水曜日, 8月 5, 2026
ホームコラム「土浦の花火」中止に思う《見上げてごらん!》34

「土浦の花火」中止に思う《見上げてごらん!》34

【コラム・小泉裕司】来年2025年は土浦の花火100周年。土浦全国花火競技大会実行委員会事務局は、今秋中止した大会の支出に対する予算措置にめどが立っていないことや中止決定への信頼回復もままならない状況で、「予算的にも市民感情的にも記念事業を考える状況にない」という。

赤字支出への対応

中止にもかかわらず、予算総額3億円のうち、桟敷席の設営や椅子などの借上料、警備委託費、花火製作費など主たる経費のほぼ全額に加えて、チケット代金の返還手数料などが支出となる。収入に計上した有料席代金や広告料2億2000万円が未収となるため、同額近くの新規予算化が必要となる。

詳細は、記事「来年100周年、運営再検討へ」(11月5日掲載)をご覧いただくとして、不足分は土浦市から大会実行委への「補助金」として、市議会の議決を要する案件。補助金削減を進めて来た土浦市、しかも議員の一部から、責任問題を追及する意見も聞こえてくるので、議決までの道のりは簡単ではなさそうだ。

それでも期限が迫っている経費もあり、支出が可能となる12月下旬の市議会定例会の会期末までは待てないという台所事情もある。

支出を急ぐ方法としては、臨時会の開催、市長の「専決」、12月定例会での「先議」が考えられる。臨時会を招集するいとまがないことや専決できるほどの軽微な案件ではないことから、最終日の議決を待つのではなく、会期中の早い時期に他議案に先駆けて議決する「先議」になるのだろうか。

異常気象下の中止決定

今年は、10月に入ってまで日本を直撃する台風が多かった。このコラム入稿時の天気図も、南方海上にトリプル台風が発生、そのうちの1個は日本方面に向かう予報。かつて経験のない気象を引き起こす気候変動が、通常化しつつある。

かつて土浦の花火が開催されていた10月は、東京五輪1964の開会日10月10日が「晴れ」だったことから、晴天が集中する季節との伝説が生まれたが、特段に晴れが多い季節ではなかった。土浦は、気候変動の影響を考慮し、それから1カ月遅い11月に変更し、3年が経過した。

今年は11月2日。大会当日、台風21号が温帯低気圧に変わり、秋雨前線に沿って東進。打ち上げ時間に合わせるかのようにピンポイントで雨脚が強まった。同時刻に開催した「NARITA花火大会」(成田市)のライブ映像では、開花高度の高い花火は大部分が雨雲に覆われ、雲の下層部にたこ足のように開花する花火の一部が見え隠れした。

この映像を見て、第82回大会(2013年)10号玉の部でのノーコンテストトラブルを思い出した。このときも、雨雲に隠れて10号玉のほとんどが見えず、創造花火やスターマインも一部が雲に隠れた。審査委員会は、見えない作品は一律に審査標準玉の点数をつけたが、公表の可否を委ねられた市長は「公表」を選択。

大会終了後、ノーコンテストではないか、開催決断が間違っていなかったのかという批判が多数寄せられ、市長は「なにしろ自然が相手」と断った上で、雨天決行したがゆえに、見えない状況になったことを謝罪した。今大会、この時の二の舞を演じなかった英断に敬意を表したい。

花火師の無念さ

土浦に参加する花火師は、土浦仕様の作品を持ち込む。事務局が、すべての出品業者に連絡、謝罪した際、中止判断への否定的な言葉はなかったという。

雨天にあったわけではないので、仕込み済の花火が夜空を彩る新たな機会はあるだろうが、花火師は、そんなことよりも、土浦に出品するために、いくつかの危険な手作業の工程を経て完成した花火作品への思い入れ、そして観客の皆さんに披露することがかなわなかった悔しさを、言葉にしなかっただけ。花火師の無念さはいかばかりか。

11月11日(月)に大曲の花火実行委員会が開催した「大曲の花火 感謝の集い」に出席した花火師から、「土浦で上げたかった」との発言があったという。

花火師ファースト

実行委は、今回明らかになった「順延・中止」に対する課題の検証や対応策を検討するとのこと。気象条件の精査や警備体制の確保、予算の増額など、多様な検討が行われるのだろうが、軸足を「花火師ファースト」で意思決定する体制を再構築してはどうだろう。

言うまでもなく土浦は「競技大会」である。オリンピック同様、中止はあり得ないと思っている。荒天の場合、いつに順延するかの判断基準、たとえば設置した桟敷席や設備の安全確保、借り上げ料の増額、観客の交通・宿泊など、多様な検討材料が多いが、「土浦の花火」を競技大会として存続していくためには、欠かせないコンセプトに思う。

チケット代金が払い戻され、私たちが残念に思う気持ちは、徐々に希薄になるのかもしれない。しかし、1年かけて準備を進めてきた地元茨城の花火師や実行委の職員が、抜けるような晴天の中、花火筒の撤収や案内看板を回収した悔しい思いを、私は、長く心に留めておきたい。

今回はこの辺で、打ち上げならず「ザンネーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<チケット代金の払い戻し>

実行委は、11月14日(木)10時から、第93回土浦全国花火競技大会の中止による有料観覧席の払い戻しの受け付けを開始した。来年1月14日(火)までの期限があるので注意が必要。実行委ホームページはこちら

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

6 コメント

6 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

人形に命を吹き込む50年 筑波大学人形劇団「ノイ」

「人形って、生きているように見える瞬間があるんです」。今年、旗揚げから50年を迎えた筑波大学の学生人形劇団「ノイ(NEU)」の塚越彩加さん(20)はそう話す。筑波大学開学3年目の1976年に発足したノイは、現在、学部生18人、大学院生4人の計22人で活動する。ドイツ語で「新しい」を意味する「ノイ」という名前には、旗揚げ当時の学生たちの「新しい人形劇をつくろう」という思いが込められている。半世紀の歴史の中で受け継がれてきたのは、「人形劇を『面白い』『楽しい』と思う気持ち」だ。 受け継いできた技術と人のつながり 「ごめん! そこはもう少し間を詰められるかな」 仕切りを外した畳敷き10畳二間の稽古場に、張り詰めた声が響く。声の主は、8月に都内で公演を予定する、宮沢賢治原作の「注文の多い料理店」で演出を務める同大2年の田中咲妃さん(19)だ。公演が間近に迫り、稽古にも熱が入る。「この作品は昨年5月の初演以来、何度も改良を重ねてきた。人の身体表現と人形劇をどう組み合わせるかが大切。もっと見やすく、分かりやすい作品になるよう、最後まで磨き上げていきたい」と話す。 ノイが活動拠点とするのは、TXつくば駅近くの筑波大春日エリアの春日課外活動施設だ。2002年に同大と統合した旧・図書館情報大学の敷地内にあった旧宿泊施設をアトリエとして使用している。 室内には、次回作に向けて制作途中の美術道具が並ぶ。舞台で使う人形は、人形の胴体や頭に直接手を入れて、指や手首の動きで動かすパペットや棒遣い人形、作品によってはより直感的に操作できる糸操り人形を用いている。人形は、和紙や新聞紙、包装紙などを型に何層も貼り重ねる「張り子」という技法も用いられ、衣装や舞台美術など、公演で使うほぼ全ての道具をメンバー自身が手作業で仕上げるのが劇団発足以来続く伝統だ。一体あたり、試作の期間も含めると、完成までに約1カ月を要する。演目によっては、人形と共に、役者の身体表現も取り入れ物語の世界を表現する。 「活動を始めてまず難しかったのは人形作り。構造を考えたり、縫製したり、丈夫に仕上げたり、工程がとても多い。上手な人を見ると『どうしてこんな仕組みを思いつくんだろう』と驚く」と、入団3年目の塚越さんは振り返る。照明機材や音響機材、大きな黒幕なども代々受け継がれてきたものだ。「今改めて全部そろえようと思ったら、本当に大変」と語る。 一方で、「伝統は技術的なものだけではない」と話すのは、ノイ代表の横井一葉さん(20)だ。「50年という歴史の中で、人のつながりも受け継がれてきた。OB・OGの皆さんとは今も交流がある。公演を見に来てくださったり、ワークショップなど学外のイベントで、プロとして活動されていたり、自分で劇団を立ち上げたりした先輩たちから直接アドバイスをいただく機会もある。本当に貴重」 コロナ禍経て「バージョンアップ」 演目は、劇団によるオリジナル作品が中心だが、近年は、神話や童話をモチーフにしながら人形劇としてより物語を引き立たせるためにセリフや場面を追加するなど再構成した作品も増えている。一方で、公演を控える「注文の多い料理店」は、原作の文章を忠実に再現しており、ノイの中では珍しい作品だ。メンバーは、公演ごとに役者として舞台に立つこともあれば、演出担当者として役者への演技指導、照明や美術、音響効果などを指示する舞台の責任者も務める。脚本は、演出担当者が一人で作ることもあれば、メンバー全員で話し合いながら仕上げることもある。 一時期は、劇団員が10人を切る時期が続いたこともあった。活動を自粛せざるを得なかったコロナ禍では、公演のサイクルや演出方法など途切れてしまった伝統もあった。しかし活動を再開させる中で、以前よりバージョンアップさせたのが公演方法だという。 以前は、春の新歓公演、夏の新人公演、雙峰祭(学園祭)公演、卒業公演、演劇祭への参加などと年間スケジュールが決まっており、公演ごとに新作を作るのが慣例だった。一方、現在は、定期的な公演のほかに、地域の幼稚園や保育園、小学校から依頼を受けて行う公演が増え、年間を通じて舞台に立っている。 「コロナ禍で劇団の運営方法や文化を引き継ぐことが難しくなった。公演ごとに新作を作り、一つの作品に全力を注ぎ、公演が終われば一区切り、という印象がこれまでのノイにはあった」と横井さんは言う。「演劇にはそうしたスタイルも多くある。例えばミュージカルは長期間同じ作品を上演するし、小劇場では1週間ほど公演し、次の作品へ移ることもある。ただ、その方法では作品を改善する機会も少なく、経験も次につながりにくかった」と話す。一方、プロの人形劇団は、幼稚園や小学校などを巡回しながら、何度も同じ作品を上演することが多い。「私たちも、これまで小劇場のようなスタイルだったが、今はプロの人形劇団に近い形へ少しずつ移行しているところ」だと横井さんは説明する。 「楽しむこと」が伝統 「仕掛けのある人形が思い通りに動いた時は、本当にうれしい」と話す横井さん。「脚本の面白さがお客さんに伝わって、笑ってくれたり、泣いてくれたりすると、『頑張って良かった』と思えるし、自分が思い描いていた動きが、人形でそのまま表現できた時は本当に感動する。驚きと美しさの瞬間をつくりたい、子どもにも分かりやすく、大人にも通じる驚きと感動を大事にしたい」 50年を迎えて横井さんは「活動を休止してしまった学生人形劇団が少なくない中で、他大学の人形劇団出身の方から『うちの大学では劇団がなくなっちゃったんだよね』と言われる。ノイ出身でプロとして活動する先輩からも『今もノイはにぎやかでうれしい』と言われると、うれしいです」 ノイの一番の伝統は「楽しむこと」だと横井さんはいう。「作品づくりをしていると『こう動かしたいのにうまくいかない』『思ったように見えない』と苦しくなることがたくさんある。でも、その試行錯誤そのものを楽しんでほしい。『楽しむこと』をノイの伝統として受け継いでいってほしい」という。 「趣味は『人形劇』と胸を張って言えるくらい、人形劇にどっぷり浸かっている。人形劇が本当に好きなので」と笑顔を見せる横井さん。「人形劇というと『子どものためのもの』というイメージを持っている方も多いと思う。でも私たちは、その先入観を覆すような作品づくりを目指している。どの作品にも『面白かった』『驚いた』と思っていただける見どころがあると信じている。11月には学園祭での公演もある。ぜひ劇場へ足を運んでいただけたらうれしいです」。(柴田大輔) ◆筑波大学人形劇団ノイの公演スケジュールや活動の詳細は、同劇団の公式サイトへ。

世界で一番幸せ者です《続・気軽にSOS》174

【コラム・浅井和幸】2014年にタブロイド判「常陽新聞」に《気軽にSOS》を寄稿、その後、ネットメディア「NEWSつくば」に《続・気軽にSOS》のタイトルで継続、このコラムも干支(えと)が一回りしました。今回が定期寄稿の最後になりますが、この欄を通じて、私自身のことも発信でき、とても幸せな時間でした。 周りの人からこのことを聞かれたら、私は「自分は世界で一番幸せな人間である」と答えます。実際、いろいろな反応がありました。 Aさんは「自分はやっとこの年齢(80歳)になって、その気持ちになれた。浅井の年齢でそう感じることは素晴らしい」と言ってくれました。Bさんは「そう感じられるように、自分もいろいろと学んでいきたい」と言っていました。Cさんは「こんな不幸がたくさんある世界で、そんな能天気な言葉が信じられない」と言ってくれました。 各人が、今どのように生きていて、この世界をどのように感じていて、浅井に対してどのような立場で接しているのかで、それぞれの感想は変わってきます。多くの感想から感じることは、自分が立派な人間だと思われたい、自分が賢い人間だと思われたいと背伸びしている人は、義務をあまり課して自分を追い詰めていなか、ということです。 「おいしいね」と感想を伝えるよりも「〇〇の料理はまずい」と言えるほうが、味が分かる人間であると見られるように。「人の悪口を言えるほうが人間を知っているのだ」とアピールできると思い込んでいるように。 お金に困ったことがないと聞くと、どれほど金持ちなのかと考えてしまいがちですが、あまりお金を使わない生活であれば、お金持ちでなくともお金に困ることはありません。たくさんの収入や資産があっても、支払いが多ければお金に困るものです。 「足るを知る」ということは「我慢をする」とはイコールではないでしょうし、「今後は全く成長しない」ということともイコールではないでしょう。現在に喜び、さらなる高みを目指して力を付けいく「足るを知る」という境地もあるはずです。 私の幸せの定義 今後、私の考えはどんどん変わっていくかもしれませんが、今のところ、私の幸せの定義は次の状態です。 ある程度の余裕があり、何となくこの先も何とかなるだろうという感覚を持ち、そのうえで、五感(六感もかなぁ)で良さを感じたときに感じられるもの。五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚です。例えば、美しいとか、かっこいい音楽だなとか、おいしいとか、いい匂いとか、よい肌触りとかを感じることです。 何となく大丈夫かなという感覚は難しいので、つらく苦しいときでも、とにかく、空を見上げて面白い雲だなとか、肌触りの良いタオルだなと思うような体験を繰り返してみてください。きっと、不幸しかないようなこの毎日の中で、少しの光を感じられるときが来るかもしれません。(精神保健福祉士)

鹿島神宮を訪ねて《ふるほんや見聞記》19

【コラム・岡田富朗】今年は、12年に一度の午年(うまどし)に執り行われる鹿島神宮の「式年大祭 御船祭(みふねまつり)」が、9月1日から3日まで斎行されます。祭礼は、1日の勅使参向例祭(ちょくしさんこうれいさい)・神幸祭(じんこうさい)、2日の御船祭、3日の行宮祭(あんぐうさい)・還幸祭(かんこうさい)の3日間にわたって執り行われます。12年に一度、午年に斎行されるのは、十二支が一巡する節目であることに加え、午が方角では南、時刻では正午を表し、陽の気が最も盛んになると考えられているためです。この大祭には、「天下泰平」「諸願成就」「魔陣退散」の願いが込められています。 鹿島神宮では年間90を超える祭儀が執り行われ、祭頭祭(さいとうさい)や白馬祭(おうめさい)、流鏑馬(やぶさめ)など特色ある諸行事が数多く行われていますが、その中でも一番規模の大きな祭礼が御船祭であり、本邦内海で行われる御船祭としても最大の祭典です。開催期間中は多くの人出が見込まれるため、神宮周辺では交通規制が実施されるほか、シャトルバスが運行されます。 御船祭の起源は二千年以上前にさかのぼるとされ、平安時代より体系化され、世情に合わせその規模や形を変えることはあっても、現代まで脈々と受け継がれてきた祭礼です。 鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」(たけみかづちのおおかみ)は鹿嶋の地域だけでなく、日本全国を守護する神として古くから信仰されてきました。その御神威を広く全国に届けるため、祭礼の舞台となるのが、かつて「香取の海」と呼ばれた広大な水域です。現在の霞ケ浦や北浦、水郷地帯一帯に広がっていたこの内海は、古代には東国最大級の水上交通の要衝でした。 現在の御船祭は1870(明治3)年に再興されたもので、御分霊をお遷(うつ)した御神輿に約2000人が供奉して北浦湖岸の大船津へ向かいます。大船津河岸の大船津鳥居(西の一之鳥居)に御船祭の時期のみ設置される船着き場で神事が執り行われます。そこから色鮮やかな五色の吹き流しや龍頭を飾りつけた「御座船」を先頭に、幟旗や大漁旗を飾り付けた約100隻の供奉船(ぐぶせん)が約11キロをわたって香取市加藤洲に向かって進み、香取神宮のお迎えを受けます。 武甕槌大神と経津主大神 鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」と香取神宮の御祭神「経津主大神」(ふつぬしのおおかみ)は、ともに協力して日本の基礎を築き上げた神として神話で語られています。御船祭では、「今後も共に国の安寧のために力を尽くす」ことを確認することに重要な意義があるとされています。香取神宮では2026年4月に12年に一度の「式年神幸祭」を執り行い、「経津主大神」を鹿島神宮の神職がお迎えしています。 こうした歴史ある式年大祭を迎えるにあたり、2020年から5年7カ月にわたり、記念事業として境内の主要建造物を修繕する「令和の大改修」が進められてきました。6月には楼門改修工事の完了をもってすべての工事が終了し、修復を終えた楼門が参拝者を迎えます。楼門は1634(寛永11)年、水戸藩初代藩主・徳川頼房によって奉納されたもので、日本三大楼門の一つに数えられ、国の重要文化財にも指定されています。(ブックセンター・キャンパス店主)

筑波大、2年ぶりの皇后杯出場ならず 女子サッカー県予選 準優勝 

第32回茨城県女子サッカー選手権 兼 皇后杯JFA第48回全日本女子サッカー選手権関東予選茨城県予選は1日、水戸市立サッカー・ラグビー場(ツインフィールド)で決勝が行われ、筑波大学女子サッカー部とQOL IBARAKI MITO CIRUELA(シルエラ)が対戦、筑波大は0-1で敗れた。2年ぶりの皇后杯出場はならず、準優勝となった。 第32回茨城県女子サッカー選手権大会(8月1日、水戸ツインフィールド)筑波大0-1シルエラ前半0-0後半0-1 シルエラはかつてMITO EIKO FC茨城レディースとして活動していたチーム。2019年にFC水戸シルエラに改名し、22年に運営会社の移管に伴いFC QOL MITO CIRUELAに再改名し、この年関東女子サッカーリーグ2部に昇格した。25年には体制を一新、ゼネラルマネージャーに赤崎秀平さん(筑波大学、J1鹿島などでプレー)、アドバイザーに鈴木隆行さん(元日本代表、J1鹿島、J2水戸などでプレー)が就任し、監督には佐藤誠一郎さん(元水戸商高監督、前つくばFCレディース監督)を迎えた。 「前回対戦したときからスタッフも選手も替わっており、気を引き締めて臨んだ。前に足が速い選手がいて攻撃力があり、後ろの守備もしっかり固めている」と、筑波大の吉田拓矢監督は印象を語る。 試合では、前半は筑波大が圧倒的にボールを保持した。攻撃時は4-3-3、守備時は4-4-2のフォーメーションで、サイドからは左ウイングの戸塚環が両足を使ったステップやドリブルで敵陣を切り裂き、中央では大野羽愛から石原百華へのホットラインが機能していた。シルエラはパスの狙いは良いものの選手の動きと合わず、ボールをロストする場面が多く見られた。 前半の給水タイム以降はシルエラの動きが良くなり、筑波大のパスを巧みに刈り取る場面なども多く見られるようになった。後半に入ってもシルエラの勢いは続き、7分にはついにゴールを割られてしまう。左サイドのペナルティエリア横へ攻め込んだ相手選手を倒してしまい、直接フリーキックに。相手が中央で頭で合わせたボールを一度ははじき返したが、こぼれ球を押し込まれ、これが決勝点となった。「ファールを取られた位置も、はじき返した位置も悪かった。壁が壁として機能していない。最後の寄せをチームとして徹底しなくては」と、筑波大主将でDFの山崎琳の反省の弁。 筑波大の次の目標は、関東大学女子サッカーリーグ1部への復帰。2部リーグ優勝なら自動昇格、3位以内なら入れ替え戦の機会が与えられる。「いま5位で残り5試合。取りこぼしは許されない」と吉田監督。そのためには今日の敗北も糧にしたいところ。「1試合の中でチャンスはそう何度もない。決めるところを決めきることが大事。うまいから勝てるわけではない。勝ちきるメンタリティーも鍛えなくては」と、9月末からのリーグ戦再開に備える。(池田充雄)
コメント一覧