その結果、国家権力の表現の自由に対する規制のモチベーションが高くなることに注意しなければなりません。 一方で、SNSを利用して誹謗(ひぼう)中傷される少数者を守るには、国民の表現の自由を一歩後退させざるを得ません。 コロナ禍であるがために、脇に置かれていた憲法問題を挙げればきりがなく、どれも重要な問題です。立ち止まって考える時間を与えてくれる憲法記念日の意義を、改めて痛感する令和3年の5月連休でした。(弁護士)

憲法記念日に思ったこと 《つくば法律日記》16

【コラム・堀越智也】コロナ禍という非常事態の下では、どちらかと言えば、憲法に関する議論は活発でなくなってしまうようです。なぜなら、憲法は国家権力を抑制するためにつくられたものですが、非常事態では、国家権力の発動により事態の解決を期待する方向にベクトルが向きやすいからです。 もちろん、菅首相がコメントしていたように、非常事態では憲法による国家権力への抑制を緩める議論は、コロナ禍で活発になります。しかし、せっかくの憲法記念日なので、コロナ禍であるために脇に置かれてしまった憲法の問題をゆっくりと思い起こす時間にしなければと思って過ごしました。 例えば、仮に楽観的に考えて、ワクチン効果が手伝って、コロナがある程度落ち着いたとすると、憲法に関する問題は山積みのはずです。 安倍前首相は、結局実現しなかったものの、憲法改正を積極的に進めようとしました。憲法改正には、国会の議決に加え、国民投票という厳しい要件があるので、簡単にはいかないにしても、油断しているうちに改正されてしまうのではないかと、心配になった時期もありました。 対中関係で9条の議論が再燃 米国の大統領にバイデン氏が就き、米中関係の影響を受けて、憲法9条の議論が再燃する可能性が大いにあります。現在のアジアでの中国の軍力と米国の軍力を比較すると、圧倒的に中国が勝っています。米国が日本に、今以上のことを求めてくることを想定しなければなりません。 これまで、憲法9条ないし自衛隊の活動範囲の問題は、中東やカンボジアなど、日本の国境から離れた地域の問題をめぐって議論されていましたが、お隣の中国との関係をめぐって議論がなされるとなると、それなりの恐怖感があります。 かつては巨大なマスメディアが君臨し、国民1人1人の政治的意見は届けにくかったのが、インターネットによりSNSの利用が広がり、国民が政治的意見を表現しやすい世の中になりました。その結果、国家権力の表現の自由に対する規制のモチベーションが高くなることに注意しなければなりません。 一方で、SNSを利用して誹謗(ひぼう)中傷される少数者を守るには、国民の表現の自由を一歩後退させざるを得ません。 コロナ禍であるがために、脇に置かれていた憲法問題を挙げればきりがなく、どれも重要な問題です。立ち止まって考える時間を与えてくれる憲法記念日の意義を、改めて痛感する令和3年の5月連休でした。(弁護士)

《つくば法律日記》15 ドストエフスキー生誕200年

【コラム・堀越智也】普段、今から100年前や200年前は何が起きていただろうと考えることで、歴史との距離感をつかむようにしています。今年は、ドストエフスキー生誕200年です。 ドストエフスキーの小説は、大学入試に出たので、どんな小説だろうと思い、手に取ったのが最初でした。代表作の「罪と罰」に始まり、短編小説も読むようになりました。入試のために知識を詰め込んでいるころは、なぜ大学入試で出題されるのか、あまり深くは分かりません。しかし、大学生になり、さらに社会人になり、年を取ると、少しずつその理由が分かってきます。 20代前半で読んだばかりのころは、何が言いたいのか、はっきりは分かりませんでした。ロシア文学独特の長い上に、1人複数ある登場人物の名前を必死に覚えながら読む重労働感は、多くの読者と同じです。長いカタカナの名前は、ボクシング世界戦で来日したナパ・キャットワンチャイやシリモンコン・ナコントンパークビューで鍛えたので自信がありました。しかし、ロシア文学の登場人物は、本名もあだ名も長く、あだ名は本名の跡形も残っていないことがあります。 それでも今、ページの隅々までぎっしり文字で埋められたドストエフスキーの小説を読んだ経験は、自分の財産として残っています。産業革命後、資本主義により貧富の格差が広がり、貧しい人への救いもない世の中で、人が犯した罪と罰についてどう考えるべきか考えることは、法律、政治、経済、その他、多岐にわたる分野の思考力を養います。大人になると、様々な不条理を経験します。そんな不条理とどのように向き合うべきかを考えるヒントにもなります。 貧富の差やコロナ禍による不条理 以前、久米宏さんがニュースステーションで、若者の本離れをテーマにしていた時に、若いころにドストエフスキーを読んでとてもいい世界に入って行けたと言っていました。僕がドストエフスキーを読んだのは、Windows95が出たばかりのころで、スマホはもちろん、インターネットも十分に普及していない時代でした。そして、今のコロナ禍です。 不条理の文学と言えばカミュが有名で、代表作に「ペスト」があります。インターネットやスマホが普及し、ドストエフスキーやカミュの時代とはがらりと違うように見える現在ですが、貧富の差やコロナ禍による不条理。ドストエフスキーやカミュの小説を読み直すと、若いころに読んでから今までの人生経験が線でつながり、何かに気づけるかもしれないと期待しています。 そして、また20年後に何を考えているのかを楽しみにしたい。できれば、それを誰かと語り合いたい。なので、生誕200年のドストエフスキーを多くの人に読んでほしいと願う2021年です。(弁護士)

《つくば法律日記》15 ドストエフスキー生誕200年

【コラム・堀越智也】普段、今から100年前や200年前は何が起きていただろうと考えることで、歴史との距離感をつかむようにしています。今年は、ドストエフスキー生誕200年です。 ドストエフスキーの小説は、大学入試に出たので、どんな小説だろうと思い、手に取ったのが最初でした。代表作の「罪と罰」に始まり、短編小説も読むようになりました。入試のために知識を詰め込んでいるころは、なぜ大学入試で出題されるのか、あまり深くは分かりません。しかし、大学生になり、さらに社会人になり、年を取ると、少しずつその理由が分かってきます。 20代前半で読んだばかりのころは、何が言いたいのか、はっきりは分かりませんでした。ロシア文学独特の長い上に、1人複数ある登場人物の名前を必死に覚えながら読む重労働感は、多くの読者と同じです。長いカタカナの名前は、ボクシング世界戦で来日したナパ・キャットワンチャイやシリモンコン・ナコントンパークビューで鍛えたので自信がありました。しかし、ロシア文学の登場人物は、本名もあだ名も長く、あだ名は本名の跡形も残っていないことがあります。 それでも今、ページの隅々までぎっしり文字で埋められたドストエフスキーの小説を読んだ経験は、自分の財産として残っています。産業革命後、資本主義により貧富の格差が広がり、貧しい人への救いもない世の中で、人が犯した罪と罰についてどう考えるべきか考えることは、法律、政治、経済、その他、多岐にわたる分野の思考力を養います。大人になると、様々な不条理を経験します。そんな不条理とどのように向き合うべきかを考えるヒントにもなります。 貧富の差やコロナ禍による不条理 以前、久米宏さんがニュースステーションで、若者の本離れをテーマにしていた時に、若いころにドストエフスキーを読んでとてもいい世界に入って行けたと言っていました。僕がドストエフスキーを読んだのは、Windows95が出たばかりのころで、スマホはもちろん、インターネットも十分に普及していない時代でした。そして、今のコロナ禍です。 不条理の文学と言えばカミュが有名で、代表作に「ペスト」があります。インターネットやスマホが普及し、ドストエフスキーやカミュの時代とはがらりと違うように見える現在ですが、貧富の差やコロナ禍による不条理。ドストエフスキーやカミュの小説を読み直すと、若いころに読んでから今までの人生経験が線でつながり、何かに気づけるかもしれないと期待しています。 そして、また20年後に何を考えているのかを楽しみにしたい。できれば、それを誰かと語り合いたい。なので、生誕200年のドストエフスキーを多くの人に読んでほしいと願う2021年です。(弁護士)

《つくば法律日記》14 時代の変化を楽しむ

【コラム・堀越智也】正月に小学3年生のおいっ子が実家に遊びに来て、乗るだけで腹筋が鍛えられる機械で遊んでいた。古き時代の野球部だった僕は、若いうちから楽して腹筋を鍛えていいのだろうかと、一瞬思った。しかし、僕らの時代にも、つらく苦しい「うさぎ跳び」はやらない方がいいと言われていた。最近は、僕らが教わった腹筋の鍛え方も否定する意見があるらしい。 昔は、正月に親戚の子どもが集まれば、かるたやトランプをしていたが、最近はやらないし、小3のおいっ子も携帯のゲーム機に夢中である。そこで、僕は部屋に閉じこもり、昔は当たり前だったが今は否定されているものを、できる限り思い出してみた。 まず聖徳太子。小学生のころ、絵まで描かされ、あれだけすごい人物だったと教えられたのに、今は、実在しなかったわけではないが、教科書で教えられたように、いろいろなことを成し遂げた事実はないということになっている。1万円札や5千円札になったことも、誤解に基づく結果ということなのだろうか。 歴史つながりで言うと、大河ドラマにこれから出て来る本能寺の変は、僕らが教科書で習った事実とは違うような見解が主張されている。まだ何が真実か明らかになっているわけではないが、教科書には、はっきりと明智光秀が本能寺の変を起こして、織田信長を討った旨の記載がある。光秀に大勢が味方して信長を討ち、その後、豊臣秀吉に大勢が味方して光秀を討つという、昔教わった人間関係がイメージしにくいので、早く真実が明らかにならないかと思っている。 債権法・相続法も大幅改正 今でもたまに話題になる未確認飛行物体(UFO)。昔は、UFOを呼べますという人が現れ、民放テレビのゴールデンタイムにUFOを呼ぶ番組があった。しかも、番組の最後に本当に呼べたかのような場面もあり、今そのような放送をしたらまずいことになるのではないかというくらい、UFOは人気のコンテンツだった。 最近、UFOが取り上げられることが減ったのは、科学が発達し、人間が宇宙に頻繁に行くようになり、さすがにないのではと思われるようになったのだろう。僕も、空を見ている時間が長い天文学者や気象予報士に、UFOを見たと言っている方がほとんどいないと知り、UFOはないのではないかと思ってしまう。 やっと法律の話になりますが、法律も学生時代に習ったものから別のものに移りゆくもので、最近、民法の債権法と相続法が大幅に改正された。成人の年齢も変わることになっている。そして、判例も変更される。古い判例を理由に裁判を起こしたら、大変なことになる。 僕が司法試験の勉強をしていたころに比べ、世の中が変化するスピードはますます速くなっている。そんなことを思い、時代の変化に前向きについていこうと、買いあさった本の山に囲まれ、明智勢に包囲された信長のように、是非に及ばずと思いつつ、今年の計画を立てる令和3年1月。(弁護士)

《つくば法律日記》14 時代の変化を楽しむ

【コラム・堀越智也】正月に小学3年生のおいっ子が実家に遊びに来て、乗るだけで腹筋が鍛えられる機械で遊んでいた。古き時代の野球部だった僕は、若いうちから楽して腹筋を鍛えていいのだろうかと、一瞬思った。しかし、僕らの時代にも、つらく苦しい「うさぎ跳び」はやらない方がいいと言われていた。最近は、僕らが教わった腹筋の鍛え方も否定する意見があるらしい。 昔は、正月に親戚の子どもが集まれば、かるたやトランプをしていたが、最近はやらないし、小3のおいっ子も携帯のゲーム機に夢中である。そこで、僕は部屋に閉じこもり、昔は当たり前だったが今は否定されているものを、できる限り思い出してみた。 まず聖徳太子。小学生のころ、絵まで描かされ、あれだけすごい人物だったと教えられたのに、今は、実在しなかったわけではないが、教科書で教えられたように、いろいろなことを成し遂げた事実はないということになっている。1万円札や5千円札になったことも、誤解に基づく結果ということなのだろうか。 歴史つながりで言うと、大河ドラマにこれから出て来る本能寺の変は、僕らが教科書で習った事実とは違うような見解が主張されている。まだ何が真実か明らかになっているわけではないが、教科書には、はっきりと明智光秀が本能寺の変を起こして、織田信長を討った旨の記載がある。光秀に大勢が味方して信長を討ち、その後、豊臣秀吉に大勢が味方して光秀を討つという、昔教わった人間関係がイメージしにくいので、早く真実が明らかにならないかと思っている。 債権法・相続法も大幅改正 今でもたまに話題になる未確認飛行物体(UFO)。昔は、UFOを呼べますという人が現れ、民放テレビのゴールデンタイムにUFOを呼ぶ番組があった。しかも、番組の最後に本当に呼べたかのような場面もあり、今そのような放送をしたらまずいことになるのではないかというくらい、UFOは人気のコンテンツだった。 最近、UFOが取り上げられることが減ったのは、科学が発達し、人間が宇宙に頻繁に行くようになり、さすがにないのではと思われるようになったのだろう。僕も、空を見ている時間が長い天文学者や気象予報士に、UFOを見たと言っている方がほとんどいないと知り、UFOはないのではないかと思ってしまう。 やっと法律の話になりますが、法律も学生時代に習ったものから別のものに移りゆくもので、最近、民法の債権法と相続法が大幅に改正された。成人の年齢も変わることになっている。そして、判例も変更される。古い判例を理由に裁判を起こしたら、大変なことになる。 僕が司法試験の勉強をしていたころに比べ、世の中が変化するスピードはますます速くなっている。そんなことを思い、時代の変化に前向きについていこうと、買いあさった本の山に囲まれ、明智勢に包囲された信長のように、是非に及ばずと思いつつ、今年の計画を立てる令和3年1月。(弁護士)

《つくば法律日記》13 お酒の法律で変わるマーケット

【コラム・堀越智也】昔から、お酒に関する法律がマーケットに大きな影響を与えてきました。特に、酒税はそれなりの税収になることもあり、酒税法が度々改正されるのですが、酒税法の改正で、僕らもよく知っているようなマーケットの変化が起きています。 つくば市や茨城県では、クラフトビールのイベントがよく開催されます。新型コロナ禍のため、今年はないのが残念ですが、つくばセンター広場でも、毎年クラフトビールのイベントがあります。 クラフトビールがはやり出したのは、酒税法が改正されて、地ビールが造りやすくなったからです。かつて、酒税法の改正で地ビールが盛んに造られ始め、さらにクラフトビールという名前に変えて、世間に広まりました。 発泡酒も第3のビールも、テレビのCMで聞くようになったのは最近です。1990年代に、サントリーが「ホップス」という発泡酒を販売してから、世間に広まり始めました。 酒税法上、ビール、発泡酒、第3のビールは、ざっくり言うと、麦芽の割合と副原料を使用しているか否かで区別されるのですが、発泡酒は、当時、酒税法上、税金が安かったため、安く販売されたのです。 ところが、後に酒税法が改正され、発泡酒とビールの金額の差が縮まります。すると、第3のビールが日本を席巻。そして先々月10月の改正で、ビールは値下げ、発泡酒は一部値下げ、第3のビールは値上げになります。こうして、マーケットは酒税法に動かされることになり、メーカーも大変です。 つくばのワインが面白い つくば市に影響しそうな酒の法律というと、通称ワイン法ではないかと思います。正式名は「果実酒等の製法品質表示基準」ですが、日本のワインを定義し、国産ワインの信用を高めることを目的に制定され、2018年10月から施行されています。 つくばで育てたブドウでなければ「つくばワイン」と名乗ることができません。逆に言うと、つくばでワイン用のブドウができれば、「つくばワイン」と名乗ることができ、地元の名産品に加わる可能性があるのです。 幸い、つくばにはいくつかワイナリーができました。地質的にワイン用ブドウに適した場所で栽培されているようで、それもつくばらしいです。追い風は、2017年につくば市がワイン特区に認定されたことです。 酒税法上、ワインを造るには、年間6,000リットルの製造量が条件になりますが、特区に認定されたことで2,000リットルに緩和されました。その結果、小さな施設もワインが造れます。 このワイン特区、いかに市民が利用するかにかかっていますが、つくばの経済にとって、ひとつの強い味方になると思います。(弁護士)

《つくば法律日記》13 お酒の法律で変わるマーケット

【コラム・堀越智也】昔から、お酒に関する法律がマーケットに大きな影響を与えてきました。特に、酒税はそれなりの税収になることもあり、酒税法が度々改正されるのですが、酒税法の改正で、僕らもよく知っているようなマーケットの変化が起きています。 つくば市や茨城県では、クラフトビールのイベントがよく開催されます。新型コロナ禍のため、今年はないのが残念ですが、つくばセンター広場でも、毎年クラフトビールのイベントがあります。 クラフトビールがはやり出したのは、酒税法が改正されて、地ビールが造りやすくなったからです。かつて、酒税法の改正で地ビールが盛んに造られ始め、さらにクラフトビールという名前に変えて、世間に広まりました。 発泡酒も第3のビールも、テレビのCMで聞くようになったのは最近です。1990年代に、サントリーが「ホップス」という発泡酒を販売してから、世間に広まり始めました。 酒税法上、ビール、発泡酒、第3のビールは、ざっくり言うと、麦芽の割合と副原料を使用しているか否かで区別されるのですが、発泡酒は、当時、酒税法上、税金が安かったため、安く販売されたのです。 ところが、後に酒税法が改正され、発泡酒とビールの金額の差が縮まります。すると、第3のビールが日本を席巻。そして先々月10月の改正で、ビールは値下げ、発泡酒は一部値下げ、第3のビールは値上げになります。こうして、マーケットは酒税法に動かされることになり、メーカーも大変です。 つくばのワインが面白い つくば市に影響しそうな酒の法律というと、通称ワイン法ではないかと思います。正式名は「果実酒等の製法品質表示基準」ですが、日本のワインを定義し、国産ワインの信用を高めることを目的に制定され、2018年10月から施行されています。 つくばで育てたブドウでなければ「つくばワイン」と名乗ることができません。逆に言うと、つくばでワイン用のブドウができれば、「つくばワイン」と名乗ることができ、地元の名産品に加わる可能性があるのです。 幸い、つくばにはいくつかワイナリーができました。地質的にワイン用ブドウに適した場所で栽培されているようで、それもつくばらしいです。追い風は、2017年につくば市がワイン特区に認定されたことです。 酒税法上、ワインを造るには、年間6,000リットルの製造量が条件になりますが、特区に認定されたことで2,000リットルに緩和されました。その結果、小さな施設もワインが造れます。 このワイン特区、いかに市民が利用するかにかかっていますが、つくばの経済にとって、ひとつの強い味方になると思います。(弁護士)

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