月曜日, 4月 6, 2026
ホームコラムルート66とつくばシルクロ一ド《映画探偵団》93

ルート66とつくばシルクロ一ド《映画探偵団》93

【コラム・冠木新市】東京オリンピック開催に向けて日本中が湧いていた時代。一度も見たことはなかったが、「ルート66」(1960〜1964)というテレビ番組があったことを記憶している。小学生のころだ。

日本でも反体制的な時代の空気に包まれていたベトナム戦争時代。アメリカン・ニューシネマの先駆的な作品「俺たちに明日はない」(1967)が1968年に公開された。世界大恐慌時代の男女ボニ一&クライドの銀行強盗と逃避行を描いた犯罪映画なのだが、なぜかすんなりと共感したことを覚えている。高校生のころだ。

1970年に入り「イ一ジ一・ライダー」(1969)が公開される。主人公キャプテン・アメリカ(ピ一タ一・フォンダ)がコカイン密売で金を得てバイクを買い、腕時計を捨て相棒と自由を求めて旅立つシ一ン。ロックの流れるタイトルバックに心が躍った。大学生のころだが、当時の若者たちは皆同じ思いを抱いたのではないか。

渋谷パルコ周辺に人が集まった1989年、「バグダッド・カフェ」(1987)を渋谷で見た。アメリカ旅行中のドイツ人女性が旦那と大喧嘩し、車から降りトランクを転がしアスファルト道路をとぼとぼ歩くシーン。テ一マ曲が流れ、黄色の画面のスクリ一ンに一瞬にして吸い込まれた。結婚したころだ(コラム10参照)。

印象深い3本の映画だが、この3本の舞台が同じルート66であることを後から知って驚いた。その後見たジョン・フォード監督の名画「怒りの葡萄」(1940)、「ハリ一とトント」(1974)、「レインマン」(1988)、「テルマ&ルイ一ズ」(1991)も、ルート66が舞台であると知る。

地名は知っていても、いちいち地図で確認することをしなかった私は、長い間、同じロ一ドを舞台にした映画であることを知らず見ていたわけだ。

ルート66とは、アメリカ合衆国東部イリノイ州シカゴと西部カリフォルニア州サンタモニカを結んだ全長3755キロの旧国道。マリリン・モンローが生まれた1926年に指定された。しかし、州間高速道路の発達によりその役目を終え、つくば科学博覧会が開かれた1985年に廃線となった。

道には物語がある。私はつくば市の赤塚公園から筑波山までのほぼ一直線の道を「つくばシルクロード」と呼んでいる(コラム60参照)。この道には文化・歴史・伝説が眠っている。それらを再創造し、「つく つく つくばの七不思議」としてア一トイベント化してきた。今にして思えば、小学生のころ無意識にルート66を記憶したのは、物語のある道に興味があったのかもしれない。

来年はルート66が誕生して100年になる。アメリカでも色々なイベントが行われることだろう。こちらも、つくばシルクロードをアピールする企画を計画しよう。道が物語を生み出すのか、物語が道に輝きを与えるのか。いずれにしても、道と物語は深く結びついているのは確かである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

<お知らせ> 物語観光「つく つく つくばの七不思議セミナー」(参加費無料)
・日時:10月25日(土)13〜15時
・場所:コリドイオ小会議室
・内容:映画上映『サイコドン』第1話、お話と懇談会

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