火曜日, 10月 13, 2026
ホームスポーツ川内優輝、2度目の優勝で復活ののろし かすみがうらマラソン

川内優輝、2度目の優勝で復活ののろし かすみがうらマラソン

1万5832人がエントリー

「第35回かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソン2025」(土浦市など主催)は20日、土浦市川口の川口運動公園J:COMフィールド土浦を発着点として開催された。フルマラソン、10マイル(約16キロ)、5キロの各部門で昨年より多い総勢1万5832人がエントリーし、フルマラソン男子は川内優輝(38、埼玉県・あいおいニッセイ同和損害保険)が2時間19分10秒の記録で13年ぶり2度目の優勝を果たした。

フルマラソンのスタート

川内はかつて「公務員ランナー」として名をはせ、ボストンマラソン優勝など数々の輝かしい戦績を持つ。かすみがうらは2012年大会で自身初のフルマラソン優勝を達成した思い出あるコース。負傷からの再出発にこの舞台を選び、見事復活ののろしを上げてみせた。

スタート直後から独走態勢に入った。「前半はある程度速めのペースでしっかりやって、後半の向かい風で粘ろうと思っていた」。大会直前には奄美大島で1週間の合宿にも臨んだ。「かすみがうらと同じような風や湿度のある環境で練習できたことが生きた。今日も奄美の風を思い出しながら走れた」。ここを足がかりに、2028年のロス五輪を目指すという。

フルマラソン優勝の男子・川内と女子・遠藤

女子は遠藤知佐が初優勝

フルマラソン女子は遠藤知佐(36、東京都・PTC)が2時間46分38秒で優勝。かすみがうらは2017年に続く2度目の参加で、前回の記録は3時間半ほどだった。「最初に大学時代に出た東京マラソンでは5時間台で、そこからサブ4、サブ3とタイムを上げてきた」。いわゆる皇居ランナーで、クラブチームの仲間と競い合って成績を伸ばしてきた。フルマラソンの参加は年1回。きついコースであえて自分を鍛えるのが狙いという。昨年優勝の松村幸栄さんからアドバイスをもらい「前半の登りで足を使ってしまわないよう抑えて、後半の直線でリズムに乗って淡々と走った」ことが優勝のカギとなった。

フルマラソン女子、遠藤のフィニッシュ

10マイルはラシュトンと位田

10マイル男子はシドニーからの招待選手シアラン・ラシュトン(20)が49分38秒で優勝。「10マイルレースに勝利しとても幸せ。私の日本での初めてのレースで、とてもエキサイティングだった。来年もう一度このレースに戻ってきたい」とコメントした。

10マイルのスタート

10マイル女子は大学招待選手の位田明優(19、東京都・拓殖大学)が59分33秒で優勝。「前半は目標とした選手にうまく付いて走れ、中盤で離されかけたが落ち着いて挽回し勝ちきれた。今年の目標は5000メートルと1万メートルでインカレ出場、駅伝では全日本大学女子と富士山女子で3位以内を目指している」

10マイル男子優勝のラシュトン(右)と女子優勝の位田

5キロ女子は5連覇経験の松本

5キロ女子は松本恭子(54、千葉県)が18分37秒で1位。去年は10マイルを走ったが、今年は5連覇の経験もある5キロに戻ってきた。「負傷明けなのでスピードがもつか心配だった。追いかけてくる若い子たちに抜かれないかとドキドキしながら走った」

5キロ女子、松本のフィニッシュ

男子は1~3位とも県勢

5キロ男子は1~3位とも県勢。タイムはそれぞれ1秒差の接戦だった。優勝は15分51秒の斉藤直希(28、日立市・ひたち医療),「去年と同じ1秒差で連覇を達成できた。去年は28年ぶりの大会新記録となる15分05秒を出せたので、その更新を狙っていた」。2位は15分52秒の伊藤遼佑(28、筑西市・つくばウェルネス整形外科)。「3年前に優勝したが、その後2年続けて1秒差で優勝を逃してきた。今年も1秒差で敗れて悔しい」。3位は15分53秒の麻生拓茉(26、取手市・麻生歯科医院)。「格上の2人に対しどう勝つか展開を考えて走った。集団をコントロールしてペースを抑え、惜しくも負けたが最後まで競ることができた」。3人とも医療系で年も近く普段から仲良し。茎崎運動公園の練習会などで一緒に走っているという。(池田充雄)

(左から)5キロ男子の2位の伊藤、1位の斉藤、3位の麻生

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