【コラム・原田博夫】モンゴルの専門家ではない私は、7月末から8月初めにかけ、同国に3度目の滞在をしてきました。最初は1996年10月末で、初雪・吹雪を体験しました。その時のことは、コラム15(2023年4月23日掲載)で述べましたので省略します。2度目(2017年8月)は、私が代表を務めていた専修大学ソーシャル・ウェルビーイングSWB研究センター(文部科学省の私立大学戦略的研究基盤形成支援事業、2014年度~18年度)による現地調査でした。
この20年間、モンゴルの社会経済はすさまじい勢いで変化し、ウランバートル市内には相当数の高層ビルが林立するようになりました。しかし郊外は、ゲルや簡素な板囲いの家屋・集落が散在していて、日本人捕虜の集団墓地の近くまで住居群が押し寄せていました。そこで、現地の障害者支援の一環で、国際協力機構(JICA)から派遣されていた全盲の日本人女性の活動に接した時は、驚きと同時に頭が下がる思いでした。
3度目の今回は、専修大学SWB研究センターを継承した日本学術振興会JSPS研究拠点形成事業Core-to-Coreプログラム「若手研究者ECR(アジア8カ国)ワークショップ」が、モンゴル国立大学で開催され、私は2日目午前の国際公開シンポジウムの冒頭挨拶を、共催機関・独立モンゴル研究所(IRIM)会長のベヒバタ・カシュバツラ(フランス語研修組のキャリア外交官で最後は駐米大使)と共に務めました。
タクシーはライドシェア
今回滞在で感じたのは、モンゴルでも、グローバルな変化が同時進行している、ということです。第1に、気象状況・天候の変化です。1日目はそれこそ好天で、日差しがさんさんと降り注いでいました。しかし、2~3日目は、ものすごい豪雨で道路は(排水がままならず)水浸しで、雨具の用意のなかった私は、ホテル1階のコンビニで、急きょ、折りたたみ傘を求めました。
第2に、ホテルから会場までの移動(徒歩で約20分)をどうするかですが、タクシーを呼ぼうとしても見当たりません。現地の人に相談すると、彼らはスマホを使ってライドシェアを活用しているようです。彼らに立て替え払いで呼び出してもらうと、ものの数分で、目の前に当該車がやってきました。要するに、タクシーが無数に走行しているので、探す必要がないのです。
というわけで、最初のモンゴル訪問から30年近く経ったわけですが、その間に当方も年齢を重ね、胃腸は衰え、郊外の観光ゲルでも羊の肉・乳やウォッカをあまりたしなむことができませんでした。会議の合間の昼食時には、(私が土浦ロータリークラブ会長<2024年7月~2025年6月>だと分かると)IRIM出身の元気のいい(コンサルタント業務を営む)ローターアクトも駆けつけてくれました。なんと、私が初めてモンゴルを訪れた1996年の生まれでした。
20「…インドネシアで」(23年9月22日掲載)、21「…ベトナムで思ったこと」(23年10月22日掲載)、22「韓国事情…」(23年11月23日掲載)でも紹介したように、アジアは今や大変革期に入っています。今回はモンゴル出張の報告でした。(専修大学名誉教授)