木曜日, 6月 5, 2025
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レトロな加速器舞台にアート&サイエンス 9月7日 高エネ機構一般公開

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アーティスティックな照明に彩られたコッククロフト・ウォルトン型加速器=21日、高エネルギー加速器研究機構

高エネルギー加速器研究機構(KEK、つくば市大穂、浅井祥仁機構長)は9月7日(土)、宇宙や物質の成り立ちに迫る最先端の実験装置など16施設を一般公開する。目玉企画として、地階に眠る形だった「コッククロフト・ウォルトン型加速器」のほこりを払い、アート&サイエンスプロジェクトの舞台装置としてお披露目する。

コッククロフト・ウォルトン型は1972年に初運転したレトロな加速器。1976年から2005年まで稼働した「12GeV陽子シンクロトン」という加速器に、高電圧をかけた負水素イオンを送り込むための前段加速器として活躍した。

その形状がユニーク。高電圧を得るため、コンデンサーと整流器を何段かに重ねた回路構造が形作られ、整流器がはしごのように見えている。絶縁体の碍子(がいし)周りには丸みを持ったつばのような放電防止の装置「コロナリング」があり、天辺には巨大な立方体のような箱があって周囲を圧している。

装置は陽子シンクロトン加速器準備棟の地階にあり、部屋は大気圧の放電に耐えるため、銀色の金属壁で囲われて、神殿のようにも見える独特の雰囲気を醸している。同型の加速器は2基あり、1基は解体されたが、もう1基は往時のまま残され、過去のKEK一般公開でもインスタ映えするスポットとして人気があった。

これに目を付け、アート&サイエンスプロジェクトの舞台演出を仕掛けたのが多摩美術大学(東京都世田谷区)の森脇裕之教授。1971年設立のKEK50周年に、同加速器を舞台にしたパフォーマンスを行った。タイトルは「テンプラム・フレクエンティア(周波数の神殿)」。LEDライトで幻想的に染められた金属壁の空間で3人のダンサーが、4人のコーラスに合わせて踊った。

2021年11月の50周年記念式典に向けた企画だったが、折からのコロナ禍で一般公開は断念、収録したパフォーマンス映像をYoutubeなどで公開するにとどまった(リンク先はこちら)。

今回の一般公開ではタイトルはそのままに、同じ照明を再現して展示する。一般公開のポスターやチラシでもコッククロフト・ウォルトン型を前面に押し出したデザインを採用している。

森脇教授によれば、解体されたもう1基もKEK内に保管されており、「屋外でアート&サイエンスを展開する際の科学遺産として活用を考えていきたい。今回を資金の公募などを考えるきっかけにしたい」と語っている。

昨年の一般公開の様子

今回は次世代型の試験加速器であるERL(Energy Recovery Linac、エネルギー回収型線形加速器)も公開され、研究者らによる解説が聞ける。大強度で高品質の電子ビーム生成を目指しながら、加速とは逆の減速のエネルギーを再利用する、SDGsな加速器ということだ。

開設当初からの恒例行事だったKEKの一般公開はコロナ禍での中断、オンライン開催を経て4年ぶりに復活した昨年は、約3700人の参加者を集めた。今回も研究成果を紹介するブース展示や体験コーナー、研究者によるトークイベントなど実施する。(相澤冬樹)

◆「高エネルギー加速器研究機構一般公開2024」は9月7日(土)午前9時~午後4時30分、つくば市大穂KEKつくばキャンパスで開催。入場無料。TXつくば駅から往復する無料のシャトルバスと、構内を10分間隔で循環する無料バスが運行する。駐車場あり。暑さ対策として構内17カ所に給水スポットを設置。正門近くで食堂・喫茶室やキッチンカーが営業する。詳しくは特設ページへ。

なぜ宍塚にマツムシとクツワムシがいないのか 《宍塚の里山》116

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宍塚のスズムシ

【コラム・中原直子】枕草子に代表されるように、日本には古くから秋の風物詩として鳴く虫を愛(め)でる文化があります。明治時代に作られた「蟲のこゑ(むしのこえ)」という唱歌もその一つで、今も多くの人に歌い継がれています。

この歌には、マツムシ、スズムシ、コオロギ、クツワムシ、ウマオイの5種の秋に鳴く虫が登場します。歌が作られた当時、彼らは人々の身近に普通にいる鳴く虫だったのでしょう。しかし今では、この5種類の虫の声を同時に聞ける場所は非常に少なくなっています。

宍塚の里山では、スズムシとコオロギ(エンマコオロギなど)、ウマオイ(ハヤシノウマオイ)の3種類の声が聞こえますが、マツムシとクツワムシの声は確認できません。どうして、マツムシとクツワムシがいないのでしょうか。

その前に、秋の鳴く虫とはいったいどのような虫か説明しましょう。秋の鳴く虫の多くは、雄が前翅(ぜんし)に発音器を持っています。その構造や発せられる音は種によって異なり、雌への求愛や雄に対する威嚇、他の種との識別、時には天敵への威嚇など、様々な情報を伝達する役割があります。

そのため、音を受け取る器官も発達しており、コオロギやキリギリスでは前脚に音=空気の振動を伝える鼓膜器官があります。私たちが愛でている虫の声は、彼らの種の維持のためのツールの一つなのです。

多くの種は飛べますが、その能力は種によってまちまちです。宍塚にいるスズムシやコオロギ類、ハヤシノウマオイは、どれも飛ぶ能力が高く長距離を移動できる種です。一方、宍塚にいないマツムシとクツワムシは飛んで移動することが少なく、生息するために良好な環境が無くなると、姿を消してしまいます。そのため、宍塚ばかりでなく、茨城県全域で数を減らしています。

普通種が普通種でなくなる時代

マツムシは、チガヤやススキが生育する風通しの良い明るい草地を好みます。クツワムシは、クズが絡む明るい林の縁を好みます。どちらの環境も、人の手が入らなくなったり開発されたりして、無くなっていく一方です。

宍塚にはこの2種が生息できるような環境はあるのですが、なぜか確認できません。昔はいたのか調べようにも記録が残されていないので、過去生息していたのか、それとも分布の空白地帯であったのか謎のままです。しかし、周辺市町村にこの2種がかろうじて生息している場所があることから、おそらく、宍塚にもいたのではないかと考えています。

一度環境が変わって絶え、環境が回復しても都市化や道路によって生息地が分断され、緑の島となっている宍塚に再び入ることができなかったのではないかと推察しています。

生息地が分断されてしまうと、移動能力が低い生物種は生息地が消失しそうになった時にどこかへ逃げることもできないまま、その地域からいなくなってしまいます。近年、これまで普通に見られた生物種が地域絶滅の危機にひんしています。普通種が普通種でなくなる時代となっているのです。

スズムシも全国で見ると減少傾向にある種ですが、移動能力が比較的高いため、つくばや土浦の都市部や住宅地でも、好適な環境が点在していれば生息しており、きれいな鈴の音を聞くことができます。野外で聞くスズムシの声音は、飼育されているものと違い、角がなくまろやかで聞き心地が良く感じられます。

この秋、涼しくなった夜に虫の声を聞きに来ませんか。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

<宍塚月例テーマ観察会「鳴く虫」>
9月14日(土)18:30~20:30。9月2~8日にHPで申込み受け付け。

猫を飼う人のための賃貸住宅 つくば・二の宮団地にお目見え URで全国初

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壁に猫用ステップ、キャットウォーク、猫用ボックスが設置されているリビング

9月14日から入居申込受け付け

猫を飼う人のための賃貸住宅を、UR都市機構がつくば・二の宮団地に新たに設け、9月14日から入居の申込受け付けを開始する。猫を飼う人専用の住宅はURで全国初。

「ねころぶ住宅」と名付けたペット共生住宅で、同団地5号棟1~4階の5戸を改修した。猫と暮らしたい人のニーズに応えるなど、くらしの多様化に柔軟に対応するのが目的。

天井近くのキャットウォークに設置された猫用ボックスでくつろぐ猫

室内は①リビングの壁一面に猫が天井近くまで上り下りできるステップやキャットウオークなどを設置してあるほか、②和室や洋室に、入居者がくぎやビスを打って猫用階段や爪とぎなどを自由に設置できるDIY壁を設けてある。

さらに➂リビングや洋室、廊下などの床は猫が滑りにくい耐衝撃に優れた床材を使用し、④和室の畳は耐久性の高い和紙畳を使用している。⑤部屋のドアには猫が行き来できるくぐり戸が設けてあるほか、⑥猫用トイレが設置できるスペースを確保、⑦台所の出入口には格子の侵入防止扉を設置し、猫が立ち入れない一方、飼い主が猫の様子を確認できるようにしている。

猫を飼う人向けの賃貸住宅が設けられるつくば・二の宮団地5号棟

URはすでに、犬または猫をいずれか1匹まで飼育できるペット共生住宅をつくり、共有スペースに散歩で汚れた足を洗うことができる足洗い場などを設けた賃貸住宅を導入しているが、室内を立体的に動き回る猫の特性に特化した、猫を飼う人専用の賃貸住宅は初めて。ねころぶ住宅では猫を2匹まで飼うことができる。

◆ねころぶ住宅は、つくば市二の宮4-8-3、つくば・二の宮団地5号棟(4階建て)で5戸の入居を受け付ける。2LDKが3戸、3LDKが2戸で、家賃は2LDKが月額8万200円~、3LDKが8万5400円~、共益費は月額3800円。家賃は二の宮団地の一般の同タイプより15%ほど高くなる。入居申込受け付けは、9月14日(土)午前10時から、つくば市吾妻1-8-10 Biviつくば2階 UR賃貸ショップつくば駅前の窓口で先着順に受け付けを開始する。事前に内覧することが条件。内覧日は9月5日(木)~8日(日)。詳しくは電話029-855-4045(同窓口)へ。

阿見町の「あみっぺ」と予科練平和記念館《遊民通信》95

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【コラム・田口哲郎】

前略

阿見町の人口が5万人を超えたというニュースがありました。コロナ禍以降の地方移住の機運もあって、阿見町の新たな住宅地としての魅力が発見されたのでしょう。あみプレミアムアウトレットが15年前に開業し、徐々に知名度を上げていたところに、二所ノ関部屋もでき、有名になったと思います。最近は、荒川本郷にホームセンターのカインズ、スーパーマーケットのベイシアがオープンして、ますます郊外都市としての機能が充実しつつあると感じます。

先日、アウトレットのフードコートの一角に、阿見町のPRスペースがあるのを見つけました。阿見町の魅力を伝えるパンフレットなどが置いてあるのですが、そこには阿見町の公式マスコット「あみっぺ」のぬいぐるみもありました。

「あみっぺ」は冒険が大好きな男の子らしいのですが、見た目は白いネコのような風貌(ふうぼう)です。飛行帽とゴーグルをしています。これは、かつてあった予科練の海軍飛行予科訓練生のイメージかと思ったのですが、1929年に霞ケ浦飛行場に飛来した巨大飛行船ツェッペリン号を想起させるものなのかもしれません。「あみっぺ」は飛行船ウォーターメロン号で世界中を飛び回り、阿見町をアピールしているそうです。

予科練平和記念館が伝えるもの

こうして見ると、阿見町は旧海軍の霞ケ浦飛行場があったため、飛行船や航空隊とつながりが深いですね。その中心的施設はやはり予科練平和記念館でしょう。予科練では14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をしたそうです。終戦までの15年間で約2万4000人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9000人に上ったそうです。

パリ五輪で銅メダルを獲得した卓球の早田ひな選手が鹿児島の知覧特攻平和会館に行きたいと発言したことがニュースになりましたが、特攻に関係する施設が阿見町にもあるのですね。

展示を見ていると、青年飛行隊の存在がひしひしと感じられます。特攻を肯定するか否定するかに関わらず、彼らが実在し、懸命に飛行訓練を行ったこと、そして悲しいことに飛行機ごと敵の戦艦に自爆的に突撃した事実は変わりません。若き青年がどんな思いで飛び立って行ったのか、祖国の勝利のための犠牲となることをどのように受け入れたのか…考えると胸が痛くなります。

平和な世の中が末長く続き、阿見町のように日本中の町々が発展することを願わずにはいられません。ごきげんよう。

草々 

(散歩好きの文明批評家)

廃食用油を飛行機の燃料に まつりつくばで回収 ホテル日航つくば

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昨年のまつりつくばでは、18リットルの廃食用油が集まった(ホテル日航つくば提供)

ホテル日航つくば(つくば市吾妻 髙田浩総支配人)は、航空燃料への再利用を目的に、一般家庭から出る使用済み食用油を24、25日開催の「まつりつくば 2024」で回収する。場所は同ホテルが出展するテント。昨年に続き2回目の実施で、脱炭素社会の実現に向けた「フライ トゥ フライ プロジェクト(Fry to Fly Project)」の活動だ。プロジェクトには同ホテルのほか国内の自治体や企業など146団体が参加している。

同プロジェクトは、廃食用油を再活用し、持続可能な航空燃料(SAF)を国内で製造することを目的として日揮ホールディングスが始めた。航空機のジェット燃料にSAFを混ぜることで二酸化炭素排出量を抑えることができる。政府は、2030年時点で国内航空会社による燃料使用量の10%を、廃油や植物、廃材などで作られるSAFに置き換え、2050年には二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を実質ゼロに抑えるカーボンニュートラルにすることを目指している。SAFは、従来の化石燃料と比べて二酸化炭素の排出量を80%程度減らせるとされている。

同プロジェクトで集められた廃食用油は、日揮ホールディングス、コスモ石油、レボインターナショナルの3社で設立した合同会社サファイア スカイ エナジー(SAFFAIRE SKY ENERGY)により、2025年度からSAFを製造し、供給を開始する予定だ。

東京―大阪間、1.5便分

ホテル日航つくばでは昨年5月から、ホテルの厨房から出る廃食用油を回収している。昨年のまつりつくばでは18リットルを回収し、今年3月までにホテル全体で合わせて3251リットルを回収した。同ホテルによると、約1年間で集めた廃油から生まれる航空燃料は、東京国際空港(羽田空港)と大阪国際空港(伊丹空港)間の約 1.5 便分の燃料に相当し、7200キログラムのCO2を削減できることになるという。

同ホテルの担当者は「昨年のまつりつくばでは、多くの方が廃食用油の回収に協力してくださった。固めて捨てるという認識が多い中で、廃油の回収はありがたいという声も届いた。自身の家庭で使った油が、航空燃料として実際に再活用されるのは興味深いことだと思う。これからも続けていきたい活動。少しでも会場にお持ちいただけたら」と参加を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆廃食用油の回収は24日(土)と25日(日)の正午から午後9時まで。場所は「まつりつくば」会場内、同ホテルアネックス館そばの同ホテルが出店する2階ペデストリアンデッキのテント。テント内に専用の回収箱が設置される。回収する廃食用油は、1回に付き200ミリリットル以上。ペットボトルや牛乳パックなど中身がこぼれない容器に入れ、調理ごみや水分が入らないようにして持参する。廃油を持参した人には、1回につき1枚、出店される同ホテルのテント内で利用できる「100円引きチケット」を進呈する。

「まちの保健室」 23日までイーアスつくばに開設

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「まちの保健室」で、訪れた人々の相談に応じる筑波大附属病院の看護師ら=イーアスつくば2階

看護師らが無料で健康相談

つくば市の大型商業施設イーアスつくば(同市研究学園)に21日、「まちの保健室」が昨年に続いて開設され、筑波大学附属病院(同市天久保)の看護師や助産師らが、訪れた人の生活習慣病や家族の認知症、介護の心配に関する無料健康相談や、血圧、血糖値、脈拍の測定をするなどした。

同イベントは県看護協会が主催する。23日まで開催され、22日はいちはら病院(同市大曽根)、23日は筑波学園病院(同市上横場)の看護師や薬剤師らがそれぞれ担当する。

助産師による妊娠、出産、育児に関する相談ブースでは21日、赤ちゃん人形の抱っこ体験や、妊婦ジャケットを用いた妊婦体験も実施された。今年から新たに県薬剤師会の薬剤師も参加し、薬に関する疑問や不安について直接、薬剤師に相談することもできる。

指先で血糖値を測る看護師

県看護協会は、水戸市や守谷市などでも「まちの保健室」を開設している。病院では、患者一人ひとりに対して指導時間が限られる場合があるが、「まちの保健室」では看護師や助産師、薬剤師が丁寧に相談に応じ、地域住民の健康維持や増進に役立てる狙いがある。

同協会つくば地区担当理事で筑波記念病院看護部長の星豪人さんは「まちの保健室は、誰でも、気兼ねなく、ふらっと立ち寄れて、健康に関するどんなことでも相談できる場所。一人でも多くの人に健康意識を持ってもらうお手伝いができれば」と来場を呼び掛ける。

同大附属病院副看護長の飯田育子さんは「専門の知識を持った看護師のほか、人口が増加するつくば市で妊娠、出産、子育てに関する相談のニーズも踏まえ、助産師も参加している」とし「地域の方々の健康に関する悩み、不安の解消と、病気の予防の面から関わっていき、地域貢献につなげたい」と話す。

来店し立ち寄った同市在住の80代女性は「病院に行くか迷うこともあるが、豊富な知識を持つ看護師の方たちがこのような場を提供してくれて非常に助かった。定期的に開催してほしい」と語った。

夫婦で訪れた石岡市の70代女性は「無料で相談できるところが魅力的。血糖値は家で測ることができないため測定できてよかった」と話した。(上田侑子)

◆「まちの保健室」は21日(水)〜23日(金)の午後1時から4時まで、つくば市研究学園5-19、イーアスつくば2階 中央エスカレーター付近(スーパースポーツゼビオ前)に開設される。

僕はつくばの新住民、自分は何者?《けんがくひろば》9

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私の家族(筆者提供)

【コラム・清岡翔吾】僕は高知県の田舎で生まれ育ち、関東の大学を卒業し、就職とともにつくば市の研究学園地区に移ってきました。引っ越してきたときには、ショッピングセンター「イーアスつくば」がまだ建設中で、開発途中の街といった感じでした。

仕事の関係上、つくば市新庁舎をはじめ、研究学園周辺の建物の建設にも携わっており、研究学園地区は自分の人生とともに歩んできた街です。とても親近感が湧いてきます。

これは、子どもが通っている小学校のPTA活動も大きいと思います。現在3人の子どもがおり、慌ただしい日々を送っていますが、長女が幼稚園に通っていたころは、正直、PTA活動に興味がありませんでした。

しかし長女が小学校に上がり、何かやらなければと思い、葛城小学校のPTA活動もあって地区委員を務めました。そこで初めて、学校と保護者、地域との関わりを知り、安全な登下校や学校生活のために、保護者活動の重要性を学びました。

研究学園は第2の故郷

研究学園地区周辺は開発が進み、子育て世代が移り住んできたことで、小学校の数も急激に増えています。そのため、学区など非常に不便に感じることも生じています。特に葛城小学校地区の難しいところは、元々葛城小付近に住んでいた地域住民と各地から移ってきた新住民が暮らす、新旧住民地域となっていることです。

そのような住環境もあり、PTA活動に希薄さを感じることもありますが、現在、葛城小では従来のPTA活動を廃止し、基本的な活動を保護者の方々や地域の方々のボランティアに頼る任意団体となっています。

僕は「研究学園は自分の第2の故郷」と思い、学校関係だけではなく様々な地域活動に参加し、地域を縁の下から支えられればと思っています。

僕はやってもいないことに「できない」と言うのが苦手です。何事にもまずチャレンジします。研究学園地区での活動を通じ、自分が何者なのか、何者になれるのか、探していきたいと思います。(保護者と教職員と地域のみんなで応援する団体『葛小応援団』団長)

民家の光ケーブルを切断 除草作業中 つくば市

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つくば市役所

つくば市は21日、同市高見原で17日午後4時50分ごろ、市発注の水路除草作業を請け負った業者が、民家1軒の光回線ケーブルを切断してしまったと発表した。

市道路管理課によると、水路沿いの電柱にからまっていたツタを引っ張って除去する作業中、電柱に這わせて敷設されていた光ケーブルを切断したという。この事故で民家はインターネットサービスが利用できなくなった。

市は、切断により影響を受けた民間に状況説明と謝罪を行い、NTT東日本に復旧対応を依頼、光回線は19日午後4時までに普及した。

再発防止策として市は、受注業者に対し、周辺状況を把握し細心の注意を払って作業するよう指導したほか、除草工事を受注している全業者に注意喚起を徹底するとしている。

10年間で計1770万円を国に請求せず つくば市 生活保護めぐりまた不適正事務

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新たな不適切事務について説明するつくば市の根本祥代福祉部長(中央)ら=同市役所

市の会計で不納欠損処理

生活保護行政をめぐり不適正な事務処理が相次いでいるつくば市(5月9日付7月20日付)で新たに、2014年度から23年度までの10年間、本来国に請求すべき生活保護費の過支給による徴収不能分 計1771万0826円を国に請求していなかったことが分かった。21日、同市が発表した。国に請求しなかった分は、市の会計で徴収不能として不納欠損処理し、結果的に市が負担していた。

生活保護受給者に年金や就労などによる収入があって支給額が基準より多くなった場合や、本人が他市町村に転居したり死亡するなどして過支給があった場合、市は本人や相続人などに過支給分の返還を求める。しかし最終的に徴収できなかった場合や時効になった場合などは、徴収不能として債権放棄の処理をする。つくば市の場合、2014年度からの10年間で徴収不能とされた過支給による未返還金は174件 計2361万4435円分あった。

生活保護は法定受託事務で、財源の4分の3を国、4分の1を地方自治体が負担している。市は徴収不能の約2360万円の4分の3の約1770万円を国に請求できたが、10年間していなかった。2014年度より以前については資料が保存されてないため不明という。

原因について市福祉部は、国に請求するためには、過支給があった受給者に対し、催促状や催告状を出し、催促や催告した記録を付け、さらに転居した場合は転居先の調査、本人が死亡した場合は相続人の調査などをしなければならない。一方、市は、催促や催告はしていたものの、記録を付けてなかったなど、国に請求するための基準を満たしていなかったため請求しなかったとしている。さらに催促や催告についてのマニュアルはあったが、記録を付けることまでは書かれていなかったとし、管理職も正しいやり方に対する認識が甘かったとしている。

今月9日、市職員から福祉部長に申し出があり、社会福祉課内で調査し請求漏れが判明した。この職員は昨年10月にも課内でこの問題を申し出ていたが、当時は管理職の認識が不足し、問題視されなかったという。

今後の対応と再発防止策について市は、債権管理事務のマニュアルを見直すと共に、具体的な手順や方法を再確認して適切な事務処理を徹底するとしている。さらに生活保護費支給の際は過支給とならないよう適切に事務処理を行うと共に、受給者への説明を十分行い、やむを得ず債権となってしまった場合は、専門部署からの協力も得て債券管理体制を強化するとしている。

五十嵐立青市長は「社会福祉課のこれまでの業務の問題点の調査を行い、現段階では、特に業務遂行における管理職の対応に問題があったと認識している。今後、すぐに対応可能なものは速やかに是正すると共に、調査を継続し、原因究明や再発防止、必要な処分を検討していく」とするコメントを発表した。

整備士不足に対応、アシストスーツを全店導入 ホンダ茨城南

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アシストスーツを装着して作業する深谷さん

全国的な整備士不足に直面する自動車業界で、自動車販売店を県内に15店舗展開するホンダ茨城南(本社つくば市花室、黒田敏之社長)が今年6月から、整備士の身体的な負担を軽減するアシストスーツを全店に計56台導入している。

同つくばみどりの店で整備士として勤務する深谷笑加さん(22)が身につけるのは、アシストスーツ「マッスルスーツソフトパワー」。定期点検などの日常業務で行うタイヤの上げ下げや中腰での作業は腰に負担がかかる。深谷さんは「日常的な負担が減った。疲れが残りにくくなった」と話す。

製品は東京理科大発のベンチャー企業イノフィス社(東京都八王子市、乙川直隆社長)による人工筋肉を応用したもの。イノフィスの担当者によると、ホンダ茨城南で導入されたアシストスーツはサポータータイプのもので、430グラムと軽く動きやすいのが特徴。東京理科大の小林宏教授が介護関係者と考案したのをきっかけに、2013年に製品化し、14年に発売を開始した。腰への負担が大きい入浴時の介助者への負担軽減を目的に、水場でも利用しやすい、電力を使わず空気圧を利用したゴムチューブによる人工筋肉のアシストスーツを開発した。背中に人工筋肉を使ったゴムが入っていて、肩と足にバンドで装着する。かがんだ時に伸びた背中のゴムが、起き上がる際に体を引っ張り上げる仕組みだ。肩と足に力を分散させることで腰への負担が軽減される。現在は介護職以外にも、重量物の持ち運びが伴う建築現場や、中腰や前傾姿勢での作業が多い農・林業でも導入が進み、累計3万台を販売しているという。

ホンダ茨城南の鈴木宗高さん(左)と整備士の深谷笑加さん

若者の車離れ、整備士資格の受験者半減

国交省物流・自動車局自動車整備課が今年3月に発行した「自動車整備分野における人材確保に係る取組」によると、自動車整備専門学校の入学者数は過去18年で約47%減少している。少子化の中で同期間の高校卒業者数が約21%の減少であることを踏まえると、減少率の高さが際立っている。自動車整備士資格の受験者数は過去20年間で、約7万人だった2004年をピークに減少傾向にあり、22年は3万5000人と半減している。一方で平均年齢は上昇傾向にあり、将来的な自動車整備士の確保が課題となっている。

アシストスーツ導入を担当したホンダ茨城南の鈴木宗高執行役員(52)は「以前は車やバイクが好きな人が集まる業界だったが、若者の車離れが進む中で専門学校が定員割れするなど、成り手不足が進んでいる。同業各社の間で人材確保が大きな課題になる中で、せっかくなりたくて整備士として入社した社員が、体への負担から辞めたくないのに辞めざるを得ないケースがある。長く仕事を続けてもらいたいという思いで、アシストスーツを全店に導入することを決めた」と話す。

さらに「けが防止の観点だけでなく、体力勝負の現場で整備工場に冷暖房を完備するなど、会社として社員のためにできることはやるというメッセージを発信し、同時に働きやすい環境づくりに努めているという自動車業界としてのアピールにつなげたい」と思いを話す。(柴田大輔)

里山の暮らしを学ぶ(2)《デザインを考える》11

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イラストは筆者

【コラム・三橋俊雄】コラム10(7月16日掲載)で紹介した里山の暮らしの続きです。奥波見集落は、戸数18軒の、ほとんどが高齢者の集落です。この山村に何度もうかがい、その暮らし方、特に道具との付き合い方が半端ではないことに気づきました。厳しい自然と向き合いながらも、その自然と共生してきた人びとのたくましい姿や、さまざまな生活技術、生活文化と出会うことができました。

例えば、前回ご紹介した桶職人のお宅には、土間に手づくりの「竹製のネズミ捕り」がいくつも仕掛けられ、納屋の糠(ぬか)山には「タヌキ捕りの仕掛け」が忍ばせてありました。納屋に入ると長いベルト駆動の「脱穀機」が置かれ、収穫後の穀物を風の力で選別する「唐箕(とうみ)」が現役で使われていました。座敷には、お嫁に来たときから60年間使い続けているという「箱枕(はこまくら)」(図2)がありました。

ご夫妻からは、「ニウ」についてのお話も伺いました。「ニウ」とは、山で採集してきた薪(まき)を蔓(つる)で束ね、130束ほどを正方形に3メートルほど積み上げたもので、「今年の冬も無事に越すことができる」と話されていました。それは「ニウ」が単に燃料としての薪にとどまらず、冬越しに向けての精神的なシンボルともなっているということです。

また、図1は、97歳のお婆さんと80年間愛用してこられた「箱膳(はこぜん)」で、その使い方も教えていただきました。

図3は、柿渋名人のYTさんが、傷んできた竹のザルに和紙を貼り重ね、飴色になるまで柿渋を何度も塗って補修し、40年も使い続けてきた「柿渋染めのザル」です。私が訪ねた時も、庭先には補修を終えたばかりの農作業用の大きなザルが、いくつも並べられていました。

さまざまな「道具たち」

手づくりの「道具」を何10年も使い続ける、そうした日常の姿がすばらしいと感じました。

里山の暮らしとは、単に、都会と比べて自然が豊かであるというだけではありません。みなさんの暮らしぶりは質素ですが、そこでは、山に分け入り、農を営みながら、自然を楽しみ、自然に感謝する、自給自足的な生活が営まれていました。

お年寄りたちは、80歳や90歳になっても、山で、畑で、庭先で、あるいは共同作業場で元気に働き、その中で、さまざまな「道具たち」が息づいていました。

こうして、都会ではとうに失われてしまった、手づくりの道具と共にある「里山の暮らし」を目の当たりにすることができ、私たちが学ばなければならない「健康なくらし」とは、このような中にあるのではと思いました(ソーシャルデザイナー)

駐日フィリピン大使 安藤土浦市長を表敬訪問

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安藤市長(左から7番目)らとの記念写真に応じるアルバノ駐日フィリピン大使 (同6番目)と大使館職員(左側)ら=土浦市役所

ミレーン・ガルシア=アルバノ駐日フィリピン大使らが20日、土浦市役所を訪れ、安藤真理子市長を表敬訪問した。

この日、市役所来庁を前にアルバノ大使は、同市藤沢にある新治公民館を訪問し、同市や周辺地域に暮らし、工場や医療機関に勤務する50人余りの在日フィリピン人と交流し、意見交換を行った。大使館では日頃から国内各地のフィリピン人コミュニティーを訪問し、情報提供したり、暮らしの中で必要なことの聞き取りを行なっている。この日はフィリピン人労働者から雇用に関する確認が寄せられ、大使館からは、出稼ぎ労働者の家族がフィリピン本国で受けられる福利厚生プログラムについてなどの情報が伝えられたという。

安藤市長を前にアルバノ大使は「茨城県の中で土浦市は2番目にフィリピン人が多い都市(最多は常総市)。日頃から市に協力していただいていることに感謝している。フィリピン人が土浦に貢献できるよう祈っている。今後、土浦と大使館で何ができるのか、検討していきたい」と語った。また、英語教育が根付くフィリピンでは語学を生かした出稼ぎがあるとして、自身の出身地ダバオ市が日本国内の2都市と姉妹都市協定を結び、英語教師を派遣しているなどの例に触れながら、土浦市との可能性についても期待を込めた。

安藤市長は「土浦は県内で4番目に多くの外国人が暮らす街で、フィリピン人は一番多かった時期が続いていた。介護職に就くなど定住者が多く暮らしており、仲良く生活していきたい」と歓迎した。

同市によると今年3月末時点で市内に暮らすフィリピン人は1079人で、1199人のベトナム人に次いで2番目に多い。最も多かった2015年の815人からは32%増となっている。昨年10月1日時点の在留資格別の人数では、フィリピン人の約半数の494人が永住者で、約4分の1に当たる278人が定住者となっている。(柴田大輔)

イベント出店の道路使用を市が誤って許可 つくば駅周辺のペデ

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つくば市役所

つくば駅周辺のペデストリアンデッキ(歩行者専用道路)で、民間団体が物販や飲食の露店を出すなどのイベントを実施する際に必要な市の道路使用届や道路占用許可について、つくば市は20日、2015年度から23年度まで、市が制度の解釈を誤り、本来受け付けるべきでなかった届け出を受理したり、出店を許可するなどしていたと発表した。

市道路管理課によると、2015年度から22年度まで、つくば駅周辺のペデストリアンデッキで開催されたフリーマーケットや飲食の催しなどについて、道路法では本来、道路上でなくても実施できる出店は道路以外で実施するとされているにもかかわらず、同課が、中心市街地にぎわい創出の実証実験案件と誤認し、本来、受け付けるべきではなかった道路使用届を受理していたとされる。誤って受理したイベントが何件になるかは、文書保存期間が1年間であるため不明という。

その後、新型コロナウイルスの感染拡大により、2020年6月から23年3月末まで、道路上でテイクアウト食品の販売やテラス席での営業が緩和されるなどのコロナ特例が実施された。コロナ特例が終了した23年4月以降、同課は、制度の解釈を誤り、コロナ特例を根拠に道路占用を許可していたとされる。誤って許可を出した件数は7件という。

同課内部で今年6月から、コロナ特例の解釈について改めて調査、確認したところ、道路使用届と道路占用許可について法令や制度の解釈を誤っていたことが判明した。再発防止策として同課は、改めて関係法令を確認、順守し、再発防止に努めるとしている。

一方、市は現在、つくば駅周辺の中心市街地活性化に向けた取り組みを官民協働で実施していることから、今後については「歩行者利便増進道路(通称ほこみち)」という新たな制度を活用し、区域を指定して、オープンカフェや露店などを設置する際の占用許可基準を一部緩和するとし、今後は、ほこみち制度の導入に向け、つくば警察署や近隣住民・店舗などと協議を進めていくとしている。

なお24日と25日につくば駅周辺のペデストリアンデッキなどで開催されるまつりつくばの出店については、つくば市など公共団体が主催するため問題はないという。その後つくば駅周辺で予定されている民間団体主催のイベントについても、開催に間に合うよう、ほこみち制度の導入を進めるとしている。

9基のねぶたがパレード 24・25日 まつりつくば2024

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ねぶた小屋で出番を待つ、完成したばかりのねぶた

つくば市最大の祭り「まつりつくば2024」(まつりつくば大会本部主催)は今年も会場をつくば駅周辺とし、24日(土)と25日(日)の2日間開催される。暑さ対策のため2日目の開始時間を例年の午前10時から正午に繰り下げ、両日とも正午開始とする。第41回目となる今年も例年と同規模の48万人の来場者を想定している。

メーンの「まつりパレード」は、両日とも午後4時から土浦学園線の東大通りと西大通り間で催される。大ねぶた4基、中小ねぶた5基、1985年のつくば万博で披露された万博山車のほか、市内各地区のみこしが繰り出す。25日は万灯みこし12基以上が加わる。

同ねぶた実行委員長の塙裕哉さんは「今年は1基減らして(大中小の)9基が出る、ほぼ例年通りのパレードになる。青森県から11人の専門家が来て、ねぶたが出来上がったばかり。今年も盛大なパレードをするので、楽しんでほしい」と話す。

まつりパレードに出るねぶたの一つ=つくば市竹園のねぶた小屋

つくば駅周辺9会場で

まつりは、つくば駅周辺の九つの会場で開催される。会場の一つ、つくばセンター広場と大清水公園の「まんぷく広場」には、市内のグルメや特産品が勢ぞろいする。市中央図書館からつくばエキスポセンター前のつくば公園通りでは「アートタウンつくば 大道芸フェスティバル」が開催され、中国雑技芸術団など大道芸パフォーマンスやアート作品の販売などが実施される。

科学のまちつくばならではの体験ができる「スーパーサイエンスパーク」はつくばセンタービル1~3階のつくば市民センター、ノバホール小ホールなどで開催。分身ロボットを操作して迷路にチャレンジしたり、毎年つくばの市街地で開催されている自立走行ロボット大会「つくばチャレンジ」で活躍するロボットの操縦を体験したり、VR(仮想現実)ゴーグルを着用して空飛ぶクルマを体験したりできる。体験はいずれも無料で、両日とも当日の正午から整理券を配布する。

今年初めて「つくばのおさけで乾杯エリア」がつくばセンター広場モニュメントプラザに設けられる。地酒の普及を図ろうと今年5月、市内の日本酒、ワイン、地ビール生産事業者8社が「つくばのおさけ推進協議会」(5月25日付)を設立したことから。つくばのワイン、地ビールなどを販売する。

ほかに、つくば駅隣りの中央公園では福祉団体などの活動を紹介する「ふれあい広場」、つくば国際会議場隣の竹園公園ではさまざまなスポーツを体験できる「スポーツパーク」、つくば駅前のクレオ前広場では屋台などが並ぶ「トナリエつくばスクウェアうきうき広場」、つくばセンター広場特設ステージではダンスや音楽を繰り広げる「ステージ」が催される。

暑さ対策のためトナリエクレオのモグ1階に、空調の効いたお休み処を用意する。

今年はポスターやちらしのメーンデザインをZOZOが担当した。現在、東光台、さくらの森、御幸が丘の市内3カ所に物流倉庫を構え「市民に恩返しをしたいという思いからポスターデザインを手掛けた」とする。

まつりつくばは1981年、合併前の旧桜村の市民有志が大清水公園で開催したのが始まり。大会事務局で市観光推進課の小川高徳課長は「今年も暑さ対策をとりながら盛大に開催したい。楽しんでもえらたらうれしい」と話す。(榎田智司)

「麦わら帽子」写真の楽しみ《写真だいすき》31

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今日、おばちゃんのリヤカーには、麦わら帽子がのっていたので、ちょっとカメラを向けた。撮影は筆者

【コラム・オダギ秀】「麦わら帽子」写真の楽しみは、毎日、何でもないことを撮れることだった。ボクがふと撮った日常の写真が出てきたので、その話をしようと思う。

もう20年も昔の話だ。技術的には何もないが、ふとした瞬間を撮る楽しさがあった写真だ。その楽しみは、今も続いている。カメラなんて何でもいい。写真さえ撮れれば、その写真を撮った瞬間がよみがえり、人生がその瞬間に戻るのだと思う。

あの日、にぎやかな目抜き通りの歩道に、1台のリヤカーが止まっていた。いつもの「おばちゃん」のリヤカーで、毎日のようなことだったから、そのことはみんな知っていたが、誰もリヤカーを邪魔だなんて言わない。

今日は「おばちゃん」は、暑かったのだろうか、帽子を脱いでリヤカーを離れたようだ。

街のみんなは気を利かせて「おばちゃん」なんて呼んでいる。が、本当は、腰の曲がった、見事に上等に年をとってる「おばあちゃん」だ。おばちゃんの前では「おばちゃん」と呼ぶが、離れて呼ぶときは、みんな「おばあちゃん」と呼んでいる。

みんなで「おばちゃん」のリヤカーを囲む

「おばちゃん」は小1時間あまりもかけて、毎日のように、自宅からリヤカーを引いて来ると、ボクの仕事場の先の、目抜き通りの歩道に置く。そして、運んできた小袋入りの、自分で作った野菜を、近所の店などに売り歩く。ネギとかトマトとか、ジャガイモ、ナス、トウモロコシなど。おばちゃんの家は農家のようではあるが、誰も知らない。

ただ、運んでくる野菜は、自分で作っていると、自慢げに話すから、誰もそう信じている。それと、かなり遠い道を、リヤカーを引いて来るらしい、と。

もう長年の習慣で、誰も歩道に止めたリヤカーを邪魔だなんて言わない。「おばちゃん」が戻れば、みんながリヤカーを囲む。野菜買いをするのだ。それは楽しみだ。おばちゃんは、自分がもってきた野菜が、いかにいいものか、どんなに苦労して育てたか、ひとしきり自慢する。みんなは、ふんふんと、ただうなずく。

おばちゃんが、リヤカーで引いてくるのは、野菜やおばちゃん自身の健康だけでなく、街の人たちを励ます気持ちと楽しみなのだった。

ボクがリヤカーの上の麦わら帽子を撮っていると、あ、おばちゃんが戻って来たようだ。ボクはカメラを戻した。あの麦わら帽子、どうしたでせうね。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

パリ五輪陸上男子 東田旺洋選手 関彰商事で帰国報告会

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帰国報告会で関社長の質問に答える東田選手=つくば市二の宮、関彰商事つくばオフィス

パリ五輪陸上男子100メートルに日本代表として出場した東田旺洋あきひろ選手(28)が帰国し、自身が籍を置く関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)のつくばオフィス(つくば市二の宮)で19日、帰国報告会が開かれた。

東田選手は、3日に行われた男子100メートル予選で10秒19(追い風0.6メートル)の1組5着という結果で準決勝には進めなかったが、スタート反応速度は0.129で、出場選手72人中、1番の反応だった。結果は自己記録に近く、ベストコンディションだったという。

東田選手は「残念ながら準決勝進出はならなかったが、自己記録に近いタイムが出せたので良い試合が出来たと思う。これからは自己ベストを目指し、世界陸上などに挑んでいくので応援してほしい」とあいさつした。

社員らの出迎えを受ける東田選手

報告会には関社長のほか社員約100人が集まった。関社長は「勇気、喜びを与えてくれて感謝している。これからも会社として全面バックアップするので、やりたいことがあったら言ってほしい」と語った。

パリ五輪の印象について東田選手は「最初、大観衆の歓声に驚いた。1組目、1番最初のスタートだったがイギリスの選手がフライングをした。その時が一番良い感触だったので、そのまま走れればという気持ちはあった。2回目のスタートの時、2歩目が浮いてしまったことが少し悔やまれる。それでもベストコンディションで臨めたので満足はしている」と話した。「選手村は報道されているように、ゴミがたまるのに掃除具がなかったりで環境はあまり良くなかった。閉会式には出たが6時間と長かった。内容的には、映像として作られたものは見られないので、テレビで見ていたほうが良かったかも知れない」とも述べ、社員らを笑わせた。

東田選手は同社ヒューマンケア部に所属し社員の情報処理などを担当、仕事をしながらトレーニングに励んでいる。100メートルの自己最高記録は10秒10。(榎田智司)

生徒が入試の出題者に 「よい問」巡り教員と熱論 茗渓学園

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それぞれが考えた「よい問」を巡り熱論が交わされた

新コースのアカデミアクラスが設立されて4年目を迎える茗渓学園中学校高等学校(つくば市稲荷前、宮崎淳校長)のアカデミアクラスの生徒が、グループに分かれて入試を想定した問題を作り、内容の良し悪しを教員と議論し合う公開シンポジウムが17日と18日、つくば市竹園、つくば国際会議場で開かれた。

同クラスはアカデミックな研究活動と受験指導を両立させて、次世代を生き抜く力を育成し、国内外の難関大学進学を実現させることを目的に2021年に設立された選抜コース。

公開シンポジウムは今年で4回目。昨年までは教員が作る問題に、生徒が意見を投げ掛けるものだったが、今年は初めて生徒と教員がそれぞれ作題者として同じ立場で意見を交わし合う場を作った。同校の教育構想推進部の谷田部篤雄部長(36)は「生徒が出題者の目線に近づくことで、難しい問題でも作題者の意図を考え、解く力を付けさせることが一番の目的。能動的で自発的な学習を目指すアカデミアクラスの目的にもつながる」と話す。

3カ月前から始まった生徒による「よいとい」作りでは、中学1年から高校3年まで、約300人いるアカデミアクラスの生徒が「感動するくらい、『よい問』」をテーマに各クラスでグループごとに入試を想定した問題を作った。さらに内容を吟味しながら最終的に中1から高3の生徒が混合する8つのグループをつくり、数学、理科、英語、国語の4科目で10個の問題を提案した。

シンポジウム初日の17日は生徒が作った問題をグループごとに紹介し、18日午前は、グループごとに作った問題に対して、同校の教員や、大学教員らによるゲスト審査員からの指摘に、生徒が回答しながら「よい問」とは何かについて考えを深めた。

18日午後からは、教員が作った問題に対して生徒が疑問点を指摘した。英語や国語の長文の問題に対しては「長文の問題なのに、全体を読んで答える問題が少ないと感じた。全体を把握しなければ答えられない問いにするべきでは?」「注釈の付け方が作題者ごとに異なる」「注釈の付け方をもう少し工夫はできないのか」など生徒から率直な疑問が出て、熱を込めて思いを伝える教員の姿に、会場からも熱い視線が注がれた。

シンポジウムに参加した生徒と関係者らによる記念写真

総評に立った国文学研究資料館研究部の栗原悠准教授は「(長文問題では)読んだ経験が残ることが重要。出題者の意図をつかむことと共に、学ぶことの楽しさを知ってほしい」と語った。

発表資料を作成するなど運営にあたった組織委員のメンバーで、ファシリテーター(司会)を務めた同高校1年の矢島千歳さん(16)は「努力家が多く、皆が頑張り刺激し合う中で、生徒同士だけでなく、教員と生徒の間でも本当に色々なことを伝え合えるイベントだと思っている。ファシリテーターとしてそれぞれの考えをよく見て、その人が本当に考えていることをひろえるよう意識した」と話した。

茗渓学園の谷田部部長は「生徒の良い発表もあった。教員と生徒の間で問題の弱点も指摘し合い議論できたのは良かった」とし、「作った問題の検討を教員同士ではよくやる。色々な指摘もあり緊張感がある。今回の取り組みでは生徒も教員と同じ目線に立てるということがわかった。今後、我々も、教員に出すような気持ちでより緊張感を持って作っていきたい」と話すと、「教育現場では教員が万全の準備をした上で、失敗がないように物事を始めることが多いが、子どもたち自身が大きな可能性に気づかせてくれた。彼らの成長に私たち教員も引っ張られて成長することができる」とし、「今後はより多くの参加を期待し、来年以降につなげたい」と語った。(柴田大輔)

土浦中都地区物語 開拓の記憶【戦争移住者の営み今に】4

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戦後に中都地区に入植した尾曽章男さん

満州から引き揚げてきた尾曽章男さん(89)や、故・下田博さんが1948年に入植したのは、当時「中貫開拓」と呼ばれた現在の中都3丁目だ。現在の長野県飯田市出身者が主だった。土浦市の中川ヒューム管工業の創業者・中川延四郎が私有地3町分を県指定の開拓地として開放、3軒の家屋を建設し、入植する6家族に提供した。尾曽さんや下田さんの共同生活による入植がここから始まった。

寒さ身にしみる痩せた土地

下田さんたちは「茨城に未開の土地がある」という話を聞き、水戸市内原にあった「満蒙開拓青少年義勇軍」の訓練に使われていた施設に身を寄せて、県内に入植地を探した。長野出身の他の親戚や友人らは、鉾田の旧陸軍飛行場跡地や現在の牛久市、かすみがうら市へと入植していく中で、「中川ヒューム管の社長が小屋を建てて引き揚げ者の支援をしている」という話を耳にした。

「湖北開拓」と呼ばれた現在の中都1丁目に入植した皆川庸さん(93)と梅田香さん(75)も共に長野県飯田市出身だ。ここには茨城など他県出身者も入植していた。皆川さんは中都に暮らす同郷の親戚を訪ねたのが縁になり、兄弟で開拓していた旧御前山村(現城里町)出身で元予科練生の皆川和(やまと)さんと出会い、中都に嫁いできた。

皆川庸さんと夫の故・和さん

皆川さんが「野っ原っていう感じ」だったという開拓地は見上げる筑波山から吹き荒ぶ「筑波おろし」の寒さが身に染みる、土地の痩せた場所だった。「風が吹くと埃(ほこり)がうちの中に入ってきてご飯食べるのも大変。徐々に風除けに木を植えて、だいぶ大きくなって楽になりました」。

梅田さんは1946年、満州から引き揚げた両親の3男として長野県で生まれた。父親が先に中都へ入植し、生まれて間も無い梅田さんは母親と中都へ移住した。「一番最初は男の人ばっかのふんどし1枚の生活。よしずを三角にして寝泊まりしてたって聞きました。共同で作った五右衛門風呂に交代で入って。お金なんかないし食料もない。食い物作んなきゃなんないから松林をひっくり返して最初にできたのがサツマイモ。暗くなると寝て、明るくなると起きる暮らしだった」。

驚くほどよく売れた

開拓者たちは一から始めた暮らしを少しでもよくするために工夫を凝らした。

6反歩の松林を切り倒すことから始まった尾曽さんらの「中貫開拓」には、近隣に暮らす地元のタバコ農家が協力した。「農家はタバコ葉を乾燥させるのに木の根を燃料にしてたから、欲しいって言う農家にあげたら手伝ってくれた」と話す。食べるために作ったサツマイモは、焼き芋用に東京に出荷する業者が買い付けに来た。要求されればいつでも出荷できるようにと掘った竪穴に保管していると、驚くほどよく売れた。

農作物ができない冬場は、開拓仲間が朝4時に起きて神立駅まで7キロを歩いて6時の汽車に乗り、4時間かけて福島県小名浜港に向かった。一斗缶いっぱい買ったサンマがよく売れて、リュックに詰めて2日間売り歩くと800円ほどになったという。

「平和開拓」の名をとった中都地区を走る「平和通り」

未分別のごみが大量に

痩せた土地をどうにかしようと入植直後に始めたのが生ごみを堆肥にすることだった。市に話を持ちかけると、市内のごみをトラックに積んで開拓地まで運んでくれた。1日2台。未分別のごみが大量に集まった。手作業で分別し、金属は金に変え、生ごみは時間をかけて腐らし畑に混ぜ込んだ。堆肥と共に運ばれてきたビー玉やおはじき、貝殻なども畑に混ぜ込まれた。当時の子ども達にとってビー玉やおはじきを畑から掘り出すのは、宝探しのような楽しみだった。

下田博さんの妹で、中都で育った飯島節子さん(82)は「みんな昼間は働いた。小学生でも草とって。働け働けって言われてね。でも楽しかったよね。夜は月明かりで隠れん坊したり、缶蹴り、縄跳びとかしてね」と明るく思い出す。

弁当の見た目ごまかした

食べ物も工夫した。飯島さんは「お店に買いに行くのは滅多になかった。自分たちで作ったサツマイモと陸稲は、普通のより美味しくないけど工夫し食べた。飼ってたニワトリやウサギは骨まで全部潰して食べた。お乳はヤギ。ほとんど毎日同じものを食べてたけど、お砂糖に醤油、お塩を使って味を変えてたね。ごま油も作ってね。菜種もいっぱい植えて菜種油を作った」

近くの都和小学校に転入した尾曽さんが思い出すのが学校で食べた弁当だ。「学校に弁当持っていくのが嫌だったの。なんでかっていうとご飯にイモが入ってたから。弁当を食べるときにイモをどかして下にして、上は薄いけど白い米だけにした。見たところ普通の弁当に見えるように。ずっとそうやってごまかした」

尾曽さんよりひと回り以上若い梅田さんも弁当の時間を思い出す。「周りの子どもはみんな白い米の弁当を持ってくる。地元の農家は田んぼを持ってたから白米があった。銀シャリだ、なんて言ってね。我々のは真ん中に筋の入った麦飯だから黒く見える。恥ずかしいから新聞紙で囲って食べました」

開拓者たちが建てた農村集落センター

長野の文化で育った

開拓地の子ども達は、親や祖父母の故郷、長野の文化で育った。「小学校行くまで長野の人の中で育った。全く地域を出たことがなかった」と梅田さん。話す言葉も長野の言葉ばかり。「小学校に行ったら、言葉が全くわかんなくってね」と慣れない茨城弁に苦労したと振り返る。

長野の文化は食べ物にも現れた。お祝いどきに食べたのは、中部地方の山間部発祥とされる五平餅。開拓者たちの故郷の味だ。他にもよく食べたのがタンパク源として長野の山間地で食された蜂の子にイナゴの佃煮だ。下田さんの娘の相崎伸子さん(70)は「昼間に見つけた蜂に綿をつけて追いかけた。見つけた巣に夜行って、いぶして素早く掘りとる。蜂の子はみりんや砂糖で料理して、いい食料、栄養源だったよね」と懐かしむ。

「開拓」は新しいことやる

石油ランプだった暮らしに初めて電気が通ったのが1954年ごろ。「ちっちゃな手じゃないと入んないからって、子どもの時分にはランプの掃除をやらされた。手がすすで真っ黒になってね。そこに裸電球1個がきた。いやぁ、明るいねって感激しました」と梅田さん。

地域では、努力の甲斐があり、土が肥え、換金作物の幅が増えた。麦から始まり、落花生、白菜、スイカ、梨へと広がり、開拓者たちの共同出荷が始まった。酪農を始める家も増えた。「一生懸命働きました。だからテレビも早くに買えた。金曜日の夜は力道山の試合があるから6畳1間の家にみんな来る。帰らないと寝れなかった」と尾曽さんが言う。それ以前は街頭テレビを見るため亀城公園まで歩いて行っていたと振り返る尾曽さんがこう続ける。

「昔は『開拓』ってみんなに馬鹿にされてたの。どんな暮らししてるか見物に来たって人もいたよ。生ごみ使ったのなんて俺らだけだよ。他ではそんなことしねぇよ。ハエがたかって、みんなの背中にくっついていってね。でも、人のやらねぇことやっから『開拓』はそのうちに認められたんだ。『開拓』は新しいことやるってな」

写真の人数がどんどん増えて

7月、梅田さんがビニールハウスでキュウリの収穫に勤しんでいた。多い時で900坪のハウスで栽培していたキュウリは梅田さんが32歳で始めたもの。以前は会社勤めをしながらの兼業だったが、意を決して専業になり40年が過ぎた。その間、3人の子どもを育て、それぞれが独立して4人の孫に恵まれた。

自身のキュウリハウスに立つ梅田香さん

「開拓から出た子達ってのは、なかなか諦めない。何クソって、とことんやる粘り強さは開拓精神としてあると思う。自分が育ってきた地域が良くなるように育ててくれたらいい。現実には跡目がいなくってね。後継者がね」

梅田さんの近所に暮らす皆川庸さんの家には、お盆や正月になると各地に暮らす子どもが孫やひ孫を連れて一堂に会す。夫の故・和(やまと)さんが「家族が増えても集まれるように」と作った家の広い和室も、いつの間にか手狭になってきた。孫の歩さん(44)が言う。「毎年家族が集まると撮る記念写真に写る人数がどんどん増えて、今では20人以上。和室に収まりきらないくらいになった。普段、自分が開拓者の家の子どもだという意識はあまりないけど、家族の写真を見ると、私たちの物語がおじいちゃん1人の開拓から始まった物語なんだなと感じる。これからも家族の歴史を繋いでいきたい」。(柴田大輔)

皆川家の皆さんと梅田さん(左から3番目)

終わり

今度は退職金もらうの? つくば市長 《吾妻カガミ》189

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】3カ月前、1期目の退職金を辞退した五十嵐つくば市長に、2期目の退職金はどうするのか聞いてみた。答えは、前回と同様に辞退するか、今度は受領するか、まだ決めていないということだった。3期目に挑む市長選挙(10月20日告示、27日投開票)の1~2カ月前にはどうするか決断し、市民の前に明らかにする必要があるだろう。

退職金辞退というポピュリズム

市長退職金問題。4年前の記事「廃止を公約の退職金22円に…」(2020年6月5日掲載)、コラム91「…退職金辞退に違和感」(同10月5日掲載)を引っ張り出して整理すると、以下のような「事件」だ。

最初の市長選公約に「市長特権の退職金の廃止」を掲げた五十嵐市長は、市長1期目が終わる4カ月前、規定では2040万円の退職金を辞退すると発表した。記事の見出しでは「…退職金22円…」となっているが、これは法的な障害をクリアするための最少額で、事実上ゼロと考えてよい。

五十嵐市長は、公約を反古(ほご)にするのは次の選挙にマイナスと考えただけでなく、おカネにこだわらない(好ましい?)市長像を市民の間に広げたかったようだ。政治の世界では、この種の受け狙いの政治手法をポピュリズム(大衆迎合主義)と呼ぶ。

「私は、退職金廃止という公約そのものに違和感を持っている。退職金はハードな仕事をこなす市長の報酬の一部だから、大きな失政をしないことが前提になるが、堂々と受け取るべきと考える。市長選で退職金廃止を公約したのは、市長の仕事をうまくこなす自信がなかったからか?」(コラム91

今度も辞退? 対抗馬は有力県議

「市長特権の退職金の廃止」は2期目も続くのか? 3カ月前に五十嵐市長に聞いたのは、4年前のポピュリズム選挙を繰り返すのか知りたかったからだ。最初のパラグラフで書いたように、答えは思案中ということだったが、気になる発言があった。

退職金辞退を発表したあと、市長の後援者から受け取るべきだと注意されたと言うのだ。わざわざ後援者の助言を持ち出し、2期目は受け取るとの意向をにおわせた。それなのに辞退するか受領するか明言しなかったのは、判断材料が出そろっていなかったからだろう。

判断材料とは何か? 市長選に対立候補が現れるのかどうか、現れるとすれば強そうな候補か弱そうな候補か、3カ月前には見えていなかった。退職金辞退=強そうな候補が出馬した場合/退職金受領=弱そうな候補が出馬した場合―ではないかと聞いたところ、答えはムニャムニャだった。

記事「星田弘司県議が立候補へ…」(8月8日掲載)にあるように、選挙経験豊富な星田県議が立候補を決断し、秋の市長選の構図が見えてきた。星田県議=強そうな候補だから、上の分け方では退職金辞退のケースだ。でも、後援者の助言を受け入れ、ポピュリズム批判を振り払うために、退職金を受領する?(経済ジャーナリスト)

つくば市議選、新人20人出席 立候補予定者説明会

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立候補者説明会会場前の掲示板=つくば市役所

市長選は1人、市議選は計38人

任期満了に伴って10月20日告示、27日投開票で行われるつくば市長選・市議選の立候補者説明会が18日、同市役所で行われた。

市長選は、新人の星田弘司陣営のみが出席した。

市議選(定数28)は、現職18陣営、新人20陣営の計38陣営が出席した。男女別は男性が28、女性が10。

説明会に出席しなかった立候補予定者もいるとみられる。

事前審査は10月2日と3日に行われる。