日曜日, 1月 18, 2026
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文豪風入院日記⑤《遊民通信》109

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【コラム・田口哲郎】

前略

ついに退院の許可が医師から下りた。私は天にも昇る気持ちであった。退院は明後日ということになった。まずは心配している家族にラインを送った。家人が迎えに来てくれるという。ありがたいことだ。

退院できるとなるとソワソワして、昼寝どころではなくなった。個室ではないが、ベッドとベッドの間には、クローゼットとテレビが載っている、引き出しの付いたサイドボードがあり、仕切りの役割を果たしている。

家族が持ってきてくれた本、筆記用具、パソコンや、洗面道具、タオルや綿棒などの衛生用品が引き出しに入っている。短い入院でも、こんなに生活の証しが広がるものだと驚いてしまった。まだ明日1日は病院にいるのに、もう整理整頓と片付けをしてしまう。

読書も手につかず、落ち着かずに過ごしていると、もう夕食が配られ始めた。ゆっくりかんで食べることを教えてくれた病院食も、残すところあと5回となると、食い意地の張った私は急に惜しくなった。

退院後の食事の模範にしようと、スマートフォンで写真を撮った。野菜中心の献立。毎食、魚か肉がメインで付いて、白ごはんはきちんとした量が出る。入院前には考えられない理想的な食事である。私は一口一口を味わって、有り難くいただいた。

病室という守られた空間

食べて寝る。動物としての人間の基本を教わった入院は貴重な体験であった。

会計を済ませて、それなりの大荷物を抱えて外に出た私は、自由を感じたが、それは病室という守られた空間があったからこそのものだとも思った。一度この世に生を受けたら、母の胎内には戻れないように、できれば病室には戻らないほうがよいだろう。

でも、この入院体験を「ふるさと」として忘れないことは、今後の私の生活に必要だと、冷たい空気を吸いながら思ったのである。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

「救急隊に過失なかった」つくば市第三者委が調査報告 3歳男児 搬送されず重度の障害

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検証結果報告書について記者会見する市救急隊不搬送事案検証委員会委員長の関健太郎弁護士(左から3人目)と五十嵐立青つくば市長(同4人目)、青木孝徳市消防長(右端)=つくば市役所

高熱を出したつくば市の3歳男児(当時)が2023年4月16日未明、救急車で病院に搬送されず、その後、急性脳症と診断され重い障害を負った事案で、市が設置した第三者委員会「市救急隊不搬送事案検証委員会」(委員長・関健太郎弁護士)が26日、検証結果をまとめ、「男児は緊急搬送の必要性がある状態になく、救急隊には搬送義務があったとは言えず、過失はなかった」などとする報告書を出した。

報告書によると、男児は1週間ほど前から体温が上がったり下がったりし、同年4月15日、医療機関を受診した。かぜと診断され、せき止め薬などを処方された。その日の夜中、男児の体調が悪化し、翌16日午前0時50分、家族は119番通報して救急車を呼び、40.8度の熱があり、けいれんのような震えが止まらないこと、ぐったりして受け答えができない状態であることなどを伝えた。

午前1時ごろ救急車が到着。父親が男児を抱きかかえ両親は玄関の外で待っていた。屋根下に移動し、救命士はそこで男児を観察、男児は発熱しているが、意識、呼吸、脈拍、顔色などに異常はなく、震えはけいれんではなく発熱や寒さからくるものであるから救急搬送の必要はないと判断した。救命士は、家族が自家用車で向かうのであれば病院を選定することを家族に伝え、病院に電話連絡し、現場を引き上げた。

家族は自家用車で病院に向かい、午前1時30分ごろ到着した。到着後、男児は呼び掛けにも反応がなく、けいれん発作などが繰り返し起こるけいれん重積などと判断され入院。20日に急性脳症と診断された。

男児の家族は不搬送とした救急隊の判断を問題視し、つくば市は24年3月、第三者による検証委員会を設置した。救急隊に過失があったか、救急隊の活動規程や隊員の教育・訓練に過失はなかったかなどついて1年間にわたり計7回、委員会を開き調査した。救急活動記録、各病院の診療記録のほか、救急隊員と男児の家族にそれぞれ聞き取りなどをした。搬送しなかったことと、男児が重度の障害を負ったことの因果関係については検証対象ではないとしている。

検証方法は、救急搬送について、県が定める救急搬送と医療機関の迅速な受け入れについての基準と、15歳以下の小児・新生児の救急搬送・受け入れの実施基準に基づいて、救急隊に過失があったかなどを検証した。

けいれんだったと認定できない

検証結果は、救急隊員と家族との間で男児の状態に対する供述が異なっているとしながら、男児の意識レベルについて、救命士は現場に到着した際、子供の泣き声を聞き、病院の診療記録にも救急車が到着したときに一度泣いたという記載があることなどから、救急車到着時点では男児に重度の意識障害はなく、ぐったりまたはうつろな状態ではなかったとした。男児に震えがあったことについて「(救急搬送の必要がある)けいれんであったとの認定はできなかった」とし、小児・新生児救急観察基準票に基づいても「救命士が観察した時点で救急搬送が必要とされる状態にあったとまでは認定ができない」と結論づけた。

一方で救命士は、脈拍数、体温、血圧、酸素飽和度の測定をしていなかったと指摘しながら「観察に不備がなかったわけではないが、一通りの観察はしており、不備のない観察をしたとしても救急搬送が必要とされる結果にはならなかった」とした。

検証結果について委員長の関弁護士は「コメントが難しい。議論が多岐にわたる事案で、冒頭に検証委員会として何をやるかを提示している。話をし出すといろいろなところまで波及してくる。救急業務は病院、医師、全体として成り立っている。そういう意味でもコメントがしずらい」と話した。

検証結果について五十嵐市長は「過失の認定には至らなかったが、当時の救急活動に問題がなかったとは思っていない。観察項目の省略があったと報告を受けた。結果に影響を与えなかったとはいえ、本来丁寧に行うことが必要だと思っている。消防は誰からも頼りにされる存在である必要があるので、今回の事案を教訓として今後適切な救急活動が行われるよう管理者として努めていきたい」と話した。

青木孝徳消防長は「過失はないものとされたが、当時の救急活動によって検証委員会を設置することになったこと、相手様にご負担を生じさせたこと、市民の皆様の信頼を損なう結果となったことに対しては反省している。今後は同じことを繰り返さないよう職員教育を徹底して、市民に信頼される消防行政を目指したい」と述べた。

家族「納得いかない」

一方、検証結果は同日、家族にも報告された。市消防本部によると「(家族として)納得いかない。ありえない」との意見が出されたという。(鈴木宏子)

コロナ禍、住居確保給付金を誤支給 つくば市

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つくば市役所

5世帯に約31万円

離職や解雇、やむを得ない休業などで生活に困窮する人を対象に家賃相当額を給付する「住居確保給付金」について、つくば市はコロナ禍の2020年度から22年度の間、誤って5世帯に計31万円を支給していた。

同給付金は原則3カ月間支給され、コロナ禍、休業で収入が減少した人も対象となるなど対象者が拡大された。支給額は、世帯の人数に応じて定められた基準額に、実際の家賃月額を足した金額から、世帯月収合計を差し引いた額などが支給される。ただし家賃の支給上限額を超える分は支給対象外となる。

市社会福祉課によると、申請時に窓口が作成した申請者のチェックリストに、本来、家賃の上限額を記載べきところ、実際の家賃額を記載してしまったため支給額を誤って算定したとしている。

誤支給分については今後、対象世帯に返還を求めるとし、同課は対象者に連絡を取るなど返還手続きを進めているとしている。

同市はコロナ禍の2020年度から23年度まで4年間、新規で計353世帯に住居確保給付金を支給した。

愛しのベジタブル《短いおはなし》37

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

僕はひどいあがり症だ。
人前で話すだけで顔はまっ青、足はガクガク。
そんな僕が、留学先の高校の演劇大会で主役に抜てきされてしまった。

「先生、無理デス。ボク留学生ダシ、日本語モ下手デス」

「大丈夫だよ。セリフ少ないから」

「緊張シテ、上手ク出来マセン」

「客を全員野菜だと思えばいい。ほら、かぼちゃとか白菜とか」
「無理デス。ダッテ人間ダモン」

「じゃあ、人が野菜に見えるおまじない、教えてやろうか」
「オマジナイ?」

「先生の後に続いて唱えてみなさい」

先生は高らかに声を張り上げて「ラブリー・ベジタブル」と呪文を唱えた。
僕も真似して、同じように唱えた。

「ラブリー・ベジタブル、ラブリー・ベジタブル」

すると、目の前の先生が突然ピーマンになった。
小道具を運ぶ女子はダイコン、演出の男子はゴボウ。

「スゴイデス、先生」

「よし、じゃあ頑張れ」

おかげで舞台は大成功だった。何しろ客席はカボチャやサツマイモやニンジンたち。
少しもあがらない。僕たちのクラスは最優秀賞をもらった。
ところが、舞台を降りてもずっと、呪文が解けない。
ホームステイ先のおばさんはキュウリ、おじさんはジャガイモ。

「今日の舞台よかったわよ。おばさん感激しちゃった」

「なかなか堂々とした演技だったぞ」

「アリガトウ」と言いながら、キュウリとジャガイモに言われても…と思った。

翌日も魔法は解けない。
先生は相変わらずピーマンのまま。ピーマンの授業は中身がない。
となりの席の山田君は玉ネギ。見ているだけで涙が出る。
いちばん人気のエリカちゃんはトマト。
学級委員は頭でっかちのカリフラワー。
みんな野菜だから楽に話せる。ぜんぜん緊張しない。

だけど困ったことに、野菜が食べられなくなってしまった。
ホームステイ先の家族はベジタリアンだから、食卓は野菜料理ばかり。

「ジャガイモをすりつぶしたスープよ」

と言われると、おじさんの顔を見てしまう。
キュウリのサラダはおばさんが身を削っているようで切なくなる。
耐えられなくなって、故郷のママに連絡した。

「ママ、このままじゃ僕、栄養失調になっちゃうよ」

「まあ可哀想。だから留学なんて反対だったのよ。すぐに帰ってきなさい」

そんなわけで僕は、志半ばで故郷に帰ることになった。

「故郷に帰っても、私たちの顔を忘れないでね」

クラスメートは言うけれど、人間だったころの顔はもはや憶えていない。
それでも別れは悲しいもので、涙をこらえて宇宙船に乗り込んだ。
故郷の『ナスビ星雲第3惑星ナガナス星』に向けて全速力だ。
ああ、地球人との交流って、難しいけど楽しかった。

地球の教室では…

「ナスビ君、帰っちゃったね」

「演劇大会のゾンビ役は最高だったな。メイクしなくても顔が紫だから」

「茄子(なす)を見るたびにナスビ君を思い出すわ」

ホームステイ先では…

「ナスビくんが帰ったから、心置きなくナスが食べられるわね」

「うん。やっと焼き茄子(なす)が食える」

(作家)

【お詫び】26日午前6時に掲載した短編小説「恐竜の星」を差し替えました。「恐竜の星」は2024年7月24日付で掲載したものでした。関係者にお詫びの上、差し替えます。

自然災害など課題研究を一層推進 気象研と環境研が協定 つくば

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署名した協定書を手に環境研・木本昌秀理事長(左)と気象研・中本能久所長

気象庁気象研究所(つくば市長峰)と国立環境研究所(つくば市小野川)は25日、研究の連携と協力を促進するための基本協定を締結した。気象研の気候変動予測に係る知見と、環境研の環境影響評価や気候変動適応の知見を融合させることにより、自然災害などの課題に関する研究をより一層推進する。

協定締結式には気象研の中本能久所長、環境研の木本昌秀理事長が出席し、協定書に署名した。筑波研究学園都市の研究機関同士の包括的な連携協定は、環境研が一昨年に防災科研(つくば市天王台)と結んだのに次ぐ2例目、気象研は初めての締結という。

両研究所は学園西大通りをはさんでほぼ正対する立地にあり、これまでも多くの研究プロジェクトで研究者個人レベルでの連携は行われてきた。

一例をあげると、環境省は温室効果ガス観測技術衛星(GOSAT)を打ち上げて、宇宙から地球の二酸化炭素濃度の測定などできる観測を行っており、そのデータ整理を環境研が担当している。気象研との連携ではモデルを融合して、どの国からどのくらいの二酸化炭素が出ているのか、気候変動問題に関する国際的な枠組みであるパリ協定に基づく削減の度合を測る研究に着手している。

「こうした連携の積み重ねがあったから今回の協定に至った」と気象研の中本所長。「地球温暖化や気候変動予測の研究成果を共有し、環境影響評価や適応に生かしていければ将来の持続可能性に対してもデータを提供していけると考えている」という。

「計算のメッシュが粗すぎるデータは地域で利用できるよう細かくするダウンスケーリングの技術を用いるなど、ユーザーが使いやすく分かりやすい形での情報発信につなげていきたい」(木本理事長)ともしている。(相澤冬樹)

春の里山ゴミ拾い大作戦《宍塚の里山》122

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写真は筆者

【コラム・富嶋稔夫】認定NPO法人宍塚の自然と歴史の会(土浦市宍塚)では、春になると毎年、里山のゴミ拾いをしています。今年も3月20日の春分の日の午前中、16名の方(うち子ども3名)に集まっていただき、ゴミ拾いを行いました。前日は雨、筑波山はうっすら雪化粧していましたが、お彼岸のこの日は、風は冷たいものの晴れ上がり、絶好の野外活動日和。

ゴルフ練習場からコンビニに抜ける未舗装の通り(通称鎌倉街道)を中心に、大池堤防辺りのゴミも拾うことができました。鎌倉街道沿いは例年より少ないようでしたが、少し里山に分け行ってみると、家電類少々、一斗缶も多量に出てきました。

当会のホームページを見ると、最初の里山のゴミ拾いのは2001年2月11日です。今から24年前になります。記録には「他の里山に比べると大池はゴミが少ないとはいえ、集めてみるといまさらながらゴミの多さに愕然(がくぜん)としました」とあり、大池周辺の弁当や飲み物類、鎌倉街道沿いの家庭ゴミのほか、洗濯機やクーラーといった家電、廃材、タイヤ、ドラム缶などの粗大ゴミを回収したと書かれています。

以後2005年まで、大量のゴミを回収した様子がつづられていますが、2006年になると「ゴミの量が少なくなってきた」とあります。継続して行ってきた効果が現れてきたものと、当時の書き手は評価しています。

ゴミ拾いの名称も、最初は単に「ゴミ拾い」だったものが、2005年に「里山クリーン大作戦」となり、その後「ゴミ拾い」に戻ったりしていますが、2018年から現在の「春の里山ゴミ拾い大作戦」になりました。ここ数年、回収量は軽トラにして3~4台分程度と、以前に比べれば落ち着いていると言えるでしょう。

とはいえ、一見きれいな里山ですが、実地にやってみると、意外とゴミが捨てられていることに改めて気づかされます。

うさぎ追いしかの山、

2025年3月号の「図書」(岩波書店のPR誌)に、解剖学者・養老孟司氏が「環境と自己」という題名で次のように書いていました。「『うさぎ追いしかの山、小鮒(ブナ)釣りしかの川』は本来自己を構成するものだったが、外部的、客観的な世界に移った。私は子どもたちには、田んぼや畑、里山は将来の君たちだよ、と教える。食物が体を作るからである」 。身近な里山が外部的・客観的な世界となり、ゴミの捨て場になってしまったが、巡り巡って将来の自分になるのだと思えば、そうそうゴミを捨てられなくなるはず。ではありますが、現状ではゴミ拾いをしなくて済む日は容易には来そうにありません。日ごろの里山への感謝を込めて、これからも春の里山ゴミ拾いを行っていけたらと思っております。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

2年ぶりに福島第一原発周辺地域を歩く《邑から日本を見る》180

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休校中の双葉高校を見る

【コラム・先﨑千尋】14日、友人から誘われて2011年3月に事故を起こした東京電力福島第一原発周辺を回ってきた。2年ぶりだ。これまでは、「脱原発をめざす首長会議」のメンバーと一緒に事故原発の間近まで行ったり、中間貯蔵施設や漁業者の話を聞いたりしてきた。今回はJR双葉駅、双葉高校、大野駅再開発地域など、これまでに行かなかったところが中心。

ナビゲーターは、原発事故賠償訴訟群馬県原告団代表で楢葉町にある「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」の事務局長を務める丹治(たんじ)杉江さん。

丹治さんは、14年前の事故の後、いわき市から群馬県に一時避難した。東電に賠償を求める群馬での訴訟の原告代表を務めながら、事故の実相を訴える活動を続け、3年前に原発事故を語り継ぐ伝言館の運営を託され、全国からの来訪者に、事故を起こした原発周辺を案内している。

最初に行ったのは、浪江町に残されている震災遺構の請戸小学校。海のすぐ近くにある。15.5メートルの津波が押し寄せたが、校長らの指示で児童82人、教員13人が1.5キロ離れた大平山に避難し、全員助かった。以前に訪れた石巻市立大川小学校では、すぐ目の前に避難できる山があったが、津波が襲ったときに、児童74人、教員10人が逃げずに亡くなったのと対照的だった。想定外の事故にどう対応したらいいのかを考えさせられた。

双葉駅周辺は、帰還困難区域の一部の避難指示が解除となり、駅が再開され、周辺に住宅が整備されたが、診療所と郵便局、コインランドリーがあるものの、学校やスーパーなどのインフラは未整備。周辺は依然として帰還困難区域だから、立ち入りができず、うかつに散歩もできない。

駅近くにある双葉高校は100年の伝統があり、甲子園にも3回出場している古豪。しかし17年度から休校になり、校内は立ち入りができず、荒れ放題だ。実質廃校だが、廃校にすると原発事故との関連を言われるので、休校にしておくのだと丹治さんは話してくれた。周辺の道路は除染されているので放射線量は少ないが、除染されていない道路脇で線量を測ると一桁違い、立ち入ることはできない。

周りは高線量の帰還困難区域

大野駅前は事故を起こした第一原発から2キロ。高線量の帰還困難区域の中に、復興のシンボルとして立派な商業施設や産業交流施設ができている。近隣住民やエリアを訪れる人が買い物を楽しんだり、憩いのひとときを過ごしたりできると言われているが、周りは高線量の帰還困難区域。のんびり楽しむことなどできるのかなと思った。

大熊町には56億円かけてできた「学び舎夢の森」がある。町立の7つの幼・保・少・中学校が統合して生まれた、フェンスもチャイムもない一貫校。子どもの数は68人。家族と一緒に会津若松から戻った子どももいれば、体験入校をきっかけに関東や関西から家族とともにやってきた子どももいるそうだ。ここでの教育が移住・定住の選択肢の一つになっているが、一歩外に出れば放射線量が高く、近づけない区域。そこで学んだ子どもは将来どう成長するのかが気になる。

全体として2年前と比べてハードの事業は進んでいるように見えるが、戻ってくるのは年寄りばかり。住民は、高齢者、行政職員と工事関係者がほとんど。これで「復興」と言えるのか。

もう一つ、除染作業や工事関係者、この地域に住む人、働く人たちの放射能による被害はどうなのかが気になった。道路1本で、居住可能な区域とそうでない区域を機械的に分けることにも違和感を覚えた。(元瓜連町長)

高安、決定戦で初優勝逃す 地元土浦で約200人が声援

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優勝決定戦で高安が敗れ、大きなため息が漏れたパブリックビューイング会場=土浦市役所1階

大相撲春場所は23日、エディオンアリーナ大阪で千秋楽を迎えた。3敗で並んだ土浦市出身の元大関で前頭4枚目の高安(35)=田子ノ浦部屋=は、優勝決定戦で大関の大の里(24)=二所の関部屋、阿見町=に敗れ、惜しくも初優勝を逃した。高安が優勝に絡むのは9回目。高安の地元の土浦では、駅前の市役所1階でパブリックビューイング(PV)が催され、約200人の市民らが、応援の横断幕やうちわを掲げながら大きな声援を送った。

高安は取組で、小結の阿炎(30=錣山部屋)に落ち着いて対応し、立ち合いで変化した相手に左上手をガッチリつかんで土俵に投げつけ、上手出し投げで勝つと、土浦の会場は大いに盛り上がった。

高安が阿炎を土俵に投げつけ盛り上がる会場=同

千秋楽結びの一番で大の里が琴桜(27)=佐渡ケ嶽部屋=に勝ち、高安との優勝決定戦が決まった。初優勝への望みをつないだ高安に向けて、土浦の市民らから大きな拍手が起きた。今度こそという大きな期待がかかったが、念願はかなわず、大の里の圧力に屈し、送り出しで土俵を割ると、会場からは大きなため息と悲痛の声が漏れた。

今度こそはと応援

観戦席の最前列で声援を送った「高安土浦後援会」会長の中川清・元土浦市長(79)は「今度こそはと思って応援したが、かなわず、とても残念だった。20年も相撲をとっているのだから優勝してほしかった。また頑張ってほしい」と語る。

安藤真理子市長は「高安関の正々堂々とした取組は、地元土浦に勇気と元気をもたらしてくれた。惜しくも優勝を逃したが、これからも自分を信じ精進し、ますますの活躍を期待しています」とコメントした。

水戸市から来た加富昭子さん(75)は「家族7人で応援に来た。今日は勝つシーンもあり楽しかったが、最後、優勝が出来なかったので、とても残念で、力が入らない」と話していた。

高安は技能賞を受賞した。優勝した大の里は横綱昇進に向けての第一歩となった。(榎田智司)

23日開通 圏央道つくば西スマートIC

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式典で圏央道つくば西スマートICでテープカットとくす玉割りに臨む関係者

つくば市と東日本高速道路(NEXCO東日本)関東支社が整備を進めてきた圏央道(首都圏中央連絡自動車道)つくば西スマートインターチェンジ(IC)が23日午後3時に開通した(24年12月13日)。ETC(電子料金収受システム)専用で24時間利用可能。これに先立ち同日午前10時から開通記念式典が催された。

式典には関係者ら約90人が出席。五十嵐立青つくば市長は「このスマートICはただの出入口ではなく未来への扉だと思っている。この場所から始まるつくばの物語を共に紡いでいきましょう」とあいさつした。NEXCO東日本の松崎敏博関東支社長は「県内の圏央道では初のスマートIC。今回の開通によりつくばのアクセスは当然向上するが、それに伴いつくば市そのものが持っているポテンシャルが県土全体に行き渡り、県全体の発展に大きく寄与していくのではないか」と期待を述べた。

あいさつする五十嵐市長

つくば西スマートICが設置されたのはつくば市島名地内。圏央道つくば中央ICから西へ約4キロ、同常総ICから東へ約7キロの地点にあり、埼玉方面に向かう内回り線は県道つくば真岡線バイパスに、成田方面に向かう外回り線は県道土浦坂東線バイパスに接続する。

これまで、つくば中央IC-常総IC間は圏央道の中でも2番目に長い区間とされていた。つくば西スマートICが開通したことで、つくばエクスプレス(TX)沿線の上河原崎・中西地区や島名・福田坪地区、また周辺の工業団地などから圏央道へのアクセスは飛躍的に向上する。同ICに10分以内で到達できる圏域の人口増加は、将来推計で約1万人に達すると見込まれている。

記念式典に続いて行われた安全祈願で「交通安全祈願」の文字をお神酒でなぞる関係者

TX万博記念公園駅からも約1キロ圏内と近く、周辺には住宅や商業施設などが隣接し、物流のみならず通勤通学や生活道路として利用されている一般道路が複数交差する。

観光では、筑波山には年間200万人を超える来訪者があるが、県外から筑波山周辺地域を訪れる際に、同ICを経由したルートが加わることで、市中心部の主要渋滞箇所を回避した周遊ルートが可能になり、筑波山までの所要時間も短縮される。

鬼怒川・小貝川の水害に対する備えでは、浸水想定区域内にある常総ICに代わり、第1次緊急輸送路である圏央道から指定避難所へのアクセスを容易にすることで、救援活動や緊急物資輸送を迅速化し防災機能の強化にも寄与するとされる。

整備については2017年8月に事業化され、22年8月から工事が進められてきた。県内では友部サービスエリア、水戸北、東海パーキングエリア、石岡小美玉に次ぐ5カ所目のスマートICになる。(池田充雄)

餃子を包むと思い出す《続・平熱日記》178

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】冷蔵庫にはキャベツの残りがあって、この前安いニンニクもどっさり買ったので、今日の夕食は餃子にしよう。冷凍庫にあったニラも入れて餡(アン)を練って娘に声をかけた。「餃子包むの手伝って」。台所のテーブルに座って2人で餃子を包み始めた。

特に改まった話でもないんだけれど、娘にちょっと聞いておきたいことがあったので、手を動かしながら「あのねえ…」と切り出す。そのとき、よみがえった昔の記憶…。

ある台湾人の彫刻家。パリ郊外に家を買ってリフォームして住んでいるというので訪ねた。昼食は餃子を作って食べるのだという。「台湾のギョーザパーティーは餃子をみんなで包むところから始まるのよ。みんなでワイワイとおしゃべりしながら」と、奥さん。

彼は日本に留学していたことがあり、流暢(りゅうちょう)に日本語を話す。どこにでもあるガラスのコップをコロコロと転がして、手際よく皮を作って見せた。はっきりと覚えていないが、コップをうまく利用してできた皮は、少しお椀(わん)状になっていたように思う。見よう見まねの私は、おそらく不格好な皮を作ってしまったに違いない。

出来上がった小さめの餃子は、水餃子となってテーブルに運ばれた。特製のたれとの相性は抜群。「いくらでも食べられますね」というのは、こういうことなんだと実感した。

餃子首脳会談もお勧め

大学時代、彼とはラグビーでよく対戦したことがあって(美大リーグという底辺の対抗戦)、「あれがオール台湾、つまりナショナルチームのフルバックだったヤツだよ」と、先輩に教えられた。私はある試合で彼にタックルして、当たり所が悪かったのか、彼が救急車で運ばれることがあった。

パリでその話をしたら、彼はその時初めて、倒された相手が私だったことを知った様子だった。

パリを離れる日、彼が車で私たち一家をオルリー空港まで運んでくれた。そのとき次女はカミさんのお腹の中で8カ月目を迎えていた。彼はその後台湾に帰って、日本でも彫刻家として活躍しているようだ。それが分かったのは、ある年に配られた中学校の美術教科書に彼の作品が掲載されていたから。多分、彼は私のことをもう覚えていないと思うけどカ

「あのねえ…」。餃子を包みながらの次女との会話はごく自然にスムーズに進んだ。これからも、ちょっと面倒臭い話があるときは餃子を包もう。首脳会談とかも餃子を包みながらっていうのはどうか。みんな不器用そうだけど。(画家)

女性の心情描く漫画家 山本美希筑波大准教授の企画展 土浦で開催

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山本作品が生まれる背景に迫った第1部の展示風景

多数の受賞歴を持ち、独創的な手法で現代を生きる女性の切実な心情を表現する漫画家で、筑波大准教授の山本美希さんの作品展が、25日から土浦駅に隣接する土浦市民ギャラリーで始まる。

展示は2部構成で、第1部は、82点の原画と今回の展示のために山本さんが書き下ろしたテキストなどを展示する。さらに、出産を控える夫婦の葛藤を描いた2020年の作品で、第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した「かしこくて勇気ある子ども」がモチーフの立体作品などを展示する。作品を通じて「山本作品」が生まれる背景に迫る。

第2部は、山本さんが教鞭を取る筑波大学芸術系ビジュアルデザイン領域の学生や、現在、マンガ家として活躍する山本さんお教え子の作品など100点以上が展示される。「物語の内容と表現手法の関係」を突き詰める山本さんが、大学で学生に伝える内容の一端に触れることができる。

会場ではほかに、山本さんのデビュー作「爆弾にリボン」の元となった筑波大学在学中に卒業制作として書き上げた「爆弾とリボン」や、山本さんの作品をモチーフに作成された4つの映像作品も上映されている。

会期は5月5日まで。本をテーマにした市立図書館との連携企画展となっている。連携企画展は同ギャラリーが2017年の開館以来、隔年で開催している。

漫画家として活躍する教え子らの作品が多数展示されている第2部の展示

企画を担当した土浦市民ギャラリーの若田部哲さんは「山本さんは、絵の持つ力を考え抜いて作品を作っている。展示では、初期の作品から近年の色鉛筆を使った作品まで、それぞれの作品に対する思索に触れることができる」とし、「漫画は日本文化として国際的にも認知されているが、対象をわかりやすく表現するために、実際はそう見えていないものも『記号的』に表現することがある。それによって、物語を気軽に楽しめるという特性がある。山本さんのすごいところは『記号的』なものを一度解体し、『果たして、それが本当にそう見えているのか?』を考えるところ。アウトプットの方法を含めて、深い思考をされている」と作品の特徴を話す。

さらに「山本さんの展示としては、これまでで最も大きなものといえる。第1部で取り上げている作品『かしこくて勇気ある子ども』は、これから子どもが生まれる若い夫婦を軸に展開する物語。子どもを持つことへの大きな喜びと、それゆえの不安を克明に描いている作品で、普遍的なテーマといえる。何度来ていただいても楽しめる構成になっている。高校生や大学生など若い方に限らず、いろいろな方に見ていただきたい」と来場を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「マンガ作家 山本美希展」は、土浦駅西口前の土浦市大和町1-1アスカル土浦1階、土浦市民ギャラリーで25日(火)~5月5日(月)開催。開館時間は午前10時から午後6時。月曜休館。入場無料。4月13日(日)には牛久市出身のマンガライター・横井周子さん、4月19日(土)にはマンガ家の大白小蟹さんとのトークイベントが行われる。それぞれ午後1時から午後2時30分まで。いずれも参加費無料、予約不要。問い合わせは029-846-2950(土浦市民ギャラリー)へ。

土浦聖バルナバ教会礼拝堂 登録有形文化財に 文化審議会が答申

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土浦聖バルナバ教会礼拝堂の外観。土浦小学校校庭の向かい側にある

地域初の鉄筋コンクリート建造物

国の文化審議会(島谷弘幸会長)は21日、土浦市中央1丁目、日本聖公会土浦聖バルナバ教会礼拝堂を国の登録有形文化財に登録するよう文科相に答申した。95年前の1930(昭和5)年に建築された。土浦周辺地域で初の鉄筋コンクリート造の建造物とされる。

同日の審議会で登録有形文化財に登録するよう答申が出された全国135件の建造物のうちの一つ。夏に官報に告示後、登録される見通しだ。

同礼拝堂は鉄筋コンクリート造、鐘塔付き、平屋建て、面積175平方メートル。三角形を基本とするトラス構造の屋根を壁が支えている。外壁はグレー、内壁はクリーム色。2001年に屋根をふき替えるなど一部増改築されたが全体的に建築当初の状態が維持されている。

聖公会は16世紀に英国に誕生した英国国教会が始まりのプロテスタント教会の一つ。カトリックの「聖餐(せいさん)」を大切にする伝統と、プロテスタントの「聖書」を中心とする伝統から、カトリックとプロテスタントとの中間に位置するともいわれる。

日本では江戸時代末期の1859年に2人の宣教師が米国から来日して伝道が始まり、1887(明治20)年に日本聖公会が設立された。

土浦の教会は、日本聖公会が大正から昭和初期にかけて建築した各地の教会群の一つ。礼拝堂は全体的に質素でシンプルな内外観で、プロテスタント的な性格が強い一方、象徴的な装飾を大切にするカトリックの要素もある。

礼拝堂室内

同教会の岸本望執事(48)によると、土浦では1902年(明治35)年に水戸在住の牧師が現在の土浦小学校正門付近の借家に最初の講義所を開いた。1930年、講義所近くの現在地に礼拝堂を建築、地域初の鉄筋コンクリート造と珍しかったことから、工事中は多数の見学者が訪れたという。桜川が氾濫した1938(昭和13)年の洪水の際は、礼拝堂も床上浸水した。現在も使われているリードオルガンは、礼拝堂が完成した翌年から演奏されているが、洪水の際、当時の牧師が一人でリードオルガンを担ぎ上げ、難を逃れたと伝えられている。

県内では水戸と日立の聖公会の教会も戦前に建てられたが、第二次世界大戦中、空襲に遭い、いずれも焼失し、戦後再建された。建築当初のまま残っている聖公会の教会は土浦が県内で唯一。

岸本執事は登録文化財の答申について「うれしく思う」と話し「(礼拝堂は)いつもオープンにしている。信徒の皆さんの宝物であると共に、土浦市民にとって心を落ち着ける場所として訪ねていいただければ」と語る。地域に開放され親しまれてきた教会で、内部も自由に見学できる。

土浦市の新小学1年生に黄色い帽子を寄付 JA水郷つくば

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目録を、安藤真理子土浦市長(左から4人目)に手渡すJA水郷つくばの池田組合長(同3人目)。寄贈された交通安全帽子を身につけて撮影に臨む式典参加者

新年度に土浦市内の市立小学校と義務教育学校に入学する全ての新小学1年生に向けて、JA水郷つくば(土浦市小岩田西 池田正組合長)が855個の交通安全帽子を土浦市に寄付し、21日に同市役所で寄贈式が催された。

交通安全帽子の寄付は同JAが進める地域貢献活動の一環で、1977年から始まり今回で48年目。以前は男子がキャップ型、女子はハット型と性別で形が異なっていたが、24年から性別を問わず共通のハット型となった。新小学生に向けた交通安全帽子の寄付は、JA水郷つくばが管轄する土浦、龍ケ崎、牛久、かすみがうら、利根、美浦、阿見の7市町村全ての公立小学校と義務教育学校に対して行われている。

式典でJA水郷つくばの池田組合長は「新入生は、目立つ黄色の帽子をかぶって安全な通学ができるよう気をつけてほしい。健全な心と体を持った子どもたちが土浦でたくさん育ち、将来、また土浦に戻って地域を盛り上げてもらえたら。その種をまく活動につながればと思っている」と思いを話し、「土浦は農産物が特産となる地域。地域貢献活動を通じて農業の大切さも伝えていきたい」と語った。

寄付を受けた土浦市の安藤真理子市長は「交通事故に遭わないように登下校時にこの帽子をかぶって毎日元気に登下校してもらいたい。また、帽子を通じて市内の農産物について学ぶきっかけにしてもらえたら」と述べた。

JA水郷つくばは、2019年に旧JA茨城かすみ、旧JA竜ケ崎、旧JA土浦の3つのJAが合併して誕生した農業協同組合で、正組合員数は昨年1月31日現在、1万5031人。准組合員が1万2833人となっている。子ども食堂への食材寄付や、直売所にフードドライブを設置するなど地域貢献活動にも力を注いでいる。2023年に土浦日大高校野球部が夏の甲子園大会に出場した際には、管内の特産物である予冷れんこん20キロ、梨50キロ、れんこんカレー120食を贈呈し、選手を激励した。(柴田大輔)

ワークライフバランス推進課などを廃止 つくば市人事異動’25 

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つくば市役所

つくば市は19日、4月1日付け人事異動を内示した。異動総数は20.3%の286人(消防本部などを除く)で、全職員数は前年度より22人増え2109人になる。組織改編では、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)の考え方が市職員に浸透したなどとして、労働安全衛生管理、ハラスメント防止などを担当するワークライフバランス推進課を廃止する。同課を含め1課2室が廃止される。

人事配置方針は、若手や女性を管理職や係長職に積極登用などする。女性管理職は前年度より2%増えて27.8%になる。国などとの人事交流は、引き続き文科省から政策イノベーション部長を配置する。

組織改編は、総務部はワークライフバランス推進課を廃止し、人事課に同係を置く。ハラスメント防止に関する事務を不当要求やカスタマーハラスメント対応と一体的に推進するため、一部事務を人事課から総務課に移す。

政策イノベーション部は、持続可能都市戦略室を廃止し企画経営課に持続可能都市・官民連携推進係を置く。ほかに情報・データの利活用を一体的に進めるためデジタル政策課を新設し、情報政策課を情報システム課に名称変更する。経済部は産業用地整備事業の業務増加に対応するため立地推進室を課に格上げする。

市民部は芸術文化創造拠点の整備など芸術文化事業をさらに推進、拡大するため文化芸術課を芸術文化推進課に名称変更する。保健部は新型コロナワクチン接種事業の役割がほぼ終わることから、予防接種・感染症対策室を廃止し、健康増進課に感染症対策係を置く。

こども部は稲岡保育所、上ノ室保育所、上広岡保育所の公立3園を2024年度末で閉所する。教育局は茎崎学校給食センターを24年度末で閉所し、新たに桜学校給食センターを開所する。

◆4月1日付け人事異動は以下の通り(課長級以上)。カッコ内は現職、敬称略。

【部長級】
▽市民部長(政策イノベーション部次長)稲葉清隆
▽保健部長(保健部次長)鈴木加代子
▽経済部長(経済部次長)柳町哲雄
▽建設部長(建設部次長)山田正美
▽上下水道局長(建設部建設政策監)木村幸弘
▽教育局長(教育局次長)久保田靖彦
▽議会局長(議会局次長)中島一美

【次長級】
▽市長公室次長兼秘書課長(秘書課長)伊藤尚美
▽政策イノベーション部次長・選挙管理委員会書記(教育局統括監)中根英明
▽政策イノベーション部次長兼スマートシティ統括監兼科学技術戦略課長(科学技術戦略課長)中山秀之
▽財務部次長兼納税課長(納税課長兼徴税管理監)髙野克則
▽財務部次長兼公共資産利活用推進課長(公共資産利活用推進課長)岡野渡
▽市民部次長兼統括監兼統括地域支援監(統括監兼統括地域支援監)大木茂樹
▽市民部次長兼スポーツ施設課長(スポーツ施設課長)武笠健一
▽福祉部次長兼高齢福祉課長(高齢福祉課長)日下永一
▽保健部次長兼健康増進課長(健康増進課長)木本昌昭
▽こども部次長兼統括監兼児童館統括監(こども部次長)吉沼浩美
▽経済部次長兼統括監(市民部次長)中川伸一
▽都市計画部次長兼都市計画課長(都市計画課長)中山正人
▽都市計画部次長兼総合交通政策課長(総合交通政策課長)細谷知英
▽建設部次長兼道路計画課長(道路整備課長)塚田孝
▽上下水道局次長兼統括監(上下水道局統括監)渡辺高則
▽教育局次長兼健康教育課長(健康教育課長)柳町優子
▽教育局次長兼教育施設課長(広報戦略課長兼副広報監)勝村英樹
▽教育局次長兼学務課長(財政課長)森田信道
▽教育局主任参事兼筑波学校給食センター所長(福祉部次長)相澤幸男
▽議会局次長兼議会総務課長(議会総務課長)町井浩美
▽選挙管理委員会事務局長・総務部主任参事(上下水道局次長)小吹正通
▽監査委員事務局長(選挙管理委員会事務局長)伊藤和浩
▽消防本部主任参事兼中央消防署長(消防総務課長)高野順一
▽消防本部主任参事兼北消防署長(救急課長)中島昌美
▽消防本部主任参事兼南消防署長(北消防署長)北沢直弘

【課長級】
▽広報戦略課長兼副広報監(広報戦略課長補佐)石垣俊介
▽総務課長(選挙管理委員会事務局副局長)渡邉健
▽デジタル政策課長(科学技術戦略課長補佐)大垣博文
▽財政課長(総務課長)高野剛
▽管財課長(管財課長補佐)中山真由美
▽納税課徴税管理監(こども育成課長)桐生修
▽市民協働課長(ワークライフバランス推進課長)岡田健一
▽市民センター所長兼消費生活センター所長(市民センター所長)横田裕治
▽桜窓口センター所長(介護保険課長)大越正枝
▽芸術文化推進課長(文化芸術課長)矢口治重
▽桜交流センター地域支援監兼所長兼栄出張所長(茎崎学校給食センター所長)直江正和
▽茎崎交流センター地域支援監兼所長兼市民ホールくきざき館長(豊里交流センター所長)川又通生
▽介護保険課長(教育局学務課長)笹本昌伸
▽こども育成課長(こども育成課長補佐)小林将明
▽こども未来センター課長(広報戦略課広聴室長)中山美希
▽立地推進課長(産業振興課立地推進室長)河合隆浩
▽観光推進課長(観光推進課長補佐)久保田博之
▽建築指導課長(建築指導課長補佐)木村賢次
▽開発指導課長(建築指導課長)鈴木聡
▽道路整備課長(道路整備課長補佐)宮下武
▽道路管理課長(道路計画課長)大塚勝之
▽住宅政策課長(管財課長)山田勝栄
▽防犯交通安全課長(危機管理課長補佐)登坂美彦
▽環境保全課長(環境保全課長補佐)山﨑剛
▽サステナスクエア管理課長(上下水道業務課長)兼平勝司
▽上下水道業務課長(観光推進課長)小川高徳
▽つくばすこやか給食センター豊里所長(桜交流センター所長)荒澤浩俊
▽つくばほがらか給食センター谷田部所長(サステナスクエア管理課長)窪庭茂
▽桜学校給食センター所長(つくばすこやか給食センター豊里所長)渡辺寛明
▽教育相談センター所長(道路管理課長)須藤文雄
▽総合教育研究所長(筑波交流センター所長)一瀬剛
▽中央図書館副館長(教育施設課長)大口勝也
▽選挙管理委員会事務局副局長(ワークライフバランス推進課長補佐)飯島純子
▽オンブズマン事務局長(筑波学校給食センター所長)倉持賢一
▽消防本部消防総務課長(消防総務課長補佐)稲葉源平
▽消防本部消防救助課長(消防指令課長)久保田正美
▽消防本部救急課長(南消防署長)品川豊
▽消防本部消防指令課長(消防救助課長)青木節
▽消防指令課参事兼課長補佐(中央消防署副署長)櫻井誠
▽消防本部地域消防課長(谷田部交流センター所長)大久保正巳

【役職定年】管理職から降任 3月31日付
▽市民部長 大久保克己
▽建設部長 富田剛
▽上下水道局長 中泉繁美
▽教育局長 吉沼正美
▽議会局長 川崎誠
▽政策イノベーション部次長 池畑浩
▽こども部統括監 大橋一彦
▽経済部統括監 岡田克己
▽都市計画部次長 根本一夫
▽生活環境部次長 植木亨
▽消防本部中央消防署長 廣瀬好
▽市民協働課長 美野本玲子
▽桜窓口センター所長 中川和子
▽大穂交流センター所長 佐藤宏明
▽吉沼交流センター所長 木澤伸治
▽こども未来センター課長 中澤真寿美
▽防犯交通安全課長 入江一成
▽環境保全課長 沼尻輝夫
▽つくばほがらか給食センター谷田部所長 田中聖史
▽消防本部地域消防課長 小川英男
▽オンブズマン事務局長 石塚一弘

【退職】3月31日付
▽保健部長 杉山晃
▽経済部長 片野博
▽財務部次長 飯島正志
▽監査委員事務局長 坂本人史
▽茎崎交流センター所長 木村宏
▽開発指導課長 中島隆志
▽住宅政策課長 吉田和行

女性管理職、目標の30%に 土浦市人事異動’25

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土浦市役所

土浦市は14日、4月1日付人事異動を内示した。異動者数は前年度より15人多い337人(消防職を除く)で、昇格は108人となる。女性活躍の視点から職域拡大と能力に応じた管理職への登用を積極的に行い、女性管理職の割合は前年度の29.6%から2.1%増加して31.7%となり、女性職員活躍推進プランの目標である30%を達成する。

定年引上げにより、役職定年職員を調整官と位置づけ、これまでの経験を生かせる部署に配置する。県などとの人事交流を継続する。

組織改編は、ふるさと納税返礼品のPRをシティープロモーションと一体的に実施し市の魅力を効果的に発信できるよう、広報広聴課シティプロモーション室にふるさと納税推進室を統合する。税外債権未納者への措置を加速するため、法務部門との連携を図り、納税課債権管理室を総務課に移管する。ICT(情報通信技術)教育の一体的実施のため、教育委員会事務局指導課内に教育DX推進室を設置する。企業誘致を推し進めるため商工観光課産業政策係の一部事務を政策企画課企業誘致室に移管する。

◆4月1日付人事異動(課長以上)は以下の通り。カッコ内は現職。敬称略。

【部長】4人
▽総務部長(総務部人事課長)塚本浩幸
▽市民生活部長(総務部管財課長)皆藤秀宏
▽保健福祉部長兼福祉事務所長(市民生活部長)水田和広
▽産業経済部長(市民生活部環境衛生課長)羽成健之

【参事】8人
▽政策企画課長(都市整備課長兼りんりんポート土浦館長)福澄雄祐
▽生活安全課長兼消費生活センター所長(人権推進課課長)福原守
▽こども政策課長(総務課長)細野賢司
▽保育課長兼子育て交流サロン館長兼こどもランド館長(教育委員会教育総務課長)塚本富美代
▽商工観光課長(政策企画課長)佐々木啓
▽道路建設課長(道路建設課長)浅岡武徳
▽会計課会計管理者兼課長(商工観光課長)沼尻健
▽農業委員会事務局長(下水道課長)室町和徳

【課長】26人
▽総務課長(納税課長)北島康雄
▽人事課長(保育課長兼子育て交流サロン館長兼こどもランド館長)野中佑起男
▽管財課長(秘書課長補佐)渡邊隆明
▽課税課長(派遣・観光協会課長補佐)中西弘治
▽納税課長(道路管理課長補佐)萩島克延
▽人権推進課長(こども政策課長)中川光美
▽市民課長兼上大津支所長(市民課長)菊田宏巳
▽環境保全課長(都市計画課長)鈴木孝昌
▽環境衛生課長(派遣・産業文化事業団課長)草間正志
▽社会福祉課長(政策企画課主任政策員)川村明弘
▽高齢福祉課長(生活安全課長)中山悟
▽農林水産課長(農業委員会事務局長)岡田将之
▽都市計画課長(建築指導課長)齋藤仁志
▽都市整備課長兼りんりんポート土浦館長(都市整備課長補佐)石引康博
▽建築指導課長(建築指導課長補佐)市村俊宏
▽道路管理課長(住宅営繕課長)三浦誠
▽住宅営繕課長(水道課長)和田利昭
▽下水道課長(道路建設課長補佐)飯塚照秋
▽水道課長(道路管理課長)滝田昌曉
▽教育委員会教育総務課長(農林水産課長補佐)山口晃一
▽教育委員会学校給食センター所長(学校給食センター所長補佐)渡辺直子
▽教育委員会生涯学習課長兼青少年センター所長(生涯学習課長兼青少年センター所長兼青少年の家所長)矢内良則
▽教育委員会博物館副館長(博物館館長補佐)関口満
▽教育委員会スポーツ振興課長兼川口運動公園管理事務所長兼新治運動公園管理事務所長兼武道館長(環境保全課長)日髙寿志
▽議会事務局次長(議会事務局次長補佐)小野聡
▽派遣・産業文化事業団課長(農林水産課長)坂本直親

【調整官】役職定年対象職員、10人
▽政策企画課調整官(産業経済部長)塚本隆行
▽行政経営課調整官(総務部長)塚本哲生
▽管財課調整官(社会福祉課長)坂本英宣
▽課税課調整官(教育委員会スポーツ振興課長)寺崎敏彦
▽消費生活センター調整官(保健福祉部長)羽生元幸
▽高齢福祉課調整官(会計課会計管理者)佐野善則
▽下水道課調整官(清掃センター 所長)木村浩之
▽教育委員会学務課調整官(課税課長)田中裕之
▽教育委員会生涯学習課調整官・行政経営課調整官併任(高齢福祉課長)刈山和幸
▽会計課調整官(学校給食センター所長)小池政幸

【退職】
▽教育委員会博物館副館長 木塚久仁子
▽議会事務局次長 元川宏

消防本部
【部長級】1人
▽消防長(次長)堀本良博
【次長級】1人
▽次長兼土浦消防署長(予防課長)比氣武行
【課長級】8人
▽かすみがうら市消防本部出向(土浦消防署上席副署長)町島修
▽予防課長(神立消防署副署長)橋本浩一
▽荒川沖消防署長(土浦消防署副署長)小倉一夫
▽神立消防署長(荒川沖消防署副署長)羽成博之
▽新治消防署長(土浦消防署副署長)飯田浩
▽土浦消防署南分署長(新治消防署副署長)中野雅文
▽土浦消防署上席副署長(土浦消防署副署長)平山正樹
▽土浦消防署上席副署長(消防総務課長補佐)小島博
【退職】
▽神立消防署長 大塚勝久
▽新治消防署長 三上健市
▽土浦消防署上席副署長 御幡満
▽神立消防署副署長 高橋義憲

方角かそれとも距離か?《文京町便り》38

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】今回は、コラム28(2024年5月23日掲載)で触れたアダム・スミス『国富論』購読の続きになる。講読会も半ばに差し掛かり、今年1月には第4編「経済政策の考え方」第6章「通商条約」第7章「植民地」に達した。

私の認識では、スミスは植民地支配を前提にした重商主義の経済政策に批判的で、当時イギリスの植民地だったアメリカの独立を(諸般の理由から)支持していた、というものだった。再読してみると、この認識自体には誤りはないのだが、当時の植民地がヨーロッパ諸国とどのような経緯・関係にあったかは、実に多様だったことが分かる。

非ヨーロッパを植民地化していた先発のベネツィア・スペイン・ポルトガルと、後発のフランス・イギリス・オランダなどは、その狙いと手法が異なり、ひとくくりに宗主国と植民地の関係性では総括できないことが明らかである。

いずれにせよ、当時の植民地政策の展開を博識・適格に描写しているスミスの筆致に感服しながら読み進めると、第4編第7章第1節「新植民地建設の動機」で、ジェノバの航海者コロンブスの西回りによるアジア航海の大胆な計画(1492年)についての言及に、はたと膝を打った。

邪馬台国は九州説に一理

「ヨーロッパとアジア諸国の位置関係・距離については、当時はきわめて不正確だった。アジアまで旅行したヨーロッパ人は少なく、距離を誇張して伝えていた。おそらく無知のためもあり、測定する方法もなかったので、確かにきわめて遠い距離が無限に遠いと思えたのだろう」

「あるいは、ヨーロッパから極端に遠い地域を旅した冒険を飾り立てるために、距離を誇張したのかもしれない。東回りの距離がそれほど遠いならば、西回りの航路は短いはずだとコロンブスは考え、最短で確実な航路をとれば成功の可能性が高いと主張し、カスティーリャのイサベラ女王を説得した」(太字は筆者)というのが、スミスの見立てである。

これはまさしく、3世紀後半の(普の陳寿が記した)歴史書『三国志』の一部である、魏志倭人伝における邪馬台国の推定地論争での、距離をとる(畿内説)か、方角をとる(九州説)かの錯綜(さくそう)を物語っていないだろうか。記述のままとすれば、邪馬台国は太平洋上に位置する。その後の大和朝廷への連続性を踏まえれば畿内説になるが、考古資料の数的優位などでは九州説も捨てがたい。

私自身はこの分野の専門家でもないので、どちらの説にくみするものではないが、15世紀頃のヨーロッパの冒険家たちの粉飾された記録を冷静に読み解くスミスの指摘にならえば、九州説には一理があるのではないか。(専修大学名誉教授)

微生物で温室効果ガスに立ち向かう 茨城大 農学部中心に新研究組織 

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4月1日スタートする「グリーンバイオテクノロジー研究センター」について説明する小松崎将一教授=茨城大学農学部

4月1日立ち上げ

二酸化炭素やメタンなど温室効果ガスの排出量削減に役立つ微生物を探して農業に取り入れ、気候変動緩和や環境保全につなげようとする研究が4月1日、茨城大学(太田寛行学長)でスタートする。新たな研究組織「グリーンバイオテクノロジー研究センター(Gtech)」を立ち上げるもので、18日、準備委員長の小松崎将一農学部教授らが記者会見して概要を明らかにした。

同センターは総合気候変動科学の推進を掲げる。さらに農業生態系の保全技術の革新、産学官連携を通じた社会実装を目指しており、阿見町中央の農学部を中心に、理学部(水戸)、工学部(日立)にウイングを広げて編成される。

農学部がある阿見キャンパスには1999年に設置された遺伝子実験施設(GRC)があったが、四半世紀が経過し、遺伝子研究は新たなステージに移行したとの判断から、同施設を発展的解消し、Gtech設置に向かった。

研究体制は、①微生物を活用した農業や生態系における温室効果ガス低減に取り組む「農業・生態系保全ユニット」②微生物による物質循環機能のゲノム解析の解明に取り組む「微生物遺伝子情報解析ユニット」⓷これらの研究の社会実装を促進する「社会共創ユニット」-の3つのユニットで構成される。

環境再生型有機農業の成果ベースに

世界の二酸化炭素(CO₂)やメタン(CH₄)、一酸化二窒素(N₂O)などの温室効果ガス(GHG)排出量のうち「農業・林業・その他の土地利用」はおおむね4分の1を占めるとされる。日本の農業分野からのGHG排出は稲作によるメタン排出(約39%)が最多で、畑地からのN₂O排出(15.5%)も多くを占める。

地中でメタン生成や硝化、脱窒などの反応が起こっての排出のプロセスだが、肥料を投入せず地中の微生物の働きに任せた有機農法を採用すると土壌の炭素貯留能力が向上し、土壌に健全性をもたらすことが分かっている。同農学部では不耕起栽培やカバークロップの活用などによる環境再生型有機農業で成果をあげてきた。

これらの実績をベースに今後は、農地における土壌炭素・窒素の動態や循環機能の解析などを行うとしている。作物としては稲作と穀物を中心とした畑作が対象となる。

小松崎将一教授は「農業活動は世界中で営まれており、特にアジアにおける農業の温暖化対策研究の拠点としたいが、農学部には霞ケ浦流域で培った研究実績もあり、まずは地域の農業や環境保全に貢献する成果を上げていきたい」としている。(相澤冬樹)

谷田部の飯塚伊賀七「五角堂」《ご近所スケッチ》15

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イラストは筆者 15

【コラム・川浪せつ子】つくば周辺の絵を描いていくと言っておいて、最近はなんだか行き詰まりを感じていました。ステキな風景はたくさんあるのですが、もう一つ個性を出すことができませんでした。そんな時にたまたま見つけたのが、つくば市民センター講座「つくば市の歴史や文化財を知ろう!」というチラシ。開校1日前に締め切られていましたが、電話するとあと1名OKということで滑り込み。

以前から、つくば周辺の歴史には興味がありましたが、なかなか勉強するチャンスがありませんでした。でもこの講座、あまりに面白くて目覚めました! つくば市には遺跡が600カ所以上あるそうです。TX工事などで掘り返したところからも発掘され、研究学園駅~みどりの駅の間では、県の大規模な発掘が始まったそうです。

郷土史に目覚めた私

そこで、以前から気になっていた「飯塚伊賀七の五角堂」(つくば市谷田部)を見に行き、描いてみました。前々から、この地にどうしてこんな素晴らしい研究(和時計)ができたのか疑問に思っていましたが、それを解決してくれたのが「つくば市谷田部郷土資料館」。五角堂の近くの建物(1階保健センター、2階図書館)の3階にあります。40数年近くつくばに住んでいて知りませんでした。皆さん、ぜひ行ってみて!

歴史に目覚めた私は、土浦市の「上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)」へも。それに、つくば市内にある「桜歴史民俗資料館」。いずれも無料か低価格で入館できます。私の場合、歴史館巡りの目的は歴史の紹介ではなく、あくまでも「絵」です。でも歴史を知ることで、今まで以上に地域を愛しちゃうことになりました。(イラストレーター)

飯塚伊賀七が設計した五角堂=つくば市谷田部

筑波山地域ジオパークが絵本に

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絵本を紹介する岡林ちひろさん(左)と、おおさわちかさん=つくば市役所

独特の地形や地質をもつ「筑波山地域ジオパーク」をモチーフとした絵本「ロッグとビットのおかしな旅 ひみつのてっぺん」(ロクリン社)が完成した。18日、作者の岡林ちひろさん(53)と、絵を担当した絵本作家のおおさわちかさん(51)がつくば市役所を訪れ、五十嵐立青市長を表敬訪問した。本はAB判サイズ、44ページで、前半35ページが絵本に、後半9ページがジオパークについての解説になっている。筑波山地域ジオパーク推進協議会が監修を務めた。

作品は、筑波山や周辺地域を舞台にした、好奇心旺盛な主人公のカエルとウサギによる冒険物語。今にも落ちそうな巨岩の下をくぐり抜ける「弁慶七戻り」や「ガマ石」など筑波山の奇岩や、12万年以上前のカキの化石が露出する霞ヶ浦に面する出島半島南端の崎浜・川尻地区の崖、大きく蛇行する桜川と小貝川など、筑波山地域ジオパークの特色ある自然が多数登場する。フランスで絵画を学び、フランスや日本で絵本作品を出版してきたおおさわさんが、色彩豊かに筑波山地域の自然を描き込んだ。

岡林さんは「物語に登場するのは地域に実際に生息する植物や動物たち。主人公と一緒に冒険を楽しんでもらうような物語にした。苦労して山頂にたどり着いて見た風景への感動を、主人公と同じように感じてもらえたら」と作品への思い話す。おおさわさんは「実際に筑波山に登って、山頂から見た平野の広がりに感動し、その思いを絵に表現した。自然の質感や温かさを大切に描いたので、見てくれる子どもたちにそこを感じてもらえたらうれしい」と語った。

同ジオパーク推進協議会会長を務める五十嵐立青つくば市長は「ジオパークの認知度について悩んできた。ジオパークには未就学児や小学生たちが多く訪れている。今回の作品を通じてジオパークの存在をさらに多くの方に知ってもらい、実際に現地に足を運び、学びを深めてもらうきっかけにしてもらいたい」と話した。

筑波山地域ジオパークは、つくば、石岡、笠間、桜川、土浦、かすみがうらの6市にまたがるエリアで構成されており、一帯にある筑波山、霞ケ浦、平野を流れる河川が生み出す独特の地形や地質、地域に根ざした営みが評価され、2016年に日本ジオパークに認定された。4年ごとの審査をへて、今年1月に2度目の再認定を受けた。(柴田大輔)

◆絵本「ロッグとビットのおかしな旅 ひみつのてっぺん」は今月27日から販売される。価格は1870円(税込み)

京都・94歳の語り部《デザインを考える》18

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白川女(京都府立大学歴彩館・京の記憶アーカイブより)

【コラム・三橋俊雄】今回は、1998年の暮れに、白川女(しらかわめ)をされていた94歳のYKさんから伺った「ちょっと昔の京都」のお話です。白川女とは、京都北白川に住み、四季の草花を頭上に載せて京都市内を売り歩いた女性たちのことです。

「ひーふのさんきち、ひるはうまおい、よるはくつおち、おひめさまがた、りょうちすごろく、おめんかけとて、にわのもみじを、はるとながめて、ほーほけきょとさえずるあすは、ぎおんのにけんじゃやで、ことやしゃみせん、はやしてんてん、てまりうた、うたのなかやま、ちょろんごんじゅで、ちゃろくろくろく、ちゃしちしちしち、ちゃはちはちはち、(中略)いちでよいのが、いとやのむーすめ、にでよいのが、にんぎょやのむーすめ、さんでよいのが、さかやのむーすめ、さかやむすめはきりょうがようて、きょうでいちばん、おさかでにばん、さがでさんばん、よしだでよばん、よしだおとこにだきしめらーれて、くしやこうがい、こちゃもーろーた」

この唄は、YKさんが天保2年生まれのおばあさんから教わった「てまりうた」です。

生活文化の美学や哲学

京大農学部をつくるときに、お地蔵様がぎょうさん出てきて、そのお地蔵様を粗末に扱ったら皆ケガして、それからお祭りをしはった。比叡山から良い石が出て、夫が東福寺山門の前の石灯篭一対、京都市美術館や国立京都博物館の土台の石をつくった。御所の建令門の土台の石の仕事では、戸籍謄本を持って身分の保証とした。

「味噌(ミソ)豆たことて 、豆炊いて、豆の数ほど家焼いて、もよもん(屋号)とは、ちーはうちーはう」。これは、「おひたき」という氏神さんの行事があり、ミカンやユズの香りのする三角のオコシやオマン(饅頭)をもらいに行きたくて、頼まれていた豆の火の番を放ったらかしにして火を出してしまった、というお話です。 

YKさんが、親指などすれたところを刺し子した足袋に草鞋(わらじ)を履いて花売りに行くと、皆がきれいに刺してあるなと言ってくれた。おばあちゃんが小さな布を刺して、雑巾にして使った。夜なべに、行灯をくるっと回して、灯明の明かりで着物を継いで継いで、ほかさへん。誕生日にボウダラを炊くのがごちそうだった。普段は野菜を炊いて揚げ豆腐を入れたり、男は酒を呑むので魚が一つ付いた。

毎月1日は小豆ご飯、1日と15日はカシワ(鶏肉)をすき焼きにして食べた。ニシンと刻みコブのおかずの「しぶうこぶう(ニシンの渋みと昆布)」は慎ましく暮らすようにとの意味があった。桶(おけ)がすいて(隙間が空いて)きたものは、川幅が1メートルくらいで深さ30センチくらいの小川に沈め、コイモ(里芋)を入れて、竹の棒を組んだ道具で芋洗いをした。白川女が頭に乗せていて使い古された「箕(み)」は、ちりとりや土運びの道具として転用した。

こうしたYKさんとの出会いが、コラム16(25年1月21日掲載)と17(2月18日掲載)で取り上げた「京のしまつ調査」の始まりでした。京都の「普段着」の暮らしの中には、ものを大切にしながら豊かさを追求する「生活文化(Design of Life)」の美学や哲学がありました。(ソーシャルデザイナー)