【コラム・原田博夫】9月中旬、専修大学社会科学研究所(私は今、研究参与)の「地域資源を活用した地域づくりと産業振興」実態調査で、島根県の松江市、奥出雲町、海士町(あまちょう)を訪ねた。調査対象地に隠岐諸島の海士町が含まれていたことが、この調査に参加するきっかけだった。
14年前、日本経済研究センターの研究会(千代田区大手町)で、当時海士町長だった山内道雄さんの話を伺ったことがある。山内町長は「逆転の地域づくり・町おこし」で全国的に著名な方だった。町の現状打破に向け繰り出す政策に、地域おこしのリーダーとしての魅力を感じたものだ。
海士町が含まれる隠岐郡(隠岐諸島)は四つの有人島と180余の小島からなっている。四つの有人島が、海士町、西ノ島町、知夫(ちぶ)村からなる島前(どうぜん)と、隠岐の島町の島後(どうご)から構成されることを、今回の調査で初めて知った。
松江市に前泊した関係で、七浦港から隠岐汽船フェリーで約4時間かけて海士町の菱浦港(ひしうらこう)に到着した。同港はよく整備されていて、同町観光協会の若いスタッフが、われわれを市内の宿泊施設に案内してくれた。この若者たちが、海士町の現状を語る上で重要な役割を担っている。これだけの数の若者が昼日中から動き回っていることに驚いた。
宿泊拠点「Entô」は順調
海士町ではいろいろな施設を訪ねたが、町役場では、隠岐ユネスコ世界ジオパークで泊まれる拠点「Entô(エントウ)」を運営している青山敦士代表(北海道出身)の話をうかがった。宿泊料はかなり高いが、「隠岐の自然や人の営み、地球の時間を感じる滞在」をモットーに運営しており、事業は順調なようだ。
新しい庁舎1階のロビーでは、20数名の若者が何やら皆でプレゼンや意見交換している。ドアが開いている奥の町長室には「誰でも入れます」のプレートが掛かっている。のぞくと、青いTシャツ姿の中年男性から「ヤー、ドウモ」と、昔からの知り合いのような声が返ってきた。大江和彦市長で、2012年9月に山内道雄前町長からもらった名刺を取り出して見せすると、「やー、懐かしいな。私の名刺もこのスタイル、‘ないものはない’をほぼ引き継いでいます」と、人をそらさない人柄。
鳥取県の境港に向けフェリーで海士町を離れる際は、われわれの滞在をサポートしてくれた若者数名が横断幕を持ち、出航の銅鑼(どら)で見送ってくれた。調査団の海士町滞在と各種調査には相当の金額がかかったが、この経費は当然の対価ではないかと振り返っている。(専修大学名誉教授)





