【コラム・浅井和幸】悩みは人それぞれ。悩む目的も人それぞれ。自分がより良く生きるために悩むのか。それとも周りの人を笑顔にするために悩むのか。自分の苦しさを増やすために悩むのか。それとも相手を苦しめてやろうと悩むのか。
悩み方も人それぞれ。心身の調子を崩して悩んだり。悩むこと自体を楽しみに悩んだり。「どうしてこんなにつらいんだ」という言葉を繰り返しているだけの悩みだったり。嫌な人や物事を思い続ける悩みだったり。
悩んでいる部分も人それぞれ。自分ができる選択肢で悩む人がいる。自分ではどうすることもできない遠い世界のことで悩んでいる人がいる。自分がほとんど影響を与えられない物事で悩んでいる人もいる。
どうしてそんなに悩んでいるの?と聞くと、こんなにひどい環境なんだから悩んで当たり前だろうと回答がある。何を目的に悩んでいるの?と聞いても、目的なんてない、苦しいから悩んでいるんだと返ってくる。
つまり、目的があって悩んでいるのではなく、苦しいから悩んでいるのだという人が多くいるということ。それでも相談室にわざわざ来て料金まで払って来るのだから、苦しさの緩和とか楽しさの増加とかを望むのではないかと決めつけるのは浅はかなこと。
不幸になるために悩んでいる?
多くの人は、苦しくて悩んでいることが悪いことではなく、当たり前のことだ、普通のことだ、一般的なことだ、正しいことだという証明、そのままでよいという許可が欲しいということが、短期的な目的ということも多いものだ。
もちろん、その短期的ということについて、当人は「最終目的」だと感じている。その「最終目的」を達成した後に、時には次の目的が生まれてくることがある。それが、苦痛の緩和や喜びの増加のための悩み。
言葉にすると反発されやすいが、不幸になるために悩んでいるのではないかと感じられる悩み方をしている人は多い。追い詰められると「~するしかない」という口癖とともに、さらに苦しむ時間を増やすループにはまりやすい。
事実を見つめ、できれば喜びという目的に近づく、増やすような手伝いをしたいと考え、思い悩む日々なのです。1人でも多くの人が、今よりも少しだけ力を発揮して、今より少しだけ明日に希望の持てる時間と空間を増やせることを願わずにはいられないのです。(精神保健福祉士)