金曜日, 12月 12, 2025
ホームつくば半世紀前「山津波」が襲った… 筑波山麓で地元団体が防災訓練

半世紀前「山津波」が襲った… 筑波山麓で地元団体が防災訓練

【相澤冬樹】猛威をふるう自然災害のニュースが各地から伝わる中、土砂災害警戒区域に指定されている筑波山麓の集落で「里の防災訓練」と銘打ったイベントが6日、地元民間団体の手によって催された。半世紀以上前に起こった「山津波」の現場を見学、被災の様子を経験者から聞いて、今後の防災に役立てようと筑波山麓グリーンツーリズム推進協議会が事務局となり、広く参加を呼び掛けた。

つくば市臼井の筑波山南麓にある里、六所集落が訓練の舞台。同協議会が管理するかやぶき小屋に約30人の参加者が集まって、自前の炊き出しをはさんで、被害体験や防災講義を聞いた。

最後の頼りは「共助」

同所は1966年7月2日未明、突如として起こった山津波に集落の一部が飲み込まれ、8戸が土砂に埋まる被害に遭った。今でいう土石流で、筑波山スカイライン管理事務所下で民間の開発業者が造成していたダムが折からの豪雨で決壊、一気に山を沢伝いに押し流した。人災として開発業者との賠償問題にも発展した事案だった。

山津波体験を語る木村嘉一郎さん

当時の経験を語ったのは同集落の元区長、木村嘉一郎さん(91)と小美玉市在住の田村(旧姓・松崎)直子さん(63)。木村さんは、発生時刻とされる2日午前0時10分ごろ、講屋(ごや)と呼ばれる集会所にいたが、次第に大きくなる音で、真っ先に異変に気づき、仲間たちを起こし、自宅や周囲に避難を呼び掛ける役を担った。

「田植えが終わった後、皆で労をねぎらう『さなぶり』の宴席があった。15、6人集まっていたが、雨で翌日の作業もないから、酔っ払って寝入ってしまう者もいた。酒を飲めない自分は、酔い潰れることはなく、話し相手になっていたから、0時を過ぎて大きくなるごう音に気づいた。後で新聞記者に聞かれて、米軍爆撃機の『B29みたいだった』と言ったら、そのまま記事になった。時間にして3~5分ぐらいだったろうか。真っ暗で何も見えない中を逃げ出した。3時ごろになって辺りが白んできて、戻ってみると講屋は泥に埋まっていた」

この山津波で死者は1人も出なかったが、寝込んだところを襲われ、自宅で泥流に巻き込まれたのが当時小学生の田村さんだ。唯一の重傷者として被災者リストに載った。「一緒に寝ていた母親は川に流され、救助されたのだけど、私は蚊帳にくるまってしまっていた。2カ月間入院し、ショックから目が見えなくなる症状まで出て大変な思いをした」という。家はかやぶき屋根と柱が残っただけだった。

木村さんによれば、当時の筑波町役場は被災者救済に熱心で、補償交渉の仲介にも入っていたが、ある時を境に急速に手を引いてしまったという。「復旧というか、復興事業を考えたら、人災というのはまずい。国の支援が遠のいてしまうと町は考えた。なので被災者は微々たる補償で納得するしかなかった」と証言する。「公助、自助、共助というが、最後に頼りになるのは共助しかない」と普段付き合いの中での防災意識の共有が大切と結んだ。

そうした経緯から整備されたのが、集落の北東を流れる沢にある「六所の滝」上流に出来た砂防ダム。この日の防災訓練では、土木技術専門家、大塚太郎さん(49)を招き、現状を見て回るなどした。大塚さんは「洪水被害を除けば、茨城県は災害の少ないところ。そのことが逆に防災への備えを甘くしているところがある。筑波山の山津波は数十年に一度は起こっていることだし、小さな山崩れはたびたびあるようだ。警戒を忘れてはならない」とアドバイスした。

ロープ結束や土のうづくりを学ぶ参加者たち=六所かやぶき小屋

➡筑波山麓、六所地区の過去記事はこちら

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

人類救済と日常生活の話《映画探偵団》95

【コラム・冠木新市】フランシス・フォード・コッポラ監督は、ベトナム戦争を描いた大作映画『地獄の黙示録』(1979)の撮影で数々のトラブルに悩まされていたとき、フェデリコ・フェリーニ監督の映画『8 1/2』(1963)を見て心を慰めていたという。世界映画史の上位に常にランクされる同イタリア映画は、日本では東京オリンピック(1964)の翌年、アートシアター系の劇場で公開され、難解な作品として話題になった。 この映画は、車の中にガスが充満してきて、必死に脱出を試みる映画監督グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)の悪夢シーンから始まる。そして、ラストシーンはグイドが準備中だった「原子力戦争で生き残った人々が地球脱出をはかる」内容の映画をクランクインするシーンだ。 つまり、このドラマは「人類救済」をテーマにした映画作りに取り組む、一監督の苦労を描いたもので、彼の作品創造の秘密を解明している。しかし、創造の秘密といっても、それは技術上のことではなく、作品を完成させる上での自信、インスピレーションなど、グイドの内面に焦点が当てられている。 温泉療養所やホテルで暮らすグイドの内面に湧いてくるのは、亡くなった両親、自分の少年時代の追憶、そして妻、浮気相手、理想の女性クラウディアに関する夢など、準備中の映画とは関係ないことばかりだ。「人類救済」という大テーマに取り組みながらも、日常生活では妻や浮気相手の女性、過去の出来事との間で混乱するグイドの姿が浮き彫りにされる。 ユニークなのはその表現方法だ。前半では追憶や夢のシーンと現実シーンとの移行が明瞭だが、後半になるとそれらの境目が曖昧になる。グイドと妻のいる現実の場面に妄想の浮気相手が出てきて、妻と仲良く踊りだす。リアルな人物描写と相まって、グイドの混とんたる内面を表現する絶妙な効果をあげている。今では理解できる表現だが、1965年当時、日本の観客は混乱の極致だった。 人生は祭りだ 共に生きよう ラストシーンの直前で、日常生活と仕事に疲れ切ったグイドが、記者会見の席上でピストル自殺をはかる幻想にとらわれる。そして制作を中止、セットが破壊されてゆくその瞬間、突然、グイドはインスピレーションを受ける。「混乱を整理するのではなく、あるがままを受け入れること…それは愛だ。人生は祭りだ。共に生きよう!」と。 ラストシーンは映画史に残る名場面だ。宇宙船発射場セットの幕を引くと、階段からどっと白い服を着た人たちが降りてくる。現実の映画関係者や夢や追憶に登場した人物である。人々は輪になって踊りだす。現実と夢、内面と外面世界が融合した瞬間だ。その輪にグイドはもめていた妻と加わる。人類救済と日常生活は個人の内面で深く結びついている。 今年諸事情で開催を延期したイベントを、来年の開催に向けて準備中である。誰でも経験すると思うが、種々のトラブルはつきものである。ふと『8 1/2』を見たくなったのは、そのためか。だが、悩みながらも混乱する世界の救済と結び付いていると信じて取り組んでいる。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家) <お知らせ> 物語観光:つくつくつくばの七不思議セミナー(参加費無料)・日時:12月13日(土)午前10時半~・場所:カピオ中会議室・内容:映画『サイコドン』上映、出演者の話、唄、踊りなど

無人のダンプが坂下り出し 軽トラの女性けが つくば市発注の水道工事

筑波山中腹 11日午前11時30分ごろ、つくば市臼井、筑波山中腹の坂道で、同市発注の水道管布設替え工事中、道路脇に停車していた無人の2トンダンプが動き出し、約30メートル下った先の住宅敷地内に停車していた軽トラックに衝突、軽トラックははずみで住宅の玄関に衝突し、乗っていた女性が打撲など軽いけがを負った。 市水道工務課によると、現場は筑波山神社に続く生活道路で、工事を受注した市内の業者が老朽化した水道管を取り替える工事中、前方を坂の下に向けて停車していたダンプが前に動き出した。ダンプは事故時、交換した水道管を埋め戻すための砂を積んでいた。サイドブレーキはかけていたが、車止めは設置していなかったという。 けがを負った女性は、出掛けようと軽トラックの運転席に乗ったところ、左後ろの荷台付近をダンプに衝突された。住宅の玄関は、庇(ひさし)を支える木製の庇柱2本が折れるなどした。衝突の影響で軽トラックのドアが開かなくなり、消防署が女性を救出、女性は救急車で病院に運ばれた。 女性は現在、自宅療養中で、事故原因は調査中としている。 同市の五十嵐立青市長は「事故によりけがをされた方に深くお詫びします」とするコメントを発表し、「再びこのような事故を起こさぬよう、受注者に、現場の安全対策の再確認や現場作業員に対する安全対策の再教育を指示」し、さらに「現在工事を受注している全事業者に対しても、安全対策に関する指導を徹底します」としている。

11年ぶりのお色直し つくばエキスポセンター H2ロケット

つくば駅前の中央公園に隣接するつくばエキスポセンター(同市吾妻)で、同センターのシンボルであるH2ロケットの全面塗装工事が始まった。ロケットは実物大模型で高さは約50メートル。11月25日から足場の組み立てが進められており、来年3月30日に完了する予定だ。底辺部から先端部分まで全面的にお色直しする。1990年の設置以来、ほぼ10年ごとに塗り替えを行っており、今回は2014年以来11年ぶりとなる。 エキスポセンターは、1985年に開かれた「科学万博つくば’ 85」の第2会場として建てられ、万博閉幕翌年の1986年に科学館として再オープンした。当時、世界最大だったプラネタリウムをはじめ、万博関連資料が展示されているほか、最先端の科学技術をわかりやすく紹介している。 今回、お色直しされるH2ロケットの模型は、初の純国産大型ロケットして1994年に1号機が打ち上げられた「H2」を模したもの。1989年の横浜博覧会で展示された模型を1990年6月にエキスポセンター屋外展示場に移設した。以来、つくば市中心地区のシンボルとして、長く市民に親しまれている。 今回の塗り替えについて、エキスポセンターの中原徹館長は「2014年の塗装後、塗装落ちなどが見られたため調査を行った結果、全面塗装を行うことになった。色やデザインの変更はない。来春には塗装を終え足場を取りはずしますので、市民の皆様にはぜひ完成を楽しみにお待ちいただければ」と語った。 作業の進ちょくは、つくばエキスポセンターのホームページなどで知らせる予定だ。(柴田大輔)

原因は強い太陽フレア 低速自動運転車の接触事故 つくば市

乗客を乗せてつくば市が実証実験を実施していた低速自動運転モビリティ(車両)が11月12日、つくば駅周辺でスロープの手すりに接触する事故を起こし運行を中止している問題で(11月13日付)、同市は10日、接触事故の原因について、事故当日に発生した強い太陽フレアによる通信障害により、GPSを受信して車両の位置などを測定する衛星測位精度が低下し、車両の位置情報の誤差が大きくなったことと、強い太陽フレアの発生などに備えた車両側面の範囲を検知する接近センサーの不備が原因と考えられると発表した。 市科学技術戦略課は今後の対策として、①強い太陽フレアが発生した場合に備えて車両側面の接近センサーを追加搭載し最適化する ②運行ルートに応じて安全を確保するために設けるゆとりの範囲を見直す ③衛星測位精度が低下した際はさらに低速で運転したり停止するなど車両の動き方を見直すーなどを実施した上で、13日から16日の4日間、乗客を乗せないで、実証実験のルートと同じつくば駅前からつくばカピオ前まで、公道のペデストリアンデッキで試験走行を実施するとした。 試験走行では①車両側面の範囲を検知する接近センサーの搭載台数と配置の最適化、②障害物接近時における減速や停止など車両挙動の確認などを検証する。 接触事故は、低速自動運転モビリティが、同市竹園1丁目のイベントホール、つくばカピオの敷地内に設置されているスロープを時速3キロで走行し方向転換した際、スロープの手すりに接触する事故を起こした。事故時、運転手と一般の乗客2人の計3人が乗車していた。 当初計画では来年1月15日から26日にも一般市民を乗せて実証実験を実施する予定で、同課は、13日~16日の試験走行の検証結果をみて、運行を再開するか否か検討したいとし、「原因究明結果を真摯に受け止め、再発防止に努めると共に、今回の調査で得られた知見と経験を今後の事業運営に反映し安全な運行の確立に取り組んいく」としている。