月曜日, 7月 27, 2026
ホームスポーツつくばから世界へ チアリーディング2チームが世界選手権に挑戦

つくばから世界へ チアリーディング2チームが世界選手権に挑戦

5月に米国で開催されるクラブチーム対抗の世界大会、チアリーディング世界選手権大会「ザ・サミット2025」に、つくば市内で活動する小学生から高校生までの2チームが出場する。同市二の宮を拠点に活動する「つくばオールスターチア」(奥寺由紀代表)と、みどりの南の「フェニックス チアリーダーズ」(横田久美子代表)だ。大会を前に、2チームとも練習に熱が入る。

2度目の出場 つくばオールスターチア

世界選手権に向けて練習に励む「つくばオールスターチア」のトップチーム

「つくばオールスターチア」は2023年に次いで2度目の出場となる。トップチームメンバーは小学5年から高校2年まで19人。そのうち8人が2年前にも世界の舞台を経験した。今年は新たなメンバーを加え、8位だった2年前を上回るさらなる上位入賞を目指す。

筑波大出身で団体代表を務める奥寺由紀さんが2004年にチームを創設した。奥寺さんは同大学院修士課程でスポーツ健康科学を学び、修了後、チアリーディングの本場、米オレゴン州立大学に留学した。帰国後つくばで教室を開き、2009年に日本初のチアリーディング専用ジムを開設したパイオニアだ。

「子育ての一環として、楽しみながら子供たちの成長を助けることができれば」と2003年にチアリーディング教室をスタートさせたのが始まり。現在、県内外の4歳から大学生まで220人が専用ジムに通う。一般クラスの生徒たちは筋トレなどの基礎トレーニングや組体操、床運動などの練習を通して体力をつけ、地域のイベントや祭り、スポーツ大会などにも出演して演技を披露し、観客や選手を応援し励まし元気づける。

世界に挑むトップチームのコーチは、つくばオールスターチア1期生で米国オレゴン州立大チアリーダー出身の井出華絵さんだ。演技指導のほか、選手に合わせた振り付けや演技の構成も指導する。選手は現在、週3回のチーム練習を重ねる。

今年のトップチームについて井出コーチは「まじめで、チアのことをよく考えて研究し、上手になろうと熱い気持ちをもって練習している子が多い」と話し、「大会では、上手な演技にとどまらず、見る人が感動や元気をもらえるような演技ができたら」という。

キャプテンで土浦三高1年の鈴木亜弥奈さん(16)は「今までの練習の成果を発揮し、自分たちの納得する演技を世界に見てほしい」と意気込みを話す。

5月の世界選手権大会を前に、選手たちは今月9日に国内大会の予選に出場する。決勝は3月30日に行われ全国優勝を目指している。

念願の出場権 フェニックス チアリーダーズ

世界大会に向けて練習に打ち込む「フェニックス チアリーダーズ」の選手たち

「ゴー フェニックス! ジャスト ドゥ イット!」

全体練習を前に選手たちの掛け声が会場に響く。円陣を組むのは、つくば市みどりの南を拠点に活動するチアリーディングチーム「フェニックス チアリーダーズ」の選抜メンバー16人。ユニティというチーム名で、5月に開催される世界大会へ向けて、練習に熱を込める。

フェニックス チアリーダーズは2016年につくば市で生まれたクラブチーム。同市みどりの南にある専用練習場、ニューバランスアリーナで練習を積んでいる。現在、3歳から高校生・大人のクラスまで全部で70人ほどの生徒を抱える。当初は5人から始まり、設立8年目を迎えた昨年11月に開催された国内大会で2位を獲得し、念願の世界大会「ザ・サミット」への出場権を得た。

クラブチームを立ち上げた同団体代表でヘッドコーチの横田久美子さんは競技の魅力を「人を応援し、励まし、元気づけるスポーツ」だと言い、「『スタンツ(組体操)』や『タンブリング(床運動)』など華やかで高度な技が見る人を魅了するが、技の後ろに選手が積み上げた多くの努力がある。ここに至る過程も感じられる演技をすることで、見る人が元気になる演技をしたい」と言い、「子ども達にとって一生に一度あるかないかの経験。ただ出るのではなく、これまでのプロセスや本番に臨むメンタルが人生の糧になるはず。彼女らと時間を一緒に過ごせるのは私にとっても幸せなこと」と夢の舞台への思いを語る。

キャプテンの柴原あかりさん(14)は「(世界大会出場が)決まった時は、夢の舞台に立てるとうれしさが込み上げた。本番ではこれまでの練習の成果を発揮して、みんなの気持ちを一つにし、いい演技をしたい」と意気込みを語った。

チアの聖地で開催

世界選手権大会は、世界各地で行われる予選大会を経て出場権を獲得したクラブチームによるもので、チアリ―デングの聖地、米国フロリダ州オーランドにあるディズニーワールドリゾートで開かれる。2チームは小学6年から高校1年などが対象となる16歳以下の部に出演する。1チーム16人以上で構成するのが条件で、2分30秒の競技時間内に音楽に合わせて繰り出す技の完成度や美しさなどを競い合う。演技中の表情や声も重要な審査の対象になる。(鈴木宏子、柴田大輔)

◆つくばオールスターチアは世界大会出場のサポーターを募っている。詳しくはチームの公式サイトへ。フェニックス チアリーダーズは、大会に参加するため選手16人、コーチ3人が米国への渡航等にかかる費用約1100万円への寄付を募っている。クラウドファンディングも準備中。活動の詳細はチームの公式サイトへ。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

4 コメント

4 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

ギャルから学ぶ、最高にエネルギッシュな夏《マンガサプリ》9

【コラム・瀬尾梨絵】ギラギラと照りつける太陽、渋谷の交差点を埋め尽くす人々、どこまでも突き抜けるような青空。今回は、そんな夏の情景を思い浮かべる時に無性に読み返したくなる作品、藤井みほな先生による「GALS!」(集英社、初版1999年出版、10巻完結)をご紹介したい。初版が出版されたあの頃といえば、ミレニアムの足音が聞こえる、まさに夏のような熱気を持った、誰もが無敵の時代。平成初期に子ども時代を過ごした世代にとって、本作は、単なるマンガという枠組みを超えた憧れの集合体だった。 この作品の主人公、寿蘭(ことぶき らん)は、私たちの記憶の中に鮮烈に焼き付いている。渋谷を愛し、愛された最強のギャル。彼女の魅力は、何といっても「自分という存在を誰よりも信じている」その強さにある。正義感が強く、曲がったことが大嫌いで、自分の信念に従って迷いなく生きるその姿は周囲を巻き込み、時にはトラブルすらも爽快に解決していくパワーに満ちていた。 そして今、2026年という時代に、あえてこの作品を手に取ってほしい。ガングロ、ルーズソックス、派手なヘアスタイル。当時は今よりもずっとエネルギッシュな独自のストリートカルチャーがあふれており、それらは単なる流行ではなく、自分たちのアイデンティティを主張するための武器でもあった。蘭たちが闊歩(かっぽ)するセンター街の描写を見ていると、当時の騒がしい雑踏や肌を焼く夏の太陽、そして何者かになれると信じて疑わなかったあの頃特有の高揚感がよみがえってくる。 世界では1990年代後半から2000年代初頭のカルチャーである「Y2K」リバイバルがトレンドの中心となり、あの時代をリアルタイムで知らない若い世代も、当時のエッジの効いたファッションに新たな価値を見出している。しかし、本作の神髄は外見だけではない。ギャルたちが私たちに教えてくれるのは、単なる流行の形ではなく、自分らしくあること、そして何より仲間と笑い合うことの尊さという時代を超えたマインドだ。 友情、家族、進路、恋 大人になると、どうしても社会のルールや周囲の視線を気にしすぎてしまうことがあるが、そんな時、蘭の「私の生き方は、私が決める」という潔いメッセージは、現代を生きる私たちの心に驚くほどまっすぐに突き刺さる。友情、家族、進路、そして恋。 蘭たちがぶつかる壁は、実は今の私たちにとっても普遍的な悩みの形をしており、だからこそ今読み返しても全く色あせず、むしろあの頃よりも深く心に響く言葉に出会うことができる。何度読み返しても、読み終えた時に感じる、あの突き抜けるような爽快感。それは、蘭たちが悩みながらも常に前を向き、友情を信じ、自分の足で人生を切り開いていく強さから来ている。 ぜひ夏の暑さを吹き飛ばし、明日へのエネルギーをチャージしてくれる極上の読後感を味わって欲しい。この作品を読んでいたかつての子どもたちも、そして初めて読む世代にも、現代に通じる「最高にアツい生き方」を感じられるはずだ。(牛肉惣菜店主)

中国の歴史と人材・知恵に向き合うには?《文京町便り》54

【コラム・原田博夫】第2次天安門事件(1989年6月)後の90年代初頭、鄧小平が外交・安全保障関係組織に発したとされる「24字戦略」(6つの四文字熟語)の中では、4番目の「韜光養晦」(とうこうようかい=力を隠して周りを油断させ、その間に力を蓄える)が人口に膾炙(かいしゃ)している。 それ以来、中国外交のこの基本路線は、江沢民、胡錦涛らの後継政権に引き継がれてきた、と私は見ていた。中国政治に疎いこともあり、「大国・礼節の国」中国の最高権力者には節度と余裕はあるのだと、その低姿勢ぶりに感心したものである。 ところが事態はそうは単純ではなく、この韜光養晦路線は、文字通り、一朝事ある時までの偽装だったようだ。事実、2008年の北京オリンピックの成功や、同年のリーマン・ショック後の世界経済低迷を中国経済が下支えしたことで、中国内の国粋主義的ナショナリズムが覚醒された。 2009年7月、日本に対中親和・対米離反の民主党政権が登場したとみるや、10年9月には、尖閣諸島周辺の領海で、中国漁船が海保巡視船に意図的に衝突する事案が発生した。尖閣諸島はその後、当時の石原都知事の購入宣言(12年4月)を受けて国有化された。そして同年11月には、胡錦濤国家主席が中国共産党第18回代表大会で「中国は海洋強国になる」と宣言するに至った。 こうした準備段階を経て、2013年3月に跡を継いだ習近平は、対外的には慎重な鄧小平路線をかなぐり捨て、中華思想満載の「中国の夢」の実現を掲げ、「一帯一路」戦略を進め、果ては「戦狼外交」を展開している。こうした攻撃的な外交スタイルは、3期目に入って政権基盤の固まった習近平体制になってから展開され始めたというより、中国の伝統的な対外発信のスタイルと見たほうがいい。 大戦中には宋美齢が反日演説 1933年2月に国際連盟からの脱退を表明した松岡洋右・主席全権(後に外相)のスピーチと、太平洋戦争中(1943年)に全米各地で演説した宋美齢(中華民国総統・蒋介石の夫人)のスピーチは、全く対照的である。ファナティックな松岡演説は当時の日本国民の多くには胸のすく思いだったようだが、対外的には日本の選択肢を狭め、外交的孤立(ナチス・ドイツとの運命共同体)をもたらした。 これ対して宋美齢演説は、対日批判を見事な英語で展開し、米国の対日批判感情を引き上げ、日本への圧力をさらに高める効果があった。その時点でのそれぞれの国内的な評価は双方とも同等かもしれないが、国際的なインパクトおよびその後の影響は比較にならない。 歴史と人材・知恵の宝庫、中国を相手にするときは、当面の対処だけではなく、中期的な視点と影響を見据えて取り組まなくてはならない、と自戒したい。(専修大学名誉教授)

霞ケ浦が優勝、決勝で常総学院を倒す【高校野球茨城’26】

第108回全国高等学校野球選手権茨城大会は最終日の25日、ノーブルホームスタジアム水戸で決勝戦が行われ、霞ケ浦が常総学院を9-7で破り、2年ぶり4回目の優勝を飾った。同校は8月5日から兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開催される全国大会に出場する。 25日 決勝戦 ノーブルホームスタジアム水戸霞 ケ 浦 001141110 9常総学院 000020500 7 終盤、追い上げる常総学院を霞ケ浦が突き放した。「茨城の高校野球を牽引してきた常総学院を破って甲子園へ行くという願いを達成できてうれしい。常総は決勝では負けないという印象があったが、3度目の挑戦で勝てたのは感慨深い」と霞ケ浦の高橋祐二監督。 霞ケ浦の先制点は3回。先頭の7番・菊地勇一が常総学院の先発・高橋幸聖から中前打を放ち、8番・渡邉航太の犠打と9番・相田歩希の死球で1死一・二塁、1番・加藤龍の中前打で生還した。4回には5番・秋山櫻介、6番・野口空真、菊地の3連打で1点を追加した。 5回には常総学院の2番手・箕輪蒼を攻め立てた。先頭の村上が右中間へ二塁打を放ち、3番・佐藤大亜の犠打は箕輪が野選(フィルダースチョイス)、4番・西野結太は死球で無死満塁。2死後、菊地の右前打で2点を加え、渡邉の左翼線二塁打でさらに2点を加えた。 霞ケ浦の先発投手は準決勝に続き小林将大。1、2回は順調に抑えたが3回、2四球で1死一・二塁としたところで稲山幸汰に交代。「調子は悪くなかったのでもう少し引っ張りたかったが、安打ではなく四球で出した走者だったので替えた」と高橋監督。このピンチを稲山はたった1球で三ゴロ併殺に切り抜けた。 常総学院の反撃は5回。1番・水口煌太朗の中前打、2番・荒生結太の内野安打、3番・吉澤颯大の内野安打で1死満塁、4番・幸田元希の中前打で2点を返した。7回には4安打と1四球で2点を加えなおも2死満塁、ここで水口の三ゴロは一塁への悪送球を呼び一挙3点を追加した。 この時点でスコアは8-7とわずか1点差。次の得点が流れを大きく左右する。ここで大事な仕事を果たしたのが霞ケ浦の菊地だ。8回表2死二塁の場面、常総学院の4人目、坂本篤睦から中前打を放ち1点を追加。カウント2-2からの5球目、やや内寄りのカーブを捉えた。「まっすぐを狙っていたが、カウントを取りに来たのは2球ともカーブだったので、狙わずに来た球を打った。少し詰まったが飛んだコースが良かった。稲山がねばり強く投げていたので、楽にしてやろうと思った」と菊地の振り返り。菊地はこの日5打数4安打4打点の活躍。「もともとポテンシャルは高いが気持ちが前に出てこない選手だった。一度メンバーから外すことで奮起を促した。今日大活躍してくれてうれしい」と高橋監督。 次はいよいよ甲子園。霞ケ浦は一昨年の大会で初の1勝を挙げた。今年はそれを上回る成績を目標にしているという。「いままで通り、目の前の一つ一つの試合に集中し、守備からリズムをつくって全員野球でやっていく」と村上主将は意気込む。(池田充雄)

素人の私が竹細工の指導員に《宍塚の里山》138

【コラム・松島忠久】神奈川県川崎市多摩区の生田緑地に、1967年に開園した野外博物館「川崎市立日本民家園」があります。私の母、祖母ともに農村出身で、家はもちろん古い農家作りでしたので、古民家を集めた民家園にはしょっちゅう出入りしていました。 1972年、近隣の古老が講師となり、民具作り講座(わら細工、機織り、竹細工)が民家園で開かれ、私はわら細工に参加しました。講座終了後、「これらの技術は今廃れているが、ある時期は多くの庶民がやっていた仕事だ。何とかこれを残そうではないか」ということになり、幾人かの同志が発起人となり、翌年「民具製作技術保存会(略称 民技会)」を立ち上げました。 初期の会員は30人ぐらい。ところが、多くの人がわら細工(一部は機織り希望)で、竹細工希望者はゼロということもあり、竹細工の講師(本職は籠屋さん)が寂しそうな顔をしていました。そこで私は「ここで竹細工を始めれば1対1で教われるぞ」と考え、竹細工を教わることにしました。 ここで言う竹細工とは竹トンボや竹馬作りではなく、本格的な籠(かご)や笊(ざる)編みです。先生が用意した材料で籠を編むのは簡単ですが、その材料を用意するのが大難関。籠屋に弟子入りして毎日練習をしても、自在に裂けるようになるまで3年かかるということでした。 でも竹細工グループは私1人。サボることはできず、家でも練習して、2年後には午前中に下準備「竹拵(そろ)え」が終わり、午後から「籠編み」をし、何とか1人で籠が作れるようになりました。さらに数年して、初心者が会員に教えるようになり、数年前まで続きました。 「民具の作り方」シリーズを出版 半世紀以上経った今、民技会の会員数は100人弱。うち竹細工グループは約40人と最大グループになり、多くの人が私よりうまく作れるようになっています。その間、各地の古老から聞き取りをし、「民具の作り方」シリーズとして50冊以上の本を出版し、今では民技会は全国の民具関係者に知られるようになりました。 1987年、勤務していた研究所のつくば移転に伴い、私はつくばに単身赴任しました。その後、「宍塚の自然と歴史の会」を知って入会しましたが、毎日曜日には指導のため、川崎に行かねばならなかったこともあり、宍塚の会の方は長い間、幽霊会員でした。 同会がある土浦市は霞ケ浦に面しており、実用品を作る籠屋さんが何人か健在だったので、定年後に教わろうと思いましたが、高齢などのため次々と廃業しました。私が定年を迎えた1995年には、教えられるのは私1人となり、あちこちの公民館から講師依頼が来るという異常事態となりました。 70歳代まではなんとか応じていましたが、手先の力が無くなり、80歳で竹細工をやめました。現在、近隣で竹細工を生業としている人は2人の女性のみとなっています。(宍塚の自然と歴史の会 会員)