金曜日, 11月 21, 2025
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「百姓作家」山下惣一さんとお別れ 《邑から日本を見る》126

【コラム・先﨑千尋】去る12月18日、東京都千代田区の日本教育会館で「山下惣一さんを偲(しの)ぶ会」が開かれた。参加者は山下さんと関わりがある人たち約100人。私が山下さんに会ったのは30年も前のこと。本も10冊程度しか読んでいないが、影響を受けた1人として、彼と付き合ってきた人たちがどういうことを語るのかを楽しみに参加した。

山下さんは1935年に玄界灘に面した佐賀県唐津市に農家の長男として生まれた。「百姓の跡取りに学問は要らない」という父親の考えで、中学を卒業すると就農。2度の家出を経て農業技術の習得に励み、青年団活動などを通して仲間と村社会を変えていく活動を展開した。若い時は葉タバコやミカンが経営の中心だった。

山下惣一さんの著作

1967年に小説『嫁の一章』で佐賀県文学賞、70年に『海鳴り』で第13回農民文学賞を受賞。81年には小説『減反神社』『父の寧日』が直木賞候補になった。この時の受賞者は青島幸男さんだった。根っからの百姓が文章を書くのは変わり者と言われながら、書いた本は60冊を超える。すごいとしか言いようがない。

『くたばれ近代化農政』『それでも農民は生きる』『いま、村は大ゆれ』『土と日本人』『身土不二の探求』など、農や土、食べ物とは人間にとって何なのかを主に消費者に訴え続けてきた。

山下さんは、減反政策や、国が栽培を奨励したミカンの大暴落などを体験し、規模拡大など効率化だけを追求する農業の「近代化」に疑問を抱き、食料の生産を海外に委ねた日本の農政を鋭く批判。家族農業や小規模農業こそが持続可能で安定的な社会を築くという信念から、地産地消、消費者との交流などを唱え、実践した。

「田んぼや畑は先祖からの預かりもん」

この日の偲ぶ会では、生前の活動の映像が上映されたあと、山形県の佐藤藤三郎さん(元「やまびこ学校」卒業生)が特別発言。エピソードなどを紹介した。さらに、千葉県三里塚の石井恒司さんらが「山下さんの言葉は、頭で考えた言葉ではなく、土との対話から生まれたコトバ」など、山下さんとの関わりについて話した。

「田んぼや畑は先祖からの預かりもんであって、自分のもんじゃなか。未来永劫(えいごう)にリレーされるべきものなんだ」。「農業とは本来、常に未来のために汗を流す、夢を育てる仕事。だから明日を信じ、木を植える。父に限らず、一世代前まで日本の百姓の思想、生き方はそのようなものであった。その遺産の上に私たちは生きている」

山下さんが書いていることは皆当たり前のことだと私は考えている。しかし、戦後の農業や農政の動きはそういう考えを否定しようとしてきたのではないか。

さらに、私の周りにいる農家の人も多くの都会の人(消費者)も、彼のようには考えていない。「日本の農業のことは考えない。自分の暮らしを考えているんだ」という彼のセリフは強烈だ。「自らの頭で考えよ! 孤立を恐れるな。時代を変えるのは常に少数派だ」とも書いている。私への励ましの言葉だ。(元瓜連町長)

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