月曜日, 5月 13, 2024
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水戸市で農をテーマにした美術展 《邑から日本を見る》142

【コラム・先崎千尋】茨城県は全国有数の農業県。農業産出額は全国第3位だ。メロンやレンコン、白菜、ミズナ、栗などは全国一の生産量を誇っている。美術作品には昔から、農作業をする人々の姿が描かれてきた。19世紀のヨーロッパでは、現実をありのままに描く自然主義芸術のモチーフとして、また産業革命後には、都会人を癒す風景として田園や農民がクローズアップされた。画家たちは、とりわけ働く農婦の姿に労働の尊さと健康的な美を見出し、描く対象としてきた。一方で、農村における貧困や農民運動などの問題をテーマとする画家たちも登場する。

水戸市にある県近代美術館には、農業にまつわる作品や作家が多い。そこで企画されたのが「土とともに美術にみる〈農〉の世界」。命と食に直結する農をめぐる作品を5つのジャンルに分け、多彩な農のイメージが紹介されている。これまで、国内では農をテーマとした美術展はあまり開かれてこなかったので、農に関わる人にとっては格別の展覧会だ。

会場に入るとすぐにミレーの「落ち穂拾い」や「種をまく人」が目に飛び込んでくる。第1章は「田園風景の発見 フランスと日本」。「種をまく人」は岩波書店のロゴマークとして知られている。ピサロの「立ち話」、ミレー、ゴッホの「座る農婦」など、眼前の自然をありのままに描く風景画が並ぶ。農作業や家事・育児に励む女性たちの健康美とともに、勤労の尊さを伝えている。画家たちは筆を持って郊外に出かけ、働く農民を描いた。

一方、明治期に洋画を学んだ浅井忠らは、西欧の写実的な技法を学び、自国の自然と農村風景に目を向けていった。ここには浅井の「農家室内」「藁屋根」などが展示され、失われたこの時代の農村の風景を見ることができる。

「わが愛しき農村」「畑のマリア」

第2章は「ふるさとへの想い わが愛しき農村」。大正期以降の日本絵画に現れた故郷への愛着が感じられる。ここで圧倒的なのは小川芋銭。展示されている「畑のお化け」や「霞ケ浦」「春野」などで、芋銭のほのぼのとした理想郷としての農村風景が見られる。芋銭は牛久沼のほとりで農業に従事しながら制作を続け、河童の絵を得意とした。「芋銭」という号は、描いた絵で芋を買えるくらいになればという意味を持つ。

第3章「畑のマリア モデルとしての農婦と子」に続く第4章は「現実と抵抗と はたらく農民への共感」。農民の厳しい現実に関心と共感を寄せた作家たちの作品が取り上げられている。

明治以降、農村では地主層が台頭するのに伴い、地主と小作人が衝突する小作争議が各地で頻発した。第1次世界大戦後に小作争議はピークを迎える。戦後は食糧難や農村の貧困が社会問題となった。昭和の戦前期、鈴木賢二、上野誠らは農民をモデルにした彫刻や木版画を発表した。

戦後、農地改革により地主層は消滅したが、高率の税負担や米軍基地拡張による農地接収などのひずみは、各地で再び激しい農民運動を引き起こした。茨城、栃木では、農民の厳しい現実に共感した作家たちが社会問題を版画で伝え、市民に版画を広める「戦後版画運動」が盛んだった。この章では、鈴木、上野の作品の他、新居広治、飯野農夫也、滝平二郎らの作品が並び、農村の貧困を問うている。飯野の作品には、長塚節の「土」を演劇にした時のポスターと長塚の肖像画も含まれている。

終章は「アートの土壌としての農」。現代を生きるアーティストたちと農との関係がテーマ。種苗農家に生まれた草間彌生は、畑の植物や種子をモチーフに絵画の上で永遠の生命のテーマを奏でる。常陸大宮市でコメを作りながら油絵を描く野沢二郎、守谷市で有機農業をしながら版画を制作する大森薫子は、大地に息づく植物や動物の生命感を作品に反映させている。彼らのアトリエは田畑に囲まれ、まさに「土」とともにある。

本作品展は、水戸市千波町東久保の県立近代美術館で来月2日まで開かれている。(元瓜連町長)

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