木曜日, 12月 4, 2025
ホームスポーツ運動栄養学を学ぶ筑波大生 「アスリートレストラン」開催 事業化目指す

運動栄養学を学ぶ筑波大生 「アスリートレストラン」開催 事業化目指す

【田中めぐみ】筑波大学体育専門学群で運動栄養学を専攻する3年の佐々木雄平さんが、学生団体「つくばアスリートレストラン」(TAR)をつくり、昨年10月から同大の学生宿舎などで、アスリート向けの食事会「つくばアスリートレストラン」を開いている。26日には市内のパブで一般向けイベントを開催する。

この日の献立(つくばアスリートレストラン提供)

「おなか減ったー」「いただきまーす!」。筑波大学の学生宿舎グローバルヴィレッジコミュニティステーション2階で4月28日、アスリートレストランが主催する食事会が開かれ、男子ラクロス部員35人が集まった。

TAR代表の佐々木さんがラクロス部のために考えた献立は、ひじきと豆腐のサラダ、水菜のコールスローサラダ、鶏むね肉のキノコあんかけ、ワカメと卵の味噌汁、カブのガーリックオリーブ炒め。ブドウと牛乳も付いており、17品目の食材を使っている。管理栄養士で同大大学院人間総合科学研究科1年の中村萌香さんが栄養バランスのチェックをした。佐々木さんと中村さんが調理のほとんどを行ったが、部員たちも率先して手伝った。

おかわりが進み、ご飯はあっという間に売り切れ。しっかり食べた後には栄養クイズ大会が開かれた。スマートフォンを使ってクイズに参加し、その日食べたものがどのような働きをするのか、楽しみながら学ぶ形式だ。1問ごとに得点順位が発表されると部員たちは一喜一憂し、会場は盛りあがった。

調理をする代表の佐々木雄平さん(右)と管理栄養士の中村萌香さん

全料理で5大栄養素摂取

アスリートレストランは今回で8回目となる。主食・主菜・副菜・汁物・果物・乳製品を提供する。参加費は500円。すべての料理で身体に必要な5大栄養素を摂ることができる。食事会に協力しているスタッフは32人で、協力の頻度はまちまちだが集まれる人が参加して運営している。食事会には毎回20~30人のスタッフが集まっているという。

食事会の前には「食生活バランスチェックシート」に記入を行い、それぞれが日ごろの自分の食生活を省みる。ラクロス部で人間学類3年の早稲田拳さんは「シートに記入して牛乳や乳製品が足りていないことが分かった。元々あまり野菜が好きではなく、親と暮らしている時は食べたくないなあと思っていたが、1人暮らしを始めてから意識して食べるようにしている」と話す。社会工学類3年の岩見悠太郎さんは「部活の朝練をしているのに朝ご飯を食べずに授業に行くことがある。1人暮らしなので品数をそろえるのが難しい。毎回献立を決めるのも面倒なので食事会はありがたい」と話す。

きっかけはインスタ

佐々木さんは大学に入学してから料理の楽しさに目覚め、インスタグラムに自作の料理写真を投稿してきた。写真を見たアスリートの友人から「おいしそう」「食べてみたい」という声が挙がり、「材料費を出してくれたら家に食べに来てもいいよ」と友人を招いたのがきっかけでアスリートレストランを主宰するに至った。

食事会の開催にとどまらず、佐々木さんは、食を通じて地域とアスリートとのつながりを作る方法を考えている。この日使った材料のカブは千葉県我孫子市の農家が作った。同大の農業サークルの学生が手伝いに行き、代わりに提供してもらったという。「地域には、農作業をする人がいない、野菜が余っているといった声がある。若者の手を借りたい地域と、栄養のある食事をしてスポーツの応援をしてほしいという若者の声をマッチングさせるプラットホームを作ることができれば」とプロジェクトを練っている。

つくば市内の農家からの協力も得、今後、米やキノコ、ヤーコンなどの材料を提供してもらう予定だ。将来的には事業化を目指しており、つくば市都市計画部主催の「つくばR8地域活性化プランコンペティション」=メモ=に応募するという。「人が喜ぶこと、人の役に立つことが一番の原動力になる」という佐々木さん。アスリートの食事を充実させ、食を通じて人々の交流を創生するのが目標だと語る。

◆26日の一般向けイベントは、アスリートレストラン開催10回目の記念として、パブ「ブラッセリー&バー・フィンラガン」(つくば市天久保2-9-2、リッチモンド2番街B-203)で開催する。午後6時から午後9時までの間の予約が可能で、無農薬の有機野菜を使ったメニューを予定しているという。料金は学生800円、一般1200円。定員40名。予約は掲載のQRコードから。

26日の一般向け食事会の予約用QRコード

◆つくばアスリートレストランは

ホームページ https://www.u.tsukuba.ac.jp/~s1711833/index.html

インスタグラム https://www.instagram.com/tar_pr_/?hl=ja

ツイッター https://twitter.com/TAR_PR

※メモ

【つくばR8地域活性化プランコンペティション】つくば市がR8(北条、小田、大曾根、吉沼、上郷、栄、谷田部、高見原)を元気にするための地域活性化プランを募集するもの。コンペで採用されたプランに1 件最高200万円の支援金を支給し、提案者に実証事業として取り組んでもらう。

➡筑波大生の活動に関する過去記事はこちら

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

茎崎交流センター別館17日開館 旧庁舎跡地の利活用一段落 つくば

つくば市小茎、茎崎庁舎跡地の北側に隣接する旧茎崎保健センターが改修され、東隣に立地する茎崎交流センターの別館として17日オープンする。当初、旧庁舎跡地利活用の一環で解体する予定だったが、計画を変更した。同別館のオープンにより茎崎庁舎跡地の利活用事業は一段落する。 保健センターは廃止され、地域交流センターとなる。ただし保健センターとして実施していた地域住民の定期健康診断などは引き続き同別館で実施する。 別館は鉄筋コンクリート造2階建て。1階はだれでも利用できるオープンスペースとなる。住民票などが取得できる窓口センターは改修前と同じ1階に設置される。2階は会議室などの貸しスペースとなる。1階はロビー、キッズスペース、ミーティング室2室、和室と事務室がある。いずれも予約なしで、おしゃべりしたり、くつろいだり、中高生が勉強したり、自由に利用できる。2階は会議室3部屋と調理室、多目的室があり、隣接の茎崎交流センターなどで事前予約して利用する。建物は敷地面積約3880平方メートル、建築面積約1260平方メートル、延床面積約1480平方メートル。 改修工事は、建築から38年経ち老朽化していた屋上の防水工事や外壁の塗装工事、室内の壁や床のクリーニングなどを実施した。トイレは便座を洋式にしたほか、多機能トイレを新設などした。間取りは1、2階いずれも茎崎保健センターとほぼ同じ。総改修費用は約2億6600万円。 一方改修にあたって、住民から要望があったエレベーターは今回、設置されなかった。市地域支援課は「エレベーターを設置すると工事期間がさらに長くかかる。地域住民から『早く利用したい』という要望があり、今回は早く開館できるようにした。エレベーターについては今後、利用者の要望を聞いて検討したい」としている。 開館を前に11月30日、内覧会が催され、茎崎地区住民らが次々と訪れていた。1階では食生活改善推進協議会茎崎支部(寺内元子支部長)から来館者にサツマイモの炊き込みご飯と小松菜の煮びたしがふるまわれた。 内覧会に訪れた近くに住む男性(81)は「きれいになって良かった」などと話し、70代女性は「2階に行くには階段しかなく足の悪い人は大変。茎崎地区は高齢者が多いのでエレベーターをつくってほしい。1階和室に、高齢者が楽に座れる高座椅子などがあれば」と話していた。 市地域支援課の根本隆課長は「地域交流センター別館として生まれ変わるので、地域の方にどんどん使っていただきたい。(内覧会で)アンケートをとったので、予算のこともあるが、声を生かしていきたい」などと話している。(鈴木宏子) ▶旧茎崎庁舎跡地利活用をめぐる動き2002年 茎崎町がつくば市と合併2009年 市原健一前市長が「新庁舎建設に伴う現庁舎利活用方針」を策定、茎崎庁舎跡地をバスターミナルに2015年 旧茎崎庁舎を解体2016年 初当選した五十嵐立青市長が利活用方針を見直し2017年 跡地利活用について市が対話型市場調査を実施(17年11月8日付)2020年 市が公共施設を併設した商業施設誘致計画と保健センター解体方針を発表(20年8月7日付)2022年 市が計画を変更し誘致する商業施設の規模を縮小、保健センターを存続(22年6月11日付)2024年 庁舎跡地の一部にドラッグストアー開店(22年9月26日付、23年3月25日付、24年3月14日付)2025年12月17日 茎崎保健センターが廃止され茎崎交流センター別館として開館

土浦市に本格的自家焙煎の店 5日オープン

【PR】土浦市藤沢に本格的自家焙煎の店「COFFEHOUSE BLUE」(コーヒーハウス・ブルー)が5日オープンする。栽培から流通まで品質管理された「スペシャルティコーヒー」を提供する。焙煎機は茨城県初上陸のトルコから取り寄せたBESCA(べスカ)製品を使用する。 コーヒー豆の販売のほか、店内に7席が用意され、カフェとしても営業する。煎りたてのコーヒーを味わうことが出来、ホットサンドなども準備する。 コーヒー豆はインドネシア、エチオピア、メキシコ、パプアニューギニア、グアテマラ、コスタリカ、ブラジル、コロンビア、エクアドル、ニカラグアの10種類、同店で作るオリジナルブレンドもある。 焙煎機にBESCA製品を選んだ理由として「高品質で細部まで考え抜かれた設計で比較的手に入れやすい」ということから直接輸入した。国内でも20機ほどしかないという。 開店するのは野口雄太郎さん(38)。土浦市木田余で生まれた。当初はミュージシャンを目指し、音楽の専門学校に通った。ドラム奏者として活躍し、自主制作のCDまで作ったが、コーヒー職人の道を目指すことになった。 東京・浅草の老舗店「ロイヤル珈琲店」やコーヒー好きが通う神保町の「豆虎」などで5年間働き、コーヒーに関する技術や知識を身に付けた。新規店舗では、コーヒーのおいしい淹れ方などの相談にも乗る。 同店は旧国道125号線沿いにあり、大叔父が1987年から2013年まで営業していた喫茶店「ブロートツァイト」を改装して開業する。地域の喫茶店として幅広いファンがいたが、22年間空き店舗になっていた。店舗面積は約70平方メートル。 野口さんは「コーヒー好きの人だけでなく、コーヒービギナーの人にも来店してもらい、ゆっくりとした時間をコーヒーとともに味わってほしい」と語り「手に取りやすい価格でおいしいものを提供するのがモットー」と話す。 ◆「COFFEHOUSE BLUE」は土浦市藤沢3560-2、電話029-846-0744

サイン本コレクター 中山光昭さん《ふるほんや見聞記》11

【コラム・岡田富朗】今年30周年を迎えた「アートウェーブつくば」。その初期から参加し、長年にわたり作品を発表してきたのが、中山光昭さん(70)です。アートウェーブつくばは、つくば市周辺で活動する作家による展覧会で、日本画・洋画・立体・平面・書・彫刻・工芸・写真など、幅広いジャンルの作品が一堂に会します。 1985年のつくば万博をきっかけに始まり、現在も毎年開催されている地域密着の美術イベントで、5年に一度は五浦の県立天心美術館(北茨城市大津町)でも展示が行われます。アート制作のかたわら、中山さんはつくば市文化協会の芸術副部長を務め、さらに筑波山神社の氏子総代としても地域に寄り添ってこられました。その活動の幅は実に多岐にわたります。 中山さんは、サイン本のコレクターでもあります。2〜3年かけてご自身の足でコツコツと集められたサイン本は、実に300冊を超えるとのこと。古本屋やリサイクルショップで偶然出会ったものから、サイン会に足を運んで手に入れたものまで、収集の方法はさまざまです。 今回12月9日から3日間、つくば市民ギャラリーにて、コレクションの中から50冊前後のサイン本を見ることができる展示が開催されます。写真に写っているサイン本だけでも、谷川俊太郎(詩人)、永六輔(放送作家)、ピーコ(タレント)、神田伯山(講談師)、柳生博(俳優)、桂三枝(落語家)、中島潔(画家)─と、実に多彩な顔ぶれが並びます。 著名人の人柄を感じられる 古いものや骨董にも関心があったという中山さんに、サイン本の魅力について伺いました。 「サイン本との出会いは偶然が多く、たまたま気になって手に取った本にサインが入っていることがよくあります。まるで本に呼ばれているかのように感じることもあります。サイン本と一口に言っても、サイン会で書かれたもの、作家が贈呈のために記したもの、編集者への推薦として他者の著作に署名したものなど、実にさまざまです。サインに絵が添えられていたり、言葉が書き加えられているものもあります」 「また、どのような経緯で、誰から誰へと渡ってきたのかを想像すると、その本が歩んできた“時間”を感じることができます。現在は手書きのものも少なくなりつつあり、著名な方々の人柄を感じられるサインは、とても貴重で魅力的なものだと思います。今後も自分が納得できるまでは、サイン本の収集を続けていくつもりです」と語ってくださいました。(ブックセンター・キャンパス店主) 中山光昭コレクション サイン本展・他(仮)・会期:12月9日〜12月11日・会場:つくば市民ギャラリー(つくば市吾妻2-7-5、中央公園内)・時間:午前9時〜午後5時

愛犬ミミの自然死《くずかごの唄》153

【コラム・奥井登美子】戦時中の小学4年生の時、かわいがっていた犬を愛国婦人会のおばさんたちに連れていかれてしまってから、私はショックで、しばらく犬の顔が見られなかった(10月23日掲載)。 結婚して東京から土浦に住むようになり、舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)の介護に振り回された。国の介護制度が整っていなかった時代だったので、ご近所の人や医療関係の友達に助けていただいて、何とか家族の危機を乗り切ることができた。 それから何十年か経ち、介護の苦労もすっかり忘れたころ、孫が犬の赤ちゃんをもらって来て、ミミと名付けた。わが家のアイドル犬ミミは特別元気な犬で、庭の中を駆け回って昆虫を追いかけるのが大好きだった。力が強く、つながれた鎖を引きちぎってしまったこともある。 犬の自然な寿命はよく分からないが、15歳くらいらしい。赤ちゃんの時にもらわれてきたミミは、18歳で歩くことができなくなってしまった。 人間は歩けなくなってしまっても、言葉で意志を通じることができるので、介護の人が適切に動いてくれれば生活できる。しかし犬は困る。ワンワンという言葉しかしゃべらないから、歩けなくなったイラダチをどう表現するのかわからない。何を考え、何を望んでいるのか、飼い主にも見当がつかない。 歩けなくなってしまったミミ 歩けなくなった犬はどうしたらいいのだろうか…。 難しい問題である。私は犬の自然死を体験してみるのも、自分の死に方に参考になるのではないかと思った。人間も明治時代前は自然死に近かった。漢方医など医者はいたが、かかれない人も多く、薬の成分はほぼ天然由来の植物や鉱物ばかりだった。 ミミを日当たりのよいサンルームに移動し、鎖は金属で重いから、軽い布のひもに取り替えた。排泄物はどこでどうするのかわからない。サンルームにゴザを敷き、その上にオシッコでぬれても構わない色々な種類のカーペットを敷き、ミミがその日に自分の気にいった場所を選べるようにしてみた。 難しいのはドックフード。今はいろいろな種類のドックフードを売っている。何種類か買ってきて、別々の容器に入れて何を食べてくれるのか試してみた。スープと水と漢方薬もお湯で溶いて、何種類か置いてみた。 歩けなくなってしまったミミは、私の作った犬介護ベッドで108日間生きていた。最後の一週間は何も食べなくなり、私の胸に抱かれながら、静かに満足そうな顔をして息を引き取った。(随筆家、薬剤師)