日曜日, 5月 17, 2026
ホームスポーツ【夏の高校野球県大会】最終日 完封で土浦湖北、霞ケ浦が4強入り

【夏の高校野球県大会】最終日 完封で土浦湖北、霞ケ浦が4強入り

2020年夏季県高校野球大会は最終日の5日、2球場で準々決勝4試合が行われた。ノーブルホームスタジアム水戸では土浦湖北が土浦日大と戦い、2-0で同郷対決を制した。ひたちなか市民球場では霞ケ浦が水城に3-0で勝利した。他2試合は水戸啓明が水海道二に4-2、明秀日立が多賀に7-0。この結果により土浦湖北、霞ケ浦、水戸啓明、明秀日立がベスト4に決まり、大会の全日程を終了した。

【湖】大坪 – 佐藤武 【日】中川 – 菅野
土浦湖北の大坪誠之助は自身初の完封勝ち=同(撮影/竹田栄紀)

投手戦は湖北が日大に競り勝つ

【崎山勝功】土浦勢同士の対戦は、両エースによる投手戦となった。土浦湖北は大坪誠之助、土浦日大は中川竜哉が共に力投を繰り広げ、4回終了時点では双方無得点。

5回、湖北は先頭の大坪が左翼線三塁打で出塁すると中川のボークで生還、思いがけない形で先制点をあげた。9回にも田中海斗主将が中前安打で出塁すると、中川の四球と再度のボーク、暴投で生還し、1点を追加した。

対する大坪は、3回無死二・三塁のピンチを迎えながら後続を3三振に切ってとる圧巻のピッチング。最終的には日大打線を散発5安打無失点に抑え、湖北を4強に導いた。

土浦湖北の小川幸男監督は「大坪の気持ちと力のバランスがうまくいった試合。お互いの手の内を知っているからこそ打撃は難しかった」と振り返り、大坪の投球については「3年間でもベスト」と絶賛した。

9回まで力投した土浦日大の中川竜哉=同

「人生初めての完封勝利」という大坪は「今日はスライダーが少し調子が良くなかった。真っすぐ主体で自分らしいピッチングができた」と胸を張った。田中海斗主将は「5回終了後に、中川に球数を投げさせようと話し合った」との作戦変更が奏功したと明かした。

土浦日大の小菅勲監督は「準決勝にふさわしい、いいゲームだった」と試合を総括、「相手ピッチャーが良かった。大事なところで長打を出せず、終盤は選手に焦りが出た。失点のボークそのものは仕方ないとしか言えない」と厳しい表情で語った。

三振13を奪ったものの、惜しくも敗戦投手となった中川は「先取点を渡さないところを意識した。ランナーを背負っても相手投手に負けずに粘りたかった」と自身のボークでの失点を悔やんだ。五十嵐明斗主将は「チャンスが回ってきたときに生かせなかった」とチームの反省点を述べた。

霞ケ浦投打の主軸が躍動 

【高橋浩一】霞ケ浦-水城戦は両エースの投げ合いに加え、互いに内外野の守備が光り、両チーム合わせて4つのダブルプレーが飛び出すなど、締まった試合になった。その中で霞ケ浦は3回表、1死二塁から小田倉啓介主将の中前適時打で先制。6回には2死一・二塁から新山秀男と小田倉の連打で2点を追加した。

完投したエースの山本=ひたちなか市民球場

霞ケ浦の先発・山本雄大は「最後の試合だったので緊張もあり、初回から抜けたボールが多かったが、なんとか粘って最後まで投げきれてよかった」とコメント。調子はあまり良くないと思ったそうだが、それでも水城打線から9三振を奪い散発3安打に抑え、走者をスコアリングポジションに進ませない活躍ぶり。水城としては、昨年の準決勝で敗れたリベンジを果たそうと臨んだ試合だったが、成すすべなく完敗となった。

高橋祐二監督は「小田倉がよくチームを引っ張り、激励しながらやってくれた。声だけでなく技術的な面でもよく面倒をみてくれて、そのお陰でここまで来た。山本は今までプロに入った4人の中でも総合的に見てナンバーワンの投手」とこの試合のヒーロー2人の活躍を讃えた。

5打数4安打と活躍し、2打点を挙げた小田倉=同

小田倉主将は「甲子園がなくなってからも、いままでと変わらずに明日に繋がるような2カ月にしようと3年生で話し合った。そこでだれ一人くさらず、自分が言ったことに対して周りが全員ついて来てくれたので、自分の辛さを周りが助けてくれた」と大会を振り返った。

小田倉は高校卒業後、大学で野球を続けるという。「霞ケ浦への思いはどこへ行こうと変わらないし、自分が活躍すれば母校の名前も出るので、いままで指導してくれた先生方にも恩返しになる。いままで通り霞ケ浦のプライドを背負って一生懸命やりたい」と将来を見据える。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

土浦の花火100年の紡ぎ(5)《見上げてごらん!》52

煙火の系譜は湖畔から山へ 【コラム・小泉裕司】火薬を取り扱う花火工場は、火薬類取締法など関連法が定める「保安距離」確保の観点から、住宅街や公衆が集まる施設を避けた山間部や平地のはずれに立地するのが一般的である。 土浦における「花火製造」の歴史は、1936(昭和11)年、霞ケ浦湖畔の川口町(現 川口2丁目)に「北島煙火店」が創業したことに始まる。戦後「土浦火工」(北島義一社長)へと社名を改め、土浦全国花火競技大会の発展を支える存在となった。 その後、市街化の進展に伴い、1963年に宍塚大池地区へと移転する。興味深いことに、移転先の宍塚山周辺では明治の中頃まで「竜星(りゅうせい)」と呼ばれるロケット花火が打ち上げられていたという。これは櫓(やぐら)に固定した筒に火薬を詰め、丸太を空高く打ち上げてその高さを競うものであった。 かつての「竜星」から土浦火工へと至る煙火の伝統は、時代を超えてつながっているように思えてならない。ちなみに現在も、つくば市百家(はっけ)の観音寺では、伝統花火を支える山﨑煙火製造所の支援を受け、9月第2日曜日に「竜水」という名のロケット花火が奉納されている。 1956年、土浦火工の子会社として、上高津町に設立された「昭和火工」は、元々、川崎市登戸で照明弾などを製造していた企業であった。義一氏が武藤輝彦氏(1921-2002)との共同経営に参画した当時は、玩具花火も幅広く取り扱い、土浦火工と昭和火工の両工場はわずか1.5キロほどの距離で、土浦の煙火産業の両輪を担っていた。 花火事故と安全への挑戦 「花火の歴史は事故の歴史」とも言われる。土浦におけるその歩みは、不断の安全への挑戦の記録でもあった。1991年の解散までの約半世紀の間に、同社関連の火災事故は18件発生し、7人が尊い命を落としている。 記録をひもとくと、事故の多くは移転前の川口町で発生したが、宍塚山や上高津、さらには湖上での水中花火事故も記録に刻まれている。当時の消防士たちは非番の日であっても現場に駆けつけたという。それは、火薬という危険物を扱う現場を有するまちの宿命だ。 特に1975年の爆発事故は悲劇的だ。日本煙火協会の設立に尽力し、業界全体の安全確保を生涯の使命としていた義一氏は、この事故で跡継ぎの長男克之氏を亡くしている。「安全なくして花火の発展なし」。この信念を掲げるリーダーにとって、身内を襲った悲劇がいかに断腸の思いであったかは、想像に難くない。この事故を最後に、土浦火工での火災事故は確認されていない。 現在、宍塚山の工場跡入り口には、折れ曲がった「土浦火工」の看板が往時をしのばせるのみである。一方で、昭和火工の跡地は、今も業界大手の玩具花火メーカーの倉庫として活用されている。形を変えながらも、そこは今なお子供たちに夢を発信する空間であり続けている。 「花火のまち」土浦。千紫万紅(せんしばんこう)のごとく秋の夜空を彩る閃光(せんこう)の裏側には、火薬と向き合い、時には命を賭して技術を磨き上げた先人たちの、苛烈な歴史が刻まれている。本日はこれにて打ち留めー!(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「土浦消防三十年のあゆみ」(土浦市消防本部、1980年刊)「土浦町内ものがたり」(本道清、常陽新聞社、1989年刊)「日本煙火協会参拾年史」(日本煙火協会、1993年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「花火師たちの記憶/DVD」((有)茨城ビデオパック、2025年完成)

免許失効したまま公用車など運転 市職員を減給処分 土浦市

土浦市は15日、同市都市整備課の男性職員(33)が昨年7月4日から8月13日までの間=当時は別部署に在籍=、運転免許が失効した状態で自家用車で通勤していたほか、同期間中の8日間、計9回にわたって公用車を運転するなど交通法規違反を行ったとして、同日付で男性職員を1カ月間減給10分の1の処分にしたと発表した。 市人事課によると、男性職員は有効期限が7月3日までの運転免許証の更新手続きを失念した。8月13日に本人が免許証を更新していないことに気付き、翌14日に更新手続きを実施した。 今年4月、本人から申し出があり発覚した。同市では毎年4月、職員に対し、運転免許証の有効期限などを含めた自動車運転報告書を提出させている。同報告書提出の際、本人が申し出たという。 処分内容については、市職員分限懲戒審査委員会を開き、同市の前例や他市の状況などから減給処分とすることを決めたとしている。併せて、管理監督責任があったとして、異動前の当時の課長を口頭注意とした。 安藤真理子市長は同日「運転免許の確認についてはこれまでも再三にわたり指導してきたが、このような交通法規違反により市民の信頼を損なってしまったことを心よりお詫びします。二度とこのようなことがないよう、法令遵守、服務規律の確保を徹底し市民の信頼回復に努めます」などとするコメントを発表した。今回の事態を受け、職員全員を対象に、各所属長が運転免許証の原本をチェックし有効期限を確認するとしている。

つくばで7年ぶり復活、土浦は初開催へ 筑波山で二つの自転車レース

筑波山の峠を駆け上がる自転車レース、ヒルクライムが、筑波山南側のつくば市と土浦市でそれぞれ開催される。つくばはコロナ禍で休止して以来7年ぶりに復活し5月31日に開催される。土浦は6月14日に初めて開催される。 標高にちなみ877人募集 つくば つくばのレースは「ツール・ド・つくば2026」。同市平沢、平沢官衙遺跡から、筑波山の不動峠と風返し峠を抜け、中腹のつつじケ丘駐車場を目指す全長12キロ、高低差500メートルの本格的な登坂ルートを走る。参加予定人数は、筑波山の標高877メートルにちなんで877人に設定されている。 2009年、つくば青年会議所が主催し始まったが、コロナ禍で2019年大会を最後に休止となった。コロナが明けてからすぐに再開する意向だったが、青年会議所のメンバーが毎年変わるなどからノウハウの引き継ぎができなかった。 そんな中、同市北条の廃校にBMXレーシングコースがある自転車の拠点「サイクルパークつくば」が2023年にオープンしたことが追い風となり(23年10月31日付)、同拠点を管理運営する指定管理者で、弱虫ペダルサイクルチーム運営会社の「スペースプロジェクト」社員や、つくば青年会議所の現役メンバーとOB、市役所職員などで実行委員会を組織し再開する。 競技はロードバイク、マウンテンバイクの2部門あり、エントリーは年齢別、男女別などに分かれる。大会の拠点となる受付や開閉会式は「サイクルパークつくば」の体育館で行われ、当日は朝7時に競技がスタートする。5月31日はスタート地点から風返し峠・不動峠周辺までが全面通行止め、風返し峠からつつじヶ丘駐車場までが片側交互通行となり、交通規制が敷かれる。 スペースプロジェクトの笹谷悦明さんは「つくばと土浦はほぼ同時期に開催され、関連はないが、エントリーする人は重なっているようだ。つくばは7年ぶりの大会なので、多くの参加者に楽しんでもらいたい」と話す。 初挑戦を後押しする部門も 土浦 土浦市で初開催される「筑波山・朝日峠ヒルクライム2026」は、同市小野の交流施設、小町の館をスタート地点として、筑波山の朝日峠、筑波パープルラインを越え、つくば市と同じ中腹のつつじケ丘まで走り抜ける全長15.7キロ、高低差500メートルのコース。 本格的なヒルクライマーだけではなく、初挑戦の人を後押しする「のんびりエンジョイ」や「コスプレの部」など、誰もが楽しめるよう多様な参加カテゴリーを設ける。参加者それぞれのタイムに応じて「金のガマ、銀のガマ、銅のガマ」を全員に進呈するほか、コース序盤の「朝日峠」区間でトップタイムとなった選手に特別賞を贈るなど、特徴的な取り組みも企画する。一般男女の参加費6877円は、筑波山の標高877メートルにちなんで設定した。 ナショナルサイクルルート「つくば霞ケ浦りんりんロード」の拠点でもある土浦市では、オフロードレースのシクロクロスを始め、さまざまな自転車イベントが年間を通して開催されており、新たに本格的なヒルクライムレースが加わる。朝日峠など土浦市のヒルクライムコースの認知度を高め、「自転車のまち土浦」の新たな魅力発信を図る狙いがある。 大会当日の交通規制は、小町の館から風返し峠、不動峠周辺までが全面通行止め、風返し峠からつつじケ丘駐車場までが片側交互通行となる。 ◆「ツール・ド・つくば 2026」は5月31日(日)開催。コースは平沢官衙遺跡をスタート〜県道138号線〜不動峠〜県道236号線(表筑波スカイライン)〜風返し峠〜ゴールはつつじヶ丘駐車場。エントリー期間は5月17日(日)まで。参加費は一般男女(高校生以上)8000円、ジュニア(小学5年~中学生)7000円、下山サポートライダー無料。主催はツール・ド・つくば 2026実行委員会、問い合わせは電話029-883-0035(つくばサイクルパーク内、スペースプロジェクトの笹谷悦明さんへ。メールはBMX298@icloud.com、エントリーはこちら。 ◆「筑波山・朝日峠ヒルクライム2026」は6月14日(日)開催。コースは小町の館をスタート~朝日峠~筑波パープルライン~ゴールはつつじケ丘駐車場。参加予定人数は800人。エントリー期間は6月7日(日)まで。参加費は一般男女(高校生以上)6877円、小中学生2980円、小学3年生以下は「のんびりエンジョイ」部門の出場となり親の同伴が必要。主催は筑波山・朝日峠ヒルクライム実行委員会。問い合わせは電話090-1486-5770(南野道宏さん)、エントリー方法はこちら。

学生たちの「空への挑戦」 半世紀越し技術遺産に認定 人力飛行機「ストークB」

国立科学博物館が所蔵し、筑西市の科博廣澤航空博物館に展示されている人力飛行機「日大式ストークB」が4月16日、一般社団法人日本航空宇宙学会から「航空宇宙技術遺産」に認定された。ストークBは1975年から77年にかけて、日本大学理工学部の学生たちが卒業研究として開発した人力飛行機で、77年1月に2093.9メートルを飛行し、未公認ながら、当時の人力飛行世界記録を樹立した。今回の認定では、人力飛行を世界に広く認知させ、その成果が航空技術者の育成にも寄与したと当時の学生たちの挑戦が再評価された形だ。 世界記録打ち立てた35.9キロ ストークBの機体重量は35.9キロ。0.3から0.4馬力ほどの人力で飛行するため、和紙など日本独自の素材や技術を取り入れることで極限まで軽量化が図られている。現在は、筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」内にある科博廣澤航空博物館で一般公開されている。展示では、飛行中を思わせるように天井から吊り下げられており、大きく広がる翼を見上げた来館者からは「これが本当に人力で飛ぶのか」と驚きの声も上がるという。 同博物館では、戦後初の国産旅客機「YS-11」量産初号機や、映画「南極物語」の題材にもなった、カラフト犬のタロとジロの生存発見・救出に活躍した実在の大型ヘリコプター「シコルスキーS-58」、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)など、日本の航空史に名を残す実機が約10点展示されている。そのうち7点が国立科学博物館によるものだ。展示品で同遺産に認定されたのは、YS-11、JAXA から提供された国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟に続き、3例目となる(24年2月1日付、同4月26日付)。 施設を運営する広沢商事の野口稔夫専務は「日本大学の学生の皆さんが、自分たちの手で作って空を飛んだ機体。当時の若い人たちが、本気で『空を飛びたい』と思い挑戦した。その思いが詰まっている」と語る。 認定後の大型連休には、「ストークを見に来ました」という来館者の姿も見られたとし、「写真や映像で見たことがあっても、本物を目の前で見ると迫力が違う。天井から吊り下げているので、本当に飛んでいるように見える。下から見上げると、翼の大きさや機体の軽さに驚かれる方が多い」。和紙で作られていることに驚く人も多く、「こんな素材で飛んだのか」と足を止める来館者もいるという。 実物が残るから、挑戦は伝わる ストークBを所有する国立科学博物館・産業技術史資料情報センターでセンター長を務める前島正裕さんは、今回の認定について「私たちが大切に残してきた資料の価値を、学会にも認めていただけたようでありがたい」と受け止める。国立科学博物館では航空機や実験装置、部品など、日本の科学技術の歩みを伝える資料を収集・保存している。ストークBは以前、東京・上野の国立科学博物館で展示されていたが、大型機体のため長く収蔵庫で保管されていた。前島さんは「ヒロサワ・シティの協力で、また多くの人に見てもらえるようになったことがうれしい」と笑顔を見せる。 さらに「機械や部品は、美術品のように見てすぐ価値が分かるものではないからこそ、この資料がどういう研究や挑戦に使われたのか、誰がどんな思いで作ったのかを伝えていく必要がある」とし、「実物が残っていなければ、その挑戦があった証拠も残らない」と、資料保存の意義を強調する。ストークについても「今は、テレビの『鳥人間コンテスト』などで人力飛行機を目にする機会があるけれど、最初に挑戦した人たちは、本当に飛べるのかも分からない中で挑戦していた。『こんなに大きな翼が必要なんだ』『こんなに軽いんだ』ということは、実物を見ると一瞬で伝わる。言葉よりも本物には力がある。是非、間近で見ていただきたい」とし、「ストークを作ったのは特別な誰かではなく、当時の大学生たち。今の子どもたちから見れば、少し年上の『先輩』ですよね。『こんな挑戦をした人たちがいたんだ』と感じてもらえたら」と語った。(柴田大輔)