火曜日, 12月 2, 2025
ホームつくば【ひと】心地良い空間で地域を元気に パブオーナー 松島壮志さん

【ひと】心地良い空間で地域を元気に パブオーナー 松島壮志さん

【鈴木康平】つくば市天久保のリッチモンド2番街にあるパブ「フィンラガン」は、連日深夜まで多くの客でにぎわう。

オーナー、松島壮志さん(46)は筑波大学体育学群入学後、アルバイトでバーテンダーの世界に足を踏み入れた。同大学近くのバーの副店長を任され、カウンターの内側で多くの時間を過ごす学生生活だった。「一流の世界を見たい」と都内の店にも頻繁に足を運び、技術を学んだ。「興味の先へ突き進んでいく性格」と自身を分析する。

大学を卒業後、アルバイト先の店舗にプロのバーテンダーとして職を得た。当時ウイスキーの虜(とりこ)になっていた松島さんは「ビンテージや価格帯、豊富なバリエーションなど奥深い世界を好きになった」と話す。バー仲間から言われた「一度、本場を見なくてはだめだよ」に背中を押され、26歳の時ウイスキーの本場スコットランドへ単身旅立った。

同国各地に点在する蒸留所を巡った旅。しかし、当初は松島さんが思っていたのとは違うものだったという。「日本で飲んでいないものは無いくらい飲んでいたから、初めはたいしたことないと感じていた」。しかし旅が進むにつれて、「パブ」という街の酒場に心引かれてゆく。

「バーの世界は酒に対して真摯に向き合う、緊張感のある世界」と旅立つ前の環境を回想する松島さん。一方、パブはパブリックスペースの略語で誰の管理下でもない、自由でリラックスした雰囲気を大切にする。「時には何も飲み食いせず、話すだけで帰る人もいた」ことに衝撃を受けた。この出合いが、後の「フィンラガン」の原点につながる。

帰国後、29歳の時に独立してオープンした同店。スコットランドで出合ったパブを再現するため、松島さんの思いが形になった店内は、立ち飲みを想定した背丈の高いカウンターやテーブルが並ぶ。15種類のクラフトビールに自然派ワインやモルトウイスキーなどお酒と料理の会計は、「好きな時に出入りして欲しい」と、受け取る際に料金を前払いするキャッシュオン制を採用している。

クラフトビールの仕入れは「実際に飲んで、作り手に会って話す」過程を大切にする。原料のホップが収穫される時期には農園に出向いて手伝い、作り手との関係を深めた。客に提供する時も、「思いが詰まったビールを最高の形で出したい」と機材から注ぎ方まで細部に渡ってこだわってきた。

同店は今年で17年目。松島さんが掲げるのは「元気」というキーワードだ。「今までは良いお酒や料理など『モノ』を売ってきたが、今後は元気を出す『場作り』もしていきたい」。4月からは毎週水曜日に、市内に住む外国人との交流を目的としたイベント「TGIフィンラガン」を開催。今後も自身の趣味であるランニングとビールを活かした「Run for BEER(ラン・フォー・ビア)」など、新たな場作りに力を入れる。

日の暮れた頃、大学や仕事帰りに杯を片手に明日への元気を充電するお客さんを迎えるため、松島さんは今日もカウンターに立つ。

◆ブラッセリー&バー「フィンラガン」はつくば市天久保2-9-2、リッチモンド2番街B-203。営業時間は月~土曜の午後6時30分~午前3時。日曜は午後3時~午後11時。電話029-852-0244。
ブログhttps://blogs.yahoo.co.jp/finlaggan0220
twitter https://twitter.com/barfinlaggan?lang=ja

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)