月曜日, 6月 8, 2026
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経営者の怠慢を糾弾した東京地裁の判決 《邑から日本を見る》116

【コラム・先﨑千尋】専修大学名誉教授の原田博夫さんは24日の「文京町便り」で、原発は再開すべきか、脱・原発を目指すべきかを論じていて、2011年3月に起きた東京電力福島第1原発事故を巡る2つの裁判に触れている。私も前回のコラム(7月11日掲載)で、「最高裁の裁判官は結局国の番人?」を書いた。今回は13日の東京地裁判決について、そのあらましと私見を書く。

13日午後、東京地裁の朝倉佳秀裁判長は、東京電力の勝俣恒久元会長ら4人に13兆3210億円の支払いを命じる判決を出した。「ひとたび発生すれば『国そのものの崩壊』につながりかねないのが原発事故だ。ところが津波の襲来が予想されたにもかかわらず、担当役員は対策を先送りし、会長らもそれを是認した。そろって取締役としての注意義務を怠り、地域と社会に甚大な被害を与えた」

東電の株主は、同電力の福島第1原発事故を巡り、旧経営陣が津波対策を怠ったことで東電に巨額の損害が生じたとして、元会長らに22兆円の損害賠償を求めていた。今度の裁判の争点は2つ。「政府機関が2002年に公表した地震予測『長期評価』に基づき、巨大津波の予見が可能だったか」と「浸水対策などで事故を防げたかどうか」だ。

判決は、長期評価について「科学的信頼性を有する知見」と認めたうえで、旧経営陣の過失の有無を検討した。東電は08年、長期評価に基づき、福島第1原発に最大15.7メートルの津波が到来すると試算しており、「最低限の津波対策を速やかに指示すべき取締役としての注意義務を怠った」と指摘した。浸水対策については、「主要な建屋などで対策を実施していれば重大事故に至ることを避けられた可能性は十分にあった」としている。

長期評価の報告を受けながら津波対策をすぐに指示せず放置したことは不作為であり、対策を先送りしたものだ。政府機関には地震や津波のトップレベルの研究者が多く集められ、段階的な議論を経て取りまとめられた地震の長期評価には信頼性がある、という判断だ。

そして、「02年以降の東電経営陣の対応は、安全確保の意識に基づいて行動するのではなく、いかに現状維持できるかで、そのために有識者の意見のうち都合のいい部分を利用し、悪い部分を無視することに腐心してきた」と断罪している。

東海第2原発の再稼働に反対

私は、東海第2原発の再稼働反対を訴えている「首都圏ネットワーク」の一員として20日、大井川知事に「東海第2原発の廃炉と再稼働への不同意を求める要望書」を提出した。

その際、水戸地裁でも不備が指摘された広域避難計画について、「事情を最もよく知っている立場の橋本前知事が現職のときに、問題点が多すぎて実効性のある計画は作れないと言っていた。東海第2原発を再稼働させないことが最良の避難計画だ」と述べた。

原発は、福島の事故が示しているように、ひとたび事故を起こせば取り返しのつかない被害を生命と環境に与える。原発を運転する会社の役員には、他の会社とは比較にならないほど大きな責任がある。そのことを東京地裁の判決は示している。私はそう考えている。(元瓜連町長)

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令和の「米騒動」の現在地と今後の展望《邑から日本を見る》195

【コラム・先﨑千尋】田植えから1カ月余り。どの田んぼも青々してきている。我が家の田んぼを見ていると、「今年も米が食べられるナ」、とホッとした気分になる。 この2年、この国では米をめぐって異常な事態が続いた。いわゆる「米騒動」。スーパーの棚から米が消え、米が入らなくなり、商売を止めた米屋が出るニュースも。備蓄米を買い求め、朝早くから行列。どこにも騒動が起きていないのに「米騒動」。日本人にとって米とは何かを問い直すきっかけでもあった。 5月23日、私も役員になっている「農業協同組合研究会」が、東京で「令和の米騒動の現在地と今後の展望」というテーマで研究大会を開いた。今回はその報告をする。 今年の秋も波乱含み 日本大学の西川邦夫教授(3月まで茨城大学教授)は「令和の米騒動と米政策」と題して報告した。西川氏は、令和の米騒動の要因は、事前対策としての生産調整の失敗と、事後対策としての流通対策の不備だとした。 長期的には主食用米の需要は減少していく傾向が続いているが、コロナ過で需要が大きく減り、在庫が膨らんだこともあって、政府は生産調整の強化を続けた。しかし、2023年から需要が回復し、24年までの2年間で78万トン不足した。備蓄米が59万トン放出されたが、生産現場では農協と業者の集荷競争が過熱化。米価が急騰し、店頭でも5キロで5000円以上になるまでになった。 25年産米は増産になり、輸入米も増え、現在では96万トンの供給過剰になっている。26年産も増産が見込まれており、今年の秋には米があふれかえることになる。 西川氏は最後に今後の政策の方向について、事前対策(生産調整、転作)から事後対策(流通対策)へ、主食用米に対する支援は適正価格+生産者への直接支払いの二段構えへ、反収の上昇のために新たな品種改良、既に開発されている品種の普及の3点を提言した。 続いて、米専門記者の熊野孝文氏(元米穀新聞記者)は「米価変動の実態と今後の行方を大胆に展望する」と題した報告をした。 同氏は農水省の米に関する統計データに疑問を示し、「需給見通しは主食用と非主食用を分けるべきでない。米の生産者が2030年には25万人、平均年齢は74歳になり、生産基盤が弱体化していく中、これまでと同じような政策を続けることはできない。今回の米の高騰で米を買わなくなった消費者が9%もいる調査結果は驚くべきことだ」と話した。 さらに「価格の安定については先物市場の活用が合理的。先物取引を活用して価格変動リスクを回避しなければ農家経営も難しい。農協は何故やらないのか」と指摘した。 揺さぶられた共計・概算金制度 最後に立った常陸農協の秋山豊組合長は「揺さぶられた共計・概算金制度と今後の対応」を報告した。 「昨年産米の概算金は農協にとって修羅場だった。概算金とは、農協がやっているコメ販売の無条件委託・共同計算のことで、出来秋に農家から出荷された米を1年から1年半かけて売る。集荷時点で支払額の7~8割、清算時に残りを払うという仕組みだ。常陸農協管内では民間業者の数が多く、昨年の早い時期から1俵3万円を超えた。農協もそれにあおられた。農協が業者との競争に対抗し、組合員の手取りを増やす対策として、和食大手チェーン店や東京の生協と契約取引を始めている」と、苦悩と展望を語った。(元瓜連町長)

ラヂオつくば社長に就任した立川記子さん【キーパーソン】

つくば市内をエリアにしているコミュニティFM「ラヂオつくば」を運営する「つくばコミュニティ放送」の社長が5月下旬に交替し、新社長に立川記子さん(52)が就任した。つくば市に住み、大学受験の個人塾を経営、イベント企画や広報の仕事もしている。立川さんに、学園都市に向けて電波を発信するFM放送の役割などについて聞いた。 開局から18年、4代目の社長 ラヂオつくばが開局したのは18年前の2008年。筑波大学内にアンテナを立てさせてもらい、国が割り当てた周波数84.2MHzの電波を使って、つくば市内に情報や音楽を発信している。茨城県内にはほかに、「FMぱるるん」(水戸市)、「FMかしま」(鹿島市)、「FMひたち」(日立市)、「FMうしくうれしく放送」(牛久市)、「FMだいご」(大子町)の5局がある。 立川さんは創業から4代目の社長。どうして5月下旬にトップが交替したのか聞くと、「私は取締役としてFMラジオ局にも関わってきたが、当社の決算期は前年6月~今年5月になっており、経営上の区切りがよかった。それから、弁護士をしている前任の堀越智也さんから、そろそろ法律事務所の仕事に専念したいとの申し出があった」とのこと。 「気軽に立ち寄れる」スタジオ 立川さんはラジオパーソナリティとして、この8年間、昼2時間の帯番組も担当してきた。 「コミュニティ放送のスタジオは誰でも気軽に立ち寄れる場所。スタジオを市内のいろいろな情報が集まって来るところにし、そういった情報を発信する基地として運営していきたい。スタジオがハブ(車輪の中心)になり、人と人のつなぐ部屋になればと思う」 「市内の区長さんや地域で活躍する方にも出演していただき、地域のイベントなどの話題を話してもらいたい。そういった、市民の皆さんが主役になれるような放送局にしたい。また、コミュニティ放送として、市が発信する災害情報も伝え、防災面でも役に立つ局にしようと考えている。84.2MHzあるいはホームページにアクセスすれば、市内のことは何でも分かるような放送局にしていく」 「聞こえる・見える」スタジオ 以前、ラヂオつくばのスタジオは広場に接するつくばセンタービルの2階にあった。その後、トナリエクレオ(元西武百貨店)の3階に移ったが、場所が分かりづらいこともあり、昨年7月、クレオ前のT.S Buil(元ライトオン本社ビル、つくば市吾妻1-11-1)の1階に引っ越した。幅の広い歩道に面しており、仕切りガラス越しにスタジオ内の様子をのぞくことができる。 立川さんによると、放送の音声をラジオやスマホなしでも聞けるように、近く、スタジオの外側にスピーカーを取り付ける。また、ペデストリアンデッキに面するT.S Builの外壁に設置されている大スクリーンでも放送中の影像を映してもらえるよう、同ビルを所有する「都市開発」と交渉中という。これらの仕掛けが実現すると、スタジオの発信力が強化され、つくば駅近くの名所になりそうだ。 【たちかわ・のりこ】1996年、法政大学文学部卒。EIDAI合同会社(大学受験個人塾と広報イベント企画)代表社員、NPO法人子どものための救命教室理事、茨城県地球温暖化防止活動推進員。東京都港区赤坂出身、つくば市在住。家族は、中学3年の長男、小学6年の長女、勤務医の夫。 【インタビュー後記】私も放送が好きだった。小中では放送部に属し、冷蔵庫ぐらいのアンプ、小型スーツケースぐらいの録音器、分78回転SPレコードをかけるプレーヤー、音声をコントロールする操作盤をいじるのが楽しくて仕方なかった。校内連絡では自分がアナウンス、シナリオを書いて番組も作った。大学構内に電波塔があるFM局は学園都市にとてもよく似合う。(経済ジャーナリスト、坂本栄)

引退後の「環境の喪失」と継続する力《看取り医者は見た!》52

【コラム・平野国美】長年、つくば市で訪問診療医として患者さんのご自宅にうかがう中で、定年退職後の過ごし方がその後の認知機能にいかに大きな影響を与えるかを実感しています。 先日、私の高校時代の担任であった恩師と再会する機会がありました。御年91歳。足腰の弱りは少し見えてきたものの、認知症の兆候は全く見られず、その矍鑠(かくしゃく)としたお姿に驚かされました。「定年後はどのように過ごされていたのですか?」と尋ねると、先生は笑って教えてくれました。 定年前から趣味で中国語を学び始め、退職後は中国国内の日本人学校の国語教師として単身赴任されたそうです。現地で語学力にさらに磨きをかけ、帰国後も都内で中国人留学生向け日本語学校の教師を72歳まで続けられたとのこと。教えること、そして言葉という「自分の武器」を持ち続け、自ら新しい環境へ見事に移行されたロールモデルでした。 この恩師の例は、いわゆる文系的な強みを生かしたケースと言えます。文系の研究者や教育者は、「文献と机と自分の頭脳」があれば、退職後もライフワークを継続しやすく、知的環境をシームレスに保ちやすい特徴があります。 実験系研究者が直面する喪失 一方、研究機関が集積するこの街で気がかりなのは、理科系の「実験系」研究者たちが直面する「環境の喪失」の規模の大きさです。 彼らの仕事は、個人では維持できない高額な機器や特殊な実験室、そして日々議論を交わすチームがあって初めて成り立ちます。定年退職とは、こうした「物理的インフラ」と「指導者としての役割」をある日突然、一気に喪失することを意味します。 高度な知的職業に就いていた人は、脳の衰えを補う「認知予備能」が非常に高いとされています。しかし、強固な居場所を失い、フル回転していた脳への刺激と複雑なコミュニケーションが突然ゼロになると、その反動でダムが決壊したように認知機能の低下が急加速してしまうケースを少なからず目の当たりにするのです。 恩師のように、自ら新しい舞台を見つけることが理想ですが、それが難しい場合、地域社会がどう受け皿となるかが問われます。戦術を練りながら多世代と交流できる軽スポーツの場など、彼らの知的好奇心を満たし、新しい「役割」を持てるサードプレイスの創出です。 失われた環境の穴を埋め、その人らしい人生のストーリーを生き生きと紡ぎ続けられる仕掛けづくりこそが、これからの公衆衛生的な予防医療の大きな鍵になると感じています。(訪問診療医師)

粘土で作る風景《続・平熱日記》193

【コラム・斉藤裕之】6月初旬から長野県千曲市にある「art cocoon(アート・コクーン) みらい」で2回目となる個展を開く。作品は日々淡々と描き続けていたものをお見せするほかないが、初日にアーティスト・トークなるものがある。「平熱日記」というタイトルが示す通り、特に熱く語るほどのこともないし、そのあたりはギャラリーのオーナーであるかおりさんにお任せしておけば、うまくリードしてくれるから心配はしていない。それよりも、「何か実演を!」と頼まれて、はたと困った。 当然のことながら、私のスマホはAIさんが「よかれ」と思い、やたら絵を描く動画を見せたがるのだが、これ見よがしなスキルやテクニックの画像は正直苦手。しかし、ピカソが実際に絵を描いている動画が出てきたときには、正直感激した。というか、「そこから描くのね…」という意外な発見も。 私の場合は小さな画面に向かって、人様にお見せするのがむしろ憚(はばか)られるほどのチマチマした描きっぷりだし…。しかし、ここで駄々をこねるわけにもいかないので、粘土をこねることにした。題して「粘土で作る風景」。そうそう、そのころ家に絵を描きに来ていた子供たちが使っていた一番やっすい紙粘土で、小さな牛久シャトーをこさえて描いてみたのが最初。 粘土で作ったシャトーは大ざっぱで形もゆるゆる。しかし面白いことに、それを俯瞰(ふかん)で絵にしてみると不思議なリアリティーが感じられた。それから、友人の家や東京タワー、学校、電車…、粘土の模型とそれを描いた絵は気が付けば結構な数になっていた。 なぜ粘土で作る「風景」としたのか。これはなにも粘土で山や川などのジオラマの様な風景を作るという意味ではない。例えば粘土で作った電車を描くと、その電車を描いている周りに大地のように広がる風景が絵の中に感じられてくるところがミソ。あまり好きな言葉ではないが、俗に「絵画空間」といわれたりする。 だから実演では、恐らく電車を描いているのと同じか、それ以上に電車以外の背景と呼ばれる部分に手を入れる時間が長くなると思う。 「みらい」に向けて出発! さて、高校時代のある朋友。当時はトッポいあんちゃんだったが、彼が個展の情報をネットで同級生に回してくれたおかげで、関東各地から、遠くは滋賀県からも、わざわざ会場に足を運んでくれるというではないか。ということで、彼に感謝の意味も込めて、同級生のために故郷にちなんだアレを粘土で作って描くとしようか。もちろん、信州にちなんだアレは作って描こうと思っているけど…。 作り置いた手製の額に小さな絵を収めていくと、ちょうど煩悩の数ほどになった。あとは、いつも使っている牛乳パックのパレットと安物の筆、絵具、それから粘土も忘れずに車に積んで、さあ、信州千曲、「みらい」に向けて出発!(画家) <斉藤裕之「平熱日記 in 千曲」展>・日時・6月6日~28日の金・土・日・月・場所:art cocoon みらい(長野県千曲市土口378-1)