【コラム・浅井和幸】2014年にタブロイド判「常陽新聞」に《気軽にSOS》を寄稿、その後、ネットメディア「NEWSつくば」に《続・気軽にSOS》のタイトルで継続、このコラムも干支(えと)が一回りしました。今回が定期寄稿の最後になりますが、この欄を通じて、私自身のことも発信でき、とても幸せな時間でした。
周りの人からこのことを聞かれたら、私は「自分は世界で一番幸せな人間である」と答えます。実際、いろいろな反応がありました。
Aさんは「自分はやっとこの年齢(80歳)になって、その気持ちになれた。浅井の年齢でそう感じることは素晴らしい」と言ってくれました。Bさんは「そう感じられるように、自分もいろいろと学んでいきたい」と言っていました。Cさんは「こんな不幸がたくさんある世界で、そんな能天気な言葉が信じられない」と言ってくれました。
各人が、今どのように生きていて、この世界をどのように感じていて、浅井に対してどのような立場で接しているのかで、それぞれの感想は変わってきます。多くの感想から感じることは、自分が立派な人間だと思われたい、自分が賢い人間だと思われたいと背伸びしている人は、義務をあまり課して自分を追い詰めていなか、ということです。
「おいしいね」と感想を伝えるよりも「〇〇の料理はまずい」と言えるほうが、味が分かる人間であると見られるように。「人の悪口を言えるほうが人間を知っているのだ」とアピールできると思い込んでいるように。
お金に困ったことがないと聞くと、どれほど金持ちなのかと考えてしまいがちですが、あまりお金を使わない生活であれば、お金持ちでなくともお金に困ることはありません。たくさんの収入や資産があっても、支払いが多ければお金に困るものです。
「足るを知る」ということは「我慢をする」とはイコールではないでしょうし、「今後は全く成長しない」ということともイコールではないでしょう。現在に喜び、さらなる高みを目指して力を付けいく「足るを知る」という境地もあるはずです。
私の幸せの定義
今後、私の考えはどんどん変わっていくかもしれませんが、今のところ、私の幸せの定義は次の状態です。
ある程度の余裕があり、何となくこの先も何とかなるだろうという感覚を持ち、そのうえで、五感(六感もかなぁ)で良さを感じたときに感じられるもの。五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚です。例えば、美しいとか、かっこいい音楽だなとか、おいしいとか、いい匂いとか、よい肌触りとかを感じることです。
何となく大丈夫かなという感覚は難しいので、つらく苦しいときでも、とにかく、空を見上げて面白い雲だなとか、肌触りの良いタオルだなと思うような体験を繰り返してみてください。きっと、不幸しかないようなこの毎日の中で、少しの光を感じられるときが来るかもしれません。(精神保健福祉士)






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