金曜日, 6月 26, 2026
ホームつくば性的マイノリティ学生を支援するガイドブック 筑波大の研究者らが作成

性的マイノリティ学生を支援するガイドブック 筑波大の研究者らが作成

誰もが安心できる大学に

大学が、性的マイノリティ学生を支援するためのガイドブック「LGBTQ学生支援指標」を、筑波大学人間系助教の河野禎之さん(45)らによる研究グループが作成した。当事者学生や支援者、専門家から聞き取った経験談などをもとに今年3月に発表した同グループの論文を土台とし、大学内の場面に応じて必要な支援の指針となる47の指標と、課題の具体例を解説する17のコラムからなっている。

研究・作成にあたったのは筑波大助教の河野さんと、同大人間系研究員の渡邉歩さん(35)、同大人文社会系助教の土井裕人さん(48)、立命館大人間科学研究科准教授の佐藤洋輔さん(33)ら4人の研究者。今後、国内の大学が支援方針を策定する際の指針にしたい狙いがある。

河野さんと土井さんは2015年に、国内の大学として初となる性的マイノリティ学生支援の基本理念と対応ガイドラインを筑波大学で作成した経験がある。その後、大学関係者有志のネットワーク「大学ダイバーシティ・アライアンス」をつくり、性的マイノリティ支援の情報を共有するなど取り組みを進めてきた。河野さんは「すべての学生、教職員、大学関係者がそれぞれに尊重され、安心して過ごすことができる大学キャンパスの実現につながることを心から願っている」と思いを語る。

ガイドブックは、A5判、40ページ。大学の「組織」「場」「学生」の三つに分けて構成され、「組織」は大学での学生支援に関する方針や体制に関する7つの指標、「場」は大学の施設や設備、意識啓発、居場所に関するハード、ソフトの環境面に関する12の指標、「学生」は入学してから卒業後までの生活、授業、行事、就活支援など学生のあらゆる場面に関する28の指標が記載されている。

指標は質問形式で、「差別を禁止しているか?」「性的マイノリティの相談担当者は専門的な研修・訓練を受けているか?」など大学が組織として定めるべき事柄や、トイレや寮、更衣室などの学内施設の課題、本人の同意なしに性的指向や性自認を周囲に暴露する「アウティング」やハラスメントに関する防止策などがある。各指標のチェック欄も設けられ、大学は、各項目に付された補足と望まれる取り組み事例をもとに、学内の現状をチェックし改善に繋げられる仕組みになっている。

例えばトイレの利用に関しては、「学生がトイレ利用で困難が生じる際、本人から申し出があれば大学と本人が協議し出来る限り柔軟な対応を行っているか」「多目的トイレなど性別に関係なく利用できるトイレの設置場所を一覧や地図として公開しているか」など2つの指標を設け、発展型として「本人がどのトイレを利用したら居心地が良いか、悪いかを大学が一緒に検討する」「施設を新設または大規模改修する場合、性別に関係なく利用できる多目的トイレなどを設置する方針をもつ」などを提案している。

(左から)筑波大学人間系助教の河野禎之さん、同人間系研究員の渡邉歩さん、同人文社会系助教の土井裕人さん、立命館大人間科学研究科准教授の佐藤洋輔さん(提供は各研究者)

当事者の声を重視する

「支援はしたい。でも、実際に何から始めればいいのかわからない」―

性的マイノリティへの関心が高まり、全国の大学で当事者学生への支援が広がる中で、このような声が上がっているという。河野さんは「(当事者の学生を支援する上で)具体的に必要なこと、大切になる基準となる考え方が大学間で共有されていない現状がある。共有できる指標が必要と考えた」と、制作のきっかけを話す。

一連の研究活動の中で河野さんらが重視してきたのが、「当事者の声や意見を反映すること」だという。学内で当事者学生との交流を重ねる土井さんは、「学生の意識の変化は大きい。(支援する大学側の)認識がずれると、取り組み自体が当事者のニーズに合わなくなる」と話す。学生の変化について土井さんは、「学生が(自身の性を)自己規定する際に、ノンバイナリー(自認する性が男女に当てはまらない)という言い方をするようになっている。支援にあたる人の中には『LGBTの4種類でいい』と認識する人もいるが、それでは困る。当事者像は常に変わりうる。きちんと変化を見極めなければ支援が的外れになりかねない。ガイドブックは、いかに学生に寄り添えるかを重視し、大切にした」と話す。

差別や偏見に対し科学的情報示す

また、ガイドブックに込めた思いとして河野さんは「性的マイノリティに対するバッシングがあり、そこで言われる偏見や誤解に対して科学的な情報を提供したかった」と話す。その具体的な対応を、さまざまな事例をもとにコラムとしてまとめたのが、性的マイノリティの学生支援に取り組んできた渡邉さんだ。

近年、誤った認識のもとで差別的に取り上げられるトイレや入浴施設の利用やカミングアウト、性自認などのテーマに対する意見と対策を、実例を踏まえて取り上げながら、「当事者抜きで語る」ことの問題性や、課題は学生個人の問題ではなく、環境を作る大学側に根本があると指摘する。「インタビュー調査を通じて、他者に恋愛感情を抱かなかったり、性的なアイデンティティを持たなかったりするなど、多様な当事者の声を聞いた。そうした学生の意見を踏まえたからこその表現をしている。多数派と少数派の間で権力勾配がある中で、権力を持つ側が人を単純化して理解することはしたくなかった」とし、「バッシングも含めて、質問に対して、担当する職員ができるだけ理論的に返答するための根拠資料として使えるようにも書いた」と話す。

学生にも読んでもらいたい

土井さんはガイドブックの作成は、「『大学がきちんと課題に取り組んでいる』と、学生に伝える」意味もあると話す。「学生が感じる息苦しさは周囲の学生との関係だけでなく、社会状況にも依存する。(少数者を排除する)トランプ大統領の政策に辛さを感じる学生もいる。学生には『我々は、活動を後戻りさせないように計算して取り組んでいる』と伝えている。ガイドブックは学生の安心感につながる大事な機能、役割がある。今後、大学としてマイノリティ性が問題にならない環境をどう作っていけるのかが重要」だと指摘する。

心理学の面から課題に取り組む佐藤さんは、「偏った理解が浸透することで、学生が傷つく可能性がある。LGBTQ学生支援で忘れてはならないのは、当事者の学生が安心し、自分らしい学生生活を送れる環境を整えること。そのためには学生との対話を重ね、大学が実情にあった支援を実施することが必要になる。大学には何かしたいと思う学生、教職員がたくさんいる。思いを持つ人たちがつながり利用できる媒体として、このガイドブックを役立ててもらいたい」と語る。(柴田大輔)

◆「LGBTQ学生支援指標ー大学における性的マイノリティ学生の支援に向けた環境整備に関する 47の指標活用ガイドブック」は筑波大学人間系ウェブサイト内の専用ページで無料で公開されている。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

内山社長が退任、後任は常銀投資会社前社長の池田氏 つくば市のまちづくり会社

つくば市が出資する中心市街地のまちづくり会社「つくばまちなかデザイン」(同市吾妻)の内山博文社長が6月末で退任し、後任に同社取締役で、常陽銀行の投資専門子会社、常陽キャピタルパートナーズ前社長の池田重人氏(63)が就任する。24日開かれた市議会全員協議会で、内山社長が報告した。 内山氏は2021年4月の会社設立時から社長を務め(21年3月4日付)、3期目の任期半ばでの退任となる。昨年3月末には同社のナンバー2として内山社長と共に会社の経営を担った元市職員の小林遼平専務が退職している(25年7月9日付)。専務退職後は内山社長が常勤で経営にあたっていた。新たに社長に就く池田氏は常勤で経営に当たるとしている。 24日、市議会で退任のあいさつをした内山社長は「5年間、大役というか、何とか走ってきた、5年前と情勢が変わったと思うのは、工事費の上昇や人件費の上昇で、当初は予期していなかった。つくばの中心部の開発は思った以上のスピードで様々なことが実施されている。全国のまちづくりを見ている中で、つくばは稀有な街。今後どういう戦略をもっていくかによって、つくばの中心部の見え方、あり方が大きく変わっていくと感じている。会社の役員は離れるが、つくばの中心部のブランドは、どこにもない、つくばらしい街であるということが全国に認知されることを願っている」と話した。今後は外部スタッフとして会社をサポートすると述べた。 一方、新社長になる池田氏は慶応義塾大卒業後、常陽銀行に入行し、常務執行役員、営業本部つくば・千葉・さいたまエリア本部長などを歴任した。2022年から常陽キャピタルパートナーズ社長、再エネ電源の買取・売電事業などを行う常陽グリーンエナジー社長を務め、今年3月、両社を退任した。昨年6月から、つくばまちなかデザインの非常勤取締役になっている。 市議会で就任のあいさつをした池田氏は「40年間、常陽銀行と常陽銀行の子会社で働いた。つくばまちなかデザインには会社立ち上げ当初から関与し、当時、常陽銀行とMINTO(ミント)機構(政府系金融機関の民間都市開発推進機構)が出資したファンドから資金を出させていただいたのと、昨年の(つくばセンタービル4階の旧吾妻交流センターをオフィスに改修する)2期工事で、私がいた常陽キャピタルパートナーズから資金を出させていただいた。そういうこともあって、今回つくば市から(社長就任の)話をいただいた時は、ぜひやってみたいと引き受けた。今回の報告にあったように、会社自体がようやく黒字化していい流れできているので、内山社長から引き継ぎ、ぜひ安定的な経営ができるよう努めたい」などと話した。 5年目で初の黒字 市議会では、同社の2025年度(25年4月-26年3月)事業報告と決算報告が実施され、設立以来4年連続の赤字だったが、25年度は初めて黒字になったことが報告された。年間売上は約1億6029万円、売上高から経費などを差し引いた営業利益は約1928万円、税引き前の当期損益は約1095万円と黒字となった。24年度は約3258万円の赤字だった。 一方、開業時つくばセンタービル1階を貸しオフィスなどに改修した際に約3億1600万円の社債を調達したほか、24年度に2期工事として同ビル4階を貸しオフィスに改修する工事のため社債約5500万円を追加発行した。約3億1600万円の社債は24年度から償還(返済)が始まり、26年度は2500万円、27~30年度は各3000万円、31年度は1億4600万円の償還が求められる。今後償還しなければならない社債は25年度末時点で3億4600万円。 事業別では、つくばセンタービル1階と4階の貸しオフィスとコワーキングスペース(共同オフィス)運営などのco-en(コーエン)事業は、売上が約8128万円、営業利益は約3498万円で黒字になったとし、内山社長は「第2期の内装工事の投資で、貸す面積が増えた分、売り上げが上がった」とする。コワーキングスペースはピーク時で月額会員が70人、ビジター利用が2000人を超えたとし、貸しオフィスは新年度の今年4月からオフィス区画が満室となったとした。 つくばセンタービルの地下駐車場の売上は約1522万円で、前期比微増。2023年度からつくば市の指定管理者となっているつくばセンター広場の管理運営事業の25年度の売上は約971万円。つくば市やスマートシティ協議会などが委託するつくば駅周辺の自動運転モビリティ関連の実証実験(25年11月13日付、12月10日付)などのコンサル受託事業の売り上げは約5187万円。 新年度は、地域の研究者らと開発した子供向けの科学やアート体験型プログラムの実施のほか、貸しオフィスの入居者やコワーキングスペースの利用者にセミナーや情報提供を行うなど、先輩利用者が後輩利用者にアドバイスや情報提供を行うメンター制度の導入、中心市街地の動きや企業を紹介する新たなメディアの立ち上げなどを検討していくとしている、 内山社長は、資本金を1億円以下に減資すると税制の優遇措置を受けられるなどから、現在の資本金1億2100万円を減資して9000万円にすることを検討しているとも話した。 「コンサル受託事業が3分の1」 一方市議からは「1000万円の経常利益ということだが、コンサル受託事業が売上の3分の1を占め、黒字化の手助けになっている。co-en事業は(貸しオフィスが全部埋まるなど)天井まできている」「今後の社債の償還は大丈夫か」などの指摘があった。 内山社長は「コワーキングスペースは毎年春に稼働率が下がって、4月に上がり、余白が残っている。メンター制度を導入して(月額会員)70人から100人を目指したい」「モビリティの実証実験は将来継続的でないので、これを補う企画を2~3年の間で獲得していきたい」などと話した。 ほかに、昨年中止になった市内の小中学生が参加するイベント「ランタンアート」については「(イベントの主催者で、同社が事務局を務める)つくばセンター地区活性化協全体でにぎわいの定義を再構築して、何を行うのか、あるべき姿を1~2年かけて議論していく」、消費期限切れの食品を販売し販売がストップしている冷凍自販機(26年2月4日付)については「運営管理が属人的になっていた。管理体制ができれば再開する」と答えるにとどまった。(鈴木宏子)

公立学校も「経営」の視点を持つ時代へ《よぎさんの眼》2

【コラム・よぎ(P.ヨゲンドラ)】日本の公立学校は今、大きな転換点を迎えている。少子化による生徒数減少、教員不足、教育ニーズの多様化、さらには地域間格差の拡大により、従来型の学校運営では立ち行かなくなりつつある。これからの学校には、単なる「運営」ではなく、学校運営や教育活動に関する情報を数値化したデータとしてフォローする「経営」の視点が必要である。 これまで公立学校では、「前年通り」が重視される傾向が強かった。予算、教育活動、組織体制など、多くが慣例ベースで維持されてきた。しかし、人口減少時代に入り、学校は自然に生徒が集まる存在ではなくなった。特に地方では、学校の魅力そのものが地域の存続に直結する時代になっている。 社会ニーズに応える学びの企業 私は、公立学校も「学びの企業」として再定義する必要があると考えている。もちろん、利益追求を意味するものではない。ここでいう経営とは、「生徒ファースト」を掲げ、「限られた人材・予算・時間を最大限活用し、生徒の成長という成果を高めること」である。あらゆる教育活動を連携し、その効果を最大化するデザイン・シンキングが必要である。 例えば、民間企業では、顧客ニーズを分析し、組織改善を繰り返しながら価値向上を図る。一方、多くの学校では、生徒や保護者が何を求めているのかを十分分析できていない場合も少なくない。大学進学だけでなく、国際教育、探究活動、デジタル教育、キャリア教育など、社会が求める力は大きく変化している。それにもかかわらず、教育内容や学校組織が変化できなければ、生徒の学びと社会との間にズレが生じてしまう。 人材育成こそが教育現場改革の鍵 また、学校経営において重要なのは「教員育成」である。優れた校舎や設備があっても、教員組織が疲弊していては教育の質は向上しない。現在の学校現場では、長時間労働や過剰な事務作業により、教員が本来注力すべき「生徒と向き合う時間」が奪われている。 多くの教育委員会は立派な研修センターを持っていても、教員や管理職育成のための実践的な講座をデザインしていない。教員が必要とする授業のアイディアや道具を研修センターでトコトン研究すべきである。教員の内外研修、業務改善やDX化を進め、教員が創造的な教育活動に力を注げる環境づくりが必要である。 さらに、校長の役割も変わるべきである。従来の管理型ではなく、学校の方向性を示し、人材を育て、外部と連携しながら組織を動かす「経営者型リーダー」が求められる。企業、大学、自治体、海外機関などとの連携を進め、学校を地域と世界につなぐ存在にしていく必要がある。学校の予算は事務長任せではなく、新規調達、維持管理費の妥当性を自ら確認し、業者を増やすことで癒着を解消していくべきである。 「選ばれる学校」への変革 これからの学校は、「ただ存在する学校」ではなく、「選ばれる学校」へと変わっていく。そのために入学希望者のニーズを理解する必要がある。教育改革とは、単なる制度変更ではない。学校という組織そのものの在り方を問い直すことなのである。人口減少社会の日本において、学校経営の改革は避けて通れない課題であり、日本再生の重要な鍵の一つになるだろう。(元県立土浦一高・付属中学校長)

武蔵美卒業生28人 個性あふれる作品117点展示 つくば美術館

武蔵野美術大学(東京都小平市)を卒業した県内在住者及び県出身者で構成する同大校友会第23回茨城支部展が23日から、つくば市吾妻、県つくば美術館で開かれ、油彩、日本画、水彩、工芸、和製本など28人による117点の個性あふれる作品が展示されている。28日まで。 県在住者及び出身者は約1000人が該当するが、同県支部は約30人が会員となっている。支部展は毎年開催され今年で23回目。 支部長の冨澤和男さんは(67)は10点を展示。会期中、日本の伝統的な製本様式である和装本のワークショップが開かれることから、今回初めて和装本を出展した。ほかに、明治時代から続く土浦の老舗「保立(ほたて)食堂」を、色鉛筆デザインと油絵とで書き分けた作品を展示した。「現在の保立食堂は看板が壊れており、15年前に撮った写真のものと現在のものを再構成した。今回は色鉛筆と油絵という二つの手法で描いてみた。見る人によって好みが分かれており興味深い」と語る。 数年ぶりに出展した清野光男さんは、福島の原発事故などメッセージ色の強い作品を描いてきた。今回はウクライナ戦争をテーマにした「分断と破壊」と題した作品を基本に、さらに複数の素材や技法を組み合わせて制作するミクストメディアの手法を使って描き、「境界と分断」「地景と分断」「地景 地と空」など計4点を展示した。 NEWSつくばコラムニストでイラストレーターの川浪せつ子さんも出展。NEWSつくばで連載してきた「ご飯は世界を救う(おいしい時間)」で描いた水彩画のほか、「つくば良いトコ」「古民家の夜景」(いずれも水彩画)などを展示している。川浪さんは「スケッチはその場でほぼ完成するものもあれば、後からきちんと描くものもある。つくばのまだ知られていない楽しいところや癒されるところをさらに絵にして紹介していきたい」と語る。 ほかに中村茂子さんの皮革工芸作品「時空花」などの展示もある。 冨澤支部長は「昨年よりも作品数は多くなったが。会員は増えていない。若い人が入ってくればもっとバリエーションに富んだ面白いものになる。まだまだ卒業生はたくさんいるので、仲間になってもらいたい」と話す。(榎田智司) ◆武蔵野美術大学校友会第23回茨城支部展は、6月23日(火)~28日(日)、つくば市吾妻2-8、県つくば美術館で開催。開館時間は午前9時30分~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。会期中▽ワークショップ「折本を作ろう!」を27日(土)午後1時30分~3時30分に開催。定員15人、参加費500円▽作家が自身の作品を解説する「ギャラリートーク」を28日(日)午後1時~2時30分に開催。定員無し・参加費無料。問い合わせは電話090-2669-9206(坂本さん)へ。

風鈴の音《短いおはなし》52

【ノベル・伊東葎花】 田舎のおじいちゃんが突然訪ねてきた。東京見物のついでに寄ったそうだ。「健太にお土産だよ」と渡された包みを開けて、お菓子じゃなかったことにガッカリした。 「これ、何?」 「南部鉄の風鈴だよ」 南部鉄は、おじいちゃんが暮らす盛岡の名産らしい。 「懐かしいな」と父が言った。「まあ、結構な物を」と母が言った。 おじいちゃんは、スカイツリーに行くからと早々に家を後にした。母は社交辞令的に引きとめたけど、帰った後はほっとしたように見えた。僕たちが住む部屋は、高層マンションの最上階。洋風な部屋に南部鉄の風鈴はまるで似合わず、それは箱に入ったまま棚の中に納まった。 おじいちゃんは、その1カ月後に亡くなった。心臓が悪かったそうだ。 「まさかあの日が最後になるなんて」 父が、悲しそうにつぶやいた。 家族3人で盛岡へ行った。山しかない田舎で、年の近い従兄弟(いとこ)もいない。父と母は忙しそうだし、僕はつまらなくて帰ることばかり考えていた。 葬式の後、縁側でゲームをしていたら伯母さんがスイカを持って来てくれた。 「健ちゃん、何にもなくて退屈でしょう」 スイカを目の前に出されて、「あのう、スプーンは?」と言ったら笑われた。 「スプーンなんか使わないよ。種はこうやって庭に飛ばすの」 伯母さんは豪快に種を飛ばした。放物線を描いた種は、面白いほど遠くに飛んだ。僕もまねをした。「そうそう」と伯母さんが手を叩いて笑った。 「健ちゃんのお父さんは、おじいちゃんの自慢だったよ。大きな会社に勤めて、すごいマンションに住んでるって、みんなに自慢してた」 「ふうん」 「うちには女の子しかいないから、健ちゃんは特にかわいい孫だったのよ」 「そうなんだ」 「小学生になってから、ちっとも来なくなっちゃったでしょう。だから最期に、何だかんだ理由をつけて会いに行ったのよ。お気に入りの風鈴を持ってね」 「え…?」 心地よい風が吹いて、軒下の風鈴が鳴った。ちりんとか、そんな音じゃなかった。心に響くような澄んだ音色は、耳の奥にいつまでも余韻を残した。 「南部鉄よ」 「ああ」 僕はうなだれた。澄んだ音で風鈴が鳴るたびに切なくなった。どうしておじいちゃんの死を、ちゃんと悲しめなかったのか。 東京に帰ってすぐに、おじいちゃんがくれた風鈴を出した。ずしりと重く、冷たい感触が手のひらに心地よい。窓辺に下げて、少しだけ風を入れると、盛岡の家と同じ音で風鈴が鳴った。 「きれいな音ね」。母が目を細めた。「そりゃそうだろう。南部鉄だもん」。父が自慢げに言った。 「あの日、泊めて差し上げたらよかった」 「そうだな」 父と母が、あの日よりずっと優しい顔をしている。僕たちは、優しく澄んだ音色をいつまでも聞いていた。 (作家)