水曜日, 5月 27, 2026
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経営者の怠慢を糾弾した東京地裁の判決 《邑から日本を見る》116

【コラム・先﨑千尋】専修大学名誉教授の原田博夫さんは24日の「文京町便り」で、原発は再開すべきか、脱・原発を目指すべきかを論じていて、2011年3月に起きた東京電力福島第1原発事故を巡る2つの裁判に触れている。私も前回のコラム(7月11日掲載)で、「最高裁の裁判官は結局国の番人?」を書いた。今回は13日の東京地裁判決について、そのあらましと私見を書く。

13日午後、東京地裁の朝倉佳秀裁判長は、東京電力の勝俣恒久元会長ら4人に13兆3210億円の支払いを命じる判決を出した。「ひとたび発生すれば『国そのものの崩壊』につながりかねないのが原発事故だ。ところが津波の襲来が予想されたにもかかわらず、担当役員は対策を先送りし、会長らもそれを是認した。そろって取締役としての注意義務を怠り、地域と社会に甚大な被害を与えた」

東電の株主は、同電力の福島第1原発事故を巡り、旧経営陣が津波対策を怠ったことで東電に巨額の損害が生じたとして、元会長らに22兆円の損害賠償を求めていた。今度の裁判の争点は2つ。「政府機関が2002年に公表した地震予測『長期評価』に基づき、巨大津波の予見が可能だったか」と「浸水対策などで事故を防げたかどうか」だ。

判決は、長期評価について「科学的信頼性を有する知見」と認めたうえで、旧経営陣の過失の有無を検討した。東電は08年、長期評価に基づき、福島第1原発に最大15.7メートルの津波が到来すると試算しており、「最低限の津波対策を速やかに指示すべき取締役としての注意義務を怠った」と指摘した。浸水対策については、「主要な建屋などで対策を実施していれば重大事故に至ることを避けられた可能性は十分にあった」としている。

長期評価の報告を受けながら津波対策をすぐに指示せず放置したことは不作為であり、対策を先送りしたものだ。政府機関には地震や津波のトップレベルの研究者が多く集められ、段階的な議論を経て取りまとめられた地震の長期評価には信頼性がある、という判断だ。

そして、「02年以降の東電経営陣の対応は、安全確保の意識に基づいて行動するのではなく、いかに現状維持できるかで、そのために有識者の意見のうち都合のいい部分を利用し、悪い部分を無視することに腐心してきた」と断罪している。

東海第2原発の再稼働に反対

私は、東海第2原発の再稼働反対を訴えている「首都圏ネットワーク」の一員として20日、大井川知事に「東海第2原発の廃炉と再稼働への不同意を求める要望書」を提出した。

その際、水戸地裁でも不備が指摘された広域避難計画について、「事情を最もよく知っている立場の橋本前知事が現職のときに、問題点が多すぎて実効性のある計画は作れないと言っていた。東海第2原発を再稼働させないことが最良の避難計画だ」と述べた。

原発は、福島の事故が示しているように、ひとたび事故を起こせば取り返しのつかない被害を生命と環境に与える。原発を運転する会社の役員には、他の会社とは比較にならないほど大きな責任がある。そのことを東京地裁の判決は示している。私はそう考えている。(元瓜連町長)

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在来大豆「タノクロ豆」を守り受け継ぐ《宍塚の里山》136

【コラム・小関緑】宍塚には大粒でとてもおいしい大豆があります。地元では通称「タノクロ豆」。田の畦畔(けいはん)などで作られてきた在来大豆です。近年は作る方が減少しましたが、この大豆を守りつないでいきたいと、地元の方から種を分けていただき、種継ぎを続け20年以上になります。大豆は味噌(みそ)に加工し、宍塚の方々と里山保全に取り組む人たちで分けています。 里地里山文化の象徴 大豆は、味噌、醤油(しょうゆ)、豆腐、納豆の原料であり、畑でとれる貴重なたんぱく源。日本人の食に欠かせない食料です。それぞれの地域で、その土地の気候風土に順化した在来大豆が作り継がれてきました。田んぼの畦(あぜ)は、陽当たり風通しがよく、根を伸ばせば水に届く―そんな環境が大豆にはちょうどよく、畦畔での栽培が行われていました。 自然資源を持続的に循環利用し、気候風土に適した作物のタネをとり、持続的に食料を生産する―そのような生業(なりわい)の在り方が里地里山の文化の要だと考えています。私にとって在来大豆は、そんな里地里山文化の象徴です。 お味噌に加工して配付 20年以上前、当時の及川ひろみ会長が会報配付に集落各戸を回った際、おいしい煮豆をごちそうになったのが、出会いでした。その方の作業を手伝わせていただくことから、栽培が始まりました。 栽培は、土地の資源を生かすこと、先人の知恵を生かすことが基本。聞き書きでも畑作や大豆栽培について聞いており、播種時期、麦間を利用した栽培、脱穀や調整の道具などが記録されています。当会では、落ち葉を畑にすきこむ方法や、裏作の麦との二毛作などに取り組んでいます。ただ近年は草管理が行き届かず、気候変動に伴う生育不良にも苦戦しているところです。 タノクロ豆の存在を知ってもらうため、できた大豆は味噌にして地元の方と里山保全に係る人たちで分けています。味噌作りも最初は地元の方に教わり、宍塚伝来のレシピで作っています。糀(こうじ)の米もなるべく宍塚産にし、当会の田んぼ塾の谷津田米や宍塚の農家が生産したお米を使用。煮炊きには里山保全作業で出た材をまきに使っています。里山の恵みをぎゅっと絞った雫(しずく)のようなお味噌です。 唯一無二だから種をつなぐ 宍塚の風土に順化し、生業文化に根差して作り継がれてきたタノクロ豆。これは、世界に唯一無二です。本来は地元の人たちによって受け継がれるのがベストですが、現代の社会構造では難しくなっています。ここで途切れさせてはならない、タネをつながなければならない―ほぼよそ者で構成される当会がそのつなぎ役になれればと考えています。 幸い、本当の地元住民であり、会員としても活躍くださっている方が、栽培をしてくださっています。このつながりに感謝し、今後も細々ではありますが継続していきます。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

傘がない《短いおはなし》51

【ノベル・伊東葎花】 電車を降りると雨だった。しかもかなり降っている。カバンに入れたはずの、折りたたみ傘がない。困ったな。タクシーは行列ができている。コンビニまで走って傘を買うか。だけどちょっと走っただけで、ずぶぬれになりそうな雨だ。 迷っていたら女が隣に立って、傘を広げていた。じっと見ていたら目が合った。 「傘をお忘れですか?」 「ええ、そこのコンビニで買おうと思っています。しかし、この雨では」 「よかったら、コンビニまでご一緒しませんか?」 「えっ、いいんですか。肩が濡れてしまいますよ」 「構いませんよ。困ったときはお互いさま。さあ、どうぞ」 女が開いた傘は、僕の傘にとても似ていた。どこにでもあるチェック柄だけど、僕の傘には柄のところに「M」の文字が刻まれている。僕の名前の頭文字だ。 「僕が持ちますよ」 そう言って傘を受け取って柄を見ると、「M」の文字が刻まれている。 「あの、これはあなたの傘ですか?」 「違います。電車の中で拾ったんです」 「拾った? じゃあやっぱり、これは僕の傘だ。かばんから落ちてしまったんですね」 「まあ、そうでしたか。届けようと思ったんですけど、この雨でしょう。つい、持ってきちゃって。ごめんなさい」 「構いませんよ。返してもらえたら」 「コンビニに着いたらすぐにお返します。本当にすみません」 女はすまなそうにうつむいた。かわいい人だ。彼女に拾ってもらえたのは、もしかしたら運命かも。 それにしても、カバンに入れていた傘が、どうして落ちたんだろう。何かを取り出したときに落としたのかな。ウトウトしているあいだに落ちたかな。ぜんぜん気づかなかった。 ふたりで並んで歩いた。かなり密着している。長い髪が腕に触れるたび、いい匂いがした。早くなる鼓動を気づかれないように歩いた。あっという間にコンビニに着いた。 「ありがとうございました。では私は、傘を買って帰ります。本当にすみませんでした」 「こちらこそ、あなたに拾っていただけてよかった」 「雨が強くなってきました。さあ、早く帰ってください」 「また会えるかな」 「同じ電車を利用しているんです。きっと会えますよ」 女は笑いながら手を振って、店に入った。そうだ。これが運命なら、きっとまた会える。 歩き出してから、冷蔵庫に何もないことを思い出した。 「弁当とビールでも買うか」 引き返してコンビニに行くと、女がレジで金を払っているところだった。「あれ? その財布」 似ている。色、マーク、表面のキズ。紛れもなく僕の財布だ。「あの、それは、あなたの財布ですか?」 女が振り向いて、にこやかに答えた。 「違います。さっき拾いました」 (作家)

パスカルズ つくばで初コンサート 30日カピオで

おもちゃの楽器やピアニカ、弦楽器などを用いた独特のサウンドで、ユニークな音楽を繰り広げるアコースティック・オーケストラバンド「パスカルズ」が30日、「パスカルズをききながら」と題して、つくば市で初のコンサートを開く。当日は、筑波山麓で知的障害者と共同生活をしながら有機農業や表現活動に取り組む「自然生(じねんじょ)クラブ」(柳瀬敬代表)が「自然生サーカス」と題し前座を務める。 企画したのは、共生社会を目指し県南地域で多様な芸術文化活動を企画・運営する「ウォーミングアップ(warming up)アートプロジェクト」(つくばみらい市)代表の野口修さん(70)だ。野口さんは1979年から2000年までつくば市内天久保でライブハウス「クリエイティブハウス アクアク(AkuAku))」を運営し、ジャズピアニストの山下洋輔さんを始め多くのアーティストが演奏した(23年12月8日付)。パルカルズリーダーのロケット・マツさんとも親交があり、今回、実行委員会をつくってコンサートを企画した。 パスカルズはキーボード奏者のロケット・マツさんを中心に1995年に結成された13人編成のバンド。多様なメンバーが様々な楽器を使い、変幻自在な音楽を繰り広げる。テレビドラマや映画の劇中伴奏音楽も手掛け、自然生クラブも出演した映画「日日(にちにち)芸術」(2024年)の音楽も担当した。同映画のロケでは一昨年、メンバ―がつくば市神郡を訪れ、自然生クラブと共に撮影に臨んだ(24年5月23日付)。 ​メンバーの一人、石川浩司さんは、1990年のヒット曲「さよなら人類」で知られる「たま」のパーカッション奏者で、1年間だけつくば市松代の国家公務員宿舎で暮らした経験があるという。メンバーはほかに、エッセイスト、漫画家、版画家など多彩な顔触れだ。欧州ツアーも行い国際的にも高く評価されている。 野口さんは「パスカルズの音楽は未就学児までも観客に含める。大人は経済や信条で戦争を起こす。子供の視点というのが大事で、パスカルズの音楽を聴いて世界が平和になってくれれば」と話し、「『パスカルズをききながら』というタイトルは、『もし今の世界が失敗だったら、神さま、次はパスカルズをききながら世界をつくってください』という漫画家のしりあがり寿さんの言葉をいただいた。パスカルズの音楽は、そんな思いが満ちてくる」と語る。 パスカルズのリーダー、ロケット・マツさんは「つくば市でコンサートをするのは初めて。僕たちは器楽曲中心のグループ。説明が難しいが、聴いているとなんだか風景が見えてきて、体が気持ちよく揺れて、いろいろな感情が浮かぶ、よくわからないけど聴いてみたくなる、そんな音楽。どうぞいらしてください」と来場を呼び掛ける。(榎田智司) ◆パスカルズコンサート「パスカルズをききながら」は30日(土)午後5時~、つくば市竹園、つくばカピオホールで開催。開演は午後4時30分。入場料は一般前売り4500円(当日5000円)、学生・障害者4000円(当日4500円)、中学生以下前売り2500円。問い合わせは電話090-8580-1288(warming upアートプロジェクト)へ。 ◆翌日の31日(日)午後6時から、同市天久保の「aNTENA」で、パスカルズのメンバー、知久寿焼さんのコンサートが催される。問い合わせは電話090-8580-1288(同)。

神も仏もパーフェクトなんかじゃない《マンガサプリ》7

【コラム・瀬尾梨絵】世紀末を無事に乗り越えたブッダとイエス。大仕事を終えたバカンスとして下界に降り立った2人が、あろうことか東京・立川の古びたアパートで共同生活を始める。漫画界において、これほどまでに想像の斜め上をいく設定は類を見ないだろう。中村光先生による「聖☆おにいさん」(講談社、現在22巻)は、そんな常識外れの導入を読者が「まあ、2人ならそうなるか」と、ごく自然に飲み込んでしまうところから物語が始まる。 この作品の最大の魅力は、神様であるはずの2人が私たちと同じように悩み、笑い、そして時にダメ人間的な側面を露呈するかわいさにある。 ブッダは極度の節約家で、バーゲンセールに命をかける主婦のような一面を持つ。一方のイエスはネットサーフィンが大好きで、家電量販店で舞い上がっては、無駄遣いをしてしまう衝動的な性格。神としての奇跡を発動しつつも、2人の関心事は常に「家計のやりくり」「隣人との付き合い」「はやりの趣味」といった、極めて世俗的でささやか。 本来であれば敬虔(けいけん)な対象であるはずの2人が、Tシャツにジャージ姿で立川の商店街を歩き、お祭りや銭湯を楽しむ姿。そのギャップがもたらす滑稽(こっけい)さは、読み進めるうちに「神様仏様もこんなふうに悩むなら、自分の悩みなんて大したことないかも」という、不思議な安心感へと変化していく。 神様だってこんなにテキトー この作品は、宗教的な教義を説くものではない。しかし、ブッダが他者の痛みに寄り添い、イエスが人類愛を実践しようとする姿は、どれほど不器用であってもそこに確かな「慈しみ」があることを教えてくれる。彼らの言動は、完璧な神様を描くことではなく、むしろ「完璧ではない人間」のいとおしさを浮き彫りにしている。 現在22巻まで刊行されているが、長く付き合えるのもこの作品の醍醐味(だいごみ)。連載が進む中で2人の下町ライフも少しずつ深まり、街の人々や周辺の神々との交流も増えていく。それでも変わらないのは、どんなに小さな日常にもドラマがあり、どんなに些細(ささい)なことでも笑い飛ばせるという、この作品全体を包み込む癒やしの空気感だ。 せわしない日々の合間にこの本を開くと、不思議と肩の力が抜け、「神様だってこんなにテキトーに、かつ一生懸命生きているのだから、人間である私たちが完璧じゃなくても大丈夫」。そんなエールを受け取ったような気分になれる。 もし日々の生活に少し疲れを感じているなら、立川の風呂なし六畳一間の松田ハイツをのぞいてみて欲しい。そこでは、今日も世界を救うはずの2人が今日の夕飯の献立や、安売りの情報を巡って平和な1日を過ごしているはずだ。笑えて、癒やされて、たまに少しだけ神聖な気持ちになれる。これほどまでに心地よい生活リズムが、今の私たちには必要なのかもしれない。(牛肉惣菜店経営)