【コラム・斉藤裕之】そろそろ、燃やしても構わない1年分の紙切れをストーブにくべてしまおう。そう思って、封筒やレシートを一応広げてみる。すると、クリアファイルの中からちょっと懐かしいものが出てきた。それはスケッチブックの切れ端に生徒が描いた私の似顔絵。随分古いものもある。描いてくれと頼んだことはないけど、くれたものを捨てずに取っておいた。
大学院のころから続けてきた日雇い先生の仕事がもうすぐ終わる。最低限の生活の糧として止むに止まれず始めた仕事だったが、我ながら随分長い間続いたものだ。
聞かれれば答えるが、学校で自らプライベートな話をすることはない。しかし、最近の子は悪気もなく既婚か否かを聞いてくる(先生もプライベートな話をするらしい)。「孫がいるよ」というと、たいがいの生徒は驚く(年齢のことではなくて独身にしかみえない?)。
妻が数年前に他界したことを言うのが面倒臭いこともあって、そう答える。そうすると、やれどこで知り合っただのクリスマスはどうするだのと聞いてくるから、適当にお茶を濁す。だから、生徒は私が今も夫婦仲良く暮らしているものだと思っている。
私の似顔絵を描いてくれた生徒
人生を逆算して生きるのにはどうも抵抗があったが、両親が届け出の期限ぎりぎりまで思案した末に「馨」というイカした名前を授けられた孫娘が生まれたことで、この子の年齢に今の自分の歳を足して将来をイメージせざるを得なくなった(20歳になるころまではギリ大丈夫か?)。
1人目、2人目と孫が生まれて、すぐに絵を描いて、それは長女の家に飾ってある。さて馨のも描いてやろうと試みたが、どうもうまくいかない。女の子だからちょっとかわいらしくと思うのがいけないのか、生まれて間もない赤子というのは文字通り赤いごろんとしたもので、大人の顔を描くようにはいかない。
「第二の人生」という言葉は、私のようにずっと日雇いで暮らしてきたものには当てはまらない。途中、何度か就職することも考え、試みたこともあったが、それはかなわず家族に苦労ばかりをかけたと思う。それが良かったのか悪かったのかを考えてもしょうがない。
今思えば、どこにも属さず束縛されることなく、今も絵を描き続けられているということと引き換えだったんだろう。そのツッパリも無意味ではなかったのか、有り難いことに、ここにきて私の絵を応援してくれる人たちがいる。第一も二もない私の人生の続きは、いつものように朝牛乳パックのパレットに絵具を出すことから始まる。
日雇いとはいえ、随分たくさんの子供たちと過ごした。〇〇世代とか、今の子供たちは…とか、いつの時代も言われてきたけれど、50年前の私たちと今の子たちは何も変わらない。同じようなことを話し、同じように悩み、同じように笑って。
コロナ禍以降はマスクをしていたせいで、しばらく私の似顔絵を描く子はいなかったが、先日、1人の生徒が、描いたものをうれしそうに渡してくれた。最後の授業が終わったとき、その子に私が独り身であることを打ち明けてもいいかなとも思ったが…。(画家)






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