【コラム・浅井和幸】不遇な少年時代を経て、自分の実力で成功した人を、私たちはカッコイイと感動します。人に頼らず、自分の腕で不運を乗り越えて何かを成し遂げる、自分の力を見せつけることを私たちは夢見ます。それは悪いことではなく、物事を乗り越えるには必要な力です。
しかし、物事がうまく行っていないときには、この癖が嫉妬やさらなる不運を招いてしまうことになりやすいのも事実でしょう。自分よりうまく行っている人はただ運が良かっただけと切り捨て、自分よりうまくいっていない人に対しては頑張りが足りないからだと軽く見る。
苦しく余裕がないと視野が狭まり、周りの良い意見も悪い意見も区別がつかず、周りに対してのネガティブな感情がわきます。自分のことを誰もわかってくれないし、自分は誰のことも分かりたくない。
世の中は嫌な事だけしか起こらないのだから、目をつぶり、耳をふさいだ方がましだ。それが、休息になっていれば余裕につながるのですが、嫌なことばかり考えていると心理的に疲弊は大きいです。
人は運が良いときもあれば、運が悪いときもあるもの。ですが、上記のような状況になると、良い運には気づきにくくなり、悪い運には過敏になっていきます。自分は運が良いと思っている日常は、上記とは逆の道をたどるのですが、運が悪いと思っている人が自分は運が良いと思えように即変われというのは無理難題です。
ささいな喜びを見つける
人生一発逆転をするような、大きな意義のあるイベントに出くわすとか、生活を一変するような趣味を見つけるとかと考えずに、普段軽く見ているようなささいな喜びを見つけましょう。
せっかくの休みに何もせず無意味な時間を過ごしたと思わず、心身の休息は取れたかもしれないことに気づくことです。さっき食べた食事にちょっとだけおいしいと感じたものがあったことを思い出し、何かきれいな花を見つけてきれいだと声に出す。昔聞いた音楽を聞き、少しだけ心地よいなと感じる。ちょっとしたせっけんのにおいを良いかもと感じ、触り心地の良いタオルをなでて気持ち良いかなと感覚を味わってみる。
このささいな良さを感じて、積み重ねることを続けていると、心地よいことに敏感になっていけます。それはさらなる快さにつながり、運の良さにつながっていきます。
お金がたくさんほしいのに、お金の勉強をしない。ダイエットしたいのに、たくさん食べる。苦しむのは嫌なのに、今考えても改善しないのに、嫌な仕事や嫌な人のことを1日中恋焦がれるように考え続ける。自分が行きたい場所とは逆の方に全力疾走しているようなこの状態に、人はなりやすいものです。
少しだけ今行っている努力を緩めて、余裕が出来たら、ちょっと方向を変えて目的の方向を向いてみる。無意識の行動に気づくことは難しいことですが、気づくことが出来たら大きな急激なことではなく、簡単でささいなことを繰り返し行うことで、いつの間にか運がよくなっている自分に気づく未来が訪れることでしょう。(精神保健福祉士)