月曜日, 10月 12, 2026
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青山大人氏第一声 全文文字起こし 茨城6区 衆院選’26

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こんにちは、青山大人でございます。本日は急なお願い、そして平日の昼間にもかかわらず、こんなにもたくさんの皆様にお集まりいただきまして本当にありがとうございます。

私も選挙戦、県議会議員の頃から数えると、今回7回目になります。毎回第一声はこの生まれ育った地元の乙戸でお願いさせてもらっておりますが、本当に毎回変わらず、こうやってたくさんの皆様が集まってくれます。地元の皆様がいるからこそ、青山大人は国会で仕事をすることができるんです。改めて実感いたします。

ご承知のように今回急な解散総選挙。私はどんな逆風であろうと、この20年間、民主党系の看板を掲げ、今回も立憲民主党として堂々と挑戦しようとしておりました。それが今回選挙前に新しい政党が誕生しました。中道改革連合、私もその多くの政策や理念には共感をしておりますし、こういった新たな挑戦、仲間の挑戦を私は批判するものでも否定するわけでもありません。

ただ今回は1月20日までに一旦衆議院の立憲民主党議員が全員離党し、そして無所属か、中道改革連合に行くか、どちらか選択してもいいですよということだったので、私はいろいろ悩んであげく、考えたあげく、私は今回無所属を選択したわけでございます。

悩みました。ただ私は有権者の皆様はこういった政治を見てどう映るんだろう、茨城6区の皆様はどういうふうに思うんだろう。そして、私自身がやりたい政治というのは一体何なのだろうか。数日間自問自答いたしました。そもそも前回の総選挙からまだ1年3カ月しか経っておりません。年度末の忙しい時期になんで衆議院を解散するのか、そして、一方、野党もこのように政党の名前が変わったり。私は別に誰を批判するわけでもありません。ただし、こういう日本の政治が、有権者の皆様から見て、政治に対する信頼を失わせるのではないでしょうか。そして日本の政治が停滞していると、日本の経済が停滞している今の現状につながっていくのではないかと、そう思うわけでございます。

20年間、県会議員の初当選から数えてもう20年になります。私が常に訴え続けていたのは、やはり政治に対する信頼です。信なくば立たず。我々政治家は、自分のための政治ではないんです。あくまでもその裏には、何万人何十万人の有権者の皆様の負託を受けているわけでございます。本来であれば今頃国会では、この物価高への対策や、電気代の高騰に対する対策、年金介護の将来不安へどうしたらいいか。本来だったら今そういうことを国会で議論している。今そんな時期なんです。こういう時期に与党も野党も政局に明け暮れていれば、結果的に一番最後は国民の皆様にそのしわ寄せがくるんです。

私は今もこの地元に住んで、電車で国会まで通っています。この地域で学び、そして暮らし、子育てをする。皆様と同じ、ここに住む住民の一人でございます。政治家は特別でも何でもありません。私はたまたま皆様の思いを背負って国会で仕事をさせてもらっているだけなんです。その原点を忘れずに、これから皆様の声を聞き、引き続き、教育費の負担軽減や、そして年金医療の改革、そして持続可能な農業の育成、ぶれずにこれまでの政策を愚直に訴え続けていきます。

とはいえ、無所属という選挙、私も初めてでございます。衆議院選挙は制度上、無所属に非常に不利なんです。政見放送もありません。今配布しているビラも、実は政党の公認候補は12万枚配布できます。無所属は7万枚しか配布できないんです。言うまでもなく、小選挙区で1票でも負けたら比例復活はありません。小選挙区で一番にならなければいけないんです。

皆様改めてお願いです。明日から期日前投票ができます。この急な解散総選挙で、市町村も投票券の発送が遅れているそうでございますが、身分証があれば、免許証などがあれば、期日前投票も明日から可能でございます。そして皆さんにお配りしたビラ、皆さんこの貴重なビラをですね、ぜひ車に貼ったりとか、普段持ってもらう。お会いする方たち、今日から12日間、地元の青山、茨城6区の声、私たちの声を一番国会まで届けてもらえる青山大人を、ぜひ私たちの手で今回も国会に押し上げよう、そういう支援の輪を、皆様、広げていただけないでしょうか。本当にこの急な短期間、地元の皆様はじめ、乙戸の皆様も含めて、本当にいろんな方たちが、ポスティングなどお手伝いをしてくれて今こうしております。あと残り、最後は結果です。結果です。皆様ぜひお力添えをお願いいたします。1日10人、いや20人の方に、青山大人よろしくと、投票に行こうと、期日前投票の輪をぜひ広げてください。よろしく、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

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