【コラム・原田博夫】10月初め、茨城新聞 政経懇話会の主催により、福島第1原発の廃炉作業を視察する機会を得ました。
2011年3月の東日本大震災の後、宮城県石巻や岩手県釜石などの地震・津波被災地には何度か足を運ぶ機会がありました。同地に所在していた石巻専修大学は、地震・津波の被害をほとんど受けていなかったこともあり、被災直後から復旧・復興に向けての基地としての役割を果たしていたため、そのネットワークに頼った部分もありました。
加えて、当時、私が代表を務めていた研究プロジェクト「持続的発展に向けての社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の多様な構築」(2009年度~13年度)が文科省の私立大学戦略的研究基盤形成支援事業に選定されていて、この復旧・復興プロセスがその研究テーマそのものであるとの認識もありました。
石巻や釜石などの被災地には、東北新幹線の仙台発着が復旧した2011年5月の連休明けに訪れ、その後5年ほどは半年ごとに現地訪問を重ねました。しかし、福島第1原発の現場および被災地には訪問する機会がありませんでした。私自身、体力面での自信もなくボランティアなどでお手伝いできる見込みが薄く、現地訪問でかえって足手まといやご面倒をお掛けするのではないかと危惧したためです。
そうしたところ、冒頭のように茨城新聞からの提案・打診があり、この機会に現地をぜひ訪ねたいと考えた次第です。そもそもこの視察会に参加する際は、本人確認の身分証明書(運転免許証等)の提出を事前に求められるなど、当然ながら気持ちを引き締められました。
誰にも見通せない最終的な廃炉
ともあれ、集合地・水戸をバスで出た後、富岡町の東京電力廃炉資料館に到着し、そこで全体状況の説明を担当者から伺い、構内バスに乗り換えて、協力企業棟(被災後建設された、ほとんど窓のない長方形の建物群)の一棟に入り、そこで、線量計(施設内での累積線量を計測)や立入許可証を貸与されました。これは、われわれのような単発の視察者だけではなく、現地で日常的・継続的に作業している関係者(現在は毎日4000人程度)も同様な手続きを踏んでいました。
現地では、海抜35メートルの崖上から、廃炉作業を進めている(海抜10メートルに設置された)1~4号機での進捗(しんちょく)状況を確認しました。1号機の大部分はカバー壁で覆われているため、内部を視認することはできませんが、望見できるわずかな部分や撤去されていない箇所や周辺の部材からも、被災の深刻さ・復旧作業の大変さに身をつまされる思いでした。
現在の廃炉作業では、循環注水冷却に連動する汚染水処理に相当注力していますが、最終的には燃料デブリの取り出し・保管管理が目標のハズです。しかし、この燃料デブリに関しては、試験的取り出しが2回ほど行われただけです。しかもそのサイズは、小指の爪ほどの大きさにすぎません。この作業を進めるためにも、隣接の(過酷事故に至らなかったけれども稼働していない)5~6号機をあえて解体せず、試行・事前調査用に活用しているようです。
粛々と進んでいる廃炉作業ですが、最終的な廃炉がいつどのような形で達成できるのか、実は誰にも見通せないのではないか、とため息が出ました。帰路に立ち寄った、双葉町の東日本大震災・原子力伝承館の見事なレイアウトの施設とのコントラストにも呆然としました。(専修大学名誉教授)






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