【コラム・瀬尾梨絵】目まぐるしく変化する現代社会の中で、私たちはつい効率やスピードばかりを求めてしまいがちだが、世の中には「時間をかけること」でしか生まれない奥深い、うま味や温もりがある。今回ご紹介するのは、「じゃああんたが作ってみろよ」など人間味あふれる日常と魅力的な食を描く名手、谷口菜津子先生の「まめとむぎ」(双葉社、初版2024年出版、3巻完結)だ。
本作の見どころのひとつは、作中に登場する数々の発酵食品を使ったおいしそうな料理の数々。みそ、しょうゆ、塩こうじ、みりん、甘酒、そして酒かす。日本の食卓をそっと支えてきた発酵食品たちが、ていねいな手仕事によって絶品の一皿へと姿を変えていく。じんわりと身体に染み渡るような温かな料理の描写は、ページをめくるだけで豊かな香りが漂ってきそうなほど魅力的で、読んでいるだけで心が解きほぐされていく感覚を味わうことができる。
そしてこの作品の真骨頂は、料理のテーマである「発酵」が、主人公である米田マメと清水麦をはじめとする登場人物たちの生き方そのものに見事に重ね合わされている点にある。発酵とは、微生物の働きによって時間をかけて素材のうま味を引き出し、新たな価値を生み出すプロセスで、即効性はない。
じっと待つ時間、寝かせる時間があってこそ、角が取れ、深くまろやかな味わいが完成する。そして物語の中で描かれるマメと麦の人生もまた、決して平坦でスピーディーなものばかりではなく、時には迷い、立ち止まり、思い通りにいかない日々に葛藤することも。しかし2人が過ごす日常の積み重ねや、他者との温かな交わりは、まるで時間をかけて熟成されるみそやしょうゆのように焦らずに紡がれた時間によって、彼女たちの人生は少しずつ発酵し、豊かで深みのあるものへと変化していく。
心のごちそうのような名作
夏も終わり、夜が長くなり、「今の自分の歩みは遅すぎるのではないか」「何にもなれていないのではないか」と不安になるとき、この作品はそっと寄り添ってくれる。一見すると立ち止まっているように見える時間や、うまくいかないもどかしい遠回りすらも、人生という味わいを深くするための熟成期間なのだと教えてくれる。
谷口菜津子先生ならではの、いとおしくも生々しい人間描写と、おししい料理の湯気。その向こう側に広がる人のぬくもりと人生の豊かさを、ぜひ体感してみてほしい。慌ただしい日常から少しだけ離れて、温かいお茶を片手にじっくりと味わいたい、心のごちそうのような名作だ。(牛肉惣菜店主)





