【ノベル・伊東葎花】
学校の帰り道、友達が僕の足元を指さした。
「タケシくん、影がないよ」
見ると、こんなに陽が照っているのに、僕の影だけがなかった。
「こわい! タケシくん、妖怪なの?」
「タケシくん、妖怪だ、逃げろ、逃げろ」
僕は泣きながら家に帰った。
洗濯物を取り込んでいたお母さんが「どうしたの?」と言った。
「お母さん、僕の影がないんだ。僕、人間じゃないんだ」
お母さんは笑いながら、僕のあたまを優しくなでた。
「バカねえ。タケシは人間だよ」
「だって影が…」
「あのね、タケシ。影はね、ときどきいなくなるんだよ。ときどきどこかに遊びに行くんだ」
「そうなの?」
「そうよ。ほら、もう戻ってきたよ。足元を見てごらん」
下を見ると、僕の影はちゃんとあった。
お母さんの影と並んで、長く伸びていた。
それから僕は、歩く人の影を見るようになった。
お母さんが言う通りだ。ときどき、影のない人がいる。
影も遊びに行くんだ。影もたまには遊びたいんだ。
僕たちと同じだ。
夏休みになった。
僕は部屋で、ダラダラと宿題をやっていた。
『出かけないのかい?』
足もとから、声がした。
「だれ?」
『きみの影だよ。今日はちょっと遊びに行こうと思っているんだけど、きみが外へ出てくれないとボクも遊びに行けないんだ』
影の声だ。影が僕に話しかけている。ワクワクした。
「どこに遊びに行くの?」
『いろんな所さ』
「何をして遊ぶの?」
『木に登ったり、ジャングルジムの天辺に登ったりするんだ。何しろいつも地べたを這っているからね。高いところで遊ぶんだ』
「ふうん。楽しそうだね」
『代わるかい? ボクが宿題をやってあげるから、きみが遊びに行ってきなよ』
「いいの? でも、そんなことできるの?」
『うん、できるよ。簡単だよ。きみはちょっと遊んで、すぐに戻ってくればいいのさ』
「わかった」
外に出ると、影は僕の姿になった。そして僕は、まっ黒な影になった。
さあ遊びに行こうと思ったけれど、僕は動けなかった。
僕は、僕になった影の足元で、地べたを這っていた。
ニセモノの僕の動きに合わせて、ずるずると引きずられる影になった。
「話がちがうよ」と叫んでも、ニセモノの僕は知らんぷりで歩いている。
戻りたいと願っても、どうすることもできない。
「タケシ」
お母さんが、外に出て来た。
「一緒に買い物に行こうか」
「うん。行く行く」
僕になった影が、お母さんと並んで歩き出した。
僕は必死で訴えた。
『お母さん、そいつは影だよ。僕はこっちだよ』
お母さんではなく、お母さんの影が答えた。
『タケシ、あんたもだまされたんだね』
お母さんは地べたを這いながら、諦めたように言った。
『大丈夫。そのうち慣れるから』
影になったまま、夏休みが終わった。
学校の帰り道、僕になった影が、友達の足元を指さした。
「ゆかりちゃん、影がないよ」
ああ、ゆかりちゃん、きみももうすぐ影になるんだね。
大丈夫。そのうち慣れるよ。
(作家)