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京都・94歳の語り部《デザインを考える》18

【コラム・三橋俊雄】今回は、1998年の暮れに、白川女(しらかわめ)をされていた94歳のYKさんから伺った「ちょっと昔の京都」のお話です。白川女とは、京都北白川に住み、四季の草花を頭上に載せて京都市内を売り歩いた女性たちのことです。

「ひーふのさんきち、ひるはうまおい、よるはくつおち、おひめさまがた、りょうちすごろく、おめんかけとて、にわのもみじを、はるとながめて、ほーほけきょとさえずるあすは、ぎおんのにけんじゃやで、ことやしゃみせん、はやしてんてん、てまりうた、うたのなかやま、ちょろんごんじゅで、ちゃろくろくろく、ちゃしちしちしち、ちゃはちはちはち、(中略)いちでよいのが、いとやのむーすめ、にでよいのが、にんぎょやのむーすめ、さんでよいのが、さかやのむーすめ、さかやむすめはきりょうがようて、きょうでいちばん、おさかでにばん、さがでさんばん、よしだでよばん、よしだおとこにだきしめらーれて、くしやこうがい、こちゃもーろーた」

この唄は、YKさんが天保2年生まれのおばあさんから教わった「てまりうた」です。

生活文化の美学や哲学

京大農学部をつくるときに、お地蔵様がぎょうさん出てきて、そのお地蔵様を粗末に扱ったら皆ケガして、それからお祭りをしはった。比叡山から良い石が出て、夫が東福寺山門の前の石灯篭一対、京都市美術館や国立京都博物館の土台の石をつくった。御所の建令門の土台の石の仕事では、戸籍謄本を持って身分の保証とした。

「味噌(ミソ)豆たことて 、豆炊いて、豆の数ほど家焼いて、もよもん(屋号)とは、ちーはうちーはう」。これは、「おひたき」という氏神さんの行事があり、ミカンやユズの香りのする三角のオコシやオマン(饅頭)をもらいに行きたくて、頼まれていた豆の火の番を放ったらかしにして火を出してしまった、というお話です。 

YKさんが、親指などすれたところを刺し子した足袋に草鞋(わらじ)を履いて花売りに行くと、皆がきれいに刺してあるなと言ってくれた。おばあちゃんが小さな布を刺して、雑巾にして使った。夜なべに、行灯をくるっと回して、灯明の明かりで着物を継いで継いで、ほかさへん。誕生日にボウダラを炊くのがごちそうだった。普段は野菜を炊いて揚げ豆腐を入れたり、男は酒を呑むので魚が一つ付いた。

毎月1日は小豆ご飯、1日と15日はカシワ(鶏肉)をすき焼きにして食べた。ニシンと刻みコブのおかずの「しぶうこぶう(ニシンの渋みと昆布)」は慎ましく暮らすようにとの意味があった。桶(おけ)がすいて(隙間が空いて)きたものは、川幅が1メートルくらいで深さ30センチくらいの小川に沈め、コイモ(里芋)を入れて、竹の棒を組んだ道具で芋洗いをした。白川女が頭に乗せていて使い古された「箕(み)」は、ちりとりや土運びの道具として転用した。

こうしたYKさんとの出会いが、コラム16(25年1月21日掲載)と17(2月18日掲載)で取り上げた「京のしまつ調査」の始まりでした。京都の「普段着」の暮らしの中には、ものを大切にしながら豊かさを追求する「生活文化(Design of Life)」の美学や哲学がありました。(ソーシャルデザイナー)

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