火曜日, 11月 25, 2025
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自然への関心が出発点 《菜園の輪》10

【コラム・古家晴美】つくば市内に住む福島繁実さん(80)、裕子さん(70)ご夫妻にお話を伺った。お2人とも自然環境への関心が高く、特に、繁実さんは40年近く「日本野鳥の会」に所属し、自然を見つめてきた。野鳥の種類も目に見えて減少してきた。少しでも、在来の生物が生きやすい田畑を作りたいという気持ちに、今も変わりはない。

福島さんと「農」との関わりが本格的に始まったのは、20年ほど前に仕事を退職してからだ。無農薬野菜を栽培する同志が見つかればと、1人で無農薬野菜の栽培と配達の会社を設立した。

しかし、無農薬栽培はそれほど甘いものではない。3分の1は、虫に食われダメになる。さらに、それを顧客に提供するために選別すると、半分ぐらいの量になってしまう。売るためには、ある程度、品物の見た目がよくないと受け入れてもらえない。

会社は7年間続けて閉じたが、野菜作りは今でも継続中だ。販売はせず、自分と仲間で消費し、余った野菜は知人や近所の人におすそ分けしている。畑は、現在3カ所で、合計400坪(約1.3ヘクタール)に広がった。

無農薬での栽培は、驚くほどに根気がいる仕事だ。農薬を使わないという人でも、ソラ豆だけには使う、という話をよく聞く。アブラムシがすごい。しかし、福島さんの場合、まず、アブラムシが嫌うシルバーマルチ(アルミ粉末利用フィルム)の覆いをする。それでも、もし出始めたら、牛乳を薄めたものを散布する。それでだめならば、茎の先端の軟らかい部分を切る。アブラムシはここから侵入するが、ここを切っても鞘(さや)には影響しないからだ。

栽培野菜をパソコンに記録

この他に、厳冬期に耕運機で2回くらい土を耕す。いわゆる「寒起こし」だ。そうすると農薬を使用せずとも、氷点下で病害虫が死滅する。雪の降った年は、作物の収穫がよいこともあるそうだ。

また、堆肥の使用も欠かせない。自宅の生ごみ処理機で堆肥化したごみと刈り取った草などを畑で山積みにし、年に2回前後切り返す。下の方がほぼ土のように分解されているのでそれを畑にまく。

しかし、勘のみに頼って、野菜を栽培しているわけではない。温暖化現象が顕著になってからは、かなり前から気候を気象庁の季節予報などで確認している。一方、連作障害にも配慮する必要がある。年2回、どこの畑で何を栽培したかをパソコンで記録して、その年から過去3年分さかのぼり、一目で見られるようにまとめている。

近所の農家の余った畑を借りて、現在、1ヘクタール以上になってしまった菜園。野菜栽培は様々な種類があるので、米作りよりも手間がかかる。しかし、アイデアマンの福島さん。この畑の一部にもち米の陸稲(短稈=たんかん=の品種)を栽培しようかと考えている。陸稲ならば、足場が悪くなく、かつ短稈は背が低いので、子どもでも収穫できる。ファミリー向けのレクレーションにならないか、ということなのだ。

ただし、高齢化は否めない。農業に関心がある方、是非、お手伝いに行ってください。おいしい、野菜やお米をいただけますよ。「グリアカ農園仲間」で検索を!(筑波学院大学教授)

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自動運転バス「レベル4」27年度実現へ つくば市で3回目の実証実験開始

つくば市で21日、公道を使った自動運転バスの走行テストを行う実証実験が始まった。ルートは、つくば駅から筑波大学構内を循環する約10キロの既存のバス路線で、所要時間は約40分。一般の乗客を乗せて1日4便の運行を来年1月23日まで続ける予定だ。同市は2027年度に、運転手不在の状態で、特定の条件下で完全な自動運転が可能となる「レベル4」の実現を目指している。 この実験は、昨年と今年1月に続いて3回目となる。今回はこれまでと同様、状況に応じて運転手が操作を行う「レベル2」での実施となる。 今回は、国の補助金を活用して関東鉄道が自動運転バス車両を新たに購入し、同社のバス路線「筑波大学循環」内のすべてのバス停に停車するなど、新たな取り組みも加わった。また、今年8月にはつくば市を代表として、筑波大学、関東鉄道、KDDIが「つくば自動運転社会実装推進事業コンソーシアム」を設立。民間5社の協力も得て実施されている。 今回使用されている車両は、名古屋市のベンチャー企業ティアフォーによる自動運転EVバス「ミニバス 2.0」。最高時速は70キロ、定員は28人だが、自動運転時は時速35キロ、定員16人で走行する。走行時には8台のカメラと13台のレーザーセンサーが周囲の状況を分析し、事前に設定した走行ルートに従って自動安全システムが交差点やカーブでの停止・発進、加減速などを行う。緊急時には乗車する運転士が手動運転で対応する。この日は通信トラブルが発生し、バス停での停車・発車時などで手動操作に切り替え運行した。 つくば市科学技術戦略課の中島央樹さんは、今回の実証実験について「国は、全国で自動運転サービスの実装を2025年度に50カ所、27年度に100カ所以上とする目標を掲げている。つくば市もこれに合わせ、27年10月に完全に運転手がいないレベル4の実装を目指している」とし、「昨年は6カ所のバス停のみ停車したが、今回は、路線バスと同じ動きをすることを目指し、29カ所すべてに停まるようにした。以前はつくばセンターのロータリー外側から発車していたものを、内側からの出発に変更した」と説明し、「つくば市に限らず、中心部と周辺地域の移動格差が課題となっている。つくばは車が主な移動手段で、交通渋滞や事故が問題になっているほか、交通事業者では運転手不足による減便などの課題もある。自動運転バスの運行を通じて公共交通を地域に根付かせ、こうした課題の解決につなげていきたい」と目標を語った。 同市は今年度当初予算で、国の国庫支出金を財源に、自動運転バスの購入費、自動運転地図作製費、レベル4通信費など約1億3400万円と、自動運転バス年間維持費約1370万円の計1億4770万円を計上した。今年度は実証実験とレベル4許認可申請、26年度は実証実験、27年は定常運行を目指している。(柴田大輔) https://youtu.be/FfSoeYhtxLI ◆乗車料金は無料。QRコードで希望の時間を事前予約する。事前予約がない場合は先着順となり、定員に達した場合は乗車できないことがある。詳しくはつくば市ホームページへ。