水曜日, 8月 10, 2022
ホーム つくば 制度化なるか? 重度障害者の就労時の介助 つくば市議会で議論

制度化なるか? 重度障害者の就労時の介助 つくば市議会で議論

重度障害者が働くと受けられなくなる公的介助サービスについて、つくば市議会で市民団体からの提案をもとに、実施に向けた議論が進んでいる。厚生労働省は「地域生活支援事業」の対象に、通勤・就労時の身体的な介護を加え、昨年10月から市町村の任意事業として提供できるようにした。

厚労省によると、昨年8月時点で全国13市町村が実施予定とした。市民団体「茨城に障害のある人の権利条例をつくる会」(事務局・水戸市)の調査によると、今年4月時点で、県内で「利用希望に応じて検討したい」とした市町村は数カ所あったものの、「実施予定」とした市町村はひとつもなかった。

「働いている」のに賃金もらえず

従来の制度では、公的介助サービスは通勤時や就労時は利用できないため、介助が必要な障害者は、働く能力があっても就労が難しかった。昨年から国の地域生活支援事業の中で始まった「雇用政策との連携による重度障害者等就労支援特別事業」で、国と県から補助を受けて、市町村が職場等における介助や通勤の支援を行えるようになった。

重度身体障害を持つ川島映利奈さん(38)は、障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」代表として活動する。自立生活センターでは、地域で生活する障害者に介助者を派遣する事業を行っていて、川島さんは介助者の採用面接や研修、勤務シフト表作成に関わる。また、障害者や家族からの相談に応じたり、障害のある人とない人が交流できるイベントの企画もしている。平均週20時間、活動している。

しかし、ほとんどの活動に賃金は発生しない。川島さんは障害のために痰(たん)を吐き出す力が弱く、多い時で30分に1回、介助者に痰吸引をしてもらう必要がある。また全身の筋力が弱く、会議の資料を作成するためのパソコン入力や、初対面の人との名刺交換など、活動するために必要な動作のほとんどを介助者にサポートしてもらう必要があるため、常に介助者がそばにいる。公的介助サービスを使っている時間は就労できないため、どんなに活動しても賃金はもらえない。

唯一、月に一度の役員会議の時間だけは役員報酬を受け取っている。その時間は公的介助サービスを利用できないので、痰吸引など必要な介助は自立生活センター事務所が負担している。しかし、川島さんが活動しているすべての時間、介助を自立生活センター事務所が負担することは難しい。つくば市で就労中も公的介助サービスを受けられるようになったら、活動している時間は賃金をもらいたいと川島さんは話す。

川島さんはつくば自立生活センターで活動する以前、筑波大学大学院に在籍していたころ、一般企業に就職したいと思い、障害者向け合同企業説明会に参加したこともあった。しかし、興味のある大手企業の説明を聞きにいったところ、介助者同伴で来た川島さんを見て企業側は驚いた様子だった。生活に介助が必要な重度障害者が参加することは想定されていなかった。

企業の概要説明はしてくれたが、「トイレ介助や食事介助、パソコン入力など、仕事中に必要な介助を企業側で提供するのは難しい。介助者が必要なら、自分で用意してほしい」と言われた。つまり、介助者を雇うお金がなければ働けない。「大手企業でもそのようなことを言われてしまう。こんなに勉強しても働けないと分かり、悲しかった」と川島さんは振り返る。

公開質問状でつくば市にも動き

昨年10月のつくば市長・市議会議員選挙で、市民団体「障害×提案=住みよいつくばの会」は各立候補予定者に、政策提案型の公開質問状を渡したが、その中に「就労中の重度障害者への公的介助サービスの実現」も含まれていた。昨年の12月議会一般質問で、川村直子議員がこの政策提案の実現に向けての具体的な予定を聞いたところ、つくば市は「先行して実施している自治体の事例等を参考に調査を進めていく」と回答した。

5月13日現在、市障害福祉課によると、「昨年度の他市町村における実施状況を、県や国に問い合わせ、国からの報告を待っているところ。県内で実施している市町村はなかったが、再度、国に照会し、調査を進める予定」だそうだ。今後の動向が注目される。(川端舞)

1コメント

誹謗中傷するコメントはNEWSつくば編集局が削除します。
1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る

陽性確認者数(公表日ベース)の推移

つくば市

土浦市

スポンサー

注目の記事

最近のコメント

最新記事

「老後」がなくなる「人生100年時代」 《ハチドリ暮らし》16

【コラム・山口京子】数年前までは、「人生100年時代」というフレーズを大げさに感じていました。ですが、両親を見ていて、100歳まで生きるかもしれないと思うこの頃です。病気をして心配したり、回復して食欲も出てきてほっとしたり。そうなればそうなったで、これからのことが気にかかります。本人たちは、「おまえにまかせた」状態です。今回は、お金の管理、施設や病院とのやり取り、行政から届く書類の手続きなどのあれこれ。 父は家で介護してほしかったのでしょうが、話し合った末、施設に入ってもらいました。母の方は、生活の自律度を見ると、もう数年は家で暮らせると思います。 両親の収入は公的年金のみです。これまでの蓄えと合わせて、おおまかなキャッシュフローを作りました。現在の状況が続くと仮定したものと、母も施設に入ると仮定したものとでは、大きく収支が違ってきます。状況の変化をふまえて見直しながら、妹たちと話し合っていくつもりです。 親のこれからを考えつつ、自分たちのことも気になります。これからの人生100年時代は、老後が長くなるのではなく、老後という概念がなくなり、定年という言葉も死語になっていくのでしょう。そもそも、一つの会社に生涯勤め続けることが現実的ではない状況が広がっています。子どもたちを見ていると、そうした状況をシビアに察知しているようです。 私たちの世代は定年があり、退職金を出す企業も多くありました。定年後のプランは退職金とそれまでの蓄え、公的年金あるいは私的年金を利用してどうにかなりました。でも、そういうプランは崩れつつあります。 『お金』はなぜ格差と分断を生むのか?

つくば市から3人目のロータリー茨城代表、大野さん【キーパーソン】

茨城県にはロータリークラブ(RC)が55ある。つくば学園RCの大野治夫さんが、これらクラブを代表するガバナーに就任した。任期は7月から来年6月までの1年間。つくば市東光台で不動産管理業を営む大野さんはRC歴18年。業務区と住宅区から成る開発地域・東光台(合併前の豊里町と谷田部町の一部)の土地持ちでもある。ガバナーとしてやりたいこと、つくばの最新土地事情について聞いた。 つくば学園RC会員、目標100人超え RCは地域の名士が参加する奉仕組織だが、週1回の例会を通じ、会員たちが親睦を図り、いろいろな情報を交換する場でもある。つくば学園RCの会員は現在89人。土浦市では最多の土浦南RC(85人)を上回り、つくば・土浦地区では一番の会員数になった。大野さんによると、来年6月までに100人超えを目指す。 つくば学園RCがガバナーを送り出すのは、約20年前の吉岡昭文さん(筑波山神社前の旅館「江戸屋」現会長)、約10年前の野堀喜作さん(東光台の不動産管理会社「ツクバ企画」現会長)に次いで、3人目になる。 10月末、つくば市内で茨城大会開催

シンプル イズ ベスト? 《続・平熱日記》115

【コラム・斉藤裕之】わけあってこの猛暑の中、アトリエの大掃除をすることになった。学生時代からの習作や、いつか出番があるだろうと思って集めたガラクタなどを思い切って処分することにした。市の焼却場に軽トラで何度か往復して、捨てるに忍びないものは知り合いの骨董(こっとう)店にトラックで持っていってもらった。 ちょうどこの7月でこの家に住み始めて20年になる。20年間、家族の足の裏でこすられた1階の杉の床は、夏目と呼ばれる年輪の柔らかいところが削られて冬目の硬いところだけが残って、凸凹になっていて妙に足触りが心地よい。夏涼しく冬暖かいとても住みよい家だと思うのだが、それには少しコツがあって、戸の開け閉めやエアコンの入れ方、ストーブのことなど、大げさに言えば家の中の環境への理解と手間が必要なのである。 2人の娘も家を出てこの家には帰って来るまい。だから将来は人に貸すなり売るなりしなければと思うのだが、少し変わった家なので、この際「斉藤邸取説」でも、を書き残しておこうか。 さて20年分のホコリを払って、広々としたアトリエの床に布団を敷いて寝てみることにした。見上げると、20年前に故郷山口で弟が刻んだ梁(はり)や柱がたくましく見える。昔ながらの複雑な継手も、20年の間にやっとしっかりと組み合わさって落ち着いたように見える。特に2階の柱を支えくれている地松(じまつ)の梁は、自然な曲線が力強くカッコいい。 それから、2階の床になっている踏み天井。こちらは200枚だか300枚だか忘れてしまったが、ホームセンターで買ってきたツーバイ材全てに、「やといざね」といういわば連結するための溝を電動工具で彫ったことを今でも思い出す。酷使した右手は、朝起きると硬直して箸も握れなかったっけ。 「いい景色だなあ。木の色がきれいだなあ。このぐらいの広さの住まいがちょうどいいのかもなあ」。20年目にして改めて見入ってしまった。

言葉の壁を越え患者と医師の信頼関係築く つくばの医療通訳士 松永悠さん【ひと】

つくば市で暮らす外国人は、2022年度の統計で137カ国9457人。医療機関を受診する外国人患者も増えているが、病名や器官の名称などの専門用語が飛び交う診察で、患者が内容を理解するのは難しい。タブレット端末による通訳サービスを導入する病院もあるが、個別の質問や細かいニュアンスの伝達に対応するのは依然として困難だという。市内の病院を中心に、中国語の医療通訳士として働いている松永悠さん(48)は、30代後半から医療通訳の世界に飛び込み、やりがいを見出している。 一人の女性患者との出会い 松永さんは1974年生まれ、中国北京市の出身。松永さんが医療通訳のボランティアを始めた38歳の時、最初に担当したのは、同じ30代の末期がんの女性患者だった。中国の地方出身者で、お見合いで国際結婚して日本の農家に嫁いだが、がんを原因に離婚を切り出され、日本語も分からず頼る人がいない状況だった。 女性の境遇に衝撃を受け、「同じ女性、自分の力で助けられるのなら」と感情移入してしまったそう。女性も辛い闘病の中、「お姉さん、お姉さん」と松永さんを慕った。この女性との出会いから苦しんでいる在日中国人がいることを知り、興味で始めた医療通訳の仕事に使命感を持つようになった。 医療通訳士は国家資格ではない。医療通訳として働くには、民間が主催する養成講座を受講し、選考試験に合格後、ボランティアや医療通訳の派遣会社に登録して依頼を待つ。養成講座では通訳の技術のほか、守秘義務などの倫理規定、医療専門用語などを学ぶ。医師の説明に通訳者が勝手に補足することはしてはならず、治療法について患者が本当に理解しているかの確認をその都度行っていく。患者は文化や宗教、思想、持っている在留資格などの社会的背景が個々で異なり、その理解と医療機関への仲介の役割も医療通訳士に求められる。重い病気を抱える人への告知の場に立ち会うこともあり、精神的な重圧も大きいという。