【コラム・平野国美】患者さんのご家族から受ける相談には、いくつか共通するものがあります。その代表が、この問いです。「先生、あとどれくらいなのでしょうか?」。その奥にあるのは、残された時間の長さへの関心だけではありません。「これから家で何が起こるのか、自分たちで看られるのか」という不安です。病名は理解していても、その先の日々に何が起こるかは、案外、誰も知らないのです。
私は23年にわたる訪問診療で、3400人ほどの患者さんの最期に立ち会ってきました。その経験から言えるのは、人生の最終盤の1週間には、多くの方に共通する「ゆるやかな道筋」があるということです。それを知っているかどうかで、ご家族の1週間はまったく違うものになります。
まず、食が細くなります。ご家族はここで一番動揺されます。「食べないから弱るのではないか」と。しかし順序は逆です。体が「店じまい」の支度を始めたから、食べなくなるのです。この時期の体は、栄養を受け取る力そのものを畳みつつあります。無理に食べさせることは、むしろ本人を苦しめることがあります。好きなものを一口、ふた口。それで十分なのです。
次に、眠る時間が長くなります。ウトウトと、1日の大半をまどろみの中で過ごすようになる。呼びかけへの返事が減ると、ご家族は「意識がなくなった」と悲しまれますが、耳は最期まで働いていると私たちは考えています。返事がなくても、声は届いています。
そして最後の数日、呼吸の仕方が変わります。喉の奥でゴロゴロと音がしたり、あごを上下させるような呼吸になったりします。初めて見るご家族には、苦しんでいるように見えます。夜中にこの呼吸が始まって、救急車を呼ぶべきか迷ったという話を、私は何度も聞いてきました。しかし、これは死前喘鳴(ぜんめい)、下顎(かがく)呼吸と呼ばれる、体が閉じていく自然な過程です。本人の意識はすでに深いところにあり、見た目ほどの苦痛はないとされています。
最期は医療でなく家族の出番
以前、看取らせていただいたある男性のご家族には、この道筋を初診の日を含め、何度かお伝えしてありました。最期の夜、例の呼吸が始まったとき、娘さんは慌てませんでした。「先生の話していた呼吸だ」と気づき、救急車ではなく、父親の手を握ることを選ばれました。翌朝、私が死亡診断に伺うと、娘さんは泣きながら、しかしどこか晴れやかに言われました。「最期まで家の音の中に居させてあげられました」
死の間際の変化は、知らなければ「異変」ですが、知っていれば「道筋」です。異変には救急車で応じるしかありませんが、道筋とわかれば、手を握って寄り添うことができます。最期の1週間に家で起こることの多くは、医療の出番ではなく、家族の出番なのです。
そして、その道筋を前もってご家族に手渡すこと。それが私たち訪問診療医の、処方より大事な仕事なのかもしれません。(訪問診療医師)






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