【コラム・瀧田薫】バイデン米大統領は、これまで推進してきた「中東の安全保障構想」をハマス(ガザ地区を実効支配するアラブ武装勢力)のイスラエル奇襲によって根底から覆され、彼の中東外交は苦境に立っている。
バイデン政権は水面下でサウジアラビアとイスラエルとの国交正常化交渉を後押ししてきたのである。ウォール・ストリート・ジャーナル(8月上旬)によれば、サウジは米国に対し、イスラエルとの国交正常化をするための条件として、原発など民生用核開発計画への支援、安全保障関係の強化(対イラン)、パレスチナ政策でイスラエルに譲歩させる―の3点を要求したという。
一方、中東分析の専門家(reuters.com 10月4日付)によれば、パレスチナ自治政府とハマスは、パレスチナをバイパスして動いていく中東情勢に危機感を抱き、アラブの大義(全アラブがパレスチナ独立国家の樹立と反イスラエルで結束する)を取り戻そうとした。そのためにとった強硬手段が今回のテロである。
イスラエルのネタニヤフ首相を挑発し、彼の過剰反応(ガザ侵攻・市民に対するなりふり構わぬ暴力行使)を引き出せば、アラブ諸国はパレスチナ支援と反イスラエルで再結集せざるを得ず、自動的に米国が主導する中東新秩序構想を打ち砕くことができるとの判断である。
ハマスの意図を読んだバイデン氏は、9.11同時多発テロの経験を引いてネタニヤフ氏に自制を求めたが、彼は恐怖心と復讐心に駆られ、暴力への衝動を止めることができなかった。
ロシア→イラン→ハマス
一方、アラブ連盟とイスラム協力機構は、11月11日、サウジの首都リヤドで緊急の首脳会議を開いた。しかし、会議を支配したのは形式的な「口さきだけの介入」を思わせる雰囲気でしかなく、緊張感を見せたのはサウジのムハンマド皇太子とイランのライシ大統領による1対1の会談だけだった。
もともと、サウジやスンニ派のアラブ王制国家はシーア派大国イランによる革命の輸出(王制批判と民主化)を極度に恐れており、最近勢力を増し、核武装もささやかれるイランへの警戒心を募らせてきた。そうした背景のゆえに、サウジ以下のスンニ派諸国と米国そしてイスラエルとがお互いに接近する地経学上の理由があった。
つまりアラブ諸国は、イスラエルの軍事力と技術に期待し、米国の安全保障枠組みに参加すれば、イランに対抗できる。イスラエルは中東における国の安全保障環境を改善できる。米国は中東の安定により、ロシア、中国への対抗に余裕をもって向かうことができる。
しかし、今のパレスチナの状況では、こうした目論(もくろ)みに沿った交渉はしばらく停止するしかないだろう。
サウジとイスラエルが急接近しているとの情報がハマスに伝えられたとき、ハマスはテロ決行を決断したとの見方がある。情報の出先はロシア、そこからイランを経由したと思われる。パレスチナ紛争の背後にロシアの存在が垣間見られる。
情報戦において、イスラエルも米国も完全に出し抜かれた。両国にとって、パレスチナの存在を軽視したことのツケは大きく、アラブ諸国との関係修復はご破算となった。パレスチナの失ったものもあまりに大きい。暴力からは何も生まれないと、後々痛感するのではなかろうか。(茨城キリスト教大学名誉教授)