水曜日, 9月 10, 2025
ホームつくば【香害】㊦ 洗濯に注意促すチラシ配布 つくば市教委

【香害】㊦ 洗濯に注意促すチラシ配布 つくば市教委

【橋立多美】つくば・市民ネットワークは、子育て中の疑問や悩みを話し合う「子ども部会カフェ」を開いている。この場で、クラスで使いまわす給食当番の白衣の強烈なにおいが話題に上り、2人の母親が子どもの化学物質過敏症の深刻さが周囲に伝わらない苦しい胸の内を明かした。

白衣の匂いで食べられない

白衣の強い匂いで給食が食べられない児童がいる。子どもが持ち帰った白衣は洗濯しても匂いは残り、アイロンをかけたら匂いが立ち上って気分が悪くなったという話もあった。

子どもたちへの影響が懸念され、昨年6月の定例議会で同ネットワークの小森谷佐弥香議員が市の対策を質問した。市は「学校及び幼稚園、保育所の統一した取り組みは行っていないが、強い香りの製品の使用について保護者に配慮をお願いしていく」と回答した。

今年3月、市教育局健康教育課が幼稚園と小・中学校の保護者全員に「強い香りに困っているお子さんがいます」とタイトルを付けたチラシを配付。5月には新入園児と新1年生の保護者を対象にチラシを配った。小中学校向けのチラシには、白衣と貸し出し用ジャージの洗濯に注意を促す一文が書き加えられている。

同課は今後もチラシを配布し保護者への周知を図っていくとする。チラシ配布後、同課に「(香害で)困っていたので助かりました」と電話がかかってきたそうだ。

被害者だから化学物質の怖さが分かるという津谷裕子さん

元凶は揮発性有機化学物質

「香り製品で健康を損ねる香害の元凶は揮発性有機化学物質」と話すのは、NPO「化学物質による大気汚染から健康を守る会」理事の津谷裕子さん(89)。土浦市在住の津谷さんは元産業技術総合研究所の研究者。米国製の測定器を輸入し、科学的視点で環境調査と市民への啓発活動に取り組んでいる。

揮発性有機化合物の一種、イソシアネートは毒性の指摘もある。欧米では製品に含まれるイソシアネートの規制が厳しいが、日本では野放しになっていると津谷さんはいう。多種類のイソシアネートが塗料や接着剤、道路舗装、家具や衣服の防水加工など身近なところで使用されている。

津谷さんによると、柔軟剤や洗濯洗剤などの香りを持続させるためにイソシアネートで出来たマイクロカプセルが使われ、光と熱、摩擦でカプセルが破れ、香りが徐々に出る仕組みだという。ところが破れたカプセルからは中身の香りだけでなく、有害物質のイソシアネートが飛散して空気を汚染するという。

津谷さんは1996年、東京・杉並の自宅近くに建設された不燃ごみを圧縮・積み替えする中継施設からの空気汚染で、ある日突然、化学物質過敏症を発症した。化学物質が付着した家財全てを捨てて土浦に転居した。67歳だった。

「化学物質過敏症は誰もに起こり得る可能性がある。人ごとと思わず、使っている香り製品などが、自分や子どもの体に悪影響を及ぼすかもしれないとの認識に立って買い物をすべき」と警鐘を鳴らす。

これからの季節は制汗スプレーを使う児童生徒が増える。津谷さんは「クーラーで教室の窓を締め切ることが多くなる。制汗剤のにおいで、化学物質に敏感な子どもは苦しいのでは」と心配する。

◆同会がこのほどイソシアネートの調査結果をまとめた冊子「絵でとく 日本におけるイソシアネートのすべて-健康被害、どこにある?どんなふうに?」を発刊。希望者に無料で配布している。先着順。問い合わせはメールvoc@kxe.biglobe.ne.jp(同NPO)。

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「障害があっても住みやすい地域を」根本希美子さん【鬼怒川水害から10年】㊦

電気が止まったとき、命を落としかねない子どもたちがいる―。 つくば市を拠点に、人工呼吸器の使用やたん吸引、経管栄養など「医療的ケア」を必要とする子どもや保護者を支える親の会「かけはしねっと」の代表理事 根本希美子さん(47)はそう訴える。根本さんの長男・侑弥さん(19)も、専用機器を用いたたんの吸引や人工呼吸器の使用などが命をつなぐために欠かせない。活動のきっかけは、2015年9月10日、隣接の常総市を襲った鬼怒川水害で抱いた危機感だった。来年、団体は発足10年を迎える。「障害があってもなくても住みやすい地域をつくりたい」との思いを胸に、仲間たちと社会へ声を届け続けている。 当事者として伝えなければ その日、つくば市の自宅にいた根本さんは、テレビから流れる「常総市付近で鬼怒川が氾濫するかもしれない」というニュースにくぎ付けになっていた。台風が秋雨前線を刺激し、鬼怒川流域で記録的な豪雨が降っていた。 常総市には、医療的ケアを必要とする子を持つ知人が住んでいた。長男より2、3歳年下で、幼い頃から誕生日などの節目の時に近況を聞き合う間柄だった。気になり連絡を取ると「避難先の確保が難しい」という。知人は、かかりつけの病院に問い合わせるも、災害の最中で治療の対応はできるが、避難の対応はできないと言われたという。避難所では機器を使うための必要な電源が十分に確保できない場合がある。「それじゃ、水害の心配のないうちに来ない?」根本さんが呼び掛け、つくばの自宅に避難してもらうことにした。知人はその日のうちに、自家用車に呼吸器、吸引機、それに付随する電源などたくさんの機器を積み込み到着した。 「鬼怒川が決壊した」というニュースが流れたのは、翌日10日の午後1時前。瞬く間に被害は拡大した。次々に家屋が水に飲み込まれ、取り残された人々の様子も映し出される。根本さん宅では子供のケアをしながら、テレビにかじりつくようにの推移を見守っていた。常総市内の約3分の1が浸水。5000棟以上の家屋が全半壊し、取り残された4000人以上がヘリコプターやボートで救助されることになる。 ただ幸いなことに、知人の自宅は水害のあった地域の対岸にあり被害を免れていた。10日のうちに帰宅する知人一家を見送りながら、紙一重だった状況に根本さんは「個人でできることには限界がある。大変な時こそ、日常的につながる人との関係が大切になる」と痛感した。 長男・侑弥さん(19)も、命をつなぐために電気が欠かせない。「当時はまだ、『医療的ケア児』という言葉すら知られておらず、問題も社会に認知されていなかった。自分たちが何に困り、何を必要としているのか、当事者として伝えていかなければと思った」と振り返る。 思いを共にする医療的ケア児の母親らと「かけはしねっと」を立ち上げたのは、翌年の2016年だった。 2018年には、台風による夜間の大規模停電を経験。復旧までの10時間、侑弥さんの命をつなぐ人工呼吸器と酸素濃縮器はバッテリーで稼働を続けた。暗い部屋に響く残量警告のアラーム音に不安が募った。後日、発電機を自費で購入したが、公的支援の必要を感じた。非常時の家庭用発電機購入の助成をつくば市に請願し、上限10万円の助成制度が19年に実現した。さらに21年には、医療的ケア児の家族の体験をまとめた冊子を仲間たちと制作した。当事者を支えるネットワークづくりと課題の理解を広げるために奔走している。 つながりを育む かけはしねっとでは、情報発信に加え、子どもや家族同士の交流イベントの開催、SNSなどを通じた相談支援に取り組んでいる。活動で大切にするのは、楽しく、気軽に参加できる雰囲気づくりだ。根本さんは「障害のある子どもの体調によっては毎回参加できないこともある。毎回参加しなくてもいいし、直前にキャンセルしてもいい。心理的なことも含めて、できるだけ家族の方たちの負担がないようにしたい」と話す。 その思いの背景には、根本さん自身の経験がある。 つくば市出身の根本さんは、2006年に長男の侑弥さんを出産。産後間もなく心肺停止に陥り、脳に酸素が送られず無酸素性脳損傷による障害を負った。明日の命もわからない状況で発熱を繰り返し、口にしたものをすぐ吐いてしまう。その後も入退院を繰り返した。 「『私がこの子の命を背負っている、完璧にやらなきゃ』と必死だった。人とのつながりもなく、いっぱいいっぱいの毎日だった」と振り返る。そんな時、子どもの様子を見るため訪れた保健師の言葉に救われた。 「話を聞いてくれる中で、『お母さんすごい』『頑張ってる』と言ってもらえたことで、自分を認めてもらえた気がした。『私は間違ってなかった。これでいいんだ』と思えた。それから少し息が抜ける感じがし、なんとかやってこられた気がします」 子どものケアを担う母親は、家族以外と関わる機会が限られ、孤独になりやすいという。だからこそ「思いを吐き出せる相手が必要」だと強調する。 「私の場合は保健師さんだったが、誰でもいい。ママ友でもいいし、福祉・医療の人でもいい。障害の有無にかかわらず、誰かとつながり思いを吐き出すことで違う方向に気持ちを変えていけるのでは」 かけはしねっとでは、公式のメッセージアプリに加え、メールやSNSなど複数の手段を活用し、異なる環境にあっても声を掛け合える体制を整えている。 「家族の中だけでは発散できない思いもある。どこかで吐き出せる存在が必要。支援を使いながら自分を大切にしてほしい。日常的な関わりやつながりが緊急時に生きてくる。災害のためだけに連絡ツールを作るのは大変だが、普段からやり取りを重ねていれば、いざという時に電話が使えなくても、メールやLINEで連絡を取れる。だから複数の手段を持つのは大切だと思っている」 「障害があってもなくても暮らしやすい地域になってほしいし、いつか社会の中に理解が広がり、わたしたちのような活動をしなくてもいい社会になれば、それが一番だと思っています」(柴田大輔) 終わり

防災月間に原発震災を考える《ハチドリ暮らし》53

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茗渓学園、学校移転を中止 TX研究学園駅南側

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