日曜日, 7月 19, 2026
ホームつくばコロナ禍、働くスタッフの励みに 筑波メディカルで写真展「病院のまなざし」

コロナ禍、働くスタッフの励みに 筑波メディカルで写真展「病院のまなざし」

筑波メディカルセンター病院(つくば市天久保、軸屋智昭院長)で開催中の写真展「病院のまなざし」が、新型コロナ対応で疲弊した病院スタッフはじめ患者や関係者たちの励ましになっている。4月末までを予定する会期は残りひと月あまり、「コロナ禍で一般に見てもらえないのが残念」とSNSを通じた発信を強化した。

被写体はすべて病院職員 手術道具の技術者も

被写体はすべて病院で働く職員だ。緊張した面持ちの医師、笑顔で患者に接するリハビリ療法士などさまざまな表情をとらえた写真71点が、病院1階廊下のメディカルストリート180メートルにわたって展示されている。

職員の仕事内容により、①患者さんを迎える②治療を支える③命と向き合う④患者さんを見守る⑤病院を支える―の5セクションに分けられている。

医師や看護師、事務員、管理栄養士だけでなく、清掃職員や病院内のコンビニエンスストアのスタッフも映っている。普段は職員も患者も接する機会が少ない、手術器具をメンテナンスする技術者たちを撮影することで、病院がさまざまな人によって支えられていることをあらためて知るきっかけにもなっているという。

撮影が行われたのは昨年8月の6日間。日程と時間をあらかじめ各部門に伝え、許可を得たうえで行われた。カメラを趣味とする看護師の須藤ゆみさんとカメラマンの石附雅代さんが撮影にあたった。石附さんは、コロナ禍の医療従事者にお弁当を届ける「セーバーイーツ茨城」活動(2020年5月14日付)で同病院を訪れたことが縁で、今回の企画に参加したという。

須藤さんは「職員の真剣な表情と、温かい人間性も写真で引き出したいと思い撮影前に話をすることを心がけた」と語る。2人が撮影した写真は約1400枚。メンバーらで1カ月かけて71点に絞り込んだ。

新型コロナで疲弊した職員を励ましたい

病院は2006年からアート・デザイン・プロジェクトに取り組んでおり、写真展はアートやデザインで医療支援を行うNPO法人チア・アート(つくば市天王台、岩田祐佳梨理事長)の協働で実現した。アート・デザインコーディネーターとして岩田理事長と水畑日南子さんが活動中で、今回も企画・運営面を担った。2人は「コロナ禍で疲弊している病院職員を元気づけたい、患者さんには職員に親しみや安心感を得てほしい」と企画意図を語っている。

チア・アートの岩田祐佳梨理事長(左)と水畑日南子さん=同

写真展を見た職員にアンケートを取ったところ、回答した379人のうち75パーセントが写真展の取り組みを「良い」「とても良い」と感じているという結果になった。自由記述では「自分たちが一丸となって病院を支えていると実感できた」「仲間の笑顔に癒された。頑張ろうという気持ちになった」などの感想が集まった。

患者からは職員への感謝やねぎらいの言葉のほか、「リハビリで廊下を歩くのが楽しくなった」という感想も寄せられているという。

筑波メディカルセンター広報課主任の遠藤友宏さんは「4月末まで展示する予定だが、コロナ禍で面会禁止のため一般の方に見てもらえないことが残念だ。病院のホームページやフェイスブックでダイジェスト動画を見ていただき、雰囲気と取り組みを知ってもらえたら」とアピールしている。(伊藤悦子)

筑波メディカルセンター病院ホームページの「病院へのまなざし」はこちら フェイスブックはこちら

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

土浦の花火100年の紡ぎ⑺《見上げてごらん!》54

【コラム・小泉裕司】土浦の花火が誇る圧倒的な質の高さ、それを支えているのは全国から集結する花火師たちの存在である。1926(大正15)年の第2回大会には、すでに日本各地の名工たちが土浦に集っていた。今や国内屈指の花火師たちが最新の技と魂を込めて競い合う「品評会」へと進化した。 花火の格調を支える審査員 このように発展してきた背景には、花火師たちのたゆまぬ努力はもちろんであるが、厳正に作品を評価し、日本一の花火師を選ぶ「審査員」の存在抜きに語ることはできない。昨年の第94回土浦全国花火競技大会の審査委員会は、学識経験者、火薬専門家、行政担当者、芸術家など10人で構成され、横浜国立大学上席特別教授の三宅淳巳氏が委員長を務めた。 実は、この審査委員長には、長年にわたり東京大学の火薬・安全工学系の専門家が務めてきた歴史がある。1968年の疋田強氏(元東大教授)を皮切りに、吉田忠雄氏、田村昌三氏、そして前委員長の越光男氏へと続く系譜は、半世紀以上に及ぶ。昨年の三宅氏も越氏の弟子にあたり、その伝統が引き継がれている。 同様の傾向は、秋田の「大曲の全国花火競技大会」(委員長=元東大教授の新井充氏)にも見られる。 なぜ東大の先生なのか? 市役所には明確な記録は残っていないが、かつて国の役人などの「あて職」中心だった審査員構成に、専門性と権威性を取り入れるための人選だったと推測される。ちなみに、第2回の審査長・高瀬清二郎氏が元軍人であったように、大会創設の経緯(航空殉職者の慰霊)や時代背景を踏まえると、戦前は軍関係者がその役割を担っていたようである。 審査員を40年続けた村井一氏 こうした審査体制のなかで、第36回(1967年)から第75回(2006年)まで、40年にわたり審査員を務めたのが村井一氏(1919~2009)である。 村井氏は、花火に欠かせない火薬の原料販売を行う第一薬品興業(現在の日本カーリット)の創業者であった。煙火業界の生き字引的存在から、新しい原料の情報を全国の花火業者に伝え、火薬の配合などをアドバイス。元日本煙火協会の顧問として、わが国煙火産業の安全と技術水準の向上に寄与した功績により黄綬褒章を受章している。 土浦市においても、厳正な審査で大会の格調を高め続け、さらに安全と技術面から運営全般に携わるなど、審査員の枠を超えて大会の発展に大きな足跡を残した。これらの尽力に対し、1995年には市政功労賞が授与されている。村井氏は、大曲大会においても同時期に25年間審査員を務めていた。 筆者は土浦市役所に在職中、審査員係として事前打ち合わせや現場での審査に立ち会った。その際、村井氏の一見穏やかでありながらも、一本芯の通った「花火哲学」に深く魅了された。今の「花火な自分」があるのは、村井氏のおかげであると言っても過言ではない。 現在の土浦の花火は、村井氏のように技術と安全の両面から支えられ、大曲と双璧をなす競技大会として全国に知られるまでになったのである。本日はこれにて打ち留めー!(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「日本煙火協会参拾年史」(日本煙火協会、1993年)「新訂現代日本人名録2002」(紀伊國屋書店、2002年)「大曲の花火 100年の魅力」秋田魁新報社、2010年)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「土浦の花火パンフレット」(土浦全国花火競技大会実行委員会、1959年以降)

優勝候補の土浦日大、明秀日立に敗れる【高校野球茨城‘26】

第108回全国高校野球選手権茨城大会は10日目の18日、4回戦が行われた。ノーブルホームスタジアム水戸の第2試合では、春の大会を制した土浦日大が、昨夏の覇者、明秀日立と対戦、3―4で敗れた。今大会優勝候補の土浦日大は4回戦で姿を消し、3年ぶりの優勝はならなかった。 18日 4回戦 ノーブルホームスタジアム水戸 第2試合土浦日大 110000001 3明秀日立 300000001× 4 ここまで明秀日立は2試合で42得点。強力打線を相手に土浦日大の小菅勲監督は「受け身にならずに自分たちの野球をやろう」と選手たちに伝えた。土浦日大は1回、伊勢山暖が、明秀日立先発投手の山田悠月からレフト前ヒットで出塁すると、藤沢佑樹がバントで送り、3番吉田惺南がストレートをレフト前にタイムリーヒットを放ち先制した。 しかしその裏、土浦日大先発の板橋悠希は、明秀日立打線に4安打1死球で3失点した。この回、1死二塁のピンチで、エース小池陽斗がマウンドに上がり、後続を抑えた。「板橋が先発だと前日から言われていたので、いつでも行ける準備はしていた」と小池。 土浦日大は2回、四球で出塁した林悠哉を二塁に置いて、高石涼太がライト線にタイムリーツーベースを放ち、1点差に迫る。 エース小池は2回に1死一、二塁のピンチを招くが、白竹浬久虎を併殺打に打ち取りピンチを切り抜けると、その後はスライダー、チェンジアップ、ストレートを軸に、ランナーを出すも気迫のこもった粘り強い投球で明秀日立打線を抑え、味方の反撃を待つ。 土浦日大は5回2死後、明秀日立2番手の徐上力から、藤沢佑樹と吉田惺南の連打で一、三塁とするが、根津然斗がセカンドゴロに倒れ無得点。 9回、土浦日大は2死から、河津直登がツーベースヒットで出塁すると、続く伊勢山暖がセンター前へタイムリーヒットを放ち、土壇場で同点に追いつき、意地を見せる。 しかしその裏、2死三塁、明秀日立の宮楠到弥の打席で、小池がワイルドピッチで中澤祐誠が生還し、サヨナラ負けとなった。 最速149キロの速球を記録した小池は「自分のせいで負けてしまって申し訳ない気持ちでいっぱい。一球の怖さを改めて知った」と涙ぐんだ。 小菅監督は「1点差の勝負になると思っていたが、初回の3点が大きかった。打線の流れ、勢いが重くなってしまい、普段の力を出し切れなかった。9回に追いついたのは、ここまでやってきた練習の成果。これを乗り切れば甲子園へのターニングポイントになったが残念」と述べ「最後までチャレンジャーの気持ちは失わなかった。夏は勝ったチームが強い。改めて高校野球の難しさを味わった試合だった。3年生にはベンチに入れる選手、入れない選手といたが、全員が一体、一丸となってよくやってくれた」と選手たちをねぎらった。(高橋浩一)

霞ケ浦、下妻二に勝利しベスト8【高校野球茨城’26】

第108回全国高校野球選手権茨城大会は10日目の18日、4回戦8試合が行われた。J:COMスタジアム土浦の第2試合では霞ケ浦が下妻二と対戦、5-3で勝利し準々決勝に進んだ。同球場の第1試合では常総学院が東洋大牛久に4-2で勝利した。 18日 4回戦 J:COMスタジアム土浦 第2試合霞ケ浦 00005000 5下妻二 00000003 3 下妻二は昨年秋季大会の優勝校で、今大会もAシードに座る強豪。試合は序盤から両エースの投げ合いとなった。4回終了時点で、霞ケ浦は下妻二の鶴見航の前に無安打、下妻二は霞ケ浦の稲山幸汰から2安打を放つものの5三振を食らっていた。 試合が動いたのは5回。霞ケ浦は4番・西野結太の右前打から始まり、1死をはさんで6番・佐藤大亜、7番・菊地勇一、8番・渡邉航太、9番・相田歩希が左右へ打ち分ける4連打。これで2点を先制し満塁にすると、1番・加藤龍の右翼線への二塁打で2点を加えた。 この回先頭で口火を切った西野は「稲山が完璧なピッチングをしていたので、流れを持ってきたかった。打球は出ていたし、打者一巡して相手投手の傾向もつかめてきたので、ここからはつながりを持ってバッティングしようと話していた」と振り返った。具体的な話として村上聖主将は「相手投手は、前の打者に打たれると、次の打者には別の球から入ることが多かった。そうした傾向をつかみ、一人一人が狙いを絞って打っていった」と明かした。 加藤の二塁打を浴びたところで相手先発の鶴見は降板、2番手の秋葉泰晟がマウンドへ上がった。ここで霞ケ浦の打者は2番・村上。高橋祐二監督の指示はスクイズだった。「4点では安心できないし、村上はバントが得意中の得意。替わりたての相手投手を揺さぶる意図もあった」と高橋監督。「ここで取ると取らないでは1点の重みが違う。狙った2球目は相手投手に外されたが、絶対決めるぞという執念が結果につながった」と村上。 これで5-0となり、「援護をもらって楽にピッチングできた」と稲山。テンポ良い投球で、厳しい場面では1段階ギアを上げながら相手打線を討ち取っていった。だがすんなりと勝たせてもらえないのも強豪相手の難しさか。9回2死一塁から暴投と死球、失策で満塁とされ、代打・中尾の左中間三塁打で3点を奪われた。 稲山は完封を逃したものの、最後の一人を三振に取って試合終了。140球を投げて被安打6、奪三振12という成績だった。追加点があればもっと楽に勝てたはずだが、2併殺や3つの盗塁失敗など拙攻が目立った試合でもあった。 4回戦はこの日1日で終了し、ベスト8が出そろった。準々決勝は20日行われ、ノーブルホームスタジアム水戸の第1試合では常磐大と常総学院が、同じく第2試合では霞ケ浦と鹿島学園が対戦する。(池田充雄)

市立保育所の給食に異物混入 つくば市

つくば市は17日、同日昼に市立保育所1カ所で出された給食のスープの中に、ビニール片が混入していたと発表した。担任の保育士が食べたスープの中に混入していた。園児の給食に異物混入は確認されず、17日夕方時点で健康被害の報告もないという。 市幼児保育課によると、ビニール片は縦横1センチ×2センチくらいの大きさで、ビニール包装の一部とみられるという。担任の保育士が給食を食べていて、ビニール片に気付いた。当時、すでに給食を食べ終わっていた園児がほとんどだったが、まだ食べ終わっていない園児については、いったん食事を中止し、スープに異物が混入していないか確認して食事を再開した。 市立保育所の給食は施設内で調理する自校方式で、出来上がった給食は、担任の保育士などが園児の分を取り分けて配膳するという。当日は園児と保育士など合わせて115人分の給食が調理された。 同課によると、現時点で異物の混入経路は不明。同園は17日、保護者に謝罪の通知文を出した。