火曜日, 10月 6, 2026
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筑波大生ら メーデー行動で「学生宿舎値上げ反対」訴え

大きな労働組合に属さない非正規労働者や生活困窮者など幅広い人々を対象にしたメーデー行動「茨城アンダークラスメーデー」(同メーデー実行委員会主催)が5日、つくば駅前のつくば市民活動センター・コリドイオなどで開かれ、集会で筑波大学の学生らが、現在学内で問題となっている「学生宿舎の宿舎料値上げの撤回」を訴えた(3月11日付、同18日付)。

集会では、学生組織「筑波大学学生宿舎宿料増額の撤回を求める会」メンバーの筑波大生が、同会代表を務める大学院生のメッセージを読み上げた。

代表の大学院生は現在、学生宿舎に住んでいる。家庭の事情で父親と2人家族となったという大学院生は、筑波大に合格した後「高校卒業までに残された時間を使って取り組んだのは金策でした」といい、日本学生支援機構や民間の奨学金制度を利用することを決め、親からの仕送りなしで学業を継続できるようにしたとした。大学院生は、授業料免除のほかに、月数万円の生活費も支給され、学費の懸念が解消されたが、生活費の不安から学生宿舎へ入居を決めたという。

「私にとって学生宿舎は大学で勉強を続けながら生活するための前提条件。私の知人にとっても、宿舎の魅力は安さ。経済的メリットこそが宿舎の意義」と、低額な宿舎料のおかげで大学で学ぶことができたと訴えた。

その上で大学院生は「特に問題なのは、この値上げが学生に与える影響に対する大学側の無理解」だと指摘し、障害のある学生や経済的に困窮している学生の存在を無視した値上げを改めて批判した。

集会に参加した筑波大生ら

学生向け告知は延期期間の明示なし

大学側は、学生らの反対運動に押される形で3月18日に宿舎値上げの延期を発表したが、大学院生は「学生に向けて掲示された告知は『改定された寄宿料などは役員会が定めた日から適用する』としかなく、具体的な延期期間は明示されていない。この状況は、新学期が開始されて1カ月余り経過した今この瞬間まで続いている」と明かし、「学生の困窮を救うための解決ではなく、一時的に批判をかわすための先送りと取られても致し方ない」などと、大学側の対応を改めて批判した。

メッセージの最後に大学院生は「私はこの宿舎問題を通じて突きつけられた問いがある。それは、大学とは誰の場所かという問い」だとし「大学は親の経済力にかかわらず、誰もが安心して学び、生活し、成長できる場所なのか。それとも高額なコストを支払える顧客だけが選択され、残れる場所なのか」と問い掛け、誰もが排除されない大学への変革を訴えた。

参加した別の筑波大生は「宿舎以外に生活の選択肢がない学生に対して、一方的に値上げして、生存の権利を脅かすというのは、間接的にその人の自己決定権、生活に対する侵害」だと話し、大学当局を強く批判した。

質疑応答では、大学側との話し合いの進展状況について質問があり、筑波大生からは、学生側が掲げた要求項目を全部無視し「大学側が学生を2人か3人選ぶ形で『大学の職員が学生の言い分、意見を聞くので、それでどうですか』という返事が来た」といい、まだ交渉には至ってない現状を明かした。

また、周辺にスーパーなどが少なく買い物に不便な同大の一の矢宿舎共用棟にあった売店が、業者が撤退した2025年に閉鎖されて以降、再開されないままであることについても指摘があり、一の矢宿舎の学生向け公衆浴場も再開されていない現状も報告された。

集会は「労働運動と学生運動の交差点」をテーマに掲げた。ゲストスピーカーとして、キャバクラ店従業員の労働組合「キャバクラユニオン」の立ち上げに参加し、「キャバ嬢なめんな!」著者の布施えり子さんも参加した。布施さんは「学生と労働組合、社会人、いや労働者が共闘することは必須だと思う」と述べた上で、障害を持つ学生向けの宿舎の値上げ率が約2.1倍という件について「障害のある人たちが、値上げ率が一番高い部屋に住まわされる。本当に弱い立場の人が狙われ、お金が稼げないのにお金を取られる。この状況は労働者も全く同じ。お金がない人ほど賃金の安い仕事をさせられ、そこからいろいろなものを搾取される率が大きい。その状況は全く同じなので、一緒に戦うのは必然」だと、学生と労働者との連帯を訴えた。

メーデー行動ではデモ行進も行われ、参加した十数人がつくば駅前や筑波大学春日キャンパス前などをデモ行進し「宿舎値上げ反対」などを訴えた。(崎山勝功)

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