火曜日, 12月 2, 2025
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【民生委員】㊤ 担い手不足と高齢化 つくば

【橋立多美】住民の生活相談に応じて行政に橋渡しをする民生委員が今月、3年ぶりに全国一斉に改選された。困ったときの地域の「見守り役」だが、高齢の単身世帯や高齢者のみの世帯が増える一方、なり手不足などによる高齢化で「老老見守り」が進む。

今月の改選で2期目に入った50代女性は、担当区域で身寄りのない高齢男性の孤立死を経験した。

最初に訪問した時はパジャマ姿で現れ、「民生委員なんかの世話にはならない」と怒鳴られた。恐る恐る訪問するうちに玄関の椅子を勧めてくれてパジャマは洋服になった。

次の訪問で終活の相談に乗ることになっていたが、その日を待たずに亡くなった。「もっと早く訪問すればよかった」と今も自分を責める。

オートロックに阻まれて

女性によれば訪問はおおむね月1回、認知症の発症が疑われるなど目配りが必要なケースは毎週。さりげない地道な見守りは毎日のことだという。

訪問をかたくなに拒んだり、居留守を使う人もいる。ある委員は「民生委員に相談していることを知られたくない人の家には暗くなってから訪問する。それが民生委員の常識」と明かしてくれた。

「マンション1階玄関のオートロックに阻まれて会うことすら難しい」と話すのは田中邦宏さん(79)。TX沿線開発で誕生した高層マンションが林立する研究学園地区担当で、約860世帯を受け持つ。

まれに1階の共有スペースに降りてきてくれる人もいるが、インターホン越しでは会話は成立しない。「近所付き合いが面倒でマンションを購入した人が多く、一歩一歩やっていく」と話す。

茎崎地区で4期民生委員を務める片岡三郎さん(76)は、ほぼ毎夕、宝陽台団地の単身高齢者34世帯を見守るパトロールを続けている。昨日と違っているところはないか、電灯が付いているか、と注意を払う。

これまでに急に手足がしびれ、車庫で動けなくなった高齢者を見つけたり、徘徊する女性を見つけ、牛久の家族の元に帰したことがある。

改選のたびに適任と思う何人かに頼んでみたが「仕事が忙しい」「向いていない」と断られた。使命感から続けてきたが、ようやく60代の後任者が見つかった。「今期3年を悔いのないように努めたい」。

60代、70代で9割占める

民生委員は市町村の推薦で厚生労働相が委嘱する非常勤の地方公務員。任期は3年(再任可)で全国に約23万人、県内には約5千人いる。月1万円程度の活動費が支給されるだけで報酬はない。守秘義務があり、児童や妊産婦を支援する児童委員も兼ねる。

市社会福祉課によると、今月の改選時の定数271人に対し欠員は7人。再任は206人で新たに58人が推薦を受けた。30~80歳代で構成されているが60歳代が5割(133人)、70歳代が4割(110人)を占め、75歳以上の後期高齢者は21人いる。

国は「民生委員は原則75歳未満」としていたが、なり手不足を受けて2007年に年齢基準を緩和した。多くの自治体が国の通知に沿って選任したことで高齢化が進んだ。同課の木本係長は「75歳を目安として地域の事情に詳しく健康な人を推薦している」と話す。

担い手がさらに不足しかねない動きがある。国が進める高齢者の就業拡大だ。安田課長は「共働きや定年後も働く人が増え、支援が必要な人を支える分母の人数が減っている」と表情を曇らせた。

2018年度中に民生委員が受けた相談件数は7528件で年々増加している。介護保険や生活困窮の相談をはじめ、家族形態の変化に伴って家や墓の後継者問題など困難化しているという。安田課長は「日常的に地域に目を配り、相談に乗って支援することは行政には難しく、民生委員に助けられている」と話してくれた。(つづく)

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)