【コラム・山口京子】9月は防災月間ですが、1923年9月1日に起きた関東大震災に由来し、1960年に政府によって9月1日が「防災の日」と定められました。
1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こり、その頃から日本列島が地震の活動期に入ったのではないかと指摘する専門家の話を耳にするようになりました。確かに、新潟県中越地震(2004年)、同中越沖地震(2007年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)、北海道胆振東部地震(2018年)、2024年能登半島地震(2024年)、鹿児島県十島村悪石島地震(2025年)と続きます。
地震は自然現象、震災は地震災害。自然現象は防げないけれど、震災は防災や減災に取り組むことで抑えられます。でも地震と津波と噴火が連動して起きたらどうなるのでしょう。そのとき、原子力発電所はどうなっているのでしょう。心配性で臆病な私は怖くてなりません。
原発震災という言葉を本で知りました。地震による災害に加えて、地震に伴う原子力発電所の事故で大量の放射性物質が外部に放出され、被害を増幅させる破局的な災害のことです。大地震と原発の過酷事故が起きないかもしれません。万が一、原発の過酷事故が起きたら、どうなってしまうのか…。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を体験したことで、不安はぬぐえません。事故は収束していませんし、「原子力緊急事態宣言」は解除されていません。原子核反応と生物は共存できないように思うのです。
机上の定めと現実の隔たり
能登半島地震のあと、能登半島には北陸電力志賀原子力発電所があるということを知りました。また、この震源地の近くの場所に、関西電力、中部電力、北陸電力による珠洲原子力発電所の設置計画があったことも。それが地元住民と全国の反対運動によって、2003年に撤回されたことも知りました。
実際に原発震災に遭遇したらどうすればよいのか、自分事として考えたことはありませんでした。怖すぎて思考停止です。自治体の「地域防災計画(原子力災害対策編)」では、原発から半径5キロ圏内は30キロ圏外へ避難、その外側から30キロ圏内では屋内退避を基本―としています。
能登半島地震では、多くの道路が壊れて通行不能になったり、住宅が壊れれば屋内退避は無理だったり…。机上の定めと現実の隔たりも怖いことです。(消費生活アドバイザー)